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2015年11月 3日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 20 C62 2号機

昨年8月の梅小路蒸気機関車館訪問の記録もこのC62 2号機で、最後の機関車紹介となります。

C62_2_140810_10 台風接近による大雨に打たれるC62 2号機 2014/8/10 梅小路蒸気機関車館

沖田祐作氏の機関車表データによりますと、

C622      日立製作所笠戸工場=1930         1948-05-20 S88.00t2C2T(1067)
   車歴;1948-05-20 製造(ボイラーD52455)→ 納入;国鉄;C622→ 配属[達181];広島局→
      1948-05-29 落成→1948-06-14 配置;糸崎→1948-06-19 使用開始(到着日?);広島局→
      1950-08-10(8/12 着)宮原→1951-00-00 頃つばめマーク取付→
      1953-01-00 重油併焼装置取付(鷹取工場)→1955-01-00 標準型に改造→
      1956-11-25 保留機関車に指定;吹田保管→1957-01-08 保留機関車指定解除→
      1957-01-19 新缶交換(鷹取工場)→1957-01-21(22?)宮原発→
      1957-02-07 小樽築港→1958-01-00 重油併焼装置交換→
      1972-09-13 発;梅田→1979-03-28 廃車;梅小路→
      1972-10-10 動態保存;京都府「梅小路機関車館」;C622;梅小路→
      1987-04-01 動態保存;京都府JR 西日本「梅小路機関車館」;C622;梅小路運転区→
      以下略(最終走行距離=2,595,012㎞)→2008-04-01 現在;梅小路運転区

日立製作所笠戸工場でD52455号機のボイラーを流用して落成したのが1948年5月20日で、新製配置は広島局糸崎機関区でした。山陽本線、呉線でC59などとともに活躍を始め、2年後の1950年8月には宮原区に転属となっています。状態が良かったため、特急牽引機の大役を担うようになり、特急装備一環として、左右のデフレクターに「ツバメ」のマークを付けることになります。
C62_2_140810_2 D51 200号機と並んでもD52由来のボイラーの太さが分かります。

このマークは1951年鷹取工場で1950年に登場した冷蔵車レ10000形の内装用ステンレス板から切り出して一対のスワローマークが製作され、取り付けられたそうです(情報)。

1956年11月19日の東海道本線全線電化で特急「ツバメ」号牽引の大役はEF58に譲り、ボイラーも新しくし、軸重軽減化改造を受けて、翌年1957年2月北海道に渡ります。苗穂工場で耐寒耐雪改造を受け、小樽築港機関区に配属となりました。

1957年2月の着任当初は急行「大雪」(函館~網走間を1,2レとして走行)の函館~小樽間を牽引、長万部~小樽間は重連。
さらに同年10月からは急行「アカシヤ」(3,4レとして函館~札幌を走行)の函館~小樽間(長万部~小樽は重連)を牽引。
さらに夜行急行「まりも」(7,8レとして函館~根室間を走行)の函館~小樽間(長万部~小樽は重連)を牽引。
1961年10月には、急行「大雪」は11,12レで函館~札幌間に。急行「アカシヤ」は急行「オホーツク」になり、気動車化。急行「まりも」は根室~釧路間が廃止され、函館~釧路となりました。
1962年10月、急行「大雪」は編成が7両となり、重連運用は解消されました。さらに1963年6月、急行「大雪」は急行「ライラック」に改称されました・
1965年10月、急行「ていね」(105,106レ函館~札幌)が新設され、函館~小樽間(長万部~小樽は重連)をC62が担当となりました。
1966年3月、夜行急行「たるまえ」が新設され、こちらも担当となります。
1968年10月、夜行急行「たるまえ」は急行「すずらん」に統合され、急行「ていね」から名称変更された急行「ニセコ3,1号」が函館~札幌間に走り始めました。
1971年9月15日、C62牽引はDD51に任を譲り、急行運用から離脱しました。その後、普通列車137レ、132レを牽引する余生を送りましたが、梅小路機関区での永久保存が決定し、1972年8月27日、小樽~岩見沢での臨時列車牽引を最後に、現役を引退しました。翌9月、梅小路機関区へ動態保存の為に、転配されました。

C62_2_740929_5 1974年9月29日訪問時のC62 2号機 梅小路蒸気機関車館

C62_2_740929_9
正面から デフレクターの点検窓は小樽築港時代に開けられたそうです。

今回、この記事を作成するにあたり、「C62 2号機新旧写真資料」=茜堂様のサイトの情報を参考にさせて戴きました。私自身、北海道に初めて渡ったのは1974年3月で、函館本線のC62終焉後でしたので、サイトの内容は大変参考になりました。

C62_26_920313 C62 26号機 1992/3/13 交通科学博物館
 

来年開館する京都鉄道博物館ではかつて大阪の交通科学博物館に保存されていたC62 26号機も展示されるようで、前回の1号機と合わせてC62 3両が集結することになりそれらが如何に展示されるかも楽しみです。

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コメント

真打ち登場という感じですね。

スワローエンジェル!

私も小樽築港機関区に移動してからのC62 2しか見たことがありません。


この後に登場する僚友のC62と共に
函館本線の山線を重連で急行ニセコを牽引したのを
小学校6年のときに 親父と一緒に撮りに行きました。

次に再開したのが 大学の合格して、1人で梅小路を訪ねたときです。


バイトをして お金を貯めて、
銀座天賞堂でC62 2を購入しました。

何両か同一機種を試運転して、どのC62 2にするか、
他のお客さんからの注目を浴びたときの感動、今も忘れません。

B767-281様こんにちは。何かで読んだのですが、つばめ牽引時代には、実は2号機はそれほど調子が良くは無かった、と言う話もあります。25号機が好まれお召先導を務めたそうです。この辺り生の現場の話は興味が尽きません。機関士さんによっても好みの違いがあったようです。何れにしても、デフのマークによって生き永らえているのは有り難いことです。またまたお邪魔致しました。

こんにちは~。モモパパです。
やっとC62 2号機の登場!
待ってました!って感じです。
C62 2号機といえばやはりデフレクターに取り付けられたつばめマーク。
僕が子供の頃蒸気機関車の絵を描くと必ずデフレクターにつばめマークを描いてたのを思い出します。
それだけ国鉄の蒸気機関車のシンボル的な存在だったんでしょうね。

準急豊島園さま、おはようございます。

そうですか。函館本線で活躍するC62をご覧になっておられましたか。走行音は普通の蒸機機関車というよりも地上を走るジェット機のようだったと云うことですね。私は放送やレーザーディスクでしか見たことがありませんは、まさに全力疾走だったようですね。

細井忠邦さま、おはようございます。

既に「つばめ」牽引時代からトラブルがあったのですか。
わたしは今回参考にしたサイトで、函館本線小樽~長万部の重連で前補機を務めることが多かったのは、函館までは走らせられないトラブル持ちだったという話を拝見しましたが。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

わたしも小学校の頃まで蒸機機関車の絵と云えばC62だったように思います。
しかもC622号機はスーパースターですね。

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