速報版 2015夏の旅行 広島・山口・島根編 4日目 その11
一畑電車の松江しんじ湖温泉駅は宍道湖の東の岸、大橋川にかかる宍道湖大橋のすぐそばにあります。松江市中心部から見れば西の方に位置します。
松江市中心部の島根県庁前にある松平直政公の像
松江市は島根半島の宍道湖と中海に挟まれた地域に広がり、松江藩の城下町として発展してきました。山陰地方最大の都市で、宍道湖から中海に注ぐ大橋川によって市街地は南北に分かれ、北側が橋北、南側が橋南と呼ばれているそうです。
豊臣政権時代は出雲地域が毛利氏の支配下で一族の吉川広家がかつて尼子氏の居城だった月山富田城(現 安来市)を政庁として出雲一国を経営していました。
1600年の関ヶ原の戦い以後、毛利氏は周防・長門2国に減封となり、吉川広家も岩国に移され、遠江国浜松の堀尾忠氏が、父堀尾吉晴とともに出雲・隠岐24万国で入部し、出雲富田藩が出来ました。忠氏が27歳で早世したため、父吉晴が幼児だった忠晴の後見として事実上の藩主となり、月山富田城が山城であり、不便だったため、1607年から5年がかりで松江城を築城し、1611年完成に至り、松江藩が成立となりました。
県庁前あたりから見た松江城天守閣
吉晴は城の完成を見届けまもなく死去し、忠晴は成人しても男子に恵まれず1633年33歳で死去すると堀尾家は無嗣改易となり、1634年若狭国小浜藩より、京極忠高が入部となりました。京極氏は戦国時代の出雲守護であり、故地復帰となりました。24万石の領地に加え公儀御料の石見銀山、石見国邇摩郡・邑智郡の計4万石を預かることとなりました。
しかし3年後の1637年、忠高は死去し、1638年結城秀康の三男松平直政が18万6千石で信濃国松本藩より転封となりました。これ以後、出雲国は越前松平家の領するところとなり、松平家は公儀御料となった隠岐1万4千石も預かることとなりました。
藩の財政は年貢米の収入だけでは苦しかったため、早くから専売制を敷き、鉄の生産を統制しました。次に行く機会があれば見学しようと思いますが、安来にはたたら製鉄やたたら吹きの製鉄技術を伝える和鋼博物館があります。また7代藩主松平治郷の時代は藩政改革の成果も上がり、8万両の蓄財も出来、茶道の新興に務め、不昧流を創設しました。この頃より、松江は京都、奈良、金沢と並んで和菓子の一大名所となったそうです。そのために治世の後半では散財が嵩み、再び藩の財政が危うくなったそうですが。
幕末期、松江藩は政治的スタンスを明確にせず、新政府からは不信を買ったそうですが、一方で隠岐の代官が島民の不満爆発で放逐されるという隠岐騒動も起こり、隠岐には自治政府が誕生し、1869年の隠岐県誕生に繋がったそうです。
猛暑の中でしたが、自転車でまずは北公園に保存されているC561131号機を見学しようと思いました。
市内を西から東に進む過程で
松江城の堀 片原町付近
米子町にある米子橋
堀川巡りの遊覧船 米子橋を潜るために屋根が畳まれる光景は「ブラタモリ」でも観ることが出来ました。
松江市を西から東へ横断するので、歩いたらかなりの距離ですが、自転車の威力で数分で北公園に到着しました。スマフォのマップソフトによる位置確認の効果もありました。C56131号機に関しては保存蒸機のシリーズで触れる予定です。
北公園にはC56131号機が「ちどり」のHMを付けて展示されており、その横にはシベリア強制抑留者の慰霊碑、さらに原爆慰霊碑もありました。
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コメント
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こんにちは~。モモパパです。
B767-281さんは日本史にもお詳しいんですね。
僕は高校時代に選択授業で世界史を選びましたから日本史はいまいちピンと来ません。
でもお城は好きなんですが。
「ブラタモリ」。
観ました、観ました。
遊覧船の屋根が畳まれるんですよね~。
松江は歴史をいまだに色濃く感じさせる素晴らしい街並みですね。
投稿: モモのパパ | 2015年8月19日 (水) 08時36分
モモのパパさま、おはようございます。
8月1日のブラタモリ、わたしも新山口のホテルで観ました。
堀河巡りの遊覧船、宍道湖の蜆の話題、運河の水位の話、どれも非常に興味深く、今回の松江訪問の参考になりました。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年8月20日 (木) 03時31分