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2015年11月30日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 35 常磐緩行線1000番台の改造、快速線へ その2

通勤電車103系の話題、前回に引き続き常磐緩行線を追われた103系1000番台の話題です。

常磐緩行線、地下鉄千代田線乗り入れ用103系1000番台はいくつかの問題を抱えていました。

1) 自然通風式主抵抗器の発熱によるトンネル内温度上昇
2) 主回路配線の劣化、電子部品を多用したCS40形制御機の故障頻発
3) 営団6000系との消費電力料金の差額精算
など、103系1000番台の性能に起因する問題が多くありました。

そこで、160両のうち、56両は前回の記事のように105系に改造し、京都、奈良、広島地区に投入しました。104両はそのまま松戸区に残り、常磐快速線、成田線(我孫子~成田間)に転用されました。

103_013_850429

両端の車両は基本番台(500番台)、中間車が1000番台の13編成 1985/4/29 亀有

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同編成の取手方のクハは-188  同日 北千住
根岸線事故で廃車されたモハ102-169に代わって-445が投入されたときに、製造された関西向けのクハ103-180~212の中で唯一関東に投入された異色の車両でした。

103_103188_850429_2

同日 上野
まずはこれらの写真のように中間車8両は1000番台、両端先頭車は基本番台の8M2T編成が2本出現しました。基本番台と1000番台のクハはブザー回路の違いからそのまま併結が出来ないため、基本番台のクハを改造して、対処しました。そのためこれらのクハには識別のため、番号の下に白線が引かれました。

19840401_103 表1 1984年4月1日の松戸区の103系 配置・編成データ による

なお、19編成にはその後 MM'-1064が入っています。

203系が続々と投入され、さらに台車がボルスタレスになった100番台が投入され、緩行線の203系化が完了すると、武蔵野線101系1000番台置き換え用に基本番台が転出して行き、松戸区の103系の構成は

0番台 6M4T 貫通8本
1000番台 8M2T 5本
両端クハのみ0番台 8M2T 2本
中間に0番台サハ入り1000番台 6M4T 4本  の190両体制でJR東日本へ継承されました。

1987年12月1日から平日朝のラッシュ時間帯の列車を15連化するため、山手電車区に205系5本投入で捻出された103系を浦和区に投入、京浜東北線編成の中間に封じ込まれていたMcM'ユニットをMM'ユニットに差し替え、松戸区に転属させ増結用5連を組成させました。一連の過程で浦和区から44両、中原区から6両、川越区から4両の54両が松戸区に転入し、このとき初めて常磐線に高運転台ATCタイプのクハ103が走り始めました(この辺のエピソードは以後の記事で)。

後にATC機器は撤去され、エメラルドグリーン(青緑1号)に塗色変更されました。冷房化もされました。冷房化も初期にされた車両はAU75ユニットを載せ、後に冷房化された車両はAU715ユニットが載せられました。

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クハ103-1000番台も地上線に移動となり、この顔が快速線に登場 1985/4/29 北千住

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18編成 やがて塗色もエメラルドグリーンに 2002/4/27 北小金
AU75による冷房化車両 取手方クハ103-1001, 1003, 1005, 1011, 1019, 1025先頭の編成

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14編成 2002/4/27 北小金
こちらはAU712による冷房化車両 クハ103-1007+モハ-1021, 1022, 1029+クハ103-1008

1990年には10両編成1本が三鷹区に転属し、地下鉄東西線乗り入れ用となり、営団東西線用ATC-3形(色灯式信号用ATC)が装備され、デッドマン装置付マスコンハンドル化や塗色変更がなされました。

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1031000_t1031010_030505

クハ103-1009 1010を先頭にした東西線乗り入れ転属編成 2003/5/5 吉祥寺

番号の表示がなかったら撮り逃がしていたと思います。

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2015年11月29日 (日)

San Diego Trolley 2000形 part10

San Diego Trolley 2000形も今回の2045, 2046, 2050, 2051, 2052で最後となります。

2045_080116_gillespie_field 2045    2008/1/16 Gillespie Field

2046_030115_santee_town_center2 2046     2003/1/15 Santee Town Center

Green Lineが延伸される前はOrange LineがSantee Townまで行っていました。現在はGrossmontで合流するGreen LineがSanteeまで行っており、Orange LineはEl Cajonで折り返しています。

2050_080116_5th_street 2050      2008/1/16 5th Street

Downtown を1000形と2000形が行き交う風景も過去のものとなってしまいました。

2051_150110_12th_imperial_tc 2051    2015/1/10  12th & Imperial TC
旧式のPCCカーを横目にBlue Lineで活躍する2051編成

2052_080116_fvtc2 2052    2008/1/16    Fashion Valley Transit Center

この時期はGreen LineはOldtownをターミナルにしていました。時代とともに、路線の構成が変化しているのがわかります。
2052 がラストナンバーです。次回からは3000形 S70 (Full Length) Model です。

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2015年11月28日 (土)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 16 連接車70形 保存車

昨年12月の広島~四国西部旅行の一環として広島電鉄の車両を紹介しているシリーズ、今回は広電本社前に保存されている70形 元西ドイツドルトムント市電の76号です。

76_141218_3 現在は車内に立ち入れなくなっている 元ドルトムント市電 76号 2014/12/18

この車両は西ドイツのDuesseldorfのDuewagで大量に製造されたタイプで、ドルトムント市電が地下線新設で車両更新し、余剰が生じた際に広島電鉄が購入したもので、1981年に購入されました。広電も1977年に運行開始65周年を迎え、日本国外の車両を導入する機運が盛り上がった時でした。

ドルトムント市電ではDuewag GT8Zというタイプで、1959年から1974年にかけてHansa Wagonbauなどで製造された91両のDuewagが2001年まで活躍していました。

車体は3車体8軸の連節方式で全鋼製で1959年製です。76と77(オリジナルの番号は80)の2編成が購入され、1982年から運用を開始しました。

全長 27,160mm
全幅 2,360mm
全高 3,940mm
編成出力 64kw x 4
主電動機 BG-56Gmtw
歯車比 64:13 = 4.92

多段式直接制御方式で他社とはノッチ進段が逆回しでした。
駆動方式は吊り掛け式

ドイツにおいては珍しい両運転台・両側面ドア方式です。

76_141218_4
導入当初は連接車であることから宮島線直通用として使用されましたが、高速運転時の振動発生や運転取り扱い上、他車両との違いが多く、保守整備に際しても支障が生じ、3700形以降が導入されると使用されなくなり、1994年以降は市内線に回されました。こちらでも3000形が転属してくると1998年頃から使用頻度が下がりました。77号は2006年1月に廃車解体となり、76号は車内にテーブルやカーテン、マイクを設置して「ビール電車」など貸し切り専用車として活路を見出しました。2008年以降は老朽化が進み、部品の調達も困難になり、営業休止状態となりました。

77号はドルトムント市電の標準塗装で活躍、オリジナルの番号は80でしたが、76に合わせて77となりました。
76号は銀を基調としたドイツの地ビール Koenig Pilsenerの塗装で活躍しました。

2012年5月11日、広島電鉄100周年記念事業の一環として76号が引退し、7月より本社横の系列スーパーマーケット「マダムジョイ千田店」でイートインスペース・レストラン電車「トランヴェール・エクスプレス」になることが公表され、7月11日に開店、外装も緑色を基調としたものに変更し、片側の運転台を撤去し、貸し切りスペース「LUXE」としました。
しかし、広島電鉄100周年記念事業の終了を理由にオープンから8ヶ月で閉店となり、現在は展示車両として残されています。

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2015年11月27日 (金)

公園保存車輌 番外編 刈谷市 宮城道雄供養塔

全国の公園等に保存されている車両をみて歩くシリーズ、今回は前回、前々回の刈谷市交通児童遊園のすぐそばにある、作曲家、箏曲家の宮城道雄氏の供養塔訪問の記録です。

140812_6 供養塔入り口 2014/8/12 刈谷

右手に東海道本線が走り、名鉄三河線のガードもあり、左手の県道48号線に面して刈谷市交通児童遊園があります。

宮城道雄は1894年(明治27年)4月7日、神戸に生まれ、8歳で失明し、生田流箏曲の二代菊仲検校、二代中島検校に師事し、11歳で免許皆伝、1919年作曲家としてデビュー、1929年には「春の海」が世界的な評価を得ました。1937年、東京音楽学校(現東京藝大)教授に就任、1956年6月25日未明、大阪公演に向かうため、付き添いの義理の姪(内弟子)と夜行急行「銀河」に乗車中、刈谷駅付近で午前3時頃、昇降ドアがら列車外に転落し、病院に収容されましたが、同日午前7時15分に死去しました。

140812_3 供養塔の標識

わたしも、中学校の音楽の授業で「春の海」を習った際に、宮城氏のことを知り、母から列車から転落し、亡くなったと聞かされ驚いた記憶があります。当時の客車列車がドアは手動で開け閉めし、特に夜行列車の場合、目の不自由な方でなくても転落事故の危険性は十分にあるなと感じていただけに、宮城道雄氏の転落事故を初めて聞いたときは大変ショックだったのをよく憶えています。

今回の刈谷訪問の際に、供養塔も是非訪れてみようと思いました。

140812_4

三十宝塔の供養塔 1957年5月 刈谷市、宮城会、日本盲人会の三者によって建立されました。

当時の急行「銀河」13列車は東海道本線全線電化開業前のダイヤで
東京を20:30に出発、横浜2105、静岡2358と停車し、名古屋には0321、岐阜0358、米原0507、京都0640、大阪0735と停車し、神戸着は8:25でした。

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(こちらのサイトに急行「銀河」の列車番号、時刻、編成の情報があります。)

140812_8 名鉄三河線が東海道本線をオーバークロスするガード付近

13列車が当時、この場所を通過したのは午前2時35分頃で、高瀬忠三氏の「悲しき記録」によると、午前3時半頃現場を通過した下り貨物列車1189列車の田中二三機関士が「三河線のガード付近に轢死体らしきものを見た。」と大府駅に紙片を落として連絡し、刈谷駅員数名が現場に向かって、ガード下の線路脇に横たわる宮城氏を見つけたそうです。発見時は意識もあり、駅員と言葉も交わされたそうです。

140812_5 目の不自由な参拝者のため点字で記された案内塔もあります。

現場は直線で、列車から振り落とされるようなカーブではなく、かつポイントなどもありません。13列車の20分後には急行「安芸」が通過し、貨物列車も通過していましたが、発見されたのは40分後の1189列車となりました。転落後、1時間20分ほど現場に救出されるまでいたことになります。

住所の確認で、留守宅には5時過ぎに、列車には5時7分の米原到着前に連絡が行き、二等寝台に就寝中だった付き添いの牧瀬喜代子氏と連絡が取れ、米原から急遽引き返されたそうです。

宮城氏の方は大まかな縫合で約25針、大小6カ所の裂傷でしたが、意識はしっかりしていたそうです。頭部の処置と輸血などをして、6時を回った頃から、容態が急変し、7時15分に帰らぬ人となりました。(詳細な記述はこちらに)。

140812_2
こちらは交通守護と読めます。 妻の宮城貞子氏によって建てられたもののようです。

列車から転落の真相については未だに解明されておらず、警察による公式記録では自殺となっているとのことです。

命日の6月25日は遺作の歌曲「浜木綿」にちなんで浜木綿忌と呼ばれ、供養塔で営まれる法要に多くの方々が参詣されるそうです。

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2015年11月26日 (木)

東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part3 MT54

東京総合車両センター公開での主電動機の展示に沿って、歴代の電車のモータを見ていますが、今回は国鉄抵抗制御新性能電車のスタンダード・モータだったMT54形です。

Mt54_150822
MT46、MT46A101系から始まる新性能電車の主電動機として東洋電機製造が設計したのに対して、MT54は日立製作所が1962年に設計・開発したモータで

端子電圧 375V
定格出力 120kW
定格回転数 1630 rpm 全界磁
定格電流 360A
最高回転数 4320 rpm

となり、MT46Aに対して20%出力が向上し、MT比1:1の車両構成でも25‰程度の勾配が登坂可能となり、経済性と輸送力を両立させました。

165108_140812 クモハ165-108 2014/8/12 リニア・鉄道館

MT54が最初に搭載された系列は165系1963年3月、主制御器CS15と組み合わせて登場しました。勾配線区や寒冷地での運用を考慮し、153系に対して出力増強、耐寒性能が向上した急行形系列となりました。

