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2016年3月31日 (木)

電気機関車 EH500シリーズ 11号機

エコパワー金太郎こと、EH500形電気機関車のシリーズ、今回は11号機です。落成は2001年9月21日でした。

以前に較べると貨物列車を撮影する機会が減って、今回、3月26日のダイヤ改正における機関車の運用もまだ十分に把握はしていないのですが、EH500に関しては従来の黒磯での機関車交換がなくなりスルー運転になったことと、北海道新幹線開業による青函トンネルの新幹線・在来線共用化で青森信号所以北の運用から撤退したことでEH500の運用は大きく変わった感があります。

Eh50011_031009 2003/10/9 上中里

3086列車を牽引して山手貨物線を駒込方面へ
3086列車はEH500形が登場以来、五稜郭、函館貨物から新鶴見まで牽引している列車ですが、今回の改正でも青森信号所から新鶴見までを引き続きEH500が担当するようです。

Eh50011_031220 2003/12/20 常磐貨物線

3056列車到着後、EF641000番台と単機重連で田端に回送。
3056列車で到着した機関車は田端に回送後、昼寝をして夕刻、3057列車で五稜郭に向かうというパターンでしたが、ここ数年は到着後2097列車~2094列車で常磐線土浦まで往復というパターンになっています。

Eh50011_040704 2004/7/4 新小平

新鶴見から3087列車を牽引して五稜郭へ

Eh50011_050423 2005/4/23 高久

Eh50011_060222 2006/2/22 赤羽

3086列車を牽引

Eh50011_060312_1
Eh50011_060312_3 2006/3/12 黒磯

黒磯駅での機関車交換も過去の風景に

Eh50011_060711 2006/7/11 陸前山王

Eh50011_061103 2006/11/3 府中本町

Eh50011_080730 2008/7/30 岩沼

Eh50011_080731 2008/7/31 長町

Eh50011_151221_2 2015/12/21 千刈踏切

津軽海峡線から青森信号所方面にEH500牽引の貨物列車が転線して行く姿ももはや二度と見られぬ光景となりました。

Eh50011_140706 2014/7/6 荒川沖

安中貨物牽引の姿

Eh50011_140426 2014/4/26 ひたち野うしく~荒川沖

常磐貨物2095レ牽引

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2016年3月30日 (水)

Frankfurt am Main Airportでのspotting 3 PIA Boeing 707-340C

冷戦下の西ドイツ、フランクフルト空港でのSpotting、今回は望遠を持ち合わせていなかったため、小さすぎる写真しかないのですがパキスタン国際航空Boeing 707です。

Apaxg_b707340c_20488_849_pia_890506 1989/5/6 FRA

レジはAP-AXGで、Boeing 707-340C cn 20488 ln 849です。貨物機です。

                        

Pakistan International Airlines (Urdu: پاکستان انٹرنیشنل ایئر لائنز‎) はパキスタンのフラッグキャリアーで、国内23地点、海外30地点(27か国)の路線を有しています。路線はアジア、ヨーロッパ、北アメリカに伸び、メインハブはカラチでラホール、イスラマバード/ラワルピンジーは第二ハブです。
PIAは航空史においてはアジアで2番目にジェット機を運航した航空会社、あるいはアジアで2番目にBoeing 737を運航した航空会社として有名です。また、今ではBoeing 777-200LRのローンチカスタマーとしても有名です。約19000名の従業員を抱えており、現在、国営航空から民営航空へ移行の最中であるそうです。

1947年までパキスタンは英領インド帝国(British Raj)統治下にあり、同年8月15日英領インド帝国が独立したときにパキスタンもインドから分離して、後にバングラデシュとなる東パキスタンとともに東西パキスタンとして独立しました。
まだ独立する前の1946年10月23日、新興エアラインのオリエント・エアウエイズがカルカッタで登録されました。1947年2月、アメリカ・テキサスの会社からDouglas DC-3を3機調達し、5月には飛行免許も取得しました。6月には営業を開始し、コルカタ~シットウェ、ヤンゴン(ラングーン)(国はミャンマー)間の路線を飛び始めました。この航空会社はムスリム(イスラム教徒)のみによって運営される英領インド帝国初めての航空会社で、1955年まで運航されました。

1954年6月6日
、オリエント・エアウエイズは東西パキスタンを結ぶダッカ~カラチ間の航路を開設しさらに国内ルートとしてカラチ~ラホール~ペシャワール、カラチ~クゥエッタ~ラホール便も設定しました。赤字も蓄積したため政府は同航空を国営会社にすることにし、1955年3月11日、合併が行われPakistan International Airlines Corporationとなりました。
新たにLockheed L-1049C Super Constellationを入手し、カラチ~カイロ~ローマ経由 ロンドンヒースロー線を開設しました。1956年5月にはL-1049H Super Lockheed Constellation と Vickers Viscount 815 を5機購入しました。

1960年3月Boeing 707Pan AMからウエットリースしました。これがAir Indiaに次ぐアジアで2番目のジェット機運航です。この機材を用いて、最初の大西洋横断路線、カラチ~ロンドン~ニューヨーク(Idlewild)を1961年に開設しました。1962年Boeing 720, Fokker F27, Sikorsky ヘリコプターを導入し、商用旅客機の運航でのスピード記録 938.78km/h (Boeing720) は今日でも破られていない記録となっています。
1964年には北京路線も開設し、非共産主義国としては最初の乗り入れ会社となりました。1965年の印パ戦争開始時にはPIAの機材等はパキスタン空軍の輸送目的に利用されました。1966年にはViscountsがリタイアし、4機のHawker Siddeley Tridentが導入されました。

1970年代は東パキスタンのバングラデシュとしての分離などがあり、PIAが再び軍事目的に利用されることもありました。リビアとの国交樹立でトリポリが目的地に加わり、ユーゴスラビアのJATとも協定も結ばれました。1973年にはMcDonnell Douglas DC-10を導入し、Boeing 707-300がリタイアしました。1974年、PIAは貨物航空会社も立ち上げました。1975年以降、それまでリースだったBoeing 747を購入し、アジアで最良の航空会社と認識されました。

1980年代、カラチに貨物取扱センターが開設され、全機材に対するCD安全性チェックも実施される様になりました。この頃、最初のAirbus A300B4-203が導入されました。1985年にはBoeing737-300が5機導入されています。

1991年6月
A310-300が6機導入され、この時期、よく成田でも撮影しました。1999年にはBoeing747-300を5機、キャセイパシフィック航空からリースし、それまで活躍したBoeing 747-200Mを置き換えました。

2002年10月、ほぼ10年ぶりにBoeing社に新造機発注があり、8機のBoeing 777シリーズがオーダーされました。これらは3機の777-200ER, 2機の-200LRと3機の-300ERから構成されていました。-200LRはそれまでEVA Airから3機のオーダーで止まっていましたが、PIAのオーダーで復活したそうです。

3機の777-200ERを受領した時に新しいカラースキームが導入され、フリート全体が新しいスキームに代わって行きました。2005年11月3日、FokkerF27を置き換えるためにATR42-500が7機導入されました。最初の777-200LRは2006年2月25日に導入され、エバレットからマンチェスター経由でイスラマバードまで飛行しました。早速、3月3日からトロント~カラチ、イスラマバード線に投入されました。

2007年3月5日、EU委員会はPIAの42機のフリートのうち、9機が老朽化で安全性に問題ありとして、EU域内乗り入れ禁止措置を発表しました。該当する機体は747-300とA310-300であり、11月にこの禁止措置は解除されました。

2010年、再び塗装の変更が行われ、2012年2月、5機のBoeing 777-300ERが発注されました。4機のBoeing 737-800もリースされ、2015年には16年間使用されたBoeing 747-300が退役しました。

現時点でのフリート構成は

Airbus A310-300     5機
Airbus A320-200    11機   2機発注中

ATR 42-500                6機
ATR 72-500       5機 

Boeing 777-200ER      6機  1機発注中
Boeing 777-200LR    2機
Boeing 777-300ER      3機   5機発注中 

AP-AXG は1970年12月11日に初飛行し、AP-AWAとしてPIAが登録しました。1970年12月23日納入されますが、1972年3月28日には登録が解除され、G-AZROとして4月8日British Caledonian航空にリース登録、納入されまし。1973年10月31日、PIAに戻り、11月1日、AP-AXGとして再登録されました。1999年1月3日にSales noticeが公開され、2002年にカラチ空港で解体となりました。

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2016年3月29日 (火)

函館市電で活躍中の車両 710形 2

2015年12月の函館旅行で撮影した函館市電の車両を紹介しているシリーズ、710形の2回目です。前回は718号まで紹介しましたので、今回は719号からです。

719_151223_2
719_151223_3
2015/12/23 駒場車庫前にて

この塗装が函館市電の標準塗色かと思います。5系統は湯の川と函館どつく前を結ぶ系統です。

720_151223_2 720号 2015/12/23 十字街

720_151223_2_2
720_151223_3 2015/12/23 谷地頭電停終点

ブラタモリでも放映されていましたが、谷地頭電停は2系統の終点で立待岬に向けて長い坂道を下る途中にあります。函館山はこの写真の右手になります。

721_151223_2 721号 2015/12/23 駒場車庫

このときは終日車庫内で検収中であったため、このような写真しか撮れませんでしたが、「こくほ号」というようです。

走行写真はこちらのサイトに。

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2016年3月28日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 39 大阪環状線における活躍 part1

通勤電車シリーズ103系、今回は大阪環状線における活躍です。大阪環状線の車両全般の歴史は2012年12月3日の記事で触れております。21世紀に入って、大阪環状線を走る103系は前面にクハ103基本番台、500番台ともに車両番号が表示されるようになったため、個体識別がし易くなりました。そこで、今回からはその頃の写真を元に個体別に履歴を追っかけてみようと思います。

登場するクハ103は
基本番台
単灯で登場したグループ 1, 9, 32, 41, 63, 65, 66, 67, 68, 108, 111, 168, 169, 174, 175

シールドビーム2灯非冷房で登場したグループ 186, 187, 197, 198, 205, 206

低運転台量産冷房車 237, 238, 241, 243, 244, 246, 248, 249, 250, 251, 252, 253, 255, 257, 258, 261, 262, 263, 265, 266

高運転台冷房車(非ATC) 797, 800, 804, 806, 823, 833, 834, 842

500番台 501, 502, 514, 520, 529, 531, 533  です。

まずは京都鉄道博物館に展示保存されることになった、クハ103-1の編成です。

103_1031_050822 2005/8/22 桜宮

クハ103-1を一方の先頭車とする編成は2002年夏のJRR編成表によれば

  8  7     6     5    4    3      2     1

   Tc   M     M'   T    T    M   M'    Tc
   1    528  684 399 485  731  887  806

大モリ 1編成でした。

クハ103-1~4というナンバーを与えられた車両は2両ずつあり、初代は後に901~904に改番されており、1964年5月28日に日本車輌と(1,2)東急車両(3,4)で落成した二代目が以後もその番号を背負い続けました。

