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2015年5月22日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その32 Aeroflot Tu-154M part1

冷戦時代の西ベルリン Düsseldorf空港で撮影した旅客機の写真、今回からは当時ソビエト社会主義連邦共和国の国営航空会社だったアエロフロート航空Tu-154Mです。

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CCCP-85644 Tu-154M 88A780 1989/5/7 DUS

2回に分けて,このテーマの記事とし、最初はアエロフロート航空の歴史について触れます。
1917年のロシア革命の後の1921年1月17日にレーニン率いるボリシェヴィキはソビエト領空における航空輸送に関する規則を発行し、自国の航空輸送、さらには他国機のソビエト領空通過に関する規則を定めました。

1月31日に民間航空計画に関する国家委員会が発足し、5月1日イリヤー・ムーロメツ3機を用いた初の商用飛行が行われ、モスクワからオリョール経由でハルキウに至るルートで、ソビエトにおける旅客・郵便輸送の幕が開けました。さらに11月24日にはドイツと共同でDeruluftが設立され、1922年5月1日にモスクワから当時ドイツ領であったケーニヒスベルクまでフォッカー F.IIIによる運航が開始されました。

1929年にはルフトハンザで使用されたドルニエ コメットに更新され、他にもユンカース Ju 52なども導入され、これらの機体はまだ発展途上であったソ連の航空機製造産業に多大なる影響をもたらしました。アエロフロートАэрофлот)とは英語でAir Fleetにあたり、1991年のソ連航空設立前までは単一の航空会社の名称ではなく、各地域ごと、事業ごと、あるいは空港ごとに存在する航空会社の集合体であるソ連政府の民間航空輸送部門の総称でした。

1923年2月9日
、ソ連政府は赤色空軍の監督の下に航空会社を設立することにし、3月17日All-Russian Volunteer Air Fleet「ドブロリョート」が設立されました。モスクワとニジニ・ノヴゴロドを結ぶ路線が創設され、さらにレニングラード、カザンやハルキウを結ぶ路線も登場しました。10月にはトルキスタンやモンゴルを結ぶ路線も開設されました。

同年、ロシアでは「ユンカース=ルスランド(Junkers Russland)」が、コーカサスでは「ザカヴィア(Zakavia)」が、アゼルバイジャンでは「アズドブロリョート」などが設立され、やがてすぐにウクライナの「ウクライナ航空会社」に集約され、さらに1930年には第一次五カ年計画によってウクライナ航空会社とドブロリョートが集約され、1932年3月26日に名称が現在に続く「アエロフロート」に変更されました。1937年にはDeruluftもアエロフロートに編入されました。

第二次世界大戦中もアエロフロートは定期国際航路の運航に従事し、終戦直後は稼働可能であったLi-2などを運用することで運航を維持しました。第四次五カ年計画で増強が必要となったアエロフロートに1946年、セルゲイ・イリューシン設計のIl-12が投入されました。

1956年、爆撃機Tu-16を基にした双発ジェット旅客機Tu-104が登場しました。それまでオムスク経由のモスクワ〜イルクーツク線はIl-14で18時間を要していたが、ジェット化によって7時間に短縮し、停滞気味であったアエロフロートの牽引役として活躍しました。

1959年にはAntonov An-10IL-18が導入されました。1960年にかけて既存のジェット機とともに路線の伸張がなされました。以降ジェット化は進展し、Tu-95爆撃機を基にした世界最大のプロペラ機Tu-114による長距離路線の開設も相伴って国内線を中心に路線を拡大させていきました。1962年にはTu-124, Antonov An-24が中距離路線に投入されています。

1967年にはTu-134が導入され、輸送力が増強され、利用者数は世界最多となりました。Tu-134によって国内線を中心に路線網が拡大しました。さらに国際線にはIL-62がそして、1968年にはYak-40が短距離路線に投入されました。

ソ連国内外における民間航空輸送(旅客・貨物)の他にヘリコプターによる急患輸送、クレーン業務、農薬散布、スクールバス業務、北極圏内、南極基地への物資輸送、大気観測業務もアエロフロートの業務で、空を飛ぶもの殆どすべてがアエロフロート関係と言っても過言ではない状態でした。
また外交関係を誇示するためや西側路線の多くが外交官や秘密諜報部員の輸送に使われ,国際線の多さも話題となっていました。

わたしも西ドイツへの往復で航空運賃を検討した際にアエロフロートによる値段も聞いてみましたが、値段は安いもののサービス的な問題や安全性も考慮して、結局BAにしました。

1991年12月、ソビエト連邦が崩壊すると80以上の航空会社が新たに登場し、不採算路線の縮小、リストラが進められ、新鋭機 IL-96、Boeing 767, Airbus A310, A320などの導入が進められ、旧西側諸国並のサービスを提供しているとの評価も最近は得ているそうで、2006年にはスカイチームへの参加も果たしました。

最後に最近の話題から、

今年3月24日にスペインのバルセロナ空港からDüsseldorf空港を目指して飛行して いたGerman wingsの4U9525便(乗員6名、乗客144名 D-AIPX Airbus A320-211)が副操縦士による故意の墜落操作でフランス領内のアルプスに墜落してから約2ヶ月が過ぎ、搭乗者全員の遺体が確認されたというニュース が先日ありました。

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コメント

b767-281様おはようございます。ロシア機結構好きです。成田ではil62そしてこちらのツポレフ両機とも撮っています。いまボーイング777などをつかっているのを見ると正に隔世の感です。やはりワイドホディー機に合うハイバイパスのエンジンを開発出来なかったのが大きいと思います。154ま今は飛行禁止。晩年は事故が多かった印象か強いです。朝からお邪魔致しました。

エアロフロート航空。
70年代後半のモータースポーツのフォーミュラマシンのスポンサーになってましたね。
日本ではF2マシンのスポンサーとしてマシンを彩ってました。
どういう流れでスポンサーになったのかは分かりませんが。
丁度あの頃はソ連との関係が冷え切ってた頃のはずなのに。

こんにちは。

アエロフロートの歴史を詳しく教えて頂き、ありがとうございます。


アエロフロートというと、
私が小学生の頃に 羽田空港で見たTU114が強く印象に残ります!

鶴のような脚が印象的でした!

それにソ連という政治的なイメージもあり、恐怖感がありました!


新潟空港で見たアエロフロートのTU154、スマートに感じました。


またまた脱線いたしますが、
ミグ25で函館に強行着陸した事件を思い出しました!

細井忠邦さま、こんばんは。

仰る通り、IL-86の写真、このあとのフランクフルト編で登場しますが、エンジンが細いのが特徴ですね。おなじ4発でも747と較べるとその違いが顕著でした。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

モモのパパさまは、以前ロータリーエンジンでもありましたが、F1や自動車レースにお詳しいのですね。アエロフロートがF1スポンサーとは知りませんでした。

準急豊島園さま、こんばんは。

TU114をご覧になりましたか。確かに長い脚と反転式のプロペラが特徴的でしたね。
ミグ25 ベレンコ中尉でしたっけ。機体の装備を調べたら、機器が真空管式だったという話も憶えています。

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