急行形では交直両用系列の50Hz版451系、60Hz版471系においてもMT46AをMT54に置き換えて453系や、473系、さらに453系や473系に抑速ブレーキ機能を付加した455系、475系、(制御器はCS15B)、そして周波数を50/60Hz対応可能とした457系へと発展して行きました。また165系においては修学旅行用バージョン167系、さらに碓氷峠の協調運転用として169系が製造されました。

4731_811126_edit クモハ473-1+モハ472-1の1ユニットのみの製造で終わった473系 1981/11/26 金沢
ちょうど34年前に撮影した写真です。

特急形では151系、161系がモータを換装し、181系に、交直両用昼行特急車輛の481系、483系、485系、碓氷峠協調運転用489系、寝台特急電車581系、583系(モータは耐寒耐雪形のMT54B、主制御器もCS15E)、交流専用特急車両781系では417系で採用された強制通風冷却方式のMT54Eが採用されました。183系でもMT54が採用されました。

近郊形でも401/421系の出力増強タイプとして、403系、423系、さらに50/60Hz共用として415系、その直流版として111系の出力増強タイプ113系、勾配区間対応でノッチ戻し、抑速ブレーキ装備の115系(制御器はCS15A)に採用されました。

117系ではMT54Dが採用され、185系も同形式が採用されています。Dはネジがウイットネジ(インチネジ)から新JISネジ(メートルネジ)にかわり、互換性が無くなったことで新たに形式を起こしたそうです。

711902_910820 711系 試作902編成を組み込んだ編成 1991/8/20 苗穂

711系ではサイリスタ位相制御が採用され、MT54A電動機を永久並列接続し、端子電圧は375Vから500Vに引き上げ、定格電流を330Aに下げたことで、定格出力は150kWに上昇し、弱め界磁制御も廃して単純化されました。

国鉄以外では、

西武の601系からのカルダン車系列、701、801系は日立HS-836-Frb型 (端子電圧375V、定格出力120kW)ですが、国鉄のMT54と同一設計のモータでした。なんと国鉄の165系(1963年就役)よりも早い1962年に登場しています。さらに西武ではこのモータを国鉄101系と同じ84:15 (=5.60)の歯車比で駆動しており、加速力、牽引力重視の設定でした。国鉄では電力消費量の問題でこの歯車比の通勤車両は新造されず、581系583系を近郊型に改造した419系、715系で初めて101系の駆動装置を転用した際に登場しました。

北陸鉄道の7000系は廃車となった西武の701系のモータを再利用しており、えちぜん鉄道のMC6001形も愛知環状鉄道の100形などを譲受した際にJR東日本からMT54を購入し、搭載しました。伊豆箱根鉄道の3000系でも西武601系などと同仕様の日立製HS-836-Krb型が使用され、歯車比は86:15=1:5.73 となっています。

419_d15080905_2 419系 D15編成 2008/9/5 越前花堂

165系の走行機器を再用した1M方式の107系ではMT54BもしくはMT54D 4基を永久直列接続とし、歯車比を165系の4:21から5:60に変更して使用しています。

107_n1_111103_2 107系 N1編成 他 20011/11/3 日光

こうやって挙げて行くと、103系MT55381系MT58以外殆ど全てのMT46A以降の抵抗制御方式の国鉄新性能電車に使用された汎用モータであることが分かります。

CS15はCS12の発展型主制御器で電動カム軸式抵抗制御器
直列全界磁 13段 並列全界磁11段 並列弱め界磁 4段 
発電ブレーキ ノッチ戻し制御 抑速発電ブレーキ付き となっています。

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2015年11月25日 (水)

東海道新幹線開業から50年 その25 短編成になって活躍した0系

1964年10月の東海道新幹線開業から51年、昨年の10月からその半世紀を超える歴史を車両別に見てきましたが、かつて東海道新幹線で活躍した0系100系が山陽路で短編成になって活躍する姿については触れませんでした。写真を整理していたら、オリジナル未整理の写真の中に、2004年10月に小倉駅で撮影した写真がありましたので、今回から紹介しようと思います。

0_r61_041017_2 2004/10/17 小倉に到着するR61編成

0系は1985年12月から1986年4月にかけて第38次車として、16両が新製されその製造に幕を下ろしました。

1985年には博多~小倉間の区間運転用ミニ新幹線としてR0編成、6両編成、全車普通車が登場しました。1986年には運転区間が拡大され、R1-R20編成が追加されました。このときR0編成は3,4号車を差し替えてR21編成になりました。

1988年3月13日に「ウエストひかり」の運行が開始され、R15, R2, R3、R1からWR:R51-R54編成が誕生し充当されました。航空機が運航されていない早朝・深夜の時間帯に4往復運転されました。当初は普通車のみの6両編成、2列+2列の横4列シートでしたが、1988年5月からはグリーン車を連結した8両編成になり、夏前には12両編成になりました。このなかでR51編成だけは6両編成で残され、後述のR23編成と連結した12両編成での運転がなされました。

1990年にはJR東海から先頭車21-127と22-127がJR西日本に移籍し、R20編成の先頭車を置き換えました。

R2、R24編成はデッドスペースだったビュッフェ部分と客室の一部を「こどもサロン」と称するプレイルームに改造し、全席指定の「ファミリーひかり」として運行されました。

R編成は6両編成のため、先頭車の非常用連結器を使用して2編成併結(R51+R23)で営業運転されることもありました。

2000年3月11日のダイヤ改正で700系ひかりレールスターが登場し、車両が揃った4月21日に「ウエストひかり」は運用を終えました。

0_r61_041017_5

0系6両編成としては延命工事や接客設備が優れた車両が多く残っていたので、「こだま」用6両編成6本(R61-66)が組成されました。2001年4月にはR67編成, 2002年2月にはR68編成が追加され、2002年から濃淡グレーにフレッシュグリーンの新色に変更されました。

Wr_r6168 JRR 2002年夏号の編成表による WR R61-68編成表

21/22形7950番台 7951 1988年にR編成先頭車用に25-2038、26-2245を先頭車改造したもの。定員は70/80名で通常の22形に較べて5名多くなっており、これは業務用室がない分、1列増えたため。2001年4月、座席を2+3から2+2に交換し、塗装もウエストひかり塗装になり、定員は56/64名となりました。

21/22形5000番台 5001 1000番台からの改造車 1988年、21/22-1046をウエストひかり用に改造したもので、内装の張り替え、客室内窓枠のFRP化、座席の4列化が行われ、塗装もウエストひかり用に塗り替えられました。座席間隔は980mm、定員は56/60名。

21/22形7000番台 7001~7008 2000番台からの改造車 1988年に5両ずつ、1990年に1両ずつ、2002年に1両ずつ改造。座席の4列化、塗装変更 定員 56/60名 

25形7000番台 7001~7014 25形2000番台のウエストひかり化改造車 定員76名

25形7900番台 7901~7906 7901はシネマカーの穴埋め用として25形2900番台(37形2500番台を売店車化した)をウエストひかり改造したもの 7902~7906はR60大編成増備ののため25形2900番台を改造したもの

26形7000番台 7001~7013 26形2000,2200番台をウエストひかり用に改造したもの 定員76名(2000番台由来)、84名(2200番台)

26形7200番台 7201~7211, 7213  7201, 7202は26-7005, 7006の改番 それ以外は26形2200番台のウエストひかり化

37形5300番台 5301~5303 ビュフェ室を窓一枚分拡大した37形1500番台ウエストひかり改造車5000番台のビュッフェをさらに窓2枚分拡大した車両 座席定員は16名に減少

37形7300番台 7001,7002  37形の2000番台車に相当する2500番台からのビュッフェ拡大車

これらの編成も車両を入れ換えながら長らえて来ましたが、2006年R65, R66編成が廃車、2008年3月14日にはR68編成が離脱、最後にR61, R67, R68編成が白/青のカラーリングに戻され、2008年12月14日にさよなら運転が行われ営業運転を終了しました。

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「こだま」用4両編成としてQ編成1997年3月に登場しました。正式なQ編成の登場は1997年11月29日のダイヤ改正で広島、小倉~博多間の「こだま」の半数を4両編成で区間運転化するためのものでQ1-Q3, Q6がまず登場し、2000年1月17日からは6編成体制になりました。これらの4両編成は広島以西限定運用で、2001年10月1日のダイヤ改正で営業運転を終了しました。後日紹介しますが、四国鉄道文化館に保存されている21-141先頭車はQ2編成の表示が残されています。

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2015年11月24日 (火)

パリの6つのターミナル駅巡り オステルリッツ駅 1

パリの6つのターミナル駅の話題、今年3月から13回に渡ってリヨン駅や車両の関係からモンペリエ駅で見た車輌を紹介してきました。その写真もほぼ全て紹介しましたので、今回からは時計回りに次の駅である、オステルリッツ駅 (Gare d'Austerlitz)に行きたく思います。

ターミナル駅(始発駅)としてはリヨン駅の東南にベルシー駅 (Gare de Paris-Bercy)もありますが、こちらは規模も小さいため、6つのターミナル駅には含まれない様です。かつてオステルリッツ駅にあったオートトラン(カートレイン)の発着施設は2000年にベルシー駅に移転しました。

Bercy_090312_paris リヨン駅到着寸前に列車から見えたパリ・ベルシー駅  2009/3/12

今月13日夜には世界を震撼させた同時多発テロ事件がパリで発生し、130名の尊い人命が失われました。パリはその後も非常事態が継続中です。確かにこういった事件で尊い人命が失われることは決してあってはならないことですが、テロがあったのですぐに報復では、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの教訓が全く生かされていないことも意味し、無意味な報復の連鎖に繋がり、武器が消費されるだけかと思います。やはり、こうしたテロが発生する原因をきちんと究明し、社会の歪みを是正する努力が必要かと思います。

090312 リヨン駅から南へ ファン・ゴッホ通りに沿って、セーヌ川北岸沿いのラペー通りを渡り、

090312_10 セーヌ川をシャルル・ド・ゴール橋 (Pont Charles de Gaulle)で越えます。

090312_2 対岸にはカルチャーセンター (Les Docks - Cité de la Mode et du Design)が見えています。

090312_3 一方、川の反対側(北西方向,下流方向)ではオステルリッツ高架橋 (Viaduc d'Austerlitz 1904年製) でメトロ5号線が川を渡っています。

090312_4 オステルリッツ駅 駅舎 2009/3/12

090312_6 オステルリッツ駅の看板

オステルリッツ駅はパリの13区にあり、フランス南西部方面への列車が発着する駅です。近郊線RER C線やメトロ5号線も通っており、メトロ10号線の始発駅でもあります。

パリから南東部郊外Juvicyまでオルレアン鉄道が開通した1840年9月20日に、駅は開業しました。このときの起点は簡素なものだったそうです。1843年にオステルリッツ河岸に本格的な駅が開業しました。この頃、オルレアンまで鉄道は開通し、1846年にはトゥール、1851年にナント、1852年にボルドー、1855年にクレルモン=フェラン、1884年にトゥールーズまで路線は延びました。駅舎は1867年のパリ万国博覧会に合わせて建設されました。

1900年にはパリ万国博覧会に合わせてオステルリッツ駅からオルセー駅まで地下線が開業し、オステルリッツ駅も大きく変化し、ホームは駅舎の南側の空間に移されました。ホームは中央にオルセー駅方面への直通列車用の島式ホーム2面4線があり、その東側に出発列車用、西に到着列車用の頭端式ホームが置かれました。

090312_5 頭端式ホームに入線した機関車牽引列車

メトロ5号線の乗り入れは1906年6月2日のプラス。ディタリー~ガール・ド・ドルレアン間の開業時で、7月14日にはセーヌ川を渡り、北へ延伸されました。

090312_7 駅舎内部の壁画

1938年、鉄道国有化でオステルリッツ駅はフランス国鉄の駅となり、1939年、オルセー駅は近郊列車線用駅になり、オステルリッツ駅が再び長距離列車用の始発駅となりました。1939年7月12日メトロ10号線も乗り入れました。オルセー駅の地上部はその後、オルセー美術館 (Musée d'Orsay)になりました。

090312_8 駅舎内の売店群

090312_11 案内表示 フランス語が分からなくてもアイコンで意味がわかります。リヨン駅へは歩いて行けることも分かります。

1990年9月LGV大西洋線 (LGV Atlantique、ligne nouvelle 2、LN2) が開業し、パリから南西部への昼行列車の多くは一部の例外を除いてモンパルナス駅発のTGVに代わり、オステルリッツ駅発の列車は大きく減少しました。