1号車は池袋区に新製配置後、1971年4月20日に東十条区に転属し、ウグイスからスカイブルーになります。1973年4月7日には浦和区に転属し、1976年4月6日、首都圏から大阪に転勤となりました。異動先は森ノ宮区で大阪環状線での第3の車生となります。

この時期に
1976/.6/18 吹田工場にて冷房改造
1977/4/19 吹田工場にて特別保全工事
1991/2/18 吹田工場にてATS-P取り付け
2001/4/16 吹田工場にて前面整備

2007年3月29日、30年以上住み慣れた森ノ宮区から日根野区に転属となり、再びスカイブルーを纏うことになり、2011年3月30日、廃車となりました。

103_103806_050822 2005/8/22 桜宮

反対側の先頭車 クハ103-806は1979年9月14日、川崎重工製で大モリに新製配置されています。

1991/2/18 吹田工場 ATS-P取り付け
2000/11/30 吹田工場40N体質改善工事 を受けています。

103_103806_101206 2010/12/6 西九条

2014年冬のJRR編成表データでは

LA2編成として

  8  7     6    5    4    3    2    1

   Tc   M    M'   T    T    M  M'   Tc
 838 528 684 399 415 396 552 806 

活躍しています。

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2016年3月27日 (日)

勝田車両センターまつり その2 415系1500番台 part1 展示されたK537編成

2016年3月5日の勝田車両センターの公開「勝田車両センターまつり」の様子、展示車両にもあり、今回のダイヤ改正(3/26)で引退した415系1500番台について触れてみようと思います。

 

4151500_k537160305

 

 


Dsc08449

 

 

2016/3/5 K537編成から1両のみ切り離されて展示されていたクハ411-1627

 

拙blogでは以前に九州地区で活躍した421系、423系については触れたことがあります。しかし、常磐線で活躍した401系、403系さらにその発展形である電源周波数統一タイプの415系についてはきちんと触れてきませんでした。

 

4151500_k525_0412232004/12/23 北小金 
常磐線で活躍していた頃のK525編成 (1500,1600番台トップナンバー) 

401系1960年8月に先行試作車2編成が落成し、性能試験が繰り返され、その後量産に移行し、1965年度までに25編成、100両が製造されました。

403系1964年度から1968年度までに20編成80両が製造されました。主電動機がMT46AからMT54に変更され出力が増大したことはこれまでにも触れてきました。

415系1968年に50Hz/60Hz共用の主変圧器が開発されたことで、1971年から製造開始されました。1990年までに488両が製造されました。その中にシートピッチ拡大の100番台、ロングシートの500番台、セミクロス+車端部ロングシートの700番台、ステンレス車体の1500番台といったバリエーションが登場しました。七尾線電化で113系から改造された800番台も加わりました。

 

1500番台は1985年度から1990年度までに

モハ415/414-1501~1535
クハ411-1501~1534、1601~1634、クハ415-1901
サハ411-1601・1701 の141両が製造されました。

1985年度 クハ1501~1508 1601~1608 モハ415/414-1501~1508 サハ1701
1986年度 クハ1509~1521 1609~1621 モハ415/414-1509~1521
1988年度 クハ1522/1523 1622/1623 モハ415/414-1522/1523
1989年度 クハ1524~1527 1624~1627 モハ415/414-1524~1527
1990年度 クハ1528~1534 1628~1634 クハ415-1901 モハ415/414-1528~1634 サハ1601

 

車体構造は、車内見付けは211系ロングシート車とほぼ同じ、そのため鋼製車に較べ幅が50mm増えて2950mmとなりました。
台車はボルスタレスのDT50C、TR235Cを履きました。

 

制御装置は従来車と同じですが、ステンレス車体で1両あたり5~6トン軽くなっているので限流値を下げて加速性能を従来車と合わせています。

補助機器に関してもMGは190kVAのブラシレスMGに変更になり、CPは容量を上げたC2000Mとしてクハ411-1600に集約されました。

4151500_k820_010603


4151500_k820_010603_22002/6/9 牛久~佐貫
上野寄りの編成が1500番台+サハ411-1701+鋼製車(MM'-700番台)の7連のK820編成

 

国鉄時代には4両編成21本とサハ411-1701の85両が製造され、当初は全車勝田電車区に配置予定でしたが、九州に直接新車を投入した方がイメージアップ効果に繋がるということで、13本(FM1509-1521)は直接、南福岡電車区に投入されました。

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2016年3月26日 (土)

San Diego Trolley 3000形 part4

San Diego Trolley 3000形の4回目最終回です。今回は3008からです。

3008

3008_150113_santa_fe_depot2 2015/1/13 Santa Fe Depot

3008+3001+3010 の3併結編成です。

3009

3009_070114_gillespie_field
2007/1/14 Gillespie Field  

3010
3010_150113_santa_fe_depot 2015/1/13 Santa Fe Depot

最初の写真の編成の反対側です。

30113011_080116_fvtc 2008/1/17 Fashion Valley Transit Center

30113007_080117_fvtc3 2008/1/17 Fashion Valley Transit Center

3008との併結編成が駅に近づくシーンです。Fashion Valleyはその名のとおり、手前のUCSDのある丘と向こうの丘に挟まれた谷となっています。

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2016年3月25日 (金)

広島・四国西南部旅行 広島編 その4 可部線 part2 活躍した車両たち 105系

2014年12月の旅行で訪問した可部線の話題、今回は可部線で活躍を開始した105系のその後です。

105_k09_040903 2004/9/3 広島

下の変化の過程で分かるようにK9編成のクハは配置当初はクハ103-73から改造のクハ105-101でした。

105_k09_040903_4 2004/9/3 広島

国鉄時代に105系として製造、もしくは改造された車両は1987年4月の分割民営化でJRに継承されました。JR西日本へ継承されたクルマではクハ105-7が桜井線で1989年11月、ダンプカーとの踏切事故で廃車となりましたが、その分はモハ102-385を電装解除、先頭車化改造し、クハ104-551として穴埋めし、121両体制で2005年まで継続されてゆきました。

可部線の105系は下関総合車両所広島支所(広ヒロ)所属で、可部線の他、呉線、山陽本線(糸崎~三原、海田市~横川)が守備範囲となっています。

編成の歴史を各年代の編成表で見てみると

Photo 105_k13_141219
105_k13_141219_4 2014/12/19 可部

1両しかいないクハ104-600番台のK13編成

サハ103-66に新造車に準じた運転台を取り付け改造された車両です。

105_k11_141219 2014/12/19 可部

105_k12_141219_3
105_1051_k12_141219 2014/12/19 広島

クハ105-1を先頭にしたK12編成

105_k01_141219_2 2014/12/19 天神川

こちらは3扉車のグループ K1編成

105_k04_130322 2013/3/22 糸崎

糸崎で休むK4編成 あとから取り付けられたWCでクハ後方の側面の窓が潰されています。

2015年冬版のJRR編成表のデータによれば地域別車体塗色一色化も進んでおり、
K1 2011/6/27
K2 2011/5/18
K4  2013/2/19
K5  2010/3/9
K6  2010/8/17
K8  2013/5/17
K9  2013/12/3
K11 2013/10/8
K12 2012/2/16
K13 2012/5/16
K14 2012/7/9      いずれも下関で施行されています。

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2016年3月24日 (木)

公園保存車両 岡崎南公園 その3 名鉄モ401号

全国の公園等に保存されている車両を見て歩くシリーズ、今回も岡崎南公園に保存されている、名鉄モ401号です。

401_140812_8 2014/8/12 岡崎南公園

この車両は元々、名古屋鉄道の前身の美濃電気軌道1926年に導入したセミシ64形だそうです。セミシとは半鋼製車体(セミスティールボディ)の4輪単車(ングルトラックカー)から来ているそうです。

美濃電気軌道が敷設、運営した北方線、後の名鉄揖斐線の北方町~黒野間延伸開業に際して、セミシ64-66の3両が日本車輛製造本店において新製されたそうです。従来車のラストナンバー63に続く続番として64から付番されたそうです。

401_140812_9
車体は美濃電初の半鋼製車体でリベット組み立て工法を多用し、全長は9906mmとなっています。両妻面に運転台を持ち、妻面は当時流行の緩い円弧をを描いた半流線型スタイルでした。鉄道線専用車両として、高床構造となっており、側面前後に2枚ある客用扉下部には内蔵型乗降ステップが設けられ、扉の下端部は車体裾まで引き下げられています。

客用扉部と戸袋部を除く車体側面裾部は上方へ切り欠かれており、台枠が露出しています。

401_140812_13
制御方式は直列4段、並列4段の8段力行ノッチのイングリッシュ・エレクトリックDB1-KC直接制御器を各運転台に搭載しました。主電動機もイングリッシュ・エレクトリック社製のDK-30-B(定格出力40PS 歯車比5.0 (70:14) )を2台搭載しました。台車はブリル社が開発したブリル21-E台車の模倣製造品21-E単台車を装着しました。ブレーキは手用制動を常用し、非常制動として直接制御器の操作で動作する非常用発電制動が併設されました。

401_140812_2 運転台の様子

集電装置はトロリーポールを前後一基ずつ搭載し、前後妻面には並型自動連結器が装着されました。

1926年4月の北方線延伸開業とともに運用が開始され、同日谷汲鉄道の黒野~谷汲間も開業したので、同年9月から直通運転が行われました。

美濃電は名岐鉄道になり、さらに愛知電気鉄道との合併で名古屋鉄道成立後は1941年の形式称号改正で、モ60形(初代)61-63となりました。さらに戦後1949年の形式称号改訂ではモ110形110-112となりました。

1949年にはモ100形より転用したイングリッシュ・エレクトリック製のM-15-C自動加速制御装置を搭載し、制御方式を間接自動制御に改め、常用制動としてSME非常直通空気ブレーキを新設しました。台車枠を強化してDH-16形CPも搭載され、総括制御が可能となりました。また集電装置もY字型ピューゲルへ換装されました。

401_140812_12
この台車枠増強で台車の重量バランスが崩れ、脱線事故が多発するようになり、その対策として2両を一組として2車体3台車の連接構造、ボギー車に改造することとなりました。モ110形からはモ110・モ111の2両が選ばれ、1952年5月、日本車輛本店で改造工事が施工されました。

401_140812_4 車内の様子

改造では連結面側の運転台が撤去され、貫通路、及び貫通幌が設置されました。

主要機器では台車をブリル21-E単台車から日本車輌製造製の形鋼組立形釣り合い梁式2軸ボギー台車D11・D13に換装し、編成両端部にD11台車を、中間連接部にD13台車をそれぞれ装着しました。主電動機はイングリッシュ・エレクトリックDK-30-C(端子電圧600 V時定格出力44.8 kW)に換装し、歯車比4.6 (69:15)で両端台車へ各2基、編成あたり計4基搭載しました。

401_140812_20 連接車としてかなり特徴的なシルエットを持っていたことが想像されます。

集電装置は菱形パンタグラフへ換装し、忠節寄り車体の先頭側に1基搭載し、制御装置および制動装置については改造以前のM-15-C電動カム軸式間接自動制御器およびSME非常直通空気ブレーキを継続使用しました。

