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2015年7月31日 (金)

尾久車両センター公開 2014 その12 EF65 1115号機

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、今回は11月15日だったから1115号機が展示されたのかどうかは、分かりませんがまさにブルトレブームの頃、東京機関区にあって連日連夜、東京発ブルートレインを牽引したEF65PFタイプ第7次車グループの1両 EF651115号機です。
Ef65_1115_141115 「はやぶさ」のHMをつけて展示されたEF65 1115号機 2014/11/15 尾久車両センター

1115号機を含む第7次車1092号機から1118号機は昭和52年度第一次債務予算で、紀勢本線電化開業、および旧形機関車陶太を名目に製造されました。本来の目途は台枠に亀裂が見つかったP形の置き換えであり、P形の場合と同様に番号の若い4両、1092-1095号機が下関運転所に、1096-1116号機の21両が東京機関区に、1117、1118号機の2両が新鶴見機関区に配置されました。

沖田祐作氏の機関車表から履歴データです。

EF651115    川崎重工兵庫工場=606/= 富士電機       1978-08-23 E96tBBB(1067)
   車歴;1978-08-23 製造→ 納入;国鉄;EF651115→ 配属;関東支社→
      1978-08-23 配置;東京→1985-03-14 新鶴見→1986-11-01 田端→
      1987-04-01JR 東日本;EF651115→ 配置;田端運転所→
      2003-04-01 現在;田端運転所→2008-04-01 現在;田端運転所

Ef65_501_ef65_1115_141115_5 EF65 501号機と並ぶと同じEF65とは思えないほど、両車のイメージが異なることが分かります。逆側のエンドは丸「富士」HMでした。

東京区、下関所配置車は重連や寒冷地運用はないため、配置直後から保守合理化のため、スノープラウや汽笛カバー、ホース類が外され、砂撒き管ヒーターの配線もカットされました。

Ef65_1115_000000 24系25形「あさかぜ」を牽引 1979/1/2 保土ケ谷

Ef65_1115_801208_2 両側HMで「出雲」を牽引して東京駅10番線到着後、機回しへ 1980/12/8 

この日は京都で学会が開かれるために、新幹線に乗車するために東京駅に到着し、ついでに「出雲」を撮影しました。元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークで射殺されたニュースに接したのは、この旅行の途上でした。

Ef65_1115_000000_2 品川から「富士」の回送列車を牽いてきて、13番線に設置後、11番線を通って機回しする1115号機

1985年4月の改正で「はやぶさ」にロビーカーが連結されることとなり、EF65PFでは速度維持が不可能と判断され、「出雲」「瀬戸」を除いた九州ブルートレインはEF66の牽引となりました。

Ef65_1115_040508 2004/5/8 グレードアップされた「出雲」を牽引して有楽町を通過

Ef65_1115_050823 千里丘を通過する急行「銀河」 2005/8/23

Ef65_1115_060211 新座駅に接近する専貨列車 JR貨物に貸し出し 2006/2/11

Ef65_1115_061118 2006/11/18 銀河を牽引 岸辺
屋根上の台形の突起(扇風機?)はこの頃から。

Ef65_1115_100403_0 2010/4/3 12系で組成された団体臨時列車を牽引して大宮に接近

Ef65_1115_110923_3 八丁畷方向からやって来て鶴見で新川崎方向へ折り返す単機 2011/9/23

Ef65_1115_130525_3
2013年の大宮センターの公開でも展示されていました。

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2015年7月30日 (木)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 16 D52 468号機

2014年8月10日の京都梅小路蒸気機関車館訪問、今回はD52 468号機です。

D52_468_140810 D52 468号機 2014/8/10 梅小路蒸気機関車館

D52形蒸気機関車は1943年から1946年の太平洋戦争中から終戦にかけて製造され、492番まで番号が割り当てられましたが、実際は285両が製造されました(関連記事)。その中でこの468号機は、三菱重工業に割り当てらレ、落成した最終ナンバーであり、D52形式の最終ナンバーとなりました。

D52_468_140810_6 ボイラーが大きく石炭、水の消費量も多いためテンダーもかなり大きく感じます。

沖田祐作氏の機関車表からその履歴を見てみると、

D52468     三菱重工業三原工場=502           1946-02-19 S84.30t1D1T(1067)
車歴;1946-02-19 製造→ 納入;国鉄;D52468→1946-05-02 配属[達178];名古屋局→
      1946-05-02 配置;沼津→1946-05-02 使用開始→1946-00-00 現在;沼津→
      装備改善(浜松工場)→1954-09-25(9/19?)吹田→1954-00-00 集煙装置取付→
      1956-11-06 姫路一→1960-01-00 旋回窓取付(左側)= 苗穂工場→
      1960-09-30 発10-08(10/1 着)五稜郭→
      1960-12-10(12/6?)耐寒工事施工/ 集煙装置撤去(苗穂工場)→
      1967-03-04 函館線落部ー野田生間にて453 列車運転中崩落土砂に乗上げ脱線転覆→
      1969-03-00 旋回窓取付(右側)→1972-09-26 発(10/1 着= 書類上は9/27)梅小路→
      1979-03-28 廃車;梅小路→ 保存;京都府JR 西日本「梅小路機関車館」;D52468
      (最終走行距離=2,459,731㎞)

誕生は終戦から半年後の1946年2月19日でした。新製後、3ヶ月して沼津に配置され、御殿場線で活躍、1954年からは吹田、姫路と山陽線に活躍の場を移し、同線の電化で1960年から北海道、函館本線に活躍の場を移し、1972年に梅小路に来ています。

D52_468_140810_9 キャブサイドには昭和27年改造 浜松工場の銘板が
機関車表のデータにも出てくる”装備改善”かとおもわれます。

D52_468_140810_34
焚き口から火室の中を見ることもできます。4本のアーチ管やそこに積まれた耐火煉瓦を見ることもできます。

D52_468_140810_44
ストーカーも設置されています。

D52_468_140810_49
押しつぶされたようなドームもD52の特徴です。

D52_468_740929_2 40年前のD52 468号機 1974/9/29

現在、保存されて残っているD52でまだ実機を見ていないのはJR貨物広島車両所の1号機ですので、機会があれば是非見てみたく思います。

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2015年7月29日 (水)

小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 3 200系250系 

東武スカイツリーライン、小菅付近の複々線を行く数多くの車輌達、今回は200系250系です。

200_120901_5 200系 りょうもう 2012/9/1 五反野

下枠交差形のパンタから200系201-206編成のどれかまではわかります。

このシリーズの番外で、7月18日にはスペーシア106編成が「日光詣」第二号としてデビューし、早速撮影しに参りましたので、100系の話題から200系の話題に移れます(笑)。

東武200系は急行列車「りょうもう」用として、それまで使用されていた1800系の置き換えのため、1991年2月1日より、運用を開始した車両です。

200系登場のきっかけは、1984年8月のダイヤ改正で赤城・伊勢崎方面への需要の増加に対して、輸送力増加を運行本数増とスピードアップで対応した場合、1800系では性能上スピードアップが困難であることが明らかだったからです。

207f_150530 200系(207F) りょうもう 2015/5/30 小菅 

こちらはシングルアーム式パンタ、HID式前照灯 さらに台車から、207編成以降の200系までは分かります。

1800系の性能、接客設備面両面で上回る車輌として、1990年11月から1998年1月にかけて200系、6両編成9本が東急車輌製造・アルナ工機で製造されました。構体は台枠より新製されましたが、台車・主電動機などの一部の主要機器は1700系、1720系の解体発生品を使用しての竣工となりました。1998年2月にさらにもう一本増備されることになりましたが、既に1700系、1720系の部品は使い尽くしていたため、主要機器を含めて完全新製となり、250系と別形式に区分されました。主要機器に関しては当時増備されていた30000系通勤形電車と同一の機器が使用され、VVVFインバーター制御、ボルスタレス台車といった構成になりました。200系は全電動車方式で250系は3M3T方式となりました。

同編成の落成で1800系は「りょうもう」運用からリタイアし、「りょうもう」は1999年3月改正で急行列車から特急列車に格上げされました。

仕様

主電動機 200系 直流直巻き方式 TDK-824A
               250系 三相かご形誘導電動機 TM-95

主電動機出力 200系 75kW   250系 190kW
歯車比  200系 3.75 (75:20)  250系  5.28 (95:18)

駆動装置 200系 可撓継手式中空軸平行カルダン
       250系 TD継手式平行カルダン

制御装置 200系 バーニヤ式電動カム軸抵抗制御・界磁添加励磁制御 VMC-HTR-10H
           東武唯一の界磁添加励磁制御方式で、回生制動と定速運転制御となっています。
       250系 IGBT-VVVFインバータ制御 VFI-HR1420 
           ソフトウエア上の調整で起動加速度、加速特性を200系に合わせています。 

台車 200系 SUミンデン式FS-370A
    250系 モノリンク式SS-151・051

制動方式 200系 回生制動併用電磁直通空気ブレーキ HSC-R
       250系 回生制動優先電気指令空気ブレーキ HRDA-2

集電装置 200系 201-206 下枠交差形PT-8002  200-2,-4,-5に1基ずつ   
                         207-209 シングルアーム式PT-7112A

       250系 251 シングルアーム式PT-7112A  -2に2基、-5に1基

補助電源装置 200系 201-206 東芝製COV018-A0DC-DCコンバータ(出力140 kW)
              207-209 IGBT素子を採用した東芝製INV114-B0静止形インバータ(SIV・出力190 kVA)

