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2016年7月31日 (日)

9101F KPP trainが新宿線にコンバート

梅雨明け後、最初の週末で天気も良かったので撮影に出かけたところ、西武新宿線萩山を出たところで、なんと9101F KPP trainとすれ違いました。時刻から列車番号は2307レでした。

そういえばKPP trainは6月4日から9月29日までの4ヶ月弱のキャンペーンで、7月の末に池袋線から新宿線に移り、残り2ヶ月は新宿線で営業に就くということでした。

小平で拝島から折り返してくる急行(2316レ)を狙うことにしました。

9000_9101_kpp_160730_2 2016/7/30 小平

9000_9001_kpp_160730_5
9000系が新宿線を走るのも久しぶりのことで、なんと15年ぶりだそうです。

夕方、再び狙ってみると今度は本川越行き急行の運用に入っており、

9000_9001_kpptrain_160730
田無から小平まで乗車して、車内を観察してみることにしました。

池袋線から新宿線にコンバートされるにあたって、路線図は対応しているかと見てみると、

9000_9001_kpptrain_160730_2
ちゃんと新宿線専用の路線図になっていました。

9000_9101_kpptrain_160730
2016/6/4のお披露目の際のサインは乗務員扉の上にあり、

9000_9101_kpptrain_160730_3
側扉の内側や乗務員室扉にはこのようなマークが貼られ、

9000_9101_kpptrain_160730_4
室内はまさにきゃりーぱみゅぱみゅ一色でした。

9000_9101_kpptrain_160730_2
後部運転席の列車種別、列車番号表示もアクティブなので、9101の車体番号と一緒に写しておきました。

池袋線に較べると新宿線は色物が少ないので、KPP trainに限らず、L-train, RED happy trainも新宿線で運行すればと思います。

一方で、9000系1編成が新宿線に移った分、池袋線に新宿線からどの編成が移ったのか気になるところです。

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2016年7月30日 (土)

Frankfurt am Main Airportでのspotting 9 TWA Boeing 747-100

先日、Boeing社が受注の伸び悩みから現在製造中のBoeing 747-8の製造を中止するかも知れないとのニュースがありました(関連記事)。

747-8に製造が移行してからというもの旅客型は777787などの双発機が台頭しており、4発ジェットの747はもっぱら貨物型(747-8F)が主流でしたが、航空貨物需要が世界的に低迷し、747-8Fの受注も伸び悩んでいたようです。

1969年の開発開始から、47年間タイプを発展させながら製造が続いたこと自身、凄いことですがその終焉も近いのかもしれません。

さて、今回はTWA747-100を紹介します。

N93105_17105_b747131_cn_19671_21_tw 1989/5/6 FRA

N93105 (17105) Boeing 747-131 cn 19671 ln 21

TWA(Tans World Airlines)に関しては西ベルリン、テーゲル空港の記事サンディエゴ、リンドバーグ空港の記事で紹介しているので、今回は747-100に絞ります。

-100型は747の最初のタイプで167機が製造されました。原型は上の写真のようにアッパーデッキの窓の数が片側3個でした。当初、多くの航空会社は2階席部分をラウンジとしていましたが、後にファースト、ビジネスなどのクラスの座席になり、窓数も10に増えたバージョンが登場しました。

エンジンはPratt & WhiteneyのJT9D-3Aのみで、エンジンの出力が予定性能に達しなかったため、水噴射システム(JT9D-3W)を装備するなど苦労がありました。

P&W JT9Dシリーズのエンジンは1961年、アメリカ空軍がC-133 カーゴマスターの後継となる大型輸送機の開発を航空機メーカーに依頼したのが開発のきっかけでした。それまでのジェットエンジンと言えば、707DC-8に搭載されたJT3D-5Aなどのターボジェットエンジンでしたが、エンジンの前に直径の大きなファンを取り付け、中心部のエンジンから出るコア排気を外側を通過するバイパス排気で包み、エンジン推力の向上と騒音の低下を目論んだ高バイパス比ターボファンエンジンの嚆矢となるエンジンでした。

1963年後半に「CX-X計画」としてエンジン4発搭載、総重量55万ポンド(249t)、積載量18万ポンド(81.6t)でマッハ0.75で飛行可能で、胴体前後に貨物ドアを持つ機体が構想され、後に計画名が「CX-HLS計画」と変更されました。

この構想に応えられるエンジンとしてP&W社が提出したモデルがJT9D-1で直径2.36mのファンを持ち、バイパス比は5、最大推力は18.6tでした。ファンセクション/低圧圧縮機/高圧圧縮機/燃焼室/高圧タービン/低圧タービンから構成され、2軸式エンジンでした。

熾烈な競争の結果、大型輸送機はロッキード社が開発を委託されることになり、C-5 ギャラクシーとなりました。一方、敗れたBoeing、P&Wは設計案を民間向けに転用し、747に発展させたわけですが、エンジンも747としての開発が進むと予定重量の超過が問題となり、如何に出力を上げるか、如何に重量を軽くするか、耐熱性を向上させるか技術開発が進み、最大推力を高めたバージョンがJT9D-3(推力19.8t)となりました。

747-100がデビューし、JT9D-3でもまだ推力が不足気味であったため、水または水メタノール混合液を気化させ、吸入空気温度を下げることで、空気密度を上げ、燃料を余計に燃焼させ、推力を増加させる水噴射方式が付加されたJT9D-3Wが登場しました。

747-200になって、エンジンはJT9D-7(推力20.7t)まで上がり、さらにGE, RRのエンジンも選択出来るようになりました。

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TWAの747-100といえば、1996年7月17日、ちょうどアトランタオリンピックを一週間後に控えた時期に、ニューヨークのジョンFケネディ国際空港を離陸して、パリ、シャルルドゴール空港を経由して、ローマ、フィウミチーノ空港に向かった800便がJFK離陸12分後にロングアイランド、イースト・ハンプトン沖を飛行中(上昇中)に空中爆発を起こし、乗客212名、乗員18名全員が犠牲となった事故が思い出されます。機体はN93119 (cn20083/ ln 153)でした。

事故当初はオリンピック開催を直前に控えていたため、テロの可能性が疑われましたが、残骸を徹底的回収、調査した結果、燃料タンクのそばにある電気配線がショートし、燃料タンク監視システムに接続している電気回線に高電圧がかかり、気化していた中央燃料タンクの燃料に引火、爆発したものと断定されました。

事故は不幸な偶然の重なり合いで起こるとよく言われますが、この場合も

1)中央燃料タンクは13,000ガロンの容量があるのに、50ガロンしか燃料が入っておらず、燃料が気化しやすい状況となっていました。

2)パリへの出発が遅延し、真夏であったため、エアコンをフルに稼働し、空調装置が中央燃料タンクの真下にあったため、発した熱が燃料を暖め、気化を促進し、爆発しやすい混合気が燃料タンクに充満していました。

3)事故機は経年25年で、電気配線の腐食がショートを引き起こし、そのショートで生じた過大な電圧が燃料測定器のプローブに印加され、充満した混合気を発火爆発に招きました。

の3つの偶然が重なり合ったといえます。

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2016年7月29日 (金)

下山国鉄総裁追憶碑を訪ねる その2

前回のこのシリーズでは1949年7月5日から6日にかけて起こった国鉄下山総裁怪死事件について触れました。

 この事件については前の記事で書いたように中学生の頃、図書館で偶然、新聞の縮刷版を見ていて当時の新聞記事に巡り合い、その後、いろいろ書籍を読んで事件の全貌を知りました。

 遺体発見現場となった五反野付近の常磐線を東武スカイツリーラインが超えるあたりは頻繁に通過するもののなかなか降りる機会がなく、追憶碑も訪れておりませんでしたが、今年6月に東武線の撮影で五反野駅を訪れた際に思い立って行ってみることにしました。

160625 2016/6/25

前回の記事の写真のように五反野駅は高架下に改札口があり、改札口を出て、右側に向かいます。高架線に沿った道を小菅方向に進みます。すると五反野親水緑道なる遊歩道のような道に入ります。以前、日暮里から乗車した日暮里舎人ライナーの終点に見沼代親水公園がありましたが、こちらは親水緑道です。

160625_2
もともとは五反野駅周辺と小菅刑務所、現在の東京拘置所を結ぶ用水路を親水公園として水に親しむ遊歩道にしたもののようです。

水路には鯉やザリガニなどの姿も見えました。

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さらに進むと庚申塔もあり、安永9年(1780年)の銘だそうで、

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足立区教育委員会による説明板も整備されています。

160625_3_2
石碑には出羽三山の山の名が刻まれています。

やがて、カーブしてゆく東武線と離れ、常磐線をクロスする方向に水路に沿って進むと

160625_4
常磐線の高架線脇に下山国鉄総裁追憶の碑があります。

事件発生から2年後、3周忌の1951年7月に事件発生現場付近に下山定則氏事業会により建立されました。さらに1970年9月、千代田線建設工事に伴う移転がなされ、加賀山元国鉄総裁の揮毫となる、本石碑に取り替えられました。さらに1991年5月、常磐線荒川橋りょう改良工事に伴い、本位置に移設とのことです(情報はこちら)。

160625_2_3
赤御影石製で生前のお写真も貼ってあり、花が手向けられていました。

この常磐線と緑道がクロスする場所はかつては弥五郎新田踏切といったそうで、事件当時の風景が「下山事件資料館」(下山事件ギャラリー)にあります。

160625_5
そのまま緑道伝いに進むと東京拘置所前に出ます。

160625_3_3
小菅側の緑道の入り口です。

160625_6 ここから、東武線の高架を目指して行けば小菅駅前にでます。
9月号の鉄道ファンに1960年代の小菅駅の写真が載っていますが、まさに隔世の感があります。

160625_7
そして小菅駅のホームからは新東京名所のスカイツリーもよく見えます。と言いつつ、まだ訪問はしていませんが。

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2016年7月28日 (木)

函館市電で活躍中の車両 8000形 8002号

2015年12月の函館訪問の際に撮影した函館市交通局の車両、前回から現在の主力車両8000形に入っており、今回は8002号です。

8002号は1990年12月808号を更新して誕生しました。

8002_151223 2015/12/23 駒場車庫

最初に8002号を見たのは駒場車庫でした。

8002_151223_2
ちょうど洗浄中、しかも手洗いによる洗浄中でした。

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午後からは5系統 湯の川~はこだてどつく前の運用に入りました。

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車体は黄色く塗装され、べいこく号、函館米穀、地元の米卸会社の広告電車となっていました。

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2016年7月27日 (水)

ドイツでは連続テロ事件、日本では戦後最悪の殺傷事件

7月も25日を過ぎて、本来ならば夏本番というべき季節ですが、今年は関東地方は「やませ(山背)」といわれるオホーツク海高気圧からの冷たい空気が流れ込んでおり、梅雨明けがいつになるのかも定かではない状態です。早く梅雨明けして、本格的な夏の到来が待ち遠しく感じる今日この頃です。