090312_9 出発列車の案内 昼の列車はかなり少ないようです。

090312_2_2 ホームは閑散としていました。

7_090312 駅前からはセーヌ川を横切るメトロ7号線も見えます。

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2015年11月23日 (月)

尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その3 「あけぼの」「出羽」 part3

2015年11月14日には、今年の尾久公開も開催され、私は参加しませんでしたが、他の方のBlogやTwitterを拝見すると、今回は先日機器室火災事故を起こし、廃車が決定したEF65 1118号機のラストとなる公開もなされたとのことでした。

さてこちらは昨年11月15日の尾久公開のHM展示の話題、「あけぼの」「出羽」の三回目として、その終焉までを見て行こうと思います。

24_24_911112 1991/11/12 青森駅に到着した「あけぼの」
電源車はカヤ24で、既に編成は方向転換済みでした。

時代的には1990年代、新幹線工事で「あけぼの」の運行経路がそれまでの東北本線、福島、奥羽本線から陸羽東線経由と高崎線、上越線、羽越本線経由になり、後者は名称も「鳥海」と変更になって以降の歴史です。

Ef81_143_911112_2 EF81 143牽引で青森に到着した日本海縦貫線経由の「鳥海」 1991/11/12

1990年9月1日上記の変更がなされ、同時に臨時寝台特急「あけぼの」81.82号も東北本線・仙山線・奥羽本線経由となりました。さらに、それまで東海道山陽系BTと合わせて電源車の位置は上野駅頭端式ホームの奥に入るようになっていましたが、騒音、排気ガス対策から「あけぼの」「鳥海」「出羽」の編成の方向転換を実施しました。
急行「津軽」は20系客車から583系電車となり、経路も東北本線・仙山線・奥羽本線経由に変更になりました。

Ef81_109_930807 EF81 109号機に牽引されて青森を目指す寝台特急「鳥海」 1993/8/7 富根~二ツ井

山形新幹線、福島~山形間が開業した1992年7月には485系に代わっています。急行「おが」は1992年12月に20系から14系に変更され、二段ハネ改造車両も連結されました。

Ef81_136_090103 EF81 136牽引 「あけぼの」 2009/1/3 大宮

Ef81_136_101023_2 EF81 136牽引 「あけぼの」 2010/10/23 弘前

Ef81_137_050827 EF81 137 牽引 「あけぼの」 2005/8/27 上野

Ef81_137_101024_2 EF81 137 牽引 「あけぼの」 2010/10/24 青森千刈踏切

Ef81_138_070826 EF81 138 牽引 「あけぼの」 2007/8/26 鶯谷

Ef81_139_090127 EF81 139 牽引 「あけぼの」 2009/1/27 鶯谷

この時代の「あけぼの」牽引機は青森所属のEF81でしたが、冬季の上越線通過で故障頻発や配給輸送での機関車不足で田端のEF81が牽引することもしばしばありました。

1993年12月1日
、黒磯でのEF65~ED75機関車交換方式を止め、EF81による上野~小牛田間スルー運転が開始されました。このとき、「出羽」は「鳥海」に統合され消滅しました。1982年11月から11年1ヶ月の運転でした。1994年、「おが」が廃止されました。

1997年3月22日、「鳥海」は「あけぼの」に統合され消滅し、「あけぼの」は「鳥海」の経路を走る列車となりました。1998年すでに臨時列車となっていた夜行急行「津軽」も年末年始の運行を最後に廃止され、2002年12月1日、東北新幹線八戸延伸で「はくつる」も廃止され、「あけぼの」が唯一の東京~東北の寝台特急、直通夜行列車となりました。

Ef81_85_070211 本来、特急牽引機待遇ではなかったEF81 85による「あけぼの」 2007/2/11 鶯谷 推進回送

Ef81_95_090207 レインボー塗装機 EF81 95による「あけぼの」 2009/2/7 鶯谷 推進回送

Ef81_94_090102_2 北斗星牽引機 EF81 94による「あけぼの」 2009/1/2 大宮

Ef81_99_090124 さらにはカシオペア専用機 EF81 99による「あけぼの」 2009/1/24

とバリエーション豊富な田端機による競演も見ることが出来ました。

2004年には10月23日の新潟県中越地震、2005年12月25日の羽越本線特急「いなほ」脱線事故(最上川橋梁)、2006年7月13日羽越本線土砂崩れ事故などで、数ヶ月2及ぶ運休期間があり、2009年3月14日のダイヤ改正では上越線区間での定時性を確保するために上野~長岡間の牽引機がEF81からEF64に置き換えられました。

Ef64_37_090504_2 EF64 37による「あけぼの」 2009/5/4 大宮

Ef64_1030_111008_2 EF64 1030 「あけぼの」 2011/10/8 尾久

2010年3月13日のダイヤ改正では同じ上野発の寝台特急「北陸」が廃止となり、EF64牽引の唯一の寝台特急となり、同年12月4日、東北新幹線新青森開業のダイヤ改正で新青森駅が停車駅に加わりました。またブルートレインを利用して荷物を運んでいたブルートレイン便サービスが全廃となりました。

Ef64_1053_101003_2 EF64 1053 による「あけぼの」 2010/10/3 鶯谷 推進回送

その後も、2011年3月11日の東日本大震災、7月26日の平成23年7月新潟・福島豪雨で運休、迂回運転が行われ、2014年3月14日のダイヤ改正で定期列車としての運行にピリオドが打たれました。その後、2015年1月4日発の下り列車で臨時列車としての運行にも終止符が打たれました。長年使用されてきた24系客車は、一部は小坂鉄道レールパークで展示、一部は海外譲渡となりました。

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2015年11月22日 (日)

小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 8 8000系 その1

東武スカイツリーライン、小菅付近の複々線を行く車両たち、これまで東武鉄道の優等列車を担当する車両として、100系、200系、250系、300系、350系、1800系、6050系、634型を見てきましたが、今回からは通勤車両です。

東武の通勤車両として、現在も活躍中の最古参は8000系です。既にスカイツリー線区間での営業運転は2009年度末に終了し、後進に道を譲っていますが、実は現在もこの区間を定期的に走ってはいます。亀戸線と大師線の車両交換のために毎日13時10分頃、小菅付近を下っています。
そういったことから、今回からまずは8000系から東武の通勤車両を見て行こうと思います。

8127_060709 原形タイプの前面で生涯を全うした8127F 2006/7/9 栗橋

8000系の導入は1963年11月1日で、1983年までの20年の長きに渡り、私鉄電車としては最大両数の712両が製造され、「私鉄の103系」と呼ばれました。製造メーカーはナニワ工機(後のアルナ工機。現・アルナ車両)を中心に日本車輌製造東京支店・汽車製造東京製作所・富士重工業・東急車輛製造(現・総合車両製作所)の計5社です。

編成は最初は4両固定編成からスタートし、2両の電動車を制御する1C8Mでしたが、2両固定編成が登場すると1電動車制御の1C4M方式も登場し、以後、6両8両固定編成が登場し、MT比1:1を維持して、両制御方式が混在するようになりました。組み合わせによって2連から10連まで対応できる柔軟な運用が可能な車両でした。また両数から「私鉄の103系」とは言われますが、1C4Mと1C8M方式の混在、空気バネ台車の採用、発電ブレーキ不装備、座席の座り心地の良さなどから103系を遙かに凌ぐ車両との評価もあります。

8111_111204 2011年12月4日に南栗橋車両管区で開催された東武ファンフェスタでは8111Fが現行塗装で展示されていました。

車体

全長20m 4扉 普通鋼製で軽量化と車体強度両立のため、戸袋窓は省略されました。室内はオールロングシート、扉間7人、車端部4人掛けで、通勤車ですが、奥行きを深くし、クッションも柔らかめに設定されており、長距離客への配慮がありました。寒冷地での使用を考慮して、中間2扉の締め切り機構も当初から装備されていました。

車両定員 先頭車150人 中間車170人

走行機器

制御装置は 上述のように4両編成版1C8M方式と2両編成版1C4M方式があり、
モハ8200・8300:VMC-HT-20 1C8M(制御器1基で電動車2両分8個のモーターを制御)
モハ8500・8800:VMC-HT-10 1C4M(制御器1基で電動車1両分4個のモーターを制御)
日立製作所製 VMC超多段型バーニア制御、電動カム軸式
力行のみ55段(弱め界磁起動1段、直列24段、並列21段、弱界磁9段) です。

主電動機は補償巻線付の130 kW、1,750 rpm(82%界磁)の定格回転数で
モハ8200形・モハ8300形(8個制御対応):TM-63(端子電圧375 V) 日立HS-836-Srb・東洋TDK-845-A系
モハ8500形・モハ8800形(4個制御対応):TM-64(端子電圧750 V) 日立HS-836-Trb・東洋TDK-845-B系

駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式 歯車比 5.31 (16:85)

台車は住友金属工業の空気バネ台車で1974年製以前と1976年製以降で違いがあり、

前期タイプ 揺れ枕吊り式ミンデンドイツ台車 FS356・056 社内呼称「TRS-62」
枕バネは3段ベローズ式空気ばね、台車枠は鋳鋼製、軸距2,300 mm

後期タイプ 台車枠が鋼板プレス材溶接組み立て構造に変更され、さらに軸箱支持機構がミンデンドイツ式を基本としつつ住友金属工業が独自に改良したS形ミンデン式に変更されました、FS396・096(東武での社内呼称はTRS-75)となりました。

8111f_120901
8111f_120901_2 2012/9/1 五反野
8111Fはその後、登場時の塗装に塗り替えられ、東武博物館所有の動態保存車両として数多くのイベントに活躍しています。 
写真は東武スカイツリータウン開業100日記念メモリアルトレイン
2011年12月展示の際にはなかった通過標識灯も復活しています。

制動装置

HSC電磁直通ブレーキが採用されました。発電ブレーキは装備せず、車輪を空気圧作動の制輪子で締め付ける「踏面ブレーキ」のみとして、機器類を簡素化していますが、制御装置とともに応荷重装置と連動しており、乗客の多寡に応じてブレーキシリンダー圧力が自動的に調整される機構を持っています。

設計最高速度は110km/h、営業最高速度は100km/h
起動加速度は 2.23 km/h/s

冷房装置

当初は非冷房で登場しましたが、1972年製の8156F-8158F(富士重工製)から集約分散式の冷房装置が装備され、それまでに製造された非冷房車も順次冷房改造がなされました。他社が8000-8500 kcal/hの分散式を4-5基搭載し始めた時期に、東武では10500kcal/hの集約分散式を4基搭載することにしました。1984年までに全車の冷房化を完了しました。

編成のバリエーション、修繕による顔の変化などについては次回の記事で。

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2015年11月21日 (土)

江ノ電を撮る 車輌編 その8 10形

江ノ島電鉄の車輛シリーズ、今回は10形です。

10_150524 10形 10-50 2015/5/24 峰ヶ原信号所

1997年、江ノ電は開業95周年を迎える記念として10形1編成(10-50)が製造されることになりました。営業運転開始は1997年4月18日でした。
オリエント急行調のデザインを採用し、江ノ電の車輛の中でも異彩を放っています。

10_150103 都電の9000形同様、江ノ電のアクセント的存在となっている10形 2015/1/3 鎌倉高校前

外観上の特徴は旧500形以来の両開き扉、車体幅が従来車輛よりも100mm広げられ、裾絞りの車体となり、先細りの形状、先頭腰部の丸形単灯式前照灯、シングルアーム式パンタグラフなど江ノ電初となる形態が導入された車輛です。

10_150620 2015/6/20 あじさいの季節 御霊神社前の踏切は観光客(しかも圧倒的に女性)で一杯

明治期の客車を連想させる上辺が弧を描く側窓、救助網を模した前面排障器、屋根上の冷房装置を隠すダブルルーフ状のカバーなどもレトロ調の雰囲気を醸し出しています。

内装も木目調部品を多用し、金属部分もブロンズ仕上げ、丸形蛍光灯カバーに電球色照明などレトロな雰囲気を出しています。

10形の導入と入れ替わるように300形302-352編成が引退しました。

恒例の極楽寺検車区で開催の江ノ電「タンコロまつり」、今年は11月28日、29日開催とのことで、昨年は体調不良で参加できませんでしたが、今年は行ってみようと思います。

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2015年11月20日 (金)