          250系 251   INV114-B0

補機類  CP 200系 201-206   静音形のHS-20C(吐出量2,130 L/min)
              207-209 電動機が交流化された改良型のHS-20-I(吐出量2,130 L/min)

         250系 251    HS-20-I(吐出量2,130 L/min)

冷房装置 集約分散式
       東芝製RPU-3002AJ(冷却能力10,500 kcal/h)を1両当たり3基搭載    

車体 全鋼製

前照灯 201-206編成 シールドビームライト 207-209、250系編成 HID式高輝度放電灯
行き先・種別表示器 201-206 幕式 207-209、250 LED

250_100508 250系 りょうもう 2010/5/8 館林

251f_150429 250系 りょうもう 2015/4/29

250系の判別はシングルアーム式パンタ、前照灯、台車の形態、そしてスカートの穴が両側にあることです。

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2015年7月28日 (火)

江ノ電を撮る 車輌編 その3 1000形 1001F 1002F

江ノ電の車輌を編成毎に見ているシリーズ、今回からは1000形グループに属する車輌です。1979年から1987年にかけて、1000、1100、1200、1500と製造されました。

1001_141230 登場35周年のHMを付けて運転される1001編成 2014/12/30 鎌倉

今回は、1979年12月3日に営業運転を開始した1001-1051、1002-1052編成です。江ノ電としては48年振りの新造車で当初は非冷房で落成しました。小型、急曲線対応の台車にカルダン駆動を対応させる技術的実績が無かったため、吊り掛け式駆動方式となりました。

1001_150103_7 腰越~江ノ島の路面区間から江ノ島駅に進入する1001編成 2014/12/30

マスコン ワンハンドル式
ブレーキシステム 電気指令式
主制御器 東洋電機製造製 AC-M450-778A-M (直列10段、並列8段)
主電動機 東洋製 TDK5610-A 出力 50kW(300V端子電圧)
歯車比 79:15(5.27)

1001編成   1985年に冷房化、2003年にリニューアル 音声自動放送装置搭載

1002編成   1986年に冷房化、2004年にリニューアル 音声自動放送装置搭載

1002_141230 江ノ電と嵐電の提携を記念して嵐電カラーで運転されている1002編成 2014/12/30 由比ヶ浜

1002_141230_2 一日中、ここで海と発着する江ノ電を眺めている観光客が絶えない鎌倉高校前駅を出発する1002編成 2014/12/30

2006年4月から1001編成はSKIP(Shonan,Kamakura,Information,Promotionの意)として沿線の名所を描いたラッピングが施されていたようですが、2009年12月12日から通常塗装に戻っています。一方、1002編成はそれまでの1502編成に代わって紫色の嵐電カラーで運転されています。

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2015年7月27日 (月)

京急ファミリー鉄道フェスタ2015 part3 デト17・18形

2015年5月24日の京急ファミリーフェスタの話題、今回からは現役の車輌です。

1516_150424_2
       デト17・18形15 2015/5/24 京急ファインテック

最初は今回、初めて見たデチ15-16形電車です。当初は事業用電動無蓋貨車として、1000形デハ1097、1098の廃車発生部品を活用して1988年に製造されました。

写真のように前面非貫通折妻3枚窓の運転台と6人分の座席を持つ有蓋部分と無蓋の荷台から構成されており、デチ15形にはMG,CPなどの補機類と列車無線アンテナ、デチ16形にはパンタグラフ、主制御器が搭載されています。また、荷台には資材積み卸し用にチ60形から転用したホイストクレーンが搭載されていました。最大積載量は18.0tでした。

1516_150424_4

1989年までに15-18の4両が製造されましたが、需要が減少したため、2003年、2006年に救援車化改造を受け、デト17・18形15-18に改番されました。ホイストクレーンは撤去され、あおり戸が設けられ、救援資材の入った箱が搭載されました。

さらに母体の1000形の全廃もあって、2010年度1500形VVVF化改造で発生した部品を活用し、機器更新がなされました。運転台は800形タイプのワンハンドルマスコンとなりました。

集電装置:当初は東洋電機製造製PT-43系でしたが、PT-7117-Aシングルアーム式に更新されました。

台車:TS-310A東急車輌製コイルバネ方式でしたが、 TH-1500M(車体直結空気ばね乾式ゴム入り円筒案内方式)に更新されました。

主制御器:電動カム軸抵抗制御方式、東洋製ACDF-H875-566B でしたが、回生制動式電動カム軸界磁チョッパ方式、東洋製AS-786-B-Mに更新されました。

主電動機 : 東洋製TDK-815A でしたが東洋製TDK-8700-A (100kW)に更新されました。

駆動方式・歯車比:中空軸撓み板式軸型継手、77:14 (5.5)からTD継手式平行カルダン]、82:15 (5.47)に

補助電源装置 : 三菱電機製 MG-131 (AC 7.5kVA)から三菱電機製 NC-SAT30Aに

制動方式 : 電磁直通ブレーキ (HSC-D)から回生制動併用電気指令式電磁直通空気制動 (MBS-R)に

空気圧縮機 : レシプロ式(A-2、吐出量700l/min)からロータリー式(AR-2[16]、吐出量2000l/minへ

とほぼ全ての機器が一新されました。

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2015年7月26日 (日)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 8 America West Airlines

San Diego Lindbergh空港でのスポッティングの話題、今回は既にUS Airwaysの一員となり、消滅したAmerica West航空です。

N913aw_boeing_757225_cn_22207_ln_35 N913AW Boeing 757-225 cn 22207 ln 35 2002/1/17 SAN

この航空会社は1981年2月にアリゾナ州テンピで設立され、1983年8月1日から3機のリースによる737でフェニックス・スカイハーバー空港から運航を開始しました。その後、急成長を遂げ、機材は11機に増え、13の都市を結び、1986年末には第二のハブ空港としてラスベガス空港も使うようになりました。

757_fleet_list_america_west 表1 America West AirlinesのBoeing 757 Fleet list 

最終的には先日ご紹介したSouthwest航空に次いでアメリカ第二位の格安航空会社までに成長しますが、同社の特徴は"cross-utilization"といい,現在のLCCでは当たり前になっている、写真がいろいろな仕事を担当する体制を最初に導入した会社でした。

例えばパイロットはディスパッチャーの役割をこなし,手荷物扱い掛はフライトアテンダントやゲートサービスも担当しました。また格安航空では機内サービスの一部が省略されることがありますが、America Westはフルサービスをモットーとしました。

1986年以降も急成長は続き、スカイハーバー空港のゲートが足りなくなることもあり、フリートはNorthwestから757を購入し、スカイハーバーやラスベガスからのローカルサービスにはDe Havilland Canada Dash 8が使われました。

しかし、急激な成長のあまり倒産の危機に瀕することにもなり、フェニックス空港のゲートを一部手放すことになり、1987年8月にはオーストラリアのアンセット航空を経営していたAnsett Transport IndustriesがAmerica Westの株の21.6%を所有することになりました。1988年には経営幹部やパイロットが麻薬密輸で逮捕されるスキャンダルが発生しました。

America Westの拡大はUS国外へも就航地を増やし、以前KLMで使用していた747 4機をリースし、ハワイを経由して日本(名古屋)への乗り入れも行いました。さらにメキシコへも進出しました。

N621aw_airbus_a320231_cn_053_020117 N621AW  Airbus A320-231 cn 53 2002/1/17 SAN

1990年には本来Braniffに納入されるはずだったA320のデリバリーを受け、この頃、アメリカ運輸局からも"major airline"と認められるようになりました。名古屋便は低価格でチケットが販売されましたが、空席で運航されることが多く、さらに湾岸戦争で燃料価格が高騰し,1991年6月には再度の倒産の危機に見舞われました。

A320_fleet_list_america_west 表2 America West AirlinesのA320 Fleet list 

Fleet dataはいずれもPlanespotters.netの情報をもとにしました。

このころ、747やDash 8は手放され,フリートは87機に整理されました。

1994年Mesa航空Continental航空と手を組みなんとか再建されました。さらに塗装も新しくし、E-ticket Online ticketシステムが導入され、機材も古い737がリタイアし、A320におきかわってゆきました。(LHが最初に導入し,以後どこも導入しなかった737-130をAmerica Westが使用していました)。

そして2005年第二四半期、US-Airwaysとの合併交渉が開始され、吸収合併されることになり、同年9月27日運航を停止しました。同社のコールサインはCactusでした。

N658aw_airbus_a320232_cn1110_150116 N658AW Airbus A320-232 cn 1110 2015/1/15 SAN

かつてのAmerica Westの機体は現在もUS Airwaysの塗装を纏って活躍しています。

今のペースだと,いつになるか分かりませんが、ロサンゼルスやツーソンでAmerica Westの初期の塗装、特別塗装の写真を撮っているので,その時にまた紹介できればと思います。

 

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2015年7月25日 (土)

47年振りの東急世田谷線訪問 その4 デハ300形 307F

東急世田谷線の300形、今回は307Fです。

307_150207 307F 2015/2/7 宮の坂

307_150207_2 2015/2/7 三軒茶屋

307_150207_2_2 同上

307_150207_3              2015/2/7 上町

307_150322_2 2015/3/22 山下

307_150322_3 2015/3/22 山下

307Fの塗色の公式名はブルーイッシュラベンダーというそうです。

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2015年7月24日 (金)

