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2016年1月 5日 (火)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 3日目 函館市内観光 その3 青函連絡船摩周丸3

昨日に続いて函館若松埠頭岸壁に係留されている青函連絡船摩周丸博物館の話題です。前回の記事では「青函連絡船80年の歴史」について触れましたが、今回は船内の展示でもう一つの目玉であった1954年9月26日の台風15号による函館湾内での洞爺丸をはじめとする5隻の連絡船の海難事故に触れようと思います。

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船内では「台風との斗い」と云うタイトルで纏められており、こちらも展示内容が冊子に纏められ売店で300円で購入できました。

1954年9月18日頃カロリン諸島で発生した熱帯低気圧が9月21日午前3時台風15号と命名されました。当時は飛行機(米軍)による位置観測で現在の気象衛星観測に較べるとかなり精度が低く位置の情報も不正確でしたが、21日13時25分北緯13.5度、東経135.9度付近にあり、中心の気圧は1000mbと比較的弱いもので弱い熱帯低気圧と見なされました。23日9時に再び台風に格上げされ、25日3時に石垣島付近を通過、進路を北東に変え、26日3時に九州南部に上陸、中心気圧は970mbでした。宮崎県からから大分県を通過し、瀬戸内海を通り、26日6時過ぎには広島市の東方で再上陸、山陰地方を横切って7時40分頃、米子市の東で日本海に抜けました。そして15時には青森県西方海上北緯41度、東経139度に達しました。特徴として、①進行速度が非常に速い、②陸地を縦断しても勢力が衰えない、日本海海上で再び発達、③降雨量が少ない 台風でした。

(注:以前は、放送などでも気圧の単位はミリバールと云っていました。1気圧=1013mbと私は学校で習いました。ただ、SI単位系ではパスカルが一般的であるため1992年12月からmbと同じ数値になるヘクトパスカルが放送等で用いられるようになりました。)

151223_2 青函連絡船の運航表 
津軽丸型の登場で速度が上昇し、一日2.5往復が可能になりました。洞爺丸型の時代は14.5ノットで所要時間は下り4時間半、上り4時間40分で1日最大2往復でした。

9月26日の青函航路は11隻の連絡船 (洞爺丸、羊蹄丸、大雪丸、北見丸、日高丸、十勝丸、渡島丸、第六青函丸、第八青函丸、第十一青函丸、石狩丸)で17運航(34便)の運航計画でした。摩周丸は検査工事のため、浦賀ドックに入渠中、第七青函丸は検査工事のため函館ドックに入渠中、第十二青函丸は手入れ待機中で防波堤内に錨泊でした。

14時くらいまではそれぞれが定時運航を行っていましたが、台風の接近で函館港には多くの自衛艦、巡視船、漁船、一般商船などが避難のため入港してきました。

洞爺丸 3便で函館到着後、14時40分発の4便の予定 運航見合わせ
羊蹄丸 10便で青森到着 16時30分発の9便の予定 運航見合わせ
大雪丸 5便で青森出航、沖待ちで14時35分函館港外に投錨、16時55分函館港着
北見丸 61便で青森出航、沖待ち後、11時15分有川着 以後運航休止
日高丸 81便で青森発、16時33分 着岸不能で防波堤内に投錨
十勝丸 53便で青森発、18時50分 着岸不能で防波堤外に投錨
渡島丸 62便 強風浪のため遅れて青森到着
第六青函丸 54便で有川出航 引き返し13時11分 防波堤内に投錨
第八青函丸 73便17時45分 有川到着 以後運航休止
第十一青函丸 1202便で函館を出航 13時53分引き返し14時48分 函館着
石狩丸 1201便 沖待ち後18時40分函館着

船名の色分けは赤がこの台風による事故で沈没した船、黄色が函館で難を逃れた船、緑が青森側にいて無事だった船です。

洞爺丸(3898トン)に関しては第9回国民体育大会秋季大会が8月22日から26日まで、北海道で開催された関係で、昭和天皇のお召し船として、運航された1ヶ月後の悲劇でした。当日は4便として14時40分に出航予定のところ、1202便(昨日の記事のあるように米国軍人、軍属が乗車)の第十一青函丸が引き返して来たので、この便の乗客、車両を移乗させることとなりました。また可動橋が停電で上がらなくなり、出港の見通しが立てられなくなり、運航中止となりました。停電は2分で復電し、可動橋も上がりましたが出港見合わせはそのままでした。このときに出港していれば、台風接近時間帯には陸奥湾に入っており、難を逃れたとも言われています。

