通勤電車シリーズ 103系 36 常磐快速線103系の活躍 終焉まで
このシリーズ、前回の記事で地下鉄乗り入れ用103系1000番台車の常磐快速線での活躍を記述しました。今回の記事ではその後の快速線103系の15連化そしてE231系への置き換えまでについて触れようと思います。
2005/6/18 馬橋
取手方にMcM'を連結した15連の常磐快速103系
1987年12月からの常磐快速15連化に必要な5連の増結編成は、前回の記事にも記述したように205系投入で捻出された山手線103系を京浜東北線浦和区に転出させ、編成の中間に封じ込まれていたMcM'ユニットを常磐線に転属させて組成しました。
2002/4/20 北柏
McM'の中にはAU712で冷房改造された車輌もありました。
1987年12月前後の松戸区への転属を車種別(先頭車のみ)にみてみると
浦和区から
クハ103 基本番台
-125 1987/11/22
-335 1987/11/13
-336 1987/11/22
-395 1987/12/10
-396 1987/12/10
-427 1988/1/31
-428 1988/2/7
-433 1988/2/7
-434 1988/2/11
-465 1987/11/11
-466 1987/11/13
クハ103 500番台
-543 1988/2/7
-604 1987/12/17
-606 1988/2/28
-607 1987/11/26
クモハ103
-81 1987/11/22
-111 1988/2/7
-113 1987/11/26
-122 1988/2/28
-124 1987/12/17
-125 1988/2/20
中原区から
クモハ103
-116 1988/2/26
クハ103
-587 1988/2/26 が見つかります。
2005/7/30 柏
これらの転属車と既存の車両を組み替えて、増結用5連が12編成組成されました。そのうちの6本は McM'MM'T'c 4M1T編成、6本は TcMM'TT'c 2M3T編成でした。基本編成には1000番台の8M2T編成があり、組み合わせによっては12M3T編成となり、架線の電流値が容量を超え、溶断が起こる可能性があったので、4M1T編成は力行回路をカットして2M3Tで運転しました(電気ブレーキは生かされていました)。15両運転に対応して先頭車の運転台のユニット灯も増設されました。
2002/4/29 我孫子
上野方のクハは500番台
1988年にも転入は続き、付属編成は14本に、基本編成は18本になりました。
CS30制御器(超多段式)を試用したモハ103-911~913の3両を電装解除したサハ103-800番台 -802, -801, -803と相棒を失ったモハ102-911、-913がそれぞれ別のモハ103-107, -62とユニットを組み、余ったM'-912、M'-107, M'-62がサハ103-804, -805, -806となり、この頃の松戸区の基本編成に組み込まれていました。
2002/4/27 北小金
1988年12月5日に東中野駅で103系10連に201系10連が追突する事故が発生し、103系の先頭車と201系の最後尾車以外の18両が使用不能となり、車輌不足救済で三鷹区にクハ103-93が転出したのもこの頃(1989/1/23)でした。
この事故は乗客1名、運転士1名が亡くなり、116名が重軽傷を負うという分割民営化後最初の乗客死亡事故として当時大きく報道された様です。わたしは当時、西ベルリンにいたためこの事故に関しては全く知りませんでした。この事故の教訓としてATS-Pが設置されたのですね。
松戸区に転入した先頭車を列挙すると
1988/4/13 クハ103-487 山手区から
1988/4/21 クハ103-488 山手区から
1988/7/18 クハ103-747 山手区から
1988/8/8 クハ103-733 川越区から
1988/12/3 クハ103-283, 284 蒲田区から
1988/12/18 クハ103-702, -709 蒲田区から
1989/7/4 クハ103-746 川越区から
