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2016年7月30日 (土)

Frankfurt am Main Airportでのspotting 9 TWA Boeing 747-100

先日、Boeing社が受注の伸び悩みから現在製造中のBoeing 747-8の製造を中止するかも知れないとのニュースがありました(関連記事)。

747-8に製造が移行してからというもの旅客型は777787などの双発機が台頭しており、4発ジェットの747はもっぱら貨物型(747-8F)が主流でしたが、航空貨物需要が世界的に低迷し、747-8Fの受注も伸び悩んでいたようです。

1969年の開発開始から、47年間タイプを発展させながら製造が続いたこと自身、凄いことですがその終焉も近いのかもしれません。

さて、今回はTWA747-100を紹介します。

N93105_17105_b747131_cn_19671_21_tw 1989/5/6 FRA

N93105 (17105) Boeing 747-131 cn 19671 ln 21

TWA(Tans World Airlines)に関しては西ベルリン、テーゲル空港の記事サンディエゴ、リンドバーグ空港の記事で紹介しているので、今回は747-100に絞ります。

-100型は747の最初のタイプで167機が製造されました。原型は上の写真のようにアッパーデッキの窓の数が片側3個でした。当初、多くの航空会社は2階席部分をラウンジとしていましたが、後にファースト、ビジネスなどのクラスの座席になり、窓数も10に増えたバージョンが登場しました。

エンジンはPratt & WhiteneyのJT9D-3Aのみで、エンジンの出力が予定性能に達しなかったため、水噴射システム(JT9D-3W)を装備するなど苦労がありました。

P&W JT9Dシリーズのエンジンは1961年、アメリカ空軍がC-133 カーゴマスターの後継となる大型輸送機の開発を航空機メーカーに依頼したのが開発のきっかけでした。それまでのジェットエンジンと言えば、707DC-8に搭載されたJT3D-5Aなどのターボジェットエンジンでしたが、エンジンの前に直径の大きなファンを取り付け、中心部のエンジンから出るコア排気を外側を通過するバイパス排気で包み、エンジン推力の向上と騒音の低下を目論んだ高バイパス比ターボファンエンジンの嚆矢となるエンジンでした。

1963年後半に「CX-X計画」としてエンジン4発搭載、総重量55万ポンド(249t)、積載量18万ポンド(81.6t)でマッハ0.75で飛行可能で、胴体前後に貨物ドアを持つ機体が構想され、後に計画名が「CX-HLS計画」と変更されました。

この構想に応えられるエンジンとしてP&W社が提出したモデルがJT9D-1で直径2.36mのファンを持ち、バイパス比は5、最大推力は18.6tでした。ファンセクション/低圧圧縮機/高圧圧縮機/燃焼室/高圧タービン/低圧タービンから構成され、2軸式エンジンでした。

熾烈な競争の結果、大型輸送機はロッキード社が開発を委託されることになり、C-5 ギャラクシーとなりました。一方、敗れたBoeing、P&Wは設計案を民間向けに転用し、747に発展させたわけですが、エンジンも747としての開発が進むと予定重量の超過が問題となり、如何に出力を上げるか、如何に重量を軽くするか、耐熱性を向上させるか技術開発が進み、最大推力を高めたバージョンがJT9D-3(推力19.8t)となりました。

747-100がデビューし、JT9D-3でもまだ推力が不足気味であったため、水または水メタノール混合液を気化させ、吸入空気温度を下げることで、空気密度を上げ、燃料を余計に燃焼させ、推力を増加させる水噴射方式が付加されたJT9D-3Wが登場しました。

747-200になって、エンジンはJT9D-7(推力20.7t)まで上がり、さらにGE, RRのエンジンも選択出来るようになりました。

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TWAの747-100といえば、1996年7月17日、ちょうどアトランタオリンピックを一週間後に控えた時期に、ニューヨークのジョンFケネディ国際空港を離陸して、パリ、シャルルドゴール空港を経由して、ローマ、フィウミチーノ空港に向かった800便がJFK離陸12分後にロングアイランド、イースト・ハンプトン沖を飛行中(上昇中)に空中爆発を起こし、乗客212名、乗員18名全員が犠牲となった事故が思い出されます。機体はN93119 (cn20083/ ln 153)でした。

事故当初はオリンピック開催を直前に控えていたため、テロの可能性が疑われましたが、残骸を徹底的回収、調査した結果、燃料タンクのそばにある電気配線がショートし、燃料タンク監視システムに接続している電気回線に高電圧がかかり、気化していた中央燃料タンクの燃料に引火、爆発したものと断定されました。