そんなことを考えながら文章を書き始めて、飛び込んできたのが、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に刃物を持った男が侵入し、入所されていた19名が刺されて亡くなり、26名の方々が負傷されたというニュースでした。こういった事件としては戦後最大の犠牲者数の事件とのことです。

最近、ドイツでは7月18日の夜、Wuerzburgの列車内でアフガニスタン人難民の少年が斧を振り回した事件(記事)、7月22日夜のイラン系ドイツ人の少年によるMuenchenでの銃乱射事件(記事)、7月24日夜、Ansbachでのシリア難民の男による音楽祭を狙った自爆事件(記事)とテロ事件が立て続けに発生しています(時刻はいずれも現地時間)。アメリカでも銃の乱射事件はここ数か月、頻繁に発生しています。

日本で起きた事件も自首した犯人の男(26歳)の主張は「障害者なんていなくなれば良い」というものでした。情報が限られているので、私の勝手な推量ですが、犯人は2月までこの施設で働いており、内部のこともよくわかっていた人間のようですが、介護などでトラブルを感じていたのかもしれませんが、障害を持った方々もなりたくて障害者になったわけではなく、個人として生きる権利を持っているのに、それを排除しようとする考えはかつてのナチスドイツ、あるいはヨーロッパに押し寄せるシリア系難民排斥を訴えるフランス、ギリシャ、デンマーク、英国などで台頭しているナショナリスト・ポピュリズム政党、さらにはアメリカ共和党大統領候補のトランプの主張と共通するものを感じます。

北朝鮮が相変わらずミサイル発射を繰り返し、中国は南シナ海の仲裁裁判所の決定を無視と、なにか世界中で、社会的弱者を排斥し、自分たちさえ良ければ良いという風潮が蔓延しているのが恐ろしく感じます。

亡くなられた方のご冥福を祈り、傷を覆われた方の一刻も早い回復を祈るばかりですがこういった事件が頻繁におこる社会的背景を徹底的に調べ、二度とこういった事件が起こらないようにするのがまずはするべきことと感じます。

今日の写真は1986年の新婚旅行で、ロマンチック街道を南から上り、Neuschwannstein, Muenchen, Rothenburg ob der Tauberと見学し、宿泊だけしたAnsbachです。ホテルが中央駅(Haubtbahnhof)に近かったので、夕方といっても8時は過ぎていましたが、夏至を過ぎた6月22日で、十分に明るく、列車の写真を撮りに出かけたときの記録です。

Db_860622_ansbach5

Db_860622_ansbach4 DB151形電機 1986/6/22

Db_860622_ansbach7

860622_ansbach
当時のバス路線図

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2016年7月26日 (火)

通勤電車シリーズ 103系 45 大阪環状線における活躍 part7

大阪環状線における103系の活躍、前回に続き、片渡りのクハ103形500番台クハです。

クハ103-529

103_103529_050708 2005/7/8 桜ノ宮

103_103529_050822 2005/8/22 野田

1966/3/14 川崎車輛製造 浦和区新製配置
1976/10/28 森ノ宮区転属
1977/1/11 冷房改造 吹田区
1990/12/6 ATS-P取り付け
2008/4/1 廃車

クハ103-531

103_103531_050822 2005/8/22 桜ノ宮

1966/3/14 川崎車輛製造 浦和区新製配置
1976/2/17 森ノ宮区転属
1976/7/30 冷房改造 吹田区
1987/8/19 延命工事N
1989/2/9 宮原区転属
1991/1/12 ATS-P取り付け工事
2003/3/28 前面整備
2006/4/26 廃車

このクハ103-531先頭の編成は後述のように珍車サハ102を中間に連結した時代もありましたが、当時はサハ102の存在は知りませんでした。

クハ103-533

103_103533 2005/7/6 西九条

103_103533_070310_2 2007/3/10 桜ノ宮

1966/3/17 川崎車輛製造 浦和区新製配置
1976/4/1 森ノ宮区転属
1976/5/20 冷房改造工事 吹田区
1983/3/10 特別保全工事
1990/11/2 ATS-P取り付け工事
1992/12/28 延命NA工事
2007/4/18 日根野区転属
2008/4/1 廃車

これでクハ103-500番台の写真は終わりですが、JRRの編成表から500番台クハの編成の変遷を追っかけてみました。

Tc500

表1 森ノ宮区のクハ103-500番台を含む編成の推移

1984年当時は編成番号がなく、赤字のクハは前照灯をシールドビーム2灯に改造した車両です。編成の構成は長らく同じですが、編成番号は大きく変化しています。

サハ102は片町線の増結編成用として登場した方向転換改造車サハ102形5000番台を再改造した車両で、1989年に吹田、鷹取工で13両改造されました。

そもそもは1989弁3月11日の片町線全線電化で松井山手駅以東はホームの長さの関係で7両の乗り入れが不可能であったので、7両を松井山手で4両切り離し、3両が木津まで入線することになり、サハ103形0番台からサハ102形5000番台が改造され、登場しました。102となったのは通常の方向の場合、電気連結器の装備などで既存の装置類と干渉が起こるためでした。一方、直通3両編成の先頭にはクモハ103形とモハ103形から改造されたクモハ103-5000番台が登場しました。

1990年には木津乗り入れ編成が4連となり、モハ102形からモハ102-5000番台が登場しました。

森ノ宮区の編成表、2007年のデータでは514、529、533の3両が活躍しており、サハ102も2,3,11が健在でした。2008年には514, 529の2両となり、2009年には消滅しました。

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2016年7月25日 (月)

勝田車両センターまつり その2 415系1500番台 part7 FM1501 FM1509

2016年3月5日の勝田車両センターの公開の話題、今回も同公開で展示された415系1500番台の編成の写真ですが、常磐線で活躍した同系列の写真は出し終わったので、今回からはJR九州で活躍中の同系列の写真を載せます。

国鉄時代に1500番台は4両編成が21編成、サハ411形が1両の計85両が製造されました。当初は全車、勝田区に配置し、捻出された100、500番台鋼製車を九州に転属させ、421系低運転台車を置き換える計画でしたが、新車を直接投入した方がイメージアップに繋がるとのことで、FM1509-1521編成として、13編成が南福岡区に直接投入されました。

2008年12月24日付けで廃車されたK525編成(クハ411-1501+モハ415/414-1501+クハ411-1601)編成は500番台2編成とともに、JR九州に譲渡され、小倉工場で整備後、2009年6月23日付けでFM1501編成として車籍復活し、6月末より営業運転を開始しました。

現時点では全ての車両(14編成)が南福岡区に集約され、活躍中です。

1501編成

4151500_1501_100319 2010/3/19 千早

4151500_1501_100807
帯色は九州配置の1500番台の明るいブルーに変えられましたが、転落防止用の幌の部分は常磐線時代の色のまま残されています。東急車輌製造の銘板と、小倉工場改造、九州旅客鉄道の銘板が付加されています。

4151500_1501_100807_4 2010/8/7 門司

九州では運行番号を使うことがないためか、運行番号表示が編成番号表示になっています。

4151500_1501_110127 2011/1/27 多々良踏切 鹿児島本線千早~箱崎間

1509編成

4151500_1509_051208 2005/12/8 香椎

4151500_1509_110127 2011/1/27 多々良踏切

4151500_1509_121222 2012/12/22 西小倉

かつて常磐線でも見られましたが、九州では415系3併結編成が見られました。1500番台3併結、銀白オリジナルレトロカラーの3色も走っていました。

以上です。

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2016年7月24日 (日)

San Diego Trolley 4000形 part6

San Diego Trolley の話題、4000形の6回目です。

前回は4029まで紹介しましたので、今回は4030から参ります。

4030

4030_150110_12th_imperial_tc Green Lineの終着・始発駅に到着した編成

4030_150110_12th_imp_tc 2015/1/10 12th & Imp TC

手前の複線区間は本線で、駅構内は単線になっています。San Diego Trolleyは右側通行なので、駅を出発し、複線区間に入る編成を捉えています。

4031

4031_150109_12th_imperial_tc2
2015/1/9 12th & Imp TC

上の4030と同じ駅ですが、こちらはOrange Line, Blue Lineの通る駅で、Green Lineの駅の少し北にあたります。

4031_150109_spring_street 2015/1/9 Spring Street

4032

4032_150109_santa_fe_depot 2015/1/9 Santa Fe Dept

中間に2000形を挟んだ、3併結編成

4032_150113_county_center_little_it
2015/1/13 County Center Little Italy

写真の撮り方にも依りますが、こうやって見ると路面電車とは思えない長さの編成に見えます。

以上です。

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2016年7月23日 (土)

広島・四国西南部旅行 広島編 その5 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)プロローグ

2014年12月の広島・四国西南部旅行では、12月19日、午前中、可部線を訪問し、さらに天神川駅からイオンモール府中(保存蒸機C11 189号機)を見学し、呉線にて呉市を訪れました。
広島訪問のひとつの目的が「戦艦大和ミュージアム」として有名な呉市海事歴史科学館の訪問でした。

141219_2
日本では明治時代の後半に舞鶴、横須賀、呉、佐世保の4港が軍港に指定され、各港に鎮守府と海軍工廠がおかれ、艦隊や航空隊の母港・所属地となりました。大湊は軍港より格下の要港に指定され、要港部が置かれました。太平洋戦争後はこれら5港が海上自衛隊に引き継がれ、艦船の母港として機能しています。横須賀と佐世保は在日アメリカ軍の拠点として第7艦隊の事実上の母港のひとつとなっています。

呉海事歴史科学館は明治時代以降の呉の軍港、鎮守府としての歴史や、基幹産業となった製鋼、造船などの科学技術史を展示し、後世に伝える目的で、1905年の日本海海戦から100年目、1945年の太平洋戦争終結から60年目の2005年4月23日に開館しました。

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呉市は被爆地・広島にも近く、海上自衛隊と在日アメリカ陸軍の施設が現役で稼働している安全保障の現場としての土地柄、修学旅行生の平和学習の場としても活用されています。

平和学習の場として開放し、呉市の歴史的観光資源を再発見することを主目的としており、実物の兵器や当時の映像フィルムを淡々と展示し、意見や注釈は付けず、政治的にはニュートラルな立場を取り、歴史認識については来館者個々に任せるのがこの館の方針とのことです。ここら辺は、靖国神社の遊就館の展示とは大きく異なっています。

110141219_141219_13
この館の展示でもっとも印象的な展示は1/10スケールの戦艦大和の展示かと思われます。旅番組などでこの博物館を訪問した際に必ず紹介される展示物であり、象徴的であります。

実はこの旅行では海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」も訪問し、翌月2015年1月にはサンジエゴで空母ミッドウエイの博物館を訪問、そして、2015年10月には横須賀港の戦艦三笠記念館を訪問しており、2015年12月には青森と函館で青函連絡船の記念館を訪問と船関係の博物館を多く訪問した頃でもありました。

