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2016年7月16日 (土)

大宮鉄道ふれあいフェア2016 国鉄色に戻ったEF65 2139号機 

2016年5月28日の大宮公開、今回はEF65形1000番台PFの最終号機、2139号機の全般検査入場と更新塗装からオリジナル塗装変更の話題です。

Ef65_2139_160528_36
2016/5/28 大宮車両センター公開

EF652139号機は沖田祐作氏の機関車表データによると

EF651139    川崎重工兵庫工場=632/= 富士電機       1979-08-29 E96tBBB(1067)
   車歴;1979-08-29 製造→ 納入;国鉄;EF651139→ 配属;関西支社→
      1979-08-29 配置;宮原→1985-03-14 吹田→1987-04-01JR 貨物;EF651139→
      配置;吹田機関区→1989-03-11 高崎機関区→ 新鶴見機関区→
      1995-04-01 現在;新鶴見機関区→2002-09-04 現在(大宮工場更新);新鶴見機関区→
      2008-04-01 現在;新鶴見機関区

1979年8月29日、川崎重工兵庫工場で電気関係富士電機とのコラボにより、落成しています。PF形では8次車でした。新製配置は宮原機関区で関西対九州の寝台特急牽引に活躍していたEF58の置き換え用として1129-1139号機の11両が配置されました。同じ8次車グループの1119-1128号機は下関運転所に配置されました。

Ef65_1139_020910_0 2002/9/10 東十条

上の機関車表のデータと照合し、この写真は更新出場直後の写真と分かりました。
当時の更新塗色は所謂、3色更新でした。

関西 - 九州間の寝台列車牽引を目的としていたため、耐寒耐雪設備の一部であるスノープラウ・汽笛カバーや砂撒き管ヒーター、主電動機用歯車箱の防雪覆いなどは省略されました。さらにこれまでの使用実績から主電動機がMT52Bに、避雷器はLA16に変更されました。また、亀裂防止の観点から台車枠は溶接が強化され、台車にとりつけられたオイルダンパーが折損した際に車両外側に飛び出すのをふせぐため、取り付け方向が90度変更されました。

1985年3月14日に吹田機関区転属、分割民営化ではJR貨物に継承され、1989年3月11日、高崎機関区に転属、その後、1995年4月1日、新鶴見機関区に転属となりました。2002年9月4日には大宮工場で更新改造を受け、出場しています。

1991年から1992年にかけて、電磁給排弁を併用せずに貨物列車制動時の空走距離を短縮させるため、自動空気ブレーキ系の常用減圧促進改造が施工されています。ツリアイ空気ダメの容量を縮小した上で、膨張ダメおよびJB中継弁の設置を行っています。

Ef65_1139_041107 2004/11/7 浜川崎 3色更新色時代

コキ50000形改造の100km/h運転対応車(250000番台)牽引に対応するもので、改造当初はナンバープレートの地色を、側面はコキ50000形250000番台の外部塗色に合わせた淡緑色、正面を青15号としましたが、夜間作業等、暗い時に判別がつきにくいため、当時、試験塗装を纏っていたEF64 1010号機に倣い、赤色で区別しました。

Ef65_1139_070811 2007/8/11 新川崎 ワム8による紙列車牽引 

1045・1057・1058・1060・1063 - 1092・1096・1097・1117・1138・1139号機 の39両に施工されましたが、CLE電磁自動空気ブレーキを装備し110km/h運転が可能なコキ100系貨車の量産開始後、コキ250000で組成された編成はコキ100系への置き換えが進み、機関車も同時期に増産されたEF66形に置き換えられたため、その後は限定仕業を解除され、非改造機と共通の運用に充当されています。

Ef65_1139_110213_2 2011/2/13 古河~栗橋間

東日本大震災の約1ヶ月前の撮影ですが、この頃には2色更新色になっていました。

さらに以前にも記しましたが、国土交通省の鉄道に関する技術上の基準を定める省令によって、100km/hを超える運転を行う車両には新たな保安装置(運転状況記録装置)の搭載が義務付けられました。この有無による、JR旅客会社JR貨物が所有する本形式の最高速度の相違を区別するために、2012年5月からJR貨物所有のEF65PFに対して車両番号が元番号に1000を加算する措置が取られました。

Ef65_2139_130622 2013/6/22 浦和
2000番台改番後、更新塗色の姿

常用減圧促進改造を施工された車両は、赤色プレートの上に切り抜き文字を、それ以外の車両はディープブルー色プレートの上に切り抜き文字を貼り付けています。ただし2119・2121号機は改番前のものに近い鮮やかな青色プレートの上に切り抜き文字となっていました。切り抜き文字はすべて金色です。更新工事未施工車で改番が行われたのは2077・2119・2121号機のみでした。


Ef65_2139_160528_34 「はやぶさ」HM

Ef65_2139_160528
いわゆる「葉桜」のHM

Ef65_2139_160528_5
「がまだぜ熊本」(がんばれ・精をだせ熊本)の特製HM

車齢37年を迎えようとする2016年3月2日5回目の?全般検査施 行で大宮工場に入場、その際にこれが最後の全般検査出場を記念してか、あるいは国鉄色機2119号機、2121号機の運用離脱で国鉄色機の伝統を絶やさな いためか、JRマークも付けない国鉄色に変更され、2016年4月28日、僚機2091号機に牽引され出場、大宮~東大宮~西浦和~新鶴見(信)の経路で 回送され、所属区に戻りました。

この話題の機関車は大宮公開で早速展示され、上の写真のように、上野側は「さくら」や塗色変更の特製HM、宇都宮側は「はやぶさ」や熊本地震の被災者を応援する「がまだぜ熊本」のHMが飾られました。

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コメント

おはようございます。
この数日 夜は涼しく過ごせて楽ですね。


EF65 2139 PFの最終機、最初に宮原に配置され、EF58を淘汰したことは知っていましたが、
JR貨物に継承され、高崎配置もあったのは知りませんでした。


東京機関区のPFも多数がJR貨物に譲渡されたのも
準急豊島園というハンドネームを使い出して知りました。

JR貨物になってから機関車は 本当に浦島太郎状態です。


EF65PFはJR貨物色よりも やはり特急色が似合います。

B767-281様こんにちは。貫通扉とPS22のスタイルはあまり好きではありませんが、こうしてオリジナル塗装になってみるとなかなか見られますね^_^やはりJRマークが無いのが1番です。

準急豊島園さま、細井忠邦さま、おはようございます。

EF65PFといえば客貨両用の機関車でしたが、我が国からは普通の客車列車というものがなくなってしまいました。

蒸気機関車はあれだけ動態保存されているのですから、
本当は客車を牽く直流機関車を一両ちゃんと残して欲しい気も致します。

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