京急ファミリー鉄道フェスタ2015 part8 2100形

2015年5月24日、久里浜の京急ファインテックスで開催された京急ファミリー鉄道フェスタ、今回は2100形について触れようと思います。

2100_08_110508 2100形 2101編成 2011/5/8 花月園前

20世紀の終わり頃、テレビ番組ではニュース21、企業名や製品ではレオパレス21、センチュリー21、リーブ21など来る21世紀に向かって21を付けた名前が多く出ました。この2100形の登場も1998年3月28日2000形の後継車との位置づけもあり命名されたのでしょうか。

2100_17_151017 2100形 2117編成 2015/10/17 堀之内

ポリシーは車内居住性の向上、コストダウン、メンテナンス低減などで、主制御器・主電動機、座席や座席表地に日本国外製品を数多く導入した車両でもありました。車体はアルミニウム合金製で、中間車は18,000mm、先頭車は18,170mmの8両編成です。側ドアは2扉で、特急形に分類される車両です。前面デザインは600形をベースに「都会」・「洗練」・「知的」と「スピード感」をイメージした流線型形状となりました。

2100_25_100613 2100形 2125編成 20120/6/13 八丁畷

室内はオールクロスシートで、ドア間は転換クロスシート、車端部は4人掛けボックスシート、先頭車の運転席背面は前向き固定座席となりました。

150524_3 2100形 2133編成 2015/5/24 京急ファインテック
イベントでは二代目 KEIKYU BLUE SKYTRAIN 2133編成が展示されていました。

制御装置はドイツ・シーメンス社製の GTO素子SIBAS32による VVVFインバータ制御を採用し、発車時の電動機およびインバータ装置から発する磁励音が音階に聞こえることが特徴です。

主制御器形式:G1450D1130/560M5-1形(1C4M制御方式、容量1,096 kVA、耐圧4,500 V、電流3,000 A、周波数0 - 163 Hz、質量1,700 kg)

主電動機:1TB2010-0GC02形かご形三相誘導電動機(出力190 kW、端子電圧1,050 V、電流133 A、周波数61 Hz、定格回転数1,800 rpm、最高回転数5,243 rpm、質量550 kg :連続定格値) 1:1というMT比で高速性能と高加速度を両立するため、高出力のかご形三相誘導電動機が用いられています。電動機の京急における制式名称はKHM-2100形です。

台車は車体直結空気バネ方式で、高速走行時の乗り心地の観点から乾式ゴム入りの円筒案内式軸箱方式です。動力台車は「TH-2100M形」、付随台車は「TH-2100T形」。上下振動を減少させ、乗り心地の向上を図る軸バネダンパを設置していましたが、後年に撤去されました。

歯車比は 83:14 (5.93)で、駆動装置はたわみ板式継手方式です。制動方式は回生制動併用電気指令式電磁直通空気制動(応荷重装置、増圧ブレーキ付)となっています。

補助電源装置にはIGBT素子を使用した三菱電機製の150 kVA出力静止形インバータ(NC-WAT150C形)で、本形式より車内の低圧補助回路の電圧を三相交流440Vに上げました。

電動空気圧縮機にはドイツ・クノールブレムゼ社製のスクリュー式(SL-22形、吐出量は1600 L/min)が採用されました。

集電装置は東洋電機製造製のPT7117-A形シングアーム式を使用しており、空調装置は三菱電機製のCU-71G形を使用し、能力は41.8 kW(36,000 kcal/h)としています。

2100_56_151017 2100形 2149編成 2015/10/17 金沢八景

10編成が4次に分かれて製造されました。

1次車 1998年2-3月に落成 21012109
2133
2次車 1998年10-11月に落成 211721252133           東急車輛  川崎重工

3次車 1999年4-5月に落成 214121492157

4次車 2000年10-11月に落成 21652173

2100_57_bs_100613 2100形 2157編成 2010/6/13   八丁畷
更新でKEIKYU BLUE  SKY TRAINの役を降りた2157編成

←浦賀・三崎口・羽田空港                            品川・泉岳寺→
デハ2100 サハ2100 サハ2100 デハ2100 デハ2100 サハ2100 サハ2100 デハ2100
    Muc           T             Tp          Mu          Ms             T              Tp         Msc
VVVF CP      BT            SIV       VVVF       VVVF          BT           SIV     VVVF CP
   2101        2102         2103        2104         2105         2106        2107        2108
  2109        2110         2111        2112         2113         2114        2115        2116

   2173        2174         2175        2176         2177         2178        2179        2180

2157編成2005年6月11日、塗装を青に変更し、KEIKYU BLUE SKY TRAIN 第二編成として営業運転を開始しましたが、2015年3月更新工事のため入場し、代わって2133編成が2代目、KEIKYU BLUE SKY TRAINの役割を担っています。

更新工事では電装品をドイツ・ジーメンス製のものから東洋電機製造製のIGBT素子を使用した2レベルVVVFインバータ制御装置(PGセンサレスベクトル制御・1C4M制御方式)に交換しました。制御装置は従来の周辺機器一体形から制御装置本体、フィルタリアクトル等が個別設置されたものとなっています。主電動機についても東洋電機製造製の1時間定格190 kWのかご形三相誘導電動機に交換されました。

2100_72_151017 2100形 2165編成 2015/10/17 南太田
「カワサキ ハロウィン2015」と「かわさきジャズ2015」をPRするラッピングを施した「Kawasaki Autumn号」

制御装置形式:東洋電機製造製RG6008-A-M形 1C4M制御
主電動機形式:東洋電機製造製TDK6163-A形かご形三相誘導電動機 1時間定格190kW

冷房装置もCU-71H-G2に交換されました。

2100_80_100613 2100形 2173編成 2010/6/13 八丁畷

2扉クロスシート車は都営地下鉄や京成電鉄が乗り入れを認めていないため、京急線内、本線、久里浜線折り返しの快特して専ら運用されています。
(追記)また、2扉クロスシート車なのでラッシュ時の輸送には適さないため、朝のラッシュ時上りの運用は避けて運用されており、2012年時点でのダイヤですが大変参考になるデータがYahooの知恵袋にあるのを見つけました。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n131116 

このデータによると朝の7:46(603B)から9:04(717B)までの間は2100形の上り本線品川方面運用はありません。

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2015年11月19日 (木)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 13 Aeromexico MD-82

San Diego Lindbergh 空港で見かけた旅客機の話題、今回は以前、Boeing 737-700の話題で一度登場したAeromexico 航空MD-82です。

Xatlh_mcdonnell_douglas_md82_dc982_ XA-TLH MD-82 (DC-9-82) cn 53119 ln 1956 2005/1/21 SAN

航空会社としての歴史はBoeing 737-700の記事に書いた通りで、MD-82はAeromexicoがローンチカスタマーとなった機体でもあります。

Md82_aeromexico
表1 Aeromexico MD-82 Fleet list    データはPlanespotters.netから

表1にMD-82のフリートを纏めましたが、53機が登録されています。いずれも今日ではリタイアしておりますが、XAのメキシコ国籍で登録された機体は18機と1/3程度で、圧倒的にアメリカレジの機体が多いことがわかります。

MD-82は1979年4月16日MD-81よりも強力なエンジンを搭載したMD-80シリーズのバリアントとして発表されました。いわゆる高地、高温地路線向け、あるいは従来のスタンダード路線における高ペイロード、レンジ向け需要に応える機体でした。初飛行は1981年1月8日同年7月29日、FAAから耐空証明を取得、初号機は1981年8月1日Republic Airlinesに納入されました。最終のデリバリーは1997年11月17日、台湾のU-Land Airlinesにされました。

世界的にはアメリカン航空が最大のオペレーターで300機以上を運用していたこともありました。20,000 Ibf (89kN)の推進力を持つJT-8D-217Aエンジンを装備し、29℃以上、もしくは5000ft以上の高地での離陸を保証しました。最大離陸重量は当初67,000kgで、後に67,800kgまで増やされました。燃料タンクは22,100リットルで、155名の乗客を乗せ、3800kmの航続距離でした。

中国において1986年11月からShanghai Aviation Industrial Corporation (SAIC) がアメリカから提供されるキットを用いて組み立てを上海で開始し、Y-13という貨物機バージョンの設計も行いましたが、ライセンスアセンブリーの終了でその計画はキャンセルとなりました。2012年Aeronautical Engineers Inc.がMD-82の貨物機コンバートを開始しました。

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2015年11月18日 (水)

西武新101系 その8 白塗りワンマン車4連 1259F ぶるべー号

前回のこのシリーズの記事で、新101系 1259Fが小平市をPRするラッピングトレイン「ブルべー号」になり、約1ヶ月の期間限定で活躍とのことでしたので、11月7日の豊田車両センター公開の帰り道、国分寺で下車して撮影してきました。

101n_259f_151107_4
101n_259f_151107_5 国分寺に接近する1259F 2015/11/7

この日は国分寺~萩山間の単純往復パターンでしたので、1251Fと1259Fの2編成が運用に入っており、ほぼ10分おきにやってくるパターンでした。

ラッピングは側面の窓下と前面のHMのようでした。

101n_259f_151107_9
101n_259f_151107_13
101n_259f_151107_14
かつてはこの編成が直進して行く先に列車交換用の本町信号所がありましたが、今は跡形もありません。

101n_259f_151107_20
101n_259f_151107_27 国分寺駅 ホームに入線中

101n_259f_151107_29 駅の外側から入線中の車両の側面を狙うとこんな感じに撮れました。

このシリーズ、昨年9月からの新101系の話題は今回で終わりとして、次回からはいよいよ廃車が出始めた2000系について触れて行こうと思います。

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2015年11月17日 (火)

隅田川貨物駅フェスティバル 1 EF65 2089

2015年10月25日のJR貨物の隅田川駅貨物フェスティバル、最初のトピックは展示車両のひとつ、EF65 2089号機について触れようと思います。

Ef65_2089_151025

EF65 2089号機 2015/10/25 隅田川貨物駅
架線のない紙輸送関連のホームにコンテナ貨車数両と押し込められた状態でした。

まず沖田祐作氏の機関車表データから、履歴を調べると、

EF651089    川崎重工兵庫工場=582/= 富士電機       1977-11-30 E96tBBB(1067)
   車歴;1977-11-30 製造→ 納入;国鉄;EF651089→ 配属;関東支社→
      1977-11-30 配置;新鶴見→ 東京→1985-03-14 新鶴見→
      1987-04-01JR 貨物;EF651089→ 配置;新鶴見機関区→2008-04-01 現在;新鶴見機関区

EF65 1089号機として、1977年11月30日、川崎重工兵庫工場で車体、電気関係は富士電機で落成し、新鶴見区に新製配置されています。

Ef65_1089_030215_2 パンタが切れていますが原色時代 2003/2/15 黒磯

PFの第6次車として昭和51年度第1次債務予算で1069号機~1091号機のグループで製造され、昭和50年度第3次債務予算で製造された1056~1068号機とともに全機新鶴見に配置されています。首都圏の旧形機関車置き換えが目的でした。

Ef65_1089_031220 まだ富士山が見えた頃の西浦和 2003/12/20

1055号機までは1972年までに製造されており、約5年のブランクの後製造されたため、形態上大きな変化がありました。

・各機器・配線に対して難燃化・不燃化対策が実施されました。
・避雷器がLA15BからLA15Dに変更されました。
・集電装置をPS17(菱形)からPS22B(下枠交差式)に変更されました。
・主抵抗器をMR71(格子形)からMR134(山形)に変更するとともに、電動送風機を稼働させないと起動不可能な回路構成としました。
・ナンバープレートがステンレスエッチング加工を施したブロック式のものになりました。
・電動送風機をターボファン式のMH91I-FK102に変更(1069号機以降)
・記録式速度計をSRD40(機械式)からSRD60(電気式)に変更されました(1069号機以降)。

Ef65_1089_050821 コキ+ワム貨物 2005/8/21 清洲

Ef65_1089_061014_2 配給列車 2006/10/14 八丁畷

この時期の更新車のため、3色更新にはならず、2色更新に。

Ef65_1089_090607 2009/6/7 越谷レイクタウン ブルーの塗料が少し違う

Ef65_1089_120218 2012/2/18 成田

雪の残る中、成田、鹿島方面貨物列車

赤プレート

電磁給排弁を併用することなく制動時の空走距離を短縮させるため、自動空気ブレーキ系の常用減圧促進改造が施されていることを示すものです。

機構はツリアイ空気ダメの容量を縮小した上で、膨張ダメ及びJB中継弁の設置を行っています。コキ50000形改造の100km/h運転対応車(250000番台)牽引に対応するもので改造当初はナンバープレートの地色を、側面はコキ50000形250000番台の外部塗色に合わせた淡緑色、正面を青15号としましたが、夜間作業等、暗い時に判別がつきにくいため、赤色にしました。