西武新101系 その8 白塗りワンマン車4連 1251F

今は支線で余生を送る新101系4連の話題、今回は1251Fです。

251f_140927_3 1251F 2014/9/27 白糸台

この編成は「秋」をイメージしたステッカーが貼ってありましたが、残念ながら「秋」時代には遭遇せず、白無垢になってから、多摩川線で遭遇し、撮影しました。

251f_140927
251f_140927_2
撮影時には多摩川線沿線の自動車教習所の広告が側面に貼られていました。

251f_140927_4
白糸台駅に到着する1251F 2014/9/27

1251Fは101系10次車グループとして、1245Fから1253Fまでと一緒に1980年4月1日、東急車輌で製造されています。2010年8月27日、更新修繕が行われており、パンタのシングルアーム化、ワンマン化、CPのMBU1600-Y3への交換、MGのSIV化が行われています。

このときは1245F, 1247F, 1251Fが営業運転に就き、1249Fが白糸台の庫にいましたが、検査の度に甲種輸送され,メンバーが替わるようです。

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2015年7月23日 (木)

電気機関車 EH500シリーズ 1号機

JR貨物の交直両用、8軸電機 ”金太郎”の愛称が与えられたEH500形のシリーズ、今回は1号機です。901号機の試験結果を踏まえて製造された量産先行機という位置づけで、2000年2月に登場しました。

Eh5001_030517 EH500-1 2003/5/17 白坂

試作機901号との違いは、外部塗色の赤が赤紫に変更になったこと、前面の白帯が太くなり、形式番号直下に移されたことがあげられます。

Eh5001_040508 2004/5/8 田端

側面のルーバーのサイズも天地が大きくなり、パターンも変わりました。

Eh5001_040715
3087列車を牽引して大宮を通過 2004/7/15

主変圧器は試作機では1基のみの搭載でしたが、各車に1基、計2基の搭載となりました。

Eh5001_080731
2008/7/31 長町を通過

Eh5001_080809
郡山を通過 2008/8/9

Eh5001_100627 古河~栗橋間 2010/6/27

Eh5001_101024 青森 奥羽貨物支線 第一大野踏切 2010/10/24

Eh5001_140513 常磐貨物コンテナ列車 2014/5/13 ひたち野うしく~荒川沖

Eh5001_140601 タキのみの安中貨物 荒川沖~ひたち野うしく間 2014/6/1

以上です。

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2015年7月22日 (水)

1989年のDüsseldorf Airport その35 LTU Boeing 767-300

1989年5月、冷戦下の西ドイツDüsseldorf Airportでの写真、今回は以前、ロッキードL-1011トライスターを紹介したLTU (Lufttransport-Unternehmen GmbH)のBoeing 767です。

Damus_boeing_7673g5er_24528_255_890 D-AMUS Boeing 767-3G5ER cn 24528 ln 255 1989/5/7

LTUのBoeing 767-300はJALやANAの767とは異なるドアパターンです。

Duesselfdorfを拠点とする航空会社で当時はチャーター便運航がメインでした。会社の設立から、現在までの歴史はL-1011トライスターの記事で紹介しましたように、1955年5月に設立され、2007年3月Air Berlinに吸収されました。Wikipediaによると現在のfleet

    エアバスA320-200 10機
    エアバスA321-200 4機
    エアバスA330-200 9機
    エアバスA330-300 3機  

のうち、7機がLTUカラーで残っているとのことですが、LTU Fleet Details and Histryでは現在、Activeな機体は一機もありません。

Boeing767_fleet_list_ltu LTU Beoing 767 Fleet list  情報はPlanespotter.netによる

LTUは7機のBoeing 767をリース等で使用しており、面白いことにそのうちの4機はHawaiian Airlnesにleaseされています。残念なことにD-AMUSからのN584HAはSan Diegoでは撮影しておらず、San Diegoで撮影していたN586HAD-AMUMはこちらでは撮影しておりませんでしたが、旅客機の世界は意外なところで結ばれているのが興味深いです。

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2015年7月21日 (火)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part8 カニ24

2015年3月のダイヤ改正で運用を終了したトワイライトエクスプレスの話題、今回からは客車を個別に見て行こうと思います。

24_020827_3 カニ24 10   2002/8/27 札幌

最初は電源車カニ24形です。

カニ24 0番台から宮原客車区所属だった、カニ24 10, 12, 13, 14の4両が耐寒耐雪対策を施し、ダークグリーンに塗色を変更され、トワイライト・エクスプレス専用の電源車となりました。大きなJRマーク掲出位置も乗務員室扉とサイドのフィルターの間となっており他のカニ24とは異なります。

1989年12月、トワイライトエクスプレスの運転開始にあたり、当初電源車が不足したため,東海道系ブルートレイン「(下関)あさかぜ」「瀬戸」にスハ25形300番台を投入し,カニ24を捻出しました。1991年、やはり「(下関)あさかぜ」「瀬戸」に投入されていたオハ25 303にSIVとパンタグラフを設置する改造を行い、増発用トワイライト編成の電源車を捻出しました。

カニ24 
    10     1976.1.12    新潟鐵工 大ミハ
    12     1976.2.25    新潟鐵工 大ミハ
         13     1975.12.10  富士重工 大ミハ
    14      1976.1.19   富士重工 大ミハ 

24_030324_3 JRマークの掲出位置が他のカニ24と同じなカニ24を連結した編成 2003/3/24 山崎

24_080322_2 上野幌を通過する8002列車 2008/3/22

24_080905 特急待避を済ませ芦原温泉を発車する8002列車 2008/9/5

24_100708_11 島本を通過する8002列車  2010/7/8

24_24_101208 第一淀川橋梁を渡り,終点大阪も近い8002列車 2010/12/8

24_24_110528 西高岡を通過する8002列車   2011/5/28

24_24_110529 高岡を発車した8002列車 2011/5/29

2枚目の写真に出て来るJRマークの掲出位置が異なるカニ24が気になるところですが,いろいろな写真を見てみると例えば鉄道ファン誌 2015年3月号掲載の写真でも23ページ最上段の写真(1990年4月)、2段目の写真左(2001年8月)右(1990年5月)などで見ることができます。カニ24の車両別の写真が紹介されているサイトの写真をみても、4両ともJRマークは乗務員室側に掲出されているので、ある時期、全検後などに間違ってJRマークを他の電源車と同じ場所に貼って出場したことがあったと言うことでしょうか。

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2015年7月20日 (月)

西武電車フェスタ 2015 in 武蔵丘車両検修場 その2

2015年6月7日の西武鉄道武蔵丘車両工場の公開、今回は輪軸や車輪の話題で行こうと思います。

150607_9 西武電車は長らく住金のFS台車を使用しており,武蔵丘工場の設備も完全に住金とのタイアップとなっているようです。 2015/6/7 武蔵丘工場

32202_150607_3 入場中の32202と外された台車 

Ss175t_150607_3 SS175T付随台車の展示

30000系の台車は住友金属工業製のモノリンク型軸箱支持方式ボルスタレス台車SS175M(動力台車)もしくはSS175T(付随台車)です。基本的には20000系のSS150A・SS050A台車と同じですが、台車枠強度を強化し、製造工程でのロボット溶接率が上がっているので製造品質が向上したそうです。曲線通過時の車体の傾き調整のため台車左右に設置されている自動調節弁の取付位置が変更され,枕バネの空気バネの前後方向への剛性が左右方向に較べて軟化させたそうです。

150607_3
台車から取り出された・組み上げられた輪軸 左がT車 右がM車

150607_2

150607 輪軸回転試験 ギアケース内のオイルの交換、輪軸の回転で偏心の有無等をチェックするようです。

150607_2_2
小歯車組み込み作業の解説

150607_4
ギアボックス内の動力伝達歯車の構成

150607_5 車輪の中ぐり旋盤

150607_6

150607_2_3 輪軸着脱装置 車軸と車輪の分解と一体化

今回、車輪の展示で一番興味深かったのが、丸リング車輪で

150607_7 101, 2000, 3000, 4000, 9000, 10000系に使用されている標準車輪

備え付けのゴムハンマーで叩くと残響の長い音がします。

150607_8 一方こちらは6000,20000, 30000系に使用されている丸リング車輪で、写真の溝の部分にゴムが入っており、ハンマーで叩いても残響は殆どありません。

ゴムの弾性で衝撃を吸収するため,乗り心地が改善されています。

車輪にゴムが挿入されているといえば、1998年6月3日に起こったICEのエシェデ事故を思い出しましたが、丸リング車輪の場合は外輪と内輪に別れてはいないためそういった心配はないそうです。

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2015年7月19日 (日)

JR乗り入れ用スペーシア106編成 「日光詣」 特別塗装でデビュー

2015年7月9日付け東武鉄道News Releaseにあるように7月18日(土)から特別塗装列車「日光詣スペーシア」の第2編成(106F)が登場し、JR相互直通特急で運行を開始すると言うことでした。同releaseによると、初日は新宿発10:07発の臨時特急「スペ^シアきぬがわ11号」鬼怒川温泉行きから運行開始とのことでした。

新宿発から運行と言うことは南栗橋車両基地(管区)から新宿までの回送(回8012M)が出発予定時刻の1~2時間前には湘南新宿ラインを新宿まで走ることが考えられたので、まずは東十条で狙うことにしました。

100_106f_150718
100_106f_150718_2
回8012M 2015/7/18 東十条

東十条駅を降りて線路西側の路沿いを歩くとすでに三脚がセットされていましたが、それらの多くは18,19日に大宮~宇都宮間で運転される快速「宇都宮線開業130周年記念号」の尾久からの回送列車狙いの様でした。8:40位に到着して待つこと5分少々で赤羽方面に100系スペーシアの特有の姿が現れ、通過して行きました。

100_106f_150718_3
その後、回送EF8181+旧客の快速「宇都宮線開業130周年記念号」も王子で撮影し、臨時特急「スペ^シアきぬがわ11号」鬼怒川温泉行きは池袋で撮影を試みました。

