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2016年1月 6日 (水)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 3日目 函館市内観光 その3 青函連絡船摩周丸4

青函連絡船摩周丸の話題、今回は船室や船内サービス関係です。

青函航路の実距離は61海里、旅客営業キロ程では113.0km、貨物営業キロ程は300kmでした。廃止された1988年3月時点での運賃は普通運賃2000円、寝台料金上下段とも2400円、グリーン席指定1600円、自由席1100円でした。東京から札幌まで鉄道(東北、函館本線)、連絡船を使って行く場合、運賃計算は東北本線と函館本線の営業キロ数を通算した運賃と青函航路の運賃の合計となりました。

151223_3 96席あったグリーン指定席の座席

G_151223 各座席には読書灯も備えられていました。

1974年3月、初めて北海道に連絡船で渡った時は母からの「船だけは絶対にグリーン船室に乗りなさい。」とのことで、グリーン指定席を往復とも予約しました。帰りの東北・常磐線経由の583系寝台特急「ゆうづる」の旅も寝台が満席でグリーン座席の旅になりましたが、18歳、人生初のグリーン席だったと思います。

G151223 グリーン寝台の飾り毛布

G14_151223                       飾り毛布14パターン

1908年の就航より開始され、1964年の高速船 津軽丸就航以前は折り返し時間に余裕があったため、乗務員によるおもてなしの一環として一等寝台、後のグリーン寝台に飾り毛布がセットされていたそうです。季節により、正月には松竹梅とか初日の出、端午の節句には冑、夏はひまわりと何通りかのパターンがあったそうです。
毛布をこのように折って組み立てる技術も教え込まれたものではなく、先輩の技術を後輩が盗んで伝えられていったそうです。

寝台は20名分でした。

G_151223_2 このキハ80系の座席のようなシートは二等(普通)の椅子席だったと思います。座席下に救命胴衣が収納され、中央部に起倒式の肘掛けがありました。

151223 一般船室

多くのフェリーなどで見られる雑魚寝状態の席というか絨毯の間といった感じでした。
空いているときは問題ありませんが、混在しているときは船酔いして寝ている人もいれば子供は走り回るなどの光景がみられました。一般船室の定員は970名でした。数値は羊蹄丸の例です。

151223_2
一般船室に掲示されている1982年11月改正(東北新幹線本格開業時)の首都圏、大阪からの列車接続

東北新幹線が盛岡まで開通していても函館まではほぼ半日かかる旅であったことが分かります。

151223_4 3階の前方にある展望サロン

ここで、昨日の記事で触れた1954年の「台風との斗い」の展示や、売店などがありました(祝日であったので休業していましたが)。

151223_5
また青函連絡船、トンネルなどに関する多くの図書資料も置いてありました。時間があればじっくり見てみたく思いました。そして、1954年9月26日の海難事故に関する新聞記事のスクラップ帳も閲覧可能でした。

151223_6 制服の展示

昨日の洞爺丸事故の記録から分かるように青函連絡船の旅客タイプでは1隻につき100名を超える乗組員が乗船していたのですね。津軽丸2代目が就航してからは運航要員はかなり減った様ですが。マリンガールが乗船するようになったのは1980年7月21日以降(当時の海の記念日以降(7月20日)からということでしょうか)、夏シーズンだったと記録にはあります。

青函連絡船の乗組員の船室は車両甲板の下にあったそうです。

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コメント

函館の摩周丸には普通船室いす席が残っているんですね。背もたれの裏側の折りたたみ小テーブルが懐かしいです(青森の八甲田丸にはグリーン席しか残されていなかった)。いつか、行ってみたくなりました。貴重なお写真を拝見して感激しました。
私は青函航路を3往復利用したことがあるのですが、就航船が下記のように「しりとり」のようでした。(笑)
行き十和田丸、帰り八甲田丸(1984/3)
行き八甲田丸、帰り大雪丸(1986/8)
行き大雪丸、帰り羊蹄丸(1987/8)

制限55さま

続いてこちらにもコメントありがとうございます。青函連絡船の記憶、まさにトンネルが開通し、さらにそのトンネルが旅客用は新幹線のものとなり、あの当時の記憶がどんどん遠くなってゆきますね。乗船された船の船名もきちんと記録されている点、さすがですね。

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