1991年から1992年にかけて下に示した39両に施工されました。しかし、CLE電磁自動空気ブレーキを装備し110km/h運転が可能なコキ100系貨車の量産開始後、コキ250000で組成された編成はコキ100系への置き換えが進み、機関車も同時期に増産されたEF66形に置き換えられたため、現在は未施工車と区別無く運用されています。

    1045・1057・1058・1060・1063 - 1092・1096・1097・1117・1138・1139号機

Ef65_2089_130622_2 2000番台改番後 2013/6/22 単機で大宮を通過

2000番台改番

「国土交通省鉄道に関する技術上の基準を定める省令」により、、100km/hを超える運転を行う際に新たな保安装置(運転状況記録装置)の搭載が義務付けられました。JR貨物のPFタイプは今後、走行記録装置を取り付けて運用することをせずに100km/h以下の運用に就かせることとして、旅客会社のPFと区別するために原番号に1000を加えて、2000番台に改番したそうです。個人の感想ですが、行政の無駄な介入のように感じます。

イベントの際にJR貨物のかたに伺った話では、JR貨物のEF65に関しては廃車の予定は無く、これからも当分活躍を続けるだろうとのことでした。

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2015年11月16日 (月)

新京成サンクスフェスタ in くぬぎ山 1 8000形

2015年10月24日に参加した「新京成サンクスフェスタ」、最初は車輛展示の中では最古参の新京成8000形に触れようと思います。

8510_8814_8918_151024 展示車両群の中では現役最古参の8510編成が展示されていました。 2015/10/24 くぬぎ山車両基地

807_151024
8000形の登場は1978年のことで1970年登場のモハ250形・サハ550形1971年800形 (上の写真)以来で新京成としては初のオリジナル設計でした。
1985年
までに6両編成9本が製造されました。

8501_151024

8501のナンバーの先頭部カットモデルが基地内にありました。

このちょっと愛嬌のある形態から「習志野の狸」あるいは「くぬぎ山の狸」と呼ばれています。新京成としては800形に対して全ての面で優れている車輛ということで8000形としたそうです。

←京成津田沼        松戸→

Tc1    M1     M2    M1    M2   Tc2         導入    製造   改造      廃車

8501-8001-8002-8003-8004-8502     1978/12   日本車輛          2012/1

8503-8005-8006-8007-8008-8504     1979/11       〃             2011/3
         PT     CP    PT    CP
BAT  RHEO MG  RHEO MG  BAT       (抵抗制御車)
      

8507-8013-8014-8015-8016-8508    1982/7         〃            2012/10

8515-8029-8030-8031-8032-8516    1985/6         〃            2013/2
         PT    CP    PT     CP   
BAT CHOP MG CHOP MG   BAT   (チョッパ制御車)
                                      VVVF化
8505-8009-8010-8011-8012-8506    1981/6        〃    2010/2    2014/1
8509-8017-8018-8019-8020-8510    1983/6        〃    2008/3
8511-8021-8022-8023-8024-8512    1984/3        〃    2009/2
8513-8025-8026-8027-8028-8514    1985/1        〃    2010/8
8517-8033-8034-8035-8036-8518    1985/9        〃    2010/11
        PT     CP    PT     CP
BAT VVVF MG  VVVF MG   BAT

BAT:蓄電池
PT パンタグラフ
RHEO 主抵抗器

編成番号は松戸方先頭車の番号をとって8502, 8504 ・・・と呼ぶそうです。

18m級普通鋼製車体で、側扉は両開き3カ所で、制御方式は最初は抵抗制御で1981年製造の3次車8506編成から界磁チョッパ制御方式で製造されました。2008年から界磁チョッパ制御編成はVVVF制御方式に改造されました。

抵抗制御1C8M        8502、8504編成
界磁チョッパ制御1C8M   8508、8516編成
VVVFインバータ制御1C4M x 2群 8506, 8510, 8512, 8514, 8518編成

電動機は
抵抗制御編成は直巻、界磁チョッパ制御は複巻方式の直流電動機 
三菱電機製 110kW 端子電圧375V (国鉄のMT55と同性能)
VVVF制御編成は東芝製全閉自冷式かご形三相誘導電動機
出力160kW、端子電圧1,100V、相電流117A、回転数1,585rpm、周波数80Hz、すべり0.85%

駆動方式はWN平行カルダン方式で歯車比は82:15 = 1:5.47でした。

8517_140510 8517 2014/5/10 新鎌ヶ谷 

ブレーキ方式は 電空併用電磁直通ブレーキ。発電ブレーキ装備車はHSC-D、回生ブレーキ装備車はHSC-Rです。
台車は住友金属工業製ペデスタル(軸ばね)方式軸箱支持+外吊り方式枕ばね(コイルばね)台車(電動車 (M):FS329S2型およびFS329S4型・付随車 (T):FS329S1型およびFS329S3型)です。補助電源は90kVA MGです。

8518_151024 8518 2015/10/24 京成津田沼 
千葉中央方面から新京成に直通車

廃車の既に始まっており、2011年N800形N828編成の増備により8504編成が8000形として初めて廃車になりました。その後、8502編成が2012年1月に、8508編成が2012年10月に、8516編成が2013年2月に廃車となり、新京成の車輛は全てVVVF制御車となりました。

8506編成が故障のため、2014年1月に廃車となり、VVVFインバータ車輛として初の廃車となり、制御装置は8900形の機器更新に転用されました。

新京成では昨年のコーポレイトカラーの導入で続々とピンクに塗り替えられた車両が登場していますが、果たして8000形はどうなるのか興味深いです。

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2015年11月15日 (日)

電気機関車 EH500シリーズ 6号機

エコパワー金太郎の愛称のEH500形電気機関車、今回は6号機です。

2次形として、東芝府中工場で2000年10月24日に落成し、仙台総合鉄道部に配属されています。

Eh5006_030419 2003/4/19 桜の季節 黒磯駅に到着した東北線貨物列車

Eh5006_030419_2 同日、上の写真の6時間後、白坂付近を通過する下り列車

Eh5006_030928_2 2003/9/28 五稜郭

EH500が五稜郭で北海道内貨物をやりとりする姿もあと数ヶ月

Eh5006_031122 2003/11/22 大崎

3086列車を牽引して、山手貨物線を通過、品鶴線に入り新鶴見へ

Eh5006_040310 2004/3/10 東十条

夕刻隅田川を出発して、札幌ターミナルを目指す3056列車を牽引

Eh5006_040821 2004/8/21 白坂

緑多き季節、白坂駅に接近

Eh5006_050409 2005/4/9 大宮

3056列車を牽引して大宮を通過、この頃からHM取付用のステーを前面に設置

Eh5006_050903 2005/9/3  東仙台

Eh5006_060409 2006/4/9 石橋~自治医大間

かれこれ10年前になりますが、東北本線の貨物などを撮りによくこの区間に出かけました。東北新幹線が並走する区間です。

Eh5006_080731 2008/7/31 宮城野貨物ターミナル

2011/3/12のダイヤ改正で仙台貨物ターミナルに改称されましたが、前日の3月11日には津波の襲来を受け、コンテナが流される光景を未だに憶えています。貨物駅としての機能は仙台総合鉄道部付近に移転し、跡地を広域防災拠点にする計画があるようです。

Eh5006_100617 2010/6/17 古河~栗橋間 中通り踏切

東北本線貨物列車の撮影ポイント5~6年前にはこちらに通いました。ステーは撤去されています。

Eh5006_101024 2010/10/24 青森 第一大野踏切

青森信号所から奥羽本線、津軽海峡線に抜ける連絡線の踏切です。

Eh5006_130420_2 2013/4/20 荒川沖~ひたち野うしく間 妙向寺踏切
安中貨物

Eh5006_140118 2014/1/18  ひたち野うしく~荒川沖間 二十三夜尊前踏切

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2015年11月14日 (土)

1989年のDüsseldorf Airport その40 NLM City Hopper Fokker F-28

冷戦下の西ドイツDüsseldorf空港で撮影した旅客機、今回はNLM City Hopperです。

Phchd_cn_11139_fokker_f284000_fello PH-CHD cn 11139 Fokker F-28-4000 Fellowship 1989/5/7

NLMの正式名称はNederlandse Luchtvaart Maatschappij (Dutch Aviation Company)でした。過去形なのは1991年3月31日で運航を停止し、KLM CityHopperになったからです。

KLM傘下のオランダのコミューターエアラインとして1966年に設立され、同年8月29日から運航を開始しました。当時はオランダ空軍からリースされたFokker F27 Friendshipを使用していました。1978年Fokker F28が導入されました。路線はオランダ国内限りで、アムステルダム、アイントホーフェン、エンシェデ、グローニンゲン、マーストリヒト、ロッテルダムを結ぶネットワークでした。
国際線進出はフィリップス専用にアイントホーフェン~ハンブルグ線が開設され、1974年4月に一般にも解放されました。1975年初頭にはロンドンガトヴィック線もネットワークに加わりました。1988年4月、親会社のKLMNetherlinesを買収した結果、会社名はNLM CityHopper/Netherlinesになりましたが、1991年4月にはKLMに吸収される形でKLM CityHopperになりました。

Phchd_cn_11139_fokker_f284000_fel_2 PH-CHD

フリートは 
Fokker F-27-200, -300, -400, -500
Fokker F-28-3000, -4000
Jetstream
Saab 340   でした。

わたしもこの後継のKLM CityHopperFokker 50には アムステルダム経由でイギリスのNorwichに出張した際に搭乗しました。

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2015年11月13日 (金)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part13 オハネフ25形

今年3月のダイヤ改正で大阪~札幌間の運行を終了し、現在は「特別なトワイライトエクスプレス」として、運行が続けられていますが、今回からは編成の中でB寝台車だった車両について触れようと思います。

25_500_020827_4 電源車の次位に連結されるため編成の末端に出ることはない緩急車 オハネフ25 500 2002/8/27 札幌

まずは 9号車 B寝台開放式「Bコンパートメント」 オハネフ25形 500番台 です。

24系25形二段ハネの緩急車の新製は、以前に「北斗星」のオハネの記事で触れましたが

基本番台 1~47  1974~1976年 製造 新潟鐵工所、富士重工業、日本車輛製造
1~27 1974年4月 南宮崎電化のダイヤ改正で「あかつき3/1,6/2号」「彗星5/1号」
28~46 1976年2月 1976年2月 「つるぎ」「日本海1/2号」の24系25形化
47   1976年9月 事故廃車となった18の代替

100番台 101~157  1976、1977年 製造 新潟鐵工所、富士重工業 
1976年10月1日 「はやぶさ」「富士」「出雲」の二段ハネ化
1977年10月1日 「あさかぜ2/1号」「瀬戸」「安芸」の二段ハネ化 
切妻 片渡り方転不能

200番台
 201~221  1977、1980年 製造 新潟鐵工所、富士重工業
1978年2月 「あさかぜ1/2号」 「はやぶさ」「富士」「出雲」の付属編成 
折妻 方転可能

の3期に渡って行われました。

その後、1990年電源車カニ24に代わって、スハ25形300番台 SIV電源車を組み込んだ「あさかぜ3/2号」「瀬戸」編成の荷物輸送用スペース確保のためにオハネフ25 134, 141, 135が改造され、301~303になりました。         

Bコンパートメントとは8・9号車に設置されていた簡易個室で、従来の2段ベッドを向かい合わせに設置した開放式B寝台にガラス扉を取り付けた構造でした。1ブースを4人で確保すれば個室にもなり、3人未満で使用する、もしくは複数のグループで利用する場合は開錠したままとなり、通常の開放B寝台と同様でした。

オハネフ25 500番台 501~503は 1989年にオハネフ25 34, 41から501 502が1991年に45から503が改造されています。

改造では寝台と通路の間にアルミサッシの引き戸を設け、オーディオ装置を追加しています。出入り台横の区分室が設けられ、こちらは食堂車従業員の業務用室とされ、三段式寝台となっています。2001,2002年にリニューアル工事が施工され、木目調の化粧板にする内装変更と車体外装の帯色が黄色から白縁取りに変わりました。

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2015年11月12日 (木)

豊田車両センターまつり プロローグ

2015年11月7日は「豊田車両センターまつり」に行ってきました。

昨年11月8日西武トレインフェスティバル2014 in 横瀬に参加した際に、帰りの中央線の車窓から豊田センターの公開を知り、今年はこちらに参加することにしました。