先の参議院選挙で憲法改正の発議に必要な2/3の議席を衆参両院で改憲を主張する集団が確保する時代にはなりましたが、再び軍国主義の時代になって行くのかどうかは分かりませんが、まずは呉を中心にかつて帝国海軍はどういった歴史を辿ったのかをきちんと勉強しておくのも重要かと思います。

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2016年7月22日 (金)

公園保存蒸機 C11 189号機 イオンモール府中

今回の保存車輌は、2014年12月、広島、西南四国の旅で立ち寄ったイオンモール府中に展示保存されているC11189号機です。

C11_189_141219_2 2014/12/19 イオンモール府中 駐車場

141219
イオンモール府中はJR天神川駅から北方に10分程度歩いた場所にある大ショッピングモールです。

C11 189号機の履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表データで見てみると

C11189      川崎重工兵庫工場=2360            1940-09-07 S66.1t1C2t(1067)    車歴;1940-09-07製造→納入;国鉄;C11189→配属;仙台局→1940-09-07竣工→       配置[仙鉄達754];仙台局→1955-08-01現在;志布志→1970-08-24全検→       1975-01-20休車→1975-02-17廃車[工車1382];志布志→       1975-01-26貸与[工車1426-2]保存;広島県戸河内町「三段峡駅前」;C11189

1940年9月7日、川崎重工兵庫工場で落成し、仙台局管内に配置されたようです。ただ、戦時中のため、記録が途切れており、1955年8月1日の鹿児島志布志への転属まで詳細が不明です。その20年後の1975年1月20日に志布志で廃車となっています。廃車後、可部線三段峡駅で保存されていましたが、2003年12月1日の可部線の可部以北区間の部分廃止でこちらに移転したようです。

C11_189_141219_7
外板にはだいぶ痛みがみえます。九州に配置されたC11タンク機関車の形態的特徴である炭庫の通風孔がこの機関車でもあります。

同様の通風孔は同じタンク機C12形でも存在し、例えば

C12 187号機 常陸大子駅
C12 287号機 小櫃公民館 などでもありました。

C11_189_141219_17
キャブサイドの窓枠は欠損しているのか、大きなアクリル板で蓋がされています。

C11_189_141219_12
スポーク動輪は黒く塗られ、ロッドは赤が入れられ、クロスヘッドは白く塗られています。

C11_189_141219_25
植物が繁茂する時期は植栽に囲まれている感じのようですが、訪れた時期が真冬であったため、駐車スペースのなかにポツンとおいてあるといった感じでした。

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2016年7月21日 (木)

東京総合車両センター公開 その4 首都圏直流電車の台車 DT61/TR246系

かれこれ開催日から11か月が過ぎようとしていますが、2015年8月22日に開催された東京総合車両センター公開の話題、前回までは主電動機の展示でしたが、今回は台車です。

E217150822 2015/8/22 東京総合車両センター

写真はE217系の電動車が履いている軸梁式ボルスタレス台車のDT61B形です。1992年に登場した901系(量産車は209系)から701系、E217系、E501系、E127系、E231系まで、通勤・近郊・一般型電車に採用された台車です。

E217150822_2
E217系の場合、M台車はDT61B、Tc、T台車はTR246B、Ts台車はTR246Cとなっており、いずれも209系用のDT61/TR246を基本に近郊型電車としての高速運転を考慮して、ヨーダンパの取り付けが考慮された設計で、量産先行車2編成は実際、全車にヨーダンパが取り付けられていました。後年撤去されました。グリーン車の台車にはアンチローリング装置の準備工事もなされたため、台車形式が分けられました。

E217_y1_120218 Y-1 編成 2012/2/18 市川

E217_y141_111001 Y-141 編成 2011/9/23 鶴見
4両付属編成 Y101、 Y102、Y141編成とY142編成の逗子よりクハがステップの形が違う量産先行車

←成田空港・上総一ノ宮

E217
小さくなってしまいましたが、登場時のE217系量産先行編成の構成です。
F-01,F-51が1992年8月18日 東急車輛で落成
F-02,F-52が1992年8月30日 川崎重工で落成、但しサロ2両は東急車輛製でした。

1999年に1号車に車いす対応トイレ設置車を導入するため、クハE216-2001,-2002が当時のR-37,R-38(クハE217-2041,-2042)付属編成の増1号車に組み替えられた関係で、E217系の一部の編成で1号車のみ製造時期が異なる車両が組み込まれる事態となりました。

量産編成ではグリーン車のみにヨーダンパーが取り付けられました。

150822_2
ブレーキはユニットブレーキ方式の踏面片押しタイプで、そのカットモデルも展示されていました。TR246台車ではディスクブレーキも併用しています。

150822
枕バネの空気バネのカットモデルの展示もありました。

軸距 2100mm 車輪径 860mm

E217_150822
台車を抜かれた車体は別の棟で検査を受けていました。

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2016年7月20日 (水)

朝日新聞社刊 年鑑 世界の鉄道 ’74

朝日新聞社が発行していた「世界の鉄道」シリーズ、今回は1974年版です。

1974
1974年版は
特集・蒸気機関車 8620
特集・日本のローカル私鉄(全27社)
特集・スイスの私鉄
   の3特集構成でした。

カラーページでは
九州が最後の活躍の場となった8620形の活躍シーン、五能線、飯山線、松浦線での活躍を紹介
スイスの私鉄は
グリンデルバルトに到着するインターラーケンからのBOB(ベルナーオーバーラント)鉄道の列車

860618_interlaken3 1986/6/18 インターラーケン駅

クライネシャイディックからラウターブルンネンに下るWAB(ベルゲンアルプ)鉄道の列車

Jungfrau_860618_kleinescheidegg2 1986/6/18 クライネシャイディック

ユングフラウヨッホへ登るJB(ユングフラウ)鉄道

860618_kleine_scheidegg2 1986/6/18 クライネシャイディック

これらの鉄道は私も1986年6月新婚旅行で訪問しており、写真を撮っていました。

他にツェルマットに登るBVZ(ブリーグ・ビスプ・ツェルマット)鉄道やアプト式メーターゲージのBVB(ベエ・ビラル・ブルティ)鉄道、シャモニーに向かうMC(マルティニ・シュトラール)鉄道、レマン湖のほとりを走るMOB(モントロー・オーベルラント・ベルヌア)鉄道の写真もカラーページに掲載されていました。
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8620形の特集

1914年から1929年までの16年間に国鉄用のみで672機製造されており、これは旅客用として最大両数、D51形、9600形に次ぐ両数で、全国津々浦々で愛用されました。設計は明治末期に輸入された2C形大形機を参考にし、性能を落とさないように国産化、日本の機関車製造技術の確立に貢献した名機でした。ボイラーは2Bタイプの6760形と同じものを使用していますが足回りは1C形として動輪の粘着力を増大させ、第一動輪も横揺れ可能として先輪とともに二軸先台車の機構を持たせ、高速運転と急カーブ通過性能を上げています。

この本の出版時点でまだ活躍中で貨物列車とDCでは間に合わない列車単位の大きい通勤列車が主な働き場となっていました。

歴史的な写真として
8620号機 初号機 バッファー、真空ブレーキ装備の姿
名古屋駅関西線ホームの湊町行き列車 1927年
中央西線 1931年 名古屋~多治見間
高崎線旅客列車 1924年 本庄駅

線区別の活躍シーン

五能線 早朝5時31分深浦駅上り下り列車発車のシーン 
     リンゴ畑の間を行く
     岩館駅南の鉄橋を行く混合列車

800803 1980/8/3 時期はだいぶ後ですが、この鉄橋ですね。

波静かな驫木~風合瀬間を行く朝の弘前行き通勤列車

岩木山の懐を行く 鶴泊

五能線の86に関しては1973年冬、荒れ狂う日本海に機関車が転落する悲劇が起こっています。その線路の復旧を待つこと無く、煙は消えてしまいました。

花輪線

十和田南(毛馬内)でスイッチバックがあり、同駅以西は比較的平坦ですが、以東は田山~荒屋新町、赤阪田~龍ヶ森~岩手松尾の山越えがあり、龍ヶ森越えは33‰と3重連で有名でした。

八戸線、成田線、総武線、飯山線、越美北線、福塩線、牟岐線、久大線、湯前線、肥薩線、日豊本線、松浦線

1970年長崎国体でのお召し列車 48647号機

室木線、香月線

国外での活躍

台湾総督府向け E500形 47両 >CT160形
樺太庁鉄道向け 15両

私鉄での活躍

北海道拓殖鉄道 
羽幌炭礦

その他、C56の炭水車を付けた 48696
     C56のキャブに付け替えた 68658
     煙室延長タイプ 18679
     D形の足回りの夕張鉄道10形 86類形機
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日本のローカル私鉄

1966年版以降、地方鉄道の電車、気動車、客車、ディーゼル機関車、電気機関車を特集してきましたが、この10年間のモータリゼーションの浸透は地方にも及んでおり、都市集中と過疎化の進展で地方私鉄の経営は苦しくなって来ている。73年74年号で2回に分けて地方私鉄の現状を追っかけています。

夕張鉄道

夕張地区の石炭を小樽に輸送するために設けられた路線
この時点では栗山~野幌間に気動車が運行

キハ200 国鉄キハ07同系車
キハ250 1953年登場の正面2枚窓車
形式10 上記の8620のボイラーに9200形の足回り 2軸テンダー
形式20  国鉄9600形
DD1000 国鉄DD13

南部縦貫鉄道

キハ100 国鉄レールバスと同様の車体構造
キハ103 関東鉄道より
D451

津軽鉄道

キハ24000 国鉄キハ20とキハ22の中間的スタイル
キハ2400  国鉄キハ41000に似た機械式気動車
ナハフ1200 元西武151系
オハ310 国鉄初期の鋼製客車オハ31を購入
DD35 

十和田観光電鉄

モハ1207+クハ1208 定山渓鉄道から購入
モハ3400 帝国車両
クハ4400
クハ2400
ED400  川崎車輌から購入
ED300

庄内交通

モハ3
モハ5 
モハ7 京王線の戦災復旧車
モハ8 京王帝都の旧600V車両
デハ101

栗原電鉄

細倉鉱山の製品輸送のため、1920年に開業した軽便鉄道を改軌したもの

M15 ナニワ工機製
M18 西武の木造車を西武建設所沢工場で鋼体化、501系とよく似た両運転台車
C15 阪急の木造車の鋼体化
ED20
ED35 東武日光軌道線で使用していた電機

山形交通 高畠線 三山線

モハ1 1929年に購入
モハ2 1933年に増備
モハ3 西武多摩湖線で活躍した車両
モハ4 西武151系
クハ1 近江鉄道の旧車体を西武建設で車体延長
クハ11 
モハ100 
モハ105 
モハ106 名古屋鉄道から
モハ107 旧鶴見臨港
モハ112+モハ111+クハ11 西武鉄道のモハ220
ED1 
ED2

