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2015年6月30日 (火)

西武電車フェスタ 2015 in 武蔵丘車両検修場 その1

2015年6月7日、西武鉄道武蔵丘車輌検修場で開かれたイベント、今回から個別編です。

まずは新2000系 (2000N系) 電車の分解修理の様子です。

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工場内で検査、修理中だった2085Fの両端先頭車 2015/6/7 武蔵丘車両検修場

会場というか工場内に入って最初に目にしたのが2086と2085の2両でした。これらは本来8両編成ですが、中間のM1~M6の電動車は姿が見えませんでした。2085Fは東急車輌製で1991年11月8日落成です。2004年3月22日に減パン工事を受けており,2004年初頭にはLEDがフルカラー化されていますが、2000系第10次車として、2073F~2085Fの7編成が一挙製造(2073Fと2075Fは西武所沢工場製,後の5編成が東急車輌製)がされたグループです。今回の入場は製造後約20年を目安に実施される更新工事ではないかと思われます。

制御装置はGTO-VVVFインバータ制御となったモハ2197+2198を除いて界磁チョッパ制御(日立製作所MMC-HTR-20G2)で、制動方式は回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキとなっています。また2065F以降の8両編成グループはそれまで新宿線に主に投入されていた2000系が初めて池袋線にも投入されたグループです。

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2069Fから2097Fのグループは後期型に属し、側扉窓が角の丸い小型に戻り、戸袋窓が角の丸い大型となったタイプで、補助電源装置もSIVになりました。

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かなり大きな界磁チョッパ装置本体 

現在、直流電車の制御方式はVVVF方式が主流となっていますので、チョッパ方式は些か古い印象を受けます。

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主制御器本体の展示 日立製作所MMC-HTR-20G2

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主回路に流れる大電流を確実にシャットダウンするための断流器

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空気ブレーキなどのために高圧空気を作るコンプレッサー(空気圧縮機) HS20Kの展示

CPに関しては2000系の場合、HS-20K,HB-2000-CB, HS-20-4の3種あるようです。

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2000系も9次車以前は補助電源はMG方式で BL-MG 140kVA もしくは70kVA2連方式です。

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台車はM、T'c車 FS-372A T車 FS-072A  ペデスタル支持式空気バネ台車

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2085側

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2015年6月29日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 28 阪和線 その2

通勤電車103系シリーズ、ここのところ関東の話題ばかりでしたので,今回は阪和線の103系について触れようと思います。

阪和線については2014年7月14日の記事1968年10月のヨンサントウ改正に向けて、すべて近畿車輛製の6連、4本が鳳電車区に投入されたことを記述しました。なんとこのときに投入されたクハ103-115,116は今も日根野区でHK610編成として活躍しています。クハ103基本番台若番から追ってみると、広島で活躍する86が2015年冬版の電車編成表では現役でしたが、3月の改正で運用終了となっているので現役最古参となっています。

その後、1974年2月から4月にかけて,山手線から6連が9本移籍しました。

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ウグイス色のまま、阪和線で活躍を始めた103系 1974/9/29 天王寺

1974年9月から10月にかけて大学1年の秋休み、関西~九州を旅行した際に天王寺で撮影した阪和線103系  このときの様子は2012年10月25日の記事で記述していますが、フィルム交換の際に,間違って裏蓋を開けてしまい,感光したのがこの天王寺のホームでした。ウグイス色にカナリア色の警戒帯という関西本線101系と同じスタイルの103系はこのとき初めて見ました。中には北イケの標記のままの車両もあったそうです。これまでホームの有効長の関係で6連の103系は快速と天王寺~鳳間の各停に使用されていましたが、延伸工事の完了で日根野までの各停に103系が投入されるようになりました。

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非冷房6連の103系 500番台クハ 1980/12/13 鳳

1976年3月1日
の改正では京浜東北線から6連1本が、さらに11月から1977年4月には6連15本、3連3本が転入しました。このときの先頭車をリストしたのが下の表です。

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1976年から1977年にかけて京浜東北線から転入した先頭車両

最初の1本はクモハやクハ103-500の転属を避けるため、横浜線のクハ103と交換して転属させたそうですが、2回目以降はクモハ+クハ103-500が大量転属となり、羽衣支線用の3連も103系で置き換えられました。
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羽衣支線用103系 3連 1985/4/21 鳳

1978年10月2日の改正で鳳電車区日根野支区が本区に昇格し,阪和線の電車は日根野電車区に転属となり、紀勢本線に運用される113系編成分を捻出するため、京浜東北線から24両が転属しました。先頭車両分を下の表に纏めました。

1978
1978年10月までに鳳区に転属した103系先頭車

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AU75方式で冷房改造された103系 先頭車は500番台 1985/4/21 鳳

1980年7月には輸送力増強用として1968年以来、久しぶりの新製配置となり、高運転台非ATC方式のクハが投入されました。唯一のスカイブルー色となりました。

1980
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高運転台タイプ非ATCのクハ先頭の阪和線103系6連 1985/4/21 鳳

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天王寺駅に到着した高運転台タイプ103系 1984/12/7

阪和線次回の記事では、改造冷房車,運転台取付改造車、更新車について触れようと思います。

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2015年6月28日 (日)

常磐線を走る 昼行583系特急 みちのく そして 団臨「ひたち」

6月27日、土曜日、関東地方は先週とは違って典型的な梅雨空の一日でした。秋田車両センター配置の583系N1N2 6両編成がJR東日本水戸支社の「ふくしまデスティネーションキャンペーン」の一環として、上野(9:43)~いわき(13:10)間を走行するので、朝の常磐線貨物列車2095レや昼過ぎの2097レを撮影するひたち野うしく~荒川沖間の妙向寺踏切近くで撮影することにしました。

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上野を出発後、馬橋、ひたち野うしくで長時間停車があり、11:18頃、ひたち野うしく~荒川沖間を通過した583系N1N2編成 2015/6/27 いわき側は絵入りHM

1983年4月からつくばに32年間住んでいますが、1985年の筑波万博のときの「エキスポライナー」でも583系は撮影しておらず、臨時「ひたち」として盛アオの583系が使用されたこともあったそうですが、知りませんでした。

583_21a 上野駅地平ホームで出発を待つ11M  1972/10/2

常磐線の昼行特急といえば、この3月のダイヤ改正で名前が復活した「ひたち」と「はつかり 1M/2M」を補完して上野~青森間を往復した「みちのく11M/12M」が有名です。

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青森から到着した「みちのく」 1972/10/2 上野

そこで、この機会に特急「みちのく」の歴史を振り返って見ようと思います。東京以北の特急の歴史については2013年2月10日の記事で触れていますが、遡ると1891年(明治24年) 9月日本鉄道が東北本線上野~青森間740kmを全通させたのが始まりで、その時に設定された直通列車は26時間半強で上野~青森間を結んだそうです。1906年4月急行801、802列車が常磐線経由で設定され、時刻は
下り 上野発 11:45 青森着 7:00 上り 青森発 19:40 上野着 15:13 でした。
1908年5月、1,2等、食堂車、寝台車を連結した東北本線経由急行201、202列車が設定され、青森~函館の青函航路とも接続しました。

停車駅は
上野 - 赤羽 - 浦和 - 大宮 - 久喜 - 古河 - 小山 - 宇都宮 - 宝積寺 - 氏家 - 西那須野 - 黒磯 - 白河 - 矢吹 - 須賀川 - 郡山 - 本宮 - 二本松 - 福島 - 長岡(現・伊達)- 桑折 - 白石 - 大河原 - 岩沼 - 仙台 - 岩切 - 松島 - 小牛田 - 石越 - 一ノ関 - 水沢 - 黒澤尻(現・北上) - 花巻 - 盛岡 - 沼宮内(現・いわて沼宮内) - 中山(現・奥中山高原) - 一戸 - 三戸 - 尻内(現・八戸) - 古間木(現・三沢) - 野辺地 - 小湊 - 浅虫(現・浅虫温泉) - 青森 で、主な駅の時刻は
201列車:上野7時25分→浦和8時→宇都宮10時5分→福島14時50分→仙台17時15分→盛岡21時54分→青森翌3時40分
202列車:青森2時20分→仙台12時35分→上野22時40分

これらの列車は,その後変遷を経て,1944年戦局悪化で運休となります。

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1978年10月改正以降、HMが絵入りになった「みちのく」 1979/5/5 上野

1946年には連合軍専用列車が上野~青森、函館~札幌間に設定され、1948年のダイヤ改正で東北本線経由103、104列車、常磐線経由201,202列車が復活し,1950年 201,202列車に「みちのく」,203,204列車に「北斗」の愛称が付されました。

1958年10月1日の改正で上野~青森間常磐線経由で東京以北初の特急「はつかり」が新設され、1960年12月10日にはキハ81系気動車が投入されました。急行「みちのく」はこのときに盛岡以北は不定期に格下げされました。1961年3月1日、「はつかり」のスピードアップととともに、「みちのく」の盛岡以北が定期化されます。

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尾久もしくは東大宮から回送される583系 この後11Mとして青森へ 1982/2/14

1965年10月1日の改正で前年の1964年10月1日の改正で登場していた20系客車特急「はくつる」は品川客車区から尾久客車区に移管され、新たに「北斗」の格上げで常磐線経由寝台特急「ゆうづる」が20系で設定されます。「みちのく」は客車急行(2/1号)と多層建てDC急行(1/2)号の2往復体制となりました。

1968年10月1日のヨンサントウ改正で盛アオに583系が配置され、「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」が電車化、新たに「十和田」の格上げで20系客車による「ゆうづる」も存続しました。急行では「三陸」が「八甲田」に客車急行「みちのく」は「十和田」に統合・改称となり、一旦「みちのく」の愛称が消え,「十和田」は昼行1往復、夜行4往復となりました(関連記事)。

1972年3月15日の改正で昼行「十和田1号」を格上げする形で常磐線経由583系電車特急「みちのく」が登場しました。

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新松戸で後追い撮影した「みちのく」 1982/2/14

前述のように11M みちのくは1M はつかりを補完するように走っており、1974年頃の時刻表によると
下り みちのく

1431 上野20番線入線 1448 - 1614/1616 水戸 - 1639 常陸多賀 - 1719 湯本 -1726/1728 平 -1826/1827 原ノ町 -1923/1925 仙台 1954/1955 小牛田 - 2028 一ノ関 - 2127/2129 盛岡 - 2214 一戸 - 2243/2244 八戸 - 2259 三沢 - 2348 青森

上り みちのく

青森 453 - 541 三沢 - 556/557 八戸 - 626 一戸 - 710/712 盛岡 - 809/810 一ノ関 - 842 小牛田 - 913/917 仙台 - 1010/1011 原ノ町 - 1110/1111 平 - 1119 湯本 - 1200 日立 - 1223/1224 水戸 - 1348 上野     でした。

ちなみに「はつかり5号/1号 1M/2M」は

上野16:00 青森 015  青森 450 上野 1314 でした。 

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583系 「ひたち」 2015/6/27 ひたち野うしく~荒川沖間

上野よりHMは字幕でした。細かいことを言うと、ちょっと現役時代の字体とは違うようですが(笑)。   

1978年10月2日の改正で「はつかり」はエル特急に、「はつかり」「みちのく」に自由席が設定されました。

197810_583 交友社鉄道ファン編集部 編 特急列車撮影ガイドによる
1978年10月改正の盛アオ583系の運用行路

1982年11月15日、上越新幹線開業、東北新幹線の大増発で廃止となりました。

リバイバルトレインとして、2002年11月3日、上野~青森間,583系12両編成で運行されました。

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2015年6月27日 (土)