100_106f_150718_4
すでに左隅に怪しい影が見えますが、列車が接近するに従って人物が入るようになりました。

100_106f_150718_2_2 上りのスペーシア 「雅」 107F  とのツーショット 池袋

106F JR相互直通編成 運行初日の様子を記録しました。

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2015年7月18日 (土)

通勤電車シリーズ 103系 29 阪和線 その3

通勤電車103系シリーズ、前回に続いて阪和線の103系の続きです。

103_030328_4
クハ103-500番台 4連 2003/3/28 南田辺

前回の記事では1968年から1980年にかけてクハ103基本番台、500番台、クモハ103の履歴から阪和線関係の転属(鳳、日根野電車区)の配置を見てみましたが、今回は1979年、1984年、1993年などの編成表データから車両の冷房化、先頭車改造などを追ってみようと思います。

19790401 1979/4/1 時点での阪和線103系編成表 日根野区

未だ編成番号はなく、両端クハ103基本番台のグループと天王寺方先頭車がクモハ103のグループに分かれていました。羽衣支線用にはMcM'T'cの3連が3本配置されていました。冷房車両は青で示した車輛で12編成AU75方式で改造されていました。

19840401 1984/4/1 時点での阪和線103系 編成表 日根野区

続いて1984年の編成表では、快速運用用に8連編成が登場しています。両端クハは基本番台で7本準備され,全てが冷房車です。また6連両端基本番台クハの編成には1980年に配属された高運転台非ATC車、2000番台モハ102の姿が見えます。

103_030328
WAU102で冷房改造されたクハ103-500番台 2003/3/28 南田辺

19930401_2 1993/4/1時点での阪和線103系編成表 日根野区

1993年民営化後は8連の編成はなくなり、それぞれの編成に編成番号が付与されます。6連の編成は全て両端基本番台クハで組成され、K600番台となり、4連の編成はTcMM'TcとMcM'TT'cの編成となり、J400番台の編成番号が与えられました。

103_030328_2
WAU102冷房改造 クハ103基本番台 K編成 6連 2003/3/28 杉本町

また冷房化は緑で示した車輌が分散式WAU102で冷房化されました。
羽衣支線はクモハ123-5,6 2両とクハ103-194が担当しています。1989年10月20日からワンマン化されました。123系の入場時はJ407編成を3両にして運用するため、こちらも1989年10月30日にワンマン化改造が実施されました。
前照灯のシールドビーム化もクハ103-118を残して完了しています。尤もクハ103-180以降は製造時からシールドビーム2灯で登場しています。

J417編成のクモハ103-5005は片町線全線電化開業(1989/3/11)に対応して,松井山手以西の7連を同駅で切り離し,木津より3連が以東に入線するように、木津直通編成の京橋よりクモハに連結・解放用装備搭載改造がなされたもので

クモハ103-48・モハ103-248・249・241・295・304・427・435・480・485・499・727・729・770・772・780→クモハ103-5001 - 5016 のように改造されました。本来、淀川電車区に配置されましたが,5005は1992.2/20にヒネに転属しました。同車は1995/9/20にクモハ103-2504に再改造され、羽衣支線ワンマン対応となりました。

20020401 2002/4/1 時点の阪和線103系編成表 日根野区

クモハ103-5000番台が2500番台に再改造され,日根野区に配置されています。

103_080226 クモハ103-2500番台 2008/2/26 熊取

オリジナルのクモハ103はこのタイプのシールドビームでは製造されていないので,改造クモハ103と分かります。JR西日本はモハ103に運転台を取り付けるにあたって、高運転台タイプではなく1次改良型の低運転台タイプを選んだためこういった顔になりました。

103_081212 羽衣支線で活躍中のクハ103-192他3連 2008/12/12 鳳

本来のL101編成 Mc23-M'105-Tc26が入場中だったのかJ424編成からサハを除いた3連が活躍中でした。

103_081212_2 上の写真の編成の反対側 クモハ103-2504 2008/12/12 東羽衣

この車輌は上述のモハ103-295から運転台取付改造され,クモハ103-5005となり、再改造されて、クモハ103-2504となった車輛。

103_081212_4 2008/12/12 鳳

1980年に投入された高運転台タイプのクハも体質改善工事でこのような姿に

JR西日本のプレス発表(2015/4/30)によると、2016年春のダイヤ改正で阪和線に122両新型車両を投入するとのことで1968年10月のヨンサントウ改正以来、続いていた103系の活躍にも終止符が打たれるようです。

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2015年7月17日 (金)

San Diego Trolley 2000形 part4

San Diego trolley 2000形の話題、今回は2018, 2019, 2021の写真を紹介いたします。

2018_150114_america_plaza
2018   2015/1/14 America Plaza

2019_090114_america_plaza
2019    2009/1/14

2019_150111_city_college
2019    2015/1/11 City Colledge

今年の2019はこのような広告ラップ編成でした。何の広告なのか調べてみたらアメリカの子供服のアパレル会社でした。

OshKosh B'Gosh is an American children's apparel company founded in Oshkosh, Wisconsin in 1895.

2021_030115_el_cajon_tc
2021     2003/1/15 El Cajon Transit Center 

2021_030115_santee_town_centr2
2021      2003/1/15 Santee Town Center

当時のOrange Lineの終点で、現在はOrange LineはEl Cajonまでその代わりにGreen LineがSanteeまで行っています。

                                 
MTS のWEB siteから現在のTrolleyの路線図

Santee_town_center_0301152
2003年頃のSantee Town Center

070114_santee_tc
Santeeの線路行き止まり 2007/1/14 

今も変わらないと思いますが、ダウンタウンからOrange Lineで1時間程、内陸に入ったEl CajonやSanteeの街はスペインやメキシコの文化が反映した建物が多く建ち並んでいました。

2021_090114_america_plaza2
2021     2009/1/14 America Plaza 

2009年当時、2021はこのようなラッピングでした。

2021_150109_santa_fe_depot
2021     2015/1/19 Santa Fe Depot

今年は標準色に戻っていました。

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2015年7月16日 (木)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 10 700形

2014年12月の旅行で撮影した広島電鉄の車輌、今回は700形です。

712_141218
712号 2014/12/18 本川町

現在活躍中の700形は2代目で、初代は1938年11月に京王電気軌道から23形10両を購入し、500-509となり活躍し、原爆で被爆し、1948年から50年にかけて機器を取り出し、新たに12m級3扉の車体を新造し、700形701-710となった車輌でした。その初代、700形は1972年に4両が廃車となり、1975年ワンマン化改造されるも、1900形の就役開始で1980年までに全車廃車となりました。

713_141218
713号 2014/12/18 八丁堀

2代目700形550形以来27年振りに量産された市内線専用の車輌で、1980年に試作された3500形の実績をもとに軽快電車のスタイルを取り入れて造られました。全長13.5mの大型ボギー車でアルナ工機製で、両手式大型ハンドル制御器による間接制御方式を3500形に引き続き採用しており、その後の広電の標準仕様となっています。

701-7041982年6月1日に製造されたグループで駆動方式は吊り掛け式、台車はNK201台車、軸バネにシェブロンゴムを巻き、主電動機は750形の直巻きモーターHS314-Arを再利用しました。制御装置は直並列制御のES-116-A-Mとなっています。

705-7071983年11月4日もしくは7日(707のみ)製造のグループで正面の方向幕が拡大され、ブレーキ灯が新設されました。制御装置はES-119-A-Mに変更され、永久並列制御方式となり、加速性能が上がりました。

711-714は1985年製造のグループで主電動機は新製のTDK8568-Aに、駆動方式も平行カルダン方式となりました。そのため走行音は静かになりました。制御装置はそれまでの車輌と同じです。710形という解説書もあるようですが公式には700形で、仕様変更の多さから敢えて710番台にしたそうです。

714_141218
714号 2014/12/18 原爆ドーム前

701-704, 707は千田車庫所属で1,3,5号線運用に就き、705, 706, 711-714は江波車庫に所属し、6,7,8号線運用に就いています。

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2015年7月15日 (水)

保存施設と車両 名鉄旧美濃駅 part3

2014年8月11日の旧名鉄美濃市駅訪問、今回も展示されている車両から名鉄モ601です。

601_140811_2
名鉄美濃市駅跡に保存されているモ601 2014/8/11 ステップ付き

導入は1970年で間接非自動進段制御器を搭載した車輌で美濃町線から田神線を経由して直流1500V電化路線の各務原線に乗り入れ、新岐阜に直通運転する列車として運行されました。したがって電圧は600V と1500Vの複電圧対応方式となりました。

そもそもこういった路線が建設されるに至ったきっかけは、1967年に岐阜地区の鉄軌道車両の検査を受け持っていた岐阜工場が市ノ坪町に移転することになり、美濃町線競輪場付近より分岐して岐阜工場に至る引き込み線が新設されたことだったそうです。新工場は各務原線の細畑-田神間に線路に隣接して建設されたため、名鉄はこの引き込み線を利用して美濃町線の列車を新岐阜に直通させることを計画しました。

美濃町線の狭小な車両限界に対応するため前後の車端部を大きく絞り込んだ外観から「馬面電車」とも呼ばれました。モ600形は601-606の6両が新製され、当時衰退の一歩を辿っていた路面電車用車輌として久方ぶりの新型車輌であることなど、評価され1971年度鉄道友の会よりローレル賞を授与されました。
601_140811_3
確かに細長いお顔の馬面電車です。

