« 隅田川貨物駅フェスティバル 4 鉄道コンテナについて2 | トップページ | San Diego Lindbergh空港でのSpotting 16 Northwest A320 »

2016年2月25日 (木)

4扉車 西武2000系 3 5次車、そして初期車両の廃車

西武鉄道、2000系の話題、今回はオリジナルタイプの中でも異色の存在である第5次車についてです。

1986年3月23日に田無駅で発生した追突事故で、2017F 6連のうち、2017,2117,2118, 2217の4両、2023F 6連のうち、2224,2024の2両、2415F 2連全車の8両が廃車となったことは前回の記事でも記述しました。

1989年には2017Fの2218,2018を2224と2024 (二代目)と改番して、2023Fの生き残った4両と組み合わせて新2023Fが組成されましたが、それよりも前の1987年に代替車として、6連2本

2031F (二代目) 1987.8.21 所沢車両工場
2033F (二代目) 1988.1.6   所沢車両工場

さらに1988年に、2連2本

2417F       1988.3.15 所沢車両工場
2419F       1988.4.18  所沢車両工場

が製造されました。 これらが第5次車です。

すでに新2000系が登場する時期でもあったため、車体はオリジナルタイプの2000系でも、箱形のベンチレーター、前面窓の助手席側にもワイパーの装備、側面の方向幕(2031F,2033Fは準備工事,2417F,2419Fは本工事), 客用扉窓の金属押さえなど、オリジナルタイプとは異なる点が多い形態となりました。主制御器も新2000系に準じたものになりました。

2000_011231 2001/12/31 小平

スカートのない更新前のスタイルの頃の5次車。最大の特徴は通風器がグローブタイプから箱形にかわったことです。

2000_2033f_140720_2 2033F 2014/7/20 所沢

更新を受けた後の2033F スカートが取り付けられ、行き先、種別表示器はLED方式に,パンタグラフはシングルアームになりました。バリアフリー化もなされ、側面ナンバーもプレート化されました。

2000_2_011231_2
2001/12/31 萩山
更新前の姿 既に行き先・種別表示幕の下地は黒となっています。

2000_2_2417130101_2 2417F 2013/1/1 萩山

更新後の姿、こちらもスカート、行き先・種別表示器、パンタがそれぞれかわっています。

<初期車両の廃車>

1977年から1979年の製造以来、36年の長きに渡って新宿線を中心に活躍してきた2000系オリジナル車も老朽廃車の時期がやって来ています。

2023F 2015年10月1日 上述のように田無事故で生き残った車両同士で組成された二代目の編成が最初に廃車回送されました。

2000_2009f_130813_3
2000_2009f_130813_2 2009F 2013/8/13 小川

2009F 2015年10月19日 6連では最も古いこの編成がそれに続き、

2013f_150926
2013f_150926_2 2013F 2015/9/26  萩山

2013F 2015年11月11日に廃車回送され、

2030_121231_2
2030_121231 2029F 2012/12/31  東村山
2029F 2015年12月3日に廃車回送となり、

2000_2026_121231 2025F 2012/12/31 萩山

2025F 2015年12月23日  最後はこの編成でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 隅田川貨物駅フェスティバル 4 鉄道コンテナについて2 | トップページ | San Diego Lindbergh空港でのSpotting 16 Northwest A320 »

民鉄:西武鉄道グループ」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

新2000系登場と同じ年(と前の年)に製造された旧2000系、面白かったですね~。

旧2000系の廃車も順調に進んでいくようですね。新2000系はまだまだ大丈夫だと思いますが・・・。

MiOさま、こんばんは。

わたしはあの頃、つくばに移り住んでおり、沿線住民でなくなっていたので、
初代2031Fと2033Fが解体されて、8連が組成されたまではついてったのですが、
田無の事故のあと、2031Fや2033Fが製造されたことや、2023Fが生き残った車両で再び造られたことは、西ドイツ留学後に知りました。
そこへ持ってきて新2000系が大量に登場して、正直何が何かよく分からなくなったのを覚えています。
4月以降は研究所生活も少し楽になり、東京での生活時間も増えるので西武線観察時間も増えそうであります。

こんばんは。今朝の雪には驚きました!!

雪の度に田無事故を思い出します…!

二代目の2031F、2033Fは、
延命更新された直後に乗車しましたが、
椅子の座り心地が悪くなったように感じます。

座る人数分に区切られた盛り上がりが 違和感ありました!


翌年にはN2000系が製造されているわけですから
二代目を製造する意味は何だったのでしょうね。


準急豊島園さま、おはようございます。

今年の雪の状況をみていると、東京で降でもつくばでは雨ということが多いように感じるのですが、昨日の朝はつくばでもうっすらと積もっておりましたから、東京ではもっと積もっていたのかも知れませんね。

確かに旧タイプで敢えて製造する意味は今となってはわかりにくいのですが、新2000系として最初に登場したが東急車輌製の4連だったことを考えると所沢工場の製造をコンスタントに続けるためでしょうか?

B767さん、おはようございます(^^)旧2000系、昔はひし形パンタでしたよね。現在は……旧2000系の全編成、シングルアームパンタになってますよね。

マスダっち1971さま、こんばんは。

仰るとおり、旧2000系、廃車された編成も含めて、すべてシングルアームタイプになっていましたね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 4扉車 西武2000系 3 5次車、そして初期車両の廃車:

« 隅田川貨物駅フェスティバル 4 鉄道コンテナについて2 | トップページ | San Diego Lindbergh空港でのSpotting 16 Northwest A320 »

カテゴリー

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村