Photo
まず驚いたのが電車基地の公開というよりはどこかで開かれるロックコンサートのポスターかというノリの案内でした。151107 入り口から見た豊田センターの収容線 2015/11/7

かつて、私が小学生の頃は中央線快速電車101系の電車区といえば、東ミツ(三鷹電車区)と東ムコ(武蔵小金井電車区)でした。

豊田電車区は1962年に着工、1963年には電留線が完成、1965年10月1日、武蔵小金井区の派出となり、1966年11月10日、区として発足しています。私は当時小学校5年生でした。その頃から、101系に東トタと表記された車両が増えてきたのを記憶しています。発足当時は460両収容で東洋一の規模だったようです。

その後、1974年には橋本に相模線車両用の派出所が出来、1996年には相模線の車両は国府津区に、橋本派出所は大船電車区へ。2004年3月13日には武蔵野線の車両が京葉車両センターに移管され、中央快速線唯一の車両基地になりました。2007年11月25日、豊田車両センターに改称され、武蔵小金井電車区が豊田車両センターの派出所になっています。

配置車両は今年4月1日現在で、電車707両、貨車9両です。内訳は

189系 M50, M51,M52編成 18両
201系 1両
E233系 
T1~T42 10両貫通編成 
H42~H59 6+4両編成 H59編成はこの春に青659 青459編成からH59編成に
青660~670 460~467

貨車 ホキ800形 バラスト輸送・散布用

Dsc05971          センターの表札

Dsc05972          エントランス

その後、中央快速線の主力も103系201系E233系と変化しましたが、ラインカラーはオレンジで、ポスターのオレンジ基調もそれを意識してのものでしょう。

20151107_1 20151107_2
オレンジへのこだわりはこちらにも出ていますが、

豊田センターに保管されているクハ201-1の撮影体験、工場内の展示物(パンタ、輪軸など)、洗浄線乗車体験、そしてなんと言っても収容線に並んだ車両群が興味を惹きました。

151107_2 検修庫内のクハ201-1 保留車とE233系編成 左からH56, T34, T26 庫外はT20編成

因みに今回の公開で収容線に並んだ編成は 北側から

E233系 H48編成、青664編成、H53編成、T11編成、T39編成、青661編成、青662編成、青463編成、T20編成
E231系 A520編成
189系 M52編成、N102編成
211系 N323編成、N603編成
651系 K105編成

庫内
E233系 T26編成 T34編成 H56編成、青467編成
クハ201-1
でした。

M52n102_151107
個人的にはこれまで青梅線などを訪問してもなかなか撮影が出来なかったE233系青編成が一気に撮影出来たことが収穫でした。また昨年12月にグレードアップあずさ色に塗色変更されたM52編成の車内を観察できたのも収穫でした。

Img_2669
最後にぐるっと外を回って敷地外から展示車両の様子を撮ってみました。何回かに分けてトピックをレポート致します。

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2015年11月11日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 34 常磐緩行線1000番台の改造、快速線へ その1

通勤電車103系の登場からの歴史を線区別に見てきていますが、今回は常磐緩行線に投入された103系1000番台のその後です。

1031000_52 103系 1000番台 52編成 松戸

1971年4月20日に常磐線北千住~我孫子間が複々線化され、緩行線の地下鉄千代田 線乗り入れが開始されました。103系1000番台はそれに先立ち、8M2Tの10両編成が昭和44年度第4次債務予算(山手線試作冷房車1編成と同じ時 期)において4編成製造され、千代田線乗り入れ開始前の一時期、地上区間で運用されたそうです(私はその頃は 常磐線沿線に関しては全く縁がなかったので知りません)。

さらに昭和45年度民有予算で6編成、昭和45年度第1次債務予算で6編成の計16編成が製造されました(関連記事)。

10両編成でも6M4Tではなく8M2Tとしたのは千代田線内の最大33‰勾配区間で自走不能となった場合に別編成で救援可能という乗り入れ条件を満たすためだったそうです。1編成にM'車が4両入るため、MGも10kVAのMH124-DM77 (基本番台は20kVA, MH97-DM61) となりました。このMG 10kVAの件は、後年105系化改造の際に問題となり、奈良電車区に投入された改造車ではそのまま流用されましたが、可部線広島地区に投入された車両では20kVAのものに換装されました。

千代田線の営団側の主力車両は現在も活躍中の6000系、回生ブレーキ付き電機子 チョッパ制御車で、消費電力の違いは明白であり、さらに103系1000番台は抵抗器の排熱でトンネル内温度が上昇し、単線シールド区間での抵抗器の放 熱・冷却も十分でなかったため故障が多発し、運行ダイヤに影響を及ぼすこともあったそうです。電力消費量の違いから相互乗り入れでの双方の距離に応じた相 殺が出来ず、国鉄は電気代を営団に請求されることになりました。国鉄としてはこの問題を解決するために1982年から電機子チョッパ制御方式の203系を投入し、103系1000番台は同線を追われることになりました。

203_72_850429 まだJNRマーク時代の203系 72編成 1985/4/29 亀有
1984年4月1日時点での編成表データによると203系0番台は71~78編成番号が与えられていました。1986年11月1日時点では100番台も増備され、0番台8編成は51~58、100番台9編成は61~69となりました。

105系への改造

1984年の奈良線、和歌山線五条~和歌山間、紀勢本線和歌山~和歌山市間電化開業用、可部線旧形車置き換え用として、103系1000番台56両のほか、他区で余剰となっていた0番台5両の計61両が改造されました。1000番台はクハ105基本番台、クモハ105-500番台、クハ104-500番台に改造されました。

1
表1 クハ105 基本番台への改造 

この表のように14両が改造されました。クハ105-7は1990年3月の踏切事故で廃車となりましたが、運転台部分は後述のように別の改造車に引き継がれています。

105_841207 クハ103-1031 から改造されたクハ105-9 1984/12/7 京都

105_w11_120317 クハ105-9    2012/3/17     桜井
同車は現在、地域カラー青色になっています。

105_k12_141219_6
105_1051_k12_141219 クハ105-1 元クハ103-1016 K-12編成 2014/12/19 広島

105_k14_141219_2 105系 K-14編成として活躍する クハ103-1030  改造のクハ105-12 2014/12/19 広島

2

表2 クモハ105-500番台への改造

モハ103-1000, モハ102-1000から32両が改造され、新造車に準じた運転台が取り付けられました。種車が異なっても性能は同じに統一されました。

105519_080226 クモハ105-519 2008/2/26 和歌山

105_w11_120317_3 同車 2012/3/17 桜井

3
表3 クハ104-500番台への改造
(これらの表を作成するにあたり、103系側のデータはCan Books 103系物語 毛呂信昭著、105系側のデータは「きはゆに資料室 別館」のデータを参考に致しました。

以前、101系の記事でも触れましたが、モハ102-1000を電装解除し、台車をDT33形から101系廃車発生品のDT21T形付随台車に交換し、運転台は新造車に準じたものと取り付けたタイプです。

105_tc501_120317_3 クハ104-501 2012/3/17 高田

これら以外にモハ102-385から改造されたクハ104-551が踏切事故で廃車となったクハ105-7の運転台を切り継いで、電装解除105系化されており、顔は103系1000番台クハの顔となっています。次回は、常磐快速線に転用された103系1000番台の話題です。

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2015年11月10日 (火)

San Diego Trolley 2000形 part9

San Diego Trolley 2000形の話題、今回は2041, 2042, 2043, 2044号の写真を紹介致します。

2041_080116_5th_street3 2041号 2008/1/16  5th Street

2041_150111_america_plaza 2015/1/11 America Plaza

2008年に撮影した時は標準塗装でしたが、今年はこのような広告塗装になっていました。

2042_080116_fvtc 2042号 2008/1/16 Fashion Valley Transit Center

2042_090114_america_plaza2 2009/1/14  America Plaza

2042_150116_santa_fe_depot 2015/1/16 America Plaza

2042号の方は2009年に広告塗装を纏い、2015年には通常塗装に戻っていました。手前の線路はAmtrakの線路で、奥が操車場、手前の背後にSanta Fe Depotの駅があります。

2043_090114_america_plaza3 2043号 2009/1/14

2044_090114_std 2044+2042+2034 の3併結編成 2009/1/14

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2015年11月 9日 (月)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 15 クリスマス電車 200形

昨年12月今年8月に訪問した広島電鉄の話題、今回は昨年12月に偶然見かけたクリスマス電車の話題です。

141219 クリスマス電車 238号 2014/12/19 紙屋町東 電停

今年も恒例のクリスマス電車が12月12日(土)から24日(木)まで運行されるとのアナウンスが広島電鉄からあったばかりです(情報)。

形式は200形(二代目)と言い、半鋼製の2軸単車で1950年ドイツ・デューエヴァーグ(Duewag)製です。元は1928年製のハノーファー市電の一両が第二次世界大戦で被害を受け、車体を新造し活躍していたものを1988年に譲渡されたものです。そういった経緯から「ハノーファー電車」として親しまれている車輌です。

定員 46名 (着席24名)
車体長 11,100 mm
車体幅 2,280 mm
車体高 3,750 mm
車体重両 10.1t
モータ出力 46kw x2
駆動装置 吊り掛け方式

客用窓は固定式で大きく、ドアは2枚引き戸方式、出入り口と客室感に仕切りがあります。固定式クロスシートで木製です。ドイツではAufbauwagenと呼ばれる所謂、戦災復興車で、ドイツ、オーストリア、ポーランド等に向けて大量生産されたKriegstraßenbahnwagen (KSW)型です。

141219_2
屋根上中央に1基のパンタグラフ、さらに抵抗器を積み、台車は板台枠方式でモータ出力も付随車を牽引できるように強力となっています。制御方式は直接制御式で制御器は床下に装備され、両運転台から伸びたシャフトによって操作します。抵抗器があるために冷房装置が設置できず、通年の運行には向かず11月から3月にかけて日曜祝日に横川線で営業運転されています。

6038_m4_090418_alexanderplatz 旧東ベルリン地区で見かけた似た車体構造の路面電車 2009/4/18 Alexanderplatz

Strassenbahn_d_4005_100202_augasse Wien の市電 付随車を牽引して走るのをよく見かけ、終点では折り返さず、ループ線をまわって反対方向に進みます。 2010/2/2 Augasse Wien

車歴は特徴的で、1950年復興後、1976年までハノーファー都市交通事業で活躍し、一旦ドイツ路面電車博物館 (DSM:Deutschen Straßenbahnmuseum)に保存されました。1988年に広島市がハノーファー市西毎年提携5周年記念で茶室を寄贈した返礼にハノーバー都市交通事業に戻っていた当車が広島市に寄贈され、広島電鉄に入線しました。

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2015年11月 8日 (日)

公園保存車輌 名古屋市電 1603号 刈谷市交通児童遊園

全国の公園等に保存されている車輌を見て歩くシリーズ、今回は前回と同じ刈谷市交通児童遊園に保存されている名古屋市電1603号です。

1603_140812 名古屋市電 1603号 ワンマンカーのスタイルで保存 2014/8/12 刈谷交通児童遊園

私は全く名古屋市電に関しては知識が無かったのですが、名古屋市電は京都市電に次いで日本で2番目に開業した電気鉄道でした。設立は1898年(明治31年)のことで、当時は愛知馬車鉄道として1894年に設立され、1896年から社名を改めた名古屋電気鉄道による開業でした。

市内路線の他、都市間輸送を担った「郡部線」(現在は名鉄犬山線や津島線に)も建設され路線に組み込まれました。1914年9月、不況下で高額の運賃に不満を持つ市民が暴徒化し、電車や施設が焼き討ちされる事件が発生し、1922年名古屋市が名古屋電気鉄道を買収して名古屋市電となりました。買収に先だって名古屋電気鉄道は郡部線を旧名古屋鉄道に売却し、旧名古屋鉄道は1935年愛知電気鉄道と合併し、名古屋鉄道(名鉄)となりました。

1603_140812_2
そういった経緯から市電買収後も名鉄の電車が市電に乗り入れるのが続いたそうです。一方、名古屋市内には中村電気軌道・新三河鉄道・下之一色電車軌道・築地電軌などによる路面電車も走っており、これらも順次市営化され、1937年に一元化されました。