San Diego Trolley 2000形 part3

San Diego trolley 2000形の話題、今回は2011, 2013, 2014の写真を紹介いたします。

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2011を先頭にした同型車3連 2015/1/14 America Plaza

広角でとっているので、編成はかなり長く見えます。

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これまでは小型デジカメは持っていなかったので撮影していませんでしたが、2015年月の訪問では車内の様子も撮影しました。 連結部からの写真です。

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これまでの写真にも何度か登場していますが、America Plazaの停留所です。 2015/1/14

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こちらはDowntownの路面区間です。

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2014編成 2015/1/10

こちらも路面区間です。
2015年の訪問では2000形3連編成はBlue line専用、4000形に2000形が挟まれた編成はBlue Line、Orange Line, Green Lineなどで見ることができました。

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2015年6月26日 (金)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 9 350形

2014年12月の広島・四国西部旅行で撮影した広島電鉄の車輌、今回からは単行車編です。

単行車としては貨50形、3代目100形、2代目200形、350形、570形、2代目600形、650形、2代目700形、750形、2代目800形900形、1150形、1900形とさすが路面電車の博物館といわれるだけあって形式も豊富ですが、今回の旅では、赤字で示した形式を撮影しているのでこれらについて纏めて行こうと思います。

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350形 352号 2014/12/19 袋町

現在、350形と名乗っている351-353の3両は宮島線~市内線の直通運転を目的として1958年3月850形851-853の3両としてナニワ工機で新製された車両です。

直流直巻電動機NE-50 (出力25kW)を2基搭載し、吊り掛け駆動方式、歯車比68:14 (4.86)で抵抗制御、直並列組み合わせ制御間接非自動制御 NA-122制御装置で制御する方式です。台車はNS-11,ブレーキはSM-3 直通ブレーキを搭載しました。

設計最高速度は60km/hとされましたが、後に新製された2000形2500形に較べると高速行きからの制動力が不足したため、2000形、2500形の増備に伴い市内線に転用されることとなり、形式も350形に改められました。

1975年にワンマン化改造を受け、1984年6月から7月にかけて、昨日の名鉄モ590形と同じ三菱電機のCU77A集中型冷房装置(21,000kcal x 1) で冷房改造がなされ、電源は屋根上にSIVが搭載されました。現在は千田車庫に所属しています。

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2015年6月25日 (木)

保存施設と車両 名鉄旧美濃駅 part2

2014年8月11日の旧名鉄美濃市駅訪問、今回は展示されている車両から名鉄モ593です。

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2011年3月の延焼被害から無事修復されて美しい姿で展示されているモ593 2014/8/11 旧美濃市駅

名鉄モ590形1957年4月から11月にかけてモ591~595の5両が日本車輌製造で製造されました。架線電圧600Vの直接式の制御方式で、主電動機はTDK535-1A 45kWのもの2個を採用し、吊り掛け駆動方式で、歯車比は19:58 (3.05)となっています。

制動方式はSM-3直通空気ブレーキ方式で、台車は一体鋳鋼型ペデスタル式の住友金属工業FS78Aを履いています。車内はロングシート仕様で、室内灯は蛍光灯を採用しました。
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当初は5両とも、岐阜市内線に投入されましたが、モ591は1968年から美濃町線で運用されることになり、他4両も1971年までに美濃町線に転属しました。同時に、専用軌道線での高速運転用に歯車比が4.5から3.05に変更されました。やがて、美濃町線が新岐阜に乗り入れるようになると、複電圧方式のモ880形の時代と成り、1981年以降モ593-595は休車となりました。

1983年、新関~美濃間がワンマン運転区間となり、モ591-593がワンマン対応改造を施されたのに対して、モ594, 595は他社へ譲渡されることもなく、廃車解体処分となりました。1999年、新関~美濃間が廃止されると徹明町~日野橋間の運用を担当し、モ591, 592はSIV電源装置と三菱電機のCU77A型冷房装置を搭載し、冷房化がなされましたが、モ593はそのまま非冷房で残されました。

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車内にも立ち入り可能です。

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一方の運転台には運賃表が

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もう一方のエンドには成田山のお守りや温度計が印象的でした。

2004年、美濃町線を含めた600V区間の廃止が決まると、モ593は旧塗装に復元され、2005年3月31日の廃止後はモ591、592は土佐電気鉄道に譲渡され、モ593は台車と主電動機のみが譲渡されました。その後、モ570形廃車発生品の台車を組み合わせて、旧美濃駅構内に静態保存されるようになりました。2011年3月9日に美濃駅東側民家の火災に巻き込まれ延焼しましたが、無事修復されました。

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運転台は極めてシンプルで、マスコンとブレーキ弁、メータは圧力計のみです。

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この箱はワンマン化に際して後付けされたものかと思われます。

なお、高知の土佐電気鉄道、現在のとさでんに譲渡された591、5922014年12月の高知旅行で現役で活躍する姿を撮影しておりますので、いずれご紹介致します。

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2015年6月24日 (水)

九州鉄道記念館訪問 その6 クハ481-603

2004年10月の九州鉄道記念館訪問、今回はクハ481-603です。

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「にちりん」のヘッドマークを付けて静態保存されるクハ481-603 2004/10/17 九州鉄道記念館

この車両は元々クロ481-5として1969年6月27日、日本車輌で製造され仙センに配置され、東北特急、「ひばり」「ひたち」「やまばと」「あいづ」「やまびこ」などで活躍しました。

元来、東北特急にクロが製造されたのは、食堂車と一等車を同時に連結し、板谷峠を越える特急「やまばと」のMT比2:1を保ち、特急「あいづ」の磐越西線におけるホーム有効長の関係から9連以内、という難題解決のための窮余の策でした。

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クロ481-5を先頭にした特急「あいづ」編成 尾久

番号判断の根拠は後述のライトケース下の外気取り入れ口ルーバーのスリットの形態です。

1968年10月のヨンサントウ改正用に1968年6月クロ481-1~4が新製され、9月末にかけて、サロ481-19~25に運転台を取り付けたクロ481-51~57が誕生し、1969年6月に増備で-5だけが新製されています。1969年6月というのはクハ481-30以降が製造された時期(*)と一致します。その後、1971年6月クロ481-1011972年2月までに102~104が増備され、東北特急のクロは16両体制で活躍しました(関連記事)。

(*) クハ481-29   1968/6/3,     -30  1969/6/27
因みにクハ481-1~8 が1次 (1964/10)  9~28 が2次 (1965/6-8) 29 が3次 (1968/6) 30~36が4次 (1969/6-9) 37,38 が5次 (1970/3) 39,40 が6次 (1971/3)

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現役時代のクハ481-603  1985/4/19 博多 

その体制が崩れたのが1975年夏の長崎・佐世保線電化開業による特急「かもめ」「みどり」の誕生でした。このとき登場した「みどり」は国鉄史上最短の4両編成の特急で、グリーン車を連結させるため、小倉・博多より先頭がクロとなりました。そのために、1975年5月から6月にかけて仙センからクロ481-1,2,51~57が門ミフに転属し、1982年9月から12月には101~104が転属し、3~51983年10月に格下改造を施されクハ481-601~603となって鹿カコに転属し、仙センからクロ481は一掃されました(関連記事)(関連記事2)。

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番号表記や妻面の表記

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車内の様子 昔、特急電車の指定席に乗り込むワクワク感があります。

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このタイプのエアコンの吹き出し口は181系「はと」や「とき」に乗った時も同じだったような

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この車輌のライトケース下、ボンネットに外気を取り込むルーバーの形はクハ481-30以降の4次車と同様の縦スリットになっています。0番台のクロでは5のみが製造時期からこの形態であったと思われます。

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「ひたち」に連結されたクロ481 ルーバーのスリット形状が横型
クロ481 基本番台、50番台のうち、5以外はこのタイプだったと思われます。

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2015年6月23日 (火)

東海道新幹線開業から50年 その18 N700系 part1

昨年10月の東海道新幹線開業50周年で始めたこのシリーズもN700系の話題まで漸くやって来ました。

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N700系 Z16編成 2013/6/29 小田原
この編成も2014年5月22日にN700A化改造を受け現在はX16編成に

0系が第一世代、100系が第二、300系が第三、700系が第四でN700系は第五世代となるそうです。500系はJR西日本のみのため、世代にカウントされないのが残念ではありますが。

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N700系の表示 2013/6/29 小田原
この表示は現在、N700Aへの改造でどんどん減ってきており、

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X29編成の表示 登場時はZ29編成 2015/5/3 東京駅

改造された編成の表示は小さくAが加えられた表示になっています。

700系をベースに高速性と快適性・環境性能向上の両立を目指して、JR東海、JR西日本の共同で開発された車輌で、当初は700Nと称しましたが、N700が正式な形式称号となりました。Nはnew、nextの意味を込めているのだそうです。

営業運転の開始は2007年7月1日のダイヤ改正からでJR東海が0番台、JR西日本が3000番台編成を、0系、100系を置き換える次期主力車種として投入しました。さらに2011年3月12日の九州新幹線全線開業に伴う山陽・九州新幹線の直通運転開始に合わせて、100系の置き換えも進めるためにJR西日本が7000番台、JR九州が8000番台を共同開発し、投入しました。

一方、N700系の改良型N700A1000番台は700系の置き換えなどを目的に2013年2月8日から営業運転を開始しており、2014年春からはJR西日本もN700A 4000番台を導入しており、N700系としてデビューした編成もN700Aと同様の改造が施され、0番台が2000番台に、3000番台が5000番台に改番されつつあります。

N700a_g3_150503_4
N700A系 1000番台 G3編成 2015/5/3 東京駅

オリジナルのN700A系はこういった側面表示です。

編成番号では

16両編成

JR東海    Z編成 X編成(N700A改造済み2000)   N700A G編成(1000)
JR西日本 N編成(3000) K編成(N700A改造済み 5000) N700A F編成(4000)

改造がN700系全編成に及べばZ編成 N編成は すべて X編成 K編成に

8両編成

JR西日本 S編成(7000) 
JR九州  R編成(8000)

N700系の性能を特徴付けているのは東海道新幹線区間内に約60カ所存在する半径2500mの曲線区間を270km/hで走行するための車体傾斜システムの搭載です。従来の500系や700系でこれらのカーブを270km/hで通過すると規定許容値を超える横Gが乗客にかかるため255km/hまで速度を下げる必要がありましたが、このシステムにより270km/hのまま走行が可能となり、東京-新大阪間の運行時間を5分短縮することが可能となりました。

2005年3月4日に日本車輌製造・日立製作所・川崎重工業により、先行試作車(Z0編成)が完成し、浜松工場で公開されました。同月10日から公式試運転が開始され、9月7日の速度向上試験で320km/hを記録しました。2年間の実験走行を経て、量産車の投入が決定しました。

車体はアルミニウム合金製の中空押出型材によるダブルスキン構造です。先頭部は「エアロ・ダブルウイング」という形状で長さは10.7mに抑え、定員の確保に努力しています。

走行系は主電動機の定格出力を305kまで上げていますが、サイズや重量は700系と同じに揃えてあります。ユニットは4両1ユニットで、3M1Tもしくは4Mとなっています。3M用と4M用で主変圧器が区別されており、4M用の主変圧器は国内最大容量の変圧器だそうです。

セミアクティブサスペンションを全車両に設置し、振動を抑えており、車輌間はダンパが斜め上下方向に直接妻面を連結する方式で結んでいます。また新幹線の営業車輌としては初めて全周幌で連結面間を繋いでおり、初期の151系特急や80系気動車特急以来でしょうか。車輌側面の空気抵抗や騒音軽減に貢献しており、省エネルギーにも寄与することが明らかとなりました。

