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2015年10月31日 (土)

京急ファミリー鉄道フェスタ2015 part7 3代目600形

2015年5月24日、久里浜の京急ファインテックスで開催された京急ファミリー鉄道フェスタ、今回は3代目600形について触れようと思います。

6031_151017 603F 2015/10/17 金沢八景

登場は1994年4月1500形に次いで、1000形置き換え用の都営地下鉄浅草線乗り入れ車両として製造されました。地下鉄対応車両としては珍しいオールクロスシート車両として開発され、1996年にかけて8両編成8本、4両編成6本の計88両が製造されました。

クロスシートは混雑時の収容力と閑散時の快適性の両立を狙った可動式座席を採用して製造され、京急としては「個の尊重」を打ち出し、利用者の快適性を優先する姿勢を表したかったようです。

6051_150524_2 605F 2015/5/24 京急ファインテック

初期製造車は1500形VVVFインバータ制御車と台車以外同一の機器を採用し、1996年製造車からは編成構成の自由度を高めるために機器構成が大幅に変更され、可動式座席も廃止されました。2005年から車端部を除く座席をロングシート化する工事が行われ、現在は都営地下鉄浅草線経由各線への乗り入れ運用を含む大師線を除く京急各線で運用されています。

6058_151017 605F 2015/10/17 仲木戸

外観

アルミ製車体で、赤い車体に窓回りを白く塗装しています。この形式から前面形状は車掌台側に移動したスイング式のプラグドア、上部に移った前照灯、下部に埋め込まれた尾灯・標識灯、ワイパーカバーの採用、アーマープレート、アンチクライマーの廃止など新しいスタイルとなり、後に登場した2100形・新1000形に引き継がれました。窓寸法を1500形に対して上方に20 mm拡大、車体高さを同じく40 mm拡大しました。

6068_151017 606F KEIKYU BLUE SKY TRAIN  2015/10/24 南太田

ロングシート化改造工事終了の2005年3月14日からこの塗装で活躍しています。

内装

1 - 3次車では運転台と直近のドアの間に運転台側を向いた2人掛け固定座席、ドア間に4人掛けボックス席片側2組、車端部に4人掛ボックスシートが設けられました。4次車ではドア間の座席はボックス席と2人掛け固定座席を1つずつ組み合わせた配置となり、座席数が減少しました。ともにドア付近には運転台からの操作で一斉施錠可能な補助席が設置されています。 内装は寒色系で、天井と壁面は白と薄灰色、床はグレー系、座席は薄青色となっています。

1 - 3次車では両端ドアの車体中央寄に混雑時の収容力確保のため運転台からの操作で2人掛けと1人掛けが転換する可動式座席「ツイングルシート」が採用されました。「ツイングル」とは「ツイン」と「シングル」、さらには「星のきらめき」を意味する「ツインクル」をかけた造語であり、これに関連して、本形式の登場当初は「ツイングル600」の愛称が与えられていました。

補助席と合わせ、1両あたり最大32人の座席定員を変えることができましたが、機構が複雑でコストが高く、収納時の座席数が少ない上、座面のクッションが薄く硬かったため、乗客からの評判は芳しくなかったようです。また可動式座席を可動させる機会が殆どないと判断されたため、4次車では通常の固定座席が採用されました。

6511_100613 4連 651F 2010/6/13 八丁畷

機器関係

主電動機
1 - 3次車:KHM-1700(東洋電機製造製TDK6160A1または三菱電機製MB-5043A
  出力120 kW、端子電圧1,100 V、電流84 A、周波数50 Hz、定格回転数1,455 rpm)
4次車:KHM-600(東洋製TDK6161Aまたは三菱製MB-5070A
  出力180 kW、端子電圧1,100 V、電流121 A、周波数60 Hz、定格回転数1,755 rpm)

駆動装置・歯車比
  KHG-800(東洋製TD282-C-M、たわみ板式継手)、歯車比83:14 (5.93)

主制御器
1 - 3次車:東洋製ATR-H8120-RG-627Bまたは三菱製MAP-128-15V31、GTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御。1C8M方式。
4次車:東洋製ATR-H4180-RG-656Aまたは三菱製MAP-184-15V61、逆導通GTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御。1C4M方式。  

6544_100613 654F 4連二組による8連 2010/6/13 八丁畷

台車
TH-600M・T(空気バネ車体直結式、軸梁支持、軸ダンパ付)

集電装置
1 - 3次車:菱形パンタグラフ(東洋製PT-4323S-A-M、M1cとM1に各1基、M1'に2基搭載。)
4次車:シングルアーム式パンタグラフ(東洋製PT-7117-A、Tpに2基搭載。)

補助電源装置
1 - 3次車:東洋ブースター式SIV (SVH-85-461A-M) または三菱チョッパインバータ式SIV (NC-FAT-75A)、75 kVA。偶数号車山側に搭載。
4次車:IGBT-SIV(東洋SVH-170-4009AまたはSVH-85W-4008A、または三菱NC-WAT-150A・B)、150 kVA。Tpの山側に搭載。

空気圧縮機
1 - 3次車:C-1500AL レシプロ式 M2系車、Tu車の海側に搭載。
4次車:C-2000AL レシプロ式 先頭車及びMs車の山側に搭載。

空調装置(製造時)
屋上集中式(東芝製RPU-11009および三菱製CU-71F)。スクロール圧縮機を採用。

1次車 8両編成 1994年3月

M1c     M2     Tu       Ts      M1'      M2'     M1     M2c
601-1 601-2  601-3  601-4  601-5  601-6  601-7  601-8   東急車輌製造 緑字

602-1 602-2  602-3  602-4  602-5  602-6  602-7  602-8       川崎重工 青字

2次車 8両編成 1995年3月

M1c     M2     Tu       Ts      M1'      M2'     M1     M2c
603-1 603-2  603-3  603-4  603-5  603-6  603-7  603-8   

604-1 604-2  604-3  604-4  604-5  604-6  604-7  604-8     

605-1 605-2  605-3  605-4  605-5  605-6  605-7  605-8      

3次車 8両編成 1995年6月

M1c     M2     Tu       Ts      M1'      M2'     M1     M2c
606-1 606-2  606-3  606-4  606-5  606-6  606-7  606-8   

607-1 607-2  607-3  607-4  607-5  607-6  607-7  607-8

4次車 8両編成 1996年2月
 
Muc     T        Tp1      Mu      Ms      T      Tp1      Msc   
608-1 608-2  608-3  608-4  608-5  608-6  608-7  608-8 

         4両編成  1996年3-5月

Muc    T         Tp2      Msc
651-1 651-2   651-3   651-4      1996/3
652-1 652-1   652-3   652-4      
1996/3
653-1 653-2   653-3   653-4      
1996/3
654-1 654-2   654-3   654-4      
1996/4
655-1 655-2   655-3   655-4      1996/5
656-1 656-2   656-3   656-4      
1996/5

4次車では機器でも記したように大きな設計変更がなされました。

インバータ制御方式が8M/1Cから4M/1C方式になり、MT比を3:1から1:1に、主電動機出力を120 kWから180 kWに変更しました。補助電源装置を75 kVA/2両から150 kVA/4両に変更し、Tp車に搭載しました。4両編成のSIVは冗長性確保のため75 kVA2個の回路構成としました。台車の軸受ダンパは当初、未設置だったが1996年秋以降に設置されました。パンタグラフをシングルアーム形に変更し、Tp車に2台搭載としました。

車内座席配置を変更し、本形式の特徴だったツイングルシートをやめ、扉間は2人掛けシートのみとされ、2組を向き合わせの4人席と単独の2人席となりました。中央扉部分にも折り畳み式補助椅子が設置されました。座席配置変更に伴い窓配置も変更されました。

改造工事、更新工事

本形式は登場後、各種の改造工事を行っていますが、なんと言っても最大の改造は2004年度から開始されたロングシート化改造でした。また更新工事も2009年8月、601編成から開始され、冷房装置を8両編成はCU-71F-G2、4両編成はRPU-11027に交換しました。また、各ドア上部に2台、17インチ液晶ディスプレイ設置(605編成は更新前に施行済み)しました。2014年3月の655編成施工をもって終了しました。

運用

8両編成は主に快特などの優等列車に使用され、都営浅草線、京成線、北総線への乗り入れ運用が中心となっています。京成成田空港線(成田スカイアクセス線)での運行にも対応しており、同線の一般列車であるアクセス特急(京急線内エアポート快特)として成田空港まで乗り入れています。4両編成は専ら自社線内に運用されています。

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2015年10月30日 (金)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 12 ABX Boeing 767

San Diego Lindbergh 空港で見かけた旅客機の話題、今回は以前、ニューアーク空港の話題でも登場したABX Airborne ExpressBoeing 767です。

ABX Airはオハイオ州ウイルミントン近郊のWilmington Air Parkを拠点とする貨物専用の航空会社でthe Airborne Flower Traffic Association of California として1946年に創設されました。ハワイの収穫された花卉をアメリカ本土に輸送するのがメインの業務でした。この会社は大きな貨物専用の扉を有しない、旅客機用に特別な狭幅のコンテナを開発しました。

N783ax_boeing_767281_cn_23016_ln_80 N783AX Boeing 767-281 cn 23016 ln 80 2003/1/16 SAN

この機体は全日空のBoeing 767-281 JA8485として1984年1月31日に登録された機体で、1999年3月11日、ABXに登録され、さらに2003年8月15日、ABX Air所属に変更となっています。現在も稼働中です。マーキングはニューアーク空港の話題で紹介した真っ黄色のDHL塗装になっていると思われます(写真 )。

現在はBoeing 747などでも行われている旅客機から貨物機へのイスラエルのイスラエル航空工業(IAI)Bedek Aviation Groupが独自に提供するプログラムによる改造を受けており、B767-281(BDSF)となっています。

             

            Airborne Express Logo

1968年までの22年間、会社の成長は低調なものでした。しかし、1968年からはPacific Air Freight of Seattleを合併し、本拠地もシアトルに移し、会社名もAirborne Freight Corporationに変更しました。

Ja8241_n793ax_boeing_767281pc_cn_23 N793AX Boeing 767-281PC cn 23143 ln 114 2001/1/13 SAN

こちらは再掲ですが元JA8241です。1985年3月10日、ANAに就航し、2002年3月13日からAirborne Expressで活躍中です。

1980年、会社名をAirborne Expressに再変更し、Midwest Air Charter 社を買収した後、ウイルミントンのClinton County Air Force Baseを手に入れ、空港をも管理、運営するアメリカ最初の航空会社となりました。さらにYS-11を数機入手し、運航を開始しました。

1988年にはSky Courierを買収し、同一日配達方式を導入しました。1995年にはウイルミントン空港に第二滑走路を開設し、Boeing 767の運航を始めました。2003年 DHLに吸収され、DHLグループの一員となりました。

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2015年10月29日 (木)

西武新101系 その8 白塗りワンマン車4連 1261F

西武鉄道の新101系、4連シリーズ、今回は1261Fです。白塗りワンマン車ではラストナンバーにあたり、新101系4連としても、オリジナルではラストナンバーの編成でした。1980年10月23日、所沢車輌工場製で、2005年3月31日に、更新改造を受けています。

101n_261f_110101 1261F 2011/1/1 一橋学園
西武秩父線開通40周年記念企画の一環として2009年3月から新造時のツートンカラーを纏った1261F

新造時のツートンカラーですが、正確に言えば1261F登場の頃(11次車)は前面の窓廻りの塗り分けはかなり濃いコーヒーブラウンになっていました(関連記事)。また、これらのグループは701系冷改車一族との併結運転のため、抑速ブレーキを無効化、電連カバーを黄色く塗装したスタイルで登場しました。

101n_261f_121231_2 西武園線で活躍する1261F 2012/12/31 東村山

101n_261f_3008_121231 東村山での国分寺線で活躍していた3007Fとのツーショット 2012/12/31

こうやって並んでみると、新101系と3000系のスタイルの違いがよく分かります。前面窓廻りの塗り分けも3000系の色が新101系の最終的な色となりました。

101n_261f_150607_23 2015/6/7 萩山

そして、検査入場で黄色ツートンから白塗りに塗り替えられ現在のスタイルとなりました。ベンチレータは残っています。

261f_150926_2 2015/9/26 萩山

多摩湖発国分寺行き 多摩湖線通し運用に入る1261F

このシリーズの前回の記事で紹介した1259Fは期間限定(10/18から約1ヶ月間)の予定で小平市をPRする「ぶるべー号」ラッピングを施されて運用に就いたそうですね(関連記事)。期間限定というところが気になりますが、もし写真をする機会に恵まれれば、こちらで紹介したく思います。

ちなみに「ぶるべー」とはブルーベリー発祥の地であることをPRするために小平市のマスコットキャラクターに与えられた愛称だそうです(関連サイト)。

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2015年10月28日 (水)

隅田川貨物駅フェスティバル プロローグ

2015年10月25日日曜日は隅田川駅で開催された「隅田川駅 貨物フェスティバル 2015」に行ってきました。

東京地方は木枯らし1号が吹く、冬の到来を思わせる寒い一日となりましたが、週末2日間連続で鉄道関連のイベントに出かけて来ました。

JR貨物関連のイベントはこれまでに東京貨物ターミナル、大宮工場、郡山工場などの公開に行っていますが、隅田川駅の公開は初めてでした。

151025_3
高層マンションを背景にコンテナ貨車が並ぶのも首都圏の貨物ターミナルならではの風景
2015/10/25
再開発でマンションが建ち並んでいる場所もかつては隅田川駅構内でした。

隅田川駅はJR東日本(線路部分)とJR貨物(貨物駅)の管轄する駅で、開業は1896年12月25日、当時の日本鉄道によるものでした。常磐炭田からの石炭、木材、砂利などの荒荷を主に扱う駅で、隅田川の水運を利用した陸と水の中継点的役割を担っていました。戦前までは水路が引き込まれており、構内中央には水扱積卸場が存在していました。戦後はそれらを埋め立て、コンテナ扱いに対応した貨物輸送の拠点としての整備が進められました。

東京から北部方面の貨物を引き受けるのが隅田川貨物駅、西部方面の貨物を引き受けるのが東京貨物ターミナルです。

Ef60_510_2 かつて市ヶ谷で撮影した飯田町からのEF60 510号機牽引の紙列車

また、1999年にはそれまで1972年11月から飯田町紙流通センターが扱っていた紙輸送も新座ターミナル(洋紙と印刷紙)と隅田川駅(新聞紙)で扱うようになり、第1ホーム、今回のイベントのメイン会場がその役割を担うようになりました。

Ipc_151025 IPC隅田川 ビル 2015/10/25 IPCはIidamachi Paper distribution Centerの略だそうです。

1999年7月1日営業開始 地上5階建て、延べ床面積17,324平方メートル、1階が荷役ホームと荷捌き場 2階から5階部分が倉庫スペースで紙15,000トンが保管可能だそうです。紙の輸送の歴史に関してはこちらが参考になります。

