4扉車 西武2000系 2 1次車から4次車のその後
西武鉄道、2000系の話題、前回は6連の製造、一部8連化、そして2連の製造について触れました。今回はその後の変化について触れようと思います。
2011/10/29 新大久保
現在の2001F スカートが取り付けられ、行き先・種別表示器はLEDタイプに変更されています。
まず、前回書き忘れたことの補足ですが、
1)西武の車両のコンプレッサーは長いことAK-3でしたが、2000系から水平対向式HB2000が導入されました。但し、2連のクハのCPは依然としてAK-3でした。
2)6連の2031F, 2033Fを解体して、2001~2007Fに組み込んだ際に、M2車(2100)、M4車(組み込みでM6の2200)のMGは120kVAタイプから150kVAタイプに置き換えられました。
追記:準急豊島園様のコメントにあるように2001~2007Fの8連では編成におけるモハの順序が
←西武新宿 (奇数)
Tc1 M1/M2 M3/M4 M3/M4 Tc2
2000-2100/2100-2300/2300-2200/2200-2000 という順序で組み込まれています。
これは新2000系シリーズで登場した8連のケース
2000-2100/2100-2200/2200-2300/2300-2000 とは異なる順序ですが、機器の配置は同じです。
3)この工事の際に6連のTc車には電連が装備されました。8連には当初装備されませんでしたが、後年装備されました。
2015/6/7 萩山 2003F
2007/8/12 萩山
2005F 更新修繕後の姿
菱形パンタで行き先・種別表示が幕式
2012/12/31 東村山
2005F その後の入場でパンタはシングルアームに、行き先・種別表示もLEDに
2014/7/20 所沢 2007F
2007Fは2016/1/20に幕式に交換されたそうですね (関連記事、関連記事)。
1次車 2001~2013F
更新修繕は1996年から開始され、2003年までに終了しています。
外観上の変化は,Tc車へのスカート取り付け、8両編成では上の写真のようにパンタグラフを減らし、シングルアームタイプに交換する工事が実施されており、M1、M5車の2位側パンタと歩み板が撤去されています。
2000年以前の更新工事では2005Fの2007年の写真のように行き先・種別表示が幕式で出場しています。
パンタのシングルアーム化は2001Fの2004年検査出場から実施され、全編成に普及しました。
2006/5/5 恋ヶ窪
2次車 2015F~2029F
1次車との外観的違いは冷房機脇の歩み板がFRP製だけです。
1986年の田無事故で大きな変化があったグループです。
<1986年田無事故>
1986年3月23日、12時10分頃、大雪の降りしきる田無駅に接近した上り急行2000系(2415F+2017F)が車輪と制輪子の間に雪が詰まり、ホームに停車中だった先行の準急2000系 (2407F+2023F)に追突し、乗員・乗客204名が負傷した事故。2415Fが永久直列制御で、電力回生制動の打ち切り速度が高く、制動能力が低下したのが原因と考えられています。
当時、池袋線用の101系、5000系には耐雪(圧着)ブレーキが装備されていましたが、2000系には装備されておらず、この事故の教訓として全ての車両に装備されました。
この事故で
急行側 クモハ2415+クハ2416 クハ2017+モハ2117+モハ2118+モハ2217
準急側 モハ2224+クハ2024 の8両が廃車となりました。
生き残った2017Fのモハ2218+クハ2018 は改番され、2代目 モハ2224+クハ2024となり、2023Fの残存車両と組み、二代目2023Fとして1989年に運用復帰しました。
1999年、更新修繕を受けた2019、2021Fから行き先・種別表示もLED式に変更され、CPもHS-20Kに変更されました。
2004年に更新修繕を受けた2023F, 2027Fからはパンタグラフが電磁鉤外し式のPT7116BTとなりました。モハ2024, 2124のCPはHB2000のままだそうです。
3次車 モハ2301~2308 クハ2410 2412 2414 2416(田無事故廃車)
当初、2031F, 2033Fとして落成し、後に2001Fから2007F に組み込まれた編成ですが、M4車ではMG, CPが撤去され、M3車では減パン改造でパンタが1基になりましたが、
モハ2301 2305 では2位側パンタ撤去後、歩み板、配線が残り、モハ2303 2307ではこれらが整理されました。
クハのCPはAK-3からHS-10に換装されました。またクハ2414の補助電源装置はMGからSIV(MB1603-Y3)に変更されました。
4次車 クモハ2401~2415 (奇数車)(2415は事故廃車) クハ2402~2408 (偶数車)
1983/8/29 東村山 登場直後、国分寺線に2連2組で投入された姿
同日、西武園線にも同じタイプの編成が投入されていました。
2006/1/2 西武新宿
更新後も菱形パンタ、LED表示器
更新修繕は2003年12月、2413Fから開始され、パンタグラフのシングルアーム化、スカート取り付け、車椅子スペースの設置などのバリアフリー化工事が施工されました。
2014/10/25 新大久保
更新終了後の2403編成 パンタはシングルアーム化されていますが、行き先・種別表示器はLED化はされていません。
2012/4/28 所沢
こちらの編成は行き先・種別表示器もLED化されています。
5次車として、田無事故の補充車 クハ2031~2034、モハ2131~2134 2231~2234 クモハ2417/2419 クハ2418/2420 が製造されました。これらについては次回の記事で触れます。
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コメント
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おはようございます。
先にお詫びです。
昨日のコメントに文字変換を誤りまして、お恥ずかしいです。
申し訳ありませんでした。
西武2000系の8両編成で不思議なのは、
2001Fから2007Fまでの編成は、モハ23・・-モハ23・・のユニットが
8両編成にするとき、6両編成モハ21・・-モハ21・・とモハ22・・-モハ22・・の中間に入れています。
2055Fから2097Fまでの編成の場合、
モハユニットが21・・-22・・-23・・順番になっているんですね。
それにしても田無事故の生き残りの2023Fが最初に横瀬へ 送られ、廃車にしたのは
やはり西武鉄道としても 嫌な記憶を消去したかったのですね!
今年度の2000系の廃車が5編成でしたが、
近江鉄道に譲渡された3000系の改造に 廃車された運転機器が使われるのかなあと想像したりしています。
投稿: 準急豊島園 | 2016年2月 6日 (土) 08時17分
B767さん、おはようございます(^^)旧2000系の2連って、登場当初は国分寺線・西武園線で2連×2=4連で走ってましたね‼︎
投稿: マスダっち1971 | 2016年2月 6日 (土) 10時45分
こんばんは。
2000系も廃車になる時代ですね。3色LED表示は評判が悪かったこともあってか、廃車等で再生品が沢山ある幕式に戻されてきているようですね。カラーLEDに変わらないのは廃車が近いから、なのでしょう。
投稿: MiO | 2016年2月 6日 (土) 23時46分
準急豊島園さま、マスダっち1971さま、MiOさま、おはようございます。
たまたま検査時期が切れるタイミングだったのか、あるいは事故車だからなのか、真偽の程は分かりませんが、そう勘ぐってしまいますね。
確かに登場時、私も偶然だったのか国分寺線で見かけ、東村山で撮影していました。
とりあえず、今年度の廃車は5編成ということだったようですね。その辺は次回の記事で触れようと思います。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2016年2月 7日 (日) 06時03分