集電装置も小型・軽量化が徹底的に見直され、間接より下の部分が短くなり、風切り音の軽減と、架線への追従性の向上に貢献しています。

主電動機の出力向上で起動加速度は通勤電車並の2.6km/h/sとなり、およそ3分で270km/hまで加速することが可能となりました。

車体傾斜装置の採用で全幅が700系に較べて20mm狭くなり、強度を確保しつつ車体壁を薄くした結果、車内空間は700系と同じサイズを確保しています。一方で十分な強度を確保するため窓面積が700系の60%に縮小され、、車内からの眺望が犠牲となっています。

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JR西日本のN700系3000番台 N7編成 2009/3/21 大高
こちらの編成は現在もN700系として活躍中

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2015年6月22日 (月)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 7 SNCF BB9300 及び BB9400 電機

フランスで見かけた車両をパリのターミナルと関連づけて紹介しておりますが,今回の電気機関車BB9300形に関してはリヨン駅というよりは、南フランスのモンペリエ駅で見かけたものばかりです。

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BB9300形 9335号 2009/3/12  モンペリエ

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9339号 2009/3/8 モンペリエ

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109313号 2009/3/13 モンペリエ

元は9313号かと思いますが、SNCFでは車両の所属部門を番号で分けており、
    長距離旅客輸送部門(VFE):100,000番台
    中距離旅客輸送部門(CI):200,000番台
    地域旅客輸送部門(TER):500,000番台
    首都圏旅客輸送部門(Transilien):800,000番台
    貨物輸送部門(Fret):400,000番台
    インフラストラクチャ部門(RFF):600,000番台  
頭に10が付くことから、長距離旅客輸送部門(VFE)の車両と分かります。

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一方、こちらは元9320号で、現在は地域旅客輸送部門(TER)に所属していることが分かります。 2009/3/12 モンペリエ

BB9300形電機1967年から1969年にかけて40両が製造された直流電機で、 ”Jacquemin” の愛称が与えられました。製造はジューモン=シュネーデル - CEM - MTEです。1957年から1964年にかけて、クルゾー=ロワール (Creusot-Loire) 、ジューモン=シュネーデル (Jeumont-Schneider) 、CEM (Compagnie électromécanique) によって92両製造されました。

SNCF初のBB形軸配置電機でパリ~トゥルーズ間の長距離旅客列車「ル・キャピトール」や「ミストラル」の牽引に活躍したBB9200形の派生形といえる機関車です。

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BB9494号機 1986/6 パリリヨン駅

BB9400形電機はジューモン=シュネーデル (Jeumont-Schneider)、CEM、Fives-Lilleが1959年から1964年にかけて135両(9401-9535) 製造した直流電機で、"Vespa"という愛称が与えられました。中規模輸送向けに開発された中出力機です。交流機BB16500は姉妹機です。重連総括制御対応改造がなされてからは重量級貨物列車の牽引も可能となり、万能機の仲間入りを果たしました。デザインはBB9200やBB9300に似ていますが,サイズは一回り小さく、定格出力は2210kWで1台車1モーター方式です。

9401-9530は最高速度120km/h 9531-9535は最高速度180km/hとなっています。また屋根の高さが2種類あり、一次車の9401-9435は低屋根、9436-9535は高屋根構造です。1990年から1994年にかけて42両がBB9600形に改造されました。2008年までに全機引退しました。

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2015年6月21日 (日)

あじさいの季節 いざ,鎌倉へ

6月20日土曜日は、先週に引き続き鎌倉方面に数本の臨時列車が運行されるとのことで、江ノ電の撮影も兼ねて行ってきました。

撮影ポイントは第三鎌倉踏切、北鎌倉で下車後、線路に沿って鎌倉方面に歩き、線路が右にカーブを描く中間で、県道21号と交差する踏切です。この場所で撮影するのは2009年6月以来で、あの時はE217系が「横須賀線120周年」のHMを付けていました。この踏切の情報はこちらのサイトに。

150620
第三鎌倉踏切から北鎌倉方面 2015/6/20
梅雨の中休みと土曜日ということで、北鎌倉から鎌倉方面への道はものすごい人出でした。

この場所の常連と言えば、横須賀線のE217系、湘南新宿ラインのE231系でしたが、この春のダイヤ改正でE233系3000番台も湘南新宿ラインに投入されたため、

E2333000_u619_150620
横須賀線で見ることが出来るようになったE233系3000番台 U619編成 

185_om03_150620
185系 OM-03編成 9755M

最初にやってきたのは南越谷からの「ホリデー快速 鎌倉」でストライプ復元で数が減って来た湘南ブロック塗装の185系OM-03編成(ついこの間まで湘南80系ミミック塗装)でした。この編成は鎌倉到着後、大船へ。

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185系 B2編成  9723M

続いて、高崎から「読売旅行」の企画による団体列車、185系B2 ストライプ塗装編成 この編成は鎌倉の電留線へ。

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189系 M52編成  9771M

3番目は青梅からの臨時快速「鎌倉あじさい号」。昨年12月、デビュー直後に四方津で撮影して以来です。この編成は横須賀へ。

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651系 K105編成 7連 9707M

4番目は常磐線いわきから急行「ぶらり横浜・鎌倉号」勝田電車区の団臨仕様編成でした。この編成も鎌倉の電留線へ。

この後、佐原からの団臨9342M  E257系500番台 というのもあったそうですが、そちらは撮り逃がしました。この編成は津田沼へ。

といったようにまずは臨時列車を4本撮影しました。

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2015年6月20日 (土)

尾久車両センター公開 2014 その10 485系 ジパング

2014年11月15日の尾久車両センター公開の話題、今回は485系改造のジョイフルトレイン「ジパング」です。

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ジパング車内見学にならぶ人々の列 2014/11/15 尾久車両センター

この車輌、2014年9月6日の「郡山車輌基地まつり」でも展示されており、改造の経緯等については既に紹介しています。今回は車内見学の機会がありましたので、そちらを重点的にレポートします。

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クハ485-704の側面に表示されたジパングのロゴ

Zipanguとは中世の中国語で日本国を発音した音が語源で、Japan/Japon/Giappone/Yaponiya などの日本を意味する言葉の語源と考えられています。マルコポーロがヨーロッパに戻った際に日本のことをCipangu (あるいはChipangu)と紹介したのも有名です。

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車内ですが、1,4号車が展望車、2,3号車が普通車で、1号車に乗るとすぐに上の写真のような数面のディスプレイがあり、沿線の観光地紹介がなされます。展望車の連結面側がこういった通路になっています。

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座席は外向きにセットされており、窓際にはテーブルも用意されています。

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展望車らしく座席からも前方がよく見えるように工夫されています。

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運転台の計器類は種車(クロ485-4←クハ481-34)の計器がそのまま引き継がれています。

クハ481-341969年7月に東急車輌で製造、向日町に配置され、山陽・九州・北陸特急で活躍、1975年3月の改正で鹿児島に転属、「有明」、「にちりん」などで活躍後、1985年2月に勝田に転属、常磐線特急「ひたち」で活躍しました。1997年9月定期運用から離脱、12月に新前橋に移り、「やまなみ」の種車となりました。九州時代と最晩年のひたち塗装時代の写真は「ボンネット特急の世界へようこそ」のサイトにあります。

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1号車 展望車内

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一方、2,3号車普通車は従来の485系のスタイルでシートはこのようなモケットのシートに置き換えられています。

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2015年6月19日 (金)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 14 D51 1号機

2014年8月の40年ぶりの梅小路蒸気機関車館訪問、今回はD51 1号機です。

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まだ火が入っていた頃のD51 1号機 1974/9/29 梅小路蒸気機関車館
画面右隅のお子さんも今では40過ぎの・・・かな。

これまでにD51形式に関しては、1972年の萩旅行1974年、1975年の北海道旅行や全国の公園等における静態保存機、D51498号動態保存機の話題で触れて参り、かなり頻繁に出てきておりますが、今回はそのトップナンバーです。

沖田祐作氏の機関車表データでD511号機の履歴を見てみると

D511      川崎重工兵庫工場=1643            1936-03-22 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1936-03-22 製造→ 納入;国鉄;D511→ 配属;名古屋局→1936-03-22 使用開始→
      1936-04-16 配置;敦賀→1938-01-16 稲沢→1943-05-09 借入;米原→
      1943-08-25 返却;六検→1943-09-01 借入;米原→1944-04-16 返却→1949-09-14 大垣→
      1949-11-24 借入;稲沢→1949-11-29 返却→1950-05-13 発(5/14 着)上諏訪→
      テンダー交換→1958-01-25 重油併焼装置取付1500ℓ→1962-06-23 発(6/24 着)金沢→
      1964-09-21(9/22?)盛岡→1968-08-03 借入;尻内→1968-09-26 青森→
      1971-07-29 発(7/30 着)借入;酒田→1971-08-01 発(8/2 着)返却→
      1971-09-19 発(9/20 着)借入;盛岡→1971-09-26 編曲→
1971-10-08 発(10/12 着)浜田→1971-11-04 重油併焼装置撤去→
      1971-11-23 借入;梅小路→1971-11-28 返却→1972-02-23 借入;梅小路→
      1972-02-28 返却→1972-09-29 動態保存特別整備→
      1972-09-30 発(10/2 着10/1?)梅小路→1986-05-30 廃車;梅小路→
      動態保存;京都府JR 西日本「梅小路機関車館」;D511(最終走行距離=2,351,716㎞)

誕生は1936年3月22日、川崎車輌兵庫工場です。新製配置は名古屋で敦賀、稲沢、米原、大垣と移っており、戦後は中央線上諏訪、さらに金沢に移り、東北盛岡、青森から最後は浜田と本州内、各地を転々として活躍しました。特に中央線の急勾配運用がきつかった上諏訪区時代にはテンダーを交換し、重油併燃装置まで取り付けていますが、最晩年の浜田時代には撤去されているのが印象的です。

1972年9月、動態保存機として現役のまま、梅小路に転籍しましたが、1986年5月30日に廃車されました。

青森機関区時代の写真はこちらに 1970年3月31日の記録データ
関西本線月ヶ瀬付近でのSL最終記念列車の写真は こちら
春爛漫の関西本線笠置駅に進入する姿 1973/4/8 は こちら

番号的には後になりますが、1935年からD51の製造が開始され、川崎車輛が1~13号機を受け持ち、汽車製造が14~23号機を受け持ったそうで、実際に最初に落成したのは1936年2月29日落成の流山運動公園に保存されている14号機なのだそうです。その旨、14号機の記事にも追記しました。(情報は鈍行列車一人旅さまのサイトから)

ちなみに最初のロットの落成期日を見てみると

川崎重工発注分

D51 1  1936/3/22 2 3/26  3 3/27  4 3/27  5 3/19  6 3/29 7 3/30  8 3/31 9 3/31 10 3/29 11 3/30  12 4/14  13 3/31

汽車会社発注分

D51 14  2/29 15 3/5  16  3/12  17  3/14  18  3/17  19  3/18  20  3/20  21  3/24  22  3/25  23  3/28

となっており、1号機の落成は日にち的には9番目であることが分かります。

D51_1_140810 2014/8/10

昨年の訪問では沖止め状態でした。

D51_1_140810_2
Side view of slug

D51_1_740929_2
D51200が現在、動態復活を目指して修復中ですが、ナメクジスタイルの1号機も復活できれば大きな客寄せ効果は期待できるかと思いますが・・費用対効果を考えるとなかなか大変なのでしょう。

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2015年6月18日 (木)

