40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 19 C62 1号機
昨年夏、40年ぶりに訪問した梅小路蒸気機関車館、今回から2回は同館に保存されているC62形式の話題です。
1994年以来、梅小路蒸気機関車館に保管・展示されているC62 1号機 2014/8/10
太平洋戦争が終わり、戦時物資輸送用に活躍を強いられた貨物用機関車は大量に余剰が発生しました。一方で買い出しや復員兵で旅客輸送は逼迫し、旅客用機関車の不足が顕著になり始めました。しかし、占領軍の方針や資材の不足で機関車を新製することは困難でした。
GHQの将校デ・クロードの助言により、余剰となった貨物機のボイラーを転用し、新たな旅客用機関車を改造名義で製造することになり、誕生したのがC61やC62と云われています。
C59の場合も、財政難で133号機から155機がキャンセルになっており、そういったメーカーの救済もあって1948年から49年にかけてD52のボイラーを流用して、49両が製造されました。製造は日立製作所(1-21号機)、川崎車輛(22-36号機)、汽車製造(37-49号機)です。日立と川崎はC59の製造に関わっており、汽車はC61の発注がキャンセルされたため参入したとのことです。
表1 C62形式 D52形式からのボイラー転用関連 Wikipediaのデータを利用
24号機は2台のボイラーをあわせて1両に ただし、D52のボイラーは戦時設計で質が悪かったため、後年多くの機関車が新製されたボイラーと交換されたとのことです。
全長 21,475 mm
全高 3980 mm
最大軸重 オリジナル 16.08t 軽軸重形* 14.96t
総重量 88.83t
ボイラ圧力 16.0 kg/cm2
火格子面積 3.85 m2
加熱器形式 シュミット式
弁装置 ワルシャート式
出力 2163 PS 定格出力 1620 PS
営業最高速度 100km/h
引張力 13,870 kg 粘着係数 12,058 kg
*従台車の支点の位置を変え、先台車の板バネ枚数を16枚から17枚に増やしバネ定数を変更することで対応
台枠前縁に埋め込まれた標識灯、ボイラー下のハの字エプロンは広島工場特有のスタイルです。
1-4号機が試作機として製造されており、2-4号機で自動給炭機:メカニカルストーカーの装備試験が行われました。5号機以降で制式化されましたが、自動給炭機の製造に手間取ったため、初期製造分は未搭載で就役した機もありました。
36号機以前は日立の量産スタイルに準じて製造されましたが、37号機以降の汽車製造分は、蒸気溜まり・砂箱キセの形態や弁装置の調整などにC59の設計に関与した技術陣の意識が見える形態となりました。
就役後の運転については次の2号機の記事で触れることにし、ここからは1号機について触れます。
沖田祐作氏の機関車表による、同機の履歴では
C621 日立製作所笠戸工場=1921 1948-01-17 S88.00t2C2T(1067)
車歴;1948-01-17 製造(ボイラーD5274)→ 納入;国鉄;C621→ 配属[達181];広島局→
1948-01-23 配置;広島二→1948-02-05 試運転実施→1948-02-15 使用開始→
1950-08-22 発(8/23 着)宮原→1956-08-01(8/31?)借入;梅小路→
1957-07-10 広島二→1958-00-00 新缶に交換(広島工場施工)→
1962-06-06 広島発(6/6 着= 書類上)借入;新小岩(晴海展示会出品)→
1962-07-16 発(7/16 着)返却→1962-09-28 発(9/28 着= 書類上)長町→
1962-10-18 発(10/20 着)返却→1966-10-01[中国支社達1384]一休指定→
1967-04-01[中国支社達845]広島機関区→1967-06-01 二休指定→
1967-07-14 廃車[中国支社達1460];広島(最終走行距離=2,083,520㎞)→ 小郡にて保管→
保存;広島県JR 西日本「広島鉄道学園」;C621(製番は戦時中の欠番欄に挿入)→
1994-02-14 発(解体しトレーラー3 台で輸送=2/16 着)梅小路→
1994-08-28 保存復元完了セレモニー実施;京都市「梅小路機関車館」
1948年1月17日に落成後、新製配置は広島第二機関区でした。宮原や梅小路に一時転属したこともありましたが、終生、山陽本線で働き、1967年7月14日に廃車となっています。
