« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月31日 (日)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 6 SNCF BB 7200 電機

パリのターミナル駅巡り、相変わらずリヨン駅ですが、前回でリヨン駅のTGVは全てアップしたので、今回からは在来線です。

Bb7200_8606_gare_de_lyon
番号は不明ですが、1986年6月にリヨン駅で見かけたBB7200です。(追記:公開後、おいちゃん様から交直両用の22200ではないかとのご指摘を戴きました、確かに正面の番号をよく見ると22と見えますのでこれはBB22200タイプであるとおもいます)。

最初にご紹介するのはBB 7200 タイプの直流電気機関車です。これは直流1500V用の電機で、Nez (壊れた鼻)、我が国ではゲンコツスタイルとして有名なタイプです。フランスの場合、同じスタイルで電源の仕様が異なる3タイプが存在し、交流バージョンはBB15000、交直流バージョンはBB22200となっています。直流と交流の形式番号を足して、交直流の形式番号にしているところが面白いですが。これらの3形式で最初に製造されたのは交流用のBB15000で、1971年から製造されました。製造会社はいずれもアルストム・MTE社です。

製造年 1976-1985
軌間 1435mm
車体長 17.48m
主電動機 TAB 674 2基 1台車1モーター方式
最高時速 160km/h
                100km/h   7201-7235, 7343-7380, 7411-7440
                200km/h   7261-7263
出力   4,040kW
牽引力  288 kN
制御方式 サイリスタ、電機子チョッパ方式

Bb7295_090308_montpellier
南フランスのモンペリエ駅で見かけたBB7295 2009/3/8 後ろの客車はスペイン直通のタルゴ列車です。

Bb7283_090308_montpellier
同じくモンペリエ駅で客車列車を牽引するBB7283 2009/3/8

Bb7249_090308_montpellier
重連で貨物列車を牽引するBB7249他 2009/3/8 モンペリエ

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月30日 (土)

尾久車両センター公開 2014 その9 E655系

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、今回はE655系交直流特急形電車です。

E655_141115
庫内に展示されていたE655系 5両編成 2014/11/15 尾久車両センター

塗色は従来からのお召し列車の塗装に準じた漆色となっています。光線の当たり具合で褐色から紫色に変化するマジョーラ塗装と言うそうです。

天皇・皇族の乗用車両である皇室用客車1号編成が製造から40年から70年が経過、老朽化したことから置き換え用に製造されたものですが、天皇や要人(国賓)が利用する特別車両(E655-1)を外し、「ハイグレード」車両と呼ばれる5両編成とすることで一般客の利用にも対応したことが特徴となっています。「和(なごみ)」の愛称が与えられています。

全車両グリーン車からなる構成で、座席は横1+2列配置の電動式リクライニングシート、スポット空調、読書灯、タッチパネル式8インチモニターが各座席に設置されています。

機関車牽引で非電化区間入線も可能となっており、そのときのために電源供給用ディーゼル発電機も搭載されています。電車として自走時は回生ブレーキ併用の電気指令式空気ブレーキと抑速ブレーキ・直通予備ブレーキ、機関車牽引時は自動空気ブレーキと直通予備ブレーキが作動し、そのためのブレーキ管も引き通されています。

公開では前面のカバーを開けて収納された密着自動連結器を出すシーンもあったようですが、私は見損ないました。

車体はアルミニウム合金製ダブルスキン構造で、デザインからも窺えるようにE653系E257系と共通となっています。中央本線の狭小トンネルも通過可能な第一縮小車両限界が適用されています。

制御系はIGBT素子による2レベル方式VVVFインバータ制御で回生ブレーキのほか全電気停止ブレーキも可能になっています。定格出力140WのMT75A主電動機が搭載されており、これはE531系のMT75のマイナーチェンジ版です。

編成は偶数向きがら1号車~5号車で特別車両には号車番号は与えられていません。

E655_141115_3
E654101_141115
1号車 クロE654-101 Tsc'-100

定員22名の制御車。床下にディーゼル発電機を搭載しています。唯一、客用出入り口を持たない車両です。

E655_141115_15
E655101_141115
2号車 モロE655-101 M1s-100

定員32名 電動車 主変換装置 主パンタグラフ(前位)と予備パンタグラフ各1基搭載

E654101_141115_5
E654101_141115_2
3号車 モロE654-101 (M2s-100)

定員9名の電動車 SIV CP搭載 
座席はハイグレード車両の中でも唯一革張りとなっており、客室の半分は個室型VIP室に
VIP専用の身障者対応トイレやギャレーが設置されています。

特別車両 E655-1 (TR)

公開では連結されていませんでしたが、3,4号車の間に天皇、皇族、国賓が乗車する際のみに定員18名の付随車として連結されます。所属はこの車両のみ東京総合車両センターで、あとは尾久車両センターです。

E655201_141115_9
E655201_141115
4号車 モロE655-201 (M1s-200)

定員27名の電動車 主変換装置、主パンタグラフ、予備パンタグラフ搭載
ギャレーが設置されています。

E655_141115_21
E654101_141115_2_2
5号車 クモロE654-101

定員17名の制御電動車 主変換装置、SIV,CP搭載
身体障害者対応トイレ、多目的室を設置

1~3号車は東急車輌製造、特別車両と4,5号車が日立製作所です。

2004年6月24日にJR東日本が製作を発表、2007年7月5日に東急車輌製造を出場し

2008年11月12日 6連で常磐線上野-土浦間をお召し列車として初走行 
その後、特別車両を組み込まない5連でのお召し列車運用も数回ありました。

E655_e654101_100617
E655_msce654101_100617
2010/6/17 東北本線 栗橋~古河

私も一度だけ、遭遇したことがあります。このときは密着自連を出しての走行でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月29日 (金)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 13 C11 64号機 324号機(部分)

2014年8月10日に40年ぶりに訪問した京都の梅小路蒸気機関車館の話題、今回は小型タンク機関車のC1164号機です。324号機はキャブの部分のみです。

C11_64_140810

台風接近で横殴りの雨でしたが、C1164号機は扇形庫から見ると沖合に停まっていました。 2014/8/10

C11_324_140810
324号機はキャブと炭庫がこのような状態で資料館内に展示されていました。

C11形に関してはこれまでにも

現役機
195号機 宮崎駅   や

155号機 大垣スイトピアセンター
275号機 大田原市交通公園
304号機 大荒田交通公園
322号機 鴻巣せせらぎ公園
368号機 中野紅葉山公園     などの静態保存機を見てきました、

まだ記事にしていない
189号機 広島イオンモール府中
245号機 鵠沼運動公園
265号機 半田市鉄道資料館
292号機 新橋駅日比谷口SL広場 もあり、

近々再訪を予定している
1号機 青梅鉄道公園  もあり、

さらに動態保存機では

真岡鐵道の325号機
大井川鐵道の 190号機、227号機、
JR北海道の171号機、207号機もあります。

C10形をベースにして薄鋼板を使用する構造の見直しと工作法を改良したため、運転整備重量の削減に成功しました。その結果、動軸重を12.5tにおさまり、入線可能範囲が広がりました。

国鉄機として381両、民間向けとして20両が製造されており、ローカル線貨物から、寝台特急「さくら」の早岐~佐世保間の牽引まで活躍の場も広かったため、保存機も多く残されていると言うことなのでしょう。

C1164号機の履歴はいつものように沖田祐作氏の機関車表のデータによりますと、

C1164      川崎重工兵庫工場=1532            1935-03-17 S66.1t1C2t(1067)
   車歴;1935-03-17(竣工日?)製造→ 納入;国鉄;C1164→ 配属;大阪局→
      1935-03-28 配置;奈良→1938-10-28(六検施工11/1 発11/7 着)湊町支区→
      1939-02-09 発(2/25 着)滝川→1939-03-26 発(3/26 着)深川→
      1939-11-04 発(11/5 着)野付牛→1940-05-01 発(5/1 着)深川→
      1940-10-05 発(10/06 着)室蘭→1941-03-31 現在;室蘭→
      1942-01-07 発(10/7 着)借入;静内→1942-01-26 発(1/26 着)返却→
      1942-02-07 発(2/7 着)借入;静内→1942-02-11 発(2/11 着)返却→
      1943-04-23 発(4/23 着)借入;静内→1943-05-12 発(5/12 着)返却→
      1943-05-14 発(5/18 着)借入;標茶支区→1943-09-09 発(9/10 着)追分区で六検→
      1943-09-00 函館→1944-10-15 発(10/17 着)宮古→1948-06-20 発(6/22 着)仙台→
      1949-11-20 一休;仙台→1954-10-06 発(10/7 着)会津若松→
      1955-08-01 現在;会津若松→1959-05-01 改称;会津線管理所→
      1967-00-00 改称;会津若松運転区→1972-05-27 発(5/28 着)郡山工場にて検査実施→
      1972-08-04 発(8/6 着)1972-08-05(通達上の転属日)梅小路→1986-05-30 廃車;梅小路→
      保存;京都府JR 西日本「梅小路機関車館」;C1164(最終走行距離=1,741,930㎞)

川崎重工兵庫工場で1935年3月17日に誕生しています。最初は関西本線で活躍しましたが、4年後に北海道に渡り、根室本線、日高本線などで活躍し、戦後は東北へ最後は会津若松で引退しています。

1番違いの63号機は喜多方市の日中線記念緑道公園で保存され、同じく1番違いの65号機は釧路の「炭鉱と鉄道館」で保存されています。

64号機は24号機から140号機までの2次形に属し、内火室板に直角に取り付けられ煉瓦アーチの支持を確実にし、ボイラーの水の対流を改善し、熱伝導効率を上げるアーチ管が取り付けられ、砂箱と蒸気ドームの位置が1次形と入れ替わったタイプです。下り勾配で缶水が蒸気ドームに入るのを防ぐ対策のためでした。

D51_793_140809_6
D51793号機の火室の内部 3本のアーチ管が見えます 2014/8/9 長浜スクエア

C11_64_140810_2
2次形の特徴はサイドの水タンクの下の線とキャブの床の線が合致していることでもあり、3次形以降は軸重を増加させるため水槽容量が増大し、サイドタンクが大きくなりました。

C11_64_740929
1974年に訪問した際はモクモクと煙を吐いていました。 1974/9/29

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月28日 (木)

小菅の複々線を走る様々な列車達 プロローグ

首都圏の鉄道は主に環状線の山手線と山手線上の駅をターミナルとして、放射状に伸びる各私鉄路線から構成されており、さらに山手線の内側を結ぶ東京メトロ、都営地下鉄の路線に各私鉄が相互乗り入れしています。

中でも浅草から東武動物公園まで(押上~曳舟間も含む)の東武伊勢崎線は2012年3月17日からの東京スカイツリー開業に合わせて、東武スカイツリーラインという愛称がつけられました。ここを走る列車を眺めていると一体,何社の何形式が走っているのか数え切れないほどの種類があることに驚かされます。

しかし、後述のように東武鉄道は我が国の大手私鉄の中では一番古い創立で、明治期に発足した私鉄として創立以来一度も社名を変更せずに存続している鉄道であり、営業キロ数では関東地方で1位、全国でも近鉄に次いで2位の私鉄(JRを除く)であるにも関わらず、東武伊勢崎線のターミナルは一時、両国になったり、浅草になったり、揺れ動いた様です。

昭和初期に京成電気軌道と浅草のり入れで激しく争ったこともあり、1928年の京成電車疑獄事件で漸く、浅草雷門乗り入れを果たしますが、山手線との接続は出来ませんでした。

しかし、1962年に北千住での営団日比谷線乗り入れ、さらに2003年の押上駅を介しての営団半蔵門線乗り入れで、今日のスタイルが築かれました。北千住にフォーカスすれば、常磐線と相互乗り入れしている千代田線もあり、3本の地下鉄がそれぞれ都心に向かって延びるという一大ターミナルになっています。

150429
小菅駅から荒川放水路の橋梁方面 2015/4/29

私は,西武沿線育ちで、東武伊勢崎線とはこれまで殆ど接点がなく、写真撮影の目的くらいでしか乗車した経験がないのですが、今回のシリーズでは小菅駅周辺を中心にこの区間で撮影した車両を会社ごと、路線ごとに系統的に紹介して行こうと思います。

まず、東武線としての歴史から見て行くと、

1895年4月6日 東武鉄道創立願(東京市本所区から栃木県足利町まで83.7kmの鉄道敷設)を申請

1896年6月22日 仮免状下付

1899年 北千住-久喜間が開業

1910年 浅草(位置的には業平橋、現、とうきょうスカイツリー)-伊勢崎開業

1912年 北千住-西新井間複線化

5_140716_16
5_140716
B1形 5号機関車 2014/7/16 東武博物館

B3_34_150301_2
B3_34_150301
B3形 34号 機関車 萩中児童公園 2015/3/1

1898年の開業に際して、B1形10両が製造されました。B3形はB1の改良形として、官設鉄道5600形の準同形機として1914年に6両が製造されました。その後もB4, B5, B6と導入され、1964年頃まで活躍しました。34号機は佐野線でのさよなら運転でも使用されました。