2005/4/9 松戸
1989年度には前回の記事で写真を出した1000番台1編成が三鷹区に転出しました。1991年度には東西線乗り入れ用1200番台の10連化で余剰となった1200番台が転入し、4M1T付属編成が誕生しました。当時、東京通勤で我孫子の留置線にクモハ102-1200番台がいるのは目にしましたが、写真を撮る前に廃車になってしまいました。
2002/8/17 新松戸
1990/7/8 クハ103-757 川越区から
1990/7/18 クハ103-770 川越区から
1990/8/8 クハ103-781 川越区から
1990/8/9 クハ103-792 川越区から
1990/8/12 クハ103-305, 306 川越区から
1990/9/7 クハ103-273, 274 川越区から
1990/9/21 クハ103-795, 798 川越区から
1991/5/18 クハ103-54 豊田区から
1991/10/29 クハ103-1202 クモハ102-1202 三鷹区から
1991/11/15 クハ103-1201 クモハ102-1201 三鷹区から
1993/3/11 クハ103-614 中原区から
1993/3/24 クハ103-352 中原区から
1993/8/21 クハ103-634 クモハ103-151 浦和区から
1993/9/24 クハ103-573 クモハ103-148 浦和区から
1993/10/28 クハ103-623 クモハ103-140 浦和区から
1993/11/13 クハ103-608 クモハ103-123 浦和区から
1994/10/1 クハ103-408, -425 浦和区から -581 京葉区から
1994/10/29 クハ103-785, -519京葉区から
1994/11/30 クハ103-410 浦和区から -415, -572 京葉区から
1995/7/8 クハ103-313 京葉区から
1995/9/7 クハ103-740 京葉区から
1996/3/14 クハ103-304 京葉区から
1996/10/31 クハ103-389 浦和区から
1997/2/19 クハ103-297, 298 浦和区から
1997/5/3 クハ103-391 浦和区から
1997/5/31 クハ103-468 浦和区から
1997/10/25 クハ103-715 浦和区から
表1 2002年4月時点での松戸区 103系基本編成データ
(追記:2023/11/3 11/2のコメントに基づき、ジェー・アール・アール2002年夏号のJR編成表データを再度チェックし、コメントにあるお写真を確認して修正しました。)
表2 2002年時点での松戸区 103系 付属編成と訓練者 編成データ
(追記)23編成のモハユニット-1061, 34編成のクハ-623はAU712
JRR2002夏の編成表から表1、2のように当時の松戸区の103系編成表を作りました。
基本編成の顔は高運転台と1000番台どちらかになっており、T車ではまだ801、804が健在だったことが分かります。一方、付属編成は取手方にクモハ、クハ高運転台、上野方に高運転台、500番台、1000番台とバラエティ豊富だったことも分かります。
2001年にはE231系の新製投入が開始され、103系の淘汰が一気に進められました。2003年度にはE231系は基本10連17本、付属5連19本が揃い、2006年3月17日、103系定期運転終了の時を迎えました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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おはようございます。今朝は冷えますね!
常磐快速103系の15両編成には、ぶったまげました!
103系、山手線に導入のときは8両編成の4M4Tが基本だったはずが、
まさかの10M5Tにまで拡大!
画像に掲載されている
Hゴムでない運転席窓枠ありました!
付属編成の2Mカットという裏技もありました!
東中野の追突事故の日、鮮明に覚えています!
