尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その3 「あけぼの」「出羽」 part1
2014年11月15日の尾久車両センターの公開、前回の記事から公開されていたHMについて触れていますが、今回は「あけぼの」「出羽 」です。
今回の記事では長かった「あけぼの」の歴史- 20系客車の時代- から見て行こうと思います。
EF65 1028号機に牽引されて上野に到着した20系「あけぼの」 1978/6
電源車はカニ22 この頃は上野駅高架ホームに発着する長距離列車も多数ありました。
寝台特急「あけぼの」は1970年7月1日、臨時寝台特急として上野~秋田間に奥羽本線経由で20系客車で1往復設定されました。9月30日まで毎日運転され、お盆の最混雑期間、下り列車は品川始発で運転されました。
こちらは上り列車の最後尾 ナハネフ22 上野
9月30日発から定期夜行急行「おが」を格上げし、運行区間を上野~青森間として定期化しました。
「おが」は1963年10月のダイヤ改正で、それまでの夜行普通列車411・412列車から急行に格上げされた列車で、このダイヤ改正で昼行1往復(キハ58等)と季節列車夜行1往復(座席のみの在来客車、G車連結)となりました。
上野~黒磯の直流区間は宇都宮機関区のEF651000番台PFの牽引となり、同タイプの最初の特急運用となりました。一時期EF58が担当したこともあったそうです。
1972年3月15日のダイヤ改正では、座席車のみだった季節夜行急行「おが」にA寝台車B寝台車各1両が連結されました。
1973年10月1日、特急「あけぼの」は2往復となり、秋田発着列車が設定されました。12月1日から、翌年春までに上野発着の寝台特急の食堂車の営業が停止となり、編成からナシが外され、ナハネに置き換えられました。
20系電源車として最初に製造されたマニ20
「はやぶさ」20系化で1960年、さらに「みずほ」20系化で1963年に製造されたカニ22
この頃はMGやパンタは撤去済みでした。
そして標準の電源、荷物車となったカニ21
当時、盛アオや秋アキには新旧様々な20系が集結しており、「あけぼの」の電源車も一晩で異なるタイプを撮影出来ました。
1975年版 客車配置表データによると、当時の配置では
盛アオ カニ21 12 13 14 20 21 122 123 124
カニ22 1 3
秋アキ マニ20 1 51 52
カニ22 51 52 でした。
20系客車は当初、製造メーカーで番代区分されており、日本車輌製造製は1-49、日立製作所製は51-99でした。
カニ21の122-124は1970年6月製造で電源車の無人運転対応のため遠隔自動制御装置が装備されており、基本番台+100で区分されました。1970年9月製造の最終増備車25-27は新製時から装備されており、そのままの番号となりました。
尾久客車区で休む20系 1979/5/5
東北の寝台特急が続々、14系、24系化されて行く中で「あけぼの」のみが最後まで20系で残されました。
1975年11月25日、奥羽本線、羽前千歳~秋田間の交流電化が完成し、山形~青森間の牽引機がDD51からED75700番台に交代しました。
ED75 728 号機牽引 「あけぼの」 1979/3 鶴形~富根間
ED75 700番台牽引で青森を目指す20系「あけぼの」 1979/3 鶴形~富根間
ED75 722 牽引で秋田に到着する「あけぼの」
1980年10月1日のダイヤ改正で「あけぼの」は20系客車から24系24形客車に置き換えられました。このときが20系客車の特急運用からの引退でした。季節夜行急行「おが」の座席車は14系客車となりました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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こんにちは~。モモパパです。
寝台特急あけぼの。
当初はヘッドマーク無しで走ってたのですか。
僕、あけぼの乗ったことありますよ。
そのときの牽引機にヘッドマークがついてたかは記憶にありませんが。
20系客車。
東京~大阪間の寝台急行銀河にも使用されてましたね。
投稿: モモのパパ | 2015年10月18日 (日) 02時10分
モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。
「あけぼの」も登場直後はHMを付けていたようですが、そのうちに機関車の運用の関係などで省略されるようになり、東京発の九州特急と、出雲、瀬戸以外は付けない時代がしばらく続きましたね。それが復活したのが1985年3月の改正でした。
あけぼのが最後まで20系が使われていましたが、急行に転用されはじめたのが1976年2月の『銀河』からでしたね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年10月18日 (日) 06時12分
初めまして。20系あけぼのを検索して辿り着きました。
たくさんの20系あけぼのの画像があり、嬉しくなりました!
検索した理由は、幼い頃の記憶が蘇ったからです。
当時の自宅は奥羽本線と仙山線を見渡せる所にありました。
普段は早い時間の就寝でしたが、唯一夜更かしを許された、とある大晦日の夜のことです。
そろそろ寝ようかと二階の部屋に上がったところ、奥羽本線を上野方面へ向かう列車が見えました。
長い編成で規則正しく並んだ窓。
とっさに、これはブルートレインなのでは?と目を凝らしていたら、最後尾の車両からまばゆい光が溢れていました(のように見えました)!
多分ナハネフ22か電源車だろうと、当時の画像を検索してまして、その正体はナハネフ22だと分かりました。
初めて見たブルートレインにドキドキしたのを覚えています。
はっきりした年代がわからないので、24系のあけぼのだったかも知れません。
しかし深夜にひっそりと走り去るブルートレインにずっと思いを馳せて、当時は乗れるはずもなかったあけぼのに、ようやく乗れたのは廃止直前の2013年12月でした。
20系のあけぼのにも乗ってみたかったですね。
投稿: 黒岩 | 2021年7月17日 (土) 13時20分
黒岩さま、はじめまして。
大変興味深いコメントありがとうございます。わたしも祖父が秋田県の能代に住んでいた関係でブルートレイン、あけぼのや日本海を撮影する機会に恵まれました。
ブルートレインという列車が消えて久しいですが、今でも夜汽車が何らかの形で復活してくれればと感じています。
これからも宜しくお願い致します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2021年7月19日 (月) 04時00分