Tx_20006_120901
荒川放水路に架かる3本の鉄橋 2012/9/1
上流から地下鉄千代田線、常磐線、つくばエクスプレス、東武伊勢崎線

1923年7月1日 荒川放水路開削により、鐘ヶ淵-西新井間でルートを変更、北千住-小菅間で荒川を架橋

1924年10月1日 浅草-西新井間電化

5_140716_18
デハ5 展示車両  2014/7/16 東武博物館 

1924年10月1日の浅草-西新井間電化完成で新製された東武初の電車 デハ1形(製造年から大正13年系とも言われるそうです) デハ1-8の8両が日本車輌製造東京支店で製造されました。

1931年5月25日 浅草雷門(現、浅草)ー業平橋(現、とうきょうスカイツリー)間開業、浅草駅を業平橋に改称

1945年10月1日 浅草雷門駅を浅草駅に改称

1962年5月31日 北越谷駅から営団日比谷線人形町駅までの相互直通運転開始

1974年7月2日 北千住-竹の塚間複々線化 関東私鉄初の複々線に

1988年8月9日 竹の塚-草加間複々線化 

1996年7月23日 北千住駅の日比谷線ホーム高架化

1997年3月25日 草加-越谷間複々線化、北千住駅4面7線立体化

2001年3月28日 越谷-北越谷間高架複々線化

2003年3月19日 押上-曳舟間開業(公式には業平橋-曳舟間の複々線化)
      日光線南栗橋・半蔵門線・東急田園都市線中央林間まで相互直通運転開始
2006年3月18日 東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線との相互直通運転区間を久喜駅まで延長

120901
荒川越しに見える東京スカイツリー 2012/9/1 小菅

2012年3月17日 業平橋駅をとうきょうスカイツリー駅に改称、浅草・押上 - 東武動物公園間に「東武スカイツリーライン」の路線愛称を付け、伊勢崎線を含む全路線全駅に駅ナンバリングを導入

150425
「小菅」というとこの建物を指すこともあるそうですが、ご厄介にはなりたくありませんね。

さて、それでは現在、小菅駅を通る列車の種類と挙げてみましょう。

東武伊勢崎線関係

100系 スペーシア この4月からは日光詣の特別塗装も登場

200系 250系 両系列の区別もなかなか大変

300系 350系 こちらは6両と4両の編成長で区別可能

6050系  東武の車両と野岩鉄道、会津鉄道の車両が存在、かつての急行電車のイメージを今日に伝える貴重な車両

634型 6050系からの改造 観光列車の先がけですね。

1800系 赤白の人寄せパンダ的?

10000系 10030系/50番台 10080系 マイナーチェンジでイメージが大きく変わりました。

8000系  いにしえの主力車両、営業運転ではないものの亀戸線と大師線の車両交換で午後1時頃、2両編成が通過するそうです。 

東京メトロ日比谷線関係

(東武)

20000系 20050系 20070系
 側扉の枚数の変化

(メトロ)

03系 こちらも編成によって側扉の枚数が変化

東京メトロ半蔵門線関係

(東武)

30000系 

50050系 下二桁の数字をいじるのが東武の昔からの流儀

(メトロ)

8000系

08系   6編成のマイナーグループですが、こんな系列があったことも最近知りました。

(東急)

8500系

5000系二代目

以上かと思います。

日比谷線用の20000系03系に代わる形式500系新型特急の導入がすでに発表されており、東急8500系もあまり先は長くないと思われ、風景の変化とともに時代時代ごとに走る車両も変わって行きますので、きちっと記録することは大切でありますので、今回記事として纏めることにしました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月27日 (水)

江ノ電を撮る プロローグ

今回からの新シリーズでは、「江ノ電」こと江ノ島電鉄の車両をその独特な沿線風景と絡めながら紹介して行きたく思います。

江ノ島は小学校の遠足で来ていますが、江ノ電とは1974年の春、大学1年のときに鎌倉を観光したときが最初の乗車だったと思います。その後、1985年9月に、結婚する前に家内と鎌倉を訪れたときに乗車し、それから約30年、テレビの旅番組などでよく見ていたのですが、訪問せず、昨年暮れに29年ぶりに訪問し、1月3日、さらに5月24日に訪問しました。

最初の会社は1900年(明治33年)11月25日に、江之島電氣鉄道株式会社として設立されました。1902年藤沢ー片瀬(現・江ノ島)間が開業し、以後延伸され、1910年11月4日に小町(現 鎌倉駅の東で若宮大路の中央公民館前)までの全線10.4kmが開業しました。

開業当初の駅数は40あり、現在の15駅になったのは1950年のことだそうです。

141230
藤沢駅ホーム 2014/12/30

今はJR藤沢駅から少し離れた場所にありますが、開業時の藤澤駅は国鉄藤澤駅に隣接していたそうです。小田急百貨店の2階にありますが、1985年までは江ノ電百貨店であり、高架になったのは1974年のことでした。

開業時、藤澤を出て最初の駅は砥上(いしがみ)停留所で、その次が高砂(たかすな)停留所で場所的には現在の石上の位置とおなじようです。砥上、高砂ともに1940年2月に戦時廃止となり、高砂が1950年7月15日石上駅として復活しました。高砂から緩やかな坂を下り、境川の堤防の上にでると川袋(かわぶくろ)停車所になりました。次が柳小路、そして藤ヶ谷停留所と続き、駅間は300mほどだったそうです。

141230_2
鵠沼駅入り口 2014/12/30

鵠沼の場所は開業当初から同じで、この手の鉄道としては珍しい地下の駅舎は1985年開業です。鵠沼橋梁の掛け替えと鵠沼駅改築の際に、旧藤ヶ谷駅付近に電車行き違いのための臨時の信号所が開設されたそうです。

鵠沼を出ると境川橋梁を渡り、新屋敷西方1958年湘南海岸公園に改称)、濱須賀山本橋片瀬江ノ島1929年3月に変更)に到着します。藤澤からの距離は3.3kmです。

150524  
人の賑わいが絶えない江ノ島駅前 2015/5/24

141230_6
江ノ島駅から腰越方面を見ると目の前に見える白い建物が江ノ電本社ビルです。

141230_7
本社ビル前の表札

江ノ島を出ると路面区間に入り、龍口寺の前の急カーブ(半径28m)を周り、

150103
日蓮宗龍口寺山門前の半径28mの急カーブ 2015/1/3

左隅の白い軽のバンには係員が待機しており,電車が接近すると安全確認・交通整理を行っていました。江ノ電もなかの扇屋は右手にあります。

龍ノ口、中原、土橋、神戸橋(ごうどばし)、

141230_3
現在の腰越駅 路面区間から専用軌道区間へ 2014/12/30

谷戸
(現腰越1948年に改称)、満福寺下、腰越(1918年腰越浜上、1929年小動と改称と停留所があったそうです。

141230_4
鎌倉高校前駅のホームからの江ノ島の夕日 2014/12/30

休日は朝から晩まで電車に乗ることなく風景を眺める観光客が多いことでも有名

小動のあと、袂ヶ浦、日坂(現鎌倉高校前)、谷澤(1915年廃止)、七里ヶ濱(現峰ヶ原信号場)、峰の原、田邊1915年行合に改称、1951年七里ヶ浜に改称)、行合と停留所は続いており,この区間は国道134号線に沿って進みます。七里ヶ浜付近で一旦,内陸に入り再び海岸に戻るのは行合川の河口が三角州になっていたためだそうです。

150524_2
かつては七里ヶ濱停留所だった峰ヶ原信号所 2015/5/24

すれ違う車両の写真を撮るにも、振り返って富士山、江ノ島をバックに電車の写真を撮るにも良い場所です。

追揚、姥ヶ谷、音無橋、稲村ケ崎、砂子坂、極楽寺
と続きます。稲村ヶ崎と極楽寺の間には極楽寺車庫工場があり、毎年12月頃にはタンコロ祭りが開かれます。100形108号も動態保存されています。

141230_5
由比ヶ浜駅から極楽寺方面 2014/12/30

極楽寺を出ると煉瓦造りのトンネルを抜け、権五郎社前、長谷、由井ヶ濱、海岸通(現 由比ヶ浜、原の台、学校裏、大町、蔵屋敷、終点の小町に至りました。

150524_3

由比ヶ浜大通り、和田塚4号踏切際に大町停留所跡の表示板が建っています。 2015/5/24

1911年10月3日横浜電気株式会社に買収され、さらに1921年5月1日には東京電燈株式会社に買収となりました。

1926年7月10日、江ノ島電気鉄道株式会社が大船~江ノ島~茅ヶ崎の鉄道敷設を目指して設立され、1927年7月には路線バス事業を開始しました。しかし1929年には撤退しています。1928年7月1日、江ノ島電気鉄道が東京電燈江之島線を買収、1931年10月10日、路線バス事業に再参入、1938年10月20日、東京横浜電鉄(現在の東急)の傘下に入りました。

1944年11月、軌道業から地方鉄道業に変更し、11月28日神奈川中央乗り合い自動車にすべての路線を譲渡し、路線バス事業から撤退しました。戦後の1947年3月15日、東急の持ち株の大部分が放出され、東急グループを離れました。

150524_2_2
現在の江ノ電鎌倉駅 駅舎 2015/5/24

1949年3月1日、鎌倉駅を国鉄鎌倉駅構内に移転し,鎌倉駅乗り入れを開始しました。6月20日、路線バス事業を再開し、商号も江ノ島鎌倉観光株式会社に変更しました。1953年8月1日、小田急電鉄の関連会社となり、1960年代後半にはモータリゼーションの発展で利用者が減り、廃止が検討されたこともあったそうですが、テレビドラマや紀行番組で紹介されて注目されるようになり、1981年9月1日、江ノ島電鉄株式会社に社名を変更し、現在に至っています。

今回の記事は湘南ふじさわウオーキング協会のサイトに八柳 修氏が連載された江ノ電の駅跡を訪ね歩くその1~6を参考に作成しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月26日 (火)

京急ファミリー鉄道フェスタ2015 プロローグ

この週末は,毎年恒例の大宮車両センター公開、正式名は「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」が23日土曜日に、そして「京急ファミリー鉄道フェスタ2015」が24日日曜日に開催されました。

150524_0
電車撮影会場に展示された京急の現役車両 2015/5/24 京急ファインテック

大宮はここ数年連続して出かけているので,今回はパスし、久里浜の京急ファインテック久里浜事業所で開催されたイベントに初めて参加してきました。久里浜まで出かけたのはほぼ10年ぶりで、行くついでに往き帰りに鎌倉から江ノ電に乗車し、江ノ電の沿線風景も撮影して参りました。

150524_2015
京急久里浜駅と会場を結んでいた無料シャトルバス

京浜急行はこれまであまり縁のない鉄道会社で、羽田空港への往復で品川~空港間の乗車、大学3年の春休み、三崎での臨海実習で三崎口まで乗車したこと、八丁畷での貨物撮影の合間の撮影くらいしか接点がなかったように思います。今回も土曜日の「ブラタモリ」の効果ではありませんが、鎌倉での撮影を考えて往路は横須賀線、帰路は鎌倉まで横須賀線、江ノ電で藤沢に抜け、東海道線となりました。

150524
会場は京急ファインテック久里浜事業所でJR,京急久里浜駅から歩いて20分程の距離にあります。

1351_150524
バス停から会場入り口まで歩く間に懐かしい初代1000形 解体されずに残されている1351-1356の姿がありました。

150524_2015_2
Map Map_2 入場してパンフレットを受け取り、項目の多さに驚きました。

150524_2
当初、雨が降るのではと言われていましたが天気は意外に良く、大変な人出でした。特修場では様々な車両が修繕を受けていました。

1_150524_4
保存車両のデ51、デ1を撮影するのも大変な人の数、さらに最奥の電車並び撮影会場も大変な人人人で、まさに三浦半島の全住人が参加しているのではと思わせる賑わいでした。

150424_5
電車撮影会場は大変な賑わいでした。デチ15-16といった普段目にしない、黄色い事業用車を撮影できたので来た甲斐がありました。

Bd41_150524_2
京急の場合、保線用車両は目立つ黄色で統一されているようで、こういった車両を撮影できるのも鉄道イベントならではです。

今回は以上です。まずは概略を紹介し、本編では形式ごとに勉強して記事にしたく思います。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月25日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 6 Southwest Airlines part1

San Diego Lindbergh Airport spotting series 今回からはアメリカの格安航空の元祖と言われるSouthwest 航空です。

