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2015年10月23日 (金)

通勤電車シリーズ 103系 33 仙石線

4扉通勤車 103系の歴史、首都圏、関西圏の新製配置、山手線、京浜東北線のATC化による先頭車の異動、九州福岡市営地下鉄との相互乗り入れなどを見てきましたが、今回は仙石線の103系について触れてみようと思います。

仙石線は仙台市と石巻市を結ぶ幹線で、1925年6月5日、宮城電気鉄道により、仙台~西塩釜間が開業され、1928年11月22日、石巻駅までの全線が開業しました。1944年5月1日、戦時買収で国有化、仙石線となり、民営化後はJR東日本の路線となっています。

東北本線との交差のため、仙台駅~東七番町駅間は地下区間として建設され、日本で最初に開業した営業用の地下路線となりました。1952年、路線短縮で地下区間は廃止となり、2000年の再地下化まで仙台駅北側地下改札口と東北本線を結ぶ地下通路として利用されていました。

7151000_417911114 まだ仙石線が地上から出ていた頃の仙台駅東口方向 1991/11/14

1990年代、家族で祖父の暮らす能代に出かける際、仙台で一泊したことがあり、その際この地下通路を利用した憶えがあります。

1033000_5155_030505 八王子で休息中の八高線、川越線用 103系3000番台 2003/5/5

車両は宮城電気鉄道からの引き継ぎ車、いわゆる買収国電からスタートし、首都圏で余剰となった30系、31系、33系、50系から、クモハ54、モハ70の時代を経て、72系が投入され、1974年には車体のみ103系後期車と同等のものを載せたアコモ改良車、後に機器類も103系と同等のものに交換して103系3000番台となった車両が活躍しました。

車両管理に関しても1956年から仙台鉄道管理局仙石線管理事務所(仙セン)、1971年からは陸前原ノ町電車区(仙リハ)、1991年からは宮城野電車区(仙ミノ)、2003年から検修部門は仙台電車区宮城野派出所、2004年仙台車両センター宮城野派出所(仙セン)となっています。103系の配置転属の歴史でも所属名がよく変わる電車区です。

103_860806 1979年から投入された第一陣の103系 1986/8/6 仙台駅地上ホーム

103系は1979年から投入されました。これらは首都圏各線で運用されていた初期車がATC対応車の投入で捻出されたもので、仙石線投入に際して、

・塗装はスカイブルーに
・ドアは半自動化
・客室ヒーターの増設
・タブレット使用区間のため、乗務員室扉直後の戸袋窓をタブレット衝突による破損防止から埋込
(但し、自動信号化後の1984年以降に転入した先頭車にはこの改造はされませんでした)
・2人乗務用に運転室助士側に座席とワイパーを増設
・前面窓ガラスにデフロスタを取付(後に熱線入ガラスと交換されたため撤去)
・ATS-S形車上装置の搭載

といった改造が施されました。これらの車両は1993年までに淘汰されました。

103_19791993_2 表1 1979年から1993年まで配置された第1次103系
先頭車の太字はライトシールドビーム化改造車です。
1986.11ダイヤ改正のJRR編成表データから 

上の写真の車輌、編成表データからクハ103-537だったのかもしれません。

1989年以降は首都圏各線へ205系が投入されたことによる、捻出車を更新して投入し、

・窓を上段下降・下段固定のユニット窓に交換
・ドアを窓が大きいタイプに交換(車両更新を終えてから転入した3編成は窓とドアの交換が省略)
・前面窓を2枚窓化
・運行番号表示器の列車愛称・種別表示器設置の改造が施されました。

これら更新車も老朽化が進み、205系3100番台との置き換えが決定し、2004年7月までに運用を終了し、廃車/解体されました。

103_19892007 表2 1989年頃から103系終了まで配置された編成
2002年夏 編成表データから

廃車に至る過程で興味深いのは仙石線はカーブが多いため、103系の高運転台車よりも低運転台車が好まれ、その結果、高運転台車の方が低運転台車よりも先に廃車された唯一の線区となったことです。

103_060820 郡山に留置される RT-235編成 2006/8/20

ただ、2006年以降に予定されていた多賀城付近の立体交差工事で車両不足が想定されたため、RT-235編成のみ残され、2007年3月19日に営業運転に復帰しました。

復帰に際して
・クハ103-235にトイレと車椅子スペースを設置
・ATS-Sn→ATS-Psに変更
・モハ103-343のパンタグラフをシングルアーム式2基に変更
・台車をグレー塗装化
・座席モケットを205系と同タイプに変更
といった改造が郡山で施工されました。

その後、南武線の209系2200番台の投入で205系が捻出され、2009年10月21日に営業運転を終了、2010年1月に解体されました。

2051200_48_060211 南武線で活躍中のナハ48編成 205系1200番台 2006/4/22 尻手

2009年7月21日 ナハ48編成が大宮総合車両センターに回送、モハ205/204-21のユニットが抜かれ、クハ205/204-1203は-3119に、モハ205/204-19ユニットは-3119に改番され、新たにM19編成になりました。抜かれた-21ユニットはナハ4編成(MG故障修理中にモハ205/204-236ユニットが故障>廃車へ)に替わって組み込まれました(情報はこちらから)。

RT-235編成の廃車でJR東日本の103系は消滅しました。

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コメント

B767-281様おはようございます。クハ103ー235懐かしい車です。中央快速に最初に投入されたグループの一員で、よくここまで生き延びたと思います。103系は両数が多いだけあって、西日本を含めても様々ないきさつで生き残った車がいますね。こちらの展開も楽しみにしております。

細井忠邦さま、こんばんは。

確かに、1973年1月頃山手、中央、大阪環状に登場した低運転台、ブタ鼻ライトの量産冷房車ですね。山手線配置車はすぐに関西に転属しましたが、中央線組はこうやって残り、2組は仙石線で生涯を終えたのですね。

一方で、今発売中のRailMagazine誌に国鉄型通勤電車の特集記事が載っていますが、それを見ると関西では、特に奈良電車区では量産冷房車の前のブタ鼻ライト非冷房で登場したグループが生きていることも分かりますね。

B767さん……おはようございます(^^)仙石線ですね。仙石線の仙台駅は、昔は地上ホームだったんですね。八高線・川越線用103系3000番台って……昔は仙石線で運用されていたんですか⁉︎

こんにちは~。モモパパです。
仙石線の車輌といえば旧型国電の車体だけを103系の車体に載せ変えた車輌が走ってましたね。
僕、その車輌に乗ったことがありますよ。


マスダっち1971さま、モモのパパさま、おはようございます。

詳細は後日、川越線や八高線の話題でもう一度出て来る予定ですが、あの頃、身延線にも113系によく似た旧形電車の車体載せ替え版が登場するなど、流行っていましたね。

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