改造後のモ110・モ111はモ400形(2代)の形式称号が付与され、記号番号はモ401と編成単位で付与されました。

401_140812 説明板

定員の増加、輸送力アップには貢献しましたが、改造費が高額であったため、以後の改造は行われませんでした。未改造だったモ112号は1959年7月6日付けで廃車となりました。1973年には瀬戸線に3700系が導入され、余剰となったモ700形、モ750形、ク2320形が揖斐線系統に転用となり、モ401は代替対象となり、1973年11月3,4日のさよなら運転を最後に運用離脱、同年12月25日に除籍となりました。廃車後、1974年に岡崎市に寄贈され、南公園で展示されることになりました。

401_140812_21 3種の保存車両の位置関係

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2016年3月23日 (水)

東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part6 MT60 及び MT60A

2015年8月22日の東京総合車両センター公開での直流電車の主電動機展示に沿ったこのシリーズ、今回は MT60形及びMT60A形 主電動機です。

Mt60_150822 MT60 および MT60Aの展示 2015/8/22 東京総合車両センター
60と60A の違いは端子箱の有る無しの違いのようです。

国鉄電車用の主電動機としては381系に搭載されたMT58形がありますが、大井工場の担当ではなかったので紹介がありませんでした。

201 201系 試作編成 三鷹電車区
1979年、昭和52年度第2次債務で落成した試作車が三鷹区にいるとの噂を耳にして、南大泉の自宅から自転車で駆けつけました。

201_810829 1981/8/29 千駄ヶ谷
中央快速運用に入った量産車、登場は1981年からでした。

203_51_050618_2 2005/6/18 南柏

MT60およびMT60Aは国鉄初の電機子チョッパ制御方式が導入され、電力回生ブレーキも装備された201系203系0番台(MT60), その改良型である201系モハ201/200-264以降203系100番台(MT60A)に装備されたモータです。定格回転数は1850rpm、最高回転数4850rpmとMT54やMT55に較べると定格回転数の高いモータでした。出力も150kWとMT63と並んで最高ですが、特性が高速域にシフトしており、低速域での加速性能はMT55搭載の103系と大差ありませんでした。弱め界磁も45%まででした。

201,203系の制御システムは主回路にCH1系電機子チョッパ制御器とHS36形補助制御器(試作車)、CS53系主制御器を組み合わせて搭載し、直巻整流子電動機MT60を制御する方式です。

001_6101_060218 2006/2/18 柏

電機子チョッパ制御は主電動機の電機子回路(主回路)をチョッピングし、起動・加速段階から無段階、無接点、熱損失によるロスの少ない制御が行え、さらに中速域から低速域までの電力回生ブレーキの使用が可能というメリットがある反面、大電力を制御するための素子が必要であり、誘導障害や騒音の問題があり、回生ブレーキ作動時に昇圧チョッパ回路が構成されるため、高速域での回生電圧が架線電圧を大幅に上回り、回生失効しやすい問題点もありました。電機子チョッパ方式を我が国で初めて採用したのは阪神の7001と7101形で、回生ブレーキ付きで実用化したのは営団6000系でした。

このため、地下鉄以外の私鉄各社は容量の小さい複巻電動機の分巻界磁電流をチョッピングして回生ブレーキを使用可能とした界磁チョッパ方式を多く採用しました。これは電機子チョッパ方式は製造コストが高いことと、起動時の抵抗制御によるロスよりは電力回生ブレーキを装備する優位性を優先した結果でした。

8001_040501 2004/5/1 下神明
東急8000系は回生制動が可能な他励界磁チョッパ制御方式を世界で初めて実用化し、運転台操作系では量産車では日本初のワンハンドルマスコンを採用した車両です。

203_61_020420 2002/4/20 北柏付近 100番台 61編成

203系100番台では、一番上の写真のように端子箱を廃したMT60A主電動機が装備されました。

一方、国鉄では界磁チョッパ方式も591系試験電車で検討されたものの、構造が複雑で、架線電圧が変動した際に一時的に大きな電流が流れる特性を持ち、過渡特性が若干悪いため、直巻電動機に較べブラシ・整流子の点検周期が短い複巻電動機の採用に保守現場からの反対が強く、従来の直巻電動機を用いた界磁添加励磁制御方式が開発されたこともあり、界磁チョッパ方式は採用されませんでした。

01_01_130113_2 2013/1/13 渋谷
メトロ 01系 01編成

因みにチョッパ制御方式の最終形は営団地下鉄銀座線01系登場時に開発された高周波分巻チョッパ制御方式で、電機子チョッパと界磁チョッパの両方を組み合わせた方式で電機子チョッパ回路に、並列する形でモータの分巻界磁を制御する4つのチョッパ装置を、分巻界磁を接続したブリッジ回路に取り付けた回路構成で、「前進力行」「前進ブレーキ」「後進力行」「後進ブレーキ」の4つの運転モードの切替えを、4つのチョッパ装置で連続かつ円滑に行うことができる方式であり、4象限チョッパ制御 (4Quadrant: 4Q) とも呼ばれています。この方式はGTO(ゲートターンオフサイリスタ)の開発で可能となったそうです。もっとも、現在はGTOもIGBT(絶縁ゲートバイポーラトランジスタ)に取って代わられようとしています。

最近はチョッパ方式からVVVF方式が主流ですが、そのVVVFでも誘導電動機の回転子に永久磁石を埋め込んだIPMSM (Interior Permanent Magnet Synchronous Motor)という方式が回転子に流れる誘導電流によるエネルギー損失を抑える方式がメトロ16000系などでは適用されているそうです(参考記事)。

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2016年3月22日 (火)

東海道新幹線開業から50年 その28 保存されている新幹線車両 3 鉄道博物館

全国に保存されている新幹線車両、今回は大宮の鉄道博物館に保存されている21-25です。

0_2125_140524 2014/5/24 鉄道博物館 

ヒストリーゾーン1階にカットモデルとして展示してあります。運転室も3分間の入替制ですが、見学できるようです。

-25は第一次車30両の内の一両として、1964年4月28日、日立製作所で落成しました。長らくH25編成の先頭でr活躍し、1978年3月に廃車になりました。

浜松工場で車体を切断し、トラックで当時、万世橋にあった交通博物館に運ばれ、展示されました。

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2016年3月21日 (月)

パリの6つのターミナル駅巡り モンパルナス駅 2 TGV Atlantique

2009年3月のパリ6つのターミナル駅巡り、前回の記事からモンパルナス駅に移っています。今回は同駅を発着するLGV大西洋線の車両 TGV Atlantique です。

Tgv_atlantique_090312_4_2 2009/3/12 Gare Montparnasse

このシリーズ最初のパリ・リヨン駅で見たTGVはSud-Estと呼ばれるタイプでした。Atlantiqueと呼ばれるタイプは第1世代のSud-Estに対して第2世代と呼ばれるタイプで1988年から1992年にかけてアルストムで製造されました。

Tgv_atlantique_090312_9 アルストムの製造銘板 1989年という数字も見えます。

Tgv
表 TGV Sud-EstとAtlantiqueの比較

サイズ、パワーを比較してもAtlantiqueが大きく、強くなっていることが分かります。

外観をみても前頭部キャノピーの上の屋根部分が段差なく滑らかになっており、空気抵抗を減らす工夫が為されたことが分かります。

Tgv_atlantique_090312_12
編成は両端動力車+中間車10両でSud-Est編成よりも2両、中間車が増えています。動力車のモータも直流から交流同期電動機に代わり、定格出力は537.5kW (Sud-Est) から1100kWに増加しています。制御方式はGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御となりました。Sud-Estでは動力車に連結された中間車もモータを搭載していましたが、Atlantique編成では動力車のみのモータ搭載となりました。

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中間の客車の台車は軸箱支持機構がSud-Est編成の筒型ゴム式からコイルバネを使用した軸梁式に変更され、枕ばねもコイルバネから空気バネに変更されました。

ブレーキシステムはSud-Est編成と同一の発電ブレーキ併用電磁自動空気ブレーキであり、台車には踏面ブレーキ・ディスクブレーキが装備されています。

Tgv_atlantique_090312_14

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編成はBarのある二等合造車を挟んで一方が3両の一等車、他方が6両の二等車となっており、定員もSud-Est編成の368名から485名に増えています。

Tgv_atlantique_090312_3
現在ではTGVと言えばこの塗色ですが、Sud-Est編成デビューの頃はオレンジが地色で、Atlantique編成が登場した際に初めて採用されたのがこの塗色で、Sud-Est編成も更新の際にこの塗色となり、以後の標準色となりました。

2009年5月時点で、301-405の105本がアトランティック車両基地 (Technicentre Atlantique) に配置されており、LGV大西洋線系統の列車のほか、LGV大西洋線からLGV南東線・LGV東連絡線方面へ直通する列車にも運用されています。

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2編成併結、動力車を含めて24両の長大編成での運用もあります。

第325編成は、1990年5月18日に開業前のLGV大西洋線クールタラン分岐点 - トゥール間支線において当時の鉄輪式における世界最高速度515.3km/hをヴァンドーム付近の下り勾配で記録しています。この試験走行に際し動力車は車輪径が一回り大きいものに交換され、パンタグラフはカバーで覆い、中間客車は3両に減車され、編成重量も250tまで減らした上で空気抵抗やブレーキなどさまざまな改良が施され、500km/hの速度域に対応した特別編成とされました。

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あくまで個人的印象ですが、日本の新幹線に較べると無骨感は否めないように感じております(笑)。

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2016年3月20日 (日)

江ノ電タンコロ祭り 2015 その2

2015年11月28日29日の2日間、極楽寺検車区で開催された「江ノ電タンコロまつり 2015」、今回はこのイベントの主役、108号です。

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撮影した時間帯は前面に架線ビームの陰が映り込む時間帯でした。

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2015/11/28 極楽寺検車区

108号は鎌倉市由比ガ浜公園で保存されている107号とおなじ100形車両です。100形の導入開始は1929年でまず101形として101~104号が雨宮製作所で製造され、1931年に105形105号が川崎車輌で製造、続いて106形106~110号が新潟鐵工所で製造されました。

Photo
108号 履歴書 車内の掲示から

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100形は江ノ電で初めてボギー台車が採用された形式です。

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台車には昭和6年 新潟鐵工所の製造銘板が

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車内の様子 木製の窓枠、床

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天井のライト、非常灯などの意匠も昭和初期のもの

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マスコンはイギリスのデッカー社(現在のアルストム)が開発し、その図面を元に三菱、東洋電機が製造したDB1型が装備されています。

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手動式の側扉開閉装置 

100形は10両が新造された他に、
111,112号1934年、西武新宿軌道線(後に買収されて都電杉並線:新宿駅前~高円寺一丁目~荻窪駅前)から譲渡
113,114号(初代)1937年、目黒蒲田電鉄デハ15,16を譲渡
113,114号(二代)1953年に王子電気軌道出身の都電154,155号の車体と都電杉並線261,262号の台車を組み合わせ
115号1939年、京王電気軌道八王子線の6号を譲渡
116,117号1939年、東京横浜電鉄玉川線の車体更新で余剰になった車体と景品電鉄からの台車を組み合わせ
が仲間に入っています。