151223_4 船首方向、正面には函館山が

17時過ぎに土砂降りの後、風が収まり晴れ間ものぞき、台風の目が通過したことが予想され、天候の回復は早いと判断して18時30分に出港を決意しました。後から考えると台風の目と思われたのは閉塞前線で、18時39分青森行き遅れ4便(旅客1151人、車両12両ボギー車4(マイネフ385と荷物車マニ3216を含む)、一般貨車8、重量合計313トン)として離岸するも南西からの風が著しく強くなり、18時55分頃、防波堤西出入り口を通過後、風下に圧流されるため、西向きに回頭し、19時1分頃天候が収まるのを待つため防波堤灯台付近の海上で投錨し、仮泊することにしました。しかし平均40m、最大で50mの暴風と波浪により、走錨し、船尾車両搭載口から侵入した海水が車両甲板に滞留し、ボイラー室、機関室の浸水が起こり、蒸気ボイラーへの石炭投入が困難になりました。

151223_5 操舵室

20時30分頃、海水量の増加と船体の動揺から発電機の運転も不能となり、船底へ貯まる汚水の排出も不能となり、22時前後には左右両舷の主機が運転不能になりました。このため操船の自由を失い、沈没を避けるため七重浜への座礁を決断しました。

151223_6 船内で万が一火災等が発生した場合、このシステムでどこで発生したがが操舵室で分かるようになっています。

Dsc06879 操舵室には神棚もあります。

22時26分頃、海岸まで数百メートルの地点で後部船尾が撞触し、座礁、船体は右舷に45度傾斜、しかし船体は安定せず、左舷錨鎖が切断、船底の横揺れ防止フィン: ビルジキールが海底の砂に刺さり、大波を受けて船体は横倒しとなり、満載した客貨車の倒れる轟音とともに横転、沈没しました。22時45分頃、函館港防波堤灯台付近に左舷側に135度傾斜し、沈没、最後は海底に煙突が突き刺さる様な状態になったそうです。

151223_7 無線通信卓
無線室は操舵室とは別の部屋になっていました。

151223_8 青函連絡船における無線通信系統の説明

無線に関しては22時41分頃、「SOS de JBEA 洞爺丸、函館港外青灯より267度8ケーブルの地点に座礁」と発信され、直ちに「JBEA de JNI RRR SOS」と函館海保局が応答しました。「本船、500kc(キロサイクル)にてSOS、よろしく」が最後の打電となりました。

因みに 当時のコールサインは

JNI 海上保安庁・第一管区・函館海上保安部海岸局
トウマ(洞爺丸)JBEA
タセマ(大雪丸)JTBP
ロセマ(第六青函丸)JWNT
ハセマ(第八青函丸)JECA
トイセマ(第十一青函丸)JLLW
トニセマ(第十二青函丸)JWEZ
イシマ(石狩丸)JWSZ
キミマ(北見丸)JQGY
トカマ(十勝丸)JGUD
オシマ(渡島丸)JDZQ
ヒタマ(日高丸)JQLY でした。

遭難後、旅客110名、乗組員38名、その他11名の計159名が救助されましたが、旅客1041名、乗組員73名、その他41名の計1155名が死亡、もしくは行方不明となりました。

第十一青函丸(2851トン)に関しては1202便として13時20分定時に函館を出港しましたが、穴澗岬沖合から引き返し、14時48分に函館に着岸、旅客と駐留軍用ボギー車を陸揚げし、替わりに一般貨車5両を積み、貨車合計45両(重量合計1018トン)を搭載し、天候見合わせのため避泊錨地に向かうべく16時2分に離岸しました。16時25分、西防波堤灯台より真方位245度、2海里の地点に投錨仮泊しました。18時頃より、強く吹き出した南南西の風に対応して機関を使用して守錨に務めるも19時50分発電機が浸水で故障、操船能力を失い走錨を始め、復原力を失い、19時57分頃、急激に右舷側に横転し、沈没したものと推察されています。西防波堤灯台から真方位256度、1620mの地点に船首と船底の一部を水面上に現し、沈没しました。乗組員全員90名が殉職しました。

北見丸(2928トン)は94便の貨車46両(重量合計1047トン)を搭載し、有川3岸壁で船長他75名の乗組員が乗船しました。一時避泊のため15時17分離岸、15時30分、西防波堤灯台から257度1.2海里の地点で投錨、停泊しました。19時頃から船首を風波に立てるように操船しましたが、20時20分頃から突風48mになり、このまま錨泊は不可能と判断し、踟蹰(ちちゅう)航法で適当な錨泊地を探して進みましたが、強風と波浪による浸水で主機の停止、発電機の停止に陥り、傾斜が増して搭載車両が横転、22時35分、船も右舷に横転し、沈没しました。葛登支岬灯台から真方位89度、2900m、水深50mの地点でした。乗組員6名は函館半島西岸の寒川部落付近に漂着し助かりましたが、船長以下70名が死亡しました。