小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 1 100系 スペーシア 1

小菅あたりの複々線を通過する列車のシリーズ、まずはスカイツリーライン、伊勢崎線、日光線で活躍中の東武鉄道の車両、優等列車に使用される、日光線・鬼怒川線特急のスペーシア100系です。今回の記事では登場からリニューアル前までについて触れます。

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春日部駅に到着するスペーシア 2011/12/4

1720dlc_140716 1720系 DRC 2014/7/16 東武博物館 

100系1720系(デラックスロマンスカー(Deluxe Romance Car 略称:DRC))の後継として1990年6月1日に営業運転を開始し、1991年までに6両編成9本がアルナ工機と東急車輌製造で製造され、1991年9月1日までに1720系を置き換えました。

100_111104
伊勢崎線、日光線の分岐点 東武動物公園駅に進入するスペーシア編成 2011/11/4

車体は東武初のオールアルミ合金製で軽量化、低重心化が図られました。客室内の静粛性に配慮した結果、床の厚さは1720系の50mmから130mmに厚くなったそうです。登場時の塗装は,6050系の塗装に倣ったものでした。

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藤岡~静和間を行く102編成 2010/5/8

制御システムはGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御でインバータ1基で8個のモーターを制御する1C8M方式です。我が国の有料特急電車で インバータ制御方式が導入されたのは100系が最初でした。25‰の勾配と曲線が続く日光線北部の運転条件に適合させるため全電動車方式となっています。 駆動方式はTD継手式平行カルダン方式で歯車比は85:16 (5.31) です。

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下今市を発車する上り列車 101編成 2011/11/4 

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第5編成 105-3のインバータ装置 2011/12/4 南栗橋車両工場(イベント公開時)

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台車は1本リンク式のボルスタレス式台車(TRS-90型)で軸箱支持方式はSUミンデン式、固定軸距は2300mm、乗り心地改善のため、105-109編成にヨーダンパが取り付けられ,後年全編成に取り付けられました。

ブレーキシステムは回生・発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ(HRDA-2)で常用ブレーキ時に回生ブレーキを併用し,非常ブレーキ時には発電ブレーキを常用します。

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床下の空調制御箱
空調装置はヒートポンプ方式集約分散型を採用し,各車に3基ないし4基搭載しています。補助電源装置はDC-DCコンバータ(SCV)と静止形インバータ(SIV)を組み合わせた容量140kVAのものを両先頭車に搭載しました。

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汚物処理装置

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これらの床下写真は2011年12月4日の「東武ファンフェスタ」に参加した際、更新のために入場中だった105編成の床下写真を撮ったものです。同編成は後に「」カラーで出場しました。
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栗橋駅に設けられたJR~東武連絡線を通過するスペーシア 2006/7/9

2006年3月のダイヤ改正で日光線栗橋駅でJR東日本に乗り入れ新宿~東武日光・鬼怒川温泉を結ぶ直通特急が設定され、106-108編成にATS-P車上装置、JR用列車無線装置、EB・TE装置が取り付けられました。さらに座席番号表示ステッカーや個室車両にグリーン車マークが貼り付けられました。

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東鷲宮~栗橋間を行く スペーシア100系 2012/3/25

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2015年6月17日 (水)

江ノ電を撮る 車輌編 その1 保存車 100形

このシリーズ、前回の記事では江ノ電の歴史と藤沢から鎌倉までの路線、停車場の変化について纏めました。今回からは、車両を形式毎に追ってみようと思います。

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100形 107号 保存車 2014/12/30 由比ガ浜公園

現在、江ノ電で活躍している車両はすべて2両1組の連接車で、それらが単編成もしくは2編成をつなげた重連で運行されています。しかも全てオリジナル車両であり、300形305編成東横車輌工業(現・東急テクノシステム)で製造された以外はすべて東急車輌製造(現・総合車輌製作所)製となっています。

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屋根上には懐かしいポールが

現有車輌は  300形 1000形 2000形 10形 20形 500形Ⅱ となっており、この順番で写真を紹介して行こうと思います。

一方、過去帳入りした車輌では600形601号宮の坂の保存車の記事で、651号玉電の歴史の記事で紹介しているので、今回は鎌倉市由比ガ浜公園で保存されている100形107号から紹介して行きたく思います。

100形電車は江ノ電初のボギー台車採用の車輌で1929年101-104号車が雨宮製作所1931年105形105号が川崎車輌で、106形106-110号車が新潟鐵工所で製造されました。101-105と106-110では車体長が異なり、ドアの構造や床面の高さも異なりました。これらオリジナル車輌以外に他社から譲渡された車両も100形に組み込まれました。100形は単車で活躍することから「タンコロ」という愛称で呼ばれました。

111-112 
1924年汽車製造(現:川崎重工業)製の高床式木造車、1934年 西武新宿軌道線から譲渡 
111号は1948年廃車、112号は1953年、都電150形の車体に換装し、1956年連結車化改造を受け、201(二代目)に。
 
113-114(初代) 
目黒蒲田電鉄のデハ15,16を1937年に譲受
113号、114号(初代)は1954年、北陸鉄道へ譲渡。

113-114(二代) 
1953年、王子電気軌道出身の都電154、155号の車体と都電杉並線261,262号の台車を組み合わせた。
1956年に連接車改造、300形301編成。 

115  1939年 廃止となった京王電気軌道八王子線(旧 武蔵中央電鉄)6号を譲受
    1956年廃車 栃尾電鉄ホハ23として譲渡

116-117   
1939年 東京横浜電鉄玉川線より、車体更新によって余剰となった車体と京浜電鉄から台車を譲受して組み合わせて落成
1958年 116号 1956年 117号 廃車

1930年代から終戦直後にかけては江ノ電のホームが低かったため、ドアにステップがついておりましたが、1955年に各駅のホーム嵩上げ工事が完了し、ドアを改造し、ステップが撤去されました。

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1957年には輸送力を強化する目的で、101-104が、1958年には106と109が連接台車構造の300形に改造されました。105号は1970年に600形が入線した際に110号は1974年の藤沢駅高架化による600形出力増強でモーターを供出し、休車となり、1979年に廃車されました。107,108号もATSが搭載できないため1980年に廃車されました。

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昨年暮れに訪問しましたが、ちょうど修復中で内部には入れませんでした。

潮風を受ける海岸そばに設置されているため、車輌の維持は大変かと思われます。

他に108号が極楽寺駅近くの検車区構内の専用保管庫に納められており、年に一度、12月頃のイベント「タンコロ祭り」で公開されますし、先日のブラタモリ鎌倉後編でも走行シーンが放映されていました。

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100形108号 模型 2014/12/18 広島交通科学館

昨年暮れに訪れた広島交通科学館にも100形の模型が展示されており、こちらはピューゲルのスタイルでした。

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江ノ島駅の待合室の棚にも100形の模型が飾られています。 2014/12/30

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2015年6月16日 (火)

京急ファミリー鉄道フェスタ2015 part1  湘南電鉄 デ1形

2015年5月24日、久里浜の京急ファインテック久里浜事業所で開催された上記のイベント、まずは事業所に保存されていたデ1形の紹介から始めようと思います。デ1形というとピンときませんが、後に京急デハ230形に統合された車両です。

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デ1保存車 2015/5/24 京急ファインテック久里浜事業所

デ1形は京浜急行電鉄の前身の湘南電気鉄道1930年、開業に伴う新規設計の新造車として神戸の川崎車輌兵庫工場に25両製造発注したセミクロスシート車です。京浜電鉄への乗り入れも考慮し、直流600V/1500Vの複電圧仕様で設計され、東京地下鉄道との直通運転も考慮して、第三軌条用のコレクタシューの取り付け準備も行われていました。

湘南電気鉄道は鉄道院副総裁や南満州鉄道総裁を歴任した野村龍太郎を中心に、横浜から南へ伸びて三浦半島を一周する電気鉄道として敷設が計画され1917年に免許申請(免許の上では1067mm軌間)、1925年に会社設立、1930年に黄金町-浦賀、金沢八景-湘南逗子間で営業運転を開始し、1931年12月に、黄金町-日ノ出町間が開業し、京浜電気鉄道と連絡、横浜駅への乗り入れを行った会社です。軌間は1435mm標準軌、電圧は直流1500Vでした。

一方、京浜電気鉄道1897年8月26日大師電気鉄道として、免許を得て、1898年に会社を設立し、1899年1月21日、六郷橋-大師間で営業を開始しており、4月25日に京浜電気鉄道に社名変更しています。

1902年には六郷橋-川崎間を開業し、1904年には全線標準軌から、東京馬車鉄道(後の東京市電)との相互乗り入れを考慮し、1372mm馬車軌間に改軌、1930年2月5日、高輪-横浜間が開業しました。1931年12月26日、横浜-日ノ出町間、野毛山トンネルが開通し、標準軌で日ノ出町まで延伸され湘南電気鉄道と、横浜-浦賀間直通運転を開始しました。

1933年4月1日、高輪駅を廃止し、品川駅に乗り入れ、全線を標準軌に改軌し、横浜-浦賀間相互直通運転を開始しました。

横須賀線は1889年6月16日に大船-横須賀間が開業し、このとき鎌倉、逗子、横須賀駅が開業しました。1909年、国有鉄道線路名称設定で横須賀線と命名され、1925年には電化されました。1930年3月15日、電車運転が開始され、1944年4月1日に横須賀-久里浜間が延伸開業されました。

こういった国鉄側の動きに対して京浜電気鉄道、湘南電気鉄道は合理化を迫られ、1941年11月に湘南半島自動車を含めた3社で合併して京浜電気鉄道となりました。その後、1942年8月には東京横浜電鉄が小田急電鉄とともに京浜電気鉄道を合併し、東京急行電鉄(大東急)となりました。

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現在、デ1形として復元され保存されている車両は湘南電鉄デ18京浜急行デハ248です。

1932年デハ71形として増備車が京浜・湘南相互乗り入れによる、品川-浦賀直通に合わせて汽車会社で71-82の11両が新造されました。2扉セミクロスシート両運転台車で京浜電気鉄道としては最初の鉄道線規格車両でした。それまでは写真の奥に見えるデ51形のような車両が走っていました。デ51形はこの後の記事で紹介予定です。

1936年、デ71形の増備車として、汽車製造会社で83-94の11両が製造されたのが京浜電気鉄道のデ83形で、戦時体制への移行、乗客増で全車ロングシート車として製造され、室内灯が2灯増設、妻面幕板中央に通風機が設置され、前照灯が屋根上に移設されました。

1939年、湘南電気鉄道ではデ1形の増備車として、26-31の6両が製造されました。これが湘南デ26形で、溶接工法を取り入れウィンドウ・シルのリベットがなくなり、屋根上の前照灯後部に流線型のケーシングが取り付けられました。

1940年、京浜電気鉄道ではデ101形として101-108の8両を汽車製造会社に発注し、京浜電鉄線内専用として600V3扉車を製造し、東京地下鉄道1000形電車とほぼ同じ外観となりました。溶接組立の使用範囲が拡大し、リベットが無くなった反面、在来車との混結の関係で弱め界磁付き自動加速制御器は搭載されず、戦時の影響で部品調達の関係からモーターの定格出力が低下するなどのスペックが下がった車両となりました。

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これらデ1,デ71、デ83、デ26、デ101の55両は昭和初期の京浜電鉄のイメージを大きく打ち破る軽量高速電車であり、京浜電鉄合併、大東急合併でデハ5230形およびデハ5170形に整理統合され、戦後京浜急行電鉄、分離独立次にデハ230形およびクハ350形へ改番されました。

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デ1号 説明板

現在、戦後230形として整理統合されたこれらの車両は、他に新宿区西落合のホビーセンターカトー東京にデハ268、埼玉県川口市の青木町公園にデハ236が保存されています。