江ノ電は各駅のホームの高さが低かったため、車両にはステップが付いていましたが、1955年に各駅ホームの嵩上げを行い、車両のステップも撤去されました。

1957年に101~104号、1958年に106号と109号が連接台車構造の300形に改造されました。105号は1970年に、600形の入線で、110号は1974年の藤沢駅高架化での600形出力増強でモーターを供出し、休車に、さらに1979年に廃車に、107、108号はATSが搭載できないために1980年に廃車となりました。

107号は由比ヶ浜公園に静態保存となり、108号は極楽寺検車区で動態保存となりました。NHKのブラタモリ2015年「鎌倉の観光」 ではその動く姿が放映されました。

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2016年3月19日 (土)

小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 8 8000系 その5

東武8000系の話題、今回は小菅付近を走っていないどころか、もはやその存在も終止符を打った8000系8R車の話題です。

8175_120107 2012/1/7 朝霞台 8175F

8R車は東上線用に製造され編成で4R車を2本繋げた固定編成で、4M4Tで、中間付随車は新たにサハ8900形となりました。

登場した頃、東上線大山駅のホーム両端には踏切があり、有効長が6両分しかありませんでした。そのため、8Rに成るべき編成はまず4M2Tの6連で使用されました。

その後、ホームが延長出来ないまま、8両編成となり、同駅に停車する8R車は2両分ドアカットで対応するようになりました。この問題は後年、一方の踏切が撤去されることで解消しました。

8175_120428 2012/4/28 池袋 8175F

登場時点から10両編成の運用もありましたが、8000系では10R車は登場せず、8R+2Rで運用されました。有楽町線相互乗り入れ開始後は東上線の運用は10連が基本となり、原則として8R+2Rで運用されるようになりました。

8000_8r_2
表 8000系 8R車

8R編成は17編成製造されました。

編成(池袋側から):クハ8100(奇)- モハ8200(奇)- モハ8300(奇)- サハ8900(奇)- サハ8900(偶)- モハ8200(偶)- モハ8300(偶)- クハ8400(偶)

といった付番のため、クハ8100、クハ8400に欠番が生じました。

登場後20年経過した頃、修繕工事が始まり、1998年から廃車が始まり、また8連の分割工事などが始まりました。

A) 編成丸ごと廃車されたもの、B)4連ワンマン車2本に分割されたもの、C)サハ8900形2両は廃車し、残った2M1Tを3連化したもの

A) 8173F, 8175F, 8177F, 8179F, 8181F, 8185F
B)  8183F, 8197F, 8197F, 8199F, 81105F, 81115F
C)  8187F, 8193F, 8195F, 81101F, 81103F

8185_130818 2013/8/18 常盤台 8185F

今回はここまでです。

次回からは8R車の転用で登場した4Rワンマン改造車、3R車800系、850系について触れる予定です。

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2016年3月18日 (金)

北総鉄道を走る車両たち プロローグ

前回までこのシリーズでは2015年5月24日、久里浜の京急ファインテックで開催された「京急ファミリー鉄道フェスタ」で公開された車両から京急の車両を形式別、さらに都営地下鉄浅草線で活躍中の都営5300系についても触れて参りました。

                       

                                      Hokuso railway logo.png

その流れを引き継いで今回からは京急と相互乗り入れしている、北総鉄道の車両について触れてみようと思います。

北総鉄道は千葉ニュータウン建設と密接な繋がりを持った鉄道です。千葉ニュータウンは千葉県北西部、白井市、船橋市、印西市にまたがる総面積約1930haの大規模ニュータウンで1966年に千葉県が構想を発表し、1969年に都市計画が決定されました。1970年に小室地区から事業が着手されました。首都圏では多摩ニュータウン、港北ニュータウンに次ぐ大規模ニュータウンで計画人口は45,600戸/143,300人でしたが、昨年11月末時点では94,397人となっています。街並は計画的にデザインされ、商業施設、住居、職場が有機的に配置され、都心、成田空港へのアクセスは良く周辺には里山も広がり、多摩ニュータウンなどとは違って北総台地に広がっているために坂が少なく高齢者にとって住みやすい街と評価されています。

9201_151031_3 2015/10/31 京成高砂

京成高砂駅で顔を揃えた京急1000形(2代)と千葉ニュータウン鉄道9200形

都心へのアクセス手段としては現在の北総鉄道のルートと北千葉線、後に東京10号線延伸新線と呼ばれた都営地下鉄新宿線本八幡駅から延伸し、新鎌ヶ谷、印旛松虫に至るルートが計画されました。しかし後者のルートは免許が交付され、一部区間で用地買収も行われましたが千葉ニュータウン事業計画の縮小により、1978年に凍結となり、小室~印旛松虫間は北総線の延長として開発されましたが、残りの区間は採算性の問題や人口増加が見込めないとの判断により、2013年、計画が廃止となりました。

北総鉄道株式会社は京成グループの企業として1972年5月10日北総開発鉄道として設立されました。しかし、京成電鉄の経営状態が悪化したことで、千葉県や宅地開発公団、沿線の自治体、金融機関が出資者に加わり、第三セクター会社になりました。

1979年3月9日 第1期 北初富~小室駅間が開業、北初富から新鎌ヶ谷までの連絡線を介して、新京成電鉄松戸まで乗り入れました。

1982年5月 新東京国際空港アクセス鉄道と位置づけられる。

1984年3月19日 住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線小室駅~千葉ニュータウン中央駅間が開業、鉄道運営を受託

1988年4月1日 住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線の第二種鉄道事業者となり、第一種事業区間を含めて「北総・公団線」と改称。

1991年3月31日 第2期 京成高砂~新鎌ヶ谷間開業

1992年7月8日 新京成線北初富~新鎌ヶ谷間連絡線廃止

1995年4月1日 千葉ニュータウン中央駅~印西牧の原駅間開業

2000年7月22日 印西牧の原~印旛日本医大駅間開業、印旛車両基地運用開始

2004年7月1日 社名を北総鉄道に変更、北総・公団線を北総線に改称

2010年7月17日 成田高速鉄道アクセス株式会社(第三セクター)が印旛日本医大~成田空港高速鉄道接続点(成田市土屋)までを完成させ、成田空港高速鉄道が所有する接続点から成田空港駅までと繋がったことで、京成成田空港線(京成高砂駅~成田空港駅)が完成

Ae_151031_3 2015/10/31 京成高砂

京成成田空港線の開通とともに走り始めた3代目スカイライナー、2代目AE車

現時点で北総線は

京成高砂~小室間 19.8km 第一種鉄道事業区間

小室~印旛日本医大 12.5km 第二種鉄道事業区間 千葉ニュータウン鉄道が第三種事業者 小室駅本体は北総鉄道

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7501_151031 2015/10/31 京成高砂

7300形、7500形は北総鉄道自前の車両

現在使用中の車両は

7500形 自社
9200形 千葉ニュータウン鉄道所有

7300形 自社
3700形 京成からのリース

9100形 千葉ニュータウン鉄道所有
9000形 千葉ニュータウン鉄道所有

となっています。

新シリーズではこれらの車両を紹介して行こうと思います。

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2016年3月17日 (木)

東武ファンフェスタ 2015 3 工場内見学 工場内の各種システムとCP

2015年12月6日に東武鉄道南栗橋車両管区で開催された「東武ファンフェスタ 2015」、前回に続いて工場内の様子です。

151206_22015/12/6 南栗橋車両管区

工場に入場した車両はまず入場線ピットで床下機器箱に付着したホコリをブラシで落とした後、床下気吹装置に搬送され、側面、床面にスリット状のノズルから70m/sの風を吹き付け、付着した粉塵を取り除きます。

151206
その後、車体と分離された台車は自動搬送システムにより、コンピュータシステムの指令で、目的の場所に輸送されます。

Tm63_151206
台車から取り外された主電動機 8000系のTM-63

151206_3
主電動機は界磁と回転子に分解されます。回転子は削正、溝切りが行われ、回転試験に回されます。

151206_4
主電動機の溝切削正機への輸送、回転試験の終わった主電動機の立体倉庫への輸送は無人輸送システムが行います。

151206_5 立体倉庫も、主電動機、コンプレッサ、輪軸などパーツ別に整理されて保管されます。

151206_7

151206_6
車輪に関しても輪軸から車輪と車軸に分解して、マスターゲージを参考に削正されます。

Cp_151206
Hs20c_151206_2
こちらは電動空気圧縮機HS-20C 

Hs20c_151206 解説板

100系、200系、8000系、9000系、10030系、20000(20050)系や30000系初期車に搭載されているレシプロ方式のコンプレッサです。
8000系の場合はC-2000N、D3-FR、HB-2000とHS-20Cの4種類のコンプレッサが搭載され、低騒音タイプのHS-20Cは最終形となっています。編成によって、横方向や縦方向の搭載方式があります。

Rws20a_151206_2
Rws20a_151206
スクリュー式コンプレッサ RWS-20A 30000系後期車(31610F,31411F以降)から搭載

機器全体が箱に収められ一層の低騒音化がなされました。

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2016年3月16日 (水)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 17 Delta A319

San Diego Lindberg空港で撮影した旅客機、今回はDELTA航空A319です。

N302nb_a319114_cn1062_150115_san N302NB Airbus A319-114 cn 1062 2015/1/15 SAN

この機体も現在はDELTAの塗装になっていますが、1999年9月8日に納入された先はノースウエスト航空でした。

DELTAのA319フリートは現在、

N301NB, N302NB, N314NB~N349NB, N351NB~N355NB, N357NB~N366NB, N368NB~N371NB

までの57機のすべてA319-114タイプで構成されており、いずれもがノースウエスト航空に納入された機体です。エンジンは 2x CFMI CFM56-5A5 でConfigrationはノースウエスト時代はC16Y108でしたが、DELTAではC12W18Y96 もしくは C12W18Y102 (N371NBのみ)となっています。

A319_type 表 A319のタイプ 耐空証明取得日と搭載エンジンのタイプ

因みにノースウエスト時代のA319フリートは77機から構成されており、

N303NB~N309NB, N311NB, N350NB, N356NB, N367NB, N372NB~N377NBはS7-Siberia Airlinesに売却されており、N310NB, N312NBはサンクトペテルスブルクを拠点とするROSSIYA Russian Airlines2007年5月22日に売却された後、2008年12月23日、S7-Siberia Airlinesのフリートに加わっています。
S7 - Siberia Airlines

Rossiya - Russian Airlines

N313NBは2003年1月19日、ラガーディア空港で前脚破損事故を起こしてしまい、製造後3年未満で廃棄となっています。

以前、UAのA319の紹介をしましたが、あちらは全てIAE V2500系エンジン搭載の-131だったのに対して、こちらはCFM56シリーズとなっています。

航空機の場合、製造番号から追っかければこういった細かい履歴が分かるのが興味深いです。

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2016年3月15日 (火)