当時、中央総武慣行線はATS-Bだったのでしたね。
投稿: 準急豊島園 | 2015年12月18日 (金) 09時11分
B767-281様こんばんは。何かの書物で読みましたが、常磐線快速電車用に103系電車の台車をグレードアップして、ディスクブレーキ付にしたのにジェーアール化後の転配では全く考慮されず、残念とありました。そもそも高速走行を余儀なくさせる線区に入ったこと、MT比も当初設計とは掛け離れていることなど、やはり103系はとりあえず新性能化して、混雑の緩和をすると言う使命のもと量産されたあだ花なのかしれません。関西方面からもいよいよ姿を消す時期が来たようですね。何か複雑な心境です。
投稿: 細井忠邦 | 2015年12月18日 (金) 21時04分
準急豊島園さま、こんばんは。
今朝はつくばでもこの冬一番の冷え込みだったようで、クルマの屋根の水滴が凍結していました。
常磐線の103系15連、通勤時間にみると片側だけでドアは60カ所、それに超満員の乗客が詰め込まれ、一体あの列車に何人が乗っているのだろうかと思わせるものがありました。もちろん、いまでも15連は当たり前のように走っていますが、103系で運行されると爆音とも相まって、迫力がありましたね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年12月18日 (金) 22時05分
細井忠邦さま、こんばんは。
今同時並行で東武8000系のわだいもありますが、先日野田線、アーバンパークラインと東上線小川町以遠で8000系に乗りましたが、空気バネ台車といい、ふかふかのシートといい、私鉄の103系というには申し訳ない乗り心地の良さでした。
当時の国鉄が造り続けた103系はいろいろな点で改良すべきタイミングを逸して、造られ過ぎた感もありますね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年12月18日 (金) 22時09分
B767さん……こんにちは(^^)常磐線快速って子供の頃は10両のイメージしかなかったですね。15両になった時は準急豊島園さん同様……当時はビックラこきましたね。常磐線快速が15両の運用を開始したのはいつ頃からなんすか⁇
投稿: マスダっち1971 | 2015年12月19日 (土) 15時06分
マスダっち1971さま、おはようございます。
常磐快速線の15両編成運用は、1987年12月から始まったようですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年12月20日 (日) 04時33分
はじめまして!
103系の編成表を探していたらこのページにたどり着きました。
私は90年代によく上野に入り浸っていたので、非常になつかしいです。
そこで、編成表を見ていたのですが
付属編成の34編成のクハ103-623てクーラーはAU712でなかったでしたっけ?
投稿: てつもん | 2017年9月17日 (日) 04時39分
てつもんさま、はじめまして。
コメントありがとうございます。
わたくしも34編成に関しては実際に写真を撮ったのではなく、編成表から書き込んでいるために自信がありません。資料はつくばにありますので、月曜に戻った際に確認致します。もう少しお待ち下さい。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2017年9月17日 (日) 06時55分
てつもんさま、こんにちは。
つくばに戻って、編成表確認いたしました。
仰る通り、21から35の編成グループはAU75のグループですが、23編成のモハ103/102-1061ユニットや、34編成のクハ103-623は例外的にAU712なんですね。
ご指摘ありがとうございました。
本文を訂正しておきます。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2017年9月18日 (月) 14時00分
マト23編成のモハ103-1061+モハ102-1061のクーラーはAU712MG給電仕様です。
投稿: ヒロオミ | 2018年2月18日 (日) 19時37分
それと1000番代地上線転用直後は4M1T+8M2Tの見た目12M3Tで基本編成の1ユニットをカットした10M5T編成も走ってました。6丁パンタは壮観でした。
投稿: ヒロオミ | 2018年2月18日 (日) 19時41分
ヒロオミさま、はじめまして。
ご指摘、ありがとうございます。
こちらでもデータを確認して、後ほど修正致します。
これからも宜しくお願い致します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2018年2月19日 (月) 06時21分
ヒロオミさま、こんにちは。
ご指摘の件、以前にてつもん様からのご指摘で文章の方には追記していたのですが、表2はそのままでした。
今回は表も修正を加えました。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2018年2月19日 (月) 17時16分
こんばんは。
常磐快速線の103系は本当に迫力がありました。今も15両編成の通勤電車は走り続けている訳ですが、やはりあの爆音が列車をダイナミックに感じさせていたのだと思います。(新しい世代の列車は本当に静かですね)
複雑な転配も同一の形式が多く作られたからこそ、国鉄時代の「らしさ」の一つに感じます。
路線ごとに専用形式や番台が作られるようになり、今ではこれも見られなくなりました。