この機会に、戦後のデハ230形について纏めようと思います。次回の記事では青木町公園のデハ236について記述し、最後にホビーセンターカトーのデハ268について触れようと思います。

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2015年6月15日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 6 Southwest Airlines part2

新しいシリーズをいくつか立ち上げているため、ひとつひとつのシリーズの周期が21日になって、前に何を記述したか,記憶から遠ざかりつつある状態ですが,前回のこのシリーズの記事ではアメリカの格安航空会社の祖であるSouthwest Airlinesの歴史について纏めました。さらに写真は旧塗装時代のBoeing 737をいくつか紹介しました。

N316sw_boeing_7373h4_cn23338_ln1232 N316SW Boeing 737-3H4 cn 23338 ln 1232 2002/1/17 SAN

標準塗装は2001年からこのCanyon Blue といわれる塗装になりました。さらにこの塗装も2014年からHeart といわれる新塗装に換わりつつあります。

現在のSouthwestのFleet Sizeは690機で9機発注中,3機発注計画中だそうです。機材の平均機齢は11.8yearsです。機材は全てBoeing 737で、45機は他社へ売却済み、57機はストア、46機はスクラップ済み、2機は破損して修復不能で、852機のBoeing 737がSouthwestのFleetとして関わったことになります。

タイプ別に見ると
-200   62機 
-300  195機
-500    25機
-700  463機
-800  107機   となっており、登録記号もそれぞれのタイプを反映する数字に出来るだけ合わせている感じです。

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N312SW Boeing 737-3H4 cn 23334 ln 1185 2003/1/15 SAN

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N508SW Boeing 737-5H4 cn 24185 ln 1932 2002/1/17 SAN

737クラッシックシリーズの中でもSouthwestではマイナーだった-500タイプ

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N701GS Boeing 737-7H4 cn 27836 ln 6 2002/1/15 SAN

lnの数字から分かるようにSouthwestは-700シリーズのローンチカスタマーであり、最大のオペレータでもあります。ln 1~4, 6, 12, 14, 15と初期の機体はSouthwestに納入されています。未だ、この頃はWingletは装備されていません。

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N431WN Boeing 737-7H4 cn 29845 ln 1259 2015/1/15 SAN

今年1月に写したものですが、2002年12月にデリバーされた機体で,既にCanyon塗装で登場したと思われます。Wingletは後から装着されたと思います。

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2015年6月14日 (日)

47年振りの東急世田谷線訪問 その4 デハ300形 305F

東急世田谷線で活躍中のデハ300形を1編成ずつ,見ていますが今回は305編成です。

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2014/2/7 山下

300形の車体はステンレス製で、編成質量は30.7t(15.35t x 2)、全長23,980mm(2両連結時)、全幅2,500mm、全高3,945mmです。定員は132名(座席は32名)となっています。折り畳み腰掛け、不使用時は28名になります。

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2014/2/7 三軒茶屋

305編成の塗色は公式にはチェリーレッドです。

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三軒茶屋出発 2015/2/14

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2015年6月13日 (土)

西武新101系 その8 白塗りワンマン車4連 1247F

西武新101系の4連、ワンマン改造車両を1編成ずつ、見ていますが、今回は1247Fです。

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白塗りになると同時に沿線の小学生から募集した四季をイメージしたイラストを纏い、「春」の装いとなった1247編成 2011/1/1 一橋学園

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同上

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一橋学園~国分寺間

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同上

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2012/4/28 所沢

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春の装いが解かれ、白一色になって多摩川線で活躍する1247編成  2014/9/14 武蔵境

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2014/9/27 白糸台


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2015年6月12日 (金)

電気機関車 EH500シリーズ プロローグ

拙blogではこれまで、EF510、EF200 などを1両ずつ見てきました。試作機901号機に始まり、81号機まで製造され、東北、青函、関東、さらに九州で活躍する「金太郎」ことEH500形電気機関車も、来年春に予定される北海道新幹線、函館開業で青函区間の架線電圧が25kVになることで、運用範囲が青森以南となり、仙台センター配置の車両が多く、九州地区に転属することが、予想されます。

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側面の金太郎マーク

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2車体の連結面 29号機 2013/5/25 大宮工場

Eh50038_100522  
車体間を繋ぐケーブル 38号機 2010/5/22 大宮工場

そこで、この機会にこれまで撮影したEH500の活躍の様子を901号機から順に紹介して行こうと思います。現時点で、全機撮影しており、常磐線名物の安中貨物も先日、70両全機撮影しました。常磐線コンテナ貨物があと2両程、未撮影ですが、EF510-500番台のときと同様に、同一地点で70両全機捕獲を目標にしています。

1997年に製造が開始された二車体永久連結方式でEH10形に次ぐ、8軸のEHタイプとなり、平成のマンモス機関車とも呼ばれています。

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交流区間では交流20kV, 50Hzもしくは60Hzを主変圧器から主変換装置に導き、主電動機を駆動し、直流区間では主変換装置のインバータ部を介して、交流誘導電動機を駆動します。主変換装置1台が2台の主電動機を受け持つ1C2M方式です。

主変圧器(FTM3)は送油風冷式で、2598kVAの容量を持ち、2基搭載され、主変換装置は沸騰冷却強制風冷方式で、IGBT素子を使用した3レベルPWM方式コンバータと3レベルPWM方式インバータで構成されています。

補助電源装置は容量150kVAのSIVで、主変圧器の3次巻線を電源とし、交流100V および直流100Vを供給します。直流区間ではインバータ部から救急される三相交流440Vを降圧、整流して電源としています。こちらも1両に2基搭載されています。

主電動機(FMT4)は1時間定格出力565kWのかご形三相誘導電動機で、短時間出力を4520kWに設定していますが、地上設備との兼ね合いで直流区間は3400kW程度、交流区間は4000kW程度に抑えられています。

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台車はEF210形量産車とおなじ軸梁式ボルスタレス台車のFD7F, FD7G, FD7H, FD7Iでヨーダンパを備えています。

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29号機から外された台車枠

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38号機の動輪  歯車比は16:82 (5.13)

駆動装置は1段歯車減速吊り掛け式

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パンタはPS22E形下枠交差式を2基搭載しています。

制動方式は発電ブレーキ併用電気指令式自動空気ブレーキで、発電ブレーキは停止と抑速の際に使用され、圧縮空気を供給するCPはFMH3015-FTC2000形を2基搭載しています。電動送風機はFMH3016A-FFK16形を搭載しています。

設計最高速度 120km/h 最高速度 110km/h
全長    25,000 mm
最大幅 2950 mm
全高  4280 mm  車体高 試作車 3650 mm 量産車 3711 mm
車両重量 134.4t

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保安装置は ATS-SF ATS-Ps ATS-PF ATC-L で写真は2007年に撮影した42号機ですが、ATS-Psは当時は搭載されていなかったようです。

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こちらも42号機ですが、製造はすべて東芝府中工場です。

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2015年6月11日 (木)

1989年のDüsseldorf Airport その33 Aeroflot Tu-154M part2

冷戦下の西ドイツ、Düsseldorf Airportで撮影した旅客機のシリーズ、今回もアエロフロートTupolev Tu154Mです。

Cccp85644_tupolev_tu154m_88a780_890 着陸するTu-154M CCCP-85644 88A780 1989/5/7

前回の記事でソ連~ロシアにおけるアエロフロート航空の歴史を見ましたが、その過程で登場したTu-134双発機を拡大発展させたのがTu-154と言われています。ホーカーシドレートライデントBoeing 727などと同じ3エンジン尾部集中装備方式で、初飛行から40年以上経過した現在でも少量ながら生産が続いているとのことです。

17のロシア以外の航空会社が購入し、幾つかの国の空軍では国家元首などが搭乗する政府専用機としても使用されています。

アエロフロートが初期のジェット旅客機Tu-104、4発ターボプロップAn-10、Il-18の後継機として要求した35,000-40,000ポンド(16-18トン)のペイロードを1770-2490マイル(2850-4000km) 900km/h の速度で、もしくは5.8トンを5800-7000km, 850km/hで輸送できる能力を有する飛行機との条件で開発が開始されました。Il-62が長距離対応に対してTu-154は中距離対応と位置づけられました。

Cccp85644_tupolev_tu154m_88a780_8_2 CCCP-85644

1968年10月4日初飛行に成功し、1971年5月からアエロフロートの郵便業務に、1972年2月から旅客運送に導入されました。これまでに1025機のTu-154シリーズが生産され、2009年12月14日時点で、214機が現役だそうです。2013年1月、Aviakor工場によると、最新のTu-154Mがロシアが防衛省に納入される予定で最新のアビオニクス、VIP対応設備、通信設備を備えたものだそうです。

Tu-154ではKuznetsov NK-8-2 エンジン(推力: 93.2 kN  (20,950lb))を装備していましたが、Tu-154MではSoloviev D-30KU-154 (推力: 103.6 kN (23,380lb)) になりました。操縦席には操縦桿があり、油圧でラダー等をコントロールする従来からの方式です。キャビンは6列、単通路方式で、2クラス方式で128名、シングルクラス方式で164名、最大限詰め込んで180名の定員まで変化できます。客用扉はBoeing 727やAirbusの同クラス機に較べて小さく、頭上の収納スペースもかなり狭いとのことです。

翼の設計も特徴的で後退角は35度とBoeing 727の32度に較べてもかなり大きく、通常の旅客機が上反角(dihedral)で胴体に付いているのに対して、下反角(anhedral)を持った構造となっています。尤もこの時代のソ連製の下翼機に多く見られた構造ですが。下反角の機体は横安定性は低いものの、ダッチロールに陥る危険性は少ない様ですが。

車輪も特徴的で、このクラスでは多めの6輪が主脚に付いており、タイヤの空気圧も低めに設定されているそうです。

クルーは機長、副操縦士、航空機関士の3名乗務で、最初はナビゲーター(通信士)も乗務していましたが途中で廃止されました。

バリアントは以下のようです。

Tu-154   
オリジナルタイプで42機が製造されました。

Tu-154A 
最初のupgrade versionで、1974年から製造されたタイプ、中央セクション燃料タンク、非常口の増設、エンジンは推力を高めたKuznetsov NK-8-2Uになりました。自動フラップ、スラット、安定板制御装置、アビオニクスの変更もありました。最大離陸重量は94,000kgに引き上げられため、定員が増えました。15の異なるキャビン内意匠が準備されました。

Tu-154B
オリジナルモデルやAタイプは就航後数年経つと翼に亀裂が入るトラブルに見舞われたので、1975年から製造されたBモデルでは翼が改良されました。胴体燃料タンクの増設、後部の非常口の増設、最大離陸重量の98,000kgへの引き上げが行われました。ICAO CatII自動着陸に値する自動着陸装置が装備されました。111機が製造されました。

Tu-154B-1
Bタイプの改良版でアエロフロートの国内線仕様として燃料システムやアビオニクスが改良されており、1977年から1978年にかけて64機、製造されました。

Tu-154B-2
B-1モデルの改良版でギャレイを撤去して、定員を160名から180名にしました。最大離陸重量は100,000kgになり、311機が製造され、VIP機も含まれており、数機が現役です。

Tu-154S
Tu-154やTu-154Bをベースにした貨物機バージョンで、胴体のポートサイド前方に貨物ドアが装備されました。Soviet PAV-3タイプのパレット9個を積載可能で、最大積載量は20tになりました。当初の計画では20機コンバートの予定でしたが、154から2機,154Bから7機のコンバートに留まり、1997年までに全機リタイアしました。

Tu-154M
1982年に初飛行し、1984年から量産されたモデルでエンジンは燃料効率の優れたSoloviev D-30KU-154 ターボファンエンジンになり、アエロダイナミクス、各部の再設計などで燃料効率は改善されました。最大離陸重量も100,000kgから104,000kgまで上がり、320機が量産されました。

