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2015年10月21日 (水)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 14 650形

昨年12月と今年8月の広島訪問で撮影した広島電鉄の車両、単行車も現役車輌は見てきましたが、まだ紹介していないのが被爆電車、クリスマス電車です。

今回の記事では650形 被爆電車に触れようと思います。

651_150801_2
予定では10:30かと思いましたが、9:10に653号ではなく651号が広島駅を出発して行きました。 2015/8/1 広島駅前

この夏の山口、島根方面の旅行、最初は広島訪問は考えていなかったのですが、終戦後70年の今夏、6月13日(土)から8月30日(土)までの7月25日を除く土・日・祝日、「休車」で保管中の653号が広島駅10時30分と14時00分発で広電西広島まで2往復するという「被爆電車特別運行プロジェクト」が実施されるとのことで、急遽広島を予定に加えました。

8月1日朝、広島駅前には9:00頃、到着したのですが既に651号が入線しており、テレビ局のカメラ?もセットされており、招待客が乗車していました。9:10発とは別に10:30発の653号があるのかと10:30過ぎまでいましたが、10:30発の電車は無かったようです。

651_150801
1945年8月6日午前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」はマリアナ諸島 テニアン島北飛行場を離陸し、5機のB-29で編隊を組み、同日午前7時過ぎには四国上空に到達しました。約1時間前に離陸し、小倉、長崎、広島に向かった先行の気象観測機(B-29)から広島上空の視界を聞き、投下目標を広島に決定したそうです。

搭乗員に積んでいる爆弾が世界初の原子爆弾であることを伝えられたのもこの時点だそうです。8時9分、市街を目視で確認し、高度は31,600ftにセット、12分予め設定された攻撃始点に到達、機は自動操縦に切り替えられ、投下目標を相生橋(T字型)にセット、15分17秒、自動投下、B-29は進路を155度急旋回し、爆弾は横向きにスピンした後、放物線を描いて落下し、43秒後、相生橋東南の島病院付近高度約600mで核分裂反応を起こして炸裂しました。

141218 相生橋 2014/12/18

当時の広島の市中人口は居住一般市民約29万人、軍関係約4万人、市外から入った者約2万人でした。8月6日は週明けの月曜日で朝8時から勤務開始が多かったそうです。気温は26.7℃、湿度80%、気圧1018hp北北東の風約1m/sec、雲量8-9で薄雲はあるものの視界は良好でした。

爆心地500m圏内では閃光と衝撃波がほとんど同時に襲い、巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして破壊、木造建築は全数が全壊しました。島病院の建物も完全に吹き飛ばされ、院内にいた約80名の職員と入院患者全員が即死しました。鉄筋コンクリート建築である産業奨励館(後の原爆ドーム)は垂直方向の衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破したが完全な破壊は免れました。相生橋や元安橋の石の欄干も爆風で飛ばされました。

爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けました。吊革を手で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいました。

651号は爆心地から僅か700mの中電前附近で脱線し、黒焦げ状態で発見されました(写真)。652号は宇品付近で走行中に被爆し、小破しました。653、654号は江波付近で走行中に被爆し、大破しました。655号は広島駅前に停車中被爆し、全焼しました。被爆3日後の8月9日には市内線の一部区間が運行を再開しました。

651_150801_6 広島駅前を出発する651号 2015/8/1

650形は半鋼製のボギー車で1942年、木南車輌製造製です。651-655の5両が製造され、654は老朽化、655は1967年1月25日の事故で同年年度末に除籍され、現在は651-653号が在籍しています。呉市電の600形と同型で、大阪市電1651形、広電に譲渡されて750形の短縮版でもあります。

制御方式は直接制御、両端運転台にKR-8制御器を搭載し、制動はSM-3と日本の路面電車の標準仕様です。1986年7月、冷房化改造も受けました。

アメリカでは戦後、広島、長崎への原爆投下はポツダム宣言受諾を迫っても拒否した当時の日本政府に対して、戦争終結を決断させる手段だったと原爆投下の正当性を教えているそうですが、本心からそう思っているのでしょうか?

広島市のサイトの情報でも現時点でどれだけの方が原爆投下で亡くなられたかは正確には掴めていないそうです。1945年末の時点で14万人が死亡したと推計されています。8月9日には長崎にもプルトニウム239を使用したMk-3核爆弾「ファットマン」が投下されました。

広島、長崎あわせて30万近い非戦闘員がわずか2発の爆弾で殺された事実に対して、本来はアメリカに対して文句を言うべきところかと思いますが、戦後70年、アメリカに対して物言えない政府には期待することも出来ません。

タイプは違うものの核分裂によって出されるエネルギー(爆風、熱)さらに放出されるα、β、γの放射線は人体のDNAに損傷を与えます。さらに放出された中性子は多の物質を放射化し、新たな放射性物質を作り出します。恐ろしいのは放射線被曝で生じたDNAの傷が修復されず後代に伝わって行くことです。我が国は世界で他にない被爆国として核兵器の廃絶を訴え、今後、このような悲劇が二度と繰り返させないことを訴え続けることです。

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コメント

こんにちは~。モモパパです。
被爆電車ですか。
その車輌がいまだに現役で走ってることに驚きです。
今でも当時の一部のアメリカ兵だた人は「リメンバー・パールハーバー」という人がいるみたいですが日本人から言わせれば非戦闘員をたくさん死なせた広島、長崎へ投下された原爆の方がよっぽど罪深い気がします。だからと言って僕はアメリカが嫌いなわけじゃ」ありませんけどね。

B767-281様 おはようございます。被爆後復活したのは当時の車両不足の影響が多分にあったと思います。歴史の言わば生き証人がこうして走れることは重要ですね。何やらきな臭い今日この頃、被爆国として忘れてはならないとわたくしも思います。

モモのパパさま、こんばんは。

以前からモモのパパさまが仰っておられた被爆電車漸く紹介が出来て実は私もホットしているところです(笑)。

アメリカ人はやはり小さい頃から外敵に攻められるとパールハーバーを思い起こすようで、911のテロのときも真っ先に思い浮かべたのはパールハーバーだったようですね。そういもちろん今74歳以下の人々がそういう反応を示すようなので教育でそう教え込まれているのでしょうね。
また911のテロの際、アメリカ人であること、団結心から国旗星条旗がものすごく売れたそうですね。日本人はそれほど日の丸に対する思いが強いかなと思ったこともありました。

細井忠邦さま、こんばんは。

確かに爆弾ひとつで街が壊滅的にやられ、形の残っている車輌は片端から修復したのでしょうね。何せ、あの惨劇から数日で運行開始していますからね。本当に血のにじむような努力で立ち上がらせたのかと思います。

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