« 勝田車両センターまつり その2 415系1500番台 part2 常磐線415系1500番台の変遷 | トップページ | 函館市電で活躍中の車両 710形 3 »

2016年4月16日 (土)

通勤電車シリーズ 103系 40 大阪環状線における活躍 part2

通勤電車103系シリーズ、大阪環状線で最後の活躍をする車両を個別にその履歴から観ていますが、今回も基本番台車です。

103_1039_050708_2 クハ103-9 2005/7/8 桜宮

1964年7月22日、東急車輌製造、新製配置は池袋区でした。1973年8月1日、品川区に転属、1979年7月7日、蒲田区へ転属し、塗装はスカイブルーになったかならないかの2ヶ月弱の1979年8月31日、森ノ宮区へ転属となり、関東を離れました。1980年2月2日、吹田工場で冷房改造、1985年3月4日、特別保全工事、1987年9月29日、吹田工場にて延命NA工事、1990年10月15日、ATS-P取り付け工事、2000年1月27日、戸袋窓閉塞工事、2003年3月25日、前面整備工事をして、2006年4月4日、奈良区に転出し、2007年9月10日、廃車となりました。

103_10332_050708 クハ103-32 2005/7/8 桜宮

1964年10月29日、汽車会社製造、新製配置は池袋区、1974年3月8日、鳳区に転出し、関東を離れました。1978年10月1日、日根野区に転出、1981年10月28日、鷹取工場にて冷房改造、1989年3月、奈良区に転属、1991年1月31日、吹田工場にてATS-P取り付け、1991年2月2日、森の宮区に転属、2002年4月25日、前面整備工事、2007年12月20日、日根野区に転属、2011年2月2日、廃車。

103_10341_050822 クハ103-41  2005/8/22 野田

1964年11月5日、近畿車輛にて製造、品川区に新製配置、1979年3月11日、蒲田区に転属、1979年3月31日、森の宮区に転属、1980年3月31日、吹田工場にて冷房改造、1982年7月9日、特別保全工事、日根野区に転属後、1990年12月22日、ATS-P取り付け、2002年12月25日、前面整備、2006年2月16日、奈良区へ転出、2007年9月12日、日根野区へ転属、2011年2月16日、廃車。

103_10363_030327 クハ103-63 黒Hゴム時代 2003/3/27 桜宮

103_10363_050822 クハ103-63 金属押さえ時代 2005/8/22 野田

1965年5月17日、東急車輌、池袋区新製配置、1973年3月10日、浦和区に転属、1976年3月26日、森の宮区へ、1976年7月2日、吹田工場にて冷房改造、1983年11月14日、特別保全工事、1988年11月9日、延命NA工事、1991年1月23日、ATS-P取り付け工事、2004年5月27日、前面整備工事、2006年7月13日、日根野区に転属、 2011年9月5日、廃車。

103_10365_030327 クハ103-65 2003/3/27 桜宮

103_10365_050822 クハ103-65 Loop Pack HM付き 2005/8/22

1965年8月20日、東急車輌製造、池袋区新製配置、1973年3月16日、浦和区転属、1976年4月1日、森の宮区転属、1976年5月20日、吹田工場冷房改造、1989年9月30日、延命NA工事、1990年12月10日、ATS-P取り付け、2001年10月19日、前面整備工事、2008年3月27日、日根野区に転属、2011年8月12日、廃車。

今回紹介したクハは当初、山手線で活躍し、1973年から74年にかけて、量産冷房車やATC準備工事車が投入される頃、京浜東北線に転属し、その後すぐに関西に来ている車両です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 勝田車両センターまつり その2 415系1500番台 part2 常磐線415系1500番台の変遷 | トップページ | 函館市電で活躍中の車両 710形 3 »

旅行・地域」カテゴリの記事

電車103系」カテゴリの記事

コメント

B767-281様今晩は。クハ103の初期車、懐かしいです。関西への大移動そして冷房改造まで施され長生きしましたね。関西系は冷房電源の高圧引き渡しジャンパ線も両渡りだったことでしょうか。500番台のクハ
と組むため、かなりの両数の偶数番号車が、方向転換し、奇数向きで使われ本領発揮しました。高運転台の車も、初期車廃車に伴い方向転換して現在に至っている物もあります。私の悪友は大阪に出張したら別の103系がはしっていた、と40N車を評していましたが、彼らにも、いよいよ終焉の時が迫ってきました。

細井忠邦さま、おはようございます。

仰る通り、もともと両渡りだった先頭車が冷房改造で片渡り、方転不能となったケースは115系などでもありましたが、関西の103系は僚友の廃車で方転をして使われているところをみると冷房改造時にもその点が考慮されていたのですね。

編成表データを付けてその辺の変化を追ってみるのも面白いですね。

おはようございます。


池袋や品川電車区から直接 吹田電車区に転属しなかったのが不思議に感じます。


1973年当時、高校1年だったとき
数学を教えて頂きに 高校の数学教師の自宅が高田馬場にあり、毎週土曜日の午後に通っていました。


ATC化が決まり、低運転台のクハとモハが非冷房車が少しずつ転属して
高運転台ATC準備車の前方視界の悪さに イライラしました!

それよりも昼間であっても暗幕を下げている運転士に 昼間から下げているんじゃねーと感じられた!

携帯電話も無い時代、競馬や競輪など新聞を見ながら、肘でノッチを入れている野郎もいました!


以前もお話しましたが、当時はユニット単位で 新製されていて
毎月、鉄道雑誌3誌で新製と転属を確認するのが楽しみでした。


それに103系の場合、車両の端の屋根を見て、転属前のペイントが 見えていました!

マスキングをせずに塗装をする国鉄は、雑な作業だと感じられた!


そうそう、高田馬場で数学の勉強を終えると
明治通りの関水金属のショールームへ寄り道するのが 楽しみでした。


またまた長々と すいませんでした。

準急豊島園さま、こんばんは。

103系のクハ、ATCや方向幕装置の操作盤などで、運転席後方の窓が塞がれましたね。確かにあの頃、運転席での勤務態度が新聞などでスクープされることもありました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 通勤電車シリーズ 103系 40 大阪環状線における活躍 part2:

« 勝田車両センターまつり その2 415系1500番台 part2 常磐線415系1500番台の変遷 | トップページ | 函館市電で活躍中の車両 710形 3 »

カテゴリー

最近のコメント

2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村