新潟交通

クハ36  元小田急の車両
クハ37 車体は元国鉄気動車
クハ36 
クハ45 元小田急の車両
モハ16 元小田急の車両
モハ18 日本車輌製
モワ51 電動貨車

越後交通栃尾線

762mm軌間の軽便線

モハ217 最後の新車 東洋工機製
モハ215 垂直カルダンドライブ車
モハ214 オイルダンパー付き新型台車
モハ213 
モハ212 東洋工機製
モハ211 垂直カルダンドライブ車
モハ209 両端デッキの車体 台車両端に吊り掛けモーター、内側は床下モータからシャフト駆動
モハ207 板台枠構造 草軽電鉄から
モハ205 4個モーター強力電車
モハ10 
サハ111 
サハ300 草軽電鉄の電動車
クハ102 
ホハ50 総括制御編成中間車 台車は小坂鉄道の木造オープンデッキ客車由来
ホハ25 草軽電鉄由来の電車の台車を利用
ホハ24 
ホハ10 
ED51 

越後交通長岡線

ED260
ED301
ED401
ED510 長野電鉄より購入
モハ5000
モハ1400
ホハ2000
クハ1450 小田急の車両

上田交通

モハ5370
モハ5250
モハ4250
クハ270
クハ250
サハ40
サハ20
ED250
ED4110

銚子電気鉄道

デハ500 1972年登場の新車 上田交通丸子線から
デハ300 最大の車両で鶴見線で使用されていた
デハ200 木造車の簡易鋼体化
デハ100 軽便用の小型車を購入、軌間1067mmに
ハフ1  2軸トレーラー
デキ3

松本電気鉄道

10_800503 1980/5/3 松本 モハ10と思われます。

モハ10 元は木造車で鋼体化改造された。
クハ10
ED30

北恵那鉄道

ダム建設で筏流しに代わって建設された電気鉄道

モハ8 国鉄より
ク80 親会社の名古屋鉄道より 気動車改造
デ1 創業以来
モ560 元瀬戸電
デキ250 元名古屋鉄道

東濃鉄道 笠原線

国鉄多治見からの沿線の陶磁器運送

クハ200 元南武鉄道買収車
DD100 大井川鉄道井川線

東濃鉄道 駄知線

モハ100 東芝製の電車
モハ110 元西武151系
クハ210 元西武151系
ED1000

富山地方鉄道笹津線

デ5010 
デキ6500 600V用電機

富山地方鉄道射水線

デ5010
デ7510 木造車の鋼体化 除雪電車

北陸鉄道 浅野川線

モハ3200
モハ3560
モハ3550
モハ5100
クハ1200
クハ1000

       石川総線

モハ3700
モハ3710
モハ3730
モハ3750
モハ3760
モハ3770
クハ1710
クハ1720
ED20
ED30

      小松線

モハ3000

尾小屋鉄道

日本に残った唯1社の非電化軽便鉄道

キハ1
キハ2
キハ3
ホハフ1
NO 5
DC12  121 122

福井鉄道 福武線 鯖浦線

モハ200
モハ160
モハ140 名古屋鉄道から
モハ120
モハ80
モハ20+クハ20
モハ10
クハ140 名鉄瀬戸線から
クハ120 
デワ1
デキ2
デキ1

      南越線

モハ130
モハ110
クハ110 名古屋鉄道から
クハ50

野上電気鉄道

紀勢本線海南駅から11km余りの路線 1916年開業

20 23 元阪急 24 元阪神 25 元阪神700形
30 32 元阪神
50 元阪神急行用850形
100 102 元阪神1100形 104 
200 元阪神急行用850形

有田鉄道

有田川流域のみかん積み出し用に

キハ07 元国鉄キハ42600台
キハ250 1954年登場 他社の注文流れの新車
DB20 日本輸送機製標準機

下津井電鉄

ナローゲージの軽便電車

クハ22
クハ24
モハ102
モハ103
モハ1001
サハ2  栗原電鉄から

一畑電気鉄道

デハ1
デハ10  デハ11がデハニ54へ
デハ20  デハ21がデハニ51へ
デハ30
デハニ50 53 現在も在籍
デハ60  元西武モハ220
デハ70
クハ100 西武より
クハ110
クハ170

土佐電気鉄道

モハ5000 5001 5006 5008 元阪神1100系の車体
クハ3000
クニ2100
クハニ3500 かつての流線型気動車

熊本電気鉄道

1931年、3フィート軌間の蒸気軌道として開業

17_100320 2010/3/20 北熊本

モハ71 可部線で使用されていた買収国電
モハ101
モハ121 幡生工場のクハ6000の車体
モハ201 元東急池上線
モハ300 小田急のデハ1100
クハ221 元東急サハ3100形
ハ52 トレーラー
ホハ57

島原鉄道

741004 1974/10/4

キハ4500 奥の車両
キハ26 キハ26はキハ20に較べて乗降扉が外側に 手前の車両の後方の車両
キハ20 上の写真の手前の車両
キハ55 空気バネ台車
キハ250 デッキ付き
キハ200 デッキ付き
ユニ200 デッキ付き
ニ211 防石鉄道より購入
ニ100 
D37 C12置き換え用に3台購入

鹿児島交通

伊集院から枕崎まで走り、国鉄指宿枕崎線と結び半島一周の鉄道網に

キハ100 国鉄キハ07同系車
キユニ100
キハ300
DD1200

大分交通

キハ600
キハ100

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特集・スイスの私鉄

WB ワルデンブルゲル鉄道 
バーゼルの南14kmのリースタールからワルデンブルグへ 軌間750mm DC1500V

OJB オーバーアールガウューラ鉄道
メルヒナウ~ニーデルピップ間 軌間1000mm DC1200V

VBV ベルン・ウォルプ連合鉄道
ウォルプから首都ベルンへ 全長24km

SMB ソロチューン・ミュンスター鉄道

EBT エンメンタール・ブルグドルフ・チェーン鉄道
ヨーロッパで最も古い電気鉄道のひとつ

VHB フェットビル連合鉄道

BLS ベルン・レッチベルグ・シンプロン鉄道
国際列車も入線する幹線 SBBと直通運転し、AC15kV 16 2/3Hz

SEZ ジンメンタール鉄道
BLSの傍系会社

BRB ブリエンツロートホーン鉄道
蒸気式アプト鉄道 軌間800mm 最急勾配 250‰

BOB ベルナーオーバラント鉄道
ユングフラウ登山の最初の鉄道 DC1500V

SPB シーニゲブラッテ鉄道
軌間800mm リッケンバッハ式ラックレール使用

WAB ベルゲンアルプ鉄道
ラウターブルンネンからクライネシャイディックを通りグリンデルバルトを結ぶ軌間800mm 直流1500V 全区間リッケンバッハ式ラックレール使用

JB ユングフラウ鉄道
WABに連絡してクライネシャイディックからユングフラウヨッホへ 三相交流1125V 最急勾配250‰

MOB モントロー・オーベルラント・ベルヌア鉄道
メーターゲージ DC850V

GFM フリブルジョア鉄道

CEV ブベイ電気鉄道

GN ロシェドネ登山線

AL エグル・レイザン鉄道

AOMC エグル・オロン・モンティ・シャンペリ鉄道

BVB ベエ・ビラル・ブルティ鉄道

M・C マルティニ・シュトラール鉄道

MO マルティニ・オルシェ鉄道

NStCM ニヨン・サンセルグ・モルツ鉄道

GGB ゴルナーグラード鉄道

BVZ ブリーグ・ビスプ・ツェルマット鉄道

FO フルカ・オバーアルプ鉄道

RhB レーティッシュ鉄道

SOB スイス南東鉄道

ARB アルトリギ鉄道

RB リギ鉄道

LSE ルツェルン・シュタンス・エンゲルベルク鉄道

SiTB ジールタール鉄道

BZUe ウエトリベルク鉄道

FB フォルヒ鉄道

BD ブレムガルテン・ディエチコン鉄道

*************************************************************
新車

国鉄961系全国新幹線用試作車
”全国”と付くように50/60Hz、耐寒耐雪、出力アップ、公害対策も盛り込まれた試作車

国鉄381系直流特急電車

国鉄新485系交直特急電車
 設計変更で先頭車は貫通式、パンタ付き車両は集中式冷房装置
国鉄24系特急寝台客車
 1972年11月6日に北陸トンネル列車火災事故から電源は集中式に
国鉄14系特急客車 オハ14 スハフ14 オハフ15

国鉄191系直流試験車

郵政省 オユ14 
 オハ12系をベースにした郵便車
国鉄サロ113形近郊形電車
 東京地下駅乗り入れ用に車体の難燃化対策 横須賀総武線用

大阪市交通局 20系電車

京成電鉄 3500形

阪急電鉄 5300系

名古屋鉄道 モ7700形 

西日本鉄道 2000系

近畿日本鉄道 モ2800系

南海電気鉄道 モハ1001系

静岡鉄道 1000系

伊豆箱根鉄道 モハ158、サハ184、モハ157

秩父鉄道 デキ108

近江鉄道 モハ204

岡山電軌 3500形
**************************************************************:
新線開通

営団地下鉄・千代田線 都市計画高速鉄道網9号線 霞ヶ関~代々木公園6.2km

横浜市営地下鉄1号線

大阪市交通局 四つ橋線

国鉄根岸線 洋光台~大船間3.6km開業で全通

国鉄武蔵野線 府中本町~新松戸間57.5kmが開業

国鉄盛線 三陸縦貫鉄道の一部として綾里~吉浜間12.5km
**************************************************************
廃線

加越能鉄道 加越線 石動~庄川町 19.5km 1972/9/15

東京都交通局 
 1972年11月11日 23、24、28、29、38の 5路線が廃止 残されたのは今も残る27、32の2系統に

旭川電気鉄道
 日本最北の私鉄電車 1927年から45年間の営業に幕 1972/12/31

名古屋鉄道 挙母線
 1924年岡崎電気軌道の路線として開業 国鉄岡多線建設のため1973/3/3廃止

札幌市電
 地下鉄南北線建設に次いで東西線の建設で1973/4/1一条線、西四丁目線の計3.3km廃止

国鉄下河原線
 1934年、東京競馬場建設で営業を開始、1973/3/31武蔵野線建設で発展的解消

富山地方鉄道・富山市内線
 東部線 中教院前~地鉄ビル前 1.4km 1972/9/20
 西部線 丸の内~西町間 0.9km 1973/3/30
*******************************************************************
巻末
8620形機関車礼賛 髙田隆雄

やぶにらみのスイス 斉藤晃

愛すべきローカル電車たち 高井薫平

日本の私鉄車両 諸元表
地方私鉄路線一覧

路線図 スイス鉄道

以上です。

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2016年7月19日 (火)