西武3000系 新101系の車体と2000系のメカを受け継いだ通勤車 1

このシリーズ、前回までは既に老朽廃車の発生している、2000系オリジナル版について触れてきました。今回からは2000系に続いて、省エネ電車として池袋線用に投入され、既に全廃された3000系について触れようと思います。

3000_3001_120407 2012/4/7 ひばりヶ丘

1983年登場で、新宿線には2000系が投入され国鉄201系などの省エネ化の波が西武線にも及んでいました。しかし、池袋線の主力は101系、301系などの抑速発電制動方式の抵抗制御車でした。また3扉車が主流であり、2000系の4扉車は新宿線各駅停車にという限定的位置づけでした。そこで、池袋駅での整列乗車を乱すことなく、3扉方式の車体に2000系の制御方式を組み合わせた車両として3000系が設計・製造されました。

3000_3004_120428 2012/4/28 富士見台

1983年4月からは私も西武沿線住民から茨城県つくば市在住になっていましたので、この3000系は日常接する電車ではない存在の電車でした。ですから残念なことに登場時の窓周りベージュの帯が入った101系ゆずりのオリジナル塗装時代の写真はありません。

8両編成9本が4次に渡って製造されました。

1次車   3001 1983/11/10              東急車輌
      3003  1983/11/10              東急車輌
           3005  1983/11/16               東急車輌
2次車  3007  1984/7/23    3207x4 1984/10/8   西武所沢車両工場 
      3009 1984/12/26   3209x4  1985/3/29 西武所沢車両工場 
3次車   3011  1985/6/25    3211x4   1985/9/19 西武所沢車両工場    
      3013  1985/12/14   3213x4   1986/3/14  西武所沢車両工場 
4次車   3015  1986/6/12    3215x4   1986/9/2    西武所沢車両工場
            3017  1986/11/27   3217x4   1987/3/2    西武所沢車両工場

1次車3本は8連として東急車輛で一挙に製造、投入されましたが、2次車以降は製造が所沢工場となり、4連がまず登場し、追って3ヶ月後くらいに中間車4両が竣工し、8連化されるパターンでした。

当初は全編成、池袋線で活躍しましたが、後年、新宿線に転属する編成も現れ、2010年には3005F3007Fが中間車3200番台車を廃車にした6連となり、2013年には8両編成5本が廃車となり、2014年12月までに全車輌が廃車されました。

3000_3008_100102 2010/1/2 所沢
6連化される前、池袋線で最後の活躍中の写真です。

3000系の設計段階では当時増備中だった営団地下鉄有楽町線用7000系を範とした軽量アルミ合金車体、電機子チョッパ制御方式、ボルスタレス台車を履いた当時の西武鉄道では前例のない新機軸が盛り込まれた車両が検討されていたそうですが、実際に登場した車両は普通鋼製車体、台車は101系と同じペデスタル式空気ばね台車FS372A、FS072、主要機器は2000系と同じといったある意味保守的な車両となりました。

7000_7101_160211 2016/2/11 石神井公園
3000系の設計の際に範となった営団地下鉄7000系電車

車体

新101系、301系に似た全金属製構体、前面形状も似た形状となりました。たた、前面のセンターピラーが省略され、凹みが左右一体となり、前面左側窓下部に車番表記が追加されました。これは撮影する方には個体識別がし易くなる朗報でした。

台車中心間隔、ボギーセンター間隔は新101系、301系の13,600mmに対して2000系と同一の13,800mmとなりました。

側面形状も101系、301系では各側窓が独立していましたが、3000系では601系以来の側窓2枚を1枚としてユニット窓風にした見付となりました。戸袋窓の固定支持方式も従来のHゴム方式から金属枠固定支持方式となり、幕板部には初の採用となった側面行き先・種別表示器が設置されました。車体塗装は101系列の方式を踏襲し、イエロー地に側窓周りをベージュとした2色塗りが採用されました。

室内は冷房吹き出し口をスポット式からラインフロー式に変え、化粧板も101系よりも薄い色合いのものとし、明るいイメージとなりました。

3000_3009_140504 2014/5/4 東長崎

今回はいずれも池袋線で活躍する写真を集めてみました。

運転機器

マスコン、ブレーキハンドルは独立したツーハンドル仕様で回生制動が装備されているので電流計は0点を中央にしたゼロセンタータイプとなりました。空気制動は従来の電磁直通ブレーキから電気指令式ブレーキ(HRD-1)に変更されたため、圧力計は元空気ダメ官圧力、制動筒圧力を表示するメータひとつとなり、空いたスペースに故障表示灯がセットされました。

行先種別表示器は指令装置による電動式で、クハ3001形奇数車に装備された指令装置において2つのダイヤルでセットしました。前面表示は行先幕40コマ、側面表示は60コマ仕様でした。

主要機器

2000系との共通化を極力図っていますが、行き先表示機器と放送機器の仕様が異なるため両車の併結は不可能でした。また101系列との併結も性能特性、制動装置が異なるため不可能でした。
中間電動車は2両1ユニット方式で、モハ3101形奇数車に制御装置、抵抗器などの走行関連機器を、偶数車にMG/CPを搭載しました。モハ3200形偶数車は容量の関係からこれら補助機器の搭載がなく自重の40tに対して35tと軽くなりました。

制御装置

日立製作所製の電動カム軸式抵抗制御・直並列組合せ制御および界磁チョッパ制御装置MMC-HTR-20Eが採用され、中間電動車モハ3101形奇数車に搭載されました。電動車2両分・計8基の主電動機を、4基直列繋ぎの2群として直並列制御を行う1C8M制御仕様であり、制御段数は起動1段・直列13段・並列11段で、並列最終段において主電動機の全界磁定格速度に達した後、界磁チョッパ装置による他励界磁制御(弱め界磁制御)領域に移行します。

主電動機

界磁チョッパ制御による回生制動が実装されており、2000系と同様に1両あたり4基の電動機は複巻電動機でした。タイプは日立製作所HS-835-Frb・HS-835-Hrbもしくは東洋電機製造TDK-8030-A・TDK-8030-Bの4機種で定格出力130kW(端子電圧375V・電機子定格電流385A・他励界磁電流24A・定格回転数1,450rpm)の特性はいずれも同一でした。駆動方式は撓み板継ぎ手式中空軸平行カルダン、歯車比は5.31 (85:16)と2000系の仕様を踏襲しました。

Fs072_372 FS372/072台車 揺れ枕部分の欠き取りの大きさの違い

台車

住友金属工業製のペデスタル式台車FS372A(動力台車)・FS072(付随台車)を採用し、前者を中間電動車モハ3101形が、後者を制御車クハ3001形がそれぞれ装着しました。いずれも101系列の導入以来、西武における標準台車として数多くの導入実績を有するダイレクトマウント式空気ばね台車で、2000系が装着する台車と同一機種です。両台車とも固定軸間距離は2,200mm、軸受部の構造は密封型コロ軸受仕様です。また両台車とも製造時期によって揺れ枕部分の形状が異なり、側面から見て向かって左上の欠き取りが小さなものが1983年以前に製造された前期型、欠き取りが大きなものが1983年以降に製造された後期型です。

3001 - 3005編成は制御車であるクハ3001 - 3006を含めて全車ともFS372A(前期型)を装着して落成しましたが、クハ3001 - 3006については1985年にFS072(後期型)を新製し台車交換が実施されました。同6両より発生したFS372A(前期型)は2000系クハ2410・2412・2414・2416に転用されたほか、VVVFインバータ制御の実用試験車に改造された101系モハ145・146に装着されました。また3011編成は制御車2両が新製したFS072(後期型)を装着するのに対し、中間電動車6両は予備品であったFS372A(前期型)を装着しました。さらに前述2000系クハ2410が台車交換以前に装着したFS072(前期型)については、しばらく保管された後にクハ3017の新製に際して活用されたため、3017編成においては同車のみが前期型台車を装着しました。

制動装置

日本エヤーブレーキ製の応荷重装置付・回生制動併用電気指令式電磁直通ブレーキHRD-1Rを装備しました。

集電装置

工進精工所製の菱形パンタグラフKP-62Aを採用し、モハ3101形奇数車に1両当たり2基搭載しました。

補助機器類

電動発電機 (MG) は、電力入力側・出力側ともに従来の直流電動機に代わって三相同期電動機を用いて整流子を廃したブラシレスMGを採用しました。日立製作所HG-77445-01Rもしくは東洋電機製造TDK-3350-Aをモハ3101形偶数車のうちモハ3100番台・モハ3300番台に1基、1編成当たり2基搭載しました。定格出力はいずれも140kVAです。

電動空気圧縮機 (CP) は、日本エヤーブレーキ製のHB-2000CB(定格吐出量2,130L/min)を、MGと同様にモハ3101形偶数車のうちモハ3100番台・モハ3300番台に1基、1編成当たり2基搭載しました。

冷房装置は外装カバーをステンレス製とした三菱電機製の集中式CU-71Cを1両当たり1基、屋上に搭載しました。

連結器

先頭車の前頭部寄りのみ回り子式密着連結器を採用し、中間連結部分はボルト固定による半永久連結器が採用されました。電気連結器の装備は省略されました。連結器胴受部分については、検修時における着脱作業を簡易化する目的で、枕木方向(横手方向)に設置されるチャンネル材について従来の直線形状から山形(凸形)形状に改良しました。また後年、先頭車前面下部に排障器(スカート)が新設されました。

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2016年3月14日 (月)

新京成サンクスフェスタ in くぬぎ山 5 モーターカー試乗

2015年10月24日の新京成くぬぎやま車両基地公開、「新京成サンクスフェスタ」、今回の話題は同所に配置されているモーターカーの試乗です。

No103_151024

No103_151024_3
鉄道イベントでこういった試乗はいつも長蛇の列なのであまり乗ったことがないのですがモーターカーの運転台に乗っての試乗は貴重な機会だったので参加することに致しました。
No103_151024
2015/10/24 くぬぎ山車両基地

展示、試乗に供されたモーターカーはNo.103とナンバーの付いた車両でした。

ディーゼルエンジンで走行する車両でクレーンも装備されています。

No103_151024_2
運転手の着席方向は枕木方向、すなわち線路方向に対して横向きに腰掛けて操作する方式で、前進後退が行いやすい向きになっています。

左手が推進レバー、右手がブレーキハンドルだったと思います。

No103_151024_3
前面窓からの眺めです。

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2016年3月13日 (日)

電気機関車 EH500シリーズ 10号機

エコパワー金太郎こと、EH500形電気機関車のシリーズ、今回からは第3次型と言われるタイプです。落成は2001年8月21日でした。

Eh50010_030215_edit 2003/2/15 黒磯

同じ第3次型でも、10号機から14号機の5両は前照灯周りの枠が太く、3次型を区別する説もあります。

Eh50010_031230 2003/12/30  府中本町

3087列車を牽引して、府中本町を通過

Eh50010_060312_2 2006/3/12 黒磯

列車到着後、機回し中

Eh50010_080801 2008/8/1 郡山

TOYOTA LONG PASS貨物を牽引

Eh50010_120415_2 2012/4/15 久喜

3087列車を牽引

Eh50010_151225_2_3058 2015/12/25 中沢

津軽線を通過

Eh50010_141101 2014/11/1 馬橋

安中貨物を牽引

Eh50010_131210 2013/12/10 二十三夜尊前踏切(ひたち野うしく~荒川沖間)