N663sw_boeing_7373q8_cn23256_ln1128 N663SW Boeing 737-3Q8 cn 23256 ln 1128  2002/1/17 SAN

今回の記事では創業時からの旧塗装の写真を集めてみました。

今日格安航空はLCC (Low Cost Carrier)と言われますが,Southwest航空のサクセスストーリーはLCC登場より遙か前に遡ります。

創業は1967年エア・サウスウエストとしてテキサス州で設立されました。きっかけは銀行家のジョン・パーカーがテキサス州の3都市、ダラス、ヒューストン、サンアントニオを仕事で回る際に、当時の航空事情では不便であり、かつ費用が高いと感じ、サンアントニオで小さな航空会社を経営するロリン・キングに話を持ちかけたこととされています。

キングは周辺の航空事情を調査し、PSA(パシフィック・サウスウエスト航空)エア・カリフォルニアが優れた業績を上げていることも確認し、テキサス州の3都市を結ぶ大型航空機を運航する会社の設立構想を提案し、キングの会社の法律顧問の弁護士、ハーバート・ケレハーにその構想を持ちかけました。資本金はキングとケレハーが出資し、1967年11月27日にテキサス州航空委員会に申請し、1968年2月20日に認可されました。

N321sw_boeing_7373h4_cn_23342_ln135 N321SW Boeing 737-3H4 cn 23342 ln 351 2002/1/17 SAN

しかし、すでに当時路線を持っていたブラニフ航空、トランステキサス航空、コンチネンタル航空が「既に市場は飽和状態で新たな参入はすべきでない」とする飛行差し止め要求が出され,法廷闘争に持ち込まれました。1審2審はライバル3社が勝利し、3審目で漸く、サウスウエスト側の勝利となり、就航が正式に認可されました。社名は1971年3月29日サウスウエスト航空となりました。

就航させるための要員確保と機材確保に奔走した結果、過剰生産で売れ残っていたBoeing 737 3機を購入し、スタートとなりました。以降、Boeing 737以外の機材は導入せず、単一機材を運用することで整備コスト・教育コストの低減を図っています(一時的にBoeing 727を導入したこともあったようですが、非効率とわかりやめたそうです)。

N371sw_boeing_7373h4_cn_26598_ln250 N371SW Boeing 737-3H4 cn 26598 ln 2500 2002/1/17 SAN

客室乗務員の募集もユニークで面接時には脚を見せるためにとのことで、ホットパンツの着用が要求され、選考ではヒューへフナーの「プレイボーイ・ジェット」に乗務するバニーガールの衣装に身を包んだホステスを育てた人物も審査員に加わったそうです。サンディエゴのPSAのコーナーにもありましたが、当時の風潮が反映された話です。そんなわけで、採用された女性客室乗務員はバトンガールやチアリーダーなどの経験者が80%以上いたそうです。制服はTシャツにホットパンツ、ゴーゴーブーツが支給されたそうです。後年、この制服はポロシャツ、キュロットパンツ、スニーカーに改められたそうです。

株式公募の際にもライバル社の妨害工作がありましたが、1971年6月17日、漸く就航に漕ぎ着けることができました。

翌日からダラス、ヒューストン、サンアントニオを1日18往復する運航が開始され、当初利用客が少なく一日150名ということもありました。サウスウエスト航空のサクセスストーリーの一つに挙げられるのが、大都市周辺の大空港を避けて,第二空港に発着する手法ですが、ヒューストンでは当初インターコンチネンタル空港に発着していたのを撤退し、第二空港のホビー空港発着に改めて成功しています。カーター政権でのディレギュレーション後、州外での運航も可能となり、シガゴにも進出しますが、オヘア空港には乗り入れず、ミッドウエイ空港を使っています。さらに、航空機の空港での折り返しが10分というのもサウスウエストのポリシーとなっています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月24日 (日)

47年振りの東急世田谷線訪問 その4 デハ300形 304F

東急世田谷線のデハ300形シリーズ、今回は304編成です。

304_150207_2 宮の坂に到着した上り三軒茶屋方面行き電車 2015/2/7

公式の塗色名はアップルグリーンというそうです。山手線のウグイス色と常磐線のエメラルドグリーンの中間、
5000_1500214
初代5000系 青ガエルの色とも若干違うような、

5001_130113_3
色の比較としてこれを持ち出して来ましたが、      21013/1/13

304_150207_2_2
やはり、こちらのほうが明るい,華やかな感じです。  宮の坂 2015/2/7

304_150322_01
定番の山下駅のショット 2015/3/22

304_150322_5
同日の折り返し三軒茶屋行き 2015/3/22 山下

304_150401_3
そして小田急線豪徳寺駅ホームからのショット 2015/4/1

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月23日 (土)

西武新101系 その8 白塗りワンマン車4連 1245F

西武鉄道新101系ワンマン化4連の話題,今回は1245Fです。

101n_130813
西武園線で活躍中の1245F 2013/8/13 東村山 ベンチレーターは残されています。

製造は東急車輌で竣功日は1980年4月1日でした。101系10次車として落成しました。1245Fから1253Fの5本は2010年から2011年にかけて改造がなされました。

245f_140927
多摩川線で活躍中の1245F 2014/9/14 武蔵境

245f_140927_2
多摩川線の白糸台駅は検車区も併設され列車の交換も行われています。 2014/9/27

改造に関する日付データです。

更新修繕                  2011/7/13
パンタグラフシングルアーム化     2011/7/13
ワンマン化                 2011/7/13
CP交換                   2011/7/13
SIV取付                   2011/7/13

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月22日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その32 Aeroflot Tu-154M part1

冷戦時代の西ベルリン Düsseldorf空港で撮影した旅客機の写真、今回からは当時ソビエト社会主義連邦共和国の国営航空会社だったアエロフロート航空Tu-154Mです。

Cccp85644_tupolev_tu154m_88a780_890
CCCP-85644 Tu-154M 88A780 1989/5/7 DUS

2回に分けて,このテーマの記事とし、最初はアエロフロート航空の歴史について触れます。
1917年のロシア革命の後の1921年1月17日にレーニン率いるボリシェヴィキはソビエト領空における航空輸送に関する規則を発行し、自国の航空輸送、さらには他国機のソビエト領空通過に関する規則を定めました。

1月31日に民間航空計画に関する国家委員会が発足し、5月1日イリヤー・ムーロメツ3機を用いた初の商用飛行が行われ、モスクワからオリョール経由でハルキウに至るルートで、ソビエトにおける旅客・郵便輸送の幕が開けました。さらに11月24日にはドイツと共同でDeruluftが設立され、1922年5月1日にモスクワから当時ドイツ領であったケーニヒスベルクまでフォッカー F.IIIによる運航が開始されました。

1929年にはルフトハンザで使用されたドルニエ コメットに更新され、他にもユンカース Ju 52なども導入され、これらの機体はまだ発展途上であったソ連の航空機製造産業に多大なる影響をもたらしました。アエロフロートАэрофлот)とは英語でAir Fleetにあたり、1991年のソ連航空設立前までは単一の航空会社の名称ではなく、各地域ごと、事業ごと、あるいは空港ごとに存在する航空会社の集合体であるソ連政府の民間航空輸送部門の総称でした。

1923年2月9日
、ソ連政府は赤色空軍の監督の下に航空会社を設立することにし、3月17日All-Russian Volunteer Air Fleet「ドブロリョート」が設立されました。モスクワとニジニ・ノヴゴロドを結ぶ路線が創設され、さらにレニングラード、カザンやハルキウを結ぶ路線も登場しました。10月にはトルキスタンやモンゴルを結ぶ路線も開設されました。

同年、ロシアでは「ユンカース=ルスランド(Junkers Russland)」が、コーカサスでは「ザカヴィア(Zakavia)」が、アゼルバイジャンでは「アズドブロリョート」などが設立され、やがてすぐにウクライナの「ウクライナ航空会社」に集約され、さらに1930年には第一次五カ年計画によってウクライナ航空会社とドブロリョートが集約され、1932年3月26日に名称が現在に続く「アエロフロート」に変更されました。1937年にはDeruluftもアエロフロートに編入されました。

第二次世界大戦中もアエロフロートは定期国際航路の運航に従事し、終戦直後は稼働可能であったLi-2などを運用することで運航を維持しました。第四次五カ年計画で増強が必要となったアエロフロートに1946年、セルゲイ・イリューシン設計のIl-12が投入されました。

1956年、爆撃機Tu-16を基にした双発ジェット旅客機Tu-104が登場しました。それまでオムスク経由のモスクワ〜イルクーツク線はIl-14で18時間を要していたが、ジェット化によって7時間に短縮し、停滞気味であったアエロフロートの牽引役として活躍しました。

1959年にはAntonov An-10IL-18が導入されました。1960年にかけて既存のジェット機とともに路線の伸張がなされました。以降ジェット化は進展し、Tu-95爆撃機を基にした世界最大のプロペラ機Tu-114による長距離路線の開設も相伴って国内線を中心に路線を拡大させていきました。1962年にはTu-124, Antonov An-24が中距離路線に投入されています。

1967年にはTu-134が導入され、輸送力が増強され、利用者数は世界最多となりました。Tu-134によって国内線を中心に路線網が拡大しました。さらに国際線にはIL-62がそして、1968年にはYak-40が短距離路線に投入されました。

ソ連国内外における民間航空輸送(旅客・貨物)の他にヘリコプターによる急患輸送、クレーン業務、農薬散布、スクールバス業務、北極圏内、南極基地への物資輸送、大気観測業務もアエロフロートの業務で、空を飛ぶもの殆どすべてがアエロフロート関係と言っても過言ではない状態でした。
また外交関係を誇示するためや西側路線の多くが外交官や秘密諜報部員の輸送に使われ,国際線の多さも話題となっていました。

わたしも西ドイツへの往復で航空運賃を検討した際にアエロフロートによる値段も聞いてみましたが、値段は安いもののサービス的な問題や安全性も考慮して、結局BAにしました。

1991年12月、ソビエト連邦が崩壊すると80以上の航空会社が新たに登場し、不採算路線の縮小、リストラが進められ、新鋭機 IL-96、Boeing 767, Airbus A310, A320などの導入が進められ、旧西側諸国並のサービスを提供しているとの評価も最近は得ているそうで、2006年にはスカイチームへの参加も果たしました。

最後に最近の話題から、

今年3月24日にスペインのバルセロナ空港からDüsseldorf空港を目指して飛行して いたGerman wingsの4U9525便(乗員6名、乗客144名 D-AIPX Airbus A320-211)が副操縦士による故意の墜落操作でフランス領内のアルプスに墜落してから約2ヶ月が過ぎ、搭乗者全員の遺体が確認されたというニュース が先日ありました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月21日 (木)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part5 EF81 113

このシリーズではこの3月の改正で引退したトワイライトエクスプレスを牽引機ごとに写真を紹介しています。今回は113号機です。

Ef81_113_tle060618
新大阪駅に入線する113号機牽引 8001レ 2006/6/18

まず113号機の履歴を沖田祐作氏の機関車表データから見てみましょう、

EF81113    日立製作所水戸工場=10310-3         1974-09-05 E100.8tBBB(1067)
   車歴;1974-09-05 製造→ 納入;国鉄;EF81113→ 配属;関西支社→
      1974-09-05 配置;敦賀二→1984-02-01 富山二→1986-11-01 敦賀→
      1987-04-01JR 西日本;EF81113→ 配置;敦賀運転所→
      1995-10-01 改称;福井地域敦賀派出→2004-02-02 現在(金沢ATS-P 取付);福井→
      2008-04-01 現在;福井地域鉄道部敦賀運転派出

113号機は106号機から118号機と一緒に昭和48年度第二次債務予算で製造されました。日立製作所水戸工場での製造です。誕生は1974年9月5日ですから、この秋で41歳になります。1974年の湖西線開業用だったのですね。新製配置は敦賀第二機関区で、10年後富山第二に異動となりますが、1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正でJR西日本組に選別され敦賀に戻りました。

Ef81_113_030329
トワイライトカラーの113号機、最初の撮影は日本海牽引時でした。 2003/3/29 新大阪

Ef81_113_061117
上り8002レ 2006/6/17 新大阪

Ef81_113_100709
千里丘を通過する8002レ 2010/7/9

大阪よりの編成をこのサイドからながめると実にいろいろな客車が組み合わされていることが分かります。

Ef81_113_tle_120915
桂川を通過する8001レ 2012/9/15

この5月から、特別なトワイライトエクスプレスと称して、客車の組成を少しかえたトワイライトエクスプレスがしばし、運行されるというアナウンスがありました。

以下、JR西日本のプレスリリースから

この5月16日から、JR西日本では旅行会社専用団体臨時列車として特別な「トワイライトエクスプレス」を運転しています。

編成は寝台客車は4両で、客室は「スイート」と「ロイヤル」のみ、サロンカー、食堂車などを連結し、8両編成で運転とのことです。

下関←電源車+乗務員室等+食堂車+サロンカー+スイート・ロイヤル4両 →大阪
定員:スイート・ロイヤルの定員が各車両10名で編成全体で40名

運転区間は、土曜日発が大阪(10:00頃発)~下関(翌15:00頃着)で、月曜日発が下関(10:00頃発)~京都(翌18:00頃着)。
湖西線や山陽本線を経由とのことですが、5月6月は大阪を出発後、琵琶湖を一周して、山陽本線で下関へ、帰りも山陽本線で大阪へ、さらに琵琶湖を一周して京都終着とのことです。