東海道新幹線開業から50年 その34 保存されている新幹線車両 5 リニア鉄道館 part6 ビュッフェ車37形

リニア・鉄道館に保存されている新幹線車両、営業用車両としては、今回も中間車ですが、ビュッフェ車37形2523号車が保存されています。

372523_140812 2014/8/12 リニア・鉄道館

新幹線0系のビュッフェ車・二等客室の合造車は当初、35形でした。1972年度製の第13次車まで、150両製造されました。

出入り台は東京寄り1カ所のみで、山側に窓、テーブルと椅子、通路があり、富士山の眺望が楽しめる配置でした。調理室は海側でした。

ビュッフェと言えば「こだま」形151系モハシ150形急行形サハシ153形など、椅子の無い立食スタイルでしたが、0系では窓側のテーブルにFRP製の椅子が13脚設置され、手洗い器、エアタオル、速度計と列車位置情報装置も壁に装備されていました。

151系や153系のビュッフェ車同様、編成中に2両組み込まれ、向きは同じ向きでしたが、東京寄り(12両編成で)9号車は壁がサーモンピンク、テーブル上面が黒、椅子が黄色と朱色であったのに対して、新大阪より5号車は壁がグレーチェック、テーブル正面がバーミリオン、椅子がクリームと青と意匠が変えてありました。

372523_140812_2 説明板

0系が小窓車にモデルチェンジした1976年度製の第22次車からは新形式の37形が製造されるようになりました。番号も普通車にあわせて、1000番台から始まり、第27次車から1500番台、30次車から2500番台となり、36次車まで合計139両が製造されました。

0_371000 37形1000番台 枇杷島

普通席の区画のサイズが大きくなり、ビュフェ部分は縮小され、椅子も無くなりました。レイアウトも変更されましたが、壁の速度計は存置されました。

37形、1500、2500番台では電話室も廃止され、ビュフェ内に電話が設置されました。

ビュッフェのサイズは1500番台(29両)では幾分拡大され、側窓の数は5個から6個に増加しました。客室は定員が43名から38名に減少しました。しかし、シートピッチ拡大の2500番台(42両)では再び窓は5個に戻りました。

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2016年7月18日 (月)

西武30000系 最終 38118編成が運用開始

2008年4月26日101系や301系の代替目的で新製された30000系の営業運転が開始されました。当初は8両編成12本、6両編成3本、2両編成3本の計120両の新製が公表されましたが、実際には10両編成6本、8両編成17本、2両編成6本が既に導入済みで、今年度導入となる、8両編成 38118編成が2016年6月10日に日立製作所笠戸事業所を出場し、12日に西武鉄道小手指車両基地に到着しました。

甲種回送列車の下松~新秋津間はEF210-141が牽引し、西武鉄道内は101N系263Fが牽引しました(関係記事)。西武鉄道の2016年度事業設備投資計画では30000系8両編成1本と新型通勤電車40000系10両編成2本の新造が発表されていることから、30000系の製造は38118編成がラストとなるものと思われます。

30000_38118_160703
1次車 2007年度製 38101, 38102,(S) 38103 (I) 8R x 3

2次車 2008年度製 38104, 38105(I)  8R x 2 32101-32103 2R x 3 (I)

3次車 2009年度製 38106(S), 38107(I)  8R x 2

4次車 2009年度製 38108(S), 38109(I) 8R x 2

30000_38118_160703_3
5次車  2011年度製 38110(I), 38111(S) 8R x 2

6次車  2012年度製 38112(I), 38113, 38114(S) 8R x 3  32104(I),32105, 32106(S)  2R x 3

30000_38818_160703 2016/7/3 小手指車両基地

7次車 2013年度製 30101(I), 30102(S) 10R x 2   38115(S)  8R x 1

8次車 2014年度製 30103, 30104 10R x 2  38116  8R x 1 すべてI

9次車 2015年度製 30105, 30106 10R x 2  38117 8R x 1 すべてS

私も7月3日に小手指基地周辺を歩いた際に38118編成が停まっているのを目撃しており、池袋線に投入されるのか新宿線に投入されるのかと思っていたのですが、

30000_38118_160717 2016/7/17 井荻 2311レ 急行 拝島行き

井荻駅で写真を撮っていたら、やたらと綺麗な30000系が通過して行くのに気がつき、後追いですが、撮影したら38118編成でした。

7次車からは制御装置や主電動機が新方式となり、消費電力が約10%削減されているそうですが10次車で新たな進化があるかどうかは不明です。

一方で、38118Fの運用開始で2000系オリジナル編成8連が一編成落ちるのでしょうか?

武蔵丘入場かも知れませんが、池袋線関係では2089Fの動きが最近見られないのが気になっているのですが。

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2016年7月17日 (日)

パリの6つのターミナル駅巡り サン・ラザール駅 4 客車列車

7月14日の革命記念日にはニースで花火見物の群衆にトラックが突っ込み暴走し、84名の尊い人命が失われるという事件が起きました。
さらにトルコでは軍部がクーデターを起こし、未遂に終わりましたが、そういったニュースが世界中を駆け巡っているこの週末です。つい先日はバングラデシュのダッカでテロ事件が起き、日本人も巻き込まれました。
世界中では何時どこで何が起きるか不安でたまらない毎日です。

090312_saint_lazare 2009/3/12

パリのターミナル巡り サン・ラザール駅の4回目は同駅から発車する長距離列車です。

ノルマンジー地方に向かう列車が多いようで、行き先は

カーン Caen バス=ノルマンディー地域圏の首府、カルヴァドス県の県庁所在地
     人口は12万弱 第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦で激戦地となり、聖堂と病院を残して街は灰燼に帰し、連合軍(カナダ、イギリス)が街を確保したのは1944年7月9日でした。債権には14年が費やされたそうです。

シェルブール=オクトヴィル Cherbourg-Octeville コタンタン半島の先端に位置する港町 ナポレオン1世の頃から要塞化が進められ、ルイ16世の時代に軍港が建設されました。

4_090312_saint_lazare

トロヴィル・ドーヴィル Deauville  ノルマンジーの海岸の女王といわれる港、ヴィラ、カジノ、ホテルを有するリゾート

ルーアン Rouen 
オート=ノルマンディー地域圏の首府、セーヌ=マリティーム県の県庁所在地 百年戦争で捕虜となったジャンヌ・ダルクが1431年に火刑に処された地

ル・アーブル Le Havre 大西洋に臨む港湾都市

ディエップ 
Dieppe イギリス海峡に面した港町 フランス歴史と芸術の街 ホタテ漁でも有名

5_090312_saint_lazare
3枚の写真、いずれもIntercityの客車列車ですが、かつては日本でも上野駅などで見られた風景ですが、日本では機関車が牽引する客車列車の定期列車は消滅してしまいました。
なにか貴重な文化が知らず知らずのうちに失われていく感じがしてなりません。

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2016年7月16日 (土)

大宮鉄道ふれあいフェア2016 国鉄色に戻ったEF65 2139号機 

2016年5月28日の大宮公開、今回はEF65形1000番台PFの最終号機、2139号機の全般検査入場と更新塗装からオリジナル塗装変更の話題です。

Ef65_2139_160528_36
2016/5/28 大宮車両センター公開

EF652139号機は沖田祐作氏の機関車表データによると

EF651139    川崎重工兵庫工場=632/= 富士電機       1979-08-29 E96tBBB(1067)
   車歴;1979-08-29 製造→ 納入;国鉄;EF651139→ 配属;関西支社→
      1979-08-29 配置;宮原→1985-03-14 吹田→1987-04-01JR 貨物;EF651139→
      配置;吹田機関区→1989-03-11 高崎機関区→ 新鶴見機関区→
      1995-04-01 現在;新鶴見機関区→2002-09-04 現在(大宮工場更新);新鶴見機関区→
      2008-04-01 現在;新鶴見機関区

1979年8月29日、川崎重工兵庫工場で電気関係富士電機とのコラボにより、落成しています。PF形では8次車でした。新製配置は宮原機関区で関西対九州の寝台特急牽引に活躍していたEF58の置き換え用として1129-1139号機の11両が配置されました。同じ8次車グループの1119-1128号機は下関運転所に配置されました。

Ef65_1139_020910_0 2002/9/10 東十条

上の機関車表のデータと照合し、この写真は更新出場直後の写真と分かりました。
当時の更新塗色は所謂、3色更新でした。

関西 - 九州間の寝台列車牽引を目的としていたため、耐寒耐雪設備の一部であるスノープラウ・汽笛カバーや砂撒き管ヒーター、主電動機用歯車箱の防雪覆いなどは省略されました。さらにこれまでの使用実績から主電動機がMT52Bに、避雷器はLA16に変更されました。また、亀裂防止の観点から台車枠は溶接が強化され、台車にとりつけられたオイルダンパーが折損した際に車両外側に飛び出すのをふせぐため、取り付け方向が90度変更されました。

1985年3月14日に吹田機関区転属、分割民営化ではJR貨物に継承され、1989年3月11日、高崎機関区に転属、その後、1995年4月1日、新鶴見機関区に転属となりました。2002年9月4日には大宮工場で更新改造を受け、出場しています。

1991年から1992年にかけて、電磁給排弁を併用せずに貨物列車制動時の空走距離を短縮させるため、自動空気ブレーキ系の常用減圧促進改造が施工されています。ツリアイ空気ダメの容量を縮小した上で、膨張ダメおよびJB中継弁の設置を行っています。

Ef65_1139_041107 2004/11/7 浜川崎 3色更新色時代

コキ50000形改造の100km/h運転対応車(250000番台)牽引に対応するもので、改造当初はナンバープレートの地色を、側面はコキ50000形250000番台の外部塗色に合わせた淡緑色、正面を青15号としましたが、夜間作業等、暗い時に判別がつきにくいため、当時、試験塗装を纏っていたEF64 1010号機に倣い、赤色で区別しました。

Ef65_1139_070811 2007/8/11 新川崎 ワム8による紙列車牽引 

1045・1057・1058・1060・1063 - 1092・1096・1097・1117・1138・1139号機 の39両に施工されましたが、CLE電磁自動空気ブレーキを装備し110km/h運転が可能なコキ100系貨車の量産開始後、コキ250000で組成された編成はコキ100系への置き換えが進み、機関車も同時期に増産されたEF66形に置き換えられたため、その後は限定仕業を解除され、非改造機と共通の運用に充当されています。

Ef65_1139_110213_2 2011/2/13 古河~栗橋間

東日本大震災の約1ヶ月前の撮影ですが、この頃には2色更新色になっていました。

さらに以前にも記しましたが、国土交通省の鉄道に関する技術上の基準を定める省令によって、100km/hを超える運転を行う車両には新たな保安装置(運転状況記録装置)の搭載が義務付けられました。この有無による、JR旅客会社JR貨物が所有する本形式の最高速度の相違を区別するために、2012年5月からJR貨物所有のEF65PFに対して車両番号が元番号に1000を加算する措置が取られました。