2095列車を牽引

以上です。

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2016年3月12日 (土)

Frankfurt am Main Airportでのspotting 2 EL AL航空のBoeing707-320C

ドイツのGateway空港、Frankfurt am Main 空港でのspotting、前回は1986年の新婚旅行の際に撮影した西ベルリン線のPAN AM B737-200 について触れました。これからは1989年5月に同空港を訪問したときの写真を紹介致します。

最初はイスラエル エルアル航空Boeing707-320Cです。

4xaty_b707358c_20301_835_el_al_isra 4X-ATY Boeing 707-358C cn20301 ln835 1989/5/6                 

                   
エルアル航空はイスラエルの国営航空会社で創業はイスラエル独立直後の1948年でした。テルアビブのベン・グリオン国際空港を拠点にヨーロッパ、北アメリカ、アジア、アフリカに路線を展開しています。

4xaty_b707358c_20301_835_el_al_is_2 軍用車に先導されてゲートに向かうエルアル機 4X-ATY

イスラエルのアラブ国家との対立やこれまでに何度かハイジャックのターゲットになったことからエルアル航空の旅客機が到着するとドイツに限らず多くの国の空港で独特の緊張感が生まれます。

FrankfurtAMでも着陸した機体を軍の装甲車が先導する光景が見られました。搭乗する際のセキュリティチェックも他の航空会社に較べ数段厳しいものだそうです。

4xaty_b707358c_20301_835_el_al_is_3

過去に運航していた機材

Boeing 747-SP
Boeing 727
Boeing 707
Boeing 757
Douglas DC-8
McDonnell Douglas MD-11
Lockheed Constellation
Bristol Type 175 Britannia

現在のフリート Planespotters.netの情報による

Boeing 737-700   1機 -800  15機  -900  7機
Boeing 747-400   7機
Boeing 767-300ER 7機
Boeing 777-200ER 6機

これから導入予定

ボーイング787-8/ボーイング787-9 15機

1991年5月、エチオピアのユダヤ教徒ベタ・イスラエルをイスラエルに短時間に輸送するために行われたソロモン作戦ではエルアル航空のBoeing747の内部を改造(ギャレーの撤去、4箇所のラバトリー撤去)し、760座席を設け、さらに座席の肘掛けを全て跳ね上げ、1087人を輸送したそうです(正し、3名は機内で誕生した新生児)。ギネスブックに認定されている1機での最大輸送人数だそうです。

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2016年3月11日 (金)

函館市電で活躍中の車両 710形 1

2015年12月の函館旅行で撮影した函館市電の車両を紹介しているシリーズですが、今回からは710形です。

715_151223_2 2015/12/23 駒場車庫
715号

710形の登場は1959年です。1957年700形が5両製造され、その増備という形で1959年から1961年にかけて14両が製造されました。車体設計は700形を元にしていますが、東京都電8000形の影響も受けたと言われています。

715_151223_4 2015/12/23 駒場車庫
715号

車体は前中2扉構成で前扉は2枚引き扉、中扉は片開き、即窓はいわゆるバス窓となっています。
制御方式は間接自動制御で力行3ノッチ、ブレーキ3ノッチで、台車は住友金属工業のFS77-Aです。製造は14両とも新潟鐵工所です。

716_151223 2015/12/23 駒場車庫
716号 車庫内で休息中 隙間から辛うじて写すことが出来ました。

1967年10月にワンマン化改造され、1970年10月に灯油燃焼式暖房が取り付けられました。

車体更新は国鉄五稜郭工場で711号が1985年7月に施行去れ、MG/CPの交換、暖房機器の交換(ヒーター方式に)などが行われました。

718_151223_2 2015/12/23 駒場車庫
718号

廃車も進行しており
717 1973年10月 1971年12月の事故
714 1979年3月
713 1985年5月
712 1994年3月
711 2010年3月
722 2014年3月

718_151224_2 2015/12/24 十字街
718号 この風景は函館市電の象徴的風景かと思います。

今回は以上です。

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2016年3月10日 (木)

豊田車両センターまつり その4 軌陸車

2015年11月7日の豊田車両センターの公開、今回は201系クハ201-1のそばに展示されていた軌陸車です。

151107_8
2015/11/7 豊田車両センター

軌道上と一般道路、両方を走行できる機能を持った車両を軌陸車といい、保線や上の写真のように架線工事用の車両等があります。下の写真にも出てきますが、最近、鉄道イベントではよく見かける存在です。

かつて保線工事といえば、終列車が通過して、線路閉鎖が行われてから、車庫を出庫し、現場に駆けつける方式でしたが、どうしても移動のための時間ロスが問題でした。特に終電から初電までの限られた時間に作業を行う場合、少しでも時間のロスを減らすために軌陸車の存在は首都圏の私鉄などでは重宝がられているようです。

151107_2
この車両の場合は架線作業用のようです。

151107
案内板もありました。

昔は現場まで蒸気機関車牽引の工事列車で行って、物々しい工事が行われていたのですね。
150607_2
150607
同じような車両は西武鉄道武蔵丘のイベントでも展示されていました。

111204
Img_7868
2011/12/4 東武ファンフェスタ 南栗橋車両管区

東武ファンフェスタ2011」では軌陸車、展示のみならず、乗車のイベントもありました。

実際に軌陸車が軌道上を走っているのを見かけたこともあります。

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041018_7
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041018_4 2004/10/18 門司

上の4枚の写真のように門司駅の北九州ターミナルに向かう貨物線でのことですが、貨物列車通過の合間に作業が行われており、ダンプトラックタイプの軌陸車が貨物線の交直デッドセクション付近まで砂利輸送をしていました。

実際のところ、貨物列車通過予定のない時間帯でしたが、見ている側はヒヤヒヤでした。

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2016年3月 9日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 38 奈良線における103系の活躍

通勤電車103系シリーズ、前回は大和路線の愛称が与えられた関西本線について触れましたが、今回は同じ奈良電車区が受け持つ奈良線です。

103_020605 2002/6/5 京都

103_050708_2 2005/7/8 奈良

103_050708 2005/7/8 京都
前面に警戒色の白帯は付いたものの車体番号表示は無かった頃の103系

奈良線は規定上は木津川市の木津駅と京都駅を結ぶ34.7kmの路線で、奈良線と言えども全区間京都府内を走る路線です。そもそもは奈良鉄道が京都~奈良間を建設した路線ですが、関西鉄道と合併後、大阪~名古屋ルートの一部として木津駅以南が関西本線となったため、現在のような構成になったとのことです。

1879年8月18日 官営鉄道、後の東海道本線として京都~稲荷~大谷間が開業

1895年8月5日 奈良鉄道により、京都~伏見間が開業
    11月3日 伏見~桃山間延伸

1896年1月25日 桃山~玉水間延伸
     3月13日 玉水~木津間延伸 
     4月16日 木津~奈良間開業 全通
1905年2月7日 奈良鉄道が路線を関西鉄道に譲渡

1907年10月1日 関西鉄道が国有化

1909年10月12日 国有鉄道線路名制定 木津~京都間を奈良線 木津~奈良間は関西本線に

1921年東山トンネルが開通すると東海道本線は馬場(現在の膳所)~京都駅間の現在のルートになり、京都~稲荷間のルートと稲荷~桃山間の新線が奈良線になりました。京都~伏見間は廃止され、旧線跡地は近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道に払い下げられました。伏見~桃山間は貨物線になりました。

1928年、奈良電気鉄道が開業すると頻度や所要時間で劣るため直通需要を大きく奪われましたが、1984年の電化までこれと言った投資もなされずローカル線状態で放置されました。

因みに天皇をはじめ皇族が奈良を訪問される際も、新幹線で京都に着くとそのまま、近鉄京都線で奈良方面に向かわれるパターンは現在も継続中のようです。

因みに私は京大の化学研究所(宇治)に出張する用事がかつてあったときはよく奈良線を利用しました。

1975年12月19日 自動信号化が完成

1982年3月 CTC導入

1984年10月1日
 京都~奈良間電化 105系、113系による運転開始

電化以前は蒸機+客車の時代があり、気動車化されてからは

キハ55、58、65、45、40、35、20、10など、国鉄ローカル線の定番車両が走っていました。

105_831207_edit 1984/12/7 京都駅 
顔は105系オリジナルスタイルですが、103系1000番台から改造の車両でした。

電化以来、活躍してきた113系は1994年3月に運用が終了、105系も同年9月4日に運用が終了し、桜井線との直通運転もなくなりました。105系の撤退は和歌山線、桜井線に運用を集中させるための措置でした。

1991年3月16日のダイヤ改正からは、117系による快速電車が運転され、1994年9月4日からは105系に代わって103系が投入されました。

103_103133_101210 2010/12/10 京都

戸袋窓が塞がれたクハ103-133

この車両は1969年3月7日、川崎車輛の製造で新製配置は池袋区、1974年4月19日、山手線クハATC準備工事車大量投入で関西、鳳区に転属しています。
1976年12月2日
、冷房改造、1978年10月1日、日根野に転属、1985年2月7日、特別保全工事、1987年12月23日、延命NA工事、1990年10月18日、ATS-P取り付け工事、1998年12月8日、戸袋窓閉鎖工事、2007年9月29日、奈良区に移ってきました。改造などの工事は全て吹田工場です。

103_103180_120913 2012/9/13 京都

クハ103-180

番号から分かるように山手線に登場した試作冷房編成のクハ103-178,-179の次の番号の車両で1972年2月28日、汽車会社製造です。
新製配置は明石区で登場時は非冷房車でした。1984年3月15日、日根野区に転属、1985年3月14日、奈良区に移っています。1985年12月15日、吹田工場で冷房工事、特別保全工事を受けており、1988年10月24日、延命NA、1991年3月9日、ATS-P取り付け工事を同じく吹田工場で受けています。

103_103181_120913_2 2012/9/13 京都

クハ103-181

上記のクハ103-180の反対側のクハで製造から、各種改造に至るまで履歴は全く同じです。

103_103185_120913 2012/9/13 京都

クハ103-185

1972年2月18日、東急車輛製造で、新製配置は明石区、1983年8月22日、日根野区に転属、1984年3月31日、冷房改造、1985年3月14日、奈良区に転属、1990年12月22日、ATS-P取り付け、1991年11月28日、延命N,1998年12月22日、戸袋窓閉鎖、2001年9月18日、前面整備

103_103211_120913 2012/9/13 京都

クハ103-211

1972年3月2日、近畿車輛で製造、明石区配置、1980年8月14日、冷房改造、鷹取工場、1986年9月25日、淀川区転属、1992年2月7日、延命工事N、ATS-P取り付け工事、1992年4月9日、奈良区転属、2002年10月7日、前面整備工事