一方、以前は東京セメント運輸向けのセメント輸送も担っていましたが、2006年に廃止されました。

151025_4 上屋のあるホームが紙列車発着ホーム 架線はありません。 2015/10/25

隅田川駅は青函連絡船の航走システムに合わせてコンテナ車18両に対応して設計されていましたが、現在の東北本線のコンテナ貨物列車は最大20両のため、その改良工事「隅田川駅鉄道貨物輸送力増強事業」が2012年度まで施行されました。

その結果、荷役線・プラットホームの4面6線を40 - 50 メートル延長し、第1ホームの短い1線を除く5面9線全てが20両編成対応としました。着発線は従来の8線から7線に削減されましたが、このうち6線が20両編成対応となりました。各コンテナホームは一部拡幅して31フィートの大型コンテナの取り扱いが全てのホームで可能になりました。

Eh5001_060305_2

2006年頃の第6コンテナホームと発車待ち3057列車 2006/3/5

さらに単線の常磐貨物線を通る田端運転所との機関車回送を減らすため、第6ホーム・田端信号場寄りに設置されている構内本部と信号扱所の建物、および第5ホームを撤去して跡地に機関車とフォークリフトの検修庫等を移転しました。また車扱荷役用高床ホーム(陸1ホーム)を撤去して総合事務所を建設し、機関区・駅構内本部・信号扱所を設置しました。
Eh50078_151025 新たに設置された機関車溜まりで休息するEH500-78号機 2015/10/25

2
イベントは上記のパンフレットのように、JR貨物の鉄道コンテナを利用したブース毎の展示と機関車2両、EH500-5号機EF65 2089号機、さらにフォークリフト、トップリフターによるコンテナ荷役のデモンストレーションなどから構成されていました。こちらもいくつかを選んでご紹介致します。

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2015年10月27日 (火)

新京成サンクスフェスタ in くぬぎ山 プロローグ

2015年10月24日、毎年恒例の新京成電鉄 くぬぎ山車両基地の公開「新京成サンクスフェスタinくぬぎ山」に初めて行ってきました。今回で21回目だそうです。
151024_5 車両撮影コーナーでの新京成現有形式勢揃い 2015/10/24 くぬぎ山車両基地
左から8000形、8800形、8900形、N800形 2編成

昨年はこのイベントの存在を認識していながら、行き損ねたので、今年は抜かりなく参加してきました。

N831_151024_2 この時期、鉄道の日関連で各鉄道会社はイベントを開催し、HMを掲示した車両を走らせますが、新京成でもプラレールのN800形ピンクバージョンの発売を記念したHMを装着したN831Fが走っておりました。 2015/10/24 くぬぎ山

151024 最近、新京成電鉄のコーポレートカラーに制定されたピンクの地に描かれた会場入り口の案内 2015/10/24 くぬぎ山車両基地

会場はくぬぎ山駅(SL09)と北初富駅(SL10)の間の線路に隣接するくぬぎ山車両基地で、くぬぎ山駅から歩いて15分程度の場所です。

151024_2
新京成電鉄本社 2015/10/24 くぬぎ山

新京成電鉄本社の社屋もくぬぎ山駅のすぐ横にあります。

日本の民営鉄道事業者は大手、準大手、中小に分けられ、大手は関東の東武鉄道、西武鉄道、京成電鉄、京王電鉄、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、東京地下鉄、小田急電鉄、相模鉄道、中京圏の名古屋鉄道、関西圏の近畿日本鉄道、南海電気鉄道、京阪電気鉄道、阪神電気鉄道、阪急電鉄、そして九州の西日本鉄道の16社、準大手私鉄は新京成電鉄、泉北高速鉄道、北大阪急行電鉄、山陽電気鉄道、神戸高速鉄道の5社、それ以外は中小私鉄に分類されるようです。

新京成電鉄は京成グループの持分法適用関連会社に位置づけられています。会社設立は1946年10月23日で、営業開始は1947年12月27日、新津田沼駅(初代)と薬園台駅間開業時です。路線は新京成線1本で、以前に記したように旧日本陸軍鉄道連隊が敷設した演習用線路を払い下げを受けたことに始まります(関連記事)。

151024_3                          車両基地の表札
151024_4                              車両区の表示

くぬぎ山車両基地には新京成電鉄の全車輌
8000形 6両編成 4本
8800形 6両編成 16本
8900形 6両編成 3本
N800形 6両編成 3本 と
構内専用 アント工業製 アント40BRR型 車両移動機 (機械扱い 無車籍)

が所属し、全般検査、メンテナンス、改造等が行われています。

以前は五香駅そばに車両基地があったそうですが、手狭になったため1975年に現在地に移転したそうです。

くぬぎ山車両基地内には京成電鉄の車両更新、改造を受け持っていた大栄車両からスピンオフした串崎車両の現業部門があります。

151024_6 開門は10:00で、私が列の最後尾についたのは9時50分くらいでしたが、列はぐんぐんと伸びて行きました。

1
Photo
2
上のパンフレットのように26のイベントがありましたが、この中から何点かを選んで紹介して行こうと思います。

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2015年10月26日 (月)

電気機関車 EH500シリーズ 5号機

ECO-POWER 金太郎」の愛称が与えられた8軸電機 EH500形の活躍を1両ずつ見ているシリーズ、今回は5号機です。落成は2000年7月でした。

Eh5005_030215 2003/2/15 黒磯 3086レ

朝の上り列車のゴールデンタイム
8:28 3078レ(ED75)  9:21 3086レ 9:22 4054レ 9:30 2052レ 9:44 8072レ(ED75)
当時の運用では3086レのみが黒磯で機関車交換無しで新鶴見まで来ていました。続々と東北貨物が黒磯駅に到着し、機関車交換される姿はまさに物流の大動脈を思わせてくれました。

Eh5005_030517
2003/5/17 白坂

以前にも申したかも知れませんが、栃木~福島の県境付近、南の栃木側は黒磯、黒田原、黒川など黒の付く地名が多く、北側の福島側は白坂、白河と白が付く地名が目立ちます。

Eh5005_040222 2004/2/22 恵比寿

昼の12:15頃、山手貨物線、湘南新宿ラインの線路を南下する3086レ、都会のど真ん中を白昼堂々と通過する列車です。

Eh50074_2 表1 EH500-74号機 池袋事故 データは貨物チャンネルから

先日、10月12日、池袋駅を通過したあたりで74号機がパンタ故障(摺板折損事故)を起こし、7時間あまり現場に停ったこともありました。EF65 2065号機が新鶴見まで救援し、1週間後の19日、74号機は4081列車で仙台に無動回送されました。

Eh5005_041023 2004/10/23 新座

こちらは新鶴見から五稜郭まで通しで牽引する3087レ

Eh5005_071211 2007/12/11 新秋津

この間、時間が空いているのは5号機が大きな故障をしてしばらく休車状態だったからだと云われています。

Eh5005_081220 2008/12/20 郡山

Eh5005_090117 2009/1/17 大宮

早朝の3056レ、昼の3086レに続い午後3時前の3058レもEH500の通し牽引に

Eh5005_140314 2014/3/14 妙向寺踏切(荒川沖~ひたち野うしく) 5094レ 安中貨物

Eh5005_150619 2015/6/19 同所   2094レ

5号機は10月25日 隅田川貨物駅で開催されたJR貨物のイベントでも展示されていました。

この週末は24日 土曜日は新京成くぬぎ山車両基地のサンクスフェスタ、25日 日曜日は隅田川駅貨物フェスティバルに参加してきました。それぞれの様子はシリーズでお伝えします。

最後に、2012年10月25日にスタートした拙Blog、無事4年目に突入しました。記事総数は1110を越えているようです。これからも鉄道、飛行機の話題で出来れば毎日アップをモットーに続けて行きたくおもいます。

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2015年10月25日 (日)

1989年のDüsseldorf Airport その39 バルカン・ブルガリア航空 Tu-154

1989年、西ドイツDüsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はかつてブルガリアのフラッグキャリアーだったバルカン・ブルガリア航空Tu-154です。

Lzbtf_cn_74a077_tupolev_tu154a_8905 LZ-BTF cn 74A077 Tupolev Tu-154A 1989/5/5 DUS

創立は1947年6月29日1947年7月から運航を開始しました。ブルガリアではBunavad (the Bulgarian National Aeronautical Public Equity Company)という航空会社が1927年に創業し、首都ソフィアのBozhurishte空港とブルガリア内の主要都市を結ぶ航空路線の運航をドイツ製のJunkersF.13などを使用して開始しましたが、1930年に運航停止に陥りました。
第二次世界大戦後は運輸省が航空局(DVS: Direkcia na vazdushnite saobshtenia )を設置し、当時の航空会社の名称はTABSO (Transportno-aviacionno balgaro-savetsko obedinenie)でした。最初に運航を開始したのはフランスで製造されたJunkers52 (Atelier d'Avions Coulombe Toucan aircraft、英訳ではBulgarian-Soviet Transport Aviation Corporation )でした。これはブルガリアが第二次世界大戦では枢軸国側のメンバーとして戦ったからでした。さらにソ連製の旅客機 Lisunov Li-2 (Douglas DC-3のライセンス生産機)を13機購入し、これらは1968年まで使用されました。

1950年代には Ilyushin Il-14 さらに60年代にはIl-18を購入し、海外へ、南半球へも進出して行きました。1967年にはAntonov An-24を購入し、国内線に使用されました。Sud Aviation Caravelleの購入も考慮しましたが、ソ連政府からの政治的圧力で実現しませんでした。1967年の終わりに、Tupolev Tu-134 3機を購入し、1968年1月から会社名もTABSOからBalkan Bulgarian Airlinesに変更しました。

Lzbtf_cn_74a077_tupolev_tu154a_89_2 LZ-BTF

Tu-134によるフライトで1968年11月、ロンドン便が開設され、Balkan Bulgarian Airlinesが最初のソ連以外のオペレーターになりました。このことにより、ツポレフ設計局と同社の間で以後20年に亘って密接な関係が出来上がりました。ブルガリアが他のソ連衛星国に先がけてツポレフ製の旅客機を購入したのはこの関係によるものと言われています。

1970年代のBalkan Bulgarian AirlinesのFleetはAntonov An-2, An-10, An-24Bs, Ilyushin Il-14, Il-18s, Tupolev Tu-134, Z-37 Cmelaks, Mil helicoptersでした。1971年1月18日、チューリッヒクローテン空港に濃霧の中着陸しようとした同社のII-18が墜落し、出火したため、2名のみが生き残るという悲惨が事故が起こりました。同年12月21日には離陸に失敗して28名が死亡する事故が起きました。1972年には他のソ連衛星国に先がけてTu-154を導入しました。同年11月までにツポレフ設計局はTu-154A, Tu-154B, Tu-154B-2, Tu-154Mをリリースし、ブルカリア航空はそのテストベッド的役割を果たすことになりました。この時期、ソ連経済圏の経済成長は鈍化の兆しが見えてきましたが、ブルガリア航空は順調に路線ネットワークを拡大して行きました。

Lzbti_tupolev_tu154m_cn_85a706_ba_2 LZ-BTI Tupolev Tu-154M cn 85A706        1989/5/6  DUS

1988年
、IATAに加入しましたが、1989年11月10日、長らく同国で実権を握っていたTodor Zhivkovが失脚し、ブルガリアはソ連の実質支配から脱することになりました。1990年代、フリートにも西側の旅客機が加わり、1991年中頃にはBoeing 767-200ERを初めてエールフランスからリース、脱ソ連後台頭してきた国内の競争相手JES Airに対抗するためでした。同時期OryxからAirbus A320もリースしました。ブルガリアはこの時期市場経済の導入で苦しんでおり、さらに近隣のユーゴスラビアの内戦の影響もあり、航空不況が襲いました。Boeing737-500-300もフリートに加わりましたが、経営状態の悪化から回復は難しく、2002年倒産に至りました。 フラッグキャリアの倒産は国家にとって重大事態のため、2002年11月新たなフラッグキャリアとしてブルガリア航空 Bulgaria Airが政府によって設立され12月4日より運航を開始しました。当初は国営でしたが、2006年、民営化されました。

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2015年10月24日 (土)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part12 スロネ25 500

このシリーズでは今年3月のダイヤ改正で引退したトワイライトエクスプレスの機関車、客車を形式毎に追ってきましたが、今回はスロネ25 500番台です。

25_500_020827_11
2号車 スイート・ロイヤル合造車 スロネ25 500 2002/8/27 札幌

編成内では2号車に連結されるスイートSA2, ロイヤルSA1合造車です。運行開始当初はこのタイプの客車は1号車のスロネフ25 500番台のみでしたが、需要が高かったため、急遽増備され、2号車として連結されるようになりました。

オハネ25 0番台(52, 53)を種車に1990年鷹取工場で改造されました。1991年には増備編成用にオハネ25 62を改造した503が幡生工場で誕生しました。503の通路側は窓配置が変更され501、502とは大きく形態が異なりました(写真はこちらに)。

2425_030324_2 山崎を通過 2003/3/24

スイートは車両中央部に設置され、窓は方窓となり、屋根まで回り込んだ大型曲面ガラスを備えており編成のアクセントとなっています。ベッドはレールに平行して設置され、シャワー室は脱衣場・洗面台・トイレとは別に設置されています。ロイヤルは4室設置されました。ベッドはセミダブル仕様でオプションで2人での使用も可能です。シャワー室、洗面台、トイレ、ビデオモニター用液晶テレビ、クローゼットを備えています。
車内サービスとして、発車直後にはウェルカムドリンク、翌朝には新聞朝刊とコーヒーもしくは紅茶がサービスされました。

25_500_020827_2
スロネ25 500 スイート部分の特徴的な側窓 200/8/27 札幌

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2015年10月23日 (金)

通勤電車シリーズ 103系 33 仙石線

4扉通勤車 103系の歴史、首都圏、関西圏の新製配置、山手線、京浜東北線のATC化による先頭車の異動、九州福岡市営地下鉄との相互乗り入れなどを見てきましたが、今回は仙石線の103系について触れてみようと思います。

仙石線は仙台市と石巻市を結ぶ幹線で、1925年6月5日、宮城電気鉄道により、仙台~西塩釜間が開業され、1928年11月22日、石巻駅までの全線が開業しました。1944年5月1日、戦時買収で国有化、仙石線となり、民営化後はJR東日本の路線となっています。

東北本線との交差のため、仙台駅~東七番町駅間は地下区間として建設され、日本で最初に開業した営業用の地下路線となりました。1952年、路線短縮で地下区間は廃止となり、2000年の再地下化まで仙台駅北側地下改札口と東北本線を結ぶ地下通路として利用されていました。