Ef65_2139_130622 2013/6/22 浦和
2000番台改番後、更新塗色の姿

常用減圧促進改造を施工された車両は、赤色プレートの上に切り抜き文字を、それ以外の車両はディープブルー色プレートの上に切り抜き文字を貼り付けています。ただし2119・2121号機は改番前のものに近い鮮やかな青色プレートの上に切り抜き文字となっていました。切り抜き文字はすべて金色です。更新工事未施工車で改番が行われたのは2077・2119・2121号機のみでした。


Ef65_2139_160528_34 「はやぶさ」HM

Ef65_2139_160528
いわゆる「葉桜」のHM

Ef65_2139_160528_5
「がまだぜ熊本」(がんばれ・精をだせ熊本)の特製HM

車齢37年を迎えようとする2016年3月2日5回目の?全般検査施 行で大宮工場に入場、その際にこれが最後の全般検査出場を記念してか、あるいは国鉄色機2119号機、2121号機の運用離脱で国鉄色機の伝統を絶やさな いためか、JRマークも付けない国鉄色に変更され、2016年4月28日、僚機2091号機に牽引され出場、大宮~東大宮~西浦和~新鶴見(信)の経路で 回送され、所属区に戻りました。

この話題の機関車は大宮公開で早速展示され、上の写真のように、上野側は「さくら」や塗色変更の特製HM、宇都宮側は「はやぶさ」や熊本地震の被災者を応援する「がまだぜ熊本」のHMが飾られました。

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2016年7月15日 (金)

江ノ電を撮る 施設編 4 腰越駅

江ノ電の特徴的な駅を紹介しているシリーズ、今回は江ノ島駅から併用区間を通過して再び専用軌道に移る腰越駅です。

141230 2014/12/30

手前が藤沢方面、奥が鎌倉方面で、行き違いの出来ない単線片側ホームの駅です。

141230_2 停車してもホームから1両はみ出します。

ホームは3両分の長さしか無く、手前は併用軌道で踏み切り、奥にも踏切があり、4両編成の列車は必ず鎌倉方の1両がホームからはみ出し、ドアの開閉がありません。乗務員室には江ノ島・鎌倉高校前 確認のプレートで乗務員に注意喚起がなされ、車両も腰越駅到着を感知してドアカットが行われるようになっているそうです。

305_141230

早朝深夜を除き、ホームには駅員が配置され、出改札業務を行っています。

1101_150103 2015/1/3 江ノ島駅付近の併用軌道の西の端

年末・年始の混雑に対応するため江ノ島電鉄の職員が交通整理を行っています。

こういった人間くささが江ノ電の大きな魅力になっていると思います。

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2016年7月14日 (木)

小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 8 8000系 その11 

1963年の登場から今年で53年が過ぎ、終焉が近づいている8000系ですが、前回の記事ではセイジクリーム塗装の4Rワンマン車グループの81111Fについて触れました。今回は、同じ4Rワンマン車グループで昨年11月フライング東上」塗装に塗り替えられた8198Fです。

8198Fは8R車8197Fの分割で登場した改造4R車で、クリーム色標準塗装の時代の写真は以前の記事で紹介しました。

8198_151212_16 2015/12/12 小川町

2015年は東武東上線が全線開通し90周年を迎えた年であり、それを記念して1949年から1967年まで東上線で運行された行楽列車「フライング東上号」のリバイバルということで、8000系8198編成と50090系50092編成1950年12月頃から54系が纏った濃い青色に黄色い帯の塗装を纏わせました。50090系はフルラッピング、8000系は塗装による再現です。

Hmflying_tojo_151212

ちなみにフライング東上号の塗装は
1949年4月から 32系 深紅
1950年4月頃から 54系 深紅、黄色の帯
1950年12月頃から 54系 濃い青 黄色の帯
1952年3月頃から 53系 濃い青色 黄色の帯
1962年12月頃から 78系 ロイヤルベージュとインターナショナルオレンジ
1963年11月頃から 8000系 ロイヤルベージュとインターナショナルオレンジ

と担当系列、塗色が変化してゆきました。
フライング・・・のネーミングはイギリス ロンドン~エディンバラ間の特急列車「フライング・スコッツマン」にあやかったそうです。

Img_9770 2007/6/8 ロンドン パディントン駅

本家、イギリスでもFlying Scottsmanの塗装の流れをくむ塗装の列車が見られます。

8198_151212 2015/12/12 寄居

8198_151212_2 側面にも全線開通90周年のマークが入っています。

8198_151212_3 黄色の帯は妻面までは回り込まず、帯の下には社紋が入っています。

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2016年7月13日 (水)

京成電鉄の車両たち 1  3400形

京成電鉄の車両も西武や東武で使われている系列の系ではなく、京浜急行などの形式の形を使っています。

その中で今回ご紹介するのは3400形です。

3408_160211 3408編成 2016/2/11 八ツ山橋

この車両は初代スカイライナーAE形が経年劣化でAE100形に置き換えられた際に、AE形は登場してから時間は確かに経過していたものの、成田空港の開港までのトラブルをもろに受けて、走行距離はあまり伸びずにこの時期を迎えました。制御装置や走行機器類も劣化は少なく、十分に使用できる状態でした。

そこで、この走行機器類を利用し、大栄車輌で新製した普通鋼製車体と組み合わせ、通勤形車両としたのが、3400形です。

3411_151031_2 3418編成 2015/10/31 京成高砂

1993年1月から1995年11月にかけて種車と同数の8両編成5本が落成しました。書類上は新造ではなく、AE形から改番、改造となっています。

車体外観・形状は1991年から製造されている3700形軽量ステンレス車とほぼ同じで鋼製塗装版3700形とも言えますが、前面下部形状が若干違い、外板塗装はライトグレーをベースにフューチャーレッドとヒューマンブルーの帯が入れられています。

編成形態は
     < >                    <              <    >
 3400 3400 3400 3400 3400 3400 3400 3400
   (1)     (2)     (3)     (4)     (5)     (6)     (7)     (8)
  M2c    M1     T      M2     M1'     T      M1    M2c
  CP    CHP   MG    CP    CHP    MG  CHP   CP     CHP:主制御器 界磁チョッパ装置
                                 MG:110kVA電動発電機                3401-3408 3408編成 < AE10編成
        3411-3418 3418編成 < AE20編成
         3421-3428  3428編成 < AE50編成
         3431-3438  3438編成 < AE60編成     
        3441-3448  3448編成 < AE70編成  と

3700形と同様のナンバリングとなっており、乗り入れ先の京浜急行電鉄の車両規定に適合させるため、8両編成6M2Tで両端先頭車は電動車です。

都営地下鉄浅草線、京急線、北総線に乗り入れ可能となっています。成田スカイアクセス線運用対応工事は未施工のため、乗り入れは行っていません。

3438_160211_21 3438編成 2016/2/11 八ツ山橋

車内は3700形1次車とほぼ同じ、アイボリー系の化粧板、ベージュ色系の床材を使用し、平天井構造で、ラインフロー式冷気拡散を行っています。

走行機器はAE形の機器を更新修繕の上、再利用しており、制御装置は東洋電機製造製ACRF-H8140-766A電動カム軸永久並列界磁チョッパ制御、主電動機は東洋製TDK-8500A(140kW)複巻直流電動機で定速走行装置は継承されず撤去されました。

パンタグラフは当初、下枠交差式PT4804-B-M形を搭載、CPはレシプロ方式のC-2000M形を搭載しました。MGは110kVA出力のCLG-350C形を搭載し、故障時に備えて自動給電装置を搭載しました。

台車はS形ミンデン式軸箱構造のFS-383A形、付随台車はFS-083A形ですが、3444・3445は制御車から中間電動車化したAE64・AE65のものを流用したためFS-543Aを改造したFS-543Bとしています。

落成当初は末尾4と5の中間電動車ユニットを除いた暫定6両固定編成で落成し、数ヶ月遅れて中間電動車ユニットが落成した後に8両固定編成化されました。

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2016年7月12日 (火)

西武線各駅探訪 4 保谷駅

西武鉄道の各駅を紹介するシリーズ、今回は保谷駅です。

160610 2016/6/10 駅名標

小学校3年の1964年12月から杉並区清水3丁目の公務員住宅に住み、高校2年の1972年に南大泉に建て売り住宅を購入し、初めてのマイホームとなりました。ただ、場所は保谷、武蔵関、東伏見の3駅といずれも等距離、歩いて15分ほどの場所で、高校時代は武蔵関、あるいは東伏見まで自転車、大学教養時代は吉祥寺まで自転車、専門課程(1976年4月から1978年3月)では保谷駅まで自転車もしくは徒歩といった生活でした。研究室配属になってからは、東伏見~高田馬場~大手町~根津の通学経路となり、池袋線から新宿線に戻りました。その後、つくばに移る1983年頃、実家も保谷市栄町に家を新築し、南大泉の家は離れました。

保谷駅との関係は1976年4月から1978年3月までだったと思いますが、撮影などでもよく訪れており、池袋線ではもっとも思い出深い駅です。

160703_2 2016/7/3 改札口

改札口の感じは以前と変わりませんが、その向こうの商業施設は私が使っていた頃はありませんでした。

駅所在地は西東京市東町三丁目14番30号ですが、ホームの東側は東京都練馬区に所在します。

開業は1915年4月15日で武蔵野鉄道が池袋~飯能間44.2kmを開業した際に、東長崎、練馬、石神井、東久留米、(旧)小手指、元狭山、豊岡町、仏子、飯能ともに開業し、所沢駅は川越鉄道と共用を開始しました。開業当初は貨物輸送がメインで、蒸気機関車による営業でした。ちなみに池袋~所沢間が電化されたのは1922年11月1日でした。

401_i_7806 1978/6 401系冷房改造車登場の頃

551_101_800707 1980/7/7 保谷駅北側の電留線

北口はまだターミナルではなく跨線橋の階段の入り口があるだけでした。ホームは一面で上り下り2線の島式ホームでした。駅北側に電留線が2本ありました。

1970年代後半、駅は既に橋上駅化されていましたが、ホーム構成は今とは大きく違い、南口、北口ともに規模は今とは違いました。北口は橋上駅化されたときに出来たそうですが、私がお世話になっていた頃の北口は橋上駅に上る階段の入り口といった感じでした。

160703 保谷乗務所ビル
このビルは最近、改装されたのでしょうか。1986年12月30日から使用開始とのことですが。

160703_3 南口広場 この広場も駅の改装で誕生したものでしょう。

南口のSEIYUは私が使用していた頃から存在し、南口を出るとSEIYUの横の階段を降りていました。

Seiyu_160703 2016/7/3 今でも変わらないSEIYUの横の階段

1991年12月27日に新駅舎の使用が開始となりました。

2003年、北口の改築

2009年4月16日、西武鉄道直営の新商業施設、Emio保谷がリニューアルオープン

駅前通りをクルマで通過することがしばしばありましたが、保谷駅で下車したのは先日、7月3日が30年ぶりくらいになり、南口、北口の変貌振りに驚いた次第です。

30000_32103_140504 2014/5/4

ホームの構成の変化は2014年似写真を撮っているので、何度がホームに降りて気付いていました。

2010年3月21日、新上りホームが使用開始(上の写真の30000系の通過している線路)、と同時に旧上りホーム(下の写真の5000系が通過しているホーム)の使用が停止