後年、モ800形が導入され2000年9月4日にモ604、605が廃車に、10月24日にモ601、12月22日にモ602、603が廃車となりました。モ601, 603, 605は解体を免れ各地で静態保存され、モ604、605の電圧転換装置など一部の機器はモ870形の複電圧対応化改造後日、記事にする予定ですが元々札幌市電A830形)に流用しました。モ606は600V 区間の営業最終日2005年3月31日まで運用されました。

601_140811
現役時代は2+1の転換クロスシートが並んでいたようですが、現在はそれらは撤去されていました。

モ603は各務ヶ原線手力駅付近の飲食店(後に託児所)にて静態保存されていましたが、同所の廃業で2011年に解体されました。
モ605は高山市内の民間宿泊施設似てカラオケルームとして再利用

601_140811_4
運転台  中央の速度計の下の部分は電圧切り替えSWでしょうか。

車輌定員 90人
全長   14,890mm
全幅   2,236mm
全高   3,926mm
全金属製 重量 18.1t
軌間   1067mm
主電動機  直流直巻電動機 TDK-516-E 出力 60kw 搭載数 2基/両
モ601 602は4基/両
歯車比  2.65 (61:23)
駆動方式 吊り掛け式
制御装置 電空単位スイッチ式関接非自動加速制御 HL制御 HL-480F
台車 D12 モ601 602の台車はボールドウィン・ロコモティブ・ワークス 42-84-MCB-1
制動方式 SME非常直通ブレーキ
製造 日本車輌製造

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結構複雑な連結器周り

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2015年7月14日 (火)

九州鉄道記念館訪問 その7 クハネ581-8

2004年10月の九州鉄道記念館訪問の記録、今回はクハネ581-8です。

5818_041017_4
1967年10月改正で登場し、1975年3月の新幹線博多開業の改正で廃止された世界初の寝台特急「月光」の姿で保存されているクハネ581-8   2004/10/17 九州鉄道記念館

581/3系の制御車はクハネ5811967年9月に1~8の8両、1,2,7,8が日本車輛、3,4が近畿車輛、5,6が川崎車輌で製造されました、その後、1968年3月から9月までに9~37までが製造、さらに39~41が1969年2月に製造されました。多くは門ミフに新製配置されましたが、10~17、22~26は盛アオに新製配置されました。41でクハネ581の製造は打ち切られ,以降はクハネ5831970年6月から1972年3月にかけて1~30まで製造されました。

715_715_860218_2
クハ715 1986/2/18 長崎本線のある駅

このクハネ581-81984年1月13日、小倉工場でクハ715-1に改造され、長崎地区などで近郊型電車として活躍しました。715系改造にあたり、4両編成12本が必要とされクハネ581 10両、モハネ581/580ユニット12組、サハネ581 14両が種車となり、クハネ581はクハ715、サハネ581の2両がクハ715と同じ長崎・早岐向きクハ714に、残りの12両が鳥栖・佐世保向きクハ715-100番台に改造されました。

5818_041017_3
サイドの表示窓には月光 (登場時)の案内幕が,1972年3月の新幹線岡山開業以降は岡山~博多・西鹿児島間に

581_750305_1d 1975/3/5 早朝 5:19 下関駅に到着した下り「月光2号」岡山発博多行き
東京から急行「高千穂・桜島」で下関に4:18に下関到着後、撮影したもの

581/3系電車は「月光型」と呼ばれましたが,その月光は登場から8年弱で廃止されました。
5818_041017_9
内部も公開されていますが、それは715系電車の車内でした。

5818_041017_8 運転台も見ることができます。

5818_041017
車体標記はクハネ581となっていますが、クハ715としての検査標記かと思われます。所属も581/3系時代は門ミフ→大ムコでした。

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2015年7月13日 (月)

東海道新幹線開業から50年 その19 N700系 part2

N700系新幹線の話題、今回は量産形編成の各形式についてみて行こうと思います。

N700_z7_130629_3 小田原を通過するZ7編成 2013/6/29

その前に2015年6月30日、午前11時30分頃、新横浜~小田原間を走行中だった東京発新大阪行の「のぞみ229号」(X59編成)1号車先頭部で東京都杉並区在住の71歳の男性が車内にポリタンクに詰めたガソリンを持ち込み、頭からかぶり、ライターで火を着け、焼身自殺するという事件がありました。列車は小田原市上町の小田原駅手前で緊急停車し、運転士が車内に設置されていた消火器で消し止められました。煙は1号車から3号車近くまで充満したため、横浜市青葉区在住の52歳の女性が巻き添えとなって死亡しました。乗客26名と乗務員2名の28名が緊急停止中の地点から車外に降ろされ,救急搬送されました。

N700_z67_130629_4 小田原駅に進入するZ67編成 2013/6/29

当日の「東海道山陽新幹線運用まとめシステム」のログを見ると

225A X59 (11:40小田原付近で車内火災があり緊急停車中!)2015/06/30 12:08.40登録
225A X59 ((12時からのNHKのニュースでやっていました。現地には、警察と消防が到着してました。))2015/06/30 12:19.03登録
225A X59 (1号車付近で火災があった模様。神奈川県秦野市付近で停車中。)2015/06/30 12:46.01登録
225A X59 (車内火災当該。小田原駅で運転打ち切り。)2015/06/30 15:26.02登録
回9060A X59 (臨時回送 小田原→品川)2015/06/30 15:30.48登録
225A X59 (225Aは、三島車両に入庫)2015/06/30 19:09.41登録

この事件を受けて,国土交通省は7月1日、新幹線を運営する各事業者を召集し,緊急会議を開き、当面の対策として、駅構内や新幹線車両内の巡回強化など警備体制の強化を各社に要請しました。JR東海とJR西日本は安全対策強化のために東海道・山陽新幹線の客室内に常時撮影の防犯カメラを新設すると発表しました。

N700系量産先行編成(Z0,現在はX0編成)による2年間の走行試験データをフィードバックして、2007年4月にJR東海の基本番台Z編成6月にJR西日本の3000番台N編成が完成しました。0番台と3000番台は違いが無く,インテリアなども共通化されています。

2007年7月1日から、Z1~5、N1による営業運転が開始され,量産が開始され、2011年度までにZ編成は80編成、N編成は16編成が製造されました。2012年3月のダイヤ改正で300系を完全に置き換えました。さらに2011年3月12日、全線開業した九州新幹線直通用にN700系7000番台(JR西日本)、8000番台(JR九州)それぞれ8連も登場しました。

N700系16両編成は
Tc-M2-M'w-M1-M1w-M'-M2k-M1s-M1sw-M2s-M'h-M1-M1w-M'-M2w-T'c という構成で定員は1323人、300系、700系と同じになっています。

Tc  783 1- 3001-  1号車 定員65名 屋根は2段式 運転台寄りの乗降扉はプラグ式                    CP トイレ・洗面所
T'c   784 1- 3001-  16号車 定員75名 CP

M1  785 1- 3001-   4号車 定員100名 主制御装置 主変換装置、SIV, CP、カード式公衆電話、カード式公衆電話

M1w 785 301- 3301- 5号車 定員90名 主制御装置 トイレ・洗面所  主変換装置、CP、パンタ

M1w  785 501- 3501- 13号車 定員90名 主制御装置 主変換装置、SIV, CP、トイレ・洗面所

M1  785 601- 3601- 12号車 定員100名 主制御装置 主変換装置、CP、パンタ(5号車とは逆向き) カード式公衆電話

M'  786 1- 3001-  6号車 定員100名 主変圧器

M'  786 201- 3201- 14号車 定員100名 主変圧器

M'w 786 501- 3501- 3号車 定員85名 主変圧器   トイレ・洗面所 喫煙ルーム

M'h 786 601- 3601- 11号車 定員63名 主変圧器 車販準備室 自販機 幅広乗降扉 

大型洋式トイレ

M2  787 1- 3001-  2号車 定員100名 主制御装置 主変換装置

M2k 787 401- 3401- 7号車 定員75名 主制御装置 主変換装置 大型車販準備室 トイレ・洗面所 喫煙ルーム

M2w 787 501- 3501- 15号車 定員80名 主制御装置 主変換装置 トイレ・洗面所 喫煙ルーム カード式公衆電話

M1s 775 1- 3001- 8号車 定員68名 G車 主制御装置 主変換装置 SIV CP 車販準備室

M1sw 776 1- 3001- 9号車 定員64名 G車 主制御装置 主変換装置 SIV CP 車販準備室 トイレ・洗面所 カード式公衆電話

M2s  777 1- 3001- 定員68名 G車 主制御装置 主変換装置 SIV CP 車販準備室 喫煙ルーム

2015/7/8に最後までN700系として活躍していたZ4編成が浜松工場に入場し、N700A化改造を受けることになり、Z編成は消滅となりました。

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2015年7月12日 (日)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 8 SNCF BB 88500 電機

パリのターミナル巡り、相変わらずリヨン駅ですが,今回はSNCFのBB 88500電機です。

先に紹介したBB7200BB9300, BB9400に較べると小型の機関車です。

88511_070603_gare_de_lyon2
BB88511 2007/6/3 リヨン駅  後述のように正確には188511がナンバーです。側面のフィルターの形態も特徴的です。

頭端式ホームのため,客車を牽引して到着した機関車は推進回送はせずに、ホームで客車を切り離し,少し前進します。客車は別の入れ換え機関車が反対側に付き、牽引してホームを離れ、その後、機関車も単機でホームを後にします。