市営化後も路線が拡充され、さらに1943年からはトロリーバスも運行されました。ただこちらは試行的なものでもあり、1951年に全廃となりました。1959年3月25日の東山公園-星ヶ丘間開業で総延長106.3kmで最大になりましたが、1960年代半ばから電力料金や設備維持費が増加し、モータリゼーションの発展で定時運行の確保が難しくなり、市では地下鉄整備することで市電を撤去することになり、1974年3月末をもって全廃となりました。

1603_140812_3

1600形は休憩ボギー車や老朽化した単車を一掃する目的で1950年12月に15両、1951年までに計76両が製造され、日本初の路面電車のワンマンカー車輌でした。製造は日本車輌製造・新潟鐵工所・日立製作所・愛知富士産業の4社が担当しました。

スタイルは1400形以来の流れを汲む12m級の中型車で1500形と基本的には同じですが、中央扉を無くして片側2扉としたところが最大の特徴でした。50PSのモーターを2基搭載しKS40Jもしくはブリル76E2類似のコピー台車を履きました。

1603_140812_4

1954年2月から、合理化を目的として、一部の車両が日本で初の路面電車としてワンマン化改造されましたが、両端2扉の配置は乗務員にとってはミラーによる確認がし辛く不評だったとのことです。1971年から非改造車、1972年3月には全車が廃車となりました。

1603_140812_2_2 停留所の様子も再現してありました。

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2015年11月 7日 (土)

東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part2 MT46

前回は吊り掛け式モーターの話題でしたが、今回からは新性能電車に搭載された電動機の話題です。

Mt46_150822
101系など新性能電車第一期車両に搭載されたMT46電動機

101_7803 お茶の水に接近する中央快速101系 1978/3

1957年登場の101系から始まる新性能電車用に東洋電機製造が原設計を担当し、試作車に搭載した直流直巻整流子電動機がMT46形、量産車からはMT46A形となりました。

                      1時間定格    連続定格
出力 kW                          100                  85
電圧 V                           375                 375
電流  A                        300                255
回転数rpm 全界磁              1860      2000
              弱め界磁              3180             3600  

旧形電車に用いられたMT40形に較べ高回転化することで、大幅な小型軽量化に成功し、重量は660kgで1/3に、端子電圧も並列接続時に4個直列となるので、375Vに下げられました。発電ブレーキ使用時には電圧が定格の2倍程度まで上昇するため低電圧化は必要でした。駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式となりました。

主制御器も新開発のCS12(試作)、CS12A(量産)となりました。2両分8個の主電動機を制御する多段式電動カム軸制御器で

制御電圧                   DC100V
制御空気圧力                5.0kg/cm2
制御段数         力行    直列全界磁 13段
                      並列全界磁  11段
                                               並列弱め界磁 4段
             ブレーキ   直列      13段
                     並列      11段

旧形に比較すると段数が増えて、電流変化が減り、運転が円滑になり、発電ブレーキの追加で制輪子の摩耗も減少しました。CS12形制御器はその後、1991年製の415系1500番台最終増備車まで長きに渡って製造されました。

101系試作車は全電動車方式で構成され、混雑度に応じて限流値を変化させ、3.2km/h/sと一定の加減速度が保てる応荷重弁機構が採用されていました。

限流値 空車時 350A 満車時 480A

架線温度の上昇や変電所容量 (10両全電動車でピーク時5600A) の問題があり、試作車営業運転からこの装置の使用は中止となり、乗車状態にかかわらず、限流値ハ280A、ピーク電流は編成あたり、3650Aと固定されました。

全電動車編成でありながら、100%乗車時の起動加速度は2.2km/h/sであり、旧形車6M4Tの100%乗車時の2.0km/h/sと大して変わらないこと、製造コストの高い全電動車方式から中間に付随車を入れ、8M2Tから6M4TへとMT比が下げられて行くことになりました。最終的に6M4Tが限界という結論に達し、中央快速線の場合、限流値は380A固定となりました。山手線は350Aになりました。

101系における全電動車方式が困難になった頃、新たな方式の通勤電車開発のために、1960年、電力回生ブレーキ付きの試作ユニット クモハ101-クモハ100 910番台が1組試作されました。まだ大容量半導体技術が未熟で磁気増幅器による回生方式だったため、制御機器の重量増、保守困難、回生失効が問題となり、導入は見送られましたが、このときに搭載されたモーターがMT50形でした。1964年には電装解除され、クハに改番され、1979年に廃車となりました。

特急形電車では1958年登場の151系がMT46A、1961年度以降の増備車は脈流対策済みのMT46Bとなりました。歯車比は3.50 (22:77)、弱め界磁率は35%でした。

151系時代の1962年6月のダイヤ改正で特急「つばめ」1往復が広島まで延伸されましたが、MT比1:1の編成では瀬野八越えが出力不足となるため、上り列車の広島~八本松間ではEF61が補機として連結されました。

1962年登場の161系では20‰の勾配が続く山岳線の上越線を走破するために157系と同様の歯車比 4.21(19:80) が採用され、主制御器も抑速ブレーキ装備のCS12Cとなりました。

東海道新幹線開業後の転用では151系と161系を共通化するため主電動機をMT46AもしくはMT46BからMT54 (120kW)に換装し、歯車比は3.50、弱め界磁率は40%に統一し、181系化する改造が行われました。制御器もノッチ戻し制御が可能で抑速ブレーキ付きのCS15Bになりました。

出力増強により、10‰勾配における均衡速度は120km/hに上がり、481系と同様になったため、山陽特急では補機連結が無くなりました。

この際に151系から降ろされたMT46A電動機の一部がその時点でまだ製造されていた101系に流用されました。

181_1815_7207_1s 既に181系化されたものですが、帯無し、長スカートと上部ライト付きと151系時代の面影を残すクハ181-5 1972/7 岡山

急行形電車では同じく1958年登場の153系、修学旅行用電車の155系、159系、特別準急電車の157系、交直両用の451系がMT46AもしくはMT46B(451系)で登場しています。153系も最盛期の東海道本線急行 (MT比1:1編成) が広島まで乗り入れる際には上り列車にEF61形電気機関車+オヤ35形控車の補機が連結されました。

これらの系列において歯車比は全て 4.21で共通です。

153_810103_10 保土ヶ谷付近を行く153系 1981/1/3

近郊形電車では1960年登場の交直両用の401系、421系ではMT46BとCS12Bで制御する方式で登場し、1963年111系がMT46A搭載で登場しました。しかし、ほぼ同じ時期に強力型モーターMT54が開発されため、403,423, 113系へ移行しMT46系搭載形式は短期間の製造に留まりました。

これらの系列の歯車比は 4.82 (17:82)です。

401 常磐線 401系 低運転台クハ先頭の4連 上野205_141018_2
奥の車両がデハ205 2014/10/18 高崎

これら以外に101系からの改造、主電動機などを流用した系列として、123系、クモヤ145形、クモル145形、クモユニ147形などがあります(関連記事123系145系)。JR東海の123系7両は、2001年にモーターがMT54に換装されました。

1201_060826_4 上信 デハ1201 2006/8/26 高崎

私鉄では小田急3000系(初代) SE車が東洋電機製造 TDK806/1-Aを搭載しており、規格性能は国鉄MT46Aと同じかと思います。上信電鉄のデハ200形も東洋電機製造 TDK806/4-Dを搭載しています。同社の1000系も改良型のTDK806/6-Gを搭載しており、出力は100kWです。同じタイプのモーターは静岡鉄道1000形にも搭載されています。こうして調べて行くと鉄道友の会 福井支部報 わだち No132に興味深い記事がありました。TDK806シリーズが国鉄では101系に私鉄では上記以外に伊豆急100形 (806/2-B)、京王井の頭線3000形初期車 (806/3-C)に搭載されていたことが分かりました。

101hm_150822今回の展示では101系さよなら運転時のHMも展示されていました。

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2015年11月 6日 (金)

東海道新幹線開業から50年 その24 ひかりプラザ「新幹線資料館」

前回の記事では1969年に製造された951形試験電車について触れましたが、今回はその951形が保存されている国分寺市ひかりプラザ951-1の車内の様子について触れようと思いま
す。

151004 現在の鉄道総合技術研究所 正門から 2015/10/4

151004_2                    表札

国分寺市光町にあります。前回の記事の細井さんのコメントにもありましたが、一帯は元々「平兵衛新田」と呼ばれておりましたが、鉄道技術研究所で新幹線の基礎研究が行われていたことにちなんで「ひかり」号から名前をとって光町となったそうです。

私も小学校が国立駅の南側にありましたので、国立駅の北側にはよく来ており、当時は戦争中に掘られた防空壕などが残っている場所もあり、そこで遊んだのを記憶しています。かつては国立駅から鉄研までの引き込み線もあり、そこを伝わって歩いたことも思い出されます。

151004_3

ひかりプラザ 本館玄関 2015/10/4

ひかりプラザは鉄道総合研究所の正門前に道を隔てて向かい合って建っており、地上5階、地下1階の建物です。国分寺市の社会教育課、教育センター、教育委員会などがオフィスを設けており、新幹線資料館は本館に併設されています。

151004_4
新幹線資料館の案内板

951-1の車両1両分が資料館となっており、

151004_17 なぜか1993年までですが、「新幹線のあゆみ」 さらには1907年から1994年までの流れを詳細に紹介したパネルもありました。

151004_14
東京~大阪間の所要時間の変化

151004_16
日本の新幹線に

151004_15
ヨーロッパの新幹線 などの写真展示

151004_22 151004_21 新幹線スピードアップのために研究されたロングノーズモデル SUS

151004_19 さらには風洞実験用ですか、木で製作された流線型モデルもありました。

151004_10 架線やレール関係の展示もありました。

951_151004_252 3列分のシートもあり、読書が出来るようで

151004_8 「しんかんせんぶんこ」として鉄道雑誌や、研究所の広報誌などのバックナンバーもありました。

151004_25 さらにNゲージのレイアウトもありました。

研究所の成果報告集などは時間のあるときにじっくり見てみたく思いました。

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2015年11月 5日 (木)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 13 通勤車両 VB2N

このシリーズ前回は現代フランスの2階建て通勤電車でしたが、今回のリヨン駅で見かけた列車はそのひとつ前の世代に当たる、2階建て通勤客車 VB2N Voiture de banlieue à 2 niveauxです。

2_8606_gare_de_lyon 今では恐らくリヨン駅では見られないVB2Nの制御客車 1986/6 Gare de Lyon

日本では連結器の強度の問題や、動力分散化が推進されたため、機関車+客車スタイルの通勤列車は早く無くなってしまいましたが、ヨーロッパでは終着駅で機関車の入れ換え、機廻しをしないタイプの通勤、近郊形列車が現在も盛んに運転されています。

今回はフランスの例ですが、ドイツなどでもベルリン近郊を走る列車などにこのタイプは多く客車側のエンドにも列車の制御ができる制御客車が連結されています。

VB2Nは1933年から1934年にかけてState Railway (フランス国鉄)が製造した二階建て客車 Voiture État à deux étages 国鉄ダブルデッカー客車の後継車で、20世紀に入ってパリ近郊とパリ中心部を結ぶ鉄道旅客輸送の増大に対応して製造されたものです。列車を増結するよりは客車の定員を如何に増やすかを優先して出てきたのがダブルデッカー車でした。登場当時は141 TC Ouest141 TD Ouestなどの蒸気機関車が牽引もしくは推進していました。

客車の両端にドア付きのコンパートメントがあり、内部のコンパートメントとは車内で行き来が出来る構造で、2階席は5列、1階席は4列の座席でした。蒸機が推進する場合は客車側の制御室から客車を通り抜ける空気パイプに圧搾空気を詰めてコントロールしていました。

今回のVB2Nは1974年から1984年にかけて製造されたもので、CIMTやANFで589両製造されました。主にSaint-Lazare駅、北駅、Montparnasse駅からのネットワークに使用され、さらにRER E線が出来るまでは東駅やTournan駅からのネットワークにも使用されました。

牽引・推進する機関車は2006年後期から2007年初期にかけて SNCF Class BB 27300になり、2012年からはMontparnasseに限り、SNCF Class BB 7600になったそうです。Saint-Lazare駅線や北駅線ではSNCF Class BB 17000が担当しています。

車内にはトイレもあり、停車駅のアナウンスは音声でも画面でもなされます。最高速度は140km/hです。

私が撮影した写真では側面の様子がわかりにくいので、
以下のサイトの写真をご覧になればその様子がよくわかります。

Railpictures.net 1

Forums LR PRESSE 1

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2015年11月 4日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その3 「あけぼの」「出羽」 part2