興味深く拝見させて頂きました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
投稿: 風旅記 | 2021年8月 5日 (木) 03時05分
風旅記さま、お久しぶりです。
まさに高度成長期、昭和時代の国鉄が生んだ103系通勤電車の最も華々しい活躍のひとつのスタイルが常磐線快速15連でしたね。
仰るように大量製造され、各線に転配され、移動当初は異色の編成パターンを示したのも同系列の特徴でした。
いまは、まさに各線別に固有系列、あるいは枝番号の時代となり、そういった豪快さがなくなりましたね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2021年8月 5日 (木) 04時22分
AU712車を調べていたのですがこちらの情報とやや食い違うところがあるのでご確認いただけないでしょうか。
10編成サハ103-190 サハ103-293は
クハ103-747
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/tc103/tc103_747.htm
モハ103-1041
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/m103/m103_1041.htm
モハ102-1041
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/m102/m102_1041.htm
ときて次の車両もAU712であり、車両(サハ)が変っていなければ次のサハ103-190はAU712であり、
同様にhttps://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/m102/m102_1044.htm
の奥の車両もAU712であることからサハ102-293もAU712と推定されると思います。
さらに12編成
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/t103/t103_225.htm
からサハ103-225もAU712と思われます。
投稿: 名無し | 2023年11月 2日 (木) 19時57分
AU712車を調べていたのですがこちらの情報とやや食い違うところがあるのでご確認いただけないでしょうか。
10編成サハ103-190 サハ103-293は
クハ103-747
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/tc103/tc103_747.htm
モハ103-1041
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/m103/m103_1041.htm
モハ102-1041
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/m102/m102_1041.htm
ときて次の車両もAU712であり、車両(サハ)が変っていなければ次のサハ103-190はAU712であり、
同様にhttps://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/m102/m102_1044.htm
の奥の車両もAU712であることからサハ102-293もAU712と推定されると思います。
さらに12編成
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/t103/t103_225.htm
からサハ103-225もAU712と思われます。
投稿: 匿名 | 2023年11月 2日 (木) 20時00分
名無しさまとお呼びするのが適当かどうかは別として、貴重なご指摘、特にお写真を引用されてのご指摘、ありがとうございます。
わたしも早速、「2002年夏号」の編成表を引っ張り出してきて、表1のデータを再チェックしました。その結果、書き写した段階でミスタイプしていた点と、原本も間違っている思われた点をまとめて今回修正し、新たに表1としました。
常磐線での103系の活躍に関する本記事はアクセス数が多く、多くの方々が見ておられるようで、こちらもこういったミスは今後も無いように努めてまいります。
ご指摘本当にありがとうございました。これからも宜しくお願いいたします。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2023年11月 3日 (金) 07時30分
B767-281さま
はじめまして。
今でも参考にさせていただいております。
ありがとうございます。
私の祖父母の家が松戸ということもあり、よく103系や415系を利用しておりました。
最初見たときはあの色で爆音であることからインパクトを強く感じたのを思い出しました。
本題ですが、名無しさまのおっしゃっている件に関しまして、勝手ながら補足させていただきますとサハ103-190、サハ103-293はいずれもAU75搭載の車両となります。
貼られているリンクを確認しましたところ、AU712ランボードが付いていないことから90年代初めの写真と思われます。
クハ103-747
モハ103-1041
モハ102-1041
の3両は編成にある通り、マト10に組まれている車両ですが、93年の4月の編成表まではサハ103-805とサハ103-806が間に組成されておりました。
そのサハ103-805とサハ103-806がAU712の分散クーラー車であり、側面方向幕がない特別保全車であることからそれに該当するかと思われます。
