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2015年10月 5日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 32 武蔵野線 part1

通勤電車103系の活躍を線区ごとに時代順に追っかけて来ましたが、今回は関東地区の武蔵野線について触れてみたく思います。

通勤電車101系のシリーズでも触れましたが、武蔵野線は1973年4月1日、府中本町~新松戸間が開業しました。このときは西国分寺~新小平~新秋津間の長大トンネル対応用として、101系初期車にA基準を適用させた改造1000番台 6両編成11本が投入されました。1978年10月2日の西船橋延長時には6連4本が増備され、15本体制となりました。

103_14_821031 高運転台非ATCクハ先頭 E14編成 1982/10/31 新松戸

1980年10月1日のダイヤ改正では増発用として103系6連1本が新製投入されました。高運転台非ATCタイプの先頭車で、武蔵野線初の冷房編成となりました。
1981年には中央快速線に201系投入で捻出された冷房付き6連1本が転入しました。一方で101系1000番台の老朽化も迫り、常磐緩行線に203系を投入、103系1000番台が快速線に転入、 余剰となった103系0番台が武蔵野線への流れで続々と103系0番台、クモハ103なども転入しましたが、101系の検査期限も迫り、1985年以降は203系、205系の投入でさらに加速されましたが、かなり綱渡り的転配が行われ、その結果、混色編成も多数出現しました。

103_14_821031_2 高運転台非ATCクハ先頭 E14編成 1982/10/31 新松戸

1984年4月1日現在の豊田区の103系の編成表によりますと
武蔵野線用103系6連は

E15 Tc-813+M-750+M'-2007+M751+M'2008+Tc820
E16       815      752       2009    753     2010     822

の2編成で、E1~E14が101系1000番台非冷房車に当てられた編成番号でした。

1986年3月3日のダイヤ改正では青梅・五日市線の6連との共通運用となりました。さらに201系6連2本が武蔵野線で活躍することにもなりました。

198611_1036 1986年11月 豊田区103系 6連編成表 無色のセルはオレンジ色
JRRの復刻版1986年11月ダイヤ改正の際の国鉄電車編成表データを下に作成しました。
なお、この編成表では201系6連は3編成となっていました。

国鉄末期には明石区から出戻りのクハ(上の表のE27編成の-13, -14)が豊田区で活躍することもありました。そういった変遷の後、の民営化では103系220両(6連24本、4連19本)がJR東日本に継承されました。JR以降の変化はpart2の記事で。

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コメント

B767-281様今晩は。懐かしい時代です。101系1000番台の車検切れで、当時津田沼にいた103系の元試作冷房車のいちふが武蔵野線を走ったのもこの時期ですね。関西出戻りのクハ13.14番をねらったのもつい昨日のように思い出します。関西系の特別保全工事車は、内装は元のままなのが印象的でした。クハ13.14はその後検査を通り、しばらく活躍して廃車になりました。クハのトップナンバー、京都の博物館に入りますね。完全原型ではありませんが、まずはめでたしめでたしですね。遅くに失礼致しました。

こんにちは~。モモパパです。
武蔵野線。
僕は乗ったことが無いので103系が走ってたとは知りませんでした。
高運転台の車輌が走ってたんですね。

細井忠邦さま、おはようございます。

わたしも1983年以降、つくばに移り住んでからは趣味の対象が鉄道から飛行機に移っていたので、この武蔵野線の写真はよく撮っていたなと思い出していました。

その点、細井様はきちんと当時の状況をフォローされていましたね。103系のクハの大半は新製配置が関東で、転属で関西に行ってそのままが多いと思いますが、それが戻って来た例は数少ないのではないでしょうか。明石から豊田に戻った13,14のみのように思います。その後は仙石線に行ってますね。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

武蔵野線の103系、最初は当時の最新式の非ATC高運転台車やモハ102-2000番台の車輌が入ったのですが、その後は201系、203系の導入で余剰となった古いクルマが回って来たのですね。その辺は続編にて紹介予定です。

B767さん……こんにちは(^^)中央快速線を彷彿させるオレンジバーミリオン塗装の103系・高運転台車ですこと‼︎この頃は、武蔵野線ではまだ101系1000番台も走っていたんですよね⁇

マスダっち1971さま、おはようございます。

そうですね。101系1000番台がメインのところに、103系が加わっていった時代でした。中央快速線のみにスケール版といった感じですね。未だ、本数が少なく一度降りると次はいつ来るんだの世界でもありました。

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