食事は朝食1回、昼食2回、夕食1回をセットにしてディナーは、人気の高いフランス料理をさらにグレードアップ、朝食のパン、ディナーのデザートはパン:神戸三宮「サ マーシュ」、大阪上本町「パリゴ」、デザート:「エス コヤマ」、「京都北山マールブランシュ」が協力とのこと

運転日は、2015年5月16日(土)、18日(月)、23日(土)、25日(月)、30日(土)、6月1日(月)、6日(土)、8日(月)、13日(土)、15日(月)、20日(土)、22日(月)、27日(土)、29日(月) とのことです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月20日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 26 南武線 part1

103系シリーズ、今回は南武線です。

103_830219
尻手駅に到着する南武線上り川崎行き103系 6連 1983/2/19

先頭のクモハ+モハユニットはカナリア色に塗装されていますが、3両目サハ、4,5両目のモハユニットはオレンジ色のままの混色編成です。

南武線は1978年8月101系により、新性能化が完了していましたが、101系も老朽化が進み、冷房化の問題もあり、1982年6月から1983年3月までに豊田電車区から103系71両が転入しました。

これらの車両は京浜東北線のATC化で追い出されたクモハ、500番台クハが冷房化の上、三鷹区に転出、さらに豊田区に移った7+3編成で、先に中原区転入していた101系が廃車に追い込まれることになりました。

103_830219_2
上の写真の編成の反対側 立川寄りのクハはジャンパ栓受けのない500番台片渡りのクハです。

生涯で同じ時期にミツ→トタ→ナハの動きをした車両をクモハ103、クハ103-500で見てみると

Mc
           ミツ     トタ     ナハ
11    19771111   19810907   19821228
42    19771029   19810826   19821014
46    19771029   19810821   19820811
53    19771217   19810830   19830119
54    19771129   19810907   19820821
55    19780127   19810925   19821226
56    19771207   19810918   19830302
57    19771129   19810826   19820706
58    19770802   19810906   19830223
59    19770819    19810616   19830223
69    19771216   19820125    19820811
84    19770819   19810830    19830302
85    19770819   19810918    19830323
121  19771217   19810821   19820615

T'c
          ミツ     トタ     ナハ
507 19771029 19810826 19821226
509  19770819  19810916   19830301
510  19771111  19810916  19830301
513  19771111  19810925  19830201
515  19780113  19810821  19830223
523  19771029  19810826  19830119
525  19780127  19811015  19820811
526  19771129  19810926  19820611
528  19771129  19810821  19820717   
539  19770819  19810918  19830301
576  19770802   19810918 19830201
582  19771217  19810830  19820821
608  19771216   19810907 19821214
614  19771217   19810830 19830119

例外
Mc
98    19780113   19810925    19911006
T'c
592 19771207   19810907     8桁の数字はそれぞれの電車区への転入日です。

クモハ、クハでそれぞれ14両が同じパターンで動いていることが分かります。

1984年4月1日現在の中原区の103系編成データがJR電車編成表2014年冬編に載っています。

編成は3パターンあります。

19840401_103  
アンダーラインの付いたMc T'cはシールドビーム改造車です。
オレンジ色のセルはオレンジ色塗装車、緑色のセルはエメラルドグリーン塗装車です。

さすがに元オレンジ色の103系であったがためか、サハ103の多くは101系改造の750番台が多いです。
               Mc                         T'c          
最初の写真の編成は 46  142 770 749 2006 526   かも知れません。

この1982,1983年頃中原区に転入した車両のうち、

そのまま中原区で生涯を閉じた車両は

クモハ103 42, 46, 53, 54, 55, 57, 58, 59, 69, 99
クハ103  507, 509, 510, 513, 515, 523, 525, 526,  528,

で多くは1990年代前半に廃車となっています。

クモハ103-59、クハ103-513         は 2004年まで
クモハ103-46, クハ103-523, -576 は 2005年まで、
クハ103-553                             は 2006年まで生き延びています。

他区へさらに転属した車両は

クモハ103-56 (ミノ), -84, -85 (マト), -121 (トタ)
クハ103-539 (ミノ), -608 (トタ、ウラ、マト), -614 (マト)  

ミノは宮城野電車区で1971年に仙石線の陸前原ノ町区として発足、1991年に宮城野電車区に改称、2003年に宮城野運輸区に、2004年に仙台車両センター宮城野派出所になっています。

103_830219_3
同じ日に川崎駅で撮影した編成 こちらも一見,101系のように見えるクハ103-500番台先頭の編成です。

これらの編成、冷房化に関しては中央快速線投入時に改造が行われていました。

クハ103の基本番台に関しては、269,2701990年8月にハエからナハに転属していますが、268以前の低運転台車は一切,ナハには配属されていないのですね。

その後、国鉄時代末期の1985~1986年度には豊田、池袋、浦和、松戸、さらには一旦関西に移った車両が奈良から戻るということもあったそうで、かなり混色が増えたようです。

民営化に際しては103系6連14本、101系108両の体制でJR東日本に継承されました。 

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月19日 (火)

San Diego Trolley 2000形 part1

このシリーズではアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴのトローリー 1000形の写真を前回まで紹介して参りました。
今回からは、まだ活躍していると思いますが、1000形に続いて1993年から導入された2000番台の車両について紹介しようと思います。

2000形はSiemens (Florin California)の製造で、52編成導入されました。

仕様は

車高    12.4 feet (3,780mm)
床面高さ  39 inches (991 mm)
車幅     8.7 feet (2,652 mm)
全長    76.71 feet (23.381 m)  81.36 feet (24.799 m) 連結器先端間
重量    89,000 pounds (40,370 kg)
車体    鋼製
最高速度  88.5km/h
電圧    600V 直流
定員    着席 64名 通勤時96名 最大150名

となっています。
メーカー的には SD-100SD-160というモデルになり、サンディエゴはSD-100、ソルトレイクシティ、デンバーでは両タイプ、カルガリーではSD-160が導入されています。SD-100は直流モーター方式、SD-160は交流モーター方式で、SD-100は既に製造終了しており、SD-160は現在も製造中とのことです。

2001_090114_oldtown
2001 トップナンバー編成 2009/1/14 Oldtown

1000形とはがらりと変わった角張ったスタイルとなりました。形態的にはJR貨物のEH200を思わせるようなスタイルです。

2001_150113_santa_fe_depot2
2001 2015/1/13 Santa Fe Depot

今年、同編成はラッピングされ、新鋭4000形の間に挟まって活躍中でした。これからは2000形はこうした形で使用されて行くように感じます。

2002_150109_12th_imperial_tc
2002 2015/1/9 12th & Imperial Transit Center

2002_150113_america_plaza
2002 2015/1/13 America Plaza

このラッピングはSan Diego City Collegeの創立100周年記念だったようです。

2003_090114_america_plaza
2003 2009/1/14 America Plaza

2000形も今年で導入して、22年になりますが、こうして写真を見ると分かりますが、長年の使用で外板はかなり波打っているのがわかります。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月18日 (月)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 7 5100形

2014年12月の広島・四国西部旅行で撮影した広島電鉄の車輌シリーズです。今回は5100形です。連接車シリーズで既に7回目となりました。この形式が最新ではなく、1000形が最後となりますので、その種類の多さに驚かされます。

5101_141218 5101編成 2014/12/18 本川町

さて、5100形は2004年登場ですから、既に10年選手です。愛称はGreen mover max2005年にグッドデザイン賞を受賞しています。Ultimate, Urban, User friendlyのUから、近畿車輛、三菱重工業、東洋電機製造、広島電鉄がUプロジェクトとして共同開発した車輌で、国産初のフルフラット超低床電車として登場しました。5000形と同じ5連接車でACEDBの5車体から構成されています。

5102_141218 5102編成 2014/12/18 広島駅前

5000形を運用して改善すべき点がいくつか挙げられ、それらを5100形では改良したそうです。ひとつは中間E車の付随台車を動力台車と別設計として小型化し、ロングシート化し、着席定員を46名から56名に増やせたこと、送風ダクトを改良し、空調効果を上げて,小さい冷房能力で空調効率を上げたこと、運転席から左下の視界を拡大したことなどが挙げられます。

5103_141219_2 5103編成 2014/12/19 広島駅前

2004年    5101 
2005年   5102-5104
2007年    5105-5108
2008年    5109-5110      と2004年から2008年にかけて10編成が製造されました。

5105_141218_2 5105編成 2014/12/18 広島駅前 

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月17日 (日)

公園保存車両 モ513号 岐阜市金公園

日本全国の公園等に保存されている車両を観て歩くシリーズ,今回は岐阜梅林公園の後、駅に戻る道で訪問した金(こがね)公園の元名鉄モ513号です。

513_140811_6
丸窓電車と紹介されているモ513 2014/8/11 岐阜市内 金公園

昨日は1930年代製のキハ42000形の話題でしたが、今回はそれよりも古い1926年(大正15年)製です。最終的には名鉄になりましたが、誕生したときは美濃電気軌道(美濃電)で、形式名はセミボ510形電車と言われたそうです。

513_140811_2
前面は製造当時流行の半流線型スタイル 窓は5枚です。

同鉄道初の半鋼製車体の四軸ボギー車としてセミボ511-515の5両が日本車輌製造で新製されました。セミボはセミスティールボギーの略だそうで、同じ頃アメリカで盛んだった「インターアーバン」すなわち市内・郊外直通の車輌として設計されたそうです。

513_140811_12
反対側の正面には重連用の大きなジャンパ栓

また当時の世界的流行であった半流型の車体となり、正面窓は5枚窓となりました。これは美濃電が1923年に新製したDB505形505-510の形態を受け継いだものです。

主要機器はイングリッシュ・エレクトリック社製のものを搭載し,制御方式は直接制御で主電動機はDK60型、出力44.8kWです。台車は27MCB-1で吊り掛け駆動方式です。

513_140811_4
こういった車輌が80年近く活躍し、現在も数台各地に保存されているのは素晴らしいです。

実はこの後の記事で、同じ旅行で訪問した旧美濃駅跡に保存されているモ512モ600形の話題が出て来ますので、そのときに美濃町線について触れようと思いますが、80年近くに渡り、岐阜市周辺で使用され2005年3月31日、岐阜600V線区の全廃で廃止となりました。

なお、金公園は1937年の開設で、モ513は2006年6月17日に設置されたそうです。同公園には長良川の水位を示す表示塔(1992年設置)や
140811 貴婦人の像などもありました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月16日 (土)

九州鉄道記念館訪問 その4 キハ07 (キハ42500) 気動車

2004年10月17日の九州鉄道記念館訪問シリーズ、今回はキハ07気動車です。

07_41_041017
キハ 07 41 2004/10/17 九州鉄道記念館

保存されている車両はキハ07 411935(昭和10)年に誕生した鉄道省キハ42000形の1両です。

大分県玖珠郡九重町の恵良駅と熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅を結んでいた旧国鉄宮原線(*)で使用され、1969年に廃車となり、長らく豊後森機関区に保存されていましたが、1986年に大分運転所に移され、さらに2003年に改修され九州鉄道記念館に移管されました。

(*) 宮原線でのキハ07 41~43の活躍の様子は国鉄時代34 p64~65に中村弘之氏の記事があります。

私自身、ガソリンカーは安治川事故などで存在は知ってはいますが,実際に見たことも無く、またディーゼルエンジンに換装後の機械式気動車の記憶も殆どありません。唯一あるのは、幼少の頃、萩に出かけた際に、長門市~仙崎間で乗車したレールバス キハ01形 と廃止直前の鹿島鉄道で活躍していたキハ600形でした。

07_41_041017_4

キハ42000形は1933年に登場したガソリン動車キハ41000形を基本とし、大都市近郊路線用として投入するため、車体サイズを大きくし、機関出力をアップした形式で、当時の我が国では最大級のものとなりました。ガソリン機関搭載のキハ42000形式が62両、量産され、さらにディーゼル機関搭載の派生形式のキハ42500形式が3両,1937年に試作されまし
た。

Ikiha070a1_2

キハ07 登場時の塗装

07_41_041017_5
運転席の様子 機器類は後で更新されたものと思われ、101系などの時代以降に見えます。

エンジンはキハ41000形のGMF13形ガソリンエンジンの気筒数を増やしたGMF17形(150馬力)とし、車体も当時流行の半流形となりました。10両は標準軌に改軌の上、中国の華中鉄道に送られました。

