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2015年6月29日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 28 阪和線 その2

通勤電車103系シリーズ、ここのところ関東の話題ばかりでしたので,今回は阪和線の103系について触れようと思います。

 

阪和線については2014年7月14日の記事1968年10月のヨンサントウ改正に向けて、すべて近畿車輛製の6連、4本が鳳電車区に投入されたことを記述しました。なんとこのときに投入されたクハ103-115,116は今も日根野区でHK610編成として活躍しています。クハ103基本番台若番から追ってみると、広島で活躍する86が2015年冬版の電車編成表では現役でしたが、3月の改正で運用終了となっているので現役最古参となっています。

その後、1974年2月から4月にかけて,山手線から6連が9本移籍しました。

 

1974
103_7409

ウグイス色のまま、阪和線で活躍を始めた103系 1974/9/29 天王寺

1974年9月から10月にかけて大学1年の秋休み、関西~九州を旅行した際に天王寺で撮影した阪和線103系  このときの様子は2012年10月25日の記事で記述していますが、フィルム交換の際に,間違って裏蓋を開けてしまい,感光したのがこの天王寺のホームでした。ウグイス色にカナリア色の警戒帯という関西本線101系と同じスタイルの103系はこのとき初めて見ました。中には北イケの標記のままの車両もあったそうです。これまでホームの有効長の関係で6連の103系は快速と天王寺~鳳間の各停に使用されていましたが、延伸工事の完了で日根野までの各停に103系が投入されるようになりました。

 

103_801213_2


非冷房6連の103系 500番台クハ 1980/12/13 和泉府中(当初、鳳としていましたがSR快速さまのコメントに基づき修正しました)

1976年3月1日
の改正では京浜東北線から6連1本が、さらに11月から1977年4月には6連15本、3連3本が転入しました。このときの先頭車をリストしたのが下の表です。

 

197677_2

1976年から1977年にかけて京浜東北線から転入した先頭車両

最初の1本はクモハやクハ103-500の転属を避けるため、横浜線のクハ103と交換して転属させたそうですが、2回目以降はクモハ+クハ103-500が大量転属となり、羽衣支線用の3連も103系で置き換えられました。
103_801213


羽衣支線用103系 3連 1985/4/21 鳳

1978年10月2日の改正で鳳電車区日根野支区が本区に昇格し,阪和線の電車は日根野電車区に転属となり、紀勢本線に運用される113系編成分を捻出するため、京浜東北線から24両が転属しました。先頭車両分を下の表に纏めました。

 

19781978年10月までに鳳区に転属した103系先頭車

103_850421


AU75方式で冷房改造された103系 先頭車は500番台 1985/4/21 鳳

1980年7月には輸送力増強用として1968年以来、久しぶりの新製配置となり、高運転台非ATC方式のクハが投入されました。唯一のスカイブルー色となりました。

1980
103_850421_2

高運転台タイプ非ATCのクハ先頭の阪和線103系6連 1985/4/21 鳳

103_841207


天王寺駅に到着した高運転台タイプ103系 1984/12/7

阪和線次回の記事では、改造冷房車,運転台取付改造車、更新車について触れようと思います。

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電車103系」カテゴリの記事

コメント

b767-281様おはようございます。クハ103-115には春の関西方面旅行の折に会ってきました。整備さえしっかり行えば長持ちするものですね。元々国鉄時代から吹田工場は整備が丁寧といういんしょうがあります。153系の幌枠が未塗装のままだったのがその例です。大阪環状線への新車投入までは走りつづけて欲しいものです。ではお邪魔致しました。

細井忠邦 さま、こんばんは。

さすがに多くの103系が廃車となって行く中で、言うなれば阪和線新製配置トップナンバーのペアが残されているというのも今となってはこのまま、最後の時まで使用するのかも知れない、あるいは長期使用記録を引き延ばすだけ引き延ばすという思惑がらみかと思ってしまいますね。

