通勤電車シリーズ 103系 30 福知山線
通勤電車103系シリーズ、前回は7月18日の記事で阪和線の103系について触れました。
これまで関西地区の103系は
片町線、関西本線、大阪環状線、東海道緩行線 などに触れてきましたが、福知山線について触れるのは今回が初めてです。民営化されてから、大阪~篠山口間の路線はアーバンネットワーク路線のひとつとなり、JR宝塚線の愛称が与えられました。
福知山線は1891年7月、尼ヶ崎(後の尼ヶ崎港)~伊丹間に馬車鉄道として開業した川辺馬車鉄道が発祥です。1893年12月12日、蒸気動力の軽便鉄道となり、尼ヶ崎~池田(現在の川西池田)間の摂津鉄道となりました。
その後、阪鶴鉄道に譲渡され、改軌が行われ、宝塚まで延伸、1899年7月15日には福知山南口まで開通しました。日露戦争の開戦もあり、軍部からの要請で舞鶴鎮守府までの開通が急がされ、1904年11月3日には福知山~綾部~新舞鶴(現在の東舞鶴)は官設で開通、阪鶴鉄道も福知山(天田)まで延伸し、福知山~新舞鶴間は貸与され、大阪と舞鶴を結ぶ鉄道が完成しました。
1907年8月1日に国有化され、阪鶴線と呼ばれ、1912年の山陰本線の京都~出雲今市間の開通で、神崎(現在の尼ヶ崎)~福知山間、塚口~尼ヶ崎間が福知山線となりました。
大阪と山陰方面を結ぶ亜幹線でありながら、線路改良や電化は大幅に遅れ、C54形蒸機やDD54形DLが特急「まつかぜ」も設定されましたが、1972年設定の特急「はまかぜ」は時間短縮を理由に姫路駅経由となりました。1986年10月31日までは客車普通列車が走るのどかなローカル線といったイメージの路線でした。
かつては大阪駅でDD54牽引の列車も見ることができました。 1974/9/30
客車から乗客の転落事故などもあり、自動ドア付きの12系客車が投入されたのは1985年3月のダイヤ改正でした。阪急宝塚本線、今津線などとも競合し、さらに国鉄末期には運賃値上げも数回実施されたため、阪急との競争は完全にギブアップ状態でした。
関西地区では初のカナリアイエロー色を纏って登場した福知山線103系 1981/11/30 大阪
1981年4月1日、宝塚までの電化で普通として103系6連カナリアイエロー(黄5号)が投入されました。当時の国鉄としては阪急との競争が少しでも挽回されるかと期待したようですが、運賃値上げや1時間に一本程度の運行頻度では太刀打ち出来なかったようです。
福知山線103系 4連 1984/12/6 尼ヶ崎
1984年2月1日のダイヤ改正では4両編成に短縮されてしまいます。
その後、国鉄民営化でJR西日本になってから6両編成に戻されました。10年後の1997年9月1日のダイヤ改正で、JR京都線と直通運転が開始され、7両編成となり、1999年以降、順次スカイブルーに塗り替えられました。2003年8月14日、高速化やJR東西線開業で運用を退きました。
2005年4月25日に発生した尼ヶ崎事故の影響で、車両不足を解消するため、8月1日より、321系の運用開始までの間、一時的に復活し、11月30日まで運用されました。
所属は宮原電車区でした。
表1 新製配置から4連化での転属による変化
表1に宮原区における103系の配置と4連化での転属の様子を纏めました。
クハ103は-833から-850の15 両(845, 847と849は欠番)のうち、834はヒネ、836, 838はヨトに配属され、それ以外の12両が、モハユニットは775/2032~786/2043ユニットがミハに配属となりました。恐らく、番号順に編成が組成され、4連化にあたっては,番号の大きい方のユニットが抜かれたのだと思われます。抜かれたユニットのうち、784/2041だけは予備車として2年半ほど、宮原区に引き続き置かれました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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こんにちは~。モモパパです。
DD54.
懐かしいです。
福知山線を走ってたのですか。
僕、DD54は生で見たことが無くって。
転落事故がきっかけで電化されて103系が活躍してるのでしょうか。
投稿: モモのパパ | 2015年8月29日 (土) 03時56分
モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。
当時の国鉄としては阪急との対抗上、旧形客車から12系へ、さらに電化へと進めたのでしょう。ただ、全ては本社が決める国鉄の方式ではそれぞれの地域にあったきめの細かい対応が出来ず、運賃はどんどん上がるはで、効果が出なかったのかと思います。
JRになって沿線開発も進みかなり変わったのではと思います。
逆にそれが行きすぎて、あの悲惨な事故に繋がったのかとも思いますが。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年8月29日 (土) 05時53分
B767−281様 おはようございます。遅ればせながらこちらにコメントさせていただきます。国鉄末期の広域転配懐かしいです。常磐線、南武線、そして101系1000番台が淘汰されつつある武蔵野線など、写真を撮り歩いたのを思い出します。クモハ103を短編成化に便利だと関西に放出し、逆に関西のモハが移ってきた時期ですね。それにしても関東に来たモハは早々に引退し、今回ご紹介いただいた関西に残った元黄色の面々は全て生き残っている(クハの839は事故廃車ですが)のもまた運命ですかね。103系の続きも楽しみにしております。
投稿: 細井忠邦 | 2015年8月29日 (土) 07時24分
細井忠邦さま、こんばんは。
まさに全国区の国鉄ならではの転配でしたね。福知山線電化開業用に103系の最新ロットが投入されるも、6連では過剰ということで、MM'ユニットを抜いて、山手線や常磐線の補充に回すなんて今では考えられないことになってしまいましたね。
JRになってからの運命も会社によって異なり、片やギネス記録を更新ですからね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年8月29日 (土) 21時16分
B767さん…おはようございます(^^)福知山線の103系ですね。登場当初は…6両だったんすね‼︎のちに…4両に短縮されてますね。あ…乗務員室扉の横に戸袋窓がある‼︎
投稿: マスダっち1971 | 2015年8月31日 (月) 11時03分
マスダっち1971さま、おはようございます。
そうですね、このときのクハは高運転台タイプでもATC非搭載のタイプでしたので、戸袋窓があるタイプになりましたね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年9月 1日 (火) 05時02分