Ikiha07200b1_2

戦後、液体式気動車開発までの繋ぎとして、キハ42600(キハ07 100番台)が20両製造されました。埋め込み形ヘッドライトが特徴でした。

07_41_041017_7
車内も公開されています。木製のボックスタイプの座席は時代を感じさせてくれます。

1957年の形式称号改正でキハ07形式に変更され、1959年には塗装の変更も行われました。

Ikiha070b1_2
キハ07 塗装変更後

気動車の総括制御化の取り組みは戦前からなされましたが,戦後の液体式変速機の登場で実用化され、キハ07も100番台15両が液体式変速機に換装され、総括制御可能となりました。この際に,100番台から200番台に改番されています。

四国では客車列車を気動車に置き換える際に郵便荷物気動車が不足したので、1960年にキハ07から4両、キユニ07形に改造されました。液体変速機へ換装もするはずでしたが、それはかなわず機械式のまま、気動車列車の後にトレーラーとしてぶら下がって運行されたようです。

Ikiyuni070a1_2
キハ07から改造されたキユニ07の姿

キハ07形時代に私鉄に譲渡された車両として鹿島鉄道のキハ601, 602は現役時代に撮影しておりました。

601_030211
鹿島鉄道 キハ601 2003/2/11 石岡   元キハ42032 キハ07 29

602_060729
鹿島鉄道 キハ602 2006/7/29   元キハ42036 キハ07 32

鹿島鉄道のキハ600形は国鉄から鹿島参宮鉄道に払い下げられ、同社はその後→関東鉄道→鹿島鉄道と名前をかえましたが、1936年及び37年製の車両が譲渡後、変速機を液体変速機に換装、前面形状を変更、冷房装置の搭載など変化があったものの,TR29台車のまま2007年3月31日の同線の廃止まで主力車両として運用されました。これは我が国の一般旅客営業気動車の中で史上最長の運用期間記録だそうです。

なお、今回の記事ではキハ07に関して調べていくうちに偶然、見つけた伊勢崎軌道様のサイトの車両の絵を数点使わせて頂きました。文章も同サイトの文章を参考にさせて頂いております。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月15日 (金)

東海道新幹線開業から50年 その16 700系 7000番台 E編成

昨日、5月14日信楽高原鐵道の正面衝突事故(1991年)から24年でした。

この事故は信楽高原鐵道信楽線の小野谷信号場 - 紫香楽宮跡間で、信楽発貴生川行きの上り普通列車(レールバスSKR200形 4両編成)と、京都発信楽行きのJR直通下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」(キハ58系 3両編成・先頭車両はキハ58-1023)が正面衝突したもので、上り普通列車の乗務員と添乗していた職員の5名、乗客37名の計42名が死亡、614名が重軽傷を負いました。

偶然にも同じ頃、1945年8月24日に起きた八高線の多摩川鉄橋上での列車正面衝突事故の記録書籍を読んでいたこと、さらに横綱千代の富士の引退表明もあり、今でもしっかりと記憶しています。

1991年という年は、1月17日に湾岸戦争が多国籍軍のイラク空爆で開始され,24日に日本が110億円の追加支援、2月27日にクウェート解放、4月には海上自衛隊のペルシャ湾掃海派遣部隊が出発(自衛隊初の海外派遣)とあのころから、日本の安全保障に関する国際貢献がああだこうだと言われるようになったように感じます。

さらに8月にソ連のクーデターでゴルバチョフ大統領軟禁、12月25日、ソビエト連邦崩壊と国際的な大事件が相次いで起こった年でした。国内では4月の都庁移転、6月の雲仙普賢岳火砕流事故、東北新幹線東京延伸、10月海部内閣退陣表明、11月宮沢政権誕生、台風19号によるリンゴ落果被害などがありました。

今年は3月24日にはフランスでドイツのGermanwingsAirbus A320が副操縦士の故意による操縦で墜落する事故が起こり、4月14日には広島空港に着陸しようとしていたアシアナ航空のAirbus A320が誘導灯に機体を引っかける事故を起こし、5月12日にはフィラデルフィアでアムトラックの列車が制限速度の倍の速度でカーブに進入し、脱線する事故(NTSBの予備調査結果報告)がありと、世界のどこかで公共交通機関の大きな事故が起こっているように感じます。事故で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、負傷された方々の回復をお祈りしたく思います。

私も今回事故があったワシントンDC~ニューヨーク~ボストン間のアムトラック路線は2011年9月にボルチモアを訪問した際に利用しており、

110905_bmi_tmairport_stn
空港近くの駅で列車の写真を撮っていました。

934_110905_bmi_tmairport_stn
電機 934に牽引されるRegional train 2011/9/5

この路線は電化されており、Acela Expressという高速列車とともに電機牽引の客車列車 Reginal Train が高頻度に運行されていました。

今回は700系新幹線の中でJR西日本が山陽区間用に導入した8両編成バージョン、E編成の話題です。

7007000_e15_050708
新大阪駅20番線に到着した700系7000番台 E15編成 2005/7/8

登場は2000年3月11日のダイヤ改正で、「ひかりレールスター」および「こだま」として運用されてきました。
投入の背景は1995年の阪神淡路大震災で山陽新幹線が不通の状態がしばらく続いたこともあり、京阪神~九州間の旅客輸送のシェアは航空機が伸ばしていました。当初は0系12両編成(2+2座席)による、「ウエストひかり」などを投入し、挽回を図りましたが、「のぞみ」が山陽新幹線区間も直通運転されるようになり、待避の必要性から所要時間が3時間10-30分まで延伸してしまい、車両性能の限界から速度向上が望めない0系を使い続けるよりは、高速性能に余裕のある700系を投入することが得策と判断しての投入となりました。

7007000_e15_030329_2
E15編成 2003/3/29 新大阪

2011年3月12日
の九州新幹線鹿児島ルートの全線開業で「ひかりレールスター」の大半が直通列車「さくら」に置き換えられ、E編成は「こだま」を担当するようになり、2012年3月17日の改正で100系による「こだま」の運用が終了となりました。現在は博多駅~博多南駅間8.5kmの博多南線の主力車両?でもあります。

700系は前回の記事に記述したように4両で1ユニット方式でE編成は8両のため、2ユニット構成となり、

723形7000 Tc 1号車
725形7600  M1  2号車
726形7500  Mpk 3号車  1/2/3号車は座席3+2列
727形7000  M2  4号車  
727形7100  M2w 5号車
726形7000  Mp  6号車
725形7700  M1kh  7号車  4/5/6/7号車は座席2+2列
724形7700  T'c   8号車  8号車は2+2列と4人用個室4室

といった構成となっています。

2000年 E1~E5,  E7~E11が新製
2001年 E6, E12~E14が新製
2002年 E15 が新製
2006年 E16 が新製 となりました。

7007000_e_rail_star_020315
デビュー間もない頃の700系 レールスター 2002/3/15 博多

わたしも何年か前に新大阪~岡山間で乗車したことがあります。新幹線車両の宿命か、時間が経つとどんどん追いやられる傾向にあるようですね。この記事を書いていて、今度、九州に行く機会があったら、博多南線にも乗っておかなくてはと感じました。

最後に冒頭の話題にもう一度触れますが、どんなに安全装置が発達し,教訓が積み重ねられても、同じような大事故は繰り返し起きますし,国際間の紛争も繰り返し,起きています。

信楽高原鐵道の事故の直接原因は草津線などへの遅れを波及させないため、単線区間に一方的に列車が進入するようになってしまった信号システムの無断改造と信楽高原鐵道とJR西日本間での連絡不徹底でした。信楽の事故の後にも、2001年6月24日、京福電気鉄道越前本線で運転手の人為的ミスにより、正面衝突事故が発生しています。

我が国の安全保障問題もアメリカ追従の国際貢献にこだわるあまり、これまでの政権が認めてこなかった集団的自衛権の行使を可能として、太平洋戦争の教訓である憲法9条の精神を踏みにじり、「戦争を絶対にしない」という安全装置を一政権の独断的判断で外すとどうなるか、近い将来、我が国は平気で戦争に参加する国になっているのではないでしょうか。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月14日 (木)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 5 TGV La Poste

パリの6つのターミナル駅巡り、リヨン駅TGV関連の話題、最後はTGV La Posteです。

Tgv_la_poste_090312_sudest_lyon2
Lyon駅を発車するとすぐに見えてくるパリ南東ヨーロッパ車両基地で休む黄色いTGV編成 2009/3/12

今回紹介する2枚の写真はいずれも南東線車両基地の横を通過するTGV列車から撮影したもので、往きにパリからモンペリエに向かう列車で黄色いTGVが停まっていることに気がついたものですから、モンペリエからの帰りにリヨン駅到着寸前に車中から写したものです。

日本では新幹線に通称「ドクターイエロー」、新幹線電気軌道総合試験車があり、見かけると幸せになれるという話もあるようですが、フランスのTGVにも黄色い車両があります。こちらはフランス郵政公社(La Poste)の郵便物・小包輸送列車です。

Tgv_la_poste_090312_sudest_lyon3
動力車に連結される郵便車の最初の台車は動力台車となっている点はSud-Est編成と同じようです。

動力車1両+郵便車4両で1ユニットとなっており、通常は2ユニットを背中合わせに連結して運用されます。

1984年にアルストム社で951-955の5ユニットが落成し、後にSud-Est編成から第38編成が転用され、956、957編成となりました。

編成は動力車M+郵便車8T+動力車Mの構成

営業最高速度 270km/h

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月13日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その8 北斗星編成用ロビーカー オハ25

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、この3月の改正で定期運用を降りた「北斗星」の客車のレビューもしていますが、今回フォーカスするのはロビーカーとして活躍しているオハ25 500番台です。

25_503_141115
北斗星編成に組み込まれる オハ25 503 Lobby Car 2014/11/15 尾久車両センター

北斗星の客車はJR東日本の車両とJR北海道の車両から構成されていましたが、オハ25 500番台501-504の4両から構成されており、いずれもJR東日本所属です。JR北海道にもオハ25 551がありました。但し、この551に関しては「トワイライトエクスプレス」用のロビーカー「サロンデュノール」の一両も同じ番号で、分割民営化後に発生した同番号異車体(2車現存)の例となりました。

25_503_141115_2

1985年3月14日のダイヤ改正で東京~西鹿児島間の寝台特急「はやぶさ」にロビーカーが連結されたのが、その後のロビーカーが各列車に連結される嚆矢となり、そのために直流区間の牽引機がEF651000番台PFタイプからEF66になったのは有名な話です。

「走るホテル」として登場した20系には当初、座席車が連結されていました。そこで、今回は20系から24系までの非寝台客車について振り返ってみようと思います。

1. 20系  0番台は日本車両、50番台は日立製作所

20_20_750305 再掲ですが、ナロ20 1975/3/5 下関

ナロ20 1-5, 51-54   定員48名 リクライニングシート   シートピッチ1170mm
→1-3/51-53はナハネ20 501-503/506-508に改造

 「殿様あさかぜ」といわれた博多あさかぜは開放型2等寝台ナロネ21と開放型合造車ナロネ22が連結されていましたが,これらの車両の連結は専務車掌室を持つナロ20の連結を前提に車掌室を持たない構造となっていました。

ナハ20 1, 51, 52 定員64名回転式クロスシートで端から順に回転する方式のため、乗客が自由に回転することは不可能でした。 
→51 52 1 の順にナハネ20 510-512に改造

ナハフ20 1-3, 51, 52 定員68名 「あさかぜ」登場時は愛称板は固定式、ガラスは板ガラス
ナハフ20 4-6, 53 「はやぶさ」登場に増備、曲面ガラスに
→ナハフ20 2-4 がナハネフ20 2-4に改造 ナハフ20 1 6 51-53 がナハネフ22 501-505へ改造 ナハフ20 5がナハネ20 513へ改造、唯一緩急車から中間車へ

ナハフ21 1-4 51-56  「さくら」登場時に、愛称は交換式に
→1 3 4 51-53がナハネフ21 同番号へ改造 2 54-56 がナハネフ23 501-504に改造

20系の急行列車への使用は「銀河」から始まりましたが、「十和田2号」の20系化からナロネ21の下段のボックス化固定、上段寝台撤去、覗き窓撤去、喫煙室、洋式トイレ、乗務員室の撤去されたナハ21が登場しました。

ナハ21 1-16 1977年登場 ナロネ21 100番台を種車に改造 定員64名

20_790505
尾久で休む20系使用の急行寝台列車 1979/5/5

2. 14系 

オハ14 301-303 種車はオハ14 19 29 32
 夜行高速バス対抗策として「あかつき」用女性専用レガートシート車としてJR西日本がオハ14を改造したもの、1990年3月10日の改正で登場

