公園保存車両 モ513号 岐阜市金公園
日本全国の公園等に保存されている車両を観て歩くシリーズ,今回は岐阜梅林公園の後、駅に戻る道で訪問した金(こがね)公園の元名鉄モ513号です。
丸窓電車と紹介されているモ513 2014/8/11 岐阜市内 金公園
昨日は1930年代製のキハ42000形の話題でしたが、今回はそれよりも古い1926年(大正15年)製です。最終的には名鉄になりましたが、誕生したときは美濃電気軌道(美濃電)で、形式名はセミボ510形電車と言われたそうです。
前面は製造当時流行の半流線型スタイル 窓は5枚です。
同鉄道初の半鋼製車体の四軸ボギー車としてセミボ511-515の5両が日本車輌製造で新製されました。セミボはセミスティールボギーの略だそうで、同じ頃アメリカで盛んだった「インターアーバン」すなわち市内・郊外直通の車輌として設計されたそうです。
反対側の正面には重連用の大きなジャンパ栓
また当時の世界的流行であった半流型の車体となり、正面窓は5枚窓となりました。これは美濃電が1923年に新製したDB505形505-510の形態を受け継いだものです。
主要機器はイングリッシュ・エレクトリック社製のものを搭載し,制御方式は直接制御で主電動機はDK60型、出力44.8kWです。台車は27MCB-1で吊り掛け駆動方式です。
こういった車輌が80年近く活躍し、現在も数台各地に保存されているのは素晴らしいです。
実はこの後の記事で、同じ旅行で訪問した旧美濃駅跡に保存されているモ512やモ600形の話題が出て来ますので、そのときに美濃町線について触れようと思いますが、80年近くに渡り、岐阜市周辺で使用され2005年3月31日、岐阜600V線区の全廃で廃止となりました。
なお、金公園は1937年の開設で、モ513は2006年6月17日に設置されたそうです。同公園には長良川の水位を示す表示塔(1992年設置)や
貴婦人の像などもありました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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こんにちは~。モモパパです。
待っておりました。名鉄モ513形の記事。
この塗装は金太郎塗装ですね。
510形は丸窓が圧倒的な特徴。
510形に準じた520形もパッと見見分けがつかないほどでした。
でも520形は丸窓じゃなかったですね。
510形と520形が連結して走るときはそれぞれの車両に運転士が乗務してブザーの合図とともに運転してたのを思い出します。
投稿: モモのパパ | 2015年5月22日 (金) 08時57分
モモのパパさま、こちらにありがとうございます。
さすが、地元だけあってお詳しいですね。
私は名鉄の電車は1975年の名古屋旅行と、この旅行以外殆ど撮ってませんもので、全く分かりませんでした。岡崎の公園にも面白い連接電車が保存されていました。後日、登場の予定ですが。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年5月22日 (金) 20時47分
丸窓電車とか展示してるが、岐阜市文化遺産というが、結局『遺体』ですよね。
大事な、揖斐線(高校7つ)美濃町線(高校2つ)市内線、市ノ坪線ら、すべてを岐阜市は
議論もなく簡単に廃止した。北方町は2万人揖斐線反対集会もしたのに。
高校生、通勤者は泣いてます。徹明町、新岐阜から多くの高校生が消えて、岐阜の街は死んだ。
2019年11月、2000万円かけてその遺体を、JR駅前にさらそうとしてる!
遺産は消え去るものでしょう。消えたから美しいというのは罪悪でしょうね。
投稿: 鵜匠 | 2019年11月 8日 (金) 12時00分