7151000_417911114 まだ仙石線が地上から出ていた頃の仙台駅東口方向 1991/11/14

1990年代、家族で祖父の暮らす能代に出かける際、仙台で一泊したことがあり、その際この地下通路を利用した憶えがあります。

1033000_5155_030505 八王子で休息中の八高線、川越線用 103系3000番台 2003/5/5

車両は宮城電気鉄道からの引き継ぎ車、いわゆる買収国電からスタートし、首都圏で余剰となった30系、31系、33系、50系から、クモハ54、モハ70の時代を経て、72系が投入され、1974年には車体のみ103系後期車と同等のものを載せたアコモ改良車、後に機器類も103系と同等のものに交換して103系3000番台となった車両が活躍しました。

車両管理に関しても1956年から仙台鉄道管理局仙石線管理事務所(仙セン)、1971年からは陸前原ノ町電車区(仙リハ)、1991年からは宮城野電車区(仙ミノ)、2003年から検修部門は仙台電車区宮城野派出所、2004年仙台車両センター宮城野派出所(仙セン)となっています。103系の配置転属の歴史でも所属名がよく変わる電車区です。

103_860806 1979年から投入された第一陣の103系 1986/8/6 仙台駅地上ホーム

103系は1979年から投入されました。これらは首都圏各線で運用されていた初期車がATC対応車の投入で捻出されたもので、仙石線投入に際して、

・塗装はスカイブルーに
・ドアは半自動化
・客室ヒーターの増設
・タブレット使用区間のため、乗務員室扉直後の戸袋窓をタブレット衝突による破損防止から埋込
(但し、自動信号化後の1984年以降に転入した先頭車にはこの改造はされませんでした)
・2人乗務用に運転室助士側に座席とワイパーを増設
・前面窓ガラスにデフロスタを取付(後に熱線入ガラスと交換されたため撤去)
・ATS-S形車上装置の搭載

といった改造が施されました。これらの車両は1993年までに淘汰されました。

103_19791993_2 表1 1979年から1993年まで配置された第1次103系
先頭車の太字はライトシールドビーム化改造車です。
1986.11ダイヤ改正のJRR編成表データから 

上の写真の車輌、編成表データからクハ103-537だったのかもしれません。

1989年以降は首都圏各線へ205系が投入されたことによる、捻出車を更新して投入し、

・窓を上段下降・下段固定のユニット窓に交換
・ドアを窓が大きいタイプに交換(車両更新を終えてから転入した3編成は窓とドアの交換が省略)
・前面窓を2枚窓化
・運行番号表示器の列車愛称・種別表示器設置の改造が施されました。

これら更新車も老朽化が進み、205系3100番台との置き換えが決定し、2004年7月までに運用を終了し、廃車/解体されました。

103_19892007 表2 1989年頃から103系終了まで配置された編成
2002年夏 編成表データから

廃車に至る過程で興味深いのは仙石線はカーブが多いため、103系の高運転台車よりも低運転台車が好まれ、その結果、高運転台車の方が低運転台車よりも先に廃車された唯一の線区となったことです。

103_060820 郡山に留置される RT-235編成 2006/8/20

ただ、2006年以降に予定されていた多賀城付近の立体交差工事で車両不足が想定されたため、RT-235編成のみ残され、2007年3月19日に営業運転に復帰しました。

復帰に際して
・クハ103-235にトイレと車椅子スペースを設置
・ATS-Sn→ATS-Psに変更
・モハ103-343のパンタグラフをシングルアーム式2基に変更
・台車をグレー塗装化
・座席モケットを205系と同タイプに変更
といった改造が郡山で施工されました。

その後、南武線の209系2200番台の投入で205系が捻出され、2009年10月21日に営業運転を終了、2010年1月に解体されました。

2051200_48_060211 南武線で活躍中のナハ48編成 205系1200番台 2006/4/22 尻手

2009年7月21日 ナハ48編成が大宮総合車両センターに回送、モハ205/204-21のユニットが抜かれ、クハ205/204-1203は-3119に、モハ205/204-19ユニットは-3119に改番され、新たにM19編成になりました。抜かれた-21ユニットはナハ4編成(MG故障修理中にモハ205/204-236ユニットが故障>廃車へ)に替わって組み込まれました(情報はこちらから)。

RT-235編成の廃車でJR東日本の103系は消滅しました。

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2015年10月22日 (木)

San Diego Trolley 2000形 part8

San Diego Trolley 2000形の話題、今回は2036, 2037, 2038, 2039, 2040の写真を紹介致します。

2036_150113_santa_fe_depot3
2036 2015/1/13 Santa Fe Depot

2000形も2015年1月に訪問したときは、最新の4000形の中間に挟まれて運用されているのをよく見かけました。

2037_150110_america_plaza2
2037 2015/1/10 America Plaza

もちろん、こういった2000形3併結からなる編成もまだ活躍していました。

2038_2022_070118_5th_street2
2038 2007/1/18 5th Street

2022号との並び写真ですが、何か違いが見つかるかなと思って較べてみても両車の違いは見つかりませんでした。ただ、車体上の前照灯はこの写真の2編成は、ともに丸型ですが、上の2枚の写真はいずれも角型で、その辺どういうことなのかよく分かりません。

2039_150109_12th_imperial_tc 2039 2015/1/9 12th & Imperial Transit Center

こちらも4000形に挟まれた運用形態です。

2040_070114_gillespie_field
2040 2007/1/14 Gillespie Field

2040_150108_santa_fe_depot 2040 2015/1/8 Santa Fe Depot

この2040の写真を見較べて、前照灯の謎が解決しました。恐らく、オリジナルのライトは丸型ですが、最近、角型のものに付け替えられているのかと思います。角型ライトは発光ダイオードかも知れません。

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2015年10月21日 (水)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 14 650形

昨年12月と今年8月の広島訪問で撮影した広島電鉄の車両、単行車も現役車輌は見てきましたが、まだ紹介していないのが被爆電車、クリスマス電車です。

今回の記事では650形 被爆電車に触れようと思います。

651_150801_2
予定では10:30かと思いましたが、9:10に653号ではなく651号が広島駅を出発して行きました。 2015/8/1 広島駅前

この夏の山口、島根方面の旅行、最初は広島訪問は考えていなかったのですが、終戦後70年の今夏、6月13日(土)から8月30日(土)までの7月25日を除く土・日・祝日、「休車」で保管中の653号が広島駅10時30分と14時00分発で広電西広島まで2往復するという「被爆電車特別運行プロジェクト」が実施されるとのことで、急遽広島を予定に加えました。

8月1日朝、広島駅前には9:00頃、到着したのですが既に651号が入線しており、テレビ局のカメラ?もセットされており、招待客が乗車していました。9:10発とは別に10:30発の653号があるのかと10:30過ぎまでいましたが、10:30発の電車は無かったようです。

651_150801
1945年8月6日午前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」はマリアナ諸島 テニアン島北飛行場を離陸し、5機のB-29で編隊を組み、同日午前7時過ぎには四国上空に到達しました。約1時間前に離陸し、小倉、長崎、広島に向かった先行の気象観測機(B-29)から広島上空の視界を聞き、投下目標を広島に決定したそうです。

搭乗員に積んでいる爆弾が世界初の原子爆弾であることを伝えられたのもこの時点だそうです。8時9分、市街を目視で確認し、高度は31,600ftにセット、12分予め設定された攻撃始点に到達、機は自動操縦に切り替えられ、投下目標を相生橋(T字型)にセット、15分17秒、自動投下、B-29は進路を155度急旋回し、爆弾は横向きにスピンした後、放物線を描いて落下し、43秒後、相生橋東南の島病院付近高度約600mで核分裂反応を起こして炸裂しました。

141218 相生橋 2014/12/18

当時の広島の市中人口は居住一般市民約29万人、軍関係約4万人、市外から入った者約2万人でした。8月6日は週明けの月曜日で朝8時から勤務開始が多かったそうです。気温は26.7℃、湿度80%、気圧1018hp北北東の風約1m/sec、雲量8-9で薄雲はあるものの視界は良好でした。

爆心地500m圏内では閃光と衝撃波がほとんど同時に襲い、巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして破壊、木造建築は全数が全壊しました。島病院の建物も完全に吹き飛ばされ、院内にいた約80名の職員と入院患者全員が即死しました。鉄筋コンクリート建築である産業奨励館(後の原爆ドーム)は垂直方向の衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破したが完全な破壊は免れました。相生橋や元安橋の石の欄干も爆風で飛ばされました。

爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けました。吊革を手で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいました。

651号は爆心地から僅か700mの中電前附近で脱線し、黒焦げ状態で発見されました(写真)。652号は宇品付近で走行中に被爆し、小破しました。653、654号は江波付近で走行中に被爆し、大破しました。655号は広島駅前に停車中被爆し、全焼しました。被爆3日後の8月9日には市内線の一部区間が運行を再開しました。

651_150801_6 広島駅前を出発する651号 2015/8/1

650形は半鋼製のボギー車で1942年、木南車輌製造製です。651-655の5両が製造され、654は老朽化、655は1967年1月25日の事故で同年年度末に除籍され、現在は651-653号が在籍しています。呉市電の600形と同型で、大阪市電1651形、広電に譲渡されて750形の短縮版でもあります。

制御方式は直接制御、両端運転台にKR-8制御器を搭載し、制動はSM-3と日本の路面電車の標準仕様です。1986年7月、冷房化改造も受けました。

アメリカでは戦後、広島、長崎への原爆投下はポツダム宣言受諾を迫っても拒否した当時の日本政府に対して、戦争終結を決断させる手段だったと原爆投下の正当性を教えているそうですが、本心からそう思っているのでしょうか?

広島市のサイトの情報でも現時点でどれだけの方が原爆投下で亡くなられたかは正確には掴めていないそうです。1945年末の時点で14万人が死亡したと推計されています。8月9日には長崎にもプルトニウム239を使用したMk-3核爆弾「ファットマン」が投下されました。

広島、長崎あわせて30万近い非戦闘員がわずか2発の爆弾で殺された事実に対して、本来はアメリカに対して文句を言うべきところかと思いますが、戦後70年、アメリカに対して物言えない政府には期待することも出来ません。

タイプは違うものの核分裂によって出されるエネルギー(爆風、熱)さらに放出されるα、β、γの放射線は人体のDNAに損傷を与えます。さらに放出された中性子は多の物質を放射化し、新たな放射性物質を作り出します。恐ろしいのは放射線被曝で生じたDNAの傷が修復されず後代に伝わって行くことです。我が国は世界で他にない被爆国として核兵器の廃絶を訴え、今後、このような悲劇が二度と繰り返させないことを訴え続けることです。

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2015年10月20日 (火)

公園保存蒸機 D51 777号機 刈谷市交通児童遊園

全国の公園等に保存されている鉄道車輌を見て歩くシリーズ、今回は愛知県刈谷市の交通児童遊園です。

2014年8月12日、前回ご紹介したJR武豊線半田駅前のC11 265号機を見学した後、こちらを訪問したのですが、朝早すぎて開門しておらず、別の場所を見てから再訪したと云う思い出のある場所です。

D51_777_140812_3 ヘッドライトケースの銀やナンバープレートの青がちょっと気になりましたが、大変美しく維持されているD51 777号機 2014/8/12 刈谷児童交通遊園

青ナンバーは中津川時代からのようです(M.TADA氏のサイトの情報)。

こちらには今回の記事で紹介するD51 777号機の他、名古屋市電の1603号機も展示してあり、さらにすぐそばには大阪の公演に向かって夜行急行「銀河」に乗車中、刈谷付近で列車から転落され落命された作曲家・箏曲家宮城道雄氏の供養塔もあります。それらも後の記事で触れる予定です。

D51 777号機は沖田祐作氏の機関車表データによりますと

D51777     汽車製造大阪工場=2260            1942-09-26 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1942-09-26 製造→ 納入;国鉄;D51777→ 配属;名古屋局→1942-10-06 配置;多治見→
      1943-09-26 福井→1943-10-19 浜松工場→1943-11-13 借入;敦賀→1943-12-22 返却→
      1944-09-26 米原→1945-05-15 借入;多治見→1945-10-31 多治見→
      1948-10-23 借入;金沢→1948-10-31 返却→1949-12-10 名古屋→
      1954-11-15 借入;多治見→1954-11-28 返却→1957-10-06 借入;中津川→
      1957-10-15 返却→1959-12-12 中津川→1966-06-25 借入;木曽福島→
      1966-07-05 返却→1972-09-22 廃車;中津川→
      保存;愛知県刈谷市「刈谷市交通児童遊園」;D51777

1942年9月26日、汽車製造大阪工場で落成しており、最初の配置は名古屋局多治見機関区でした。中央西線で活躍したのが仕事始めでしたが、すぐに福井、敦賀に転属となり、終戦の年、1945年には多治見に戻り、1948年には金沢へ、、1年足らずで名古屋へ、その後5年して再び多治見へといった異動を経て最後は1972年9月に中津川で廃車となっています。

D51_777_140812
名古屋から北陸にかけて活動した記録はこちらにも書かれています。

D51_777_140812_2

777号機が中央西線で活躍していた頃はデフにツバメのマークが付けられていたこともあったそうです(M.TADA様のサイトの情報)。

D51_777_140812_42
展示場所の関係からこういった撮影も可能で、ボイラー、下回りともに大変綺麗に整備されているのが分かります。

D51_777_140812_44 中津川機関区の区名札が挿入されており、キャブサイドのプレートも青地です。

D51_777_140812_30 3本の砂管のパターンはこういった感じで

D51_777_140812_29 逆転器のモーションプレートの穴は小穴タイプです。

D51_777_140812_4
動輪やクロスヘッドなどにD51777の刻印を見ることができ、キャブも助手席側から見学可能です。

D51_777_140812_16
あるべきものが無いといった感じもする運転席

D51_777_140812_41
炭水車のライトはシールドビームタイプでした。

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2015年10月19日 (月)

東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part1 MT15

2015年8月22日の東京総合車輌センターの公開、今回は工場内に展示されていた国鉄時代からの直流電車の主電動機について触れてみようと思います。登場する面々は
MT-15, MT-46, MT-54, MT-54B, MT-55, MT-57, MT-60, MT-61B -61C, MT-63, MT-68 -68A, MT-73, MT-75 などです。

主電動機の形を上げて、搭載形式や出力がすぐに思い浮ぶのはかなりの鉄道マニアと思います。私はMT-46やMT-55は分かりますが、それ以外は全く分かりませんでした。

Mt15_150822 イベントではこのように主電動機の形式と使用車両が紹介されていました。

何回かに分けてになりますが、今回はまずMT-15から行きます。

省形式MTで始まる主電動機の最初はMT-4だそうです。これは鉄道院、鉄道省の直流用電車デハ33500系に搭載されたゼネラル・エレクトリック社製GE-244A(端子電圧675V*時、定格出力85kW、定格回転数890rpm)のモーターでした。

*端子電圧675Vは戦前の鉄道省時代は送電時のロスで1割程度電圧降下し、架線電圧は直流1500Vが1350Vになると見込んで、モーターを2個直列に繋いだ場合、端子電圧は675V程度と判断したことによるそうです。戦後は変電所から送り出す段階で1650V程度まで昇圧し、架線から集電する際に1500Vになるように変更されたため、端子電圧は750Vで設計されるようになったそうです。