103_103223_120913 2012/9/13 京都

クハ103-223

量産冷房車として1973年2月28日に川崎重工で製造、池袋区に配置された車両の1両で、山手線での活躍は同線のATC化で短く、1974年2月7日、高槻区に転属となります。1983年3月20日、日根野区転属、1985年3月14日、奈良区転属、1992年3月12日、ATS-P取り付け及び、延命N工事、2002年11月19日、前面整備工事

103_103251_4_100709_2 2010/7/9 京都

クハ103-251

1973年8月17日、川崎重工製造、森ノ宮区に新製配置、1990年10月11日、ATS-P取り付け、1995年6月16日、延命N40、2001年9月17日、前面整備、2006年2月24日奈良区転属

このように同じ奈良線で働く103系でもその製造時期、新製配置区、その後の工事の状況が違っているのが分かります。

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2016年3月 8日 (火)

勝田車両センターまつり その1 概要

2016年3月5日土曜日は勝田車両センターの公開「勝田車両センターまつり」に行ってきました。

160305 2016/3/5 勝田車両センターまつり 入り口

このイベントは往復はがきによる事前予約2700名と首都圏からのJR東日本主催によるびゅう旅行商品300名の参加人数3000名制限のイベントで、わたしは往復はがきで応募しました。

160305_3
鉄道のイベントに往復はがきで応募したのが初めてあり、30年以上常磐線沿線住民でありながら勝田車両センターのイベントに参加するのも初めてでした。

160305_4
1961年6月1日に国鉄勝田電車区として開設されました。常磐線の取手~勝田間交流電化、すなわち取手~藤代間のデッドセクションを介しての車上切り替え方式、交直両用車両のオリジン的車両センターです。2004年に現在の名称、勝田車両センターになりました。

160305_1 展示の内容は上記の様なものでした。

160305_2_2 また、それぞれの場所はこの地図のようでした。

160305_5 メインイベントは 651系、E657系、E653系そして手前の

4151500_k537160305 415系1500番台 K537編成 クハ415-1627

K30_160305 リゾートエクスプレス ゆう K30編成 の車内公開

E5313000k552_160305 昨年末に登場したE531系3000番台 K552編成のHM付き展示

その他、ミニ電車、160305_6 ミニ新幹線の運転、

160305_7
Ho_160305
常磐線車両の懐かしい写真の展示、HO模型の運転会などでした。

因みに1963年の平電化でED75の試作車2両が投入された際に配置されたのは勝田電車区であり、1964年以降、水戸~平間で各種性能試験が行われました。EF80に関しては初期車は田端区に配置されましたが、1967年登場の2次型の51-63は勝田区に配置されました。

最初に記述しましたように、勝田センターは我が国の交直切り替え車両の発祥の地的歴史を持つ基地であるので、その辺の技術解説などを期待していたのですが、今回の展示ではそういったものはありませんでした。

これから数回に渡ってそれぞれの展示車両等にスポットを当てて、紹介して行こうと思います。

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2016年3月 7日 (月)

San Diego Trolley 3000形 part3

San Diego Trolley 3000形の3回目です。今回は3006からです。

3006

3006_060117_oldown 2006/1/17 Oldtown

3000形が導入された頃はOldtownがGreen Line の出発駅だったと思います。

3006_150113_santa_fe_depot 2015/1/13 Santa Fe Depot

現在、Green Lineは12th Imperial Transit Center からDowntownの西側を走り、Santa Fe Depot, Oldtown を通るルートになっています。

3007

3007_070118 2007/1/18 Mission Valley?

3007_150112_12th_imperial_tc 車両基地の内部 創業時から活躍した1000形を挟んで向かって左端が3000形、右側は4000形

3007_150110_12th_imperial_tc 2015/1/10 12th Imperial TC

同停留所の側の車両基地から出庫してきた車両です。

3007_150110_12th_imperial_tc2 Green Line 専用かと思われる3000形ですがOrange Lineの表示もあるようです。

今回は以上です。

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2016年3月 6日 (日)

広島・四国西南部旅行 広島編 その4 可部線 part2 活躍した車両たち 旧国から105系

2014年12月の旅行で訪問した可部線の話題です。今回からは可部線を走った車両です。

前回の記事で記述したように1909年12月に開通して以来、長い歴史のある路線で、蒸機牽引時代、国有化前の時代があり、

17_100320
今も熊本電鉄に現存するモハ90形は、広浜電鉄から継承された社形半鋼製車だそうです。1945年8月6日の原子爆弾投下でモハ90形3両以外は焼失し、廃車となったそうで、残ったモハ90形は1953年まで活躍したそうです。

11

160072 南武支線で活躍中のクモハ11+クハ16の2連

その後、クモハ11、クハ16形の時代となり、1976年から

73

広島運転所で休む可部線 クモハ73

72系が投入されます。塗装はこの写真のようにウグイス色で前面に警戒色のオレンジ色が入れられていました。この写真は1977年3月、瀬野八のEF59を撮影した帰りに、広島に接近する列車から撮ったものです。

これら72系も1984年105系が投入されて置き換えられました。

105_105100_850418_2

105_850418_4 可部線に105系が投入された直後 1985/4/18 広島

2+2の105系編成ですが、前後で顔は違う、扉の枚数も違う珍奇な編成です。

上の写真のクハはクハ105形100番台101-104の4両のどれかで、クハ103形0番台(-73, -11, -12, -25) からの改造車で、新製配置はイケ、シナ (-25のみ)で1972年2月3月にマトに転属し、エメラルドグリーンで活躍しており、1984年に常磐緩行線の103系1000番台が105系に改造された時に、一緒に改造を受けています。担当工場は-101が吹田、-102が広島、-103, -104が幡生でした。4両とも広島運転所に配置され、偶数向きに統一されました。

下の写真はクモハ105形500番台、運行窓の表示から-531かもしれません。こちらはモハ103形102形1000番台から改造の制御電動車で、105系新造車によく似た(詳細に言えば、前面窓下の手すりの位置が少し上だそうです)運転台が装着されました。

モハ103-1031, 1012, 1051, 1027, 1063, 1007, 1020, 1011, 1023, 1024, 1050, 1043, 1054, 1019, 1014, 1015, 1062, 1042, 1006 > クモハ105-501~519

モハ102-1050, 1043, 1054, 1014, 1042 > クモハ105-520~524

モハ103-1035, 1059 > クモハ105-525, 526

モハ102-1035, 1059, 1062, 1006, 1015, 1019 > クモハ105-527~532

改造は広島、名古屋、吹田、大宮、幡生、長野、大井、新津、大船の各工場で施行されました。

これらの中で、MのみがMcに改造されたのが10両あり、M’はクハ104-500番台に改造されました。

モハ102-1031, 1012, 1051, 1027, 1063, 1007, 1020, 1011, 1023, 1024

>クハ104-501~510

改造後の配置はクモハ105-501~524が奈良電車区に525~532が広島運転所に、クハ104-500番台は全車奈良電車区に配置されました。台車はDT33から101系廃車発生品のDT21Tに交換されました。

105系、その後の様子は、次回の記事で。

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2016年3月 5日 (土)

公園保存車両 岡崎南公園 その2 HSST

日本全国の公園等に保存されている航空機、鉄道車両を見て歩いているシリーズですが、今回は前回に引き続き2014年8月12日に訪問した岡崎南公園に保存されていたHSST-03です。

Hsst03_140812_3 HSST-03 2014/8/12 岡崎南公園

HSSTとはHigh Speed Surface Transportの略で、日本が開発を進めた磁気浮揚式鉄道技術です。日本航空や名古屋鉄道が中心となって開発を進め、HSST-100、-200, -300の3システムが開発され、その後、私は行きませんでしたが、2005年3月6日から半年間、当時の長久手町などで開催された「愛知万博 愛・地球博」輸送で実用化され、閉幕後は愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)として運行が続けられています。

日本航空が開発に大きく関わっていたことからも分かるようにこのシステムは都心と60km以上も離れた成田空港へのアクセス時間の短縮を目指したのが開発のきっかけでした。

世界でこういった高速交通システムの開発競争が1960年代から1970年代にかけて熱心に行われ、西ドイツは軌道一次式リニア同期モータを採用したトランスラピッド(MBB社 メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム)、フランスは圧縮空気の圧力で浮上し、プロペラやジェットで推進するアエロトランの開発に力を入れ、日本航空は西ドイツのクラウス=マッファイ社のトランスアーバンの吸引式磁気浮上技術を導入して、1974年頃から開発を行うことにしました。

HSSTでは浮上と案内を兼用した車上一次式リニア誘導モータ方式としており、技術目標は時速300km走行でした。浮上は常電導電磁石方式で、JR東海が建設中のリニア新幹線は超伝導電磁石方式(理想的には-269℃、4度K冷却での超伝導による永久電流磁石)でのです。

HSSTの場合、車体を浮上させるのと案内するのはひとつのシステムで行われており、車体の浮上量は10mm程度です。推進力は車体側にインダクションモーターの電機子側の機能に相当する一次コイルを、軌道側に回転子に相当する二次側金属プレートを持たせ、車両側で磁極切り替え制御を行います。

ブレーキはリニアモーターからの制動力による電気ブレーキを通常ブレーキに、また油圧ブレーキに連動したブレーキシューが軌道側の浮上案内レールを挟むことで制動力を得ています。

車上の推進コイル、浮上コイルに電力供給が必要なため、給電装置は軌道に設置された電車線から車両側に設置された集電装置で直流1500Vを接触給電しています。

Hsst03_140812_8
軌道はHSST-03では上の写真のように2本の軌条が車両の両側から支えるダブルビーム方式でした。

HSST-100は都市型交通システムのような比較的短距離路線を想定したもので愛知高速交通東部丘陵線はこの実用例となりました。

HSST-200は比較的幅の広い適用範囲を想定した中距離路線を想定したもので、4~5台を連結し、最高速度200km/h程度ではしるものです。

HSST-300は高速大量輸送方式でHSST-03はこのモデルでした。

Hsst03_140812_4
HSST-03は1985年の筑波万博、1986年のバンクーバー国際交通博覧会、1987年の岡崎葵博覧会でデモ走行を行い、岡崎葵博覧会の後、南公園に保存となったとのことです。私も筑波の万博は見に行きましたが、果たして乗ったかどうかの記憶はありません。

Hsst03_140812
1989年の横浜博覧会では開催期間中営業路線として運行されました。

Map_of_expo85
自宅に「科学万博-つくば’85の公式ガイドブック」があるので、HSST展示について調べてみると、直線の軌道が上の地図のようにAブロックの左隅に敷かれて展示走行が行われたようです。

Expo85_hsst_3 また、ガイドブック73ページに広告、254,255ページに詳しい解説がありました。

1966年大船駅から横浜ドリームランドを結ぶドリーム交通モノレールが開通しましたが、翌年橋脚の強度不足が発覚し、運休となりました。1982年、ドリーム開発がこの路線を買収し、HSSTの導入を計画しましたが、親会社ダイエーの経営状態が悪化し、計画は頓挫し、2003年正式に廃線となってしまいました。

