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2016年2月16日 (火)

広島・四国西南部旅行 広島編 その4 可部線 part1

このシリーズ、2014年12月、広島から四国西部、宇和島~高知を旅行したときのレポートですが、前回までは 17回に渡って広島電鉄の車両を紹介して来ました。

あの旅行の広島における行程をもう一度整理すると、
12月18日 新幹線で広島へ 広島交通科学館訪問
12月19日 可部線乗車 向洋などで山陽線撮影 呉へ海事歴史博物館など訪問
12月20日 広島港から松山港へ でした。

ということで今回からは可部線です。

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2014/12/19 ロゴが非常に印象的な可部線の分岐する広島市西区の横川駅の正面

141219_3
駅前には広電が乗り入れています。

可部線は山陽本線横川駅から可部駅に至る14kmの路線で、「広島シティネットワーク」に属し、広島市の都市近郊路線ですが、料金的には地方交通線です。

1909年12月19日大日本軌道広島支社線として横川停車場~祇園停留場間が開業しました。軌間762mmの非電化路線でした。可部線を訪れた日はちょうど開業105周年の日でした。
1910年11月19日、祇園~古市橋間延伸、12月25日、太田川橋まで延伸
1911年6月12日、可部駅まで延伸開業
1919年3月11日可部軌道に譲渡
1926年5月1日、広島電気に合併
1928年11月9日、横川停留場~古市橋間改軌 1067mmに 電化 直流600V
1930年1月1日、太田川橋完成により、全線の改軌電化が完成
1931年7月1日広浜鉄道へ譲渡
1935年12月1日、地方鉄道法に基づく鉄道へ
1936年9月1日、横川~可部間買収、国有化10月13日、可部駅~安芸飯室駅間が旅客線として開業(非電化)
1946年8月15日、安芸飯室駅~布駅間延伸開業
1948年10月1日、架線電圧750Vに
1954年3月30日、布駅~加計駅間開業
1962年4月23日、架線電圧1500Vに
1968年9月4日、可部駅~加計駅間が「赤字83線」に 廃止勧告
1969年7月27日、加計駅~三段峡駅間が開業
1974年、浜田駅までの建設工事に着手(今福線)

<今福線について>

今福線とは広島と浜田を結ぶ陰陽連絡鉄道線のひとつとして、1892年鉄道敷設法に明記されている路線でした。島根県側も、1933年下府から今福まで着工されましたが、工事完成直後、太平洋戦争の開戦で中止に、戦後、戦前の路線とは別のルートで鉄道建設公団により、工事が開始され、上記のように三段峡~今福間も着工されましたが、1980年国鉄再建法により、工事が凍結されました。浜田側からの工事路線跡の調査はこちらに。

1989年3月11日、可部線から呉線へ乗り入れる列車の運転開始
1992年3月14日、呉線から可部線に乗り入れる列車の運転開始
1998年9月、JR西日本が可部駅~三段峡駅間廃止の意向表明

141219_5 構内踏切を渡る地元の中学高校生 
左手奥に続く線路が三段峡方面への線路

<可部駅~三段峡駅間の廃止に関して>

廃止直前の列車運行密度は可部~加計間1日8往復、三段峡まで5往復で4時間運行されない時間帯もありました。一方、並行する路線バスは1時間に2本程度運行されていました。最初に廃止の論議が起こったのは1968年9月の赤字83線リストアップでしたが。営業係数は519円でした。この時は地元議会が反対し、本郷線(加計駅~三段峡駅間)の工事も進んでおり、廃止されませんでした。
1984年再び廃止論議が起こりましたが、可部駅~河戸駅間の電化存続案や1985年2月19日に『国鉄可部線対策協議会』の結成もあり、反対運動も活発で廃止とはなりませんでした。
1997年、JR西日本の経営収支で横川~可部間は収入15億円、経費20億円、可部~三段峡間は収入1.4億、経費7.4億と発表があり、横川~可部間は好転の見通しがあっても、可部~三段峡間の赤字は看過できないとのことでした。その後、列車の試験増発や輸送密度調査でも存続条件がクリアされず、第三セクター移行も検討されましたが、可部線対策協議会も存続断念を決定、JR西日本は2002年11月29日、廃止届を提出しました。

2003年12月1日、可部駅 - 三段峡駅間 (46.2km) および、河戸駅 - 三段峡駅間の21駅が廃止
2013年2月1日、JR可部線の電化延伸 (1.6km) について、広島市とJR西日本との間で合意。
2014年2月25日、可部線電化延伸事業の鉄道事業許可をJR西日本が取得。

<廃止区間復活へ向けた動き>
廃止後も廃止区間を復活に向けた動きがあり、2004年1月には住民グループ「太田川流域鉄道再生協会」が結成され、線路や鉄道施設の撤去に反対する運動が行われました。しかし、復活に向けた資金はなかなか集まらず、議員の支持も得られず、2005年には活動を断念、解散に至りました。一方で河戸駅周辺の亀山地区住民、約6,000世帯が「可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会」を結成し、電化延伸運動を開始しました。1996年9月には、地元自治会を中心に377世帯が加入した「河戸地区まちづくり協議会」が旗揚げしました。2003年の廃止の際にも可部駅 - 河戸駅間に関してはJR西日本と広島市の間で「市から電化延伸の協議があれば応じる」と確約を取り付けていました。
2008年9月に、「可部線活性化調査」が国の補助対象に選ばれ、計画が具体化し、JR可部線活性化協議会が設置され、広島市・JR西日本のほか、バス会社やオブサーバーとして国土交通省が参加し、2009年12月には、活性化素案に電化延伸を盛り込む意向が明らかとなりました。2011年2月3日、広島市は可部線で2003年に廃止された区間のうち可部駅から廃止区間にある河戸駅西方約400m付近に設置される予定の新駅までの約2kmを電化して復活させることを明らかにしました(一旦廃止されているため、延伸新線として開業)。

広島市による駅建設用地取得の手続きが遅れ、延伸開業が2017年春に延期すると決まりました。地権者毎に土地の境界を確定する作業に予定より時間がかかり、予定していた2014年内の用地取得が半年ずれる見込みで2016年のダイヤ改正に間に合わず、さらに次の改正時期まで延期となりました。

当初の予定よりは数年遅れての開業となりますが、一旦廃止されたJR路線が復活開業する初めてのケースとなりました。

141219_4 2014/12/19 梅林駅駅舎

2014年8月の豪雨災害では大きな被害が出た梅林駅 土砂が流入し、梅林~上八木間では線路が冠水、上八木駅 - 中島駅間で法面2カ所が崩壊し、始発から全線が運休となりました。

可部線沿線が再び注目されたのは2014年8月20日の「平成26年8月豪雨」による土砂災害でした。太平洋高気圧の張り出しが弱いことと偏西風の蛇行などにより、西日本は大気が不安定で台風の通り道になりやすい条件でした。8月19日11時から、20日6時までの総雨量が243mm1976年の統計開始以来最大の雨量となり、安佐北区可部、安佐南区八木、山本、緑井などの住宅地後背の山が崩れ土石流が発生し、死者74名、重軽傷者44名を出す大災害となりました。

141220 可部駅のホームからみた山肌に残る土石流の跡

可部線はその後、9月1日に復旧しました。

2015年3月14日、横川駅構内の山陽本線~可部線間の複線化工事終了。10月3日227系が運用開始。
2016年3月26日のダイヤ改正からは平日昼間時間帯の使用車両は227系に統一されるそうです。

ということで、次回の記事では可部線で活躍していた車両について触れる予定です。

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