製造は1921年(大正10年)から1922年度にかけてでデハ23500形、サロ33250形、デハ33500形、サハ33750形から構成されており、中央線・山手線用600V(デハ23500形)もしくは京浜線用600V/1200V(1500V)(デハ33500形)でした。制御器はゼネラル・エレクトリックC-36Dでした。
このMT-4電動機西武鉄道の311系、371系にも使用されていました。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災以降、東京周辺の省電では輸送力アップのため、車体を大型化したデハ63100系が量産されました。このとき主電動機は”端子電圧675V時の定格出力100kW/635rpm”という条件で電機メーカーが競作し、

日立製作所RM-257(省形式MT7:368基)
芝浦製作所SE-114(同MT9:112基)
東洋電機製造TDK-502(同MT10:220基)
メトロポリタン=ヴィッカースA-1506(同MT12:64基)
三菱電機MB-94A(同MT13:8基)
奥村製作所MD-27(同MT14:4基)   が納入されました。

一方、主制御器はゼネラル・エレクトリック社製Mコントロールと互換性のある電空カム軸式制御器「PC制御器」のライセンス生産品・芝浦製作所RPC-101(省形式CS1)が採用されました。運転台の主幹制御器は、従来から用いられてきたGE・C36をもとにして国産制式化されたMC1が採用され、以後旧型国電の標準的な主幹制御器として長く用いられました。

11 南武支線のクモハ11 尻手

木製車体の車輌は構造的に脆弱であり、加減速で車体の歪みが大きく、事故の際には容易に粉砕されること、さらに震災後の復興で木材の価格が高騰し、良質な材料が入手困難になっていたことから、鉄道省は客車に先んじて木製車体の電車の製造を中止し、鋼製車体に切り替えることにしました。その結果、1926年から登場したのが後に国鉄30系としてくくられる17m級3扉ロングシートの旧形電車群です。

形式は 1928年10月の形式称号改正で改められましたが
デハ73200形 > モハ30形(30001 - 30205)
サロ73100形 > サロ35形(35001 - 35008)
サハ73500形 > サハ36形(36001 - 36045)  です。

このときに主電動機も”端子電圧675V時1時間定格出力100kW、定格回転数653rpm”と言う条件で鉄道省と各メーカ間で共同設計が行われ、それまで各メーカが競作した製品の中で使用実績と購入数から日立製作所のMT-7を基本として、他社機種のメリットを盛り込む形でMT-15が開発されました。

12013 新鶴見機関区で見かけたクモハ12013   1975年

将来の地方線区への転用も考慮し、勾配線区での連続使用にも耐えられるように熱容量も大きくとり、フレームも強度重視で頑丈に作ってあり、重量、容積が大きく、定格回転数は低めでも信頼性と汎用性が高く、性能に余裕のあるモーターとなりました。

国鉄では
1930年 横須賀線向けモハ32形で70%弱め界磁付加の MT15A
改良版 MT15B
初の20m車 40系に搭載 MT15C
1933年 界磁率58%の42系 MT15D などの発展をしました。

制御器は電磁空気カム軸式のCS5形で、ゼネラル・エレクトリック(GE)社製電空カム軸式「PC制御器」のライセンス生産品・芝浦製作所RPC-101(省形式CS1)の改良による上位互換型でした。主幹制御器はGE社製C36形マスターコントローラの改良国産化品であるMC1形が、在来木造車から引き続いて搭載されました。
西武では351系の一部や451系、551系、411系にMT15E搭載の車両がありました。

13_871200
かつて首都圏ではよく見かけたクモニ13 荷物電車 1987/12 鶯谷

1953年の車両形式称号改正で車体長17m級の電車は、形式10 - 29に設定されたため、その時点で残存していた車輌はその出自に関わりなく、

中間電動車           モハ10形(2代)、
片運転台制御電動車     モハ11形、
両運転台の制御電動車   モハ12形(改番時点で本系列には存在せず)、
制御車              クハ16形、
付随車              サハ17形    に統合されました。

2924

配給電車 クル29+クモル24 田町

その後、両運転台化改造で、クモハ12や事業用車(牽引車、配給車、救援車)への改造でしばらく生き残りました。

鉄道省がMT15を省制化した1930年代中期頃、関西の私鉄、新京阪鉄道・阪和電気鉄道・参宮急行電鉄・阪神急行電鉄などは標準軌間路線が多いこともあり、すでに端子電圧750V時1時間定格出力150kWの東洋電機製造TDK-527Aが新京阪鉄道P-6形用として実用化され、その後も、国鉄と同じ狭軌用150kW級電動機では東洋電機製造TDK-529A(端子電圧750V)と日立製作所HS-262AR(端子電圧600V)が、それぞれ阪和電気鉄道モタ300・モヨ100形と南海鉄道電9形用として1929年に完成しました。1933年には、戦前の電車用主電動機最大出力を記録する端子電圧750V時1時間定格出力170kW級の芝浦製作所SE-146が大阪市電気局100形用として完成しています。

鉄道省、国鉄の吊り掛けモーターはこの後、51系モハ54形MT30 (端子電圧675V,128kW)が登場、63系MT40(電機子軸受けをコロ軸受けに、端子電圧750V,140kW)が登場しました。

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2015年10月18日 (日)

東海道新幹線開業から50年 その23 951形 試験電車

昨年10月の東海道新幹線開業50周年を機に東海道・山陽新幹線の車両の変遷を追っかけて、前回は0系試作車の1000形に触れましたが、今回は都内国分寺市に保存されている951形について触れようと思います。

9511_151004_2 951-1    2015/10/4     国分寺市ひかりプラザ

951形は1972年3月、山陽新幹線が岡山まで開業するにあたり、それまでの営業運転での最高速度210km/hを250km/hにまで引き上げる新型車両開発のために1969年3月に製造された2両編成の試験車両です。

1形式2両の構成で、新大阪向き制御電動車が951-1 川崎車輛製、東京向き制御電動車が951-2 日本車輌製造製 です。

9511_151004_4 0系に較べてかなり長くなった951形の前頭部

サイズは0系を踏襲し、
全長 25m 全幅 3,386 mm 全高 4,490 mm ですが、車体軽量化のため初めてアルミ合金製構体とし、剛性を確保するため、ボディマウント構造としました。空気抵抗を軽減するため先頭部は0系の約4.5mから約6.5mに伸長され、それがこの形式の特徴となっています。

山陽新幹線では六甲トンネルなど長大トンネルが多数建設されるため、トンネル突入時の気圧変動対策として、ターボファン方式の連続換気装置が新規に開発され、搭載されました。この装置は0系14次車以降にも搭載されました(関連記事)。また、冷房装置はヒートポンプ方式のAU91・AU92を床下に搭載し、低重心化に貢献しました。

9511_151004_11 951-1に特徴的な側窓

側窓は951-1と951-2で異なり、-1では窓中央内側に細いピラーが立ち、電動ベネシアンブラインドのガイドレールとしたのに対し、-2では電動横引きカーテンが採用されました。

座席は0系同様の2+3列構成ですが、計測機器搭載スペースを確保するために一部は座席がありませんでした。
951_151004_4
951_151004_5 運転台も見学可能です。 かなりアナログ感に溢れています。

主制御器
当時デビューしたED77電機や711系などの交流電気車の技術開発成果を活かして、新幹線では初のサイリスタによる連続位相制御方式を採用しました。力行・発電ブレーキ双方での連続的な制御が可能となり、マスコンの速度指定による定速制御方式が採用されました。
主電動機
0系ではMT200(端子電圧400Vで連続定格出力185kW)でしたが、出力を大幅に上げたMT916・MT917(端子電圧650Vで連続定格出力250kW)が搭載されました。駆動方式は0系同様 WN (Westinghouse - Natal) ドライブ方式としました。
9511_151004_16 スカートの形態も951形独特の形態

台車
当初、車輪直径を910mmから1000mmに拡大し、軸箱梁に渦電流ブレーキを搭載して高速域での強力な制動力を狙ったDT9010、DT9011台車を装着したのですが、バネ下重量が過大になりすぎ通過後の軌道でPC枕木が割損する事態が発生したため、1971年輪軸を中空軸とし、バネ下重量を減らしたDT9012に履き替えられました。

ブレーキ
961-1にブレーキ専用のチョッパ制御器と抵抗器を搭載し、発電ブレーキが高速域から定速域まで安定的に作用するように設計され、渦電流ブレーキで発生する磁力をレールに吸い付ける高速域での強力な制動力を狙いました。しかし上記のような問題から、渦電流ブレーキは後年撤去されました。

9511_151004_91 パンタは畳まれていました。

パンタグラフ
山陽新幹線ではき電方式が変更になり、パンタグラフの間隔も50mから100mになるとの想定で各車の連結面よりに0系のPS200を軽量化した下枠交差式のパンタを搭載しました。実際には-2の方のパンタが常用されました。

151004_11 記録は常に更新されるものとよく言いますが、286km/hの当時の世界最高記録はこの車両の輝かしい宝ですね。

試験
1969年4月から米原~新大阪間で新技術の機器をテストが行われ、1970年2月から速度向上試験が開始されました。しかし220km/hを目指す過程で枕木割損事故が起き、試験は中止となりました。新しい台車DT9012が完成し、試験が再開され、1972年2月24日、相生~姫路間の上り線で当時の日本国内の鉄道車両最高速度記録286km/hを達成しました。

その後は961形の完成や国鉄労使間折り合いが悪く試験に使われることはあまりなく、1980年4月11日付けで廃車となりました。

廃車後は鉄道技術研究所に引き取られ、-2は車輌試験台に載せられ各種試験に使用され、2008年1月16日に解体されました。-1は1991年に国分寺市に寄贈され、鉄道技術研究所の目の前に建てられた市複合施設「ひかりプラザ」の敷地内で『新幹線資料館」として一般公開されるようになりました。

951_151004_2
951_151004_3
951_151004_4_2
951_151004_5_2 951形に関する解説記事

951_151004 951-1の鉄道総研からひかりプラザへの搬入の様子

資料館の展示に関しては次回の記事で紹介します。

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2015年10月17日 (土)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 12 通勤車両 Z 5600

パリ、リヨン駅で見かけた車両たち、今回も通勤・近郊形電車です。

Z5626_070603_gare_de_lyon Z 5626 編成 2007/6/3  Gare de Lyon

我が国でも通勤電車における着席率の向上のために、常磐線に試作のクハ415-1901、さらに東海道線に215系が導入されましたが、結局、朝のラッシュ時、乗降に時間がかかり定時性が保てないとのことから、二階建て車はグリーン車のみで普通車の二階建て車はその後、製造されていません。

4151901_050505_6 常磐線、415系列に導入されたクハ415-1901 2005/5/5 荒川沖

215_nl1_110923 215系 NL1編成 2011/9/23 鶴見

フランスでは VB2N (Voiture de banlieue à 2 niveaux)として、機関車牽引、推進の客車タイプが1974年から1984年にかけて製造されており、後日紹介しますが、サンラザール駅、北駅、モンパルナス駅からのネットワークに使用されています。それを動力分散方式の電車に引き継いだのがZ 2Nという方式で、最初に登場したのが直流1500V方式のZ 5600形式です。この方式は交直両用のZ 8800,  Z 20500 Z 20900にも受け継がれました。

4両、もしくは6両から構成されており、
ZB+ZRB+ZRAB+ZB  もしくは   
ZB+3*ZRB+ZRAB+ZB となっています。

日本風に言うと両端にクモハ、中間にサハとサロを挟む構成となっているのかと想像できます。2扉で側窓の構成など、クモハである点を除けばクハ415-1901の配置とよく似ています。

Z5632_090312 Z5632 編成 2009/3/12 Gare de Lyon

出力 3000 kW  牽引力 310 kN
重量は 212.5 / 294.5 t

最高速度 140 km/h

製造は1982年から1985年で、CIMT, TCF, TCOで52編成製造されました。

定員は1等 133名(70席) 2等 4両 888名(480席) 6両 1508名(816席)となっています。

更新は2009年から開始されています。

TER (Train Express Régional 地域圏急行輸送) Bourgogne 線や
RER (Réseau express régional d'Île-de-France イル=ド=フランス地域圏急行鉄道網) D線で使用されているので、リヨン駅でも目にすることがありました。

    Image illustrative de l'article Réseau express régional d'Île-de-France

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2015年10月16日 (金)

尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その3 「あけぼの」「出羽」 part1

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、前回の記事から公開されていたHMについて触れていますが、今回は「あけぼの」「出羽 」です。

Hm_141115
今回の記事では長かった「あけぼの」の歴史- 20系客車の時代- から見て行こうと思います。

Ef65_1028_7806 EF65 1028号機に牽引されて上野に到着した20系「あけぼの」 1978/6
電源車はカニ22 この頃は上野駅高架ホームに発着する長距離列車も多数ありました。

寝台特急「あけぼの」は1970年7月1日、臨時寝台特急として上野~秋田間に奥羽本線経由で20系客車で1往復設定されました。9月30日まで毎日運転され、お盆の最混雑期間、下り列車は品川始発で運転されました。

20_22 こちらは上り列車の最後尾 ナハネフ22 上野

9月30日発から定期夜行急行「おが」を格上げし、運行区間を上野~青森間として定期化しました。

おが」は1963年10月のダイヤ改正で、それまでの夜行普通列車411・412列車から急行に格上げされた列車で、このダイヤ改正で昼行1往復(キハ58等)と季節列車夜行1往復(座席のみの在来客車、G車連結)となりました。

上野~黒磯の直流区間は宇都宮機関区のEF651000番台PFの牽引となり、同タイプの最初の特急運用となりました。一時期EF58が担当したこともあったそうです。

1972年3月15日のダイヤ改正では、座席車のみだった季節夜行急行「おが」にA寝台車B寝台車各1両が連結されました。

1973年10月1日、特急「あけぼの」は2往復となり、秋田発着列車が設定されました。12月1日から、翌年春までに上野発着の寝台特急の食堂車の営業が停止となり、編成からナシが外され、ナハネに置き換えられました。

20_20 20系電源車として最初に製造されたマニ20

20_22_2はやぶさ」20系化で1960年、さらに「みずほ」20系化で1963年に製造されたカニ22 

この頃はMGやパンタは撤去済みでした。

20_21_790706 そして標準の電源、荷物車となったカニ21

当時、盛アオや秋アキには新旧様々な20系が集結しており、「あけぼの」の電源車も一晩で異なるタイプを撮影出来ました。

1975年版 客車配置表データによると、当時の配置では

盛アオ カニ21 12 13 14 20 21 122 123 124
            カニ22  1  3
秋アキ マニ20  1  51  52
            カニ22  51  52       でした。

20系客車は当初、製造メーカーで番代区分されており、日本車輌製造製は1-49、日立製作所製は51-99でした。

カニ21の122-124は1970年6月製造で電源車の無人運転対応のため遠隔自動制御装置が装備されており、基本番台+100で区分されました。1970年9月製造の最終増備車25-27は新製時から装備されており、そのままの番号となりました。

