« ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part12 スロネ25 500 | トップページ | 電気機関車 EH500シリーズ 5号機 »

2015年10月25日 (日)

1989年のDüsseldorf Airport その39 バルカン・ブルガリア航空 Tu-154

1989年、西ドイツDüsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はかつてブルガリアのフラッグキャリアーだったバルカン・ブルガリア航空Tu-154です。

Lzbtf_cn_74a077_tupolev_tu154a_8905 LZ-BTF cn 74A077 Tupolev Tu-154A 1989/5/5 DUS

創立は1947年6月29日1947年7月から運航を開始しました。ブルガリアではBunavad (the Bulgarian National Aeronautical Public Equity Company)という航空会社が1927年に創業し、首都ソフィアのBozhurishte空港とブルガリア内の主要都市を結ぶ航空路線の運航をドイツ製のJunkersF.13などを使用して開始しましたが、1930年に運航停止に陥りました。
第二次世界大戦後は運輸省が航空局(DVS: Direkcia na vazdushnite saobshtenia )を設置し、当時の航空会社の名称はTABSO (Transportno-aviacionno balgaro-savetsko obedinenie)でした。最初に運航を開始したのはフランスで製造されたJunkers52 (Atelier d'Avions Coulombe Toucan aircraft、英訳ではBulgarian-Soviet Transport Aviation Corporation )でした。これはブルガリアが第二次世界大戦では枢軸国側のメンバーとして戦ったからでした。さらにソ連製の旅客機 Lisunov Li-2 (Douglas DC-3のライセンス生産機)を13機購入し、これらは1968年まで使用されました。

1950年代には Ilyushin Il-14 さらに60年代にはIl-18を購入し、海外へ、南半球へも進出して行きました。1967年にはAntonov An-24を購入し、国内線に使用されました。Sud Aviation Caravelleの購入も考慮しましたが、ソ連政府からの政治的圧力で実現しませんでした。1967年の終わりに、Tupolev Tu-134 3機を購入し、1968年1月から会社名もTABSOからBalkan Bulgarian Airlinesに変更しました。

Lzbtf_cn_74a077_tupolev_tu154a_89_2 LZ-BTF

Tu-134によるフライトで1968年11月、ロンドン便が開設され、Balkan Bulgarian Airlinesが最初のソ連以外のオペレーターになりました。このことにより、ツポレフ設計局と同社の間で以後20年に亘って密接な関係が出来上がりました。ブルガリアが他のソ連衛星国に先がけてツポレフ製の旅客機を購入したのはこの関係によるものと言われています。

1970年代のBalkan Bulgarian AirlinesのFleetはAntonov An-2, An-10, An-24Bs, Ilyushin Il-14, Il-18s, Tupolev Tu-134, Z-37 Cmelaks, Mil helicoptersでした。1971年1月18日、チューリッヒクローテン空港に濃霧の中着陸しようとした同社のII-18が墜落し、出火したため、2名のみが生き残るという悲惨が事故が起こりました。同年12月21日には離陸に失敗して28名が死亡する事故が起きました。1972年には他のソ連衛星国に先がけてTu-154を導入しました。同年11月までにツポレフ設計局はTu-154A, Tu-154B, Tu-154B-2, Tu-154Mをリリースし、ブルカリア航空はそのテストベッド的役割を果たすことになりました。この時期、ソ連経済圏の経済成長は鈍化の兆しが見えてきましたが、ブルガリア航空は順調に路線ネットワークを拡大して行きました。

Lzbti_tupolev_tu154m_cn_85a706_ba_2 LZ-BTI Tupolev Tu-154M cn 85A706        1989/5/6  DUS

1988年
、IATAに加入しましたが、1989年11月10日、長らく同国で実権を握っていたTodor Zhivkovが失脚し、ブルガリアはソ連の実質支配から脱することになりました。1990年代、フリートにも西側の旅客機が加わり、1991年中頃にはBoeing 767-200ERを初めてエールフランスからリース、脱ソ連後台頭してきた国内の競争相手JES Airに対抗するためでした。同時期OryxからAirbus A320もリースしました。ブルガリアはこの時期市場経済の導入で苦しんでおり、さらに近隣のユーゴスラビアの内戦の影響もあり、航空不況が襲いました。Boeing737-500-300もフリートに加わりましたが、経営状態の悪化から回復は難しく、2002年倒産に至りました。 フラッグキャリアの倒産は国家にとって重大事態のため、2002年11月新たなフラッグキャリアとしてブルガリア航空 Bulgaria Airが政府によって設立され12月4日より運航を開始しました。当初は国営でしたが、2006年、民営化されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part12 スロネ25 500 | トップページ | 電気機関車 EH500シリーズ 5号機 »

旅客機」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~。モモパパです。
バルカン・ブルガリア航空とは初めて聞く航空会社です。
使ってる航空機の機体も珍しいですね。

B767-281様こんにちは。ハンガリー航空、なかなか塗装が垢抜けていますね。727もどきに見えますが、長距離用の機材、アエロフロートの機体を撮った記憶があります。最近成田もご無沙汰です。冬休みに行ってみようかと思います。

細井忠邦さま、こんばんは。

ハンガリーではなくブルガリアですが(笑)、この衣装は国旗を反映しているようですね。わたしも2001年でしたか羽田でVIP機のTu154を撮ったことがあります。日本に来ていたあの当時のアエロフロートは殆どIl-62でしたね。ヨーロッパでは結構、民間機で見た機体です。

はじめまして(^-^;

わたしはこのバルカン航空のツポレフに乗りました(^-^;
バンコクからパリまで往復しました。

トイレは流れないし客室乗務員は無愛想だしそれはそれは…
乗客はアディダス短パンのドイツ人女性やお洒落なフランス人、あとは二人ともジャージ上下のシアトルのアベック、ピンクのスエット上下のイングランド女性、あとは労働社風のおじさんなどでした。

トランジェットもすごく長くな12時間とか…。でもジャージ
上下のシアトルのアベックと色々とお話しました(^-^)

バンコクで真っ黒になった私はIndia?と思われていました(^-^;

昔は旅するお姉さん さま、はじめまして。

コメントというか貴重な体験談ありがとうございます。
まさに東欧革命が起こる前の貴重なご体験ですね。
わたしも研究所の先輩がベルリンに留学された際にアエロフロートのイリューシンに乗ったという話は聞いておりましたが、やはりあの頃の東欧諸国のエアラインの状態はわかります。インド~パリは日本からの南回り路線の一部でもありましたが、結構大変だったと思います。
これからもよろしくお願いいたします

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1989年のDüsseldorf Airport その39 バルカン・ブルガリア航空 Tu-154:

« ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part12 スロネ25 500 | トップページ | 電気機関車 EH500シリーズ 5号機 »

カテゴリー

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村