公園保存車輌 名古屋市電 1603号 刈谷市交通児童遊園
全国の公園等に保存されている車輌を見て歩くシリーズ、今回は前回と同じ刈谷市交通児童遊園に保存されている名古屋市電1603号です。
名古屋市電 1603号 ワンマンカーのスタイルで保存 2014/8/12 刈谷交通児童遊園
私は全く名古屋市電に関しては知識が無かったのですが、名古屋市電は京都市電に次いで日本で2番目に開業した電気鉄道でした。設立は1898年(明治31年)のことで、当時は愛知馬車鉄道として1894年に設立され、1896年から社名を改めた名古屋電気鉄道による開業でした。
市内路線の他、都市間輸送を担った「郡部線」(現在は名鉄犬山線や津島線に)も建設され路線に組み込まれました。1914年9月、不況下で高額の運賃に不満を持つ市民が暴徒化し、電車や施設が焼き討ちされる事件が発生し、1922年名古屋市が名古屋電気鉄道を買収して名古屋市電となりました。買収に先だって名古屋電気鉄道は郡部線を旧名古屋鉄道に売却し、旧名古屋鉄道は1935年に愛知電気鉄道と合併し、名古屋鉄道(名鉄)となりました。
そういった経緯から市電買収後も名鉄の電車が市電に乗り入れるのが続いたそうです。一方、名古屋市内には中村電気軌道・新三河鉄道・下之一色電車軌道・築地電軌などによる路面電車も走っており、これらも順次市営化され、1937年に一元化されました。
市営化後も路線が拡充され、さらに1943年からはトロリーバスも運行されました。ただこちらは試行的なものでもあり、1951年に全廃となりました。1959年3月25日の東山公園-星ヶ丘間開業で総延長106.3kmで最大になりましたが、1960年代半ばから電力料金や設備維持費が増加し、モータリゼーションの発展で定時運行の確保が難しくなり、市では地下鉄整備することで市電を撤去することになり、1974年3月末をもって全廃となりました。
1600形は休憩ボギー車や老朽化した単車を一掃する目的で1950年12月に15両、1951年までに計76両が製造され、日本初の路面電車のワンマンカー車輌でした。製造は日本車輌製造・新潟鐵工所・日立製作所・愛知富士産業の4社が担当しました。
スタイルは1400形以来の流れを汲む12m級の中型車で1500形と基本的には同じですが、中央扉を無くして片側2扉としたところが最大の特徴でした。50PSのモーターを2基搭載しKS40Jもしくはブリル76E2類似のコピー台車を履きました。
1954年2月から、合理化を目的として、一部の車両が日本で初の路面電車としてワンマン化改造されましたが、両端2扉の配置は乗務員にとってはミラーによる確認がし辛く不評だったとのことです。1971年から非改造車、1972年3月には全車が廃車となりました。
停留所の様子も再現してありました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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B767-281様こんにちは。名古屋しでん、話に聞いただけで、車両などについて全く知りませんでした。考えてみるとモータリゼーションに流され各地で路面電車を廃止したのは残念です。地下鉄よりはるかにバリアフリーな乗り物で、特に高齢化の進む日本には必要ではないでしょうか?何系統か思い出せませんが、無くなるんだと、父親に連れられ、水道橋のお堀の上をガタガタと都電に揺られたのをよく覚えています。
投稿: 細井忠邦 | 2015年11月 8日 (日) 13時10分
細井忠邦さま、おはようございます。
私も、名古屋の市電がこれだけ規模の大きい路線であったことは今回初めて知りました。仰るようにこれからは人に優しい乗り物として、残すべきものは残す、新たに作る場合はクルマとの共存を考慮し、公共交通機関としてつくって行くべきものだと感じます。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年11月 9日 (月) 05時45分
こんにちは~。モモパパです。
名古屋市電。
元は名古屋電機鉄道でしたね。
それからいろんな路線を吸収していきましたね。
名古屋鉄道の車輌が名古屋市電の柳橋、押切町駅まで乗り入れて。
郡部線は名古屋市電から切り離されて津島線が最初に敷設されてそれから尾西鉄道を介して岐阜県側までたどり着きました。
当初は尾西鉄道の木曽川堤駅から橋を徒歩連絡で美濃電気鉄道に連絡してました。
僕、おぼろげながら名古屋市電に子供の頃乗車したのを覚えております。
投稿: モモのパパ | 2015年11月10日 (火) 21時59分
モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。
さすがに地元だけあって、名古屋市電憶えていらっしゃいましたか。
愛知周辺の鉄道の発展に大きく関与しているのが想像されますね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年11月11日 (水) 05時53分