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2016年5月27日 (金)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 21 American MD-82

San Diego Lindberg空港で撮影した旅客機、今回はAmerican 航空MD-82です。

アメリカン航空は1930年1月25日に「アメリカン・エアウェイズ・コーポレーション」と社名登録しましたが、それ以前は82社からなる「アメリカン・エアウェイズ」のブランド名で纏まった航空集合体でした。

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ニューヨークを本拠地としてボストン、ニューヨーク、シカゴとダラスへの路線を運航し、ダラスからはロサンゼルスへ繋ぐことにより、早くから長距離路線によるコネクション方を編み出しました。設立当初の運行機材は主にフォッカー トライモーターフォード トライモータを利用していました。

N271aa_mcdonnell_douglas_md82_dc9_2 N271AA cn 49293 ln 1212 2005/1/21 SAN

1934年、数々の運搬会社を保有するコード・ホールディングス社がアメリカン・エアウェイズを買収し、現名のアメリカン航空に社名変更しました。当時はダグラス社と積極的に飛行機設計の提携を結び、1936年には共同によりダグラス DC-3の開発と運航に成功。長距離用のDC-3を導入後、運行機を「フラッグシップ」(旗艦)、空港ラウンジを「アドミラルズ・クラブ」(提督クラブ)などと航海用語を自社ブランドへ使い始めました。また当時のブランドイメージとして機長席の窓から四星の「提督ペナント」旗が掲げられていました。

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第二次世界大戦後、欧州路線への拡張としてアメリカン・オーバーシーズ航空を子会社として設立しました。しかし1950年にアメリカン・オーバーシーズ航空は当時のライバル・パンアメリカン航空へ売却されました。同時期にアメリカン航空はメキシコ主要都市へ路線を拡大してゆきました。

1959年1月25日Boeing707で初のジェット機による大陸横断便を運航。1960年代にはアメリカ本土の西と東海岸をノンストップ便で結ぶジェット旅客機が積極的に導入され、当時の宇宙開拓ブームにより「アストロジェット」として親しまれました。

1962年にはIBM社との協力で世界初の電子航空予約システムSABREを導入。これにより今まで紙と鉛筆で行っていた予約システムがコンピューター管理で可能になり予約の効率性を高めることに成功しました。

この時代、アメリカン航空はユナイテッド航空、デルタ航空、イースタン航空と共に「Big4」と呼ばれる大手国内線航空会社へと成長してゆきました。

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1979年に本拠地をダラスに移し、ダラスがアメリカ本土の中心地点であるという地理的条件を利用し、路線図をスポーク&ハブ・システムに組み替えました。1981年からダラス・フォートワース国際空港とシカゴ・オヘア国際空港を主要ハブとし、欧州や日本への路線を拡大してゆきました。

1990年、経営難のトランス・ワールド航空からロンドン・ヒースロー空港への路線権利を4億4500万ドルで獲得し、同年、経営難のイースタン航空からマイアミ空港のハブと中南米路線の権利を購入し、1990年代以降、アメリカン航空はマイアミのハブを最大限に利用し、カリブ海や中南米への路線開拓へ力を注いでゆきました。

1998年に、ブリティッシュ・エアウェイズカナディアン航空、キャセイパシフィック航空、およびカンタス航空と共に航空連合「ワンワールド」の結成を発表しました。

2001年4月、長い間経営難に悩まされていたトランス・ワールド航空とセントルイスのハブ権利を買収。大手ライバルを吸収することによってアメリカン航空の成長に期待感が生まれました。

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同年の9月に発生したアメリカ同時多発テロ事件では、国内線の11便と77便がハイジャックされてテロに使われ、そのため利用客が激減して経営が悪化し、一時期は破産寸前まで追い込まれました。ユナイテッド航空・デルタ航空・ノースウエスト航空といった大手の同業他社が連邦倒産法第11章の適用を申請して破産宣告する中、アメリカンも破産宣告をする案が社内で議論されたましが、「機内サービスを減らし、コストダウンを図れるところは何でもし、何とか持ち直す」方法で破産を回避しました。

徹底的なコストダウン、機体重量の軽量化、ポリッシュドスキンボディの維持などを行い、2007年には業績利益を達成するまでに至りましたが。2008年頃からの燃料費の上昇で、2011年11月29日、ニューヨーク州裁判所に連邦倒産法チャプター11の適用を申請し、破綻に至りました。

以降の歴史は次回の記事で。

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