1990年代中頃,フランスの旅客機関車はBBミディといわれるBB300 (1938,1946年製), BB4200/4730などのタイプが50年以上に亘って使用されており、かなり老朽化が進んでいました。この手の機関車シリーズで最初に置き換えが検討されたのがBB8100(1947年製171両製造)で入れ換え用形式BB800001995年から1997年にかけて12両が転換されました。続いて当時あまり使用されていなかったBB8500形式(前回のBB9400形式の後継で1964年から1972年にかけて、146両が製造)の31両がAstom-MTEで1997年BB88500形式に改造されました。BB80000に較べ、BB88500への改造は迅速に且つ、経済的に行われました。2000年から2001年にかけてはさらに10機がBB8700に改造されました。

88511_070603_gare_de_lyon
BB88511前面のガラス窓はかなり小さく、コーナーの死角が結構大きい設計です。

車体のサイズは 全長 14,700 mm 全幅 3,030 mm 全高 4,190 mm
1500V 直流方式

愛称はダンサーです。最高速度は100km/hに制限されました。

2014年2月24日をもって全機引退しました。

なお、この88511はミュルーズの鉄道博物館( la Cité du train)に保存されているはずです。

Corail_070603_gare_de_lyon
88511電機が牽引してきたCorail客車
なお、側面の番号を見ると長距離鉄道部門所属であることをしめす数字1がトップの桁に付加されています。

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2015年7月11日 (土)

尾久車両センター公開 2014 その11 EF65 501号機

まだ話題があるのかと思われる2014年11月15日の尾久車両センター公開、残すところあと数回の予定ですが、今回からは東海道ブルートレインの牽引機を代表するEF65501号機です。

Ef65_501_141115_6
「さくら」(いわゆる白桜)のHMを付けて展示されていたEF65 501号機 2014/11/15 尾久車両センター

まずは、この機関車の車歴を沖田祐作氏の機関車表データで見てみると

EF65501    川崎重工兵庫工場=335/= 川崎電機       1965-06-26 E96tBBB(1067)
   車歴;1965-06-26 製造→ 納入;国鉄;EF65501→1965-06-26 配属[達588];関東支社→
      1965-06-26 配置;東京→1972-10-03 下関→1978-06-17(3/16?)沼津→
                                                                     1983-03-16 東京→1985-03-12 高崎二→1987-03-01 改称;高崎運転所→
      1987-04-01JR 東日本;EF65501→ 配置;高崎運転所→
      2004-04-01 現在;高崎車両センター→2007-02-01 現在借入;高崎機関区→
      2008-04-01 現在;高崎車両センター

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誕生は川崎重工兵庫工場で電気関係は川崎電機で1965年6月26日です。

昭和39年度第3次債務予算により、中央線電化・増発用を名目に製造されました。1966年から1967年にかけて0番台と同じ一般塗装だった時期があり、その写真は白黒ですが「ガイドブック最盛期の国鉄車輌 10」 浅原信彦著 に掲載されています。理由は第1回の全検時に鷹取工場で塗装を間違えたからだそうです。

Ef65_501_041211
2004年12月11日の高崎車両センター公開では「はやぶさ」のHMでした。

当初から寝台特急牽引用として、東京機関区に配属され、前任のEF60500番台に置き換わる形で任に就きました。九州ブルートレイン5往復「あさかぜ、さくら、はやぶさ、みずほ、富士」と関西発着の「あかつき」の牽引を担当しましたが、P形の落成が12両だったため、F形 (513-517)一般型 (60-64)を予備機として東京区に配置しました。

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単機で高崎へ向かうEF65 501号機 2006/7/9 大宮

1966年3月25日のダイヤ改正でP形5機(527-531)が増備され、F形は吹田区に転出し、1968年10月の改正における寝台特急増発に対応するため、P形(535-542)一般形(77-84)から改造されました。

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EF64 1000番台に牽引されて武蔵野線を南下 2007/8/12 府中本町

1972年3月15日のダイヤ改正で山陽区間の深夜時間帯に規格ダイヤ (最高速度95km/h) が採用され、「あかつき」「彗星」「日本海」EF58による牽引が可能となりました。当時、20系客車を牽引するためには元空気溜引き通し改造が必要なためEF58の改造中はP形,PF形に加えて下関に配置されていたF形もブルートレイン牽引に加わりました。

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JR貨物の運用を担当?金太郎と組んで単重回送 2007/9/26 常磐貨物線

10月からEF58牽引が開始され、東京機関区のEF65P形に仕業の余裕が生じたため、501から504の4両が下関運転所に配置換えとなりました。下関配置の4両は東京機関区の機関車が台車検査などで外れるときのピンチヒッターとして東京~下関間のブルートレイン牽引を担当するという役割になりました。ですから、私も501から504までのEF65が東海道ブルートレインを牽引する姿は撮影出来ませんでした。

Ef65_501_071214
専用貨物列車を牽引 2007/12/14 西浦和

1978年6月、連日の1000kmを超えるブルートレイン仕業で台枠に亀裂が見つかり、牽引機は後輩のEF651000番台PFタイプ(7次車)に置き換えられることになり、500番台は沼津区などに転属し、貨物牽引で余生を送ることになりました。501号機に関しては沼津区から東京区へ戻った時期もあったようですが、分割民営化ではJR東日本高崎運転所の所属機として今日に至っており、同所が担当する工臨や各種イベント列車の先頭に立って来ました。

Ef65_501_090628_2
横須賀線のイベント列車「レトロ横濱号」を牽引 2009/6/28 東逗子

Ef65_501_100403
単機走行 2010/4/3 大宮

Ef65_501_140308
「みちのくギャラクシー号」の後部に 2014/3/8 尾久

Ef65_501_141115_10
尾久での公開の際の反対側のHMは「あさかぜ」でした。

最後に2004年の高崎車両センター公開の際のP形4両そろい踏みの光景を

Ef65p_4_041211
このときは535, 501, 539, 541と4機がそれぞれ東海道ブルートレインのHMを付けてそろい踏みをしてました。539と541号機はこの公開の後、解体されました。

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2015年7月10日 (金)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 15 D51 200号機

2014年8月10日1974年9月29日の開館後まもなくの訪問以来、40年振りの梅小路蒸気機関車館の話題ですが、今回は現在、動態保存機として活躍中のC571C56160の負担を減らすため、復活作業中のD51200号機の話題です(持続的なSL動態保存の体制の整備)。

D51_200_140810_5
転車台の横にC622号機と並んで停車していたD51200号機 2014/8/10

D51200号機の車歴を沖田祐作氏の機関車表データから見てみますと

D51200     国鉄浜松工場=[25]             1938-09-30 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1938-09-30 製造→ 納入;国鉄;D51200→ 配属;名古屋局→1938-10-06 使用開始→
      1938-10-06 配置[名鉄達893];稲沢→1943-03-08 発(3/9 着)米原→1945-11-27 大垣→
      1947-09-07 発(9/8 着)借入;上諏訪→1947-10-30 発(10/31 着)返却→
      1950-05-10 中津川→1950-06-27 借入;木曽福島→1950-06-30 返却→
      1953-02-14 消煙装置取付→1968-07-24 集煙装置取付(長野工場)→
      1972-10-03 発;中津川→1972-10-50 着;梅小路→
      1972-10-10 動態保存;京都府梅小路機関車館;D51200→1979-03-28 廃車;梅小路→
      1987-04-01 動態保存;京都府JR 西日本「梅小路機関車館」;D51200;梅小路運転区→      以下略(最終走行距離=2,551,488㎞)→2008-04-01 現在;梅小路運転区

誕生は1938年10月6日、国鉄浜松工場です。名古屋局所属で新製配置は稲沢で東海道線名古屋~米原あたりで活躍し、戦後は上諏訪、中津川、木曽福島と中央西線で活躍し、消煙装置や集煙装置などの装着もありました。そのまま、1972年10月に動態保存機として梅小路にやって来ています。

D51_200_140810
台風接近による大雨で機関車のそばには行けませんでしたが、砂管の形態や逆転機のモーションプレートの形態も記録できました。モーションプレートの穴は大きいタイプです。

1979年3月28日、一旦車籍が抹消となりました。分割民営化後、再び車籍復帰し、B20、
8630、C612、C622
と交替で「SLスチーム」号の運転を担当しています(通称Bグループ)。2006年10月14日、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定されました。

D51_200_140810_7
ナンバープレートは形式名の入っていないタイプでした。

2014年10月17日、冒頭のJR西日本のプレスリリースで本線運転復帰に向けた大規模修繕と改造を実施し、復活させるとの発表があり、11月から梅小路内で修繕作業が開始され、12月にはボイラーがサッパボイラーに向けて搬出されました。

D51_200_740929
40年前に訪問したときは煙を吐いていましたが、たまたまだったのかナンバープレートはベニヤ製だったようでした。 1974/9/29

長野での集煙装置の取り付けのため、煙突は通常のD51よりも短いのが特徴です。復帰の際にはC56160号機が引退し、D51200号機がそれに替わって、SLやまぐち号、SL北びわこ号の牽引を担当することになるとのことです。

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2015年7月 9日 (木)

小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 2 100系 スペーシア 2

小菅周辺の複々線を通過する列車の話題、今回も100系スペーシア」の話題です。

1990年6月の登場から20年以上経過した、2011年5月発表の2011年度事業計画において客室内装のリニューアルの実施がアナウンスされ、12月にはその詳細が発表されました。

内装の模様替えに関しては座席モケットの交換、壁紙の変更、カーペットの交換

車体塗装に関しては、塗り分け線は同じものの、3種の新塗装が発表され、

100_150429_2
」 細帯を東武グループのロゴタイプカラーのフュチャーブルー 太帯と側窓周囲の黒色部を東京スカイツリーのライトアップデザイン「雅」をイメージした江戸紫に 
102 105 107編成に適用