5000 撮影年不明

2010年9月18日、下り列車の停止位置を所沢よりに50m移動

2011年7月17日、駅改良工事完了、2番ホームが使用再開。2面3線に。

駅西側にはかつての車両基地、現在は電留線として残されている施設があり、敷地面積は19,990㎡で構内の線路延長は2311mになります。池袋~所沢電化の1ヶ月前の1922年10月1日に、武蔵野鉄道、保谷電車庫として開設されました。戦後は復興社保谷車両工場として、車両の検査、修繕、ならびに製造業務を担当しましたが、1950年にそれらの業務は所沢車両工場に移され、保谷車両管理所となり、池袋線の車両管理を担当しましたが、車両の増備、編成の長大化で2000年3月に、その機能は武蔵丘車両管理所に移され、現在は、車両管理の無い電留線となっています。

5000_6 101系全盛時代

駅西側の跨線橋から

2000n_8_2078_160703

2000n_8_2077_2091_160703_3 上の写真と同じ跨線橋から

かつての保谷車両管理所の線路に2000N系8連が2本、本線沿いの線路には折り返し、メトロ7000系が休む。

Dsc00826
保谷駅からかつて自宅があった大泉富士幼稚園の方に歩いてみることにしました。15分くらいで自宅の場所に到着しましたが、あの頃は大根やキャベツ畑ばっかりだった場所がすっかり住宅地になっており、隔世の感でした。

さらに、南へ、結局武蔵関の駅まで歩きました。

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2016年7月11日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 23 United Airlines Boeing 737 part1

San Diego Lindbergh空港でのSpotting、今回はUnited AirlinesBoeing 737です。

N348ua_boeing_737322_cn_24252_ln164 N348UA Boeing 737-322 cn 24252 ln 1648 2002/1/17 SAN

Unitedのタイトルを付けている機体は旧Unitedの機体もあれば、旧Continentalの機体もあり、さらに新規に導入された機体もあるようなので、3回に分けて写真を紹介します。

まずpart1として旧Unitedの機体です。レジはN****UやN***UAのタイプのレジです。Boeing 787によるJALのSan Diego直行便が開設される前は、もっぱらサンフランシスコ経由のUnitedの便を利用しておりましたので実際に搭乗した機体でもありました。

United Airlinesの歴史は以前、コーネル大学に出張した際の記事で記述しました。

FleetのうちBoeing 737はかなりの部分を占めますが、現在はNGシリーズのみが現役、クラッシックシリーズは全てリタイア済みです。

737-200   100機  -222が75機 -291A が25機

737-300 101機     すべて-322

737-500 94機   -522が57機 -524(WL) が37機   でした。

-291A は1978年から1982年にかけてFrontier Airlinesが発注し、後年Unitedに売却された機体です。

-524(WL) はContinental Air Linesが発注、2010年のUnited Airlinesとの合併で所属が変わった機体でWinglet装着機です。

N911ua_boeing_737522_cn_25255_ln207 N911UA  Boeing 737-522 cn 25255 ln 2075 2003/1/15 SAN

"Shuttle" の塗装は Shuttle by United という航空会社内航空会社としてUnited AirinesのSubsidiaryとして1994年10月1日から2001年にかけて運航した部門でした。

合衆国の西海岸に沿って運航し、サンフランシスコやロサンゼルスを起点に運航をしていました。Fleetは737-300と737-500で構成され、終末期にはUnited Shuttleと改名されました。

アメリカでは1990年代後半にInternet Boomによるバブル期があり、俗にDot-com bubbleというそうですが、それでシリコンバレーなどがあり、ベンチャービジネスが多く立ち上がった西海岸では航空業界も潤い、こういった運航を開始したそうです。まさに「どっと混む」だったようです。

しかし、サンフランシスコ空域の視界が良くない天候条件による遅延の発生や、スタッフの過剰労働でSFO,LAX関係の2/3のフライトが遅延する事態となり、Shuttle運航は中止に追い込まれました。

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2016年7月10日 (日)

西武101N系 1251F 甲種回送に遭遇

以前、西武多摩川線で活躍中の新101(101N)系については編成別に触れました7月9日、雨の中でしたが、所沢駅で偶然、1251Fの甲種回送編成を見かけました。

101n_1251f_160709_3 2016/7/9 所沢

編成は牽引車263Fと1251Fの8両編成で、クハ1251のエンドには円形の反射標識板が付けられ、連結器は自連に交換されていました。

戸袋窓の部分に甲種回送に関する内容が書かれた紙が貼ってあり、

101n_1251f_160709_7_2
拡大するとこのような内容です。発駅は小手指駅、着駅は武蔵境駅となっています。多摩川線で活躍する101N系の点検に伴う定期交換ですね。

101n_263f_160709

101n_263f_160709_3
263Fは普段、多摩湖線で良く見かけますが、もう一つの顔である4M方式の牽引車としての姿を見たのは初めてでした。被牽引車とは並形自連で連結されて、ブレーキホースも繋がっていました。

101n_4_266_160501 266の運転席

101n_4_266_160501_4 センターのSW類

牽引車としての活躍のためにクモハ263には新製車両の全電気指令式ブレーキ対応用読み替え装置を搭載し、牽引車からの指令で被牽引編成のブレーキが応答するようになっており、また台車には空転防止のため、増粘着剤噴射装置が、運転台にはそのためのボタンが用意されています。クモハ266はMG・CPを撤去し、バランスウエイトを搭載しました。

2016/5/1 萩山

101n_263f_160709_6
266のエンドの連結器も並形自連でした。

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2016年7月 9日 (土)

西武2000N系 4扉車を主流にした車両 6次車-2 2連

このシリーズ、前回から2000N系を製造次、編成別にみていますが、今回は6次車唯一の2連として登場した2451Fです。番号はオリジナルタイプの続番ではなく50番台となりました。

2000n_2_2451_160627 2016/6/27 萩山 準急玉川上水行き

製造は東急車輛製造で1988年5月17日に落成しています。
クモハ2401はオリジナルタイプと同様に1M車で直列制御のみとなっています。

2000n_2_2451f_160530 2016/5/30 井荻 急行西武新宿行き

8連、もしくは4連併結の2000、2000N系と組み、西武新宿方に連結され、10連を組成し、優等列車として前パンで運用されたり、

2000n_2_2451f_160502 2016/5/2 沼袋

本川越、拝島方に連結されることもあります。クハは補助電源装置とCPを搭載しています。

2000n_2_2451f_160514_3 2016/5/14 小平

たまには6連と組んで8連となり、各停運用に入ることもあります。

2000n_2_24522636_150926 2015/9/26 恋ヶ窪~国分寺

通常、6連の2000系,2000N系が働いている国分寺線に4連の2000N系と併結6連でピンチヒッターを務めることもあります。

2451Fは2000N系2連車の中では唯一、貫通扉の窓が小ぶりの車両で、それが個体の識別に役立っています。

クハ2452は補助電源装置がSIVにCPは登場時は新規採用のHS-20Kが搭載されましたが、後年MBU1100に置き換えられています。

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2016年7月 8日 (金)

電気機関車 EH500シリーズ 16号機

Eco Power金太郎」こと、EH500形電気機関車を1両ずつ紹介しているシリーズ、今回は16号機です。

2002年6月4日に落成しています。

今回も新鶴見から青函まで(今年3月のダイヤ改正までの)の牽引風景の写真に沿って紹介してゆきましょう。

Eh50016_040312 2004/3/12 新川崎

最近、久しぶりに新川崎に撮影に行きましたが、3月の改正で青函運用がなくなり、その分が首都圏に回されたせいか、新鶴見に金太郎がゴロゴロいるという感じですね。

Eh50016_031103 2003/11/3 府中本町

Eh50016_040222 2004/2/22 西浦和

Eh50016_060924 2006/9/24 大宮

Eh50016_100627 2010/6/27 栗橋~古河 中通り踏切

Eh50016_101024_edit 2010/10/24 千刈踏切

Eh50016_151222 2015/12/22 蟹田

続いて上り列車の行程に沿った記録です。

Eh50016_080731 2008/7/31 長町

Eh50016_120720 2012/7/20 郡山

Eh50016_040821 2004/8/21 白坂

Eh50016_050423 2005/4/23 熊久保踏切

Eh50016_070804 2007/8/4 黒磯

Eh50016_040508 2004/5/8 栗橋

Eh50016_061014 2006/10/14 恵比寿

最後に常磐線関連で

安中貨物

Eh50016_130503_2_2 2013/5/3 浦和

常磐コンテナ貨物

Eh50016_140630 2014/6/30  荒川沖~ひたち野うしく

以上です。

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2016年7月 7日 (木)

Frankfurt am Main Airportでのspotting 8 Iran Air Boeing747SP

冷戦時代の1989年5月、Frankfurt am Main空港でのSpotting. 前回まではBoeing 707 や Douglas DC-8といった第一世代のジェット旅客機の写真を紹介してきましたが、今回からはBoeing 747に参ります。

西ドイツの空港として西ベルリン・テーゲル空港(正確には西ドイツではなく占領4か国ですが)、デュッセルドルフ空港では当時、Boeing747は定期便ではおそらく就航していなかったので、このシリーズでも747の登場は初めてとなります。

747は1969年2月に初飛行し、Pan Amが20機発注したのをきっかけにNorthwest, TWA, JAL, BOACなどが続々と発注するようになりました。ただ当時の航空業界としては大陸間を短時間で飛行できる超音速旅客機が次の世代の本命と考えられており、747はその時代が来ればいつでも貨物機に改修可能なように設計されていました。しかし、その後のオイルショックによる燃料費の高騰や騒音問題でBoeing 2707の開発は中止、コンコルドも発注が相次いでキャンセルされる事態となりました。

747の最初のタイプは-100型でエンジン出力不足から航続距離が伸びない等のトラブルもありました。多くのこの時代にPan AMのファン・トリップ会長の東京~ニューヨーク間無着陸直行便構想で開発されたタイプが747-SP (Special Performance)でした。

B747sp86_iran_air_890506_fra 1989/5/6 FRA

胴体を短胴化(約70mを56.31mに)し、重量を低減することで航続距離の増大を図りました。短胴化によるモーメントアームの減少に対応して水平、垂直尾翼を翼端で1.5m延長しています。フラップも下翼面のフラップトラックのないシングルスロッテドタイプになりました。また、胴体短縮効果は断面積変化を小さくすることで音速付近での抗力の増大を抑える効果があることが見つかり、SPの巡航速度の向上、さらには2階席延長SUDタイプの開発に繋がりました。

