通勤電車シリーズ 103系 42 大阪環状線における活躍 part4
大阪環状線の103系、基本番台、一つ目で登場したクハを先頭にした写真を紹介致します。
クハ103-111は1967年11月10日、帝國車両の製造で、品川電車区に新製配置されました。1975年6月4日、明石区に転属、1976年9月25日、冷房改造(吹田工場)、1983年6月2日、森の宮区転属、1987年1月28日、特別保全工事(吹田)、1990年2月22日、延命工事NA、1991年1月10日、ATS-P取り付け(吹田)、2007年6月23日、奈良区転属、2011年6月29日、廃車
因みに帝國車両製のクハ103は-84~-87, -92, -93, -99~-102, -111, -112, -578, -579, -609, -610, -631, -632と極めてマイナーなグループです。1890年頃、創業の梅鉢鐵工所から、1939年に京成電気軌道の傘下となり、1941年に帝國車両工業株式会社となり、堺市鳳の工場を中心に国鉄車両から南海電気鉄道の車両、多くの路面電車の製造を行いましたが、1968年に東急車輌製造と合併しました。
(付記)細井忠邦さまのコメントにあるように、山手線時代の1972年6月23日、日暮里駅構内追突事故で京浜東北線1332C電車103系10連(クハ103-544)と衝突した車両です(1370電車)。
クハ103-168は1970年1月27日、東急車輌にて製造、新製配置は明石区。1983年8月23日、淀川区に転属。1985年3月14日、森の宮区に転属。1988年6月10日、冷房改造(吹田)。1990年11月27日、ATS-P取り付け(吹田)。2002年2月6日、前面改造、2006年4月4日、奈良区転属。
2005/7/8 桜宮 169の文字間は明らかに広い。
クハ103-169は168と同じ車生を歩み、前面改造は2001年11月27日、2007年2月28日、日根野区に転属
クハ103-174は1969年11月24日、日本車輌で落成。森の宮区に新製配置。1980年2月25日、吹田工場で冷房改造(川崎重工)、1987年7月13日、特別保全工事(吹田)、1991年1月11日、ATS-P取り付け(吹田)、1993年6月23日、特別保全工事(吹田)、2002年7月26日、前面改造、2006年5月26日、奈良区転属
クハ103-175は誕生は-174と同じですが、1979年12月19日、吹田工場で冷房改造(近車)は若干早く、以降の工事、転属は-174と同じです。
以上で、元祖、一つ目のクハ103、基本番台は終わりです。次は、500番台クハです。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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B767−281様 おはようございます。クハ103−111は72年6月のいわゆる日暮里事故の該当車です。当時は山手線で活躍中で、京浜東北線のクハ103ー544と衝突、前面破損しました。復旧後環状線に両車とも転属、544の方は廃車になっていますが、111は関西線でまだ健在ですね。
投稿: 細井忠邦 | 2016年5月22日 (日) 06時09分
細井忠邦さま、こんばんは。
私もコメントを頂いて、日暮里事故があったことを思い出しました。
調べてみると、データイムに山手、京浜東北が同じ線路を走っていた際に、日暮里駅を出発した北行き京浜東北の103系が戸閉表示灯の消灯で停止していたところに、鶯谷を1分遅れで出発した山手の103系が追突したのですね。143名が負傷した事故で、両線にATC設置のきっかけとなった事故ですね。クハ103-544とクハ103-111はいずれも数年後に復帰。
ありがとうございました。記事にも付記しておきます。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2016年5月22日 (日) 20時28分
B767-281様おはようございます。111番廃車になっていましたか、調べもせずすみませんでした。
投稿: 細井忠邦 | 2016年5月23日 (月) 07時15分