通勤電車シリーズ 103系 35 常磐緩行線1000番台の改造、快速線へ その2
通勤電車103系の話題、前回に引き続き常磐緩行線を追われた103系1000番台の話題です。
常磐緩行線、地下鉄千代田線乗り入れ用103系1000番台はいくつかの問題を抱えていました。
1) 自然通風式主抵抗器の発熱によるトンネル内温度上昇
2) 主回路配線の劣化、電子部品を多用したCS40形制御機の故障頻発
3) 営団6000系との消費電力料金の差額精算
など、103系1000番台の性能に起因する問題が多くありました。
そこで、160両のうち、56両は前回の記事のように105系に改造し、京都、奈良、広島地区に投入しました。104両はそのまま松戸区に残り、常磐快速線、成田線(我孫子~成田間)に転用されました。
両端の車両は基本番台(500番台)、中間車が1000番台の13編成 1985/4/29 亀有
同編成の取手方のクハは-188 同日 北千住
根岸線事故で廃車されたモハ102-169に代わって-445が投入されたときに、製造された関西向けのクハ103-180~212の中で唯一関東に投入された異色の車両でした。
同日 上野
まずはこれらの写真のように中間車8両は1000番台、両端先頭車は基本番台の8M2T編成が2本出現しました。基本番台と1000番台のクハはブザー回路の違いからそのまま併結が出来ないため、基本番台のクハを改造して、対処しました。そのためこれらのクハには識別のため、番号の下に白線が引かれました。
表1 1984年4月1日の松戸区の103系 配置・編成データ による
なお、19編成にはその後 MM'-1064が入っています。
203系が続々と投入され、さらに台車がボルスタレスになった100番台が投入され、緩行線の203系化が完了すると、武蔵野線101系1000番台置き換え用に基本番台が転出して行き、松戸区の103系の構成は
0番台 6M4T 貫通8本
1000番台 8M2T 5本
両端クハのみ0番台 8M2T 2本
中間に0番台サハ入り1000番台 6M4T 4本 の190両体制でJR東日本へ継承されました。
1987年12月1日から平日朝のラッシュ時間帯の列車を15連化するため、山手電車区に205系5本投入で捻出された103系を浦和区に投入、京浜東北線編成の中間に封じ込まれていたMcM'ユニットをMM'ユニットに差し替え、松戸区に転属させ増結用5連を組成させました。一連の過程で浦和区から44両、中原区から6両、川越区から4両の54両が松戸区に転入し、このとき初めて常磐線に高運転台ATCタイプのクハ103が走り始めました(この辺のエピソードは以後の記事で)。
後にATC機器は撤去され、エメラルドグリーン(青緑1号)に塗色変更されました。冷房化もされました。冷房化も初期にされた車両はAU75ユニットを載せ、後に冷房化された車両はAU715ユニットが載せられました。
クハ103-1000番台も地上線に移動となり、この顔が快速線に登場 1985/4/29 北千住
18編成 やがて塗色もエメラルドグリーンに 2002/4/27 北小金
AU75による冷房化車両 取手方クハ103-1001, 1003, 1005, 1011, 1019, 1025先頭の編成
14編成 2002/4/27 北小金
こちらはAU712による冷房化車両 クハ103-1007+モハ-1021, 1022, 1029+クハ103-1008
1990年には10両編成1本が三鷹区に転属し、地下鉄東西線乗り入れ用となり、営団東西線用ATC-3形(色灯式信号用ATC)が装備され、デッドマン装置付マスコンハンドル化や塗色変更がなされました。
クハ103-1009 1010を先頭にした東西線乗り入れ転属編成 2003/5/5 吉祥寺
番号の表示がなかったら撮り逃がしていたと思います。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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