20_22_790505 尾久客車区で休む20系 1979/5/5

東北の寝台特急が続々、14系、24系化されて行く中で「あけぼの」のみが最後まで20系で残されました。

1975年11月25日、奥羽本線、羽前千歳~秋田間の交流電化が完成し、山形~青森間の牽引機がDD51からED75700番台に交代しました。

Ed75_728_207903 ED75 728 号機牽引 「あけぼの」 1979/3 鶴形~富根間

20 ED75 700番台牽引で青森を目指す20系「あけぼの」 1979/3 鶴形~富根間

Ed75_722 ED75 722 牽引で秋田に到着する「あけぼの」

1980年10月1日のダイヤ改正で「あけぼの」は20系客車から24系24形客車に置き換えられました。このときが20系客車の特急運用からの引退でした。季節夜行急行「おが」の座席車は14系客車となりました。

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2015年10月15日 (木)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 19 C62 1号機

昨年夏、40年ぶりに訪問した梅小路蒸気機関車館、今回から2回は同館に保存されているC62形式の話題です。

C62_1_140810_12 1994年以来、梅小路蒸気機関車館に保管・展示されているC62 1号機 2014/8/10

太平洋戦争が終わり、戦時物資輸送用に活躍を強いられた貨物用機関車は大量に余剰が発生しました。一方で買い出しや復員兵で旅客輸送は逼迫し、旅客用機関車の不足が顕著になり始めました。しかし、占領軍の方針や資材の不足で機関車を新製することは困難でした。

GHQの将校デ・クロードの助言により、余剰となった貨物機のボイラーを転用し、新たな旅客用機関車を改造名義で製造することになり、誕生したのがC61やC62と云われています。

C59の場合も、財政難で133号機から155機がキャンセルになっており、そういったメーカーの救済もあって1948年から49年にかけてD52のボイラーを流用して、49両が製造されました。製造は日立製作所(1-21号機)、川崎車輛(22-36号機)、汽車製造(37-49号機)です。日立と川崎はC59の製造に関わっており、汽車はC61の発注がキャンセルされたため参入したとのことです。

C62d52 表1 C62形式 D52形式からのボイラー転用関連 Wikipediaのデータを利用

24号機は2台のボイラーをあわせて1両に ただし、D52のボイラーは戦時設計で質が悪かったため、後年多くの機関車が新製されたボイラーと交換されたとのことです。

全長 21,475 mm
全高 3980 mm
最大軸重 オリジナル 16.08t    軽軸重形* 14.96t 
総重量 88.83t
ボイラ圧力 16.0 kg/cm2
火格子面積 3.85 m2
加熱器形式 シュミット式
弁装置 ワルシャート式
出力 2163 PS  定格出力 1620 PS
営業最高速度 100km/h
引張力 13,870 kg   粘着係数 12,058 kg

*従台車の支点の位置を変え、先台車の板バネ枚数を16枚から17枚に増やしバネ定数を変更することで対応

C62_1_140810_9

台枠前縁に埋め込まれた標識灯、ボイラー下のハの字エプロンは広島工場特有のスタイルです。

1-4号機が試作機として製造されており、2-4号機で自動給炭機:メカニカルストーカーの装備試験が行われました。5号機以降で制式化されましたが、自動給炭機の製造に手間取ったため、初期製造分は未搭載で就役した機もありました。

36号機以前は日立の量産スタイルに準じて製造されましたが、37号機以降の汽車製造分は、蒸気溜まり・砂箱キセの形態や弁装置の調整などにC59の設計に関与した技術陣の意識が見える形態となりました。

就役後の運転については次の2号機の記事で触れることにし、ここからは1号機について触れます。

沖田祐作氏の機関車表による、同機の履歴では

C621      日立製作所笠戸工場=1921          1948-01-17 S88.00t2C2T(1067)
   車歴;1948-01-17 製造(ボイラーD5274)→ 納入;国鉄;C621→ 配属[達181];広島局→
      1948-01-23 配置;広島二→1948-02-05 試運転実施→1948-02-15 使用開始→
      1950-08-22 発(8/23 着)宮原→1956-08-01(8/31?)借入;梅小路→
      1957-07-10 広島二→1958-00-00 新缶に交換(広島工場施工)→
      1962-06-06 広島発(6/6 着= 書類上)借入;新小岩(晴海展示会出品)→
      1962-07-16 発(7/16 着)返却→1962-09-28 発(9/28 着= 書類上)長町→
      1962-10-18 発(10/20 着)返却→1966-10-01[中国支社達1384]一休指定→
      1967-04-01[中国支社達845]広島機関区→1967-06-01 二休指定→
      1967-07-14 廃車[中国支社達1460];広島(最終走行距離=2,083,520㎞)→ 小郡にて保管→
      保存;広島県JR 西日本「広島鉄道学園」;C621(製番は戦時中の欠番欄に挿入)→
      1994-02-14 発(解体しトレーラー3 台で輸送=2/16 着)梅小路→
      1994-08-28 保存復元完了セレモニー実施;京都市「梅小路機関車館」

1948年1月17日に落成後、新製配置は広島第二機関区でした。宮原や梅小路に一時転属したこともありましたが、終生、山陽本線で働き、1967年7月14日に廃車となっています。

20年に満たない現役時代ですが、それから48年以上保存されており、最初は広島機関区、続いて小郡機関区におかれ、1976年3月 広島鉄道学園に静態保存となり、同年3月31日に準鉄道記念物に指定されました。梅小路機関区に移されたのは1994年のことです。
以前、1972年萩旅行の記事で書きましたが、同機が小郡機関区に保存されているのを偶然見かけました。

C62_1_7207
C62_1_7207_2
C62_1_7207_3
1972年7月 小郡機関区の扇形庫に保管されていた頃のC62 1号機

このときは、「小郡にC621号機が保存されていた」と驚いたものでしたが、まだ現役を退いて5年しか経過していない時期だったのですね。

C62_1_140810_5
缶水清浄装置も搭載されていますが、設置位置は少し前気味です。

C62_1_140810_8
後部標識灯も広島工場方式の埋め込みスタイルとなっています。

次回のこのシリーズの記事ではC62 2号機と、C62形式の誕生後、各線での運用について纏めてみようと思います。

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2015年10月14日 (水)

小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 6 6050系

小菅付近の複々線を通過する車両、全部で何種類あるのかと思うほど、通勤形から優等列車まで多種多様な車両が通過して行きます。このシリーズでは、東武鉄道の優等列車から系列、形式ごとに追っかけていますが、今回は6050系について触れようと思います。

6151_111104_3 6151F 2011/11/4 下今市
6050系のトップナンバー編成 6103編成からの更新車

6050系は国鉄と東武が日光観光で競合していた時代に国鉄が準急型電車80系もしくは153系を利用した特別料金不要の優等列車を日光線に投入するのに対抗して、1964年から1966年にかけて投入した6000系 (モハ6100形 - クハ6200形)22編成、44両を1985年10月から1986年10月にかけて更新して誕生した系列です。

6253_150429 荒川橋梁を渡る6153F 2015/4/29 小菅

6000系は片開き2扉セミクロスシートで1963年に登場した8000系を基本に優等列車用に設計変更された車両でした。扉間にボックスシート、車端部にロングシートを配し、シートピッチは1480mmと国鉄153系に較べると20mm広い設定となっていました。長距離運転に配慮し、クハにはトイレが設けられました。1971年から1973年にかけて列車黄害対策で汚物タンクおよび汚物処理装置が搭載されました。冷房装置は設置されず落成しました。

6154_120901 浅草に向かう6154F 2012/9/1 小菅
6050系は3併結6連で運用されることが多い。

主電動機 TM-63 (8000系と同じ) 端子電圧375V 永久直列つなぎ 130kw/h
歯車比   5.31
定格速度 49.5km/h (全界磁時) 最弱界磁率 20% 
最高運転速度 110km/h
主制御器 電動カム軸式 日立製作所製MMC-HTB-10D
      力行ステップは抵抗制御と弱め界磁制御のみ 24段 (力行18段、弱め界磁6段)
制動装置 発電制動併用電磁直通ブレーキ (HSC-D) 抑速制動機能付加
台車    モハ 住友金属工業製FS357 クハ同FS057
       鋳鋼製ミンデンドイツ型軸箱支持方式空気バネ台車
       軸箱部にオイルダンパー追加
CP     アメリカ・ウエスティングハウス(WH)社現設計を
       日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)でライセンス生産された「DH-25」 
       クハに2基搭載

6050_6000 表1 6000系から6050系への更新に伴う番号対応

冷房装置が搭載されていない点、野岩鉄道会津鬼怒川線の開業で長大トンネルを通過する際の問題点、寒冷地対策の必要性、ちょうど車齢20年の更新時期を迎えていた点を考慮し、新型車を製造し、6000系からMG以外の主要機器を供出する方針が採られ、誕生したのが6050系でした。6000系から車体更新で6050系が登場した頃の懐かしい、写真がこちらのサイトで見ることができます。私は、6000系は殆ど見た記憶がありません。

61101_100508 61101F   2010/5/8    藤岡~静和 
1985年製の完全新造車 野岩鉄道所有

6050系はモハ6150形 - クハ6250形 の22本、44両が登場し、更新途上の運用車両の不足に対処するため、1編成 (61101F)が完全新造され、後に野岩鉄道に譲渡されました。1988年完全新造車が7編成増備され、さらに2012年には2編成(6177F, 6178F)が634系に改造されました。634系に関しては次の記事で触れます。

6273_150429 1988年に完全新造された6173F 2015/4/29 小菅

全長20m、両開きドアを前後2カ所に備え、前面は大型ガラスを使用した三面折妻構造となり、窓廻りを凹ませました。このデザインは8000系の更新車や10030系に通じる流れとなりました。

6277_111104 現在は634系に改造され、この姿は見納めとなった6177F   2011/11/4   下今市

塗色は、ジャスミンホワイトを基調に前面はパープルルビーレッド、側面はパープルルビーレッド2本とサニーコーラルオレンジのラインを巻き、後にこの車両塗色は塗り分けこそ異なりますが100系スペーシア」(1990年 - 2012年のオリジナルカラー)や300・350系にも採用され、日光方面優等系車両のイメージカラーとなりました。

更新に際して、制御器等の主要機器は新製されました。制御シーケンスやブレーキシステムの仕様は6000系とほぼ同一であり、更新途上においては両系列の併結運転も行われました。

制御器は電動カム軸式の日立製作所製MMC-HTB-10Lで、6000系が搭載したMMC-HTB-10Dと制御段数およびシーケンスは同一で主電動機4個永久直列回路構成ですが、野岩鉄道乗り入れを考慮して耐寒耐雪設計とされたほか、無接点制御方式を取り入れメンテナンス軽減を図りました。電動発電機 (MG) も冷房装置が搭載されたことからブラシレス式の大容量のものが新製され、容量75 kVAのCLG-703をクハ6250形に搭載しました。

5編成に霜取り用パンタグラフが搭載され、一部の電動台車には当初から撒砂装置が設けられました。

完全新造車

1985年 61101F
1986年 61102F
台車が更新車の住友金属工業製ミンデンドイツ型FS357・057(東武形式TRS-63M・63T)に対して、住友製SUミンデン型に変更されました。

1988年 会津鬼怒川線の人気と会津鉄道会津田島電化開業に備えるため、6173~6179Fが追加投入されました。

1990年 61201F 会津鉄道所有

6050_111104 61103F 車内の様子 2011/11/4 東武日光

座席配置は6000系と同様にドア間固定クロスシート、車端・戸袋部ロングシートのセミクロスシートとしました。ボックスシートはシートピッチが6000系の1,480 mmから1,525 mmに拡大されました。また、折り畳み式テーブルも設置されました。定員はモハ6150形が150名(座席72名)、クハ6250形が145名(座席68名)です。

6050_111104_3
車内の乗務員室側の妻面上部の中央には、分割運転時の誤乗防止のため、行先表示器を設置しました。

111104_3 下今市での編成分割        2011/11/4 
前4両は野岩鉄道新藤原・会津田島方面、後2両は東武日光方面へ

野岩鉄道・会津鉄道の所有車両も運用上の区別はなく、3社の保有車両が南栗橋車両管区新栃木出張所に配置され、完全に共通運用されています。

伊勢崎線・日光線・鬼怒川線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線を直通する快速・区間快速を中心に充当されており、下今市で東武日光/会津田島方面列車の連結・切り離し作業が行われます。その他にも、日光線(栃木 - 東武日光間)・鬼怒川線の普通列車や、下今市で特急に連絡する特急連絡列車、さらには出・入庫の関係から早朝・深夜の浅草 - 新栃木間区間急行、野田線(東武アーバンパークライン)と伊勢崎線(東武スカイツリーライン)を結ぶ臨時快速にも使用されています。

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2015年10月13日 (火)

江ノ電を撮る 車輌編 その6 1500形  

江ノ電1000形を各サブグループごとに見て参り今回は1500形です。2編成製造され、1501編成は1986年4月23日1502編成は1987年12月10日に営業運転を開始しました。

1501_141230 江の島駅に入線する1501-1551 編成 2014/12/30

1200形までは吊り掛け駆動でしたが、この形式から初めてカルダン駆動となりました。また弱め界磁制御も導入され、マスコンの進段数も3段から4段に増えました。

1501_141230_2 西日を浴びて鎌倉高校前に停車中の1501-1551 編成 2014/12/30

主制御器 東洋製ACDF-M450-789A-M
       直列11段、並列8段、弱め界磁2段、発電制動19段
主電動機 東洋電気製造製TDK8005-A形
 端子電圧300V、電流195A、出力50kW、定格回転数1,300rpm、高速試験回転数3,250rpm
歯車比  82:13 (6.31)
起動加速度  2.0km/h/s、
減速度     常用3.5km/h/s、非常時4.0km/h/s
応荷重装置付き 乗車率が0%から250%まで変化しても加減速度は一定
台車  両端の電動台車がTS-829形、
     連接部の付随台車がTS-830形  枕バネはコイルバネ
車体のステンレス使用率は1200形よりも増えています。
側扉窓支持方式は登場時から押え金式

1501_150103 江ノ島~腰越間の路面区間に入る1501-1551編成  2015/1/3

塗装 登場時 「サンライン・カラー」 その後1000形の標準色である緑の帯に

1501編成 2007年4月から2009年2月まで「2代目S.K.I.P号
1502編成 1201編成に代わって明治製菓の全面広告電車として運用、その後標準塗装

2009年6月 1501編成がサンライン・カラーに
同年10月   1502編成 京福電気鉄道(嵐電)との姉妹提携を記念してが嵐電カラーで運行開始
1552_150524 峰ヶ原信号場を出発する1502-1552編成 2015/5/24

2013年8月31日
 1501編成 車体更新工事
2014年9月1日   1502編成 車体更新工事

緑の標準塗装化
パンタグラフ シングルアーム式
行先表示器 前面・フルカラーLED化
側面・3色LED化
ツインモニター設置
ドア付近に黄色い警戒色
乗降扉付近のノンスリップ化
車椅子スペースとドアチャイム設置
室内照明機器のLED化