14_302_020404
オハ14 302 2002/4/4 諫早

020404
オハ14 302 を最後尾に組み込んだ特急「あかつき」 2002/4/4 諫早
塗装といい、片端を潰したスタイルといい、存在感たっぷりの車両でした。

3. 24系 

オハ24 700番台
 元祖ロビーカーの登場といえる1985年3月14日の改正で、車両余剰となっていたオシ14、オシ24を改造し、ロビーカーとして寝台特急「はやぶさ」に連結されました。翌年には「富士」にも連結されました。

 オハ24 701 702   種車はオシ14 9 4
 オハ24 703-705 種車はオハネ14 67, 2, 4       704, 705は「富士」用の改造車

オハ25 551-553

 「トワイライトエクスプレス」用については後日、別記事で触れる予定です。

スハ25 301-303   オハ12 350 351を種車 303 はオハ25 303から
 「瀬戸」「あさかぜ」用で経緯は前回の記事で記述した通りです。

オハ25 301-303 オハ12 18 31 41
こちらは従来のカニ24付き編成用

この直流区間専用の電源車・ロビーカーの構成はトワイライトエクスプレス用の電源車確保のためだったのですね。
 
オハ24 301-303  サロ481 52 101 102 からの改造 定員33名
 「なは」用 Legatoシート こちらはJR九州による改造で1990年3月10日の改正で登場

2425_24_301_920314_2
オハ24 301 Legato 1992/3/14 新大阪

2425_duet_920314
前から2両目 違和感たっぷりの客車でした。

Ef81_92_910602
上野に到着する夢空間北斗星 1991/6/2 
ビデオからのキャプチャ

オハフ25 901

1989年3月25日から10月1日
までの間、横浜博覧会YES'89において「近未来の寝台列車」をテーマにパビリオンとして出展されたのが「夢空間」で24系900番台として試作された3両の内の1両 オハフ25 901もラウンジカーでした。車体は富士重工業、インテリアは松屋が担当しました。

246b_131120
水戸線稲田付近を行く試運転列車 2013/11/19
2両目がロビーカー 逆サイド

25_503_141115_3
Lobby Carの表示

25_503_141115_6
オハ25の車端表記

オハ25 501-504、551に関しては

501   1988.2.26 大宮 オハネ25 7 盛アオ
502   1988.3.6   大宮 オハネ25 16 盛アオ
503   1988.2.25 大船 オハネ25 25 盛アオ
504   1988.3.31 大宮 オハネ25 37 東オク
551   1989.3.4  五稜郭 オハネ14 517 札サウ

といった経緯で改造されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月12日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 12 C58 1号機

2014年8月10日の40年ぶりの梅小路蒸気機関車館訪問、今回はC581号機です。

C58_1_140810_2
お召し機の盛装にて保存されるC581号機 2014/8/12 梅小路蒸気機関車館

この機関車は、現在のところ車生として二度引退をした機関車といえるかも知れません。最初の引退は国鉄現役機としての引退であり、二度目の引退は動態保存機として1979年以来、SLやまぐち号牽引予備機として活躍していたもののボイラー老朽化などによる故障の多発で復活機として1984年、最初の全般検査が実施されずに引退したことでした。

これまでにもC58形式に関しては大塚台公園の407号機笠間市民体育館の275号機旭市中央公園の217号機 などを見てきましたが、C58形式は8620形の速度と9600形の牽引力を兼ね備えた共通の後継機、いうなれば客貨両用の万能機として、1938年から1947年にかけて431両(国鉄向けに427両、樺太庁鉄道向けに14両)製造されました。この形式の特徴として、国鉄テンダー式では唯一の2C1型プレーリーの軸配置を持ち、D51量産型に似た煙突前に装備された給水暖め器の配置も特徴的でした。密閉式キャブになったのもCC58形からだそうです。C62形に次ぐ新鋭機としてC63形がC58形式の後継機として計画されましたが,動力近代化の推進で製造には至りませんでした。

C58_1_number_plate_140810
形式名入りのナンバープレートと説明板

C58_1_140810_6
近代的なサイドビュー ランボードにも金の手すりが付加されています。

C58_1_140810_21 C58の特徴である、密閉式キャブ

C58_1_140810_25
デフレクターには鳳凰の飾り付けが、前輪はプレートタイプです。

現役時代と動態保存機としての履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表データから見てみると

C581      汽車製造大阪工場=1578           1938-08-04 S58.70t1C1T(1067)
   車歴;1938-08-04 製造→ 納入;国鉄;C581→ 配属;東京局→ 配置;[達636];新鶴見(大宮?)→
      1938-08-04 竣工→1945-08-00 現在;千葉→
      1949-07-06 北見(書類上移動日実際は以下の期日で移動)→
      1950-03-00 大宮区発(4/2 着)苗穂工場→1950-05-29 苗穂工場発(5/30 着)北見→
      1972-09-11 釧路工場発(9/16 着)梅小路→1972-09-16 廃車;梅小路→ 車籍復活→
      1979-08-31 鷹取工場発(9/1 着)借入;小郡→1984-01-18 発(1/19 着)返却→
      1986-05-30 廃車;梅小路→ 動態保存;京都府「国鉄梅小路機関車館」;C581
      (最終走行距離=2,068,858㎞)
C582      汽車製造大阪工場=1579 

1938年8月4日、汽車製造大阪工場で誕生しており、新製配置は首都圏でした。戦後の1950年、北海道に渡り、北見で現役時代を終えるまで活躍しました。1979年から1984年までの5年間、動態保存機として活躍し、SLやまぐち号ではC571号機との重連牽引や、1980年6月の横浜港開港120周年記念事業での横浜臨港線走行、1981年12月のSL豊の国号での豊肥本線走行などがありました。

なお、お召し機としての実績はないとのことです。またC56160号機の汽笛の不具合から2003年以来、C581号機の汽笛を交換して使っているそうです。

C58_1_740929
最後に1974年9月29日に訪問した際の写真を。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月11日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 5 Alaska Airlines part3

San Diego Lindbergh Airportで見かけた旅客機シリーズ、今回はアラスカ航空の3回目です。
前回はBoleing 737 classic seriesでしたが、今回は1999年頃から導入され始めたNew Generation seriesです。

N531as_boeing_737890_cn35199_ln_328 N531AS Boeing 737-890 cn 35199 ln 3287 2015/1/15 SAN

アメリカの航空会社のフリートのサイズは国土の広さを反映してかなりの数の機体数からなっていますが、アラスカ航空も例外ではありません。
私がSan Diegoで撮影したBoeing 737 NGはすべて-800 seriesでしたが、参考のため-900, -700の情報も載せます。

Boeing_737900_fleet_list_alaska_air
Alaska Airlines Boeing 737-900 Fleet List 
-900タイプは現在のところ38機登録されています。2機は発注中ですが。

N538as_boeing_737890_cn41188_ln_404 N538AS Boeing 737-890 cn 41188 ln 4045 2015/1/15 SAN

今回の写真はいずれも2015年1月の訪問で撮影したものですが、尾翼にエスキモーの男の人の顔が描かれているパターンは以前と変わりませんが、色の配色が若干変わりました。
Boeing_737800_fleet_list_alaska_air Alaska Airlines Boeing 737-800 Fleet List 
800シリーズが機数としては最も多く、61機に及びました。

N524as_boeing_737890_cn35195_ln_285 N524AS Boeing 737-890 cn 35195 ln 2850 2015/1/15 SAN

Boeing_737700_fleet_list_alaska_air Alaska Airlines Boeing 737-700 Fleet List 

-700タイプは22機と比較的少なく、導入から時間が経過していることもあり、既に半数近くが売却されています。
今回のFleet DataはいつものようにPlanespotter.listの情報を利用し,加工して表を作成しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月10日 (日)

47年振りの東急世田谷線訪問 その4 デハ300形 303F

東急世田谷線で現在活躍しているデハ300形を1編成ずつ見ていますが,今回は303編成です。色の公式名はクラッシックブルーというそうです。

303_150207
山下駅に接近する303編成  2015/2/7

303_150207_4
同駅を発車して三軒茶屋方面へ

303_150207_2
松陰神社前~若林間で上り電車後部から 2015/2/7

303_150214_3
三軒茶屋に接近 2015/2/14

303_150214
三軒茶屋で発車待ち この日は01運用でした。 2015/2/14
土曜休日ダイヤでは01から07運用で回しています。

303_150214_2
上り電車三軒茶屋行き 2015/2/14 山下

303_150322_9
山下駅での定点ショット 2015/3/22

303_150401_2
山下駅に停車中の下り電車 小田急線豪徳寺駅ホームから 2015/4/1

303_150401_4
4月1日は山下駅付近は桜が満開でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 9日 (土)

西武新101系 その8 白塗りワンマン車4連 1241F

赤電のクハ1411形から、西武電車の歴史を振り返るシリーズ、新101系2連の話題で、近江鉄道、流鉄、さらには流山散歩とだいぶ話題がそれてしまいました。まだ、2連の話題は上信電鉄,伊豆箱根鉄道などがありますが、とりあえずここら辺で一旦、本線に戻ります。

これからは現在も活躍中の新101系4連を編成ごとに見て行こうと思います。

この間に新101系の外観、3ドア車体と2000系の省エネルギー技術を併せ持った3000系2014年12月で 引退し、3扉車の活躍も残すところ、新101系4連のワンマン運用のみになってしまいました。またこの4月からは西武鉄道池袋線の前身である武蔵野鉄道、 池袋ー飯能間開通100周年を記念して、黄色のラッピングを施した6057編成が走り始めるなど話題に事欠かない西武鉄道であります。

101n_241f_140720
西武園線で活躍中の1241F 2014/7/20 東村山
押し込み式(ではなくて吸い出し式の)通風機の無いのが同編成の特徴ですね。

101n_241f_140720_2
車体番号 2014/7/20 東村山
番号表示も車体更新でこのようになりました。

今回は1241Fに触れようと思います。

1241Fは101系9次車として、1979年12月20日、東急車輌で製造されました。この頃は、1979年7月に2連の281Fから295F がまず登場し、12月から4連の1235F, 1237F, 1239F, 1241F, 1243F、続いて1980年4月から1245F, 1247F, 1249F, 1251F, 1253Fまで東急車輌の製造で登場しました。

101n_241f_140720_3
東村山に到着する1241F 2014/7/20

1989年頃から、私自身は既に沿線住民ではなく、記憶的にも記録的にも全くないのですが1227F+1229F, 1231F+1233F, 1235F+1237F, 1239F+1241Fの4両編成ペア4組に秩父鉄道乗り入れ対応改造が施されました。

改造の内容は

・パンタグラフの変更 KP-62A → PT-4320S
・編成内側クハ1228, 1229, 1232, 1233, 1236, 1237の電気連結器の交換、カバー白色塗装
・分割時の案内のため,号車番号表示とつり革の色の変化(1-4号車は白、5-8号車は茶)
・方向幕の交換
・秩父鉄道ATSの搭載 (1991年から)
  このときに、編成数が3本に減ったため、1239F 1241Fの乗り入れ仕様は解除に

とのことでした。

さらに1998年11月から、多摩湖線国分寺ー萩山間のワンマン運転開始で、1257F 1259F 1261Fの3編成が旧101系ワンマン車に準拠した改造がなされました。

その後、2007年に車両組み替えで誕生した263Fや、多摩川線で運用されていた旧101系ワンマン車を置き換える目的で2010年3月から12月にかけて1247F, 1249F, 1251F, 1253Fもワンマン対応改造が施されました。さらに2011年2月から7月にかけて1245F、2012年から2013年2月にかけて1241Fも同様の改造が施され,車体塗色が白一色となりました。1241Fの場合、改造時にベンチレーターが撤去されたのも特徴的でした。

製造後、これまでに行われた各種修繕、更新等の日付データを最後に付加します。出典は鉄道ピクトリアル誌No 884です。

更新修繕                       2013/2/25
パンタグラフシングルアーム化          2013/2/25
ワンマン化                      2013/2/25
CP変更                        2013/2/25
SIV化                         2013/2/25

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 8日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その31 オーストリア航空 MD-81

東西統一前の西ドイツDüsseldorf Airportで撮影した旅客機の話題、今回はオーストリア航空です。

 

Oeldp_cn_48015_924_mcdonnell_dougla

 

 

OE-LDP cn 48015 ln 924 McDonnell Douglas MD-81 1989/5/4 DUS

 

オーストリア航空はオーストリアのフラッグキャリアで、経営的にはルフトハンザグループの一員です。

 

1923年5月3日、Walter Barda-Bardenauがオーストリア政府から航空会社設立の認可を貰い、Austrian Airlinesの設立に参加します。といっても資本金的には50%が the Austrian railway transportation institution、49%がthe Junkers-Werke、彼の出資比率は1%でした。フリートはJunkers F13で占められ、1923年5月14日にウィーン~ミュンヒェン間をHans Bauerの操縦で初飛行しました。

