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2015年12月 7日 (月)

4扉車 西武2000系 1 その登場の頃

最近は関東地方のいろいろな私鉄の車両について触れていますが、幼稚園時代からお世話になっている西武鉄道が自分の鉄道趣味の原点と言えそうです。

2000_800524 小平を出発する準急西武新宿行 中央の折り返し線には701系 1980/5/24

今回からは1977年に登場した2000系です。1977年登場の2000系と若干形態が変わって1988年に登場した新2000系がありますが、2000系の方は今年になって老朽化による廃車も出始めています。

2000_7707 西武新宿を出発した各停 上石神井行き 1977/7 新大久保のホームから

2000系登場の頃、私は大学3年でした。専門課程に通うため、保谷から池袋、地下鉄丸ノ内線本郷三丁目のルートでした。ただ、学科の本拠地は地下鉄千代田線根津駅に近かったので、途中から東伏見~高田馬場~大手町~根津経由に切り替えた記憶があります。2000系は当時、新宿線の乗車時間短縮のため導入されており、朝夕のラッシュ時間帯は各停、昼間は準急、急行に使用されていました。

2000_800601 各停田無行き 1980/6/1 武蔵関~東伏見 

抵抗制御、吊り掛けモータの赤電や601系、701系、801系カルダン車の冷房改造、HSCブレーキ化改造が盛んに行われていた時代に省エネ車両として界磁チョッパ制御、回生ブレーキ付き4扉車両であったことでかなり異彩を放っていたのは憶えています。

2000_810805 すでに方向幕は急行 本川越行きとなっている西武新宿行 1981/8/5

吊り掛けタイプの赤電がどんどん廃車され、601系以降が冷房改造されて塗色も黄色の時代になって行くということでこの変化を記録しておかなければというのが、私の西武鉄道撮影の原点だったので、それと重なる2000系の生涯はちょうど登場の頃からの記録となります。

2000_820808 現在とは違い、島式ホーム、外側通過線だった頃の沼袋駅を出発する西武新宿行 1982/8/8

1977年当時、西武新宿線は各停6連、池袋線は8連でしたので、2000系もクハ(2001)+モハ4両 (2101, 2102, 2201, 2202) +クハ (2002) の6連で登場しました。もちろん、今と違ってスカート、電連、側面表示器も無しでした。

製造はすべて所沢車両工場で、
2001     1977.2.11
2003     1977.3.31
2005     1977.5.28
2007     1977.7.21     
2009     1977.9.30
2011     1977.11.14
2013     1978.3.30   以上が一次車
2015     1978.5.31
2017     1978.7.28   
2019   1978.9.29
2021     1978.11.29
2023     1979.1.30
2025     1979.3.28
2027     1979.5.18
2029     1979.7.11   以上が二次車
2031     1979.9.4
2033     1979.10.30  以上が三次車

1976年度末から1979年にかけて17編成がほぼ2ヶ月おきに竣工したことが分かります。

2031、2033編成は1983年、新宿線のホーム有効長が延伸されたため、編成が解体され、モハは2両ずつ、2001から2007編成に組み込まれ、改番2301~2308とされ、8連化、両端クハは半数が方向転換され、、新製されたクモハ2401形 (2409, 2411, 2413, 2415)とペアを組むことになりました。このときに、同じ形態の2401~2407編成が製造されました。

クモハ (奇数車) クハ (偶数車)

2401 x2     1983.2.7
2403 x2     1983.3.1
2405 x2     1983.4.7
2407 x2     1983.5.12      
2409         1983.6.13   + 2410 (ex. 2031)  
2411         1983.6.13   + 2412 (ex  2032)
2413         1983.7.13   + 2414 (ex  2033)
2415         1983.7.13   + 2416 (ex  2034)    以上4次車

1983年の秋、所沢車両工場ではこれら2000系2連の製造を終えた後、3000系の3001, 3003, 3005編成が11月、301系311編成も11月に竣工しています。私は1983年4月からつくばに移り住んでいました。

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民鉄:西武鉄道グループ」カテゴリの記事

コメント

B767-281様おはようございます。2000系と言えば、雪でスリップして衝突した事故を思い出します。ベンチレーターが四角の新2000系との合いの子のような車もありますね。この続きも楽しみにしております。

再び おはようございます。

沼袋駅の待避方法が変わりましたね。
下り線の通過線が 速度を相当落としていました。

それに古いレールが置いてあった記憶があります。


小平の電留線にいる701系は、まだFS-072に置換される前のTR-11ですかね。


当時、江古田と桜台のバッティングセンターの前に 高架工事と地下鉄8号乗り入れの看板があり、
この2000系が有楽町線乗り入れかと噂したものでした。


昨今の2000系廃車に2029Fがあったのに驚きました!

