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2015年5月 2日 (土)

九州鉄道記念館訪問 その3 C59 1号機

2004年10月17日に訪問した九州鉄道記念館の話題、今回はC59 1号機です。

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C59 1 2004/10/17 九州鉄道記念館

C59形蒸気機関車は鉄道省設計によるC51形,C53形と続いた幹線旅客列車用大型蒸気機関車最後の純新製形式となった蒸気機関車です。

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梅小路蒸気機関車館の記事で紹介したC53形式は3気筒式であり、複雑なグレズリー式弁装置を搭載していたため、検修側の不慣れな部分も多く、年間休車日数が格段に多いという問題を抱えていました。現場からは保守が容易で、同等以上の性能を有する新型機関車を求める声が増していたそうです。

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当時の新型蒸機としては南アフリカ国鉄がユニオンリミテド**用として設計した1830mm径の動輪を有した16E形が有名であり、我が国でも大動輪機関車の設計が考案されたようですが、東海道・山陽線をもってしても設備的には満足でないことが明らかであり、C51形以来の1750mm径、軸重16.8tの機関車として設計されました。

**)南アフリカ共和国のUnion Limitedは今日Blue Trainとして運行されている列車の祖先にあたる列車でUnion Expressとともに首都のヨハネスブルクからケープタウンの港までを結んだ豪華列車で1923年に運行が開始されました。1933年には食堂車が1939年には冷房付きの客車が導入されました。

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C59形式はこれまでの日本の大型蒸機の進化を反映しており、

1)2気筒、パシフィック方式 2C1の軸配置

2)3缶胴式ストレートボイラー、当時設計中のD51形を基本とし、圧力を引き上げ、長煙管構造に

3)棒台枠、動輪はC57形からのボックス輪心

4)ワルシャート式弁装置

5)エコノミー式復元装置を備えたLT219先台車とばね式LT156,156A従台車

6)キャブはC58形と同じ密閉構造

7)炭水車は長距離運転可能な石炭10t、水25立方メートル積載可能タイプに
といった構成となり、全長は21.575mと国産蒸機最長になりました。

川崎車輌、汽車製造、日立製作所の3社で1941年から1943年に100両、戦後の1946年から1947年に73両が製造されました。番号は、133-155が財政難でキャンセルとなり、1-132、156-196となりました。

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C6120の記事で話題になった丸穴ウエップ付き先輪が見えます。

生まれながらの本線用旅客大型蒸機として特急列車の先頭に立ち、C62形登場後はその地位を譲りましたが、お召し列車牽引の大役はC62形登場後もC59形が担当しました。

戦前タイプを中心に運転中に発生したトラブルが3つ存在したそうで、

1)従台車の荷重負担の過大

2)ボイラーの天井板の膨潤

3)長煙管による熱効率の低下

1)は重量配分に関する設計上のミスであったようで、従台車の軸重は14.7tに達し、摩耗の進みが異常に早く,タイヤ緩み、亀裂などのトラブルに悩まされました。2)は材料に用いた鋼板の圧延品質が準戦時下で低下したことが原因とされています。3)本来、長煙管設計とともに燃焼室を設けていればなかったトラブルで戦後形では燃焼室が付加され問題が解決されたそうです。一方で、排出される蒸気の平滑化を図るために排気膨張室がシリンダーブロック内に設けられているために長煙管とともに、より通風抵抗を大きくしていたようです。

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従輪も丸穴ウエッブ付きのタイプです。

C59形は幹線用として設計・運用されたため、幹線が戦後、電化されると働き場を失って余剰が早く出ることになりました。そこで従台車を2軸化改造したのがC60形で、1953年から1955年、1960年、1961年に浜松工場と郡山工場で47両が改造され、軸重は15tとなり、亜幹線への入線が可能となりました。C59の戦前形からの改造機は1番からの番号が与えられ、1-39に、戦後形からの改造機は101番から符番され、101-108となりました。

改造されなかったC59は呉線、鹿児島本線(門司港~熊本),東北本線(上野~一関)で活躍し、C60は東北本線、常磐線、奥羽本線(秋田~青森)、鹿児島本線(鳥栖以南)、長崎本線で活躍し,特急・急行の牽引を行いました。しかし、1970年までに運用から撤退し,全車廃車となりました。

全体保存機は1,161,164の3両で、この1号機の履歴は沖田祐作氏の機関車表データでは

C591      汽車製造大阪工場=2000            1941-05-24 S80.30t2C1T(1067)
   車歴;1941-05-24 製造→ 納入;国鉄;C591→ 配属;名古屋局→1941-06-03 配置;名古屋→
      1941-06-07 使用開始→1953-12-02 姫路二→1956-11-01 門司港→
      1962-09-01(8/26?)熊本→1965-10-07 休車;荒尾支区留置→
      1965-10-22 廃車[達559];熊本→
保存;福岡県JR 九州「小倉工場」(西部支社準鉄道記念物);C591→
      2003-08-09(開館日)移管保存;福岡県北九州市「九州鉄道記念館」;C591

1941年5月24日、汽車製造大阪工場製造番号2000の車両として誕生し、名古屋に配置され,東海道本線の旅客列車牽引を担当しました。戦後は電化の進展に合わせて、姫路二、門司港と異動し、1965年10月、熊本で廃車となりました。その後は長らく小倉工場で保管されており、九州鉄道記念館開館に合わせて移管されました。

呉線で長らく活躍した164号機が動態保存機として梅小路に保存され、161号機が広島に保存されていますが,3両とも見学しているので後の2機も近々紹介の予定です。

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コメント

こんにちは~。モモパパです。
C59って僕の中ではイマイチイメージが薄いのですが・・・。
それでも結構な車両数が製造されたんですね。
お召し機も担当したんですか。
知らなかったです。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

C59という機関車は幹線用本格的蒸機であったが故、潰しがきかず引退も早かったため、C57やD51などに較べると早く消えてしまい、後継はC62に譲ったせいもあったいまいちイメージがうすいのかも知れませんね。

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