2014年11月15日の尾久車両センターでのHM展示から、それぞれの列車の歴史を振り返っていますが、今回は前回に引き続き、寝台特急「あけぼの」の歴史です。「出羽」も登場します。

Ed75_715 ED75 715号機牽引の「あけぼの」 まだHMが復活する前の写真です。 東能代~鶴形

1982年11月15日、東北・上越新幹線開業に伴い、1978年10月改正以来、12系客車に従来型寝台車を連結した座席車主体の急行「津軽」2往復のうち、1往復を24系25形客車として寝台特急「あけぼの」に格上げし、「あけぼの」は3往復体制となりました。「津軽」のもう1往復は20系使用となりました。

10_810113 20系化される前の急行『津軽」 1981/1/13 上野

ハザは12系、10系のA寝台車、B寝台車に荷物車を連結した編成から「津軽」であると思います。

20_8308_2 20系化された急行「津軽」 1983/8 森岳付近

Ed75_775 ED75 775号機牽引の「あけぼの」 東能代~鶴形

 

Hm_141115_2

寝台特急「出羽」はこの改正で設定されています。
出羽と鳥海の2種類の急行を統合して格上げしたものですが、出羽の名称は1960年6月の改正で上野~新庄間を東北・奥羽本線経由で結ぶ毎日運転の不定期夜行急行として新設されました。1961年10月には急行に格上げされ、1963年10月には陸羽西線経由で酒田まで延長され、気動車化されました。

2424_830100 金沢行き特急「北陸」と並んで出発を待つ寝台特急「出羽」 1983/1 上野高架ホーム

2424_830102_3 秋田に到着した24系24形「出羽」 1983/1/2
オハネフ24のジャンパ栓受けは登場時は妻面にありましたが、既に台枠に移設済みです。

一方、鳥海という名称は1950年12月、上野~秋田間を東北・奥羽本線経由で運転開始された夜行急行「鳥海」 401・402列車が始まりで、1956年11月には青森まで延長され「津軽」と改称されるも、1965年10月1日、それまで新潟~秋田間に運行されていた気動車急行「羽越」が上野まで延長され、「鳥海」と改称されました。1968年10月1日の改正では従来、「羽黒」と名乗った羽越本線経由上野駅 - 秋田駅間運行の夜行列車も「鳥海」に統合され、季節列車も含め3往復体制となりました。

Ef65_1014_820905 EF65 1014号機牽引で出発待ちをする「あけぼの」 1982/9/5 上野

1983年7月1日、季節夜行急行「おが」の14系座席車と定期夜行急行「津軽」の使用客車20系を交換。

Ef65_1019_000000

 その後、レインボー牽引機に抜擢され赤く塗装される前のEF65 1019号機が推進回送する20系急行「おが」 日暮里

1984年2月1日
、夜行急行「津軽」の座席車の一部をB寝台車に置き換え。

1985年3月14日、東北・上越新幹線上野乗り入れで、昼行気動車急行「おが」、季節夜行急行「おが」が廃止されました。ただ、夜行の方は20系客車で上野~秋田間で多客期に運転されました。「津軽」は全車座席車に変更されました。

Ef65_1027_000000 この改正で寝台特急牽引機に全国的にHMが復活し、EF65PF(1027号機) 「あけぼの」のHM付きの姿も初めて撮影できました。

Ed75_752 ED75 752号機 鶴形~富根間

Ed75_744 ED75 744号機 1993/8/7 鶴形~富根間

1986年11月1日、国鉄最後のダイヤ改正で編成の減車が実施され「あけぼの」は電源車を含めて10両編成体制になりました。

1988年3月13日、青函トンネル開業によるダイヤ改正で「北斗星」が設定されたため、車両捻出措置として、「あけぼの」1往復が廃止されました。

1990年9月1日、山形新幹線第一期建設工事により、「あけぼの」の運行経路が、一往復は東北本線、陸羽東線、奥羽本線経由、(名称はあけぼの)、一往復は高崎線、上越線、信越本線、羽越本線、奥羽本線経由(名称は鳥海)と変更になりました。

今回はここまでです。

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2015年11月 3日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 20 C62 2号機

昨年8月の梅小路蒸気機関車館訪問の記録もこのC62 2号機で、最後の機関車紹介となります。

C62_2_140810_10 台風接近による大雨に打たれるC62 2号機 2014/8/10 梅小路蒸気機関車館

沖田祐作氏の機関車表データによりますと、

C622      日立製作所笠戸工場=1930         1948-05-20 S88.00t2C2T(1067)
   車歴;1948-05-20 製造(ボイラーD52455)→ 納入;国鉄;C622→ 配属[達181];広島局→
      1948-05-29 落成→1948-06-14 配置;糸崎→1948-06-19 使用開始(到着日?);広島局→
      1950-08-10(8/12 着)宮原→1951-00-00 頃つばめマーク取付→
      1953-01-00 重油併焼装置取付(鷹取工場)→1955-01-00 標準型に改造→
      1956-11-25 保留機関車に指定;吹田保管→1957-01-08 保留機関車指定解除→
      1957-01-19 新缶交換(鷹取工場)→1957-01-21(22?)宮原発→
      1957-02-07 小樽築港→1958-01-00 重油併焼装置交換→
      1972-09-13 発;梅田→1979-03-28 廃車;梅小路→
      1972-10-10 動態保存;京都府「梅小路機関車館」;C622;梅小路→
      1987-04-01 動態保存;京都府JR 西日本「梅小路機関車館」;C622;梅小路運転区→
      以下略(最終走行距離=2,595,012㎞)→2008-04-01 現在;梅小路運転区

日立製作所笠戸工場でD52455号機のボイラーを流用して落成したのが1948年5月20日で、新製配置は広島局糸崎機関区でした。山陽本線、呉線でC59などとともに活躍を始め、2年後の1950年8月には宮原区に転属となっています。状態が良かったため、特急牽引機の大役を担うようになり、特急装備一環として、左右のデフレクターに「ツバメ」のマークを付けることになります。
C62_2_140810_2 D51 200号機と並んでもD52由来のボイラーの太さが分かります。

このマークは1951年鷹取工場で1950年に登場した冷蔵車レ10000形の内装用ステンレス板から切り出して一対のスワローマークが製作され、取り付けられたそうです(情報)。

1956年11月19日の東海道本線全線電化で特急「ツバメ」号牽引の大役はEF58に譲り、ボイラーも新しくし、軸重軽減化改造を受けて、翌年1957年2月北海道に渡ります。苗穂工場で耐寒耐雪改造を受け、小樽築港機関区に配属となりました。

1957年2月の着任当初は急行「大雪」(函館~網走間を1,2レとして走行)の函館~小樽間を牽引、長万部~小樽間は重連。
さらに同年10月からは急行「アカシヤ」(3,4レとして函館~札幌を走行)の函館~小樽間(長万部~小樽は重連)を牽引。
さらに夜行急行「まりも」(7,8レとして函館~根室間を走行)の函館~小樽間(長万部~小樽は重連)を牽引。
1961年10月には、急行「大雪」は11,12レで函館~札幌間に。急行「アカシヤ」は急行「オホーツク」になり、気動車化。急行「まりも」は根室~釧路間が廃止され、函館~釧路となりました。
1962年10月、急行「大雪」は編成が7両となり、重連運用は解消されました。さらに1963年6月、急行「大雪」は急行「ライラック」に改称されました・
1965年10月、急行「ていね」(105,106レ函館~札幌)が新設され、函館~小樽間(長万部~小樽は重連)をC62が担当となりました。
1966年3月、夜行急行「たるまえ」が新設され、こちらも担当となります。
1968年10月、夜行急行「たるまえ」は急行「すずらん」に統合され、急行「ていね」から名称変更された急行「ニセコ3,1号」が函館~札幌間に走り始めました。
1971年9月15日、C62牽引はDD51に任を譲り、急行運用から離脱しました。その後、普通列車137レ、132レを牽引する余生を送りましたが、梅小路機関区での永久保存が決定し、1972年8月27日、小樽~岩見沢での臨時列車牽引を最後に、現役を引退しました。翌9月、梅小路機関区へ動態保存の為に、転配されました。

C62_2_740929_5 1974年9月29日訪問時のC62 2号機 梅小路蒸気機関車館

C62_2_740929_9
正面から デフレクターの点検窓は小樽築港時代に開けられたそうです。

今回、この記事を作成するにあたり、「C62 2号機新旧写真資料」=茜堂様のサイトの情報を参考にさせて戴きました。私自身、北海道に初めて渡ったのは1974年3月で、函館本線のC62終焉後でしたので、サイトの内容は大変参考になりました。

C62_26_920313 C62 26号機 1992/3/13 交通科学博物館
 

来年開館する京都鉄道博物館ではかつて大阪の交通科学博物館に保存されていたC62 26号機も展示されるようで、前回の1号機と合わせてC62 3両が集結することになりそれらが如何に展示されるかも楽しみです。

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2015年11月 2日 (月)

小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 7 634型 スカイツリートレイン

小菅付近の東武スカーツリー線(伊勢崎線)を行く列車を系列ごとに見ているシリーズ、今回は前回の6050系から2編成改造された634型スカーツリートレインです。

634_150429 634型 スカイツリートレイン 2015/4/29 小菅

6050系編成の中から6177F6178Fを総合車両所横浜事業所で改造した車輌で、スカイツリーの高さ634mにちなんで東武634型電車「スカイツリートレイン」と命名されました。東武では同一系列内で改造で誕生した車輌は「型」を使うそうです。通常、2編成併結で運行されます。

デビューは2012年10月27日、東武トラベル主催の日帰りツアーの団体専用列車で浅草~東武日光間運行されました。

車内は150mm高床化し、トイレや腰掛けをバリアフリー化し、展望窓を設置しました。腰掛けはセミクロスシートからリクライニングシートに変更され、モハ634-01形が山側は窓側を向いたペアスイート席、海側は1列配置のシングル席に、モハ634-02形は山側は1列配置のシングル席、海側はツイン席に変更されました。ペアスイート席以外は回転可能でひとり旅から、2~4人旅に対応した組み合わせになっています。

634_150530 2015/5/30 小菅

外観塗装は白をベースに634-11編成(元6177-6277)が『青空』をイメージした青系、634-21編成(元6178-6278)が『朝焼け』をイメージした赤系の水玉模様と東京スカイツリーのデザインになりました。水玉模様は地上で放たれた風船がスカーツリーを中心とした空に舞い上がる様子をイメージしているそうです。

扉は1両あたり片側2カ所でしたが、改造で、運手席背後にサロン席や荷物棚を設置したため、運転席よりの出入り口は撤去されました。トイレのバリアフリー化に伴いトイレ近くの出入り口が移設されました。シートは634-11編成が青系、634-21編成が赤系となっています。

現在は土曜日は 大宮~浅草間の上り2本、浅草~鬼怒川温泉間の1往復、浅草~新栃木間の下りに、日曜日は浅草~鬼怒川温泉間の1往復、東武日光~浅草間の上り、浅草~新栃木間の下りで運行されています。

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2015年11月 1日 (日)

江ノ電を撮る 車輌編 その7 2000形

江ノ電の車両を登場順に見ているシリーズ、今回からは2000形です。

2001_150103 2001 2015/1/3 江の島駅を出て、腰越までの路面区間に入る

2000形は老朽化が進んでいた600形の置き換え用として1990年から1994年にかけて東急車輌製造にて2両編成3本が製造されました。

2051_150524

2051 2015/5/24 峰ヶ原信号場

従来車両に較べ、前面の窓ガラスは一枚大型ガラスとし、側面窓・客用ドアのサイズも拡大されました。車体はステンレス鋼が採用され、外板は耐候性鋼板となりました。台車・主要機器は1500形に準じた構成となりました。

2052_150103 2052 2015/1/3  龍口寺の門前

2002編成はコカコーラの部分広告

室内は両車端部はクロスシート、その他はロングシートで観光・通勤通学輸送の両面に適応した車輌となっています。車内自動放送装置も導入され、当初はテープでしたが現在はデジタル方式になっています。

集電装置は江ノ電唯一の下枠交差式パンタが導入されました。

2052_150620 2052  2015/6/20 長谷~極楽寺

2003_150103_2 2003 2015/1/3 腰越~江ノ島路面区間

2003_150524_2 2003 2015/5/24 鎌倉高校前~峰ヶ原信号場 海が見える踏切

2053_150620 2053   2015/6/20  極楽寺トンネル東口

2003編成は明治の広告電車となっています。

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