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2016年1月 3日 (日)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 3日目 函館市内観光 その3 青函連絡船摩周丸1

2015年12月23日、朝市に続いて訪れたのは「函館市青函連絡船記念館 摩周丸」でした。国鉄青函航路に就航していた津軽丸型連絡船「摩周丸2代目」の船体を利用した博物館船です。

151223 函館若松ふ頭桟橋に係留された青函連絡船摩周丸船体 2015/12/23

拙blogではあまり船のことには触れてきませんでしたが、実は2014年12月の呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)、海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)を皮切りに2015年1月にはSan DiegoでUSS Midway Aircraft Carrier (空母ミッドウエイ)博物館、10月に横須賀で戦艦三笠記念館、そして12月に函館で摩周丸、青森で八甲田丸の博物館を訪問し、船関係の博物館もよく訪問した気が致します。

151223_3
現在も函館駅から連絡船方向に少し伸びている引き込み線

151223_2 函館駅から見た連絡線船体
かつては駅から船までこの場所がレールで繋がっていました。

青函連絡船現役の時代には函館港若松ふ頭に客貨両用の函館第1、第2岸壁、五稜郭駅の貨車操車場に直結する有川ふ頭に貨物専用桟橋函館第3、第4岸壁がありました。

151223_4 摩周丸から函館駅方向を見る

この間には連絡線の錨や蒸気機関車D51形の動輪などが展示されています。

D51_151223 何号機の動輪なのかは表示がありませんが、D51の主動輪

151223_7津軽丸と大雪丸の錨

これらの錨は国鉄型と呼ばれ、従来の補助汽船に使われていたJIS型の錨に対して耳(トリッピング・バーム)を拡大し、40度の後退角を付けた物だそうです。そのために海底の土砂を掴む力:把駐力が40%上昇したそうです。

洞爺丸事故を始めとする1954年9月26日の青函連絡船5隻の転覆事故は錨の把駐力不足がひとつの原因とされており、それ以降把駐力の強化を求めた結果、国鉄型の錨が開発されたそうです。

因みに津軽丸は1982年3月終航後、大久保商店に売却、北朝鮮に転売、さらにサウジアラビアに転売され、1998年にスエズで解体されましたが、この錨に関しては売却の際に取り外されたという説と、各船の予備錨のひとつだったという説があるそうです。

13_151223 近代連絡線13隻の写真

津軽丸、八甲田丸、松前丸、大雪丸、摩周丸、羊蹄丸、十和田丸、渡島丸、十勝丸、日高丸、空知丸、檜山丸、石狩丸の13隻の写真

私も青函トンネル開通前の連絡線時代、1974年3月、1974年7月、10月、1975年7月、10月と青森~函館間を往復しています。どの船にいつ乗ったかは憶えていませんが、摩周丸も乗船した記憶があります。

151223_8
初代摩周丸の模型

初代は4本煙突で側面に工のマーク 所謂、洞爺丸タイプです。

151223_9 二代目 摩周丸

151223_10 摩周丸の客室案内図

二代目摩周丸は青函航路初の自動化、遠隔操縦を可能とした津軽丸型の第5船として1964年12月2日に三菱重工神戸造船所で起工され、1965年3月18日に進水、1965年6月30日に就航しました。総トン数は8,327.71トン(船尾水密扉で車両格納所を含まない総トン数は5363.33トン)です。1988年3月13日、青森15時発、函館着18時50分の5便が最後の連絡線便でした。

仕様は

全長        132.00m
垂線間長        123.00m
型幅           17.90m
型深さ          7.20m
満載喫水        5.20m
メインエンジン     単動4サイクルトランクピストン排気ターボ過給機付ディーゼル機関
           三井B&W 1226MTBF-40V 8台
最大出力        13,250軸馬力
定格出力        1,600制動馬力×8
最大速力        21.15ノット
航海速力        18.20ノット
旅客定員        1,200名
乗員           53名
車両搭載数       ワム換算48両      でした。

車載客船・車両渡船特有の天井高さの低い機関室に、中速ディーゼルエンジンを多数搭載するマルチプルエンジン方式を採用することで、12,800馬力という従来船の2倍以上の高出力化を実現しました。航海速力は18.2ノットに上昇し、当時日本最大の可変ピッチプロペラ (Controllable Pitch Propeller CPP)を2基装備し、更に船首水線下には日本初となる出力850馬力の本格的バウスラスター (Bow Thruster BT)を装備し、港内での操船能力を著しく向上させることができました。その結果、従来4時間30分前後を要していた青森―函館間を3時間50分に短縮し、「海の新幹線」と呼ばれました。これにより従来の1日2往復から、1日2.5往復運航が可能となり稼働率向上が図られました。

連絡船としての任務を終えた後は、1988年7月~9月の青函博覧会で展示された後、1991年からは「メモリアルシップ摩周丸」として一般公開されましたが、1993年には経営不振に陥り、2002年11月末で営業が終了、2003年4月、「函館市青函連絡船記念館摩周丸」と改めリニューアルオープンしました。

船内の展示の様子に関しては明日以降の記事で触れます。

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コメント

函館にも青函連絡船が展示されていたのですか。

引き込み線も遺産として残っている。


船の科学館にあった 羊蹄丸は、何度か見学に行きました。


実際に乗ったのも羊蹄丸でした。


私、船が苦手で!
小学生のときに
横須賀の戦艦 三笠
横浜の氷川丸を見学して
凄い鳥肌が立って、恐怖感いっぱいだったのです!!


B767−281様こんばんは。青函連絡船ですか。子供の頃見た科学雑誌で客車を運んでいる様子がのっていてびっくりしたのを思い出します。初めて北海道に行った時にはもう青函トンネルが開通していて、北斗星に乗車しましたので、連絡船の経験はありませんが、昔の旅はゆったりしていたのですね。自分自身も大学生までは、東海道も大阪までなら「下」で行くのが当たり前で今は、新幹線に平気で乗っているのに時々呆れる(笑い)ことがあります。時間を贅沢に使う旅、しないといけませんね。さてぼんやりとネットを見ていたら驚きの記事が、なんとANAがA380導入を決定したそうです。正月早々楽しみが増えました。

準急豊島園さま、こんばんは。

船恐怖症というのもあるのですか、しかも動いているのではなく係留してある船体で?
今回の連絡船見学で当時のことをいろいろと思い出しました。そして青函トンネルが開業して、ちょうどバブル期に船体がどのような後世を辿ったかも興味深かったです。

細井忠邦さま、こんばんは。

そうでしたか、初北海道は既にトンネル開業後でしたか。
汽車から船に乗り換えてまた汽車に乗るという旅、私は青函と宇高で経験しましたがなかなか気分転換になったものでしたし、天候の影響を受ける点も面白かったです。
最初の時の青函航路、特に函館からの帰りは大しけだったのを記憶しています。

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