1989年のDüsseldorf Airport その33 Aeroflot Tu-154M part2
冷戦下の西ドイツ、Düsseldorf Airportで撮影した旅客機のシリーズ、今回もアエロフロートのTupolev Tu154Mです。
着陸するTu-154M CCCP-85644 88A780 1989/5/7
前回の記事でソ連~ロシアにおけるアエロフロート航空の歴史を見ましたが、その過程で登場したTu-134双発機を拡大発展させたのがTu-154と言われています。ホーカーシドレートライデントやBoeing 727などと同じ3エンジン尾部集中装備方式で、初飛行から40年以上経過した現在でも少量ながら生産が続いているとのことです。
17のロシア以外の航空会社が購入し、幾つかの国の空軍では国家元首などが搭乗する政府専用機としても使用されています。
アエロフロートが初期のジェット旅客機Tu-104、4発ターボプロップAn-10、Il-18の後継機として要求した35,000-40,000ポンド(16-18トン)のペイロードを1770-2490マイル(2850-4000km) 900km/h の速度で、もしくは5.8トンを5800-7000km, 850km/hで輸送できる能力を有する飛行機との条件で開発が開始されました。Il-62が長距離対応に対してTu-154は中距離対応と位置づけられました。
CCCP-85644
1968年10月4日初飛行に成功し、1971年5月からアエロフロートの郵便業務に、1972年2月から旅客運送に導入されました。これまでに1025機のTu-154シリーズが生産され、2009年12月14日時点で、214機が現役だそうです。2013年1月、Aviakor工場によると、最新のTu-154Mがロシアが防衛省に納入される予定で最新のアビオニクス、VIP対応設備、通信設備を備えたものだそうです。
Tu-154ではKuznetsov NK-8-2 エンジン(推力: 93.2 kN (20,950lb))を装備していましたが、Tu-154MではSoloviev D-30KU-154 (推力: 103.6 kN (23,380lb)) になりました。操縦席には操縦桿があり、油圧でラダー等をコントロールする従来からの方式です。キャビンは6列、単通路方式で、2クラス方式で128名、シングルクラス方式で164名、最大限詰め込んで180名の定員まで変化できます。客用扉はBoeing 727やAirbusの同クラス機に較べて小さく、頭上の収納スペースもかなり狭いとのことです。
翼の設計も特徴的で後退角は35度とBoeing 727の32度に較べてもかなり大きく、通常の旅客機が上反角(dihedral)で胴体に付いているのに対して、下反角(anhedral)を持った構造となっています。尤もこの時代のソ連製の下翼機に多く見られた構造ですが。下反角の機体は横安定性は低いものの、ダッチロールに陥る危険性は少ない様ですが。
車輪も特徴的で、このクラスでは多めの6輪が主脚に付いており、タイヤの空気圧も低めに設定されているそうです。
クルーは機長、副操縦士、航空機関士の3名乗務で、最初はナビゲーター(通信士)も乗務していましたが途中で廃止されました。
バリアントは以下のようです。
Tu-154
オリジナルタイプで42機が製造されました。
Tu-154A
最初のupgrade versionで、1974年から製造されたタイプ、中央セクション燃料タンク、非常口の増設、エンジンは推力を高めたKuznetsov NK-8-2Uになりました。自動フラップ、スラット、安定板制御装置、アビオニクスの変更もありました。最大離陸重量は94,000kgに引き上げられため、定員が増えました。15の異なるキャビン内意匠が準備されました。
Tu-154B
オリジナルモデルやAタイプは就航後数年経つと翼に亀裂が入るトラブルに見舞われたので、1975年から製造されたBモデルでは翼が改良されました。胴体燃料タンクの増設、後部の非常口の増設、最大離陸重量の98,000kgへの引き上げが行われました。ICAO CatII自動着陸に値する自動着陸装置が装備されました。111機が製造されました。
Tu-154B-1
Bタイプの改良版でアエロフロートの国内線仕様として燃料システムやアビオニクスが改良されており、1977年から1978年にかけて64機、製造されました。
Tu-154B-2
B-1モデルの改良版でギャレイを撤去して、定員を160名から180名にしました。最大離陸重量は100,000kgになり、311機が製造され、VIP機も含まれており、数機が現役です。
Tu-154S
Tu-154やTu-154Bをベースにした貨物機バージョンで、胴体のポートサイド前方に貨物ドアが装備されました。Soviet PAV-3タイプのパレット9個を積載可能で、最大積載量は20tになりました。当初の計画では20機コンバートの予定でしたが、154から2機,154Bから7機のコンバートに留まり、1997年までに全機リタイアしました。
Tu-154M
1982年に初飛行し、1984年から量産されたモデルでエンジンは燃料効率の優れたSoloviev D-30KU-154 ターボファンエンジンになり、アエロダイナミクス、各部の再設計などで燃料効率は改善されました。最大離陸重量も100,000kgから104,000kgまで上がり、320機が量産されました。
Tu-154M-LK-1
宇宙飛行士トレーナーとして使われる機体です。
Tu-154M-ONMonitoring Aircraft
旧東ドイツ空軍が所持していたTu-154を観測機に改造したもの。Open Skies協定に基づく観測機としてドレスデンのエルベAircraft Plantが改造し、1996年からミッションに投入されましたが、24回の観測後、空中衝突事故で1997年に失われました。
Tu-154M-100
1994年に構想され、1998年に登場したバージョンで、西側のアビオニクス、フライトマネージメントコンピュータ、GPS, EGPWS(enhanced ground proximity warning systems:山などへの衝突を防止する装置)、TCAS(Traffic collision avoidance system:空中衝突防止装置)などを装備した機体で、157名の乗客を乗せ、キャビンには自動酸素供給装置や大きな頭上収納装置が装備されています。但し3機しか製造されませんでした。
ソ連や東側諸国製の兵器にNATO(北大西洋条約機構)はコードネーム(NATO reporting name)を付けており、これはアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国によって構成される航空機標準化調整委員会(ASCC)が命名しているそうで、航空機の場合戦闘機はF、爆撃機はB、輸送機旅客機はCで始まる単語で命名しています。
ソ連製の旅客機の場合
Camber Il-86
Camel Tu-104
Camp An-8
Candid Il-76
Careless Tu-154
Cat An-10
Charger Tu-144
Clam Il-18 (初代) 2代目は Coot
Classic Il-62
Cleat Tu-114
Clobber Yak-42 などと命名されています。
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コメント
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b767-281様おはようございます。154未だに製造されているとは、驚きました。日本では飛行禁止の様です。最後に見たのはいつでしたか、写真をじっくり探してみたくなりました。お邪魔致しました。
投稿: 細井忠邦 | 2015年6月11日 (木) 07時02分
細井忠邦さま、おはようございます。
わたしも2001年に羽田でどこかの国の政府専用機を見て以来、日本ではTu154見ていませんが、ほそぼそながら生産は続いているというのには驚きました。
Dusではアエロフロートの他にブルガリアの機体が来ていました。さらにケルン・ボンではTu134も見ました。その辺は後日紹介したく思います。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年6月12日 (金) 04時46分