Tu-154M-LK-1
宇宙飛行士トレーナーとして使われる機体です。

Tu-154M-ONMonitoring Aircraft
旧東ドイツ空軍が所持していたTu-154を観測機に改造したもの。Open Skies協定に基づく観測機としてドレスデンのエルベAircraft Plantが改造し、1996年からミッションに投入されましたが、24回の観測後、空中衝突事故で1997年に失われました。

Tu-154M-100
1994年に構想され、1998年に登場したバージョンで、西側のアビオニクス、フライトマネージメントコンピュータ、GPS, EGPWS(enhanced ground proximity warning systems:山などへの衝突を防止する装置)、TCAS(Traffic collision avoidance system:空中衝突防止装置)などを装備した機体で、157名の乗客を乗せ、キャビンには自動酸素供給装置や大きな頭上収納装置が装備されています。但し3機しか製造されませんでした。

ソ連や東側諸国製の兵器にNATO(北大西洋条約機構)はコードネーム(NATO reporting name)を付けており、これはアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国によって構成される航空機標準化調整委員会(ASCC)が命名しているそうで、航空機の場合戦闘機はF、爆撃機はB、輸送機旅客機はCで始まる単語で命名しています。

ソ連製の旅客機の場合
Camber     Il-86
Camel       Tu-104
Camp       An-8
Candid     Il-76
Careless   Tu-154
Cat         An-10
Charger   Tu-144
Clam       Il-18 (初代) 2代目は Coot
Classic     Il-62
Cleat      Tu-114
Clobber   Yak-42  などと命名されています。

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2015年6月10日 (水)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part6 EF81 114

本州内、大阪から青森までの区間をトワイライトエクスプレスの牽引に活躍したEF81 6両を番号順に見て参りましたが、今回は最後の114号機です。

Ef81_114_tle_030324
山崎を通過する8002レ 2003/3/24
山崎駅の上りホームで大阪方を向いて撮影していたらいきなり東海道上り、外側線を通過する列車がやって来て慌てて、苦し紛れに撮影したショットでした。

まず履歴を沖田祐作氏の機関車表データで見てみると
EF81114    三菱重工業三原工場=1980/1068= 三菱電機  1974-07-24 E100.8tBBB(1067)
   車歴;1974-07-24 製造→ 納入;国鉄;EF81114→ 配属;関西支社→
      1974-07-24 配置;敦賀二→1984-02-01 富山二→1986-11-01 敦賀→
      1987-04-01JR 西日本;EF81114→ 配置;敦賀運転所→
      1995-10-01 改称;JR 西日本福井地域敦賀派出所→
      2008-04-01 現在;福井地域鉄道部敦賀運転派出

前回の113号機とは製造所が日立と三菱で違い、こちらの方が2ヶ月ほど先に新製配置されていますが、その後の車生は2機とも一緒です。

Ef81_114_tle_060620
千里丘を通過する8001列車 2006/6/20

今ではここを定期で通過する機関車牽引列車がなくなりましたが、好きな構図でした。

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特急列車待避のため側線に入線する8002列車 2008/9/5 芦原温泉

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逆側のエンドにもHMが付けられていたことが分かります。

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直江津駅に進入する8002列車 2010/7/18

Ef81_114_tle_101210
東淀川~新大阪間をゆく8002列車 2010/12/10

Ef81_114_tle_110529_2
高岡駅に到着する8002列車 2011/5/29

Ef81_114_tle_110529_5
高岡駅停車中の114号機

このシリーズ、次回からは北海道でトワイライトエクスプレスを牽引したDD51を紹介致します。

ちなみに、この春からの旅行会社による特別なトワイライトエクスプレスですが、前回は琵琶湖を一周して、下関まで往復する山陽本線の「特別なトワイライトエクスプレス」運転をアップしましたが、夏からは「山陰コース」も追加されるようです。

・下り:大阪駅(10時5分)発~倉敷駅~(伯備線)~米子駅~(山陰線)~下関駅(14時50分)着
・上り:下関駅(10時37分)発~(山陰線)~米子駅~(伯備線)~倉敷駅~大阪駅(15時49分)着

編成は前回の記事と同じく、1~4号車がスイート・ロイヤル、5号車サロンカー、6号車食堂車、7号車乗務員室等、8号車電源車です。

運転日は
(1)山陽コース
・大阪発:7月11日(土曜日)、下関発:7月13日(月曜日)(主催:旅行会社 阪急交通社)
・大阪発:7月18日(土曜日)、下関発:7月20日(月曜日)(主催:旅行会社 阪急交通社)

(2)山陰コース
・大阪発:7月25日(土曜日)、下関発:7月27日(月曜日)(主催:旅行会社 JTB)
・大阪発:8月1日(土曜日)、下関発:8月3日(月曜日)(主催:旅行会社 JTB)
・大阪発:8月22日(土曜日)、下関発:8月24日(月曜日)(主催:旅行会社 JTB)
・大阪発:8月29日(土曜日)、下関発:8月31日(月曜日)(主催:旅行会社 日本旅行)
・大阪発:9月5日(土曜日)、下関発:9月7日(月曜日)(主催:旅行会社 読売旅行)
・大阪発:9月19日(土曜日)、下関発:9月21日(月曜日)(主催:旅行会社 クラブツーリズム)

となっています。情報はJR西日本のプレスリリース(2015/5/28)からです。
この夏の撮影旅行の日程調整にもこの情報は重要かも知れません。

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2015年6月 9日 (火)

西武電車フェスタ 2015 in 武蔵丘車両検修場 プロローグ

2015年6月7日 日曜日、西武鉄道武蔵丘車両検修場の公開イベント、「西武電車フェスタ 2015 in 武蔵丘車両検修場」に行って参りました。

150607

検修場入り口近くに貼られたイベントの横断幕 2015/6/7 武蔵丘車両検修場

 

西武鉄道のイベントは昨年11月の横瀬基地の公開に続いて2度目の参加で、武蔵丘検修場は今回初めての訪問でした。

前回の横瀬同様、つくばから東飯能まではJRの休日おでかけ切符、東飯能から高麗まで西武線、そこから徒歩でアクセスしました。

 

150607_2_2高麗駅前の様子 

 

この駅で下車したのは初めてです。

 

150607_4


この辺一体は668年に唐・新羅に滅ぼされて日本に亡命していた高句麗からの帰化人を朝廷がこの地に移住させた関係で高麗郷と呼ばれています。駅前にも高麗神社にちなんで朝鮮半島の道祖神「将軍標」が建てられています。

 

150607_3帰りは飯能駅までシャトルバスに乗車しました。

 

150607_2


武蔵丘車両検修場は西武池袋線東飯能-高麗間に位置しており、1989年11月16日に完成した武蔵丘信号場から分岐する1988年に電留線として開設された武蔵丘車両基地に併設されており、西武鉄道最大の車両検修施設です。一般公開は2002年から開始され、毎年6月に年1回のペースで開催されてきました。

 

Photo

パンフレット 外側

 

Photo_2


パンフレット 内側

入場中の車両は

 

2085_150607新2000系 2085F

 

32102_15060730000系 32102F

 

10006f_15060710000系 10106F 

 

などで、これらの運転台見学、屋根上見学、外された部品の展示、台車の展示、車輪の展示などでした。本編では、屋根上編、台車編、車輪編などに分けてご紹介しようと思います。

これまで、いろいろな鉄道会社のこういったイベントに参加して来ましたが、今回は車両の撮影を中心としたものではなく、まさに車両工場における検査修理中の車両や各種部品をじっくり見せて貰うことが出来たと感じました。

車両撮影もありましたが、時間が30分と短く、参加者多数と予測されたので、諦めました。その甲斐あってか(笑)、飯能駅で西武線の写真を撮っていたら

10105f_rac_150607


まず 12:02 着の上り ちちぶ24号でRED ARROW CLASSIC 10105Fが到着

 

6000_6157_150607続いて 12:27着の 1709 快速急行で黄色い6157Fが到着

 

9000_9103_150607さらに 12:31着の 4125 準急で京浜急行塗装の9103Fが到着しました(この写真は出発のシーン)。

偶然なのか、あるいはイベント客のために用意されていたのかは不明ですが、まさしくこちらは色物大集合状態でした。

久しぶりの西武鉄道訪問だったので、この後、課題の白くなった新101系4連1261Fを撮影に萩山駅を訪問しました。昨日は萩山~多摩湖間の運用に入っていました。

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2015年6月 8日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 27 南武線 part2

通勤電車103系、武蔵中原電車区の103系の配置を見ながら、あの頃の103系を振り返っていますが、前回の記事では中原区の初期の103系は京浜東北~三鷹区~豊田区と流れてきたクモハとクハ103-500番台を先頭とする編成ばかりで、低運転台タイプのクハ103 0番台は一台も配置されませんでした。

103_17_030321 1990年代初頭からはクハ103基本番台 高運転台タイプが配置され、がらっとイメージが変わった南武線103系 17編成 2003/3/21 府中本町

その後も京浜東北線で活躍した先頭車がナハに転属します。1986年から1993年にかけて
クモハ103-65, 66, 67, 70, 71, 90, 103, 107, 112, 116, 130, 131
クハ103-552, 558, 565, 571, 575, 583, 584, 587, 588, 593, 595, 603

などが、京浜東北線関係区(浦和、蒲田区)から直接、もしくは豊田区を経由して転属しています。これらの中には再度、転出した車輌もあれば、このまま中原区で廃車になった車輌もあります。

103_21_030426 103系 21編成 2003/4/26 川崎

一方で、山手線に205系、京浜東北線に209系が投入され始めるとATC化で大量に投入された0番台高運転台タイプのクハが転入してきます。

1993年4月1日付けの編成表データでは既に205系の配置も始まっていますが、103系のデータを抽出すると

19930401_103 1993年4月1日の中原区103系 編成表

当時の編成番号はが209系編成、2~16が205系編成、17~31が103系編成に割り振られていました。また鶴見線用 Mc M' T'c の3連がT1~T10 と配置されていました。他に南武支線用101系2連が3編成、大川支線用クモハ12が2両配置されていました。

103系編成の場合、4号車のM車が弱冷房車となっていました。

103_24_011231 24編成 2001/12/31 尻手

20020401_103 2002年4月1日付けの 中原区南武線用103系編成表
クモハ+クハの6連編成はなくなり、全て両端クハ高運転台タイプの編成となり、モハも年式の新しい車輌に置き換わっています。

103_29_011231 29編成 2001/12/31 尻手

その後、205系の転入、サハ205改造のクハ205-1200番台も加わり、2004年12月16日に営業運転を終了しました。

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2015年6月 7日 (日)

San Diego Trolley 2000形 part2

San Diego Trolley 2000形の2回目です。

2006_040114_5th_street
2006を最後尾にした2000形3編成併結編成 2004/1/14 5th Street

以前はこうした編成が頻繁に目撃出来ましたが、2015年1月の訪問では,2000形も殆どBlue line専用もしくは、4000形の間に挟まっての運用に限定されていました。

2007_150110_12th_imperial_tc
2007編成 2015/1/10 12th & Imperial TC

2008_090114_fvtc
2008編成と3000形の併結編成 2009/1/14 Fashion Valley TC

乗降客の少ない時間帯、Green Lineではこういった2併結編成が活躍していました。

2010_050117_5th_str
2010編成 2005/1/17 5th Street

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2015年6月 6日 (土)

