速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 3日目 函館市内観光 その4 五稜郭タワー2
昨日の記事では五稜郭タワーからの眺めについて触れましたが、今回は五稜郭の歴史等について触れてみようと思います。
2015/12/23 五稜郭のほぼ全景
北海道・蝦夷地の防御として江戸幕府は箱館奉行所を箱館に設置しました。ちなみに函館の地名の由来は1454年津軽の豪族河野政通が宇須岸(アイヌ語で湾の端)に館を築き、形が箱に似ていることから箱館と呼ばれるようになり、1869年に蝦夷地が北海道となり、函館に改称されました。
江戸以外の幕府直轄領の行政・管理、防御のため置かれた遠国奉行のひとつとして、
長崎奉行、京都町奉行、大坂町奉行、伏見奉行、山田奉行、日光奉行、奈良奉行、堺奉行、駿府町奉行、佐渡奉行、浦賀奉行、下田奉行、羽田奉行、新潟奉行、箱館奉行、松前奉行、大津奉行、清水奉行、神奈川奉行、兵庫奉行が置かれ、箱館奉行は18世紀末のアイヌの反乱やロシア人の来航を背景に1802年2月に設置されました。奉行所は現在の基坂・元町公園に置かれました。しかし、ロシアの脅威が収束したので、1821年、奉行所は廃止されました。1854年3月、日米和親条約で箱館が開港されると6月に箱館奉行を再置することにしました。ただ、函館山の麓の基坂では防御上問題があったので、亀田方面に移転することとし、当時の大砲では箱館湾からの射程外である、鍛冶村中道に「御役所四方土塁」を築いて奉行所を移転する意見書が老中・阿部正弘に提出され、五稜郭の建設が決定しました。
1857年に築城を開始、1864年に竣工、1866年に完工しました。
大政奉還で江戸幕府が倒れ、明治新政府が箱館府を設置し、政庁と利用されますが、1868年10月21日に榎本武揚率いる旧幕府軍が鷲ノ木(現在の森町)に上陸、新政府軍は青森に敗走し、五稜郭は占領されました。旧幕府軍は堤を修復、大砲を設置、胸壁を構築し防御を固め、1869年3月に一連の工事を完成させました。
土方歳三(1835-1869)の像
昨年3月、流山を訪問した際に新撰組の歴史に触れましたが、流山で近藤勇と別れた土方歳三は宇都宮の戦いの後、会津戦争に参加、仙台を経て、旧幕府海軍と合流し、大江丸で蝦夷地に渡り、五稜郭に入りました。
1869年5月、新政府軍の箱館総攻撃が開始されると、五稜郭の大砲で七重浜や函館港方面に砲撃が行われましたが、5月18日、抵抗もむなしく、土方は戦死、榎本らは降伏し、五稜郭は新政府軍に引き渡されました。
明治以降は兵部省、後の陸軍省の所管となり、1871年には札幌の開拓使本庁舎建設のため、付属の建物は解体され、以後は練兵場となりました。
一度はこの満開の桜、見て見たいものです。
1913年、函館区長が陸軍大臣に公園として無償貸与を請願し、1914年五稜郭公園として一般開放されました。函館毎日新聞が1913年から10年かけて数千本のソメイヨシノを植樹し、今では道内有数の桜の名所となっています。
1925年には内務省に所管が変わるとともに、史蹟名勝天然紀念物保存法に基づく史蹟に指定され、1929年には郭外の長斜坂が追加指定され、文部省の所管となりました。そして戦後、文化財保護法が制定されると、1952年に特別史跡に指定されました。
2004年に「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定され、観光地の評価としては、ミシュラン・グリーンガイド・ジャパンで、「五稜郭跡」、「眺望(五稜郭跡)」が二つ星を獲得しています。
奉行所遺構の発掘調査も進められ、2006年「箱館奉行所復元構想」が現実化し、復元工事に着工、2010年に完成し、7月29日に開館となりました。
五稜郭自身は1974年3月の函館訪問で見学していたので、今回はタワーからの見学だけでしたが、
敷地面積は250,835.51平方メートル、郭内は約12万平方メートルあります。水堀で囲まれた五芒星型の堡塁と1ヶ所の半月堡(馬出堡)からなり、堡塁には本塁(土塁)が築かれ、その内側に奉行所庁舎のほか、用人や近習の長屋、厩、仮牢など計26棟が建てられました。郭外北側に役宅街が造られました。
五稜郭はヨーロッパで発達した稜堡式城郭の形式で造られ、ヨーロッパの城郭の紹介もありました。私が1988年から1989年まで住んでいたベルリン(当時は西ベルリン)にも西方のSpandau にZitadelle というヨーロッパにおいて最もよく保存された城郭があります(サイト)。あと、訪問した経験のある場所ではカナダのケベック市にも似た形態の城郭があります。
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B767-281おはようございます。土方歳三は私の地元日野にもゆかりの方なので、親近感があります。それにしても榎本武揚はこの後政府の重鎮に!なんて世渡り上手とある意味感心してしまいます。鉄道ネタとは離れますが、このようなネタも楽しみです。
投稿: 細井忠邦 | 2016年1月 9日 (土) 11時15分
細井忠邦さま、おはようございます。
かつての敵軍の人間が敗北後、重用される話、例えば第二次世界大戦でナチスドイツでV2ロケットなどの開発に携わった科学者が戦後、アメリカに引き抜かれて冷戦時代のICBM開発に携わるなんて話とも共通するのでしょうか。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2016年1月10日 (日) 06時13分