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2016年7月23日 (土)

広島・四国西南部旅行 広島編 その5 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)プロローグ

2014年12月の広島・四国西南部旅行では、12月19日、午前中、可部線を訪問し、さらに天神川駅からイオンモール府中(保存蒸機C11 189号機)を見学し、呉線にて呉市を訪れました。
広島訪問のひとつの目的が「戦艦大和ミュージアム」として有名な呉市海事歴史科学館の訪問でした。

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日本では明治時代の後半に舞鶴、横須賀、呉、佐世保の4港が軍港に指定され、各港に鎮守府と海軍工廠がおかれ、艦隊や航空隊の母港・所属地となりました。大湊は軍港より格下の要港に指定され、要港部が置かれました。太平洋戦争後はこれら5港が海上自衛隊に引き継がれ、艦船の母港として機能しています。横須賀と佐世保は在日アメリカ軍の拠点として第7艦隊の事実上の母港のひとつとなっています。

呉海事歴史科学館は明治時代以降の呉の軍港、鎮守府としての歴史や、基幹産業となった製鋼、造船などの科学技術史を展示し、後世に伝える目的で、1905年の日本海海戦から100年目、1945年の太平洋戦争終結から60年目の2005年4月23日に開館しました。

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呉市は被爆地・広島にも近く、海上自衛隊と在日アメリカ陸軍の施設が現役で稼働している安全保障の現場としての土地柄、修学旅行生の平和学習の場としても活用されています。

平和学習の場として開放し、呉市の歴史的観光資源を再発見することを主目的としており、実物の兵器や当時の映像フィルムを淡々と展示し、意見や注釈は付けず、政治的にはニュートラルな立場を取り、歴史認識については来館者個々に任せるのがこの館の方針とのことです。ここら辺は、靖国神社の遊就館の展示とは大きく異なっています。

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この館の展示でもっとも印象的な展示は1/10スケールの戦艦大和の展示かと思われます。旅番組などでこの博物館を訪問した際に必ず紹介される展示物であり、象徴的であります。

実はこの旅行では海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」も訪問し、翌月2015年1月にはサンジエゴで空母ミッドウエイの博物館を訪問、そして、2015年10月には横須賀港の戦艦三笠記念館を訪問しており、2015年12月には青森と函館で青函連絡船の記念館を訪問と船関係の博物館を多く訪問した頃でもありました。

先の参議院選挙で憲法改正の発議に必要な2/3の議席を衆参両院で改憲を主張する集団が確保する時代にはなりましたが、再び軍国主義の時代になって行くのかどうかは分かりませんが、まずは呉を中心にかつて帝国海軍はどういった歴史を辿ったのかをきちんと勉強しておくのも重要かと思います。

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コメント

おはようございます。

呉の戦艦大和の資料館へ行かれたのですか。

呉というと 親父の兄弟の長男が 徴兵で終戦時に 呉にいた話を聞いたことがあります。

叔父は昭和3年に当時専門学校だった 歯科の専門学校を卒業し、歯科医をしておりました。

昭和20年に召集されましたが、兵隊検査では乙種合格だったそうです。

それで呉の海軍施設で歯科医として勤務していたそうです。

昭和20年8月6日の朝に 広島市方面に閃光とキノコ雲を確認し、普通の空襲ではないと感じたそうです。


軍艦を訪ねたというのは、私が小学校低学年だったときに 戦艦三笠を訪ねました。

その時、横浜の氷川丸を訪ねましたが、両親から氷川丸は戦争中に病院船として使われたと聞き、とても怖くて 乗船できませんでした。


ハワイへ家族旅行をしたときに
真珠湾攻撃で沈没をした戦艦アリゾナ。
水中から油が浮いてくるのに 驚きました。

それに説明文の内容にも アメリカは真珠湾攻撃を忘れないという 強いメッセージがありました。


絶対に日本は戦火を交えてならないというのを
呉、横須賀、横浜、真珠湾で感じました。

準急豊島園さま、おはようございます。

戦後71年にもなると太平洋戦争の悲惨な実体験をされた方々もどんどん無くなって行き、また最近の中国の南シナ海の問題や北朝鮮のミサイル発射で、軍隊を持つこと、戦争をすることに抵抗感が無い人間が増えてくることが恐ろしいですね。

大日本帝国憲法の時代に戻したい勢力は、教育に手を加えて若者をそういった方向に誘導しようとしているという話もあります。

やはり、日本は戦争の貴重な体験があり、被爆の経験もあるわけですから、二度と戦争はしない方向は絶対に維持しなくてはいけないですね。

B767-281様こんにちは。私も今の状況に危機感をもっています。日本の場合権利が自ら勝ち取ったものでないのが弱点かと思いますが、先の戦争であれだけの目に会った〈あわせた〉のですから、いまの権利を不断の努力で守らなければと強く考えます。50パーセントチョットの人の投票、しかも変な選挙制度で決まるのも何とかしなければと思います。仕事上普段あまり政治的立場は出していませんが、チョット黙ってはいられません。失礼しました。この博物館私も広島での86集会の帰りに寄っています。

細井忠邦さま、こんばんは。

今の日本の若者を見ていると、もちろん全てが全てとは言いませんが、政治のこと、難しいことは専門家に任せて、自分は今を楽しく生きることが出来れば良いと思っている人間が多いのではと感じます。

知らず知らずのうちに、国の体制が変化して、戦争を出来る国になったとき、戦場に駆り出されるのは自分たちであり、敗戦後の膨大な後始末をしなければならないのは自分たちだと言うこと、70数年前に一度経験しているのに、それをきちんと教えられることも無く、再び過ちを繰り返してしまうのは、忘れやすい人類の宿命なんでしょうか。

街を歩けば、ポケモンGoにうつつを抜かす人間ばかり、都知事選も何か浮ついた人気投票になりそうな気配、流行に乗り遅れないことも大切ですが、自分たちの将来を考えたとき、こういった状態で行って良いのかを考えなくてはいけないのかと思います。

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