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2015年10月18日 (日)

東海道新幹線開業から50年 その23 951形 試験電車

昨年10月の東海道新幹線開業50周年を機に東海道・山陽新幹線の車両の変遷を追っかけて、前回は0系試作車の1000形に触れましたが、今回は都内国分寺市に保存されている951形について触れようと思います。

9511_151004_2 951-1    2015/10/4     国分寺市ひかりプラザ

951形は1972年3月、山陽新幹線が岡山まで開業するにあたり、それまでの営業運転での最高速度210km/hを250km/hにまで引き上げる新型車両開発のために1969年3月に製造された2両編成の試験車両です。

1形式2両の構成で、新大阪向き制御電動車が951-1 川崎車輛製、東京向き制御電動車が951-2 日本車輌製造製 です。

9511_151004_4 0系に較べてかなり長くなった951形の前頭部

サイズは0系を踏襲し、
全長 25m 全幅 3,386 mm 全高 4,490 mm ですが、車体軽量化のため初めてアルミ合金製構体とし、剛性を確保するため、ボディマウント構造としました。空気抵抗を軽減するため先頭部は0系の約4.5mから約6.5mに伸長され、それがこの形式の特徴となっています。

山陽新幹線では六甲トンネルなど長大トンネルが多数建設されるため、トンネル突入時の気圧変動対策として、ターボファン方式の連続換気装置が新規に開発され、搭載されました。この装置は0系14次車以降にも搭載されました(関連記事)。また、冷房装置はヒートポンプ方式のAU91・AU92を床下に搭載し、低重心化に貢献しました。

9511_151004_11 951-1に特徴的な側窓

側窓は951-1と951-2で異なり、-1では窓中央内側に細いピラーが立ち、電動ベネシアンブラインドのガイドレールとしたのに対し、-2では電動横引きカーテンが採用されました。

座席は0系同様の2+3列構成ですが、計測機器搭載スペースを確保するために一部は座席がありませんでした。
951_151004_4
951_151004_5 運転台も見学可能です。 かなりアナログ感に溢れています。

主制御器
当時デビューしたED77電機や711系などの交流電気車の技術開発成果を活かして、新幹線では初のサイリスタによる連続位相制御方式を採用しました。力行・発電ブレーキ双方での連続的な制御が可能となり、マスコンの速度指定による定速制御方式が採用されました。
主電動機
0系ではMT200(端子電圧400Vで連続定格出力185kW)でしたが、出力を大幅に上げたMT916・MT917(端子電圧650Vで連続定格出力250kW)が搭載されました。駆動方式は0系同様 WN (Westinghouse - Natal) ドライブ方式としました。
9511_151004_16 スカートの形態も951形独特の形態

台車
当初、車輪直径を910mmから1000mmに拡大し、軸箱梁に渦電流ブレーキを搭載して高速域での強力な制動力を狙ったDT9010、DT9011台車を装着したのですが、バネ下重量が過大になりすぎ通過後の軌道でPC枕木が割損する事態が発生したため、1971年輪軸を中空軸とし、バネ下重量を減らしたDT9012に履き替えられました。

ブレーキ
961-1にブレーキ専用のチョッパ制御器と抵抗器を搭載し、発電ブレーキが高速域から定速域まで安定的に作用するように設計され、渦電流ブレーキで発生する磁力をレールに吸い付ける高速域での強力な制動力を狙いました。しかし上記のような問題から、渦電流ブレーキは後年撤去されました。

9511_151004_91 パンタは畳まれていました。

パンタグラフ
山陽新幹線ではき電方式が変更になり、パンタグラフの間隔も50mから100mになるとの想定で各車の連結面よりに0系のPS200を軽量化した下枠交差式のパンタを搭載しました。実際には-2の方のパンタが常用されました。

151004_11 記録は常に更新されるものとよく言いますが、286km/hの当時の世界最高記録はこの車両の輝かしい宝ですね。

試験
1969年4月から米原~新大阪間で新技術の機器をテストが行われ、1970年2月から速度向上試験が開始されました。しかし220km/hを目指す過程で枕木割損事故が起き、試験は中止となりました。新しい台車DT9012が完成し、試験が再開され、1972年2月24日、相生~姫路間の上り線で当時の日本国内の鉄道車両最高速度記録286km/hを達成しました。

その後は961形の完成や国鉄労使間折り合いが悪く試験に使われることはあまりなく、1980年4月11日付けで廃車となりました。

廃車後は鉄道技術研究所に引き取られ、-2は車輌試験台に載せられ各種試験に使用され、2008年1月16日に解体されました。-1は1991年に国分寺市に寄贈され、鉄道技術研究所の目の前に建てられた市複合施設「ひかりプラザ」の敷地内で『新幹線資料館」として一般公開されるようになりました。

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951_151004_4_2
951_151004_5_2 951形に関する解説記事

951_151004 951-1の鉄道総研からひかりプラザへの搬入の様子

資料館の展示に関しては次回の記事で紹介します。

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コメント

B767-281様おはようございます。私の世代は「山陽新幹線」と読んでいました。〈皆さんかどうかは分かりませんが〉小学生だったので、運用の事な

B767-281様おはようございます。私の世代は「山陽新幹線」と読んでいました。〈皆さんかどうかは分かりませんが〉小学生だったので、運用の事など、深く考えず、岡山まで開業したらコレが走るのだ、と思っていました。その後100系の登場まで長いですね。103系同様、マイナーチェンジで凌いでいた感じですね。近いので一回見に行ったことがあります。なんでも国分寺市の光町は、新幹線ひかりからとったらしいですよ。ではまた、朝から失礼しました。

B767-281様、半端で画面が切り替わり二重投稿、またまた失礼いたしました。

こんにちは~。モモパパです。
山陽新幹線の試験車輌。
こういう車輌が残ってるのが驚きです。
パッと見には東海道新幹線と変わらないように見えるのですが。

こんばんは。

このあたりの試験結果は100系よりも先に登場した200系新幹線にも生かされたのでしょうね。

細井忠邦さま、モモのパパさま、MiOさま、おはようございます。

わたくしも小学校時代は国立駅の南側に通っており、鉄道技研はあの頃から知っておりました。国立駅の北側が国分寺市だったことはつい最近まで知りませんでしたが、以前は鉄道技研以外何もなく寂しいところで、小学校の頃は戦争中の防空壕などが掘ってあった原っぱもありました。

951形、確かに0系のモデルチェンジにしては早すぎ、MiOさまの仰るように技術的には200系に受け継がれているように感じます。いずれにせよ、それが今日こうやって一部が残されているのは素晴らしいです。

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