速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 4日目 函館市内観光 その1 元町の坂2
二十間坂の上まで上り詰めてからは、元町カトリック教会の方へ、進路を北西に取りました。
朝8時頃でしたが、南東の方角から差し込む朝日が、元町カトリック教会の正面を照らしていました。
1859年にパリ外国宣教会司祭メルメ・カションが設けた仮聖堂、さらに1867年にフランス人司祭ムニクートアンブルステルが設けた仮聖堂を起源に1877年にフランス人司祭マレンにより、木造の初代聖堂が建立されました。この初代聖堂は1907年に火事で消失しましたが、1910年、煉瓦造りの二代目聖堂が竣工しました。二代目も1921年の火災で焼失しましたが、焼け残った煉瓦の外壁を利用して1924年に33mの尖塔を持つ鐘楼付きゴシック様式の聖堂が再建され、現在に至っています。
”天主公教会”とは日本におけるローマカトリック教会 (Ecclesia Catholica, Roman Catholic Church) の明治・大正期における呼称です。
元町カトリック教会の正門前の坂道は大三坂です。
かつては木下の坂と呼ばれていましたが、「大三」という屋号の郷宿が出来て、大三坂と呼ばれるようになりました。五稜郭タワーの記事で出てきた箱館奉行所に公用で来た人々が「大三」に宿泊したそうです。1987年に「日本の道百選」にも選ばれています。
大三坂の上には「チャチャ登り」と言われる坂道が続いています。「チャチャ」とはアイヌ語で老人のことでこの坂を上るときは誰でも老人のように腰をかがめることからこの名が付いたと言われています。
函館ハリストス正教会
表札の横にはクリスマスリースが
1859年、ロシア領事のゴシケヴィッチが領事館内に聖堂を建てたのが源流で、1861年に来日した修道司祭の亜使途聖ニコライ・カサートキンにより、3人が洗礼を受け、日本ハリストス正教会(神田のニコライ堂に府主教座を置く)の原型となりました。1907年の函館大火で全焼しましたが、1916年に再建されました。聖堂は「主の復活聖堂」と呼ばれ、キリストの復活を記念しています。
八幡坂
ハリストス正教会の前を過ぎて次の坂道は函館で最も有名な八幡坂です。正面に函館桟橋と連絡船摩周丸が見えます。
下から八幡坂を眺めると頂上には函館西高が見えます。かつては坂の上に函館八幡宮があったことからこの名が付いたと言われています。八幡宮は1878年の大火で焼失し、谷地頭に移転しました。
海と山が間近に迫る風景、美しいです。
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