« 小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 4 1800系   | トップページ | 尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その1 「夢空間」「北陸」 »

2015年9月 9日 (水)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 17 C61 2号機

昨年8月、1974年9月以来、40年ぶりに訪問した梅小路蒸気機関車館も、先月30日京都鉄道博物館としての開館に向けて一旦閉館となってしまいました。

今回は本来の順番からはC59形式ですが、1号機を九州鉄道記念館のシリーズで紹介しているので、2種類のハドソンタイプ(2C2)の軸配置の機関車のうちの一両C61形式の2号機を先に紹介致します。

C61_2_140812_4
後ろ姿の写真しかないC61 2号機 2014/8/10

まず履歴から見て行きます。沖田祐作氏の機関車表データによりますと

C612      三菱重工業三原工場=641           1948-07-31 S78.10t2C2T(1067)
   車歴;1948-07-31 製造(ボイラ=D511109)→ 納入;国鉄;C612→ 配属[達181];仙台局→
      1948-07-31 竣工→ 配置;仙台→1948-09-04 鶴操通過仙台へ→1948-09-06 到着;仙台→
      1949-02-11 発三原へ(ストーカー取付)→1949-02-12 鶴操通過糸崎へ→
      1949-03-10 鶴操通過仙台へ(ストーカー装備完了)→1949-03-12 着;仙台→
      1966-06-01 一休[仙機達1993];仙台→1966-10-23 発(10/23 着)(10/22?)青森→
      1971-05-10 発(5/17 着)鹿児島→1971-06-20 発(6/21 着)借入;南延岡→
      1971-07-20 発(7/21 着)宮崎→1971-11-17 発(11/20 着)借入;梅小路(100 年記念展示)→
      1971-11-29 発(12/2 着)返却→1972-07-28 鹿児島工場発→1972-07-29 借入?;鹿児島→
      1972-08-08 発(8/9 着)返却→1972-09-10 発(9/13 着= 書類上は9/11 付)梅小路→
      1972-10-10 動態保存;京都府「国鉄梅小路機関車館」;C612;梅小路→
      1978-03-28 廃車;梅小路→ 車籍復活;C612→
      1987-04-01 動態保存;京都府JR 西日本「梅小路機関車館」;C612;梅小路運転区(以下略)→
      2008-04-01 現在;梅小路運転区

誕生は三菱重工業三原工場で1948年7月31日でした。1号機1947年11月30日3号機以降21号機までは同工場で8月から1949年8月までにD51のボイラーを利用して改造され、22号機から33号機は日本車輌名古屋工場で1948年9月から1949年3月にかけて改造されています。次の記事でC62形式が登場しますが、C621号機の方が先にD52のボイラーを用いた改造に着手していたそうですが、労働争議などの関係で完成が遅れ、C611号機が先に完成し、初のハドソンタイプとなったそうです。ただ、1号機と2号機の間には結構な時間差があることがこのデータからも分かります。

当時、石炭の質も悪かったためフル出力を出すためには大量の石炭投入が必要だったため、機関助手の労力軽減を目的として、自動給炭装置(メカニカルストーカー)も初めて採用・設置されました。

足回りはC57形をベースに設計されましたが、重量は増加し、軸重を軽減するために2軸従台車に設計変更されました。従台車の取り付けピン位置の変更で動輪上軸重を軽減できる構造になっていましたが、無煙化が進み、軸重軽減工事は受けること無しに梅小路へ来たようです。

その生涯は新製配置から仙台機関区配属となり、東北本線の優等列車、特急「はつかり」「はくつる」の牽引に活躍し、十三本木峠越えではC60形の前補機とともに重連で活躍もしました。1968年10月、同線の電化が完成すると、2, 18, 19, 20, 24, 28の6両は青森機関区に配置され、奥羽本線秋田~青森間で普通列車、荷物列車の牽引に活躍しました。わたしも写真には写していませんが、能代を訪問したときにC61が牽引する列車に乗車したのは憶えています。そして最後は南九州の地、鹿児島、延岡、宮崎で短期間を過ごし、1972年10月動態保存機として梅小路にやって来ました。

(追記)青森のC61が宮崎に移動したのは1968年当時、会計検査院の指摘による廃車基準の変更があったそうです。それまでは無煙化などで蒸機機関車に余剰が出た場合、当該線区の機関車が廃車となり、別の線区で働く同形式の機関車は例え全検期限が来ても、全般検査を受けて使用され続けていました。その点を会見検査院が指摘し、余剰となった全検まで未だ期間のある機関車を転配し、他線区で全検期限を迎える機関車を廃車にして置き換える、「廃車基準の変更」がこの頃から実施され、C61 6両は青森から宮崎に転配されたそうです。その代わりに、宮崎区で全検期限を迎えていたC57 4,36,116,178と鹿児島区のC57 21,22が廃車となりました。

こちらに来てからの運転実績としては
1974年5月12日、「SL白鷺号」として、大阪駅~姫路駅間を12系客車を牽引があり、1979年3月28日に車籍が抹消されたが、1987年3月1日に車籍が復活となりました。

C61_2_140810_3
辛うじてエンジン部分もなんとか記録はしておきました。

この機関車、どうも私には縁が薄そうな機関車で、1974年9月の訪問時もなぜか写真が無く、今回の訪問でも台風でSL体験列車「スチーム号」はお休みで、扇形庫に頭から入っていました。動態保存機ではあるものの、全般検査を受けていないため、本線運転は出来ないとのことです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 4 1800系   | トップページ | 尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その1 「夢空間」「北陸」 »

鉄道博物館」カテゴリの記事

蒸機D51」カテゴリの記事

蒸機C61」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~。モモパパです。
梅小路機関車館。
一時閉館してリニューアルして再オープン。
場所も移るみたいですね。
あの立派な扇形庫やターンテーブルはどうなっちゃうのでしょうか。

C61 2号機。
僕的にはC62 2号機の存在にかすんでしまっていまいちメジャーな機関車になりきれてないような気がします。 

モモのパパさま、おはようございます。

わたしも扇形庫やターンテーブルがどうなるかはよく分かりませんが。昨年8月に訪問した時の印象では、あれらの西側にビルを建てていたので、そちらが博物館の本館となり、扇形庫やターンテーブルと繋がった広大な博物館が出来るのではと想像しているのですが。扇形庫やターンテーブルを移したり、壊したりはしないのではと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 17 C61 2号機:

« 小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 4 1800系   | トップページ | 尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その1 「夢空間」「北陸」 »

カテゴリー

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村