100_150429_2_2
」 太帯と側窓周囲を隅田川の水をイメージした淡いブルーに
101 108 109 編成に適用

100_sco2_150429_2
サニーコーラルオレンジ」 太帯・側窓周囲を日光線・鬼怒川線優等列車のイメージカラーの「サニーコーラルオレンジ」に
103 104 106編成に適用

運転開始の順では

105F    雅   2011/12/29
109F    粋   2012/2/6
103F   SCO    2012/3/4
102F    雅   2012/3/30
108F    粋   2012/4/28
107F    雅   2012/6/1
101F    粋   2012/7/1
106F   SCO    2012/7/26
104F   SCO    2012/9/30 といった順番でした。

2014年1月に108Fの行き先表示器が電動幕式からフルカラーLED方式に変更となり、他の編成も順次変更されました。

100_107_130622
ATS-Pや列車無線装備の関係でJR乗り入れ編成は106F, 107F, 108Fに限定されており、「雅」は107編成 2013/6/22 大宮

100_120616_3
「粋」は108編成 2012/6/16 大宮

100_sco_106_140330
「サニーコーラルオレンジ」は106編成と分かります。 2014/3/30 赤羽

100_103f_150425_3
2015年春に登場した「日光詣スペーシア」 103F 2015/4/25

100_103f_150429_3
2015/4/29

100_103f_150530_11
2015/5/30

今年が日光東照宮四百年式年大祭の年であることを記念し、103編成が金を基調に黒と朱色のラインを施した特別塗装になりました。2015年4月18日から運行が開始されたので、早速、撮りに行きました。

ただ、金の発色をイメージ通りに出すというのはなかなか難しく、元々丸いボディですので、なぜか「おでんのゆで卵」に見えてしまいます。

東武鉄道では2014年4月30日発表の「東武グループ中期計画2014~2016」において「新型特急の投入(日光線・伊勢崎線)」と記されており、2015年には500系を2017年春に投入との発表がありました。ネットでいろいろ調べてみると、500系は3両編成が8編成投入されるらしいので100系の後継では無く、300系、350系の後継のようですね(情報源)。

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2015年7月 8日 (水)

江ノ電を撮る 車輌編 その2 300形 305-355

江ノ電の現役車輌では最古参なのが、300形305-355の1編成が現在も活躍中です。

355_150524_3
淡く富士山が見える日曜日の朝 355 峰ヶ原信号所 2015/5/24

現在、江ノ電の車輌はすべて連接車となっていますが、この方式の嚆矢となったのが300形でした。300形は1956年から1968年にかけて、従来から使用されてきた路面電車タイプの直接制御・単行専用半鋼製ボギー車を改造したもので最大で6編成12両が在籍しました。

6編成とも種車や改造手法が異なったため、形態はバラバラだったそうです。ただ、改造後は間接自動進段制御、総括制御付き、電磁SME制動となったで、重連運転や同時期存在した初代500形との併結運転も可能となりました。

1編成のみ残った305-355編成は、冷房装置も搭載し、室内は更新され、高性能化されており、1000形以降の形式とも併結運転が可能となっています。

305_141230_2
腰越駅にて 305 2014/12/30

305-355編成京王デハ2000形(初代)2008の台枠を購入し、1960年に300形として増備されました。車体は東横車輌工業(現 東急テクノシステム)製で、当初は前照灯は正面窓上に1基埋め込まれていました。1980年に二灯化されました。台車はそれまでの300形は既存車輌の使い回しでしたが、305-355編成は東急車輌製のエリゴバネ式の新造台車TS418(電動台車)、TS419(付随台車)を履きました。それまでは2車体で同一番号を付けていましたが、1960年の運輸省通達でこの編成から鎌倉方が+50の番号となりました。

305_141230
クルマに割り込まれてしまいましたが、江ノ島~腰越の路面区間を行く305-355編成 2014/12/30

更新改造は1989年に施工され、床下機器が2000形と同一のものと交換され、カルダン駆動の冷房車となりました。但し、床は板張りのまま残されました。

1998年主制御器を1500形以降のものと同型に交換、ブレーキ装置を電気指令式HRD-1に取り替え、1000形以降の車輌と併結が可能となりました。
2006年には自動放送装置も搭載されました。

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2015年7月 7日 (火)

京急ファミリー鉄道フェスタ2015 part2  湘南電鉄 デ51号

2015年5月24日の京急ファミリーフェスタ、今回も保存車の話題で、デ51号です。

51_150524_4
デ51 2015/5/24 京急ファインテック

1924年に京浜電気鉄道が東京市電乗り入れに備え、汽車会社(現 川崎重工業車輌カンパニー)で51号形として、51-70の20両が製造されました。

基本構造は1922年製造の41号形 (41-50) とよく似ており、京浜電鉄としては最初の半鋼製で丸妻、正面5枚窓、片側三扉となりました。

51_150524_5 ブリル27-MCB-2形 台車

主要機器はアメリカ製で制御機はウェスティングハウスのHL式、モーターはGE263形65PS4台、台車はブリル27-MCB-2形でした。

最初はバッファー付きのリンク連結器でしたが、1926年にウェスティングハウス製K1A連結器に変更し、1928年から41号形と連結運転を開始しました。1937年には51号形からデ51形に改番、1939年にはトロリーポールからパンタグラフ集電に変更となり、ドアエンジンも装備されました。

1942年大東急発足に伴い、デハ5140形に改番、1947年、品川~横浜間1500V化に伴い、デハ5146、5149、5151-5160を制御車クハ5140形に改造、5146、5147は戦災で焼失しましたが、付随車として復旧しました。1948年、京急として分離後は140形と再改番、付随車化された際に外された電装品の一部は東急玉川線デハ1形に流用されました。

150214_2 東急デハ1はこんな車両でした。 2015/2/14 東急電車とバスの博物館

1951年、大師線の1500V化で残ったデハ140形もクハ140形に改造され、デハ230形、デハ290形と組んで活躍しました。

1960年代、1000形の増備で、1964年から1965年にかけて、全車廃車となりました。

51_150524_7 現在はリンクバッファー連結器、ポール集電に戻されています。

クハ141が解体を免れ、京急創立80周年記念で、原型に復旧され、保存されるようになりました。

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2015年7月 6日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 7 Aeromexico 737-700

San Diego Lindbergh空港でのSpotting,今回はAeromexico航空Boeing 737です。

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EI-DRE Boeing 737-752 cn 35787 ln 2111 2008/1/18 SAN

アエロメヒコ航空は正式にはAEROVIAS DE MEXICO, S.A. DE C.V.と云い、メキシコ合衆国最大の航空会社でフラッグキャリアでもあります。拠点はメキシコシティ国際空港です。航空連合ではスカイチームに属し、デルタ、エールフランス、大韓航空などとともに有力メンバーです。

アエロナベスとして1934年9月15日に設立しました。最初に飛行した航空機はStinson Reliant (単発高翼機4-5名乗り)でした。パンナムの援助を受け、Douglas DC-3DC-4でメキシコ国内線の充実に努め、第二次大戦後はDouglas DC-6Bristol Britanniaで国際線運航を開始し、マドリードやパリに就航し、1958年にはアイドルワイルド空港(後のJFK)にも乗り入れを開始しました。

1960年代にはレシプロ機はジェット機DC-8Comet-4Cに置き換えられて行きました。1964年の東京オリンピックでは大会関係者を乗せて羽田に飛来、次の1968年のメキシコオリンピックではオフィシャルキャリアになりました。

1970年代にはDC-9で国内線の完全ジェット化を果たしました。1986年8月31日には64名が犠牲になったロサンゼルス上空での小型機 (Piper Aircraft)との空中衝突事故などもありましたが、経営を維持しました。また、1974年にはDouglas DC-10-301981年にはMD-82のローンチカスタマーのひとつになっています。

1990年代、それまではDouglas一辺倒だった機種選択から、Boeing機の導入が始まり、DC-10がBoeing 767に置き換えられました。1993年、メキシコ第二の航空会社メキシカーナを吸収合併しました。2001年9月11日の同時多発テロ以降の航空不況では大きな打撃を受けましたが、その後も順調に経営を維持し,2006年には日本乗り入れも開始しました。

2015年5月時点でのFleetは

Boeing737-700  23機
Boeing737-800  30機 オーダー25機 オプション10機
Boeing737-MAX8       オーダー60機 オプション30機
Boeing767-200ER 2機
Boeing767-300ER 1機
Boeing777-200ER 4機
Boeing787-8    7機  オーダー2機
Boeing787-9             オーダー6機 オプション4機  となっています。

Aeromexico_fleet_list
これまでにAeromexicoに在籍したBoeing 737のリストです。
情報はPlanespotters.netをもとにしました。

N967am_boeing_7878_dreamliner_cn_35 N967AM Boeing 787-8 Dreamliner cn 35312 ln 163  2014/8/2 NRT

因みに日本乗り入れ機材はBoeing 787-8です。昨年夏に成田で撮影しました。

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2015年7月 5日 (日)

47年振りの東急世田谷線訪問 その4 デハ300形 306F

東急世田谷線の300形、今回は306Fです。

306_309_150207
47年振りだった、今年2月7日に乗車した時は上町の車庫で休んでいました。
前にも記述しましたが、世田谷線は平日は9編成、土曜・休日は7編成が運用に就いています。