事故は不幸な偶然の重なり合いで起こるとよく言われますが、この場合も

1)中央燃料タンクは13,000ガロンの容量があるのに、50ガロンしか燃料が入っておらず、燃料が気化しやすい状況となっていました。

2)パリへの出発が遅延し、真夏であったため、エアコンをフルに稼働し、空調装置が中央燃料タンクの真下にあったため、発した熱が燃料を暖め、気化を促進し、爆発しやすい混合気が燃料タンクに充満していました。

3)事故機は経年25年で、電気配線の腐食がショートを引き起こし、そのショートで生じた過大な電圧が燃料測定器のプローブに印加され、充満した混合気を発火爆発に招きました。

の3つの偶然が重なり合ったといえます。

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旅客機 Boeing 747」カテゴリの記事

コメント

B767−281様 おはようございます。ようやく梅雨明け、でも朝の風は爽やかですね。747の発展を考えてみても航空機の進化はやはりエンジンに負うところが大きいですね。これは電車の進化が主電動機の進化に負うのと似ていると思います。100で思い出すのは、やはりJA8101です。大阪国際空港でのショットが最後になりました。それにしてもTWAがもうないとは、新自由主義は本当に恐ろしいです。関係ないのかあるのか明日の都知事選は、週刊誌に惑わされずに投票したいと思っています。

細井忠邦さま、おはようございます。

仰る通り、鉄道車両ではモータとその制御系、飛行機ではエンジンなんですね。自動車でも同じようなことがあるかと思います。

コンピュータの発展もCPUの開発が大きいと思います。

もちろん、それを支える車体とのバランスも重要であるとも思います。

747がついに終焉を迎えてしまいますね…。
しかし様々なタイプに進化しながらも40年以上も製造されてきた事自体凄すぎます!
これほど長い間製造されてきた機体は他にあるでしょうか・・・。
747の47年間は数多くの栄光もあれば、悲劇もありました。
特にあの123便事故は決して忘れてはなりません。
520名の尊い命のご冥福を改めてお祈りしたいと思います。

アニメ版両津勘吉さま、こちらにもありがとうございます。

747にしても103系にしても長らく製造されるものは、初期のタイプが引退の時を迎えてもそれを同じ747や103系が後を継ぐという形で繋がっているのですね。

747の場合、JA8119の事故のみならず、スペイン・マジョルカ諸島、テネリーフェ空港での衝突事故など結構悲惨な事故が起きているのも忘れてはいけませんね。

747在来型の製造番号80番前後の機体からは、満足なエンジン出力が得られず機体のさらなる軽量化の為にsection41の部材をより薄いものに変更したのですね。

123便事故の直後にJALが自社の保有するSR型を緊急点検したところ、section41からは平均80以上もの亀裂が見つかったそうですが、この話はあまり知られてないのですかね。

にゃんきちさま、おはようございます。

確かにBoeing747の初期の頃はエンジン出力の不足が問題になりましたね。水噴射などをとりいれたのもこの頃ですね。
セクション41の軽量化のことは知りませんでした。そこだけに疲労が蓄積するというのも何か怖ろしいですね。

他のセクションでは亀裂が発見されたとしても10件前後でしたので、その数は異常ですね。

JALのSR型が早期に退役を開始したのは、このためだったと思います。

にゃんきちさま、こちらにもありがとうございます。

JALのSR-46型と聞くだけでも懐かしいですが、123便の事故後の早急は退役はそういった理由だったのですね。
もう一度あの頃の記録を見てみたくなりました。

写真をおとりになっていたのですか?

にゃんきちさま、おはようございます。

写真とはJALの747SRのことでしょうか、それともTWAの事故機のことでしょうか。
JALのSRは確か、数機は撮ってあったと思います。TWAの事故機は生憎撮っていません。

SRの方です、言葉足らずですみません。

にゃんきちさま、おはようございます。

747SRに関しては旅客機の撮影を始めたのが1983年頃からですので、撮っていたと思います。いずれJALの747の写真をと思っているのですが、なかなかその機会が来ず、まだ未スキャンの写真が多く残っています。

にゃんきちさま、こんばんは。

2018年12月号の月刊エアラインの特集は「飛行機マニアになる」ですが、その中にJA8119を始めいろいろな航空事故の解説がありますが、中でも興味を惹いたのは123便事故を起こす前、1978年の大阪空港しりもち事故以降のJA8119号機が示していた異変に関する記事でした。一つは機体が真っ直ぐ飛ばないこと、ラダーを調整して機首を1,2度右側に向くようにしないと進行方向から左へ向いて飛ぶ傾向が会ったこと、さらに二つ目は事故の10ヶ月前、燃料の消費が異常に多かったこと、そしてこれは事故直後にも言われていましたが、水平飛行中後部化粧室のドアが閉まらなくなるトラブルや同じく荷物収納棚の扉がロックしなくなるトラブルで、地上に降りると直ってしまうことでした。
以前教えて頂いたsection41の金属疲労と合わせて、非常に興味深い記事でした。

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