広島市は白市駅から広島空港までの約8kmの鉄道敷設を計画し、HSSTの導入を検討しましたが、従来方式に計画が変更され、2006年9月には断念に至りました。

海外への売り込みも目指し、HSSTシステム販売会社も設立され、中国、台湾、アメリカなどに売り込みを図りましたが、受注に至らず2011年12月2日に会社は解散しました。

もとっも、新幹線、潜水艦、さらに国内での悲惨な事故の収集すら覚束ない原発までをトップセールスする政権の時代であったら結果は違ったかも知れませんが。

2015年現在では愛知高速交通東部丘陵線が唯一HSSTの営業路線となっています。

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2016年3月 4日 (金)

東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part5 MT57A

2015年8月22日の東京総合車両センター公開での直流電車の主電動機展示に沿ったこのシリーズ、今回はMT57A主電動機です。

Mt57_150822

2015/8/22 東京総合車両センター

国鉄新性能電車は101系からスタートし、MM'ユニット方式が採用され、1台の主制御装置で8台の主電動機を制御する方式から発展して行きました。

 

74_2

クモユニ74 東京

 

83_83_800503

クモニ83 800番台 1980/5/3 松本

荷物車、郵便車等の事業用の電車は当初、旧形電車の改造車でまかなわれ、クモニ13、クモユニ74、クモニ83などが各線区で使用されていましたが、これらの車両も経年とともに老朽化し、1967年に高崎線・上越線系統の普通列車を電車化するにあたり、運転速度などの点から新造形式を準備することとなり、1M方式の新性能郵便車クモユ141形の主電動機として開発されたのがMT57Aです。4個のモータを2個ずつ永久直列接続とするため、端子電圧を750Vとし、出力100kWになりました。制御器はCS44形で抵抗制御方式、直並列組合せ、弱め界磁つきです。

 

83141115_820214

クモニ83+クモユ141+115系 1982/2/14  日暮里

それから10年後の1977年、首都圏地区のATC化に対応し、老朽化したクモヤ90形の置き換え用に登場したのが143系事業用車でこちらでもクモユ141形のシステムをベースにして発電ブレーキ、抑速ブレーキが付加されました。

 

1431_110608_2

クモヤ143-1 2011/6/8 大宮

143系には牽引車として活躍するクモヤ143形、後にクモハ123形クモヤ143形50番台に改造されたクモニ143形、郵便車として僅か4年しか活躍しなかったクモユ143形、身延線の新性能化で登場したクモユニ143形などが存在しました。

1231_070324_18

クモハ123-1 2007/3/24 塩尻

クモハ123形についてはJR東日本、JR東海、JR西日本で活躍した車両をそれぞれ別記事で紹介する予定です。

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2016年3月 3日 (木)

東海道新幹線開業から50年 その27 保存されている新幹線車両 2 青梅鉄道博物館

このシリーズ、2014年10月の東海道新幹線開業50年から、新幹線の車両を見てきました。最近は保存されている新幹線車両を見ていますが、今回は青梅鉄道公園に保存されている0系22形-75です。

2275_150815 2015/8/15 青梅鉄道公園

22-75は0系10次車として1969年7月から1970年2月大阪万国博覧会を前にした時期に「ひかり」の16両編成化を進めるために増備された車両です。先頭の21,22形は-73~-77が同じ時期に製造されています。-75は汽車会社の製造です。

ちなみに21-73は大阪府摂津市、新幹線公園に保存されており、反対側の22-73は沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)に保存されていましたが1998年12月末に解体されたそうです。22-77は福岡県福岡市早良区 さつき幼稚園に保存されているそうです。

10次車では後部標識灯の赤色フィルターが回転式に、乗務員室シートの改良、売店車(25形-400番台の新製、中間普通車の洋式便所設置、上屋根板の板厚を増し、点検用の歩み板を新設などの変化がありました。1等車がグリーン車、2等車が普通車と変更されたのもこの頃でした。

2275_150815_2 引退後、1985年3月、浜松工場からこちら、青梅鉄道公園に運ばれた様です。
わたしも小さい頃は親に連れられて、小学校の遠足などで数回、青梅鉄道公園を訪問していますが、昨年夏、久しぶりに訪問し、この車体を見ました。

2275_150815_4 このシンプルな流線型が我々にとっては新幹線として頭に描くイメージです。

2275_150815_3 車内もあの頃のままの状態で保存されており、東京駅で乗り込んだときのワクワク感が思い出されます。

2275_150815_3_2 海側座席の転換クロスシート B席の窮屈感が思い出されます。

2275_150815_2_2 山側座席 自由席で富士山を見たいときはこちらに座ったものでした。

2275_150815_7 運転席も開放されています。

2275_150815_12 連結面や連結器が見られるのも保存車ならではです。

2275_150815_9 22形 東京寄り先頭車ですから、号車札は16かと思いますが・・・
あのころの0系の雰囲気が良く残されています。

2275_150815_6 TADA氏のサイトの情報によれば、JR発足後、東北・上越新幹線の200系塗色になったこともあったそうですが、やはりオリジナル塗色が似合います。

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2016年3月 2日 (水)

パリの6つのターミナル駅巡り モンパルナス駅 1

パリの6つのターミナル駅を巡るシリーズ今回からはモンパルナス駅(Gare Montparnasse)です。

Gare_090312モンパルナス駅の表示 2009/3/12

行政区的には14区と15区にまたがる形で存在し、オステルリッツ駅同様、フランス西部、南西部方面行き列車の始発駅です。また、TGV-LGV大西洋線(Atlantique、ligne nouvelle 2、LN2)の発着駅でもあります。

090312 1960年代からの再開発や1990年代の近代化で駅とは思えない外観と成った駅舎

駅の歴史は1840年のパリ~ベルサイユ左岸線の起点駅の開業とされており、当時の駅名は「メーヌ城門桟橋(Embarcadère de la barrière du Maine)」でした。1849年にシャルトルまで路線が延伸した際に駅は手狭となったため、より市街地に近いモンパルナス大通りに接する位置に駅を移し、ヴィクトール・ルノワールの設計による新駅が1852年に開業しました。

1895年10月22日には、グランヴィル発の列車が同駅の頭端式ホームに進入の際にブレーキの故障で止まりきれず、車止めを超えて駅舎を突き破り、10m下のレンヌ広場に蒸気機関車が転落するという大事故が起きています。

1900年に、線路4本とホームが増設、第一次大戦後の1929年には駅南のメーヌ広場に到着列車用のメーヌ駅が新設され、1934年には出発用のホームも増設されました。近郊列車はモンパルナス駅、長距離列車はメーヌ駅と使い分けられるようになりました。

090312_4 駅南側の様子

1960年代、パリ再開発の一環としてモンパルナス駅を南に移転しメーヌ駅と統合、跡地にオフィスビル、ショッピングセンターを建てるプロジェクトが開始され、1972年にはパリで最も高い(59階建て、210m)モンパルナスタワーが完成しました。

090312_2 パリでは最も高いビル モンパルナスタワー

1989年、LGV大西洋線の開通で1987年から駅舎が増改築され、1991年にパスツール大通りを挟む形でホーム上にオフィスビルが建てられ、パスツール駅舎が作られました。

駅は28線あり、歴史的経緯から3つの駅から構成されています。上野駅が通勤電車の高架ホーム、長距離列車の地平ホーム、新幹線ホームと分かれているのとおなじかも知れません。

090312_3 モンパルナス1の長距離列車発車案内

モンパルナス1と呼ばれるポルト・オセアンは1~24番線ホームの北側頭端部にあり、モンパルナス2と呼ばれるパスツール駅は1~24番線の南側上部の橋上駅舎、モンパルナス3と呼ばれるヴォージラール駅は25~28番線の頭端部にあります。

2_3_090312 モンパルナス2 Hall Pastuer モンパルナス3 Gare Vaugirard への案内表示

1~9番線    TGV発着
10~17番線  Transillien
18~24番線  TERサントル及びTGV
25~28番線  Carail 及びTERバス・ノルマンジー

次回は同駅で発着する列車の紹介を致します。

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2016年3月 1日 (火)

江ノ電タンコロ祭り 2015 その1

順番が前後してしまいましたが、江ノ電シリーズ、車両編が終わったので、2015年11月28日29日の2日間、極楽寺検車区で開催された「江ノ電タンコロまつり 2015」のレポートに移ります。
15112829 当日のパンフレット

毎年、11月から12月にかけて、週末の土日2日間に渡って開催されるイベントで今回で29回目とのことです。

151128 会場の様子 江ノ電の車内から 2015/11/28

当日(28日)は大船から湘南モノレール江ノ島線を利用して湘南江の島まで行き、そこから江ノ電に乗り換えて極楽寺に向かいました。車中から検車区を見ると既に多くの参加者で賑わっていました。

151128_3 1999年10月14日、関東の駅百選に選ばれた極楽寺駅駅から歩いて

151128_2 江ノ電の踏切を渡ると検車区の入り口です。

151128_4
極楽寺検車区は江ノ電唯一の検車区・工場であり、江ノ電の車両に関する整備はここで行われています。鎌倉市が指定する第一種低層住宅専用地域、本来、工場などは設置できない場所にあるため、環境に配慮した工場運営が求められているそうです。

現在の検修庫の竣工は1995年10月13日で、それ以前は木造の検修庫だったそうです。洗車機を持たないため、洗車台と呼ばれる移動式の台で洗車をおこなっているのもここの特徴です。

151128_5
師走を間近に控えた小春日和のイベントといった感じで小さい子供を連れた方々が多く集まっていました。入り口付近にはこういったミニ江ノ電も。

151128_6
鉄道ベントには付きものの、グッズの販売もありました。

151128_7

151128_2_2
地域の人々に鉄道の運行上重要な装置類の働き等を知ってもらうことも重要ですね。

502_151128
502号の先頭部分カットボディ

500形(初代)は1956年から製造されたモデルで、江ノ電の量産連接車の嚆矢となった車両です。1956年300形301Fと連結車200形112+202編成が試作・比較され、その結果に基づいて量産されたものでした。

モノコック構造でヨーロピアンスタイルの車体が特徴的でした。2編成製造され、501Fは東洋工機製、502Fは東急車輛製造製で形態は両車で若干違っていました。
1984年から85年にかけて前面部曲面ガラスから正面5枚窓に変更、客用扉の両開きが片開き化、車体裾のRを側面部のみ直線化する改造が施され、1989年から90年にかけて吊り掛け駆動方式からカルダン駆動方式に、2000年にはブレーキシステムの電磁SMEから発電ブレーキ併用電気指令式への改造もなされました。
イメージリーダ的車両でしたが、自重が重く、冷房装置搭載が不可能であることなどから2002年に501F、2003年に502Fが廃車となりました。台車などは20形に流用されました。

108_151128_12 なんといっても主役は1931年生まれの御年85歳のタンコロこと108号です。

この108号に関しては次回の記事で紹介致します。

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