2023Fは、妥当だと感じました。
理由は後に触れられるでしょうから控えます。

こんばんは。

西武2000系、遂に廃車が出始めましたね。車齢が比較的若くても構わず6連全部ひっくるめて順次廃車という形になっているようです。

西武2000系は当時は4扉車という異端児でありましたが、長らく6両固定だけで、電連も付けずに運用されていたのも変わった点でしたね。ラッシュ時増結とかは無縁でひたすら各停運用(ラッシュ時以外は優等も有り)でした。

細井忠邦さま、こんばんは。

大雪の降った日の田無での追突事故ですね。わたしは既につくば在住でしたが、事故の悲惨さは聞いた憶えがありますし、あの事故が2000系の運命に大きく影響しましたね。すくなくとも番号体系がわかりにくくなったように思います。

準急豊島園さま、こんばんは。

確かにあの頃は2000系が地下鉄乗り入れかという噂がありましたね。
あの頃、池袋線の準急や急行に乗っていて、練馬付近をタラタラと走っていて沿線の高架化などに対する反対のメッセージを多く見ました。

2000系のその後の変化は次回以降の記事で出来るだけ各編成ごとに追っかけてみたく思います。
小平の写真の701系、さすがにTR11ではなくFS台車のようです。私もあの頃TR11の701系を追っかけましたが、写真が撮れたのは2013年12月14日の記事 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/7011-25d7.htmlの2回のみでした。

MiOさま、こんばんは。

車齢からして6連の車両、あるいは2001~2007Fの8連もそろそろといった感じですね。界磁チョッパ車というのも、改造を含めて日本中の私鉄からかなり消えているのではないでしょうか。

B767-281様はじめまして。
旧2000系の登場時をご存知とのことで、食い入るように見てしまいました。貴重なデビュー当時の写真をブログにあげていただきありがとうございます。
西武沿線者の大先輩ということで、非常にうれしいことです。
残念ながら私はいわゆる「黄色」世代なので、赤電と黄色の過渡期は写真を拝見して、リアルタイムで見たかったなぁ...と思いますね。
ただ、旧2000系といえば、STなんとかドアエンジン?(すみません、ドアエンジンの正式名称は詳しくないので・・・)というオリジナルドアエンジンの音(西武最後は2012年引退の、101系281Fでしたね。やけに印象的だったのを覚えております。
まだチビの時にリニューアルが始まり、そのドアエンジンだけではなく、西武伝統のこげ茶シート・黄色化粧板も過去のものになってしまいましたね。
つり革も現在のものとは違うものだったと記憶してますが。
1時間、20000系や30000系スマイルトレインしかこない場合も最近は増えてまいりました。
再来年には新形式もデビューするみたいで。私は引き続き、西武線沿線民で動向を見守りたいと思います。
以上、旧2000系への熱い想いを西武沿線の大先輩に伝えさせていただきました。
長文、大変失礼いたしました。

やきとりさま、はじめまして。

熱い西武線への想い大いに共感致します。
そうですね、西武線といえば451系あたりから独自のベルト式ドアエンジンを開発し、それが国鉄にも採用されたという話もきいております。
2000系の歴史、ついに引退の時期を迎えてしまいましたがわたしも、沿線住民でなくなってからも写真は出来るだけ撮っておりますので、きちんと紹介して行けたらとおもいます。
これからも宜しくお願い致します。

B767さん……こんにちは(^^)旧2000系、懐かしいです。登場当初は前面が白Hゴムでしたね。田無の衝突事故は覚えてますよ。当時中2の終わり頃でしたが。新聞やらテレビのニュースで大きく報道されていましたね。

スダっち1971さま、こんばんは。

今でもその頃の記事をネットで見ることができますね。
次回の記事ではその辺も含めながら、2000系の第5次車、そして新2000系の話題へと進めて行こうと思います。

こんにちは~。モモパパです。
そうなんですか~。
西武鉄道が鉄道趣味の原点でらっしゃるのですか~。
僕は名古屋鉄道が原点ですね。
今でもそうですが。
僕が名鉄に興味を持ち始めたのは小学生の頃。
当時は吊り掛けモーターの旧型車輌がたくさん走っててAL車にHL車の写真を撮ることに夢中でしたよ。
それから高校生になり国鉄~JR全線完乗を目指した時期もあったのですが。

モモのパパさま、おはようございます。

やはり、身近な動くものに興味を持ち始め、三つ子の魂百までなんですね。
孫の様子を見ていても分かりますね。

先日701系の画像を動画にて使わせてほしいと願い出たものです。
一番上の画像とその下の画像も使用させていただきたいのですが、よろしいですか?

にゃんきちさま、こんばんは。

了解しました。前回と同じように、出典を明記していただければ結構です。

https://youtu.be/MDzgDe_RUnE
完成いたしました。
画像のご提供誠にありがとうございました

にゃんきち さま、こんばんは。

ご連絡、ありがとうございます。
早速、拝見いたしました。
2000系の歴史がうまくまとめてありますね。登場からもう40年も経つのですね、まさに初期のタイプはご苦労様に時期ですね。
101N系の4連が牽引車を残して引退し、そこに2000N系の4連が入り、オリジナルタイプから消えてゆくといった感じでしょうか。

でしょうね。
個人的には4000系の動向も気になるところです。

にゃんきちさま、おはようございます。

4000系、そうですね。あまり普段おめにかからない系列ですが、もうかなりのお歳ですね。

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