長良川鉄道 2014/8/11 乗車レポート

2014年8月、京都・滋賀・岐阜・愛知旅行の一環で岐阜県美濃市を訪問した際、美濃太田-美濃市間の往復は長良川鉄道を利用しました。今回はその様子を記事に纏めようと思います。

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関駅の駅名標 2014/8/11

長良川鉄道は岐阜県、郡上市などが出資する第三セクター鉄道で本社は関市にあります。

関市といえばなんと言っても刃物で有名ですが、鵜飼(小瀬鵜飼)、さらに290体以上の円空像があることでも有名です。ちなみに歌川広重の東海道五十三次に出てくるは現在の亀山でこちらとは全く関係がありません。

路線は元国鉄越美南線で、1923年(大正12年)10月5日、美濃太田-美濃町間が開業したのが始まりでした。その後、徐々に延伸され、1934年8月16日、美濃白鳥-北濃間が開通し、現在の路線が出来上がりました。

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当初は岐阜県と福井県を結ぶ越美線として、美濃太田から越前花堂(南福井)を結ぶ計画でしたが、北濃駅-九頭竜湖間約24kmは急峻な山越え区間となり、工事が中止され、1986年12月11日、越美南線は第三セクターの長良川鉄道に移管され、越美北線は1987年4月1日の国鉄分割民営化でJR西日本に継承されました。未開通区間は国鉄バス大野線が先行路線として走っていましたが、JR東海バスに移管後、2002年10月1日に廃止されました。

この区間を地図で見ると越美北線の九頭竜湖駅から、九頭竜湖に沿って国道158号線(美濃街道)が東に延びており、福井-岐阜県境の油坂峠を越えるあたりから、越美南線の大島駅付近までのルートが400m位の高低差を克服しなければならないことが想像されます。

油坂峠の新道は大きくループを描いて建設されていますが、鉄道の場合は費用対効果を考慮するとなかなか大変なことが分かります。

美濃太田-北濃間 路線距離 72.1km
軌間 1067mm
駅数 38 (起終点駅を含む)
全線単線、非電化
閉塞方式 
美濃太田-美濃白鳥 特殊自動閉塞方式(電子符号照査式) 
美濃白鳥-北濃 スタフ閉塞式

1986年の転換時に富士重工製のLE-Carシリーズの軽快気動車であるナガラ1形が用意され、1987年までに12両体制となり、さらに1994年ナガラ200形が1両増備されました。

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樽見鉄道 ハイモ230-300形 2009/3/22 大垣

ナガラ1形もこの車両と同様の15m級両運転台車でした。
前面は非貫通で、下の写真のナガラ503のような塗装で、座席はロングシート、定員98名 エンジンは直噴式ディーゼル230PS/1900rpm

これらは現在は老朽化で殆ど廃車されており、現在の主力は1998年から同じく富士重工で製造されたナガラ300形、さらに2007年、2009年に増備された新潟トランシス製のナガラ500形となっています。

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ナガラ304 2009/3/22 美濃太田

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ナガラ303 車内 2014/8/11

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美濃市に到着したナガラ502 2014/8/11

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こちらは交換で美濃市駅を出発するナガラ503 2014/8/11

ナガラ300は16m級車体で、セミクロスシート 定員102名 エンジンは295PS/2100rpm

ナガラ500はオールロングシート エンジンは300と同じです。

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帰りの列車は途中、関駅で併結車両の解放操作を見ることができました。

他に1992年観光用トロッコ列車用として、(NTB形(209)保線用モータカー改造・ながら3形(3001, 3002)旧国鉄ヨ8000形改造・ながら5形(5001, 5002)旧国鉄ヨ6000形改造・ながら7形(7001))トキ25000形改造 が登場しましたが、軌道が悪かったため、2003年に脱線事故を起こし、運転が取りやめとなり、廃車されました。

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美濃市から美濃太田までの切符は今時珍しい、硬券でした。

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列車の運行頻度はほぼ1時間に1本のようでした。

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2015年6月 5日 (金)

うだつの上がる美濃の町並散策

5月15日の記事で、世界のどこかで今年は重大事故がよく起こっているという内容の文章を書きましたが、またしても今度は中国、長江で500名近くの乗客を乗せた遊覧船が竜巻で転覆するという事故が起きてしまいました。昨年4月の韓国珍島でのセウォル号の事故を思い出しますが、なぜか今回も乗員が乗客よりも先に脱出し、救助されているようですね。さらに船の就航後の度重なる改造が問題となっています。

そうかと思えば、6月3日、午後1時25分頃、那覇空港で札幌に向けて離陸滑走中だった、NH1694便B737形機(乗員乗客83名)が離陸滑走し始めたところ、航空自衛隊のCH47形ヘリコプターが管制官の許可なしに離陸し、あわや空中衝突となりそうになり、全日空機が離陸を中止しました。さらにその滑走路に着陸進入中だったJTA610便、B737形機(乗客乗員44名)が着陸し、全日空機に急接近するインシデントとなりました(関連記事)。

遡ると5月22日、JR九州の肥前竜王駅で待避線に入っていた上り「かもめ20号885系に同駅ですれ違うことになった下り「かもめ19号787系が同じ待避線に進入し、あわや衝突しそうになるというインシデントもありました。

こちらは「かもめ19号」で12時20分頃、異常音感知トラブルが発生し、点検をしたのが始まりで、その際の停止位置が実際は鳥栖から49.16kmの地点に停止したのを車内モニターの表示から49kmと報告し、列車指令もこの報告を鵜呑みにして停止信号まで余裕があると判断し、点検終了後、信号まで進めて、その後、分岐器を本線側に切り替えるつもりで、列車に前進の指示を出してしまったミスだったようです。実際には信号を過ぎており、そこから前進したため、列車は分岐器を超えて、待避線に進入し、「かもめ20号」に93mまで接近する事態となったとのことです(関連記事)。

結果的には両方とも人的被害の無いトラブルですが、一歩間違えば大惨事になるところでした。

今回は先日の名鉄旧美濃駅に続いて美濃の町並みの散策です。

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昼下がりのうだつの上がる町並みの光景 2014/8/11

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長良川鉄道 美濃市駅の観光案内表示

Photo_2 観光協会でもらったパンフレットの地図

地図にあるように長良川鉄道の美濃市駅から旧名鉄美濃駅の前を通り、400m位道なりに進むと「うだつの上がる町並み」に入ります。

そもそも うだつ とは日本家屋に取り付けられた小柱、防火壁で昔は「梲」と書いたそうで、平安時代は「うだち」と言っていたそうですが、室町時代以降、「うだつ」と訛ったそうで、漢字も現在は卯建、宇立といった字が当てられています。
本来は防火壁として作られたものですが、江戸時代中期以降、装飾としての意味合いが濃くなり、上方を中心に商家が財力を誇示するために競って立派なうだつを上げたそうです。

なお、うだつのある町並みは徳島県美馬市脇町南町、つるぎ町、長野県東御市海野宿などにも保存されています。

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旧今井家住宅は市の指定文化財であり、美濃史料館にもなっています。

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坂道に対応して家々が徐々に高さをずらして行くのが分かります。

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番屋といえば江戸時代の消防、自警団の詰め所といった場所ですが、こちらは観光協会のオフィス兼お店となっており、美濃和紙のおみやげなどが置いてありました。

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最近はどこでもゆるキャラばやりですが、こちらにも 美濃市ゆるキャラ うだつくんがいます。

観光協会のWEBサイトの説明を読むと、1989年に最初のゆるキャラが誕生しましたが、1994年頃から下火となり、2008年に再登場し、2009年ゆるキャラアワードにノミネートされ準グランプリに輝いたそうです。

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あちこち歩いて些か疲れた頃、町並みのほぼ真ん中あたりに甘味処があるのを発見

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いつ以来か記憶にはありませんが、久しぶりに「宇治金時ミルク」のかき氷を楽しみました。ちょうど¥500でした。

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再び、駅まで歩いて戻り、

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駅構内はかつての国鉄時代を彷彿させてくれるような光景です。

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ホームには和紙の街だけあって紙のアート作品が展示されていました。

昨年、2014年和紙として2009年に登録された石州半紙 (島根県浜田市三隅町)、小川和紙(細川紙:埼玉県比企郡小川町、秩父郡東秩父村)とともに美濃紙はユネスコ無形文化遺産に登録されました。

美濃和紙は1300年前から生産されており、正倉院に保存されている戸籍用紙として残されています。また写経用の紙としても美濃国不破郡垂井に置かれていた国府に紙屋(製紙工房)があったそうです。

元々、美濃国は和紙の原料である良質の楮(こうぞ)が多く採れたたため、製紙業が発達したそうです。

長良川鉄道の様子も記事にする予定です。

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2015年6月 4日 (木)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 8 1000形(二代目)

2014年12月の旅行で撮影した広島電鉄の電車、今回は最新の連接車で2013年から運用を開始した1000形(二代目)です。

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1001号車 2014/12/18 本川町
この塗装は開業当初の初代100形をイメージしたアニバーサリー・レッドと称するオリジナル塗装で、中央部に100周年の祝杯をモチーフにしたアクセント塗装が施されています。

初代の1000形は宮島線用高床車(広島瓦斯電軌)C形として1922年に2両導入され、1939年に1000形に改番されました。C形1号車は1000へさらに1951年に1001に改番され、さらに1018として1966年廃車となり、2号車は千田町車庫火災で被災後、1941年に1041号として復旧し、1980年まで在籍しました。

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広島駅前に進入する1004号車 2014/1219
こちらは標準色です。

2012年8月24日に広電は運賃の値上げを発表し、それに合わせて124両の車両のうち48編成が製造から45年以上経過しているので、2027年までに40編成を超低床式車両に置き換えたいと発表しました。このあたりの流れはSan DiegoのTrolleyと似ております。さらにこれまで超低床車両が運行されていなかった白島線や横川-江波間において2013年1月から2月を目途に短い編成の超低床車両を導入すると発表しました。編成の車番が1000番台に、愛称が1001号をPiccolo、1002号をPiccolaとすることが発表され、2013年1月8日に1001号車が三菱重工業三原製作所から搬入、下旬に1002号車も搬入されました。

2013年度は3編成まで導入され、3編成から愛称はGREEN MOVER LEX (Light Excursionからの造語)となりました。2015年2月までに8編成が投入されています。最初にサイズの大きい超低床車両が導入され、その後、小さい超低床車両が導入されているところもSan Diego Trolleyの3000形、4000形の流れとよく似ています。

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1005号車 2014/12/18 本川町

製造は近畿車輛・三菱重工業・東洋電機製造が担当し、広島電鉄との共同開発で5100形に続くJTRAMシリーズとのことです。定員は86名、着席定員33名で乗車口を中央部に、降車口を運転席前方に設置しました。5100形の5車体3台車に対して、3車体2台車の連接構造になっています。上の写真のように、中間の車体は両端の車体に支えられて浮いた状態になっています。

車掌台は設置されておらず、ワンマン運転を前提とした設計となっています。

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2015年6月 3日 (水)

保存施設と車両 名鉄旧美濃駅 part1

今回は旧名鉄美濃町線、美濃駅の施設と保存車両です。

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美濃町線廃止後も駅舎と車両がしっかりと保存されている旧美濃駅 2014/8/11

昨年8月の京都、滋賀、岐阜、愛知の旅行で初めて訪問しました。

2014/8/11
12:15 岐阜 721C列車 12:49 美濃太田 12:54  9列車 美濃市 13:25 といった旅程でした。

このルートで岐阜から来ると三角形の2辺を通って来るようで随分遠く感じるのですが、実際の美濃町線は岐阜市内から、現在の国道156号や248号に沿って敷設されていたので、ほぼ直線的に美濃市に来ており、距離的にも25km弱だったようです。