サハ103-225の件に関しては、名無しさまのおっしゃる通り、AU712となります。
誠に勝手ながら、長文の補足をさせていただきました。
失礼いたしました。
よろしくお願いいたします。
投稿: 中谷連 | 2023年11月21日 (火) 12時13分
中谷連さま、おはようございます。
松戸電車区の103系編成に関して、大変貴重な情報、ありがとうございます。
今となっていは残された写真や資料のみが頼りの状況ですが、こういった情報は極めて重要と思います。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2023年11月22日 (水) 04時27分
以前の↑の文章について
別な資料から
サハ103-190、サハ102-293ともに製造時はAU75であり、その後変更がなければそのままと思われます。
画像もサハ103-190は確認できませんでしたがサハ102-293はAU75でした。
一緒に写っているのは置き換えられて先に廃車になったと思われる
サハ103-805
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/t103/t103_805.htm
サハ103-806
https://type103.heteml.net/hk/rail/ec/ec103/t103/t103_806.htm
と推定されます。
よってB767-281様の資料が正しいと思われます。
ちなみに他の方が指摘されているようにクハ103-623
http://103photo.kokuden.com/Tc103-0500/0623/19880831-20142.jpg
http://www.103hp.net/Tc3-0623.htm
はSiVなしのAU712と確認しました。、
またクハ103-627も
http://103photo.kokuden.com/Tc103-0500/0627/19890323-20186.jpg
資料ではAU75とありますがクーラーの換装などがなければ
同じくSiVなしのAU712とわかりました。
以上たいへんお騒がして申し訳ありませんでした。
福知山線の記事ともどもたいへん役に立ちました。
ありがとうございました。
投稿: 名無し | 2023年12月27日 (水) 15時32分
103系の冷房の問題、確かに車両ごとに集中式だったり、簡易改造方式だったりと複雑怪奇なことが良く分かりますね。今となっては関係車両は鬼籍に入ってしまっていますが、こうして当時撮られた写真を基に推理するのも鉄道趣味として楽しいことだと思います。
これからも宜しくお願いいたします。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2023年12月28日 (木) 04時44分
始めまして、103系でたどり着きました。
常磐線の思い出、八柱霊園にお墓参りしていたので103系以外にも、いろいろあります。
なかでも印象的だったのは、千代田線乗り入れ開始後、快速に乗っていると同時発車の緩行線電車にぐいぐい引き離され悔しい思いを毎回していました。
当時快速は4M4Tの103系、一方緩行線8M2Tの103系又は営団6000系は6M4Tながら当時としては大出力モーター搭載車両でした。
そんな常磐線には松戸の八柱霊園にお墓参りに行ってました。
私の家は小田急沿線だったのでいつも常磐線緩行千代田線直通電車を利用していました。
勿論最後は駅の少ない快速には抜かれてしまいますが、同時発車では出力に余裕のある緩行線電車の圧勝でワクワクしたものでした。
とこがある日墓参りのあと松戸で待っていると、緩行線の103系と並んで入線してきた快速電車はチョコレート色の電車でした。
それを見て私は今日も加速は楽勝だなと楽観していました。
一瞬我が103系の動き出しが早く、これは競争なならないと思いました。
ところが出遅れた筈の快速旧国編成が轟音と共に迫って来て、力行を続ける我が103系10両編成をジリジリと追い抜き、ついには完全に抜き去ってしまいました。
唖然とする私には旧国にパンタが7~8台上がっていることが、強烈な印象として残りました。
最近わかったことですが、千代田線直通後快速本数不足が問題になり、旧国を7M1Tか全電動(8M)編成に組成し臨時快速と運用したそうです。
確かに
投稿: サクヨウ | 2024年9月 5日 (木) 15時39分
操作間違で途中で送信してしまいました。
続きをここに加えます。
確かに、旧国のモーター出力は比較的大きいので、M車比率を高めれば加速は有利にならますね。
しかし制動力が劣るので余り使いたく無いと当事者の話しでした。
その後103系増備でその一度だけの体験でした。
こちらの不注意で分割しての投稿となってしまいました、大変失礼いたしました。
投稿: サクヨウ | 2024年9月 5日 (木) 15時47分
サクヨウ さま、はじめまして。
まだ常磐線に旧国が走っていた頃の大変興味深いお話、ありがとうございます。
私も常磐線と深く関わり合いを持ったのは1983年4月、大学院を修了し、つくばの研究所に就職してからで、それまでは上野口で見ている程度でした。
特に今回の複々線化完成後、旧国が淘汰されるまでの間のお話は雑誌などの記事でもなかなあお目にかかることが無く大変興味深く拝見いたしました。
これからも宜しくお願いいたします。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2024年9月 6日 (金) 04時30分