1552_150524_2 海の見える踏切 鎌倉高校前東側の踏切を行く1502-1552編成 2015/5/24

1552_150620 あじさいの季節、御霊神社前を通過し極楽寺トンネルに入る1502-1552編成 2015/6/20

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2015年10月12日 (月)

京急ファミリー鉄道フェスタ2015 part6 1500形

2015年5月24日、久里浜の京急ファインテックスで開催された京急ファミリー鉄道フェスタ、今回は1500形について触れようと思います。

1713_150524 1500形 オリジナルVVVFの1713編成 2015/5/24 京急ファインテック

1500形は1985年4月1日に営業運転を開始した都営地下鉄浅草線・京成電鉄・北総開発鉄道乗り入れ対応車両で、1993年までに老朽化した初代1000形置き換え用に166両が製造されました。京急車両としては初めてT型ワンハンドルマスコンが採用された車両でもあります。

車体は製造年次によって材質が異なり、1985、6年製は普通鋼製、1988年製以降はアルミ合金製となり、制御方式も当初はインバータ容量の少なさから界磁チョッパ制御を採用、1990年製からVVVFインバータ制御となりました。オールマイティな車輌だけに、その製造、編成替え、改番とかなり複雑な歴史を既に辿っています。

車体外板は赤、窓下に幅150mmの白帯を配し、正面はスイング式プラグドアを採用しました。正面窓回りを一段凹ませ、周囲を黒く塗装し、3枚の窓を一体のようにみせています。前照灯、尾灯は一体ケースに収められました。尾灯はLED式となりました。アンチクライマーを全幅に渡って設置し、京急初となる両開き3扉となりました。車内はオールロングシートとなりました。

1520_100613
1517_100613 1517-1520 編成 2010/6/13 八丁畷 
1986年7月製造の鋼製車体ラスト、界磁チョッパ制御 4両編成、本来は大師線専用ですが、こうして本線を走ることもあるようです。

主要機器

主電動機

界磁チョッパ車
複巻電動機 KHM-1500形 出力100 kW、端子電圧375 V、電流300 A、分巻界磁電流28 A、定格回転数1,460 rpm、定格速度41.2 km/h)

VVVFインバータ制御車
誘導電動機 KHM-1700形 出力120 kW、端子電圧1,100 V、電流84 A、周波数50 Hz、定格回転数1,455 rpm

VVVF改造車
東洋TDK6162-A(出力155 kW、端子電圧1,100 V、電流108 A、周波数55 Hz、定格回転数1,620 rpm または 三菱MB-5121-A(出力155 kW、端子電圧1,100 V、電流110 A、周波数55 Hz、定格回転数1,620 rpm)

駆動装置・歯車比

KHG-800(東洋製TD282-C-M、たわみ板式継手)、1500・1600番台:82:15 (5.47)、1700番台:83:14 (5.93)

主制御器

界磁チョッパ・鋼製車: 東洋製ACRF-H8100-786Aまたは三菱製FCM-108-15MRH、抵抗制御段数は直列12段、並列8段。

界磁チョッパ・アルミ車: 東洋製ACRF-H8100-786B、Cまたは三菱製FCM-108-15MRHA。抵抗制御段数は直列12段、並列9段。

VVVFインバータ制御車: 東洋製ATR-H8120-RG-627A、B(周波数-7 - 173 Hz、容量1,500 kVA、耐圧4,500 V、電流3,000 A、質量1,074 kg)または三菱製MAP-128-15V31(周波数0 - 173 Hz、容量1,919 kVA、耐圧4500 V、電流3000 A、質量1,040 kg) 、GTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御。

VVVF改造車: 東洋製RG694-A-Mまたは三菱製MAP-138-15V174、IGBTによるVVVFインバータ制御

台車
TH-1500M・T(空気ばね車体直結乾式ゴム入り円筒案内支持方式)

集電装置
東洋製PT-43形菱形パンタグラフ

補助電源装置
偶数号車の山側に搭載。
鋼製車: 三菱GTO-SIV (NC-DAT-75B)、75 kVA
アルミ車: 東洋ブースター式SIV (SVH-85-461A-M) または三菱チョッパインバータ式SIV (NC-FAT-75A)、75 kVA

空気圧縮機
C-1500LまたはC-1500AL レシプロ式 M2系車・Tu車の海側に搭載。

空調装置(製造時)
屋上集中式(三菱CU-71DNまたは東芝RPU-11006)能力36,000 kcal/h (41.9 kW)

製造年次等による変化

1985年3月製造車 
M1c   M2    M1   M2c             赤字は東急車輌製、緑字は川崎重工製
1501 1502 1503 1504
1505 1506
1507 1508
1509 1510 1511 1512

1986年7月製造車
M1c   M2    M1   M2c
1513 1514 1515 1516
1517 1518 1519 1520

この20両、5編成は普通鋼製で前面が丸みを帯びた形態、当初は戸袋窓がありました。またSIVと回生ブレーキ使用時の離線対策として浦賀よりから3号車にはパンタが2基搭載されていました。

1988年1月製造車
M1c   M2    M1   M2c              4両編成は続番で
1521 1522 1523 1524

M1c    M2   M1'   M2'   M1  M2c     6両編成は1600番台に区分されました。    
1601 1602 1603 1604 1605 1606
1607 1608 1609 1610 1611 1612

車体材質がアルミ合金製に、車体幅が若干広がるものの、壁厚の増加で車内幅は若干縮小しました。戸袋窓は廃止されため窓幅が若干拡大しました。雨樋は側板と一体に、車側灯がLEDになり、前面窓ガラス上部の青色ボカシの幅が拡大し、貫通路扉窓にもぼかしが入りました。

1988年6・7月製造車
M1c   M2    M1   M2c
1525 1526 1527 1528
1529 1530 1531 1532

M1c    M2   M1'   M2'   M1'   M2'   M1  M2c
1613 1614 1621 1622 1615 1616 1617 1618   
8両編成は6両編成の続番ですが、浦賀より3,4、両目は1619編成の中間車となる予定で符番されました。

1989年3月製造車
M1c   M2    M1   M2c
1533 1534 1535 1536

  M1c    M2     Tu    Ts      M1'    M2'     M1     M2c
(1613) (1614) 1901 1902 (1615) (1616) (1617) (1618)   
1619   1620  1903 1904 (1621) (1622)  1623   1624 
1625   1626  1905 1906  1627   1628   1629   1630    

1613 編成を6M2T化して、8両編成に、さらに1613編成の1621 1622 を利用して新たに6M2T編成化するためにサハ1900形を含めた車両が増備されました。

1989年6月・7月製造車
  M1c    M2     Tu    Ts    M1'     M2'     M1     M2c
(1601) (1602) 1907 1908 (1603) (1604) (1605) (1606)
(1607) (1608) 1909 1910 (1609) (1610) (1611) (1612)
1631   1632  1911 1912  1633   1634   1635   1636
1637   1638  1913 1914  1639   1640   1641   1642 
これまで製造された6両編成に組み込まれるサハ1900形と新たな6M2T編成2本が製造され、6M2T編成は7本となり、1989年7月9日のダイヤ改正で都営線・京成線乗り入れに充当されました。

1990年2月・3月製造車
M1c   M2    M1   M2c
1537 1538 1539 1540
1541 1541 1543 1544
1545 1546 1547 1548

1991年2月製造車
M1c   M2    M1   M2c
1549 1550 1551 1552
M1c   M2    Tu    Ts    M1'   M2'    M1   M2c
1643  1644 1915 1916 1645 1646 1647 1648
1649  1650 1917 1918 1651 1652 1653 1654

京急初のVVVFインバータ制御方式となり、電動車は1700番台となりました。付随車は1900番台の続番となりました。前面に排障器が設置されイメージが変わりました。

1990年8月製造車
M1c   M2   Tu    Ts    M1'   M2'   M1   M2c
1701 1702 1919 1920 1703 1704 1705 1706
VVVF車として量産先行車で、時期的にも1643、1649編成に先だって製造され、登場後はしばらく営業運転には投入されませんでした。

1992年2月製造車
M1c   M2   Tu    Ts    M1'   M2'   M1   M2c
1707 1708 1921 1922 1709 1710 1711 1712
1713 1714 1923 1924 1715 1716 1717 1718
VVVF車の量産車

1992年2月製造車
M1c   M2     Tu     Ts     M1'   M2'   M1   M2c
1719 1720 (1907) (1908) 1721 1722 1723 1724   1601編成6連化
1725 1726 (1909) (1910) 1727 1728 1729 1730   1607編成6連化 
1731 1732 (1913) (1914) 1733 1734 1735 1736   1637編成6連化
1500形の最終増備車で、界磁チョッパ車の6M2T編成からサハ1900形を抜き取って8両編成となりました。本来は界磁チョッパ7編成ともこの方式で行く予定でしたがその後の増備は600形に移行したため、今回限りとなりました。

製造過程で車体の材質が変わったり、編成両数や制御方式が変わって番台が変わったり、さらにサハ車を組み替えたりとかなり複雑な歴史があることが分かりました。番号の符番方式も編成全体で通し番号になっている点などユニークと感じます。

改造工事

上記のサハ組換えで6連化された1600形編成のうち、1601編成に1607編成の3・4両目の中間車デハを組み込んで8連化し、1607編成は4連になりました。1637編成は唯一の6両編成となりました。その後も更新工事に関連して、複雑な編成組換えが起こって行きます。

更新工事

鋼製車は寿命を30-35年、アルミ車は45-50年と位置づけ内装、機器の更新時期を経年15年で更新工事を設定しており、2001年度より、鋼製車、2002年度からアルミ車の更新工事が開始されており、界磁チョッパ車の更新工事は2008年に終了、VVVF車の更新工事は2009年に終了しました。更新工事で全先頭車にスカートが設置されました。鋼製車の戸袋窓は閉鎖されました。更新時にエアコンはRPU-11016に換装された編成があります。

1536_100613_2
1533_100613 1533-1536 編成 2010/6/13 八丁畷 
1533編成4連に1631編成の中間車1635-1634を組み込み6連化した編成、組み込まれたデハは非電装化の上、サハ1933-1934に改番

VVVFインバータ制御化改造

界磁チョッパ8両編成(6M2T)と4両編成(4M)の組換えを実施し、6両編成2本(6M・4M2T)に組み替え、さらに4M2T編成は加速性能維持のためIGBT-VVVF化改造することになりました。

1529_120901 1529-1532 編成     2012/9/1 横浜

こちらも1613編成の中間車1616,1617を組み込み6連化した編成、組み込まれたデハはサハ1931, 1932に改番。

こういった組替えで
1529, 1533, 1537, 1545, 1549, 1607の4両編成が6連化
1601, 1607, 1613, 1619, 1625, 1631, 1643, 1649編成が8連から6連化されました。
1637編成は6Mから4M2Tになりました。

改番

2013年9月、1637-1642が1585-1588に改番 
2013年12月、1601-1604 が1561-1564に改番 
さらに 
1649-1652 > 1593- 1596
1643-1646 > 1589- 1592
1607-1610 > 1565-1568
1613-1616 > 1569-1572

1619-1622 > 1573-1576, 1631-1634 > 1581-1584, 1637-1640 > 1585-1588

廃車

2012年9月24日に追浜~京急田浦間で発生した崖崩れに1701編成が乗り上げ、浦和より4両が大破し、同編成は1500形初の廃車となりました。8両のうち1両は金沢検車区の脱線事故復旧訓練施設にて使用されているそうです。最新のVVVFシリーズの8連量産先行編成がこういった形で逝ってしまったのも残念ですね。

現在の編成

4連は7編成 鋼製車とアルミ車 鋼製車は大師線専用(増圧ブレーキ工事未施行) 
1501, 1505, 1509, 1513, 1517, 1521, 1525
6連は15編成 普通/エアポート急行
1529, 1533, 1537, 1541, 1545, 1549, 1561, 1565, 1569, 1573, 1581, 1585, 1589, 1593, 1625
8連は5編成 都営1号線直通 SH快特 H特急
1707, 1713, 1719, 1725, 1731

それにしてもこの1500形シリーズ、日本の私鉄電車の中でもダントツに複雑な電車ではないかというのが今回の感想です。

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2015年10月11日 (日)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 11 FEDEX Boeing 727

San Diego Lindbergh 空港で見かけた旅客機の話題、今回は先日の細井忠邦さんのコメントにもありましたFedexBoeing 727です。

N477fe_boeing_727227advf_cn_21394_l N477FE  Boeing 727-227Adv(F) cn 21394 ln 1281 2003/1/16 SAN
San Diego空港から離陸する機内から撮影したものです。

FedEx Corporationは世界220の国と地域で物流サービスを提供する現在、世界最大手の会社です。

                   

                 FedEx Corporation logo.svg
設立は1971年、アメリカ合衆国アーカンソー州リトルロックで元海兵隊員だったフレッド・スミスによって設立されました。1973年4月17日にはテネシー州メンフィスに拠点を移し、14機のダッソーファルコン20を使った主要25都市へ翌日配達サービスを開始、1978年には規制緩和法でエリアを拡大しました。

1989年、フライング・タイガー・ライン社を買収、1998年1月、RPS、ロバーツ・エクスプレス、バイキング運送、及びカリバー・ロジステックスの各会社を子会社に持つコルバー・システム社を買収、さらにアメリカン・フライトウェイズ を買収しました。各社の統合後は、フェデックス(FDX Corporation) として知られるようになり、2000年にFedEx Corporationに改名しました。

航空機は子会社の貨物航空部門、フェデックス・エクスプレスが担当しており、

                   

                   
のロゴを使用しています。
Fedex Expressは輸送トンキロで世界最大、フリートサイズでは世界4位の航空会社です。拠点はメンフィス国際空港ですが、
Ted Stevens Anchorage International Airport
Oakland International Airport
Newark Liberty International Airport
Fort Worth Alliance Airport
Miami International Airport を全米地域拠点ハブ空港としており、さらに海外では
Paris-Charles de Gaulle Airport
Guangzhou Baiyun International Airport
Kansai International Airport
Toronto Pearson International Airport
Cologne Bonn Airport を拠点としています。

機材は上記の通り、14機のDassault Falcon 20からスタートし、1977年の規制緩和で7機のBoeing 727-100を購入しました。その後、727-200, McDonnell DC-10, Airbus A310, MD-11, 777と機材が拡大されて行きました。

現在のFleetは
Airbus A300F4-600R                 68機
Airbus A310-200PF/300PF                           21機
Boeing757-200SF                                       119機
Boeing767-300F                                          26機   69機発注中
Boeing777F                                                25機   18機発注中
McDonell Douglas MD-10-10                        36機   (関連記事)
McDonell Douglas MD-10-30                        13機
McDonell Douglas MD-11F                            56機
ATR-42-300/320                                        26機
ATR-72-200                                              21機
Cessna 208B Grand Caravan                      241機      となっています。