我が国の路面電車で25kmは長い方ですが、San Diego TrolleyBlue Lineと距離的にはほぼ同じです。岐阜市内は路面電車、そこから先は郊外電車の性格を持った路線でした。

全線 直流600Vで電化され、軌間は1067mmでした。後に新岐阜まで乗り入れた際に、田神~新岐阜間は1500Vとなり、晩年は直通の複電圧車が導入されました。

その歴史を辿ってみると、

5_140811
現在の岐阜神田町5丁目の交差点 柳ヶ瀬の商店街のすぐ横 2014/8/11

1911年(明治44年)2月11日 神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)-上有知(こうづき:後の美濃町)が美濃電機軌道によって開業されました。4月1日には上有知駅を美濃町駅に改称しています。7月24日、美濃町駅が移転しています。

1915年 神田町駅を美濃電柳ヶ瀬に改称しました。

1930年8月20日 名鉄が美濃電を合併 美濃町線となりました。

1950年4月1日 岐阜柳ヶ瀬-梅林間を廃止し、徹明町ー梅林間の新線開業。
          美濃町線の起点を徹明町に変更

1970年6月25日 新岐阜駅に美濃町線電車が乗り入れ開始

1999年4月1日 新関-美濃間6.3kmを廃止。
     旧国鉄越美南線、長良川鉄道との重複区間で経営的にも苦しかったようです。

2005年4月1日 徹明町・新岐阜-関間18.8kmが廃止され全廃

と、私も岐阜の路面電車の一部が美濃の方まで行っているという認識はあったのですが、現役時代一度も訪れることなく廃止されてしまいました。

美濃町線現役時代の貴重な記録は こちらに。
美濃町線廃止前後の沿線の様子の変化は こちらに。

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美濃町線の歴史が記された石碑

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旧駅舎内には往事の列車時刻表も残されています。

朝夕のラッシュ時は15分に一本、日中は1時間に1,2本の運転だったことが分かります。急行も何本か運転されており、急行の運転開始は1970年6月25日の新岐阜乗り入れ開始からで、1975年9月16日には廃止となったようです。

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ホームにはモ512、モ593、モ601とモ876のカットボディも展示されています。尚、モ512は2015年3月から1年間期間限定で黒野駅レールパークに貸し出し展示中とのことです。

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展示車両達

これらの車両については別の記事で。

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2015年6月 2日 (火)

九州鉄道記念館訪問 その5 EF10 35号機

2004年10月の九州鉄道記念館訪問の記録、今回はEF10 35号機です。

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EF10 35号機 九州鉄道記念館 2004/10/17

EF10形は鉄道省が1934年から製造した貨物用直流電気機関車であり、それまでの輸入機から国産の大型貨物用機関車第一号として登場した機関車でした。設計は1932年に登場したEF53形を基本にしています。

全長:18380mm
全幅:2810mm
全高:3940mm
重量:97.52t

主電動機:MT28(225 kW)×6
1時間定格出力:1350 kW
1時間定格引張力:11700 kg
1時間定格速度:30.0 km/h
最高速度:75.0 km/h

動力伝達方式:歯車1段減速、吊り掛け式
制御方式:抵抗制御、3段組み合わせ制御、弱め界磁制御
制御装置:電磁空気単位スイッチ式
歯車比 20:83 = 1: 4.15
ブレーキ方式:EL-14A空気ブレーキ、手ブレーキ

1934年から1941年にかけて、日立製作所・汽車製造・三菱重工業・川崎重工業・日本車輌製造で41両が製造されました。貨物機ということで歯車比を牽引力重視の低速形とし、最高速度が低いことから先従台車を1軸式のLT112・113としました(二次車からLT113)。

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1977年9月23日 富士駅で撮影した28号機のLT113台車周り
ブレーキシリンダーからテコを介して、基礎ブレーキ装置に伝達される様子が如何にもメカを感じさせてくれます。

長期にわたって製造されたことから製造年次による形態の変化もあり、

Ef10_13_770923
身延線で晩年活躍したEF10 13号機 1977/9/23

Ef10
番号不明ですが、新鶴見機関区の転車台そばに1次形がいたのを撮影しました。

1~16号機 EF53形に準じ、リベット組立された角張った車体 1次形は1934年度製で1934年の丹那トンネル開通、沼津電化のために製造されました。

17~24号機 丸みの強い溶接構造の半流形車体 2次形は1937年、1938年度製造です。

Ef10_28_770923
EF10 28 1977/9/23 富士

25~41号機 簡素な角形車体 1940年度以降はこの形態となりました。言うなれば、1次形はEF53のスタイル、2、3次形はEF56のスタイルで、私も瀬野八で撮影したEF59の写真を見較べてEF10のスタイルを思い浮かべました。

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旧形電機の場合、台車の上に車体が乗る構造となっており、その接点が軸梁と心皿
3軸のHT56台車の心皿上に茶色の車体が乗っています。

台車も製造時期で変化しており、おおくは棒台枠構造のHT56ですが、17,20~24号機はHT57, 30~33号機はHT58 いずれも住友金属工業製の一体鋳鋼台車を履いていました。これらの一体鋳鋼台車は剛性は高かったものの、台車搭載機器の整備性に難があったことと、製造メーカーが住友に限られていたこともあって、大量制式化には至りませんでした。

本州と九州を結ぶ関門海底トンネルが1942年に完成し、下関~門司間は直流電化されたため、EF10形が投入されることとなり、25号機以降は当初から重連運転用に総括制御装置装備で落成し、既存の22-24号機も門司機関区転属後に同装備が追加されました。ただ、使い勝手が悪かったためか、実際には使用されなかったようです。

海底トンネル特有の漏水、塩害に対応するためにまず空転防止措置として、5t程度の死重の搭載、そして防錆措置として1953年以降、外板をステンレスに張り替える改造を受けました。24・27・35・37・41号機の5両がその改造を受け、24号機以外は標準のぶどう色に塗装されましたが、24号機は銀色のまま無塗装となりました。

1961年6月1日鹿児島本線門司港~久留米間が交流60Hzで電化され、門司駅手前(旅客)、小倉方向(貨物)に交直セクションが設置されることになり、交直両用のEF30形が投入されることとなり、EF10形は撤退し、新鶴見・沼津・稲沢第二・吹田第二の各機関区に転属し、東海道本線などで使用されました。無塗装であった24号機も、新鶴見機関区へ転属した直後に塗装されました。

1965年までに全機関東地区に転属し、国府津機関区・新鶴見機関区・八王子機関区および東京機関区に配置されて、首都圏の各線で区間貨物列車を中心に使用されました。

わたしもこの頃から、山手貨物線などで活躍するEF10を撮影し始めました。

晩年は甲府、豊橋などに転属し、身延線や飯田線で貨物列車牽引に活躍しました。

関門トンネルにゆかりの35号機ですが、その経歴を沖田祐作氏の機関車表データを見てみると

EF1035     汽車大阪=2671/306200-2= 東芝鶴見工場   1941-12-10 E104.50t1CC1(1067)

   車歴;1941-12-10 製造→ 納入;国鉄;EF1035→ 配属[鉄運乙1907];東京局→
      1941-12-08 竣工→1941-12-11 発;府中駅→1941-12-11 到着;国府津→
      1941-12-12 配置日[鉄運乙1907 所載の配置日]→1942-10-29 国府津発→
      1942-10-31 着;門司→1953-10-00 門司区開設80 年記念展示→1961-09-03 稲沢二→
      1964-08-06 長岡二→1965-08-28 東京発→1965-08-29 東京→1977-02-23 東京発→
      1977-02-24 豊橋→1978-10-03 二休;保管;門司→1978-11-21 廃車;豊橋→
      保管;門司区→ 保存;福岡県北九州市門司区「大里不老公園」;EF1035

1941年12月10日、ハワイ真珠湾攻撃の2日後に東芝鶴見工場で誕生しています。やく1年間、国府津機関区で働いた後、門司区に転属しています。1961年9月に門司を離れ、稲沢二区に異動、さらに長岡区、東京区と移り、1977年に豊橋区へ、1978年廃車後は、門司区に保管、大里不老公園に展示の後、九州鉄道記念館に移されました。

Ef10_35_7608
35号機 東京機関区時代 山手貨物線 巣鴨で一休みする光景 1976/8

ステップが白く塗られているのは東京機関区所属機の特徴

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かつて南武線の西国立に立川機関区がありましたが、そこでEF10 39号機が休んでいる光景も目にしたことがありました。

Ef10_35_041017_6
Ef10_35_041017_8
区名札は大里機関区の「里」となっていますが、35号機が門司に転属した頃はすでに門司機関区でした。

貨物用F型直流電機はEF10に続いて勾配用に電力回生ブレーキを付加したEF11形1935年から1937年にかけて4両製造されました。主電動機をMT39に変更し、出力アップしたEF12形1941年から1944年にかけて17両製造され、太平洋戦争中の1944年から敗戦後の1947年にかけて、戦時形として工作を簡略化したEF13形が31両製造されました。

EF14形EF52形の高速版として製造されたEF54形が貨物用に転用された際の形式名として使用され、旧形F型貨物機の最終版、標準版となったEF15形が登場したのは1947年のことで、同形式は1958年までに202両製造されました。

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2015年6月 1日 (月)

東海道新幹線開業から50年 その17 700系 JR西日本B, C編成

1964年10月の東海道新幹線開業から50周年を迎えた昨年秋から、東海道・山陽系で活躍してきた車輌系列に従って、見てきましたが,今回はJR西日本に属する700系です。

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B編成をアピールしている運転台下のシンボルマーク 2015/5/3 東京

これらにはJR西日本が独自に製造した3000番台、B編成とJR東海が製造し、300系置き換えのため、2011年度にJR西日本に譲渡されたC11~C18編成と前回の記事で紹介した7000番台、E編成があります。

7003000_b2_150503_2
東京駅で折り返すB2編成 2015/5/3

JR西日本は500系投入後、0系ウエストひかり」のグレードアップをはかり、2000年には700系7000番台ひかりレールスター」を投入しました。東海道・山陽直通の「ひかり」には100系300系が混用されていましたが、最高速度に差があることから100系の置き換えのために700系が投入されることになりました。

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B5編成 2015/5/3 東京駅 リフティングジャッキで車体を持ち上げる際に腕が入るための穴があるのもB編成の特徴

700系B編成3000番台として、2001年に登場しました。基本性能はC25編成以降の後期車に準じていますが、300系のときと同様にインテリアに独自性が出されました。シートは500系のものが導入され、モケットの色もC編成の普通車がブルー系なのに対して紺系、グリーン車はブラウン系になりました。東海の車輌が明るいインテリアとすれば西日本の車輌は落ち着いたインテリアとなりました。

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田町付近をゆくB11編成 2015/5/10

走行系機器類、車内設備の部品は500系や700系7000番台と共通化をはかり、台車もC編成がTDT204、TTR7002 コイルバネ併用円筒積層ゴム式ボルスタレス台車であったのに対して、WDT205A、WTR7002 軸梁式ボルスタレス台車となりました。歯車比も500系と同じ2.79 (0番台は2.96)であるため、加速特性が異なるので制御装置側で調整しています。

行き先表示器はC編成が幕式であるのに対してB編成は3色LEDによる電光式になりました。

15本製造され、その製造年次は以下のようでした。
B1~B3 2001年
B4~B7 2002年
B8~B12 2003年
B13 2004年
B14、B15 2005年

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東京駅に到着するC13編成 2015/5/3

JR東海からJR西日本に譲渡され活躍中ですが、B編成のようなロゴはなく、またジャッキアップ用の穴を開ける改造もなされていません。

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横帯下の表示がJR西日本になっている点のみが変化です。

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