京急ファミリー鉄道フェスタ2015 part10 都営地下鉄5300系
2015年5月24日、久里浜の京急ファインテックで開催された「京急ファミリー鉄道フェスタ2015」、これまで同フェスタで展示された車輌を系列(京急の場合は形列?)ごとに紹介してきました。
京急ファインテックでは、京急の車両のみならず、相互乗り入れしている都営地下鉄浅草線や、横浜シーサイドライン、湘南モノレールなどの車両の整備も行っており、下の写真のように都営5300系の姿もありました。
そこで、今回は私個人としては殆ど縁がなく、写真も殆ど撮っていないのですが、都営地下鉄5300系について触れようと思います。
2015/5/24 京急ファインテック
庫内で修理中だった都営地下鉄5300系
そもそも東京には東京地下鉄(東京メトロ)だけでなく都営地下鉄があるのはなぜ?という疑問が沸きます、数年前、猪瀬直樹氏が都副知事の時代に両者の経営統合の話題が論議されました。
東京の地下鉄は東京地下鉄道が1927年に浅草~上野間を開業し、1934年には新橋まで延伸しました。一方、東京高速鉄道が渋谷~虎ノ門間を開通させ、1939年1月に新橋まで延伸し、同年9月、両者が直通運転を開始し、今日の銀座線ができあがりました。
1938年、戦時体制下で鉄道やバスの経営統合を促進する陸上交通事業調整法が施行去れ、東京市内の地下鉄は1941年に半官半民で設立された帝都高速度交通営団に運営が移されることになりました。言うなれば国策会社の誕生です。
営団設立時の資本金は6000万円で、国が4000万、東京市が1000万円、東京横浜電鉄(東横)、東武鉄道(東武)が各200万円、京成電気軌道(京成)・小田急電鉄(小田急)が各100万円、西武鉄道(西武)、武蔵野鉄道、国鉄共済組合が各50万円を出資しました。
戦後、GHQの「民間出資を排除するように」との要求に従い、1951年帝都高速度営団法改正がなされ、1952年に営団は民間から株式を買い取りました。
そういった経緯から東京の地下鉄は営団が建設するものとされていましたが、インフラ整備を急ぐため東京都は1957年6月の都市交通審議会において地下鉄建設は複数の事業主体で進めるべきと言う答申を出しました。
営団が受けていた第1号線(浅草線)の免許を東京都及び京浜急行が譲り受け、地下鉄事業に参入したのが始まりです。一方、営団は民間資本がなくなった後は国と都が同額ずつを出資し、国と都の出資比率は53.4対46.6になりました。政府は2001年、特殊法人などの整理合理化計画を策定し、営団は完全民営化に向けた第一段階として2004年を目処に特殊会社化することになりました。それが現在の東京メトロです。メトロの存在はメトロ法に規定されていますが、同法の附則第2条で出来るだけ早いメトロ法の廃止と株式の売却が求められています。
利用者にとっては同一事業者、単一の運賃が理想ですが、都営地下鉄はメトロに比べ経営規模が小さく、運賃も高く設定されています。一元化でメトロの運賃に一元化出来るのか、メトロ株を都が購入する出来るだけの資金的余裕があるのか、いろいろと問題があるようです。
話が大分それてしまいましたが、5300系は1960年の浅草線開業時から活躍していた5000系の置き換えを目的に1991年3月31日に営業運転を開始した車輌です。
8両編成 4M4T 27本 が
1次車・01 - 02編成(1990年度)/日立製作所製
2次車・03 - 06編成(1991年度)/川崎重工業製
3次車・07 - 10編成(1992年度)/日本車輌製造製
4次車・11 - 14編成(1993年度)/日立製作所製
5次車(日本車輌)・15 - 17編成(1994年度)/日本車輌製造製
5次車(近畿車輛)・18 - 21編成(1994年度)/近畿車輛製
6次車・22 - 26編成(1995年度)/日立製作所製
7次車・27編成(1997年度)/近畿車輛製 として製造されました。
GTO素子によるVVVFインバータ制御(1C4M:(三菱電機製T-INV1形、素子容量は4500V・2000A))方式で1時間定格出力165kW(5327編成は180kW)の主電動機を駆動しています。
台車は近畿車輛製の軸コイルばねの前後を筒型積層ゴムブッシュで支持したダイレクトマウント空気ばね台車(電動台車:T-1B (KD302) /付随台車:T-1C (KD302A))を装着しています。直通先の京浜急行電鉄(京急)の車両規定により、ボルスタレス台車は採用していません。昨日の東武の記事でも出てきましたが、ボルスタレス台車に関してはそれぞれの会社で大きく意見が分かれているようです。