 

この時期のオーストリアは第一次世界大戦の敗戦後、オーストリア=ハンガリー二重帝国の崩壊後で工業生産力の強いチェコが独立し、オーストリア共和国としては経済的に自立して国際社会で生き残るためにはドイツとの合併以外に道はないと考えられていました。

 

Austrian AirlinesJunkers Trans European Unionの一部として運航した関係でその目的地にはMunich, Budapest, Nuremberg, Graz, Klagenfurt、St. Wolfgangなどが含まれていました。1926年Unionは解体し、1927年から政府のサポートで新たな機材を購入し、Deutsche Lufthansaとのパートナーシップのもと、ウィーンからベルリン、ミラノ、ブダペストなどの路線を開拓しました。世界恐慌の後にはJU52などもフリートに加わりました。1938年3月、ヒトラー率いるナチスドイツがオーストリアを併合(Anschluß)するとそれまで同航空会社が計画していたローマ、パリ、ロンドン線の計画は破棄され,完全にルフトハンザの支配下になり、商業的運航権も剥奪されました。

第二次世界大戦後、ナチスドイツの消滅により,オーストリアの併合は解消され、ドイツから分離しますが、国営航空はありませんでした。そこで、Österreichische Luftverkehrs AGとしてAir AustriaAusrian Airways1957年9月30日に合併して創業したのが今に続くオーストリア航空です。1958年3月31日Vickes Viscount 779により、ウィーンからチューリヒ、ロンドンへ初飛行を行いました。国内線は1963年5月1日に、大西洋横断便は1969年4月1日にウィーンからブリュッセル経由でSabena Airlinesと共同で運航を開始しました。

 

Oeldp_cn_48015_924_mcdonnell_doug_2
OE-LDP

 

ジェットageになると最初に導入した機材はSud Aviation Caravelle1963年2月18日から1973年まで使用しました。1971年からはDouglas DC-9-32, 1975年からはDC-9-51、さらに1977年からSwissairとともにDouglas DC-9-80の最初のユーザーとなり、1980年代にはMD-81, MD-87, MD-83と繋がってゆきます。
1990年代にはSwissairが提唱したQualiflyerグループの一員となり、長距離路線の拡充に務め、中国や南アフリカへ進出しました。
2000年にはStar Allianceのメンバーとなり、Lauda Airも傘下に収めます。さらにTylolean Airwaysも傘下に収めました。2006年には財政事情の悪化から緊縮財政に務め、長距離路線用の機材のAirbus A340A330を売却し、Boeing 777 Boeing767に機材統一を図ります。

 

Oeldy_cn_49115_1135_mcdonnell_dougl

 

 


OE-LDY cn 49115 ln 1135

 

Md80series_aua

 

 


最後にオーストリア航空が導入したDouglas DC-9 SeriesのFleet Listを載せます。情報はいつものようにPlanespotters.netから得た情報をもとに表にしています。

 

日本でもかつてはA310,その後A340,そして現在はB777で乗り入れており,後進ではありますが、なじみ深い航空会社です。私も2010年1月のウィーン出張で往復利用しました。

 

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

 

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 7日 (木)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part4 EF81 104

2015年3月のダイヤ改正で26年に及ぶ活躍に終止符を打った「トワイライトエクスプレス」、その専用牽引機EF81を若番機から追ってきましたが、今回は最後まで残ることが出来ず一足先に引退した104号機です。

Ef81_104_100708
EF81 104号機牽引の8001列車 2010/7/8 島本

104号機の履歴を沖田祐作氏の機関車表データから見てみますと

EF81104    三菱重工業三原工場=1978/1066= 三菱電機  1974-05-23 E100.8tBBB(1067)
   車歴;1974-05-23 製造→ 納入;国鉄;EF81104→ 配属;関西支社→
      1974-05-24 配置;敦賀二→1984-02-01 富山二→1986-11-01 敦賀→
      1987-04-01JR 西日本;EF81104→ 配置;敦賀運転所→

1974年5月23日、三菱重工業三原工場で製造されています。湖西線の貨物列車増発を目的での製造で,敦賀第二機関区に配置されました。10年後、富山第二機関区に異動となりますが、国鉄最後のダイヤ改正となった1986年11月1日の改正で敦賀に配置となり、JR西日本配属が決まりました。その後は、ローズピンクの101、106,107, 108号機やTLE塗装の43, 44, 103, 113, 114号機とともに敦賀機関区で活躍してきましたが、2013年7月8日付けでローズピンクの101, 107号機とともに廃車となりました。

Ef81_104_101205
寝台特急「日本海」を牽引する104号機 2010/12/5 千里丘

Ef81_104_111226
東淀川を通過する8001列車 2011/12/26

104号機の引退に至る経緯をネットで調べると、2013年2月に運用を外れ、金沢総合運転所(松任工場)留置になっています(鉄道ホビタスサイト)。廃車決定後、同年8月24日の松任工場の一般公開では同じ日に廃車となった101、107号機とともに公開されたそうです(宮脇咲良推し北陸民の鉄道ブログ)。
トワイライトエクスプレス牽引機6機の内、先の記事の103号機が京都鉄道博物館で保存されることになりましたが、その説明のなかに是非、104号機のことも書き加えてもらいたく思います。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 6日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 25 赤羽線 part2

通勤電車103系、赤羽線への投入の話題の後半です。

103_790707
高運転台ATC準備工事車クハ先頭 8両編成 1979/7/7 十条

前回は試作冷房車のクハや、初期103系低運転台車の投入の話題でしたが、1979年頃から高運転台車が投入されました。山手線のATC化決定とともに、池袋電車区が受け持っていた赤羽線も将来的にATC対応クハで統一しようと言うことで低運転台タイプのクハは転出したのかと思います。

103_790707_2
上と同じ

103_790505
ウグイス色のクハで中間車がカナリア色の編成 1979/5/5 赤羽

1979年1~3月期に山手線用の103系クハは下記のように一見、かなり離れた番号のクハが同一メーカーからペアで池袋、品川区に編成の両端として投入されています。

733  746 1979/1/26 東急 シナ 
751  764  1979/2/1  川重 シナ 
741 756  1979/2/6  東急 イケ
743  754  1979/2/6  東急 イケ
749  762  1979/2/7  川重 シナ
735 748  1979/2/14 日車 シナ
753  766  1979/2/19 川重 シナ
737  750  1979/2/23 東急 シナ
739  752 1979/2/23 東急 シナ
745  758  1979/3/1  日車 シナ
747  760  1979/3/9  日車 シナ
755  768  1979/3/19 近車 シナ
757  770  1979/6/28 東急 シナ
759  772  1979/10/2 東急 シナ
(当初抜けていました。2016/1/30 山手線103系様のご指摘で追記しました。コメントにあるようにこれらの投入で非冷房車の運用に変化が生じました)。

さらに1979年9月26日まで,投入され続け、品川に配置されたクハ103-759, 772が山手線最終のATC対応のクハとなります。一方で、ATC準備工事のクハのうち、1975年度上半期に品川区に新製配置されていた 337, 338, 341, 342, 343, 344, 349, 353, 355, 356が横浜線用に1979年9月から10月にかけて、東神奈川区へ、345, 351, 354, 357, 358が蒲田区へ転出しています。339, 340, 347, 348, 3501985年7月から9月に川越区に転属しており、3521985年11月に池袋区に転属した後、1986年3月に川越区に異動となっています。

言うなれば山手線ATC化決定後に品川区に配置されたもののATC化される前に他の線区に移動したケースです。ATC化工事は,それぞれの車両で転属後、転属前に大井工場で行われています。

一方、赤羽線の編成増強(8連から10連)でモハ103/102の5ユニットがカナリア色で1983年9月に新製投入されます。
モハ103/102 787/2044 1983/9/13 東急 イケ
         788/2045  1983/9/13 東急 イケ
                   789/2046  1983/9/13 東急 イケ
                   790/2047  1983/9/20 東急 イケ
                   791/2048  1983/9/20 東急 イケ

さらに1984年1月24日、山手線用の103系基本番台最終のMM'ユニット2本がウグイス色で新製されました。

モハ103/102 792/2049 1984/1/29 東急 イケ
         793/2050  1984/1/29 東急 イケ 
この2ユニットと福知山線6連を4連化して捻出されたモハユニット776/2033とさらにサハ2両、クハ2両(非ATC高運転台で製造され豊田区に配置後、津田沼区に転属して活躍中だった811/818)から10連を組成して,増発用としました。以前にも記述したように,これが非ATCクハのATC改造、唯一の例となりました。

103_840430
1984/4/30 池袋 1983年10月2日に池袋駅の改良工事が終了し,赤羽線は1,2番線を使用するようになり、編成両数も10両に

やがて山手線には205系が投入され、赤羽線用の103系の受け持ちは川越区(ハエ)となり、カラーがカナリア色からうぐいす色に戻され、赤羽線から埼京線へと発展して行きます。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 5日 (火)

San Diego Trolley 1000形 part7

2015年1月のSan Diego Downtownとメキシコ国境を結ぶBlue Lineの改良で創業以来の活躍に終止符を打ったSan Diego Trolley 1000形の活躍、今回はその最終回で、1067号からです。

1067_090114_5th_street
1067号 2009/1/14 5th Street

1069_090114_america_plaza
1069号 Santa Fe Depot

1070_070114_imp_tc
1070号 2007/1/14 12th and Imperial Transit Center

1071_090114_america_plaza
1071号 America Plaza

1001号から1071号の71編成, ドイツ Siemens-Duewag U2 車は活躍し、私も2001年からの訪問で1006, 1010, 1011, 1014, 1015, 1018~1020, 1024, 1027, 1032, 1036, 1038, 1039, 1040,  1042~1050, 1055, 1059, 1060, 1062, 1066, 1068 以外の編成は写真に収めることが出来ました。San Diegoでの活躍は終止符を打ちましたが、車両の状態を考えるとまだまだ別の都市で第二の車生を送るのではと思います。そこで出会えることが出来ればと思います。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 4日 (月)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 6 5000形

2014年12月の広島・四国西部旅行で撮影した広島電鉄の車両、前回は3900形でしたので、順番的には3950形なんですが、同車には遭遇しませんでしたので、今回は5000形に行き増す。
一応、3950形がどういう車両かと言うことを簡単に記述すると、アルナ工機製造で1997年から1998年にかけて6編成製造されました。Green Liner最後の形式でヘッドライトが2灯式から4灯式となり、ロービームとハイビームを別々にした点灯方式で、ロービームライトは鉄道車両としては初のプロジェクター式ヘッドランプ方式となりました。導入当初は市内~宮島線直通運用に就いたそうですが、2014年現在は宮島線専用になっているようです。もし、再度広島を訪問する機会があれば、撮影したく思います。

ということで、本題の5000形です。

5006_141219
広島駅前に到着する5006編成 2014/12/18

5000形は1999年から2000年にかけてドイツジーメンス社で12編成が製造されました。Green Moverの愛称を持っています。また我が国では鉄道伝説でも取り上げられていた熊本市交通局9700形に次ぐ2例目の100%低床電車です。A~Eの5車体を6つの車軸で支える5車体6軸式の関節式連接車で、車体はACEDBと命名され、両端のAB車体が動力車、中間のE車体に付随台車、CD車体が両側の車体に支えられた浮き車体となっています。編成全長が軌道法で定める30mを超えているため、国土交通省の特認を受けているそうです。
5006_141218
広島駅前で発車待ちをする5006編成 2004/12/18

客用窓は固定式、扉はプラグ式で左側面はACD車体に右側面はCDB車に扉があります。前面ライト下のスカートは取り外し式で中に非常用の連結棒が格納されています。

パンタはシングルアーム式をCD車体に搭載し、制御装置はPWM IGBT-VVVF方式を採用し、装置一式は屋根上に搭載されています。駆動方式は100kwモーターの出力を直角中空軸積層ゴム駆動方式で伝達しています。営業最高運転速度は60km/hです。

制動装置は、回生ブレーキ優先発電ブレーキを常用し、非常用として電磁吸着式のトラックブレーキを備えています。

5010_141218 5010編成 2014/12/19 八丁堀電停にて 

外国製であるが故、部品の調達に苦労しているようで、5007号を休車にして部品取り車両にしているそうです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 3日 (日)

公園保存蒸機 D51 470号機  岐阜梅林公園

2014年夏の京都、滋賀、岐阜、愛知、静岡旅行の過程で前回の大垣のスイトピアセンターの後に立ち寄ったのが、岐阜市内の梅林公園に保存されているD51 470号機でした。