B767さん、おはようございます(^^)お邪魔致しますm(_ _)m阪和線の103系、ウグイス色の103系も走っていたんですね。関西本線カラーですね。【ヒネ】というのは…日根野ですか⁇【ウラ】が浦和で、【カマ】が蒲田かな⁇【オト】は…⁇

マスダっち1971さま、こんばんは。

オトは鳳電車区です。阪和線は最初、鳳区配置でした。

B767さん、おはようございます(^^)この頃っちゅうのは…阪和線では、103系は【各駅停車】のみならず【快速】の運用もあったんですね。この頃の阪和線の【快速】の停車駅って…覚えてます⁇

マスダっち1971さま、こんにちは。

阪和線の快速の停車駅、1974年12月の時刻表では

天王寺~堺市~鳳~和泉府中~熊取~和泉砂川~和歌山でした。

新快速は鳳のみ停車でした。

B767様、度重なるコメントですみません。阪和線の103系は、父親の転勤でぼくのいとこが大阪の豊中市に住んでいた頃に遊びに行った際、乗ったことがあります。
当時は1984年と1985年でしたが、クモハ103を組み込んだ6両編成の水色の103系を見たときは、京浜東北線にはない個性的な雰囲気で感動したものです。また、非冷房車の行先表示が「天王寺―鳳」とか「区間快速(上)天王寺―和歌山(下)」となっていて、ローマ字が無いのも印象的でした。

乃木坂46四期生応援団さま、おはようございます。

国鉄時代、関東で見慣れた中央線の101系や山手、京浜東北の103系を関西で見ると、同じ車両がいることにまず驚き、次に番号的にはどうなっているのだろうと調べたくなりませんでしたか。

分割民営化でそれぞれの地方が独自の路線を歩み出して以降は、それぞれの地域のバラエティが楽しめるようになりましたが、国鉄時代の全国一律というのも今はない驚きでしたね。

地元民から指摘です。
2枚目の写真は和泉府中駅のはずです。西側にイズミヤの看板があり陸橋が西側に伸びていないのがその証です。
(そのイズミヤは和泉府中店ですが、和泉府中駅がある大阪府和泉市ではなく同泉大津市にあります)。
鳳にもイズミヤがありましたが駅の東側にあり、現在は閉店し跡地はマンションになりました。和泉府中・鳳とも今は駅から少し離れた所にイオンがあり(前者は10年前に破綻したマイカル、後者は先月ダイエーからそれぞれ転換)、後者には旧帝国車輌製造→東急車輌大阪工場の跡地にイトーヨーカドーを核とするアリオ鳳があります。

またクハ103−136・137のペアは昭和50年頃に鳳へ異動していますので、昭和53年の異動車は一部違うと思います。

SR快速 さま、おはようございます。

ご指摘ありがとうございます。旅先で撮った写真というのは後からこうやって記事などにする場合、場所を勘違いすることがしばしばあり、こうやってしてしていただくと大変ありがたいです。
クハ103-136,137に関してはCan Booksの「103系物語」の車両履歴表を参考にしましたが、実際に現地で観察されているのであればそちらが正しいのかと思います。
ご指摘の点、早速記事に反映します。

あと他のブログからですが、クハ103−591は昭和51年だったでしょうか当時モセ4編成として活躍していた時スカイブルー塗装にも関わらず前面に「京浜東北線」と表示し、前面側面とも方向幕を不使用とした写真があります。おそらく冷房改造に合わせ方向幕が阪和線仕様のものをセットしていたためというのが理由だからですが、大井工場で冷房改造後に阪和線に異動したクモハ103−61・95とクハ103−89・517もそんな時があったのでしょうか。
なおクモハ103−23とクハ103−508は吹田工場に到着後、冷房改造されてから阪和線運用に入りました。

SR快速 さま、こちらにもありがとうございます。

かつては線区を異動となる場合、塗装のみならず、冷房車、冷回車の場合は方向幕の交換も必要となり、転属が予定される場合はこういった措置が事前に行われたのですね。

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