最後にFedExのBoeing 727 のFleetリストを載せます。
Fedex_727_fleet
表1 Planespotters.net のデータをもとに作成したFedEx Boeing 727のフリートリスト
この中に上の写真のN477FEは含まれていません。
こちらに登録はあるのですが。

先日のコメントで書いたようにBoeing 727は2013年6月21日に引退し、757に置き換えられました(関連記事)。

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2015年10月10日 (土)

47年振りの東急世田谷線訪問 その4 デハ300形 310F

今年2月に、小学校時代以来となる47年振りに訪問、乗車した東急世田谷線、その歴史や300形について1編成毎に見て参りましたが、今回はいよいよそのラスト、310Fの話題です。

310Fは相性が良い車両なのか、2/7, 2/14, 3/22, 4/1の4回の訪問でいずれも運用に就いていました。

310_150207_2 2015/2/7 山下

310_150214_3 2015/2/14 三軒茶屋

310_150214 同上

310_150322 2015/3/22 山下

310_150322_4 同上

310_150322_11 同上

310_150401_3 2015/4/1 山下

310_303_150401 303Fとのすれ違い 2015/4/1 山下

ボディカラーは正式にはターコイズグリーンというそうです。トルコ石の緑なんですね。
310Fは2006年11月から、玉電開通100周年と新玉川線開業30周年記念で全面にHMが装着、側面には花電車のラッピングが施されたそうです。

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2015年10月 9日 (金)

西武新101系 その8 白塗りワンマン車4連 1259F

西武新101系4連の話題、今回は1259Fです。1980年9月3日、所沢車両工場で落成しました。

最大寸法  長さ 20,000 mm 高さ M1 4246 mm  M2Tc 4065 mm 幅 2881 mm
自重                    M1M2   40t      Tc      29t
定員(座席)                     168 (72)          160 (64)

主制御装置   MMC-HTB20E
制動装置                      HSC-D           HSC
補助電源装置                  INV174-A0
CP                                                         RW20
集電装置                      PT7116B   

101n_259f_130101

2013/1/1 一橋学園

101n_259f_150607_3

101n_259f_150607_6

2015/6/7 萩山

2006年3月24日、更新修繕を受けています。写真をみるとベンチレーターが2013年以降撤去されているのが分かります。

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2015年10月 8日 (木)

電気機関車 EH500シリーズ 4号機

ECO-POWER 金太郎」の愛称が与えられた8軸電機 EH500形の活躍を1両ずつ見ているシリーズ、今回は4号機です。

沖田祐作氏の機関車表のデータによれば、製造は2000年で、8月2日に仙台鉄道総合部に配属されています。

Eh5004_030813 9:50 本来、早朝に隅田川到着の3056列車が大幅に遅延して、大宮を通過  2003/8/13

Eh5004_040208 東北貨物線を南下し、赤羽を通過する4号機牽引 3086列車 2004/2/8

Eh5004_040307 2004/3/7 足下に雪の残る黒磯以北 高久~黒田原

Eh5004_040312 2004/3/12 常磐貨物線

最近まで3056列車として隅田川到着後は、田端まで機関車の単機、もしくは単重の回送が見られましたが、2013年3月の改正から隅田川に機関区が出来て、このような回送も減少しました。

Eh5004_040321 2004/3/21 東十条

この頃は早朝、3056列車で隅田川に到着した機関車が、田端で昼寝をして夕刻、3057列車で五稜郭に向かうパターンでした。

Eh5004_040522 2004/5/22 初夏の豊原を黒磯を目指して力走

Eh5004_040605_2 2004/6/5 朝の新鶴見

東海道を名古屋ターミナルからやって来た3072列車がここで、列車番号を3087列車に、機関車もEH500にかえて五稜郭・札幌ターミナルを目指します。

Eh5004_070414 2007/4/14 夕刻の与野 東北貨物線を北上する3057列車

この頃から10月のJR貨物のイベント告知用などのためかHMステーが取り付けられるように

Eh5004_070513 2007/5/13 南浦和

東北貨物線、午後の金太郎としてこの頃から登場した3053列車

Eh5004_070804 2007/8/4 黒磯での機関車交換

Eh5004_071214 3086列車 西大井を通過 2007/12/14

Eh5004_080801 2008/8/1 陸前山王 

Eh5004_120722_2 2012/7/22 日和田

以下は常磐線を走る4号機

Eh5004_131222_1 2013/12/22 安中貨物 妙向寺踏切

Eh5004_140609 2092列車 2014/6/9 妙向寺踏切

以上です。

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2015年10月 7日 (水)

1989年のDüsseldorf Airport その38 Condor Boeing 727

1989年、ベルリンの壁が崩壊する前の西ドイツ、Düsseldorf空港で撮影した旅客機の写真、今回ご紹介するのは当時はルフトハンザ航空のチャーター部門担当の子会社といった位置づけだったCondor航空です。

Dabvi_cn_20791_1022_boeing_727230ad D-ABVI cn 20791 ln 1022 Boeing 727-230Adv 1989/5/4 DUS

設立は1955年12月21日と比較的新しく、Deutsche Flugdiest GmBH が設立当初の名称でした。ルフトハンザが26%、ドイツ連邦鉄道が18.5%と出資し、1956年3月28日からイギリスが第二次世界大戦で爆撃機として開発した Vickers Wellingtonを旅客機に改造した Vickers VC.1 Viking で、イスラエル便をはじめ、フランクフルトからスペイン、マヨルカ島、テネリフェ島などに運用を開始しました。

              Condor-Airlines-Logo-New.jpg 

1959年、ルフトハンザの出資比率が95.5%となり、完全子会社となりました。1961年にはライバル企業のCondor-Luftreedereiを吸収合併し、社号をCondor Flugdienst GmbHに改めました。1966年、タイ、セイロン(現スリランカ)、ケニア、ドミニカ共和国などの長距離路線を開始し、アジア進出も果たしました。

1971年には、Boeing 747型機の保有を開始、その他 707, 727といったタイプを路線ごとに使い分けていました。

Condorには直接関係ない事件ですが、1972年3月31日にCondorが購入したBoeing 747-230 (cn 20559 ln 186 D-ABYH: 同レジ最近はBoeing 747-8で再利用されていますが)は1979年2月3日、大韓航空に売却され HL7442となり、1983年9月1日、サハリン上空でソ連戦闘機に撃墜されました(大韓航空機撃墜事件)(関連記録)。

1989年には、当時のトルコ航空との合弁航空会社としてサンエクスプレスを設立。ドイツ・トルコ間のレジャー路線を支えました。

1990年代に入ると、Boeing 757型機や767型機を保有。1991年には、レジャー航空会社としては初となる上級クラス座席をボーイング767型機に導入しました。

2000年代に入るとルフトハンザの株式持ち分は徐々にトーマス・クック・グループに移譲され、2004年1月23日、トーマス・クックAGの一部となり、ブランド名もCondorとなりました。2006年12月時点でのルフトハンザの持ち分は24.9%まで下がり、影響力は低下しました。
2007年9月Air Berlinとの株式取引計画が発表されましたが、翌年には断念されました(関連記事)。

2010年12月、短距離路線用機材として、Airbus A320を導入、2013年2月4日、トーマス・クックグループ傘下の航空会社3社(トーマス・クック航空、トーマス・クック航空ベルギー、コンドル)はブランドロゴの統一を発表し、尾翼にハートのマークが描かれ、塗装も一新されました。

現在の保有機材は

Airbus A320-200   9機
Airbus A321-200   7機
Boeing 757-300   13機
Boeing 767-300ER 13機   です。

いつものようにCondor のBoeing 727のFleet listをPlanespotters.netで調べると、

cn 18933 ln 185 type -100 REG D-ABIR  1967/6/8 delivered 
現在は N727CH Executive Jet Services (stored)のみが出てきました。

D-ABVIは以前の LuftahansaのBoeing727の記事のリストにも載っており、この時期、Condorにリースされていたのかと思われます。
同機はその後、ATASCO Leasingに売却され、ギリシャのオリンピック航空で使用された後、1997年8月12日にリースバックされ、解体されたようです(関連記録)。

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2015年10月 6日 (火)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part11 オハ25 550

豪華寝台特急トワイライトエクスプレス、今年3月のダイヤ改正で引退し、現在は「特別なトワイライトエクスプレス」として、西日本各地に向けて運転されていますが、その運行も24系客車の検査期限残余期間とされており、2016年3月には終了するそうです。

そんなトワイライトエクスプレスの客車から今回はサロンカー「サロン・デュ・ノール (Salon du Nord)」です。

25_550_020827_9 2002/8/27  札幌

4号車に組み込まれ、形式はオハ25 550 (551-553)でした。オハ25 551は以前、北斗星のロビーカーで触れたようにJR北海道にも存在し、同名異車の関係になっています。

3両はオハネ15 38, 39, オロネ14 8から、1989年(551, 552)と1991年(553)に鷹取工場で改造されました。

2425_060618_2 2006/6/18 新大阪

眺望を確保するため、屋根まで回り込んだ大型曲面ガラス

10,600mm x 2750mm の広いサロン室を車体中央部に設けており、前位側に従業員便所、洗面所、収納庫、電話室(後に倉庫に改造)を配置し、後位側に2組のシャワーユニット(脱衣室・シャワー室)を設置しました。サロン室は車輛の室内幅2750mmのうち、1855mmをハイデッキとした高低二段床構造となっています。日本海側をローデッキ、サロン室のソファを全て日本海側に向けて配置しています。1,2編成での経験を活かして3編成が改造された際には内装が大きく変更され、より展望しやすい座席配置となったそうです。

車内の様子はYoutubeのシリーズ 「サロンデュノールの車窓から」
「トワイライトエクスプレス サロンカー「サロンデュノール」の車内とシャワー  」などで見ることができます。

大型曲面ガラスのサイズは床の高さに合わせて調節されており、
山側は幅1510mm 高さ 1363mm 海側は幅1510mm 高さ 1633mmとなっています。

冷房装置はAU77、台車はTR217Cを履いています。

2001年から2002年にかけてリニューアル工事が実施されました。

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2015年10月 5日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 32 武蔵野線 part1

通勤電車103系の活躍を線区ごとに時代順に追っかけて来ましたが、今回は関東地区の武蔵野線について触れてみたく思います。

通勤電車101系のシリーズでも触れましたが、武蔵野線は1973年4月1日、府中本町~新松戸間が開業しました。このときは西国分寺~新小平~新秋津間の長大トンネル対応用として、101系初期車にA基準を適用させた改造1000番台 6両編成11本が投入されました。1978年10月2日の西船橋延長時には6連4本が増備され、15本体制となりました。

103_14_821031 高運転台非ATCクハ先頭 E14編成 1982/10/31 新松戸

1980年10月1日のダイヤ改正では増発用として103系6連1本が新製投入されました。高運転台非ATCタイプの先頭車で、武蔵野線初の冷房編成となりました。
1981年には中央快速線に201系投入で捻出された冷房付き6連1本が転入しました。一方で101系1000番台の老朽化も迫り、常磐緩行線に203系を投入、103系1000番台が快速線に転入、 余剰となった103系0番台が武蔵野線への流れで続々と103系0番台、クモハ103なども転入しましたが、101系の検査期限も迫り、1985年以降は203系、205系の投入でさらに加速されましたが、かなり綱渡り的転配が行われ、その結果、混色編成も多数出現しました。

103_14_821031_2 高運転台非ATCクハ先頭 E14編成 1982/10/31 新松戸

1984年4月1日現在の豊田区の103系の編成表によりますと
武蔵野線用103系6連は

E15 Tc-813+M-750+M'-2007+M751+M'2008+Tc820
E16       815      752       2009    753     2010     822

の2編成で、E1~E14が101系1000番台非冷房車に当てられた編成番号でした。

1986年3月3日のダイヤ改正では青梅・五日市線の6連との共通運用となりました。さらに201系6連2本が武蔵野線で活躍することにもなりました。

198611_1036 1986年11月 豊田区103系 6連編成表 無色のセルはオレンジ色
JRRの復刻版1986年11月ダイヤ改正の際の国鉄電車編成表データを下に作成しました。
なお、この編成表では201系6連は3編成となっていました。

国鉄末期には明石区から出戻りのクハ(上の表のE27編成の-13, -14)が豊田区で活躍することもありました。そういった変遷の後、の民営化では103系220両(6連24本、4連19本)がJR東日本に継承されました。JR以降の変化はpart2の記事で。

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2015年10月 4日 (日)

San Diego Trolley 2000形 part7

San Diego Trolley 2000形の話題、今回は2033, 2034, 2035の写真を紹介致します。

2033_090114_std 2033 2009/1/14    Santa Fe Depot 付近の三角線

通常は3編成併結ですが、日中の乗降客の少ない時間帯、Orange Lineではこのような2編成併結の運行も見ることが出来ました。

2034_090114_america_plaza 2034 2009/1/14  Amerca Plaza
上の写真と同じ場所で、ポイントを左手に進むと上の写真の線路を通り、港に沿って12th & Imeprial Transit Centerで、右手に進むとSanta Fe DepotからOld Town方面へ

2035_090114_america_plaza 2035 2009/1/14  Santa Fe Depot 付近の三角線

右奥にはAmtrak などの旅客列車が走る線路が並走しています。

2035_090114_civic_center 2035 2009/1/14  Civic Center

America Plaza終点に向かうOrange Lineの2併結編成 San Diegoのビジネス街というか、ダウンタウンの中心を東西に走る路面区間です。軌道内は自動車進入禁止です。

さらに、安全地帯に立ち入る際にもきちんと有効な乗車券を持っていることが約束となっており、ときどき係員がいてチェックされる場合があります。日本と違って、信用乗車方式をとっているので、車輛に乗る際も通常は何もチェックがありませんが、たまにある検札に引っかかるとかなりの罰金を取られるようです。わたしもいつもその点は注意しており、Trolleyに乗る日はOne Day Passを購入していました。

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2015年10月 3日 (土)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 13 1900形

昨年12月と今年8月、広島を訪問した際に広島電鉄の車両を撮影しましたが、今回は1900形について触れようと思います。

1908_141218_2 1908 あらし山 2014/12/18 本川町

1900形はスタイルと云い、塗装と云い、各車両に与えられた愛称板からも京都市電の生き残りであることがすぐ分かる車両です。京都市電(京都市交通局)時代も1900形でしたが、1900形は1955年から1957年にかけて35両が製造された900形のワンマン化改造車両です。

1909_150801 1909 清水 2015/8/1 広島駅前

900形は間接制御車の901-915と直接制御車の916-935の2タイプが製造されました。前者はナニワ工機の製造、後者はナニワ工機(916-927)、東洋工機(928-930)、日本車両(931-935)で製造されました。なぜ、敢えて直接式をこの時期に造ったかは、200形、300形の置き換え時期にあたり、間接制御車では配属車庫と使用路線が限定されるのに対して、直接制御車は全路線に投入可能だからとのことでした。