日高丸(2932トン)下り81便として貨車43両、うち空車3両(総重量約888トン)を積載して函館に向かいましたが、所定の運航時刻より40分ほど遅れて港内に進航するも東の風が強く岸壁係留できず、16時33分、沖合の西防波堤灯台から真方位84度、900mの地点に錨泊しました。その後、暴風で有川桟橋への接近を恐れ、防波堤外に転錨することとし、22時少し過ぎ、西防波堤灯台を通過したところで波浪が激しくなり、船尾開口部より浸水が始まりました。23時35分頃、機関が使用不能に陥り、船体傾斜が増大、沈没しました。西防波堤灯台より、真方位264度、1530m、水深20mの地点でした。20名の乗組員は防波堤内で救助されましたが、船長以下56名が死亡しました。

十勝丸(2912トン)は船長他75名、下り53便として車両35両、うち空車12両(総重量約652トン)で青森を出港するも函館は風が強く着岸不能と判断し、18時50分、葛登支岬から真方位62度、約3.3海里、水深28mの地点に投錨し、仮泊しました。しかし、19時50分頃には機械室が浸水、22時20分主機が停止、積載車両が横転、23時42分、右舷側に転覆し、沈没しました。西防波堤灯台から真方位253度半、1810m、水深20mの地点でした。乗組員17名は国鉄タグボートに救助されましたが、船長以下59名が死亡しました。

これら5隻の連絡船の遭難、沈没の経緯を読んでみると、いずれも船尾開口部から海水が浸入し、機械室が浸水、主機や発電機の停止で操船不能に陥り、傾斜が増大し、沈没というよく似た過程を辿っていることがわかります。

その後の海難審判では、船首は風上を向いており、開口部は海面よりも高い位置にあるはずで水が流れ出るのではないかと思われましたが、実験を繰り返した結果、船の縦揺れと波の周期 (9秒) が一致して、船尾が海水をすくい上げるようになり、さらに揺れ戻って流れ出る前に船尾が持ち上がり、車両甲板に海水が滞留するようになったのではないかと推察されたようです。

七重浜での洞爺丸の転覆は水槽による実験の結果、漂流中に右舷のビルジキール(ローリング抑制のためのフィン)が漂砂(嵐で海底の砂が動き、一時的に形成された浅瀬)に引っかかり、船体が一点支持となり、そこに大波がおそったために転覆したと推定されました。

大雪丸は函館岸壁の混雑で沖待ち状態になりますが、函館岸壁に着岸、旅客と貨車を降ろし、一旦離岸し、指示を待ちます。港内では他船との衝突もあるので、防波堤外に転錨し、洞爺丸の南西方に投錨します。防波堤に衝突する危険もあったので前進全速で知内沖に向かい、難を逃れました。第十二青函丸は22番錨地で錨泊中でしたが、台風の接近で21時35分、防波堤外に逃れ、踟蹰(ちちゅう)航法で難を逃れています。一方、第六青函丸は31番錨地に留まり、第八青函丸は函館離岸後すぐに投錨して仮泊、石狩丸は函館到着後、係留索が切れ、自然離岸しましたが何とか持ちこたえました。

9月26日の海難事故で旅客1041名、鉄道郵便職員4名、鉄道弘済会職員6名、公務職員26名、車掌5名、乗組員348名が死亡、生存者は旅客110、鉄道弘済会職員6、公務職員4,車掌1、乗組員81でした。

この事故を教訓に

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津軽丸型の連絡船では主機関のディーゼルへの転換、車両積載口への水密扉の採用、車両甲板下の旅客区画の廃止、機関室から車両甲板への開口部の全廃、凌波性・復元性の向上、船底部水密区画及び水密扉の設置、操舵性向上のための二枚舵の採用等大きく設計変更されました。

151224 穴澗岬から見た函館湾の風景    2015/12/24
今から約61年前、この海で日本最大の海難事故が起こっていたとは思えないほど、穏やかな風景に見えました。

また1月3日の記事で記述したように錨の把駐力を増加させるための改良がなされました。

洞爺丸事故に関しては水上勉の小説、「飢餓海峡」でも登場しており、映画化もされており、自分が生まれる前の大惨事でありながら、記憶に焼き付けられています。
函館の洞爺丸などの海難事故の犠牲者を慰霊する慰霊碑は七重浜にあります。木古内から函館に向かうバス停に慰霊碑前という停留所がありました。

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