D51_470_140811_7 D51 470 号機 2014/8/11 岐阜梅林公園

岐阜梅林公園はJR岐阜駅、もしくは名鉄岐阜駅の北東に位置し、国道248号線から2ブロック程北に入った場所にあります(地図)。名前が示すように梅の名所として有名な公園で約50種、1300本の梅の木が植えられています。訪れたのは8月でしたが、日本庭園が美しく整備されていました。
140811 梅林公園内の日本庭園
140811_2
140811_3
また、白やピンクの木槿が夏の風景を形作っていました。

D51 470号機は以前、やぶおさんの掲示板で速報でお伝えした際に、山口県在住の青列車さまから「典型的な広島工場スタイル」とレスを戴きましたが、ボイラー下のエプロンがカタカナのハの字をしており、さらに前面の標識灯が埋め込まれているのが同工場のスタイルでした。これまでにも小郡機関区のC621号機、東萩駅で撮影した706号機、小郡駅で撮影した612号機(いずれも2012/10/26付けの記事)などに同様の特徴が観察されました。
D51_470_140811_9
標識灯回りなども手入れが行き届いていました。

D51_470_140811_13
逆転機のモーションプレートは小穴タイプです。
D51_470_140811_14 主連棒のビッグエンドは長方形タイプです。

D51_470_140811_16
砂管のパターンは前2本は垂直、3本目は斜めのタイプです。
D51_470_140811_33 機関助士席側のキャブ前には灌水清浄装置が装備されています。

D51_470_140811_29 テンダーの台車はこういったたいぷです。

D51_470_140811_28 後部も前照灯、標識灯、プレートが揃っています。

D51_470_140811_25 キャブ内立ち入りも可能で、バルブ・メーター類もきちんと維持されています。

D51_470_140811_45 デフレクターにはこんなマスコットも

この機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表データから見てみると

D51470     国鉄大宮工場=16               1940-02-12 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1940-02-12 製造→ 納入;国鉄;D51470→ 配属;東京局→1940-02-12 使用開始→
      1940-02-17 配置[東鉄達123];新鶴見→1945-11-19 高崎一→1949-09-01 高崎二→
      1949-09-01 借入;高崎一→1952-03-31 高崎一→1952-08-16 借入;上諏訪→1952-11-16 返却→1963-09-09(9/12?)厚狭→1973-00-00 長門→
      1974-05-22 廃車;長門→1974-05-07 据付;岐阜県岐阜市「梅林公園」;D51470

誕生は国鉄大宮工場、1940年2月12日で、新製配置は東京、新鶴見でした。戦後は高崎へ、さらに上諏訪に異動した後、1963年から厚狭、長門へと移っています。晩年は広島工場のご厄介になっていたようです。

保存機は守る会が管理されているようで、同会のWEBサイトには多くの情報が掲載されています。
140811_4 保存場所は金網で囲まれたスペースですが,その中に用具小屋らしきものがあり、篠ヶ谷駅という駅名標も掲げられています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 2日 (土)

九州鉄道記念館訪問 その3 C59 1号機

2004年10月17日に訪問した九州鉄道記念館の話題、今回はC59 1号機です。

C59_1_041017
C59 1 2004/10/17 九州鉄道記念館

C59形蒸気機関車は鉄道省設計によるC51形,C53形と続いた幹線旅客列車用大型蒸気機関車最後の純新製形式となった蒸気機関車です。

C59_1_041017_8

梅小路蒸気機関車館の記事で紹介したC53形式は3気筒式であり、複雑なグレズリー式弁装置を搭載していたため、検修側の不慣れな部分も多く、年間休車日数が格段に多いという問題を抱えていました。現場からは保守が容易で、同等以上の性能を有する新型機関車を求める声が増していたそうです。

C59_1_041017_7

当時の新型蒸機としては南アフリカ国鉄がユニオンリミテド**用として設計した1830mm径の動輪を有した16E形が有名であり、我が国でも大動輪機関車の設計が考案されたようですが、東海道・山陽線をもってしても設備的には満足でないことが明らかであり、C51形以来の1750mm径、軸重16.8tの機関車として設計されました。

**)南アフリカ共和国のUnion Limitedは今日Blue Trainとして運行されている列車の祖先にあたる列車でUnion Expressとともに首都のヨハネスブルクからケープタウンの港までを結んだ豪華列車で1923年に運行が開始されました。1933年には食堂車が1939年には冷房付きの客車が導入されました。

C59_1_041017_10

C59形式はこれまでの日本の大型蒸機の進化を反映しており、

1)2気筒、パシフィック方式 2C1の軸配置

2)3缶胴式ストレートボイラー、当時設計中のD51形を基本とし、圧力を引き上げ、長煙管構造に

3)棒台枠、動輪はC57形からのボックス輪心

4)ワルシャート式弁装置

5)エコノミー式復元装置を備えたLT219先台車とばね式LT156,156A従台車

6)キャブはC58形と同じ密閉構造

7)炭水車は長距離運転可能な石炭10t、水25立方メートル積載可能タイプに
といった構成となり、全長は21.575mと国産蒸機最長になりました。

川崎車輌、汽車製造、日立製作所の3社で1941年から1943年に100両、戦後の1946年から1947年に73両が製造されました。番号は、133-155が財政難でキャンセルとなり、1-132、156-196となりました。

C59_1_041017_2
C6120の記事で話題になった丸穴ウエップ付き先輪が見えます。

生まれながらの本線用旅客大型蒸機として特急列車の先頭に立ち、C62形登場後はその地位を譲りましたが、お召し列車牽引の大役はC62形登場後もC59形が担当しました。

戦前タイプを中心に運転中に発生したトラブルが3つ存在したそうで、

1)従台車の荷重負担の過大

2)ボイラーの天井板の膨潤

3)長煙管による熱効率の低下

1)は重量配分に関する設計上のミスであったようで、従台車の軸重は14.7tに達し、摩耗の進みが異常に早く,タイヤ緩み、亀裂などのトラブルに悩まされました。2)は材料に用いた鋼板の圧延品質が準戦時下で低下したことが原因とされています。3)本来、長煙管設計とともに燃焼室を設けていればなかったトラブルで戦後形では燃焼室が付加され問題が解決されたそうです。一方で、排出される蒸気の平滑化を図るために排気膨張室がシリンダーブロック内に設けられているために長煙管とともに、より通風抵抗を大きくしていたようです。

C59_1_041017_4
従輪も丸穴ウエッブ付きのタイプです。

C59形は幹線用として設計・運用されたため、幹線が戦後、電化されると働き場を失って余剰が早く出ることになりました。そこで従台車を2軸化改造したのがC60形で、1953年から1955年、1960年、1961年に浜松工場と郡山工場で47両が改造され、軸重は15tとなり、亜幹線への入線が可能となりました。C59の戦前形からの改造機は1番からの番号が与えられ、1-39に、戦後形からの改造機は101番から符番され、101-108となりました。

改造されなかったC59は呉線、鹿児島本線(門司港~熊本),東北本線(上野~一関)で活躍し、C60は東北本線、常磐線、奥羽本線(秋田~青森)、鹿児島本線(鳥栖以南)、長崎本線で活躍し,特急・急行の牽引を行いました。しかし、1970年までに運用から撤退し,全車廃車となりました。

全体保存機は1,161,164の3両で、この1号機の履歴は沖田祐作氏の機関車表データでは

C591      汽車製造大阪工場=2000            1941-05-24 S80.30t2C1T(1067)
   車歴;1941-05-24 製造→ 納入;国鉄;C591→ 配属;名古屋局→1941-06-03 配置;名古屋→
      1941-06-07 使用開始→1953-12-02 姫路二→1956-11-01 門司港→
      1962-09-01(8/26?)熊本→1965-10-07 休車;荒尾支区留置→
      1965-10-22 廃車[達559];熊本→
保存;福岡県JR 九州「小倉工場」(西部支社準鉄道記念物);C591→
      2003-08-09(開館日)移管保存;福岡県北九州市「九州鉄道記念館」;C591

1941年5月24日、汽車製造大阪工場製造番号2000の車両として誕生し、名古屋に配置され,東海道本線の旅客列車牽引を担当しました。戦後は電化の進展に合わせて、姫路二、門司港と異動し、1965年10月、熊本で廃車となりました。その後は長らく小倉工場で保管されており、九州鉄道記念館開館に合わせて移管されました。

呉線で長らく活躍した164号機が動態保存機として梅小路に保存され、161号機が広島に保存されていますが,3両とも見学しているので後の2機も近々紹介の予定です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 1日 (金)

東海道新幹線開業から50年 その15 700系 量産車 C編成

前回に続いて700系新幹線の話題、今回からは量産車です。

700_c3_080906
700系 C3編成 2008/9/6 名古屋

700系試作車9000番台の走行試験の結果を量産車に反映させて1998年度に16両編成4本(C2-C5編成)が第一次車として製造されました。1999年3月13日のダイヤ改正で東京~博多間の「のぞみ」3往復に充当されました。JR東海の車両はC編成、JR西日本の車両は2000年に「ひかりレールスター」用に7000番台、E編成2001年に100系置き換え用に3000番台、B編成が登場しました。今回の記事ではC編成について触れます。

700_c9_010616
C9 編成 2003/3/29 京都

投入されたC編成は東海道新幹線区間は最高速度270km/h、山陽新幹線区間では285km/hでの運転となりました。500系登場の改正(1997年11月29日)で東京~博多間は4時間49分と5時間の壁を破りましたが、700系でも4時間57分で結びました。

形式は

717形 10号車 M2s 定員68名 車掌室 主変換装置2台 セミアクティブサスペンション搭載

718形 8号車 T's 定員68名 CP, SIV,セミアクティブサスペンション搭載 車端部の座席は大型テーブルとコンセントが設けられオフィスシートと呼ばれました。

719形 9号車 Ts 定員64名 荷物保管室・業務用室 CP, セミアクティブサスペンション搭載

試作車では電球だったグリーン車の読書灯が量産車からはハロゲンランプになりました。

723形 博多より1号車 Tc 定員65名 CP, SIV セミアクティブサスペンション搭載

724形 東京寄り16号車 T'c 定員75名 CP, SIV  セミアクティブサスペンション搭載

先頭車のノーズ部分が試作車に較べて70cm延長されました。試作車では16号車にあった電話室は15号車に移されました。

725形 1~   4号車 M1 定員100名 自車用主変換装置
    300~  5号車 M1w 定員90名 パンタ、CP搭載
    500~ 13号車 M1w 定員90名 主変換装置
    600~ 12号車 M1 定員100名 パンタ、車椅子対応電話室  

726形 1~     6号車 M' 定員100名 主変圧器搭載
   200~   14号車 M'  定員100名 主変圧器
    屋根上の特高圧線の引き通しの違いで番台区分されたそうです。
   500~   3号車  M'w 定員85人 車販準備室、自動販売機室(2014年3月から撤去)
          主変圧器
   700~  11号車 M'h 定員63名
        身障者用大型乗降扉、大型洋式トイレ、車椅子用座席、多目的室
        量産車では東京寄り乗降口が車端方向に移されました。

727形 1~   2号車 M2 定員100名 変圧器2セット搭載
    400~ 7号車 M2k 定員75名 車販準備室 主変換装置
    500~15号車 M2w 定員80名 公衆電話器 CP,主変換装置 

この形式リストが示すように16両全てが異なる形式区分となっており、C編成の場合は試作車がC1編成なので各形式の末尾2桁番号+1が編成番号となっています。

編成長が違いますが、700系16両編成では総定員1264名、TGV Duplex 客車8両516人という関係になります。

700系のグリーン車、両先頭車に搭載されたセミアクティブサスペンションは車体と台車の間に可変減衰ダンパーを設置し、加速度センサーで振動を検知してダンパーの減衰力を電気指令により変化させ、車体の振動を抑制する方式となっています。特に新幹線の場合はトンネル区間とトンネル外区間の線路マップをもとに、それぞれの区間におけるダンパーの減衰力の制御パラメーターを変える方法が採られています。

700_c24_030329
C24編成 2003/3/29 新大阪

C編成はC5編成の後、2000年にC6-C11, 2001年にC12-C24、2002年にC25-C37、2003年にC38-C48, 2004年にC49-C54、2005年にC55-C60まで増備されました。C11までの増備は0系の置き換え、2003年10月1日の品川駅開業までに100系の置き換えでC54まで増備されました。車両メンテナンスの合理化で7本分の予備編成が削減できたそうです。

2011年度にはJR西日本が300系F編成を置き換えるためにC編成8本(C11-C18)がJR東海から譲渡され、2012年度にはC4編成が廃車に、2013年度にはC2, C3, C5-C8, C19編成が廃車に,2014年度にはC9, C10, C20-C24が廃車にとN700系N700Aの投入・増備に合わせて700系は数を減らして行きました。

今回、写真をアップした編成は現時点では全て廃車となっています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

カテゴリー

2023年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村