20年に満たない現役時代ですが、それから48年以上保存されており、最初は広島機関区、続いて小郡機関区におかれ、1976年3月 広島鉄道学園に静態保存となり、同年3月31日に準鉄道記念物に指定されました。梅小路機関区に移されたのは1994年のことです。
以前、1972年の萩旅行の記事で書きましたが、同機が小郡機関区に保存されているのを偶然見かけました。
1972年7月 小郡機関区の扇形庫に保管されていた頃のC62 1号機
このときは、「小郡にC621号機が保存されていた」と驚いたものでしたが、まだ現役を退いて5年しか経過していない時期だったのですね。
缶水清浄装置も搭載されていますが、設置位置は少し前気味です。
後部標識灯も広島工場方式の埋め込みスタイルとなっています。
次回のこのシリーズの記事ではC62 2号機と、C62形式の誕生後、各線での運用について纏めてみようと思います。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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C62 1号機が保存されていたのを知りませんでした!
C62の中では、存在感が薄い印象を受けます。
晩年は、呉線だったのでしょうね。
先週も深夜のNHK総合で
SLの懐かしい画像が流れていて
呉線の様子がありました。
投稿: 準急豊島園 | 2015年10月15日 (木) 05時15分
準急豊島園さま、こんばんは。
同じC62でもデフレクターにつばめのマークがあり、SLブームの頃、函館本線を重連で疾走した2号機に較べると、この1号機は保存されていたことも、梅小路に移されたこともあまりニュースにはならず、影が薄いですね。
京都鉄道博物館では26号機も加わり、C62は3機体制になるようですね、是非その辺盛り上げてもらいたいものですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年10月15日 (木) 20時07分
B767-281様こんにちは。C62と言えば、「つばめを動かす人々」と言う記録映画に出てくる18号機の下がりつばめがいいですね。なんでももう一両つばめのマークが付いたC62があったとかないとか話題になったことがあります。戦後の車両でさえこう言うことが起きることからも、記録の大切さ、改めて考えました。この続きも楽しみにしております。
投稿: 細井忠邦 | 2015年10月16日 (金) 16時12分
細井忠邦 さま、こんばんは。
そうですね。昔はといっても蒸機が安泰だった頃は、機関区ごとに愛着を持って機関車を大切にしており、つばめのマークを付けたり、いろいろ一機ずつ個性を持たせていたという話を私も聞いた憶えがあります。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年10月16日 (金) 22時10分
こんにちは~。モモパパです。
C62 1号機。
美しい状態で保存されてますね。
でもC&"といえばデフレクターにつばめマークの飾りを取り付けたC62 2号機があなりにも有名で1号機は存在がなんだかかすんで見えてしまうのは僕だけかな。
梅小路機関車館には確かB6っていう小型機関車が保存されてたような覚えがあるのですが。
記憶違いかな。
投稿: モモのパパ | 2015年10月18日 (日) 02時00分
こんにちは~。再びモモパパです。
書き忘れました。
おおっと!
C62 1号機のお写真の横にマツダのオート三輪が写ってるじゃありませんか!
時代を感じさせますね。
オート三輪といえばコケやすいのが特徴。
僕が子供の頃。
バキュームカーのオート3輪が転倒しててあたり一面にものすごい匂いを撒き散らしてたのを思い出しました。
投稿: モモのパパ | 2015年10月18日 (日) 05時03分
モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。
そうですね、マツダですね。私が子供の頃は、マツダ、ダイハツなどのオート三輪がありましたね。カーブでこけるのはよくありました。登場した頃は、ハンドルも丸くなく、オートバイのようなハンドルだったのを憶えています。
しかし、バキュームカーのこけたのだけは大変ですね(笑)。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年10月18日 (日) 06時07分