306_150214_4
一週間後、再び三軒茶屋で待っていると306編成は運用に就いていました。 2015/2/14

306_150214
三軒茶屋で折り返し,発車を待つ306編成 2015/2/14

306_150214_9
三軒茶屋を出発して行く306編成 2015/2/14

306_150322_06
下高井戸から山下にやって来た306編成 2015/3/22

306_150322_010
山下駅での上り方面 定番ショット 2015/3/22

306_150322_5
山下駅での下り方面 定番ショット 2015/3/22

306_150322_7
下高井戸に向かう306編成 2015/3/22

306Fの塗色はレリーフイエローというそうです。

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2015年7月 4日 (土)

西武新101系 その8 白塗りワンマン車4連 1249F

西武鉄道の中でも今ではすっかり支線に追いやられ余生を送っている新101系4連の話題、今回は「夏」編成だった1249Fです。

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多摩湖線運用に就き、国分寺駅で発車を待つ1249F 2012/12/31

101n_249f_130101
一橋学園に到着する1249F 2013/1/1

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キャンペーンも終わり、「夏」のステッカーが剥がされた1249F 2014/9/27 白糸台

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モハの側面には広告が 2014/9/27 白糸台

1249Fは東急車輌製で1980年4月1日に竣功しています。101系としては10次車グループに属し,1245Fから1253Fまでが製造されました。2010年5月24日、更新修繕を受け、同じときにパンタグラフもシングルアーム化、されワンマン化改造、CPのMBU1600-Y3化、MGからSIVへの換装も受けました。

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2015年7月 3日 (金)

電気機関車 EH500シリーズ 901号機

平成のマンモスEH500を1両ずつ見て行くシリーズ、最初は試作機の901号機です。

Eh500901_030419_2
黒磯で直流機から牽引を引き継ぐ901号機 2003/4/19

901号機1997年東芝府中工場で落成、1998年3月、JR貨物に車籍編入され当時の長町機関区に新製配置となり、各種試験に供され、1999年8月、仙台総合鉄道部が完成すると、転属となりました。

EH500の場合、試作機、1,2号機、量産2次形、量産3次形と大きく形態が変化していますが、試作機901号機の場合、一目見て901号機と分かるくらい量産型とは異なっています。

Eh500901_030517
2003/5/17  白坂にて

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2004/3/10 新秋津

901号機は当初、保安装置の関係で首都圏乗り入れが出来ませんでしたが、2004年春に東芝で量産化改造を行い、首都圏運用が可能なようになりました。写真はその出場の際の試運転です。

Eh500901_070908
3087列車を牽引して北朝霞に接近 2007/9/8
この頃からHMステーが各車に装着され、901号機にも付いています。

Eh500901_080801
2008/8/1 金谷川駅を通過

Eh500901_090124
2009/1/24 大宮駅に接近

Eh500901_090823_2
2009/8/23 日和田駅を通過

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安中貨物を牽引して浦和駅に接近 2013/4/27

Eh500901_130428_2
上の写真の翌日 2013/4/28 荒川沖~ひたち野うしく間にて

2013年から2014年にかけても901号機は長期間運用を離脱するか、短距離の限定運用に投入される状態となっていましたが、2014年7月に久しぶりに長距離運用に復帰し、常磐コンテナ貨物を牽引することもありました。

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2094列車を牽引して常磐線を上る901号機 この列車は藤代での中線停車がないため、パンタは既に直流区間モード 2014/8/5 荒川沖~ひたち野うしく間

この運用を撮った後、最近、901号機の動きは見られないようです。2016年3月の青函トンネル新幹線共用化でEH500の運用は大きくかわり、九州転属車も出るとのことなので、901号機自身がどうなるかも気になるところです。

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2015年7月 2日 (木)

1989年のDüsseldorf Airport その34 Lufthansa A310

冷戦時代の西ドイツDüsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はLufthansaAirbus A310です。

Daics_cn_400_airbus_a310203_89050_3
D-AICS Airbus A310-203 cn 400 1989/5/3 Dus

サッカー女子ワールドカップカナダ大会、世界ランク1位のドイツチームは準決勝でアメリカと対戦し、惜しくも0-2で敗れ、昨年の男子ワールドカップに続いて男女ともの世界チャンピオン獲得はなりませんでしたが、ドイツのサッカーのレベルの高さは世界に知らしめていますね。

さて、ドイツのフラッグキャリアであるルフトハンザ航空に関してはこれまで、ベルリンテーゲル空港のBoeing 707-458 D-ABOC, Düsseldorf空港のオブザベーションデッキのJu52DC-10-30Boeing 727, Boeing737-230, -330シカゴ空港でのB747-8の話題などで触れてきましたが、エアバス機の話題は初めてとなります。この後のフランクフルト空港ではA340, A320などが登場しますが、ここではA310について触れようと思います。また、A310の開発ストーリーに関してはベルリンテーゲル空港でのパンナム機の話題で触れました。

Airbus A310はA300の胴体を10フレーム分短縮し、座席数を200席程度とした機体でサイズ的にも航続距離的にもBoeing 767と競合する機体です。当初はA300B10と呼ばれ、後に正式名称がA310に決まりました。

この写真のA310-200はルフトハンザとスイス航空がローンチカスタマーとなったタイプで1978年7月7日にルフトハンザが50機、スイス航空が20機発注して製造が開始されました。A310は最初から二名乗務を前提に製造されており、操縦士の作業負担を軽減するために機体のシステムが自動化され、従来の機械式計器に代えて6基のCRTディスプレイに計器情報を統合的に提示するコックピットが開発されました。

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表1 LufthansaのA310-200 Fleet List すべて-203 (エンジンGE CF6-80A3)というタイプで13機導入

エンジンはGEのCF6シリーズとPWのJT9Dシリーズ、RRのRB211シリーズから選ぶことが可能とされましたが、LHはCF6、SRはJT9Dを選択し、RRのエンジンを搭載したタイプは結局製造されませんでした。

A310の航続距離延伸形としてA310-300が開発され、スイス航空がローンチカスタマーとなり、1983年3月29日に開発がアナウンスされました。-300は水平安定板内にも燃料タンクを設け、尾翼と主翼の燃料を移送することで機体の重心位置を制御するシステムが導入されました。この技術は最初はコンコルドで開発されたものでしたが、実際に水平尾翼に燃料タンクを設けたのはA310-300が最初でした。さらに燃料搭載量を増やすオプションとしてLD-3貨物コンテナ2個分のサイズの補助中央タンクも用意されました。

Lh_a310300
表2 LufthansaのA310-300 Fleet List すべて-304 (エンジン GE CF6-80C2A2)というタイプで12機導入

これらのデータはAirfleets.net から

A310-300では複合素材の適用範囲が拡大し、垂直安定板の1次構造部材にもCFRPが用いられ、軽量化が図られました。-300では主翼の翼端渦を抑えるため翼端にウイングチップ・フェンスが付け加えられ、これが-200との区別にもなっていましたが、後に-200でも追加となりました。エンジンはGE, PW, RRの3種の選択肢がありましたが、-200と同様RRのエンジン装備機は製造されませんでした。初飛行は1985年7月8日で、12月にスイス航空に引き渡され、就航しました。この頃、双発機の洋上長距離飛行の条件を定めるETOPSルールも策定され、A310-300タイプは大西洋横断路線、アジア~ヨーロッパ路線、シンガポール~モーリシャス路線などにも投入されました。

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D-AICS

こういった流れから1980年代後半から1990年代初頭にかけてA310の販売実績は好調に推移しましたが、最大のオペレータだったパンナムの倒産、ルフトハンザも運航数を減らし始め、旅客機から貨物機へとのシフトが始まりました。1998年4月6日に255号機が初飛行したのを最後に製造は無くなり、2006年3月にエアバス社はA300-600とともに総生産機数255機で生産の終了を発表しました。Boeing 767に較べると総生産機数は半分にも満たない状況ですが、A310の技術はA300-600の開発に生かされ、以降のエアバス機にも引き継がれました。

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2015年7月 1日 (水)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part7 DD51 1006 1102

この春のダイヤ改正で引退した「トワイライトエクスプレス」、前回までは6両のEF81について1両ずつ振り返って来ましたが、今回からはそれ以外の牽引機として、ED79と行きたいところですが、ED79の牽引の写真は一枚も撮っておらず、かつトワイライトエクスプレス牽引仕業ではHMの装着が無かったとのことなので、JR北海道の青いDD51に行きたく思います。

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DD51 1006号機重連に牽引されるトワイライトエクスプレス 8002列車 2008/3/20

現在の所属は函館運輸車輌所です。ここはかつて岩見沢第2機関区から1987年3月1日に改称した空知運転区(1994年11月1日廃止)や旭川運転所(現 釧路運輸車輌所)に所属したDD51全15両を1994年札幌圏の普通客車列車廃止に伴い、函館に異動させ統合したものです。

15両の内訳は番号順に、1006, 1054, 1068, 1083, 1093, 1095, 1100, 1102, 1137, 1138, 1140, 1141, 1142, 1143, 1148でした。このうち、1006と1068の2両は「北斗星1,4号」が廃止となった2008年3月の改正で余剰となり、廃車され、海外譲渡されました。

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上野幌を通過する8002列車 2008/3/22

その後、1054, 1083, 1142の3両も車籍を失い、現時点では10両体制となっています。この中でも「トワイライトエクスプレス」牽引の写真があるのは1006と1102の2両だけです。

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同じく1102号機重連に牽引され北広島を通過する8001列車 2010/6/26

北斗星、カシオペア牽引のDD51の写真は他のDD51でもあるのですが、トワイライトでは以上です。次回のこのシリーズではトワイライトエクスプレスの客車について触れようと思います。

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