ブレーキ装置は回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキで、遅れ込め制御を併用しています。基礎ブレーキ装置は、電動車が片押し式踏面ブレーキ、付随車は片押し式踏面ブレーキ併用ディスクブレーキとなっています。レール塗油装置は5310・5316・5326編成の7号車の京成成田側に取り付けられています。
補助電源装置は135kW出力のDC-DCコンバータ方式であり、電源変換は架線からの直流1,500Vを直流600Vに降圧し、空気圧縮機や冷房装置に供給しています。さらに、この直流600Vを内蔵の静止形インバータ(SIV)で単相交流200Vに変換、また整流装置で直流100Vに変換するシステムとなっています。
冷房装置は冷却能力48.9kW(42,000kcal/h)の集中式を1基搭載しており、制御方式はインバータによる容量可変式を採用し、DCコンバータからの直流600V電源を使用しています。
←京急浦賀・西馬込
◇ ◇ ◇ ◇
5300-1 5300-2 5300-3 5300-4 5300-5 5300-6 5300-7 5300-8
M1c T1 M1 T2 T3 M2 T4 M2c
VVVF, DDC VVVF CP CP VVVF DDC VVVF
BT BT
5次車からスカートの形状が長いものに変更となりました。
現在の運用区間は
都営地下鉄浅草線:押上駅 - 西馬込駅間
京急本線:泉岳寺駅 - 堀ノ内駅間
京急空港線:京急蒲田駅 - 羽田空港国内線ターミナル駅間
京急逗子線:金沢八景駅 - 新逗子駅間
京急久里浜線:堀ノ内駅 - 三崎口駅間
京成押上線:押上駅 - 青砥駅間
京成本線:青砥駅 - 京成成田駅間
北総鉄道北総線:京成高砂駅 - 印旛日本医大駅間
となっており、最高速度が110km/hであることから、最高速度120km/hで運行ダイヤが設定されている成田スカイアクセス線での運用はありません。
5327編成以外は中高速域の加速が鈍いこともあり、京急線内のダイヤも長めに設定されています。
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コメント
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おはようございます。
都営地下鉄浅草線の5300系電車を 京急で修理をするのですね。
馬込での修理は、無理な場合もあるのですね!
そういえば都営地下鉄大江戸線の電気機関車も京急を走行できるようですね!!
都営地下鉄浅草線の車両を入れ換えることが発表されていましたが、
もう入れ換えは 早いように感じます!
帝都高速度交通営団という名称も懐かしいです。
私が小学校3年生、1966年くらいだったと思いますが、
家族で新宿伊勢丹で買い物をして、 丸ノ内線の地下道を新宿三丁目から新宿駅まで歩いてくると、
右側に芸術的な石の彫り物みたいのがあり、
その近くに地下鉄の建設計画路線図がありました。
その計画路線図によると
中村橋から地下鉄が通り、目白通り下を目白駅から護国寺へ繋がっていて
成増から護国寺から来る路線と合流だったのです。
小学校高学年のときには、今の有楽町線になっていたと記憶しています。
まさか練馬駅に現在のような3路線もの地下鉄が走るなどとは、半世紀前には思いませんでした。
護国寺から中村橋までの地下鉄計画がなくなり、
その後、首都高の江戸川橋から分岐し、新目白通りと目白通りを関越道まで首都高を伸ばす計画もあったそうです。
またまた長々失礼しました。
投稿: 準急豊島園 | 2016年2月29日 (月) 06時31分
準急豊島園さま、こんばんは。
懐かしいですね。わたしも小学校3年から高校2年まで、杉並区清水3丁目に住んでおりましたので、最寄り駅は荻窪か井荻でした。丸ノ内線が、荻窪からさらに北西に延伸されるような計画もあったように記憶しています。また、井の頭線が吉祥寺からさらに北西へというのもあったような。
西武線も池袋線は仰るように相互乗り入れや、練馬駅での大江戸線連絡で大きく変わりましたが、新宿線は逆に首都圏の私鉄の中では取り残された感がありますね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2016年2月29日 (月) 17時29分