1912_150801 1912 大文字 2015/8/1 西観音町

間接制御車は烏丸車庫に、直接制御車のうち、916-925が壬生車庫に、926-935が九条車庫に新製投入されました。1970年に916-931がワンマン化され、1900形に改造されました。

1900形はワンマン化最終形式となり、番号も900形の番号にそのまま1000を加えたものとなりました。改造にあたっては側面部は、後扉を中央部に移設、扉のない所は鉄板でふさぎ、旧後ろ扉部の窓は閉めきりになりました。正面部に関しては、前灯を中央1灯の大型から、左右対称の小型タイプに交換しました。元々前灯があったところには、ワンマン表示の行灯が設けられました。また、集電装置もZパンタを、自動引き下げ装置付きビューゲルに交換しました。

1914_141219 1914 平安 2014/12/19 横川駅前

烏丸車庫に集中投入され、河原町線、5,13,15系統のワンマン化に貢献しました。1974年2月、1922号が事故で廃車となりましたが、1921,1925号は1977年10月の河原町・七条線廃止で広電に先行移籍し、残り13両は京都市電廃止の1978年9月まで活躍し、全車広電に移籍しました。

1915_141218 1915 鞍馬 2014/12/18 八丁堀

広島電鉄では1916-1921, 1923-1931の番号を1901-1915に改番しています。但し、順番は一部崩れているようです。また、各車両には京都にちなんだ愛称板も取り付けられています。最初に「あらし山」「かも川」が登場し、あとの13はアンケート投票の結果、東山、桃山、舞子、比叡、西陣、銀閣、清水、金閣、祇園、大文字、嵯峨野、平安、鞍馬が与えられました。

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2015年10月 2日 (金)

公園保存蒸機 C11 265号機 武豊線 半田駅横

美濃市に保存されている旧名鉄美濃市駅の話題に続いて、2014年夏の旅行では、台風11号の余波で大雨の天気でしたが、武豊線半田駅、東海道線刈谷駅、安城駅、岡崎駅周辺の公園、児童館などに保存されている蒸機、市電、名鉄電車などを観て回りました(関連記事)。

C11_265_140812_14 C11 265号機 2014/8/12 半田駅横

まずは武豊線半田駅横に保存されているC11 265号機から行こうと思います。

武豊線は今では知多半島周辺から名古屋への通勤・通学路線になっていますが、その歴史は1886年3月1日、中山道鉄道(後の東海道本線)の建設資材を武豊港から運搬するために敷設され、愛知県内で初めて武豊~熱田間が開通した路線でした。名鉄河和線(1931年開業当初は知多鉄道)が平行して走るため営業的にはかなり苦戦を強いられているようですが、2015年3月1日には全線電化されました。
140812 JR東海 半田駅 駅舎 2014/8/12

Jr_140812_3 JR最古の跨線橋 2014/8/12 半田駅

Jr_140812 跨線橋内にも掲示が

140812_2 ランプ小屋 
跨線橋の脚注もかなり古い様式であることが分かります。この形態の柱、どこかで見たことがあると思ったら
131221
御殿場線山北駅裏の交通公園(D5270号機が保存されている)に展示されていた鉄道院の銘が入った柱と同じタイプであることが分かりました(関連記事)。

半田駅は武豊線の開業と同時に開業した愛知県下では最も古い駅のひとつです。特に、跨線橋は1910年11月に完成した現存するJR駅の跨線橋の中でも最古のものだそうです。また跨線橋に隣接するランプ小屋(危険品庫)も1909年に建てられそうです。

C11_265_140812_4
C11265号機は247号機から381号機の戦時設計の4次形に属します。その形態的特徴は木製のデフレクター、砂箱と蒸気ドーム被いは工作の容易化のために角形(かまぼこ形)となったことですが、この機関車は砂箱はカマボコ形、蒸気ドームは丸形となっています。因みにこれまで見てきた4次形C11を見返してみると

275号機 大田原市交通公園 両方ともカマボコ
304号機 大荒田交通公園 両方ともカマボコ
322号機 鴻巣せせらぎ公園 両方ともカマボコ
368号機 中野紅葉山公園 両方とも丸形         でした。

その履歴を沖田祐作氏の機関車表データから見ると

C11265     日本車輌名古屋工場=1256           1944-04-09 S66.1t1C2t(1067)
   車歴;1944-04-09 製造→ 納入;国鉄;C11265→ 配属;? →1944-04-03 竣工→ 配置;? →
      中津川→1950-03-13 名古屋→1964-04-01 現在;名古屋→1967-03-31 現在;名古屋→
      1968-03-31 現在;名古屋→ 稲沢一→1970-10-26 廃車;稲沢一→
      1971-02-16 展示開始保存;愛知県半田市乙川町「半田市市民ホ- ル」;C11265
-         日本車輌名古屋工場=1257           1944-04-11 S65t1C2t(1067)

誕生は1944年4月9日、日本車輌名古屋工場で新製配置から終生、名古屋周辺で活躍したことが分かります。

C11_265_140812_5 ライトは前後ともシールドビームです。
後部のスタイルも個々に異なっていて興味深いです。例えば、炭庫の高さ、梯子に関しても265号機は高く、2段に別れていますが、これまでに撮影したC11と比較してみると

  1号機 低い 1本 (後日、記事にする予定) 青梅鉄道公園
 64号機 低い 1本
155号機 ライトは炭庫の縁の上に 2本 大垣こどもサイエンスプラザ
189号機 梯子ではなくステップ (後日、記事にする予定) イオンモール府中
245号機 高く 1本 (後日、記事にする予定) 鵠沼運動公園
275号機 高く 2本
292号機 高く 1本 (後日、記事にする予定) 新橋駅前
304号機 前照灯カバーなし 1本
322号機 低く 1本
368号機 高く 1本

C11_265_140812_10
クロスヘッド、動輪回り、油がさされてよく整備されていることが分かります。

C11_265_140812_9
キャブは密閉式でガラス窓も整備されています。

C11_265_140812_15
上屋も設置されており、敷地内には信号機やポイント切り替え器も置かれています。

C11_265_140812
C11 265 号機は武豊線最後の蒸機列車の牽引機だったそうで、それからの保存の経緯なども記されています。

140812_2_2
保存蒸機のすぐ横には鉄道資料館もありました。ただ早朝の訪問であったため、閉館しておりました。次回、機会があれば再訪したく思います。

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2015年10月 1日 (木)

東京総合車両センター公開 その2 E235系

8月22日の東京総合車両センターの公開、今回の記事では、この秋から山手線にデビューする新型通勤電車E235系について触れようと思います。

E235_01_150822_2 E235系 1編成 2015/8/22 東京総合車両センター

前面ガラス破損時に復旧を早めるため、前面ガラスが行先表示部と乗務員室内部とに分割できる構造となっています。

今回、10年ぶりに東京総合車両センターの公開に参加したのも、このE235系を見たいからでした。

まずは山手線の誕生の過程を見てみましょう。

山手線は東北本線と東海道本線を結ぶ貨物線として、1885年(明治18年)3月1日、品川~赤羽間に当時、閑地だった山手地区に線路(品川線)を敷設したのが始まりで、その後、1903年4月1日、池袋駅の開業と、池袋~田端を結ぶ「山手線枝線:通称、豊島線」が開業しました。これに先立つ1901年11月16日には品川線と豊島線をあわせて「山手線」と線区名称が決まりました。
電車が走り出したのは1906年12月16日に烏森(現:新橋)~新宿~上野の電化工事が完成したときで、「Cの字」運転が開始されました。品川~烏森間は京浜線の線路に乗り入れていました。

1914年12月20日、中央停車場として東京駅が開業、東海道本線が東京駅まで延伸し、1919年3月1日、中央線も東京駅に乗り入れ、中野~新宿~東京~品川~新宿~池袋~田端~上野間での「のの字」運転が開始され、池袋~赤羽間は別運行となりました。1925年11月1日、東北本線、秋葉原~神田間が開業し、環状運転が開始されました。

電化当初は甲武鉄道継承車、その後16m級木造車、さらに17m級鋼製車を経て、40系、63系、72系といった旧形国電の時代を経て、1961年9月に新性能電車101系 (カナリア色)が中央快速線に続いて投入、その後1963年12月には103系 (ウグイス色)が投入されました。

E235_01_e2351_150822_7

サハE231-4600からの改造車を除いて、900番台ではなく1番からの付番となっています。

103系は1988年6月26日に撤退し、代わって205系1985年3月25日から登場、その205系もATC-6型からD-ATCの導入に合わせる形で2005年4月17日に撤退しました。
代わってE231系500番台2002年4月21日に登場、そしてE231系500番台に代わるべく登場予定なのがE235系です。

E235系はE231系やE233系において蓄積された技術開発成果を取り込み、E233系のTIMS (Train Information Management System)列車情報管理システムに代わる新しいシステム INTEROSINtegrated Train communication networks for Evolvable Railway Operation System) を導入し、利用客サービス向上のみならず、エネルギーコスト低減やメンテナンス低減を実現した車両です。

INTEROSの特徴は従来のTIMSが各車両ごとの分散制御方式であったのに対して、各種演算機能を中央ユニットに集約した集約制御方式とした点です。車両と地上システム間でのデータ転送速度・容量も大型化したため、機器の劣化、事故時の対応等も迅速に行える様になると期待されています。

E235_01_150822_9 この角度から見ると、乗務員室がクラッシャブルゾーンとサバイバルゾーンで形成されていることが想像されます。

E231系500番台からは205系時代1両だった6扉車を、混雑緩和のため、7号車と10号車の2両にして登場しました。しかし、2010年から2017年までに山手線各駅にホームドアが設置されることとなり、6扉車は廃車され、新造される4扉車と置き換えられることになりました。

7号車に組み込まれる4扉車はサハE231-600番台、10号車は4600番台に区分されました。
形式的にはE231形式ですが、車体構造はE233系をベースとしたものとなりました。特に4600番台のドア配置は京浜東北線E233系1000番台10号車(先頭車)と同じ位置となり、通常の中間車より、690mm中央よりとなりました。座席配置も変わっています。

台車も600番台が既存車と同様のTR246P形台車を履いているのに対して、4600番台はE233系と同様のTR255A形を履いています。これらの新造4扉中間車は廃車となる6扉車から台車(サハE231-600のみ)、ブレーキ制御装置、AU726形空調装置、TIMS端末演算ユニット、戸閉制御装置 (LCU) 、VIS端末装置やメディア表示器 (LCD) などの使用可能な機器・部品を再利用しています。また、差し替えで編成内の車両の検査時期がずれないように、52編成用から製造を開始し、1編成用を最後にする方法が採られました。

Ef64_1032_110608_2 EF64 1032号機牽引 ミツB27に挟まれたE231系新造4扉車回送配給列車 2011/6/8 大宮

新造4扉車の配給回送はミツB27編成に挟み込まれる形で52/51と2編成分ずつ行われ、2010年2月1日から、2011年8月26日にかけて26回行われました。

E235_01_e2354620_150822 サハ E235-4620

将来、第20編成が登場した際にこの車両は差し替えられるのかと係員に質問したのですが、「システムがきっちり出来上がっているので、そういった予定はない」との返事でした。

E235系の製造にあたり、サハE231-4600が改造され使用されることとなり、最初の1編成にはヤテ520編成の4620が供出されました。サハE231-4620を抜かれた残りの10両は三鷹区に転属しA520編成として中央・総武緩行線で活躍を開始しています(関連記事)。

ステンレス軽量構体をベースに雨樋が外に出ない車体断面とした点が車体構造上、新しい点であり、正面から見たスタイルが従来のE233系までの上がすぼまったスタイルからU字に見えるスタイルに変わりました。総合車両製作所と東急電鉄の共同開発によるsustina 次世代型オールステンレス車両の大都市通勤車両、最初の量産モデルでもあるそうです。

E235_01_e2351_150822_4
制御装置はSiC素子(炭化ケイ素、シリコンカーバイト)を使用した2レベル電圧形PWM制御インバータにより、1台のインバータ装置で主電動機4台を制御する、1C4M方式を採用したVVVFインバータ制御を採用しています。従来からのMM'ユニット方式をやめて、電動車は1両ずつ独立制御方式となりました。集電装置付きの電動車は「M1」車、集電装置なしの電動車は「M2」車としています。今後、他線区への転出の際に、編成内の電動車の数を奇数にすることで、他線区での最適な電動車と付随車の比率(MT比)を構成することを考慮したためです。

ブレーキ方式は、回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキを採用しました。常用ブレーキではINTEROSによる編成ブレーキ力管理システムにより応荷重制御と電空協調制御を行い、回生ブレーキを優先して使用することで、省エネルギー運転と台車の基礎ブレーキで使用されている制輪子の摩耗量の低減が図られました。

主電動機はかご形三相誘導電動機 MT79形が採用され、各車両に4基搭載されました。構造が開放形(E231系500番台)から全閉式外扇形に変更され、1時間定格出力は140kWに強化されました。

補機用の電源として、IGBT素子を使用した3レベル電圧形PWMインバータによる静止形インバータ (SIV) を搭載されました。空気圧縮機はSIVから出力される三相交流440Vを電源とし、オイルフリーレシプロタイプ MH3130-C1600F を採用しました。吐出し量は1,600L/minです。

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台車はボルスタレス台車で、電動台車はDT80形、付随台車はTR264・TR264A・TR264B形を履いています。電動台車の歯車装置の歯車箱の構造を分割構造とし、209系以降からの新系列の車両で使用されてきた一体形構造と比べてメンテナンス性が考慮されました。

台車の車体の間に連結されている空気ばね(枕ばね)には曲線通過性能の向上を図るため、前後方向に柔支持とした異方性空気ばねが採用されました。基礎ブレーキは、電動台車は踏面片押し式、付随台車は踏面片押し式と車軸に装備されたディスクブレーキの併用です。先頭車の装備されたTR264形には駐車ブレーキが取付けられており、ディスクブレーキではライニング制輪子の脱着性の向上が図られました。

その他、4号車のサハE235-1の床下には「軌道材料モニタリング装置」と「軌道変位検測装置」で構成された線路設備モニタリング装置が搭載されてお り、複数のカメラやセンサーなどを使用してレールの締結装置や線路状態を監視するようになっています。一方、3号車のモハE235-1の屋根上には、前位 側と集電装置のある後位側に架線状態監視装置の関連機器が搭載されています。

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内装において特徴的なのは窓上部および妻上部にデジタルサイネージを配置し、中吊りおよび側天井の紙広告を廃止した点です。各扉上部の17インチ車内表示器に加えて、21.5インチの車内表示器を新設しました。

側引戸装置には、新規に開発したラックアンドピニオン方式の電気式戸閉装置を採用しました。この戸閉装置は従来の電気式戸閉装置とは異なり、戸閉状態においても空気式戸閉装置と同様に、常時お互いの扉が押し付け合う構造で、挟まれたものを引き抜きやすい構造になっています。腰掛はE233系と同等の座り心地の片持ち式ロングシートで、そで仕切は移住空間を広く感じられるように半透明の構造としました。

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