1973年に開発開始、Pan Amが11機発注でローンチされ、1975年5月19日にロールアウト、7月4日に初飛行しました。1976年4月25日、東京~ニューヨーク無着陸直行便が就航し、アンカレジ経由で運航していたJAL, NWは大打撃を被りました。しかし、定員の少ないSPへの興味は示さず、JAL1983年にJT9D-7R4G2エンジン(本来は-300用)を搭載した通称Exective Expressと呼ばれた3機(JA8161, JA8162, JA8169)を導入し、挽回しました。

SPはこの間、政治的理由で超長距離路線運航を強いられていた中国民航、China Airlineやサウスアフリカ航空、エルアル航空、さらに既に-100や-200を運航していたTWA, ブラニフ、アルゼンチン航空、大韓航空、イラン航空、さらには通常の747ではキャパシティが大きすぎると考えていたシリア航空、モーリシャス航空などが導入しました。

Pan AmはSPを使用して1976年5月1日から3日までの間にニューヨーク~ニューデリー~東京~ニューヨークの世界一周飛行を行い、46時間46秒の世界最速記録を樹立しました。

上記のJALによる747-200Bタイプの東京~ニューヨーク間無着陸便就航やー400の開発開始て受注は減少したことから、1989年に生産中止となりました。最終的に45機の生産でした。生産中止後も超長距離路線の運航機材を必要としたナミビア航空、アメリカン航空、ルクスエアやバーレン、オマーン、カザフスタンなどが政府専用機として中古機を導入しました。

Iran Airは
        cn      ln    納入日      Name
EP-IAA   20998  275   1976/3/12    Persian Gulf
EP-IAB   20999  278   1976/5/10    Khorosan
EP-IAC   21093  307      1977/5/27       Persian Gulf

と3機のSP-86 を長らく運航しており、成田にも2011年まで就航していました。むしろ、これら3機のSPは当初、ニューヨーク線専用機材として導入され、革命でニューヨーク乗り入れがなくなった後は成田線専用機材として活躍していました。

生憎、今回紹介する写真ではレジの判別ができません。通常は垂直尾翼上方の青い部分にレジの一部AA,AB,ACが書かれているのですがこの機体ではそれが消されています。

Iran Airの歴史については別の機会に触れるつもりですが、747SPのように長らく古い機材を就航させているのは1979年のイラン革命以後、アメリカによる経済制裁で西側航空機の購入が不可能になったからです。2015年、経済制裁が解除され、今後5年くらいをかけて革命前に購入した旧世代機を更新して行く予定とのことです。

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2016年7月 6日 (水)

下山国鉄総裁追憶碑を訪ねる その1

下山事件とは

太平洋戦争が終結し、日本が連合国の占領下にあった194976日未明の午前030分ごろ、前日朝の出勤途上から消息が分からなくなっていた国鉄初代総裁下山定則氏が足立区五反野付近の東武伊勢崎線が交差する常磐線線路上で轢死体として発見されました。今からちょうど67年前のことです。

160625 2016/6/25 下山国鉄総裁追憶碑が脇に設置されている常磐線高架線付近(手前が東京拘置所、奥が五反野駅方向)五反野親水緑道と常磐線が交差する場所です。

かつてはここは弥五郎新田踏切だったそうですが(当時の写真はこちらに)、常磐線の高架、複線化、さらにTXの開通で様子は大きくかわりました。碑も最初は上の写真の左の方の遺体発見現場近くに設置されたそうですが、工事などで移設されたそうです。

下山は1925に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、鉄道省に入省、企画院技師、技術院第4部長、鉄道総局業務局長補佐、名古屋鉄道局長、東京鉄道局長を歴任し,19484に運輸事務次官に就任、194961の日本国有鉄道発足で初代総裁に就いたばかりでした。

1949当時、中国大陸では蒋介石率いる国民党と毛沢東らが率いる共産党の内戦において共産党軍の勝利が決定的になっており、朝鮮半島では北緯38度線を境に共産政権と親米政権が一触即発の状況で対峙していました。日本ではアメリカの占領下政策が民主化から反共の防波堤に転換しつつあるときで、ドッジ・ラインによる緊縮財政政策が実施され、61には行政機関職員定員法が施行され、全公務員で28万人、日本国有鉄道では10万人近い人員整理が行われようとしていました。

123に行われた第24回衆議院総選挙では吉田茂率いる民主自由党が単独過半数の264議席を確保しましたが、日本共産党も4議席から35議席に躍進、吉田内閣の打倒、人員整理に対して頑強な抵抗を示していました。下山総裁は人員整理の当事者として労働組合との交渉の前面に立ち。事件前日の74には37千人の従業員に対して第一次整理通告を行っていました。

75日朝午前820ごろ、大田区上池台の自宅を公用車ビュイックで出発した下山は買い物の用事があるので日本橋の三越に行くよう指示、到着したものの開店前だったため、時間をつぶすため、国鉄本社のある東京駅前に行き、千代田銀行〈現、三菱UFJ銀行〉などに立ち寄り、937分ごろ、「5分くらいで戻るから待っていてくれ」と運転手に告げ、急ぎ足で三越に入り、そのまま消息を絶ちました。

一方、国鉄本社では人員整理を巡り、局長会議が午前9から予定されていましたが、下山が出勤しなかったため、自宅に連絡、「普段通り公用車で出かけた』との連絡で、大騒ぎとなり、警察に連絡、失踪事件として捜査が開始されました。

160625 2016/6/25 五反野駅改札口

失踪後の足取りに関する目撃情報は

・三越店内 数名の人物ともに目撃

・営団地下鉄銀座線 浅草行き列車内で目撃

1340分過ぎ、五反野駅改札で改札係と言葉を交わす

14時から17時、五反野駅そばの末広旅館に滞在

18時から20時、五反野駅から轢断地点に至る東武伊勢崎線沿線で服装背格好のよく似た人物の目撃情報

轢断した列車は現場を020分ごろ通過する常磐線下り869列車、D51651号機牽引。

沖田祐作氏の機関車表データを調べてみると

D51651     日立製作所笠戸工場=1469           1941-06-04 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1941-06-04 製造→ 納入;国鉄;D51651→ 配属;東京局→1941-06-15 配置;水戸→
      1950-03-14 煙突取替→1959-09-22 平→1965-03-28 糸崎→1965-09-13 新見→
      1965-10-21 後藤工場集煙装置取付:左側換気装置取付→1972-09-16 廃車;新見

1941年6月、日立製作所笠戸工場で落成しており、新製配置は東京局、水戸機関区で常磐線が任地でした。1965年に糸崎、新見へ移り、晩年は伯備線で活躍し、1972年に廃車となっています。伯備線時代の写真はこちらに。

同機関車は19431026、土浦駅桜川橋梁付近で発生した列車衝突事故を起こした機関車で同事故は死者110名、負傷者107名を出す、重大事故でしたが、戦時中であったこともあり、大きく報道されませんでした。 

<常磐線土浦駅列車衝突事故> *************************************

貨第294列車は1840分頃土浦駅上り1番線に到着、入換のため貨車41両を持ち引上線に引上げたところ、信号掛が転轍器を異方向に転換したため異線に進入、上り本線から分岐する転轍器を割出して1848に進路を支障しました。
18
5130、貨第254列車(D51651号機牽引)が場内信号機の進行指示によって進行したため支障車両に衝突、牽引機関車は貨車に食込み、直後の貨車14両は脱線転覆し、下り本線を支障しました。

E531_k422_070701 2007/7/1 土浦駅から事故現場方向 

1854、下り本線に進入した客第241列車は、貨第254列車に接触し脱線顛覆。客車2両は脱線傾斜し、3両目は桜川橋梁上から脱線傾斜、4両目は桜川に転落水没しました。5両目以下は橋梁手前で転落は免れました。

3_140601_15 2014/6/1

桜川鉄橋脇に建てられている土浦事故の慰霊碑

事故の様相は196253に発生した常磐線三河島列車多重衝突事故とよく似ており、土浦事故の検証がしっかり行われ、対策がなされていたら、三河島事故は防止できたのではと悔やまれる事故でした。

なお、この事故の241列車には1985日航ジャンボ機事故で犠牲となった幼少時代の坂本九氏が母親の疎開で笠間に向かうため乗車しており、当初は桜川に転落し、多数の犠牲者を出した客車に乗っていたそうですが、事故直前に別の車両に移って難を逃れたそうです。

***************************************

当夜のD51651号機は蒸気で発電する主発電機が故障しており、非常用電池で灯火を点灯させて走行する状態で前照灯は10W程度の明るさのため乗員は下山総裁を轢断した瞬間は気づかなかったそうです。また、出発前には田端機関区停泊中の蒸気圧が機関助手が点検すると規定の10キロの1/3ほどに下がっており、発車前30分間、大慌てで石炭を焚き、蒸気圧上げに努めたそうです。そんなわけで、出発は予定の0時2分から8分遅れの0時10分になりました。

連結していた49両の貨車はすべて空車で、遅れを取り戻すには好都合でした。荒川の鉄橋を轟音を立てて渡り、鉄橋から400メートル先の東武電車のガード下で綾瀬駅の信号機を確認するため機関助手が身を乗り出した瞬間、レールに敷いてあるバラスがパチパチと機関車の底板に当たる音が聞こえました。綾瀬を過ぎて、金町にかかるころには8分の遅れは完全に解消していました。江戸川鉄橋を渡り、松戸駅に着く手前で、機関車全部右側レールとの間で火花が散るのを機関助手が見つけました。

午前1時、我孫子駅で機関車を調べると、最前部の排障器が曲がっているため、火花が出ていたことがわかり、五反野ガード下でバラスのはじける音を思い出し、何か事故を起こしたと機関助手は直感しました。水戸着は3時49分で、ここでも車体を調べると排障器の曲がりだけでなく、機関車の底や貨車の車軸に多量の血痕が見つかり、人身事故を起こしたことがはっきりし、列車は運転中止で車庫入りとなりました。

遺体発見時の様子

7月6日午前0時25分ごろ、上野発松戸行き国鉄常磐線最終電車2401Mが足立区五反野南町の東武伊勢崎線ガードとの交差地点を通過中、小雨に濡れた線路上に死体らしきものを発見、同26分、綾瀬駅に到着後、ホームにいた駅助役にそのことを伝えました。

160701 2016/7/1 小菅駅のホームから常磐線方向
正面の高層アパートの裏手を常磐線、TXが走っていますが、あの当時は恐らく、小菅の駅からも常磐線が見渡せたと思います。尤も、小菅駅は伊勢崎線浅草~西新井間が電化された1924年10月1日に開業しましたが、その後、休止状態にあり、1950年11月15日に復活開業しているので、事件当時は休止していたと思われます。

駅助役は改札係、駅手を呼び、カンデラを持たせて現場に急行させ、2人は小菅刑務所裏の警手詰所から電話で首と手足のない胴体がレール横に転がっており、肌が白かったので女の死体らしいという報告をよせました。

駅助役は現場から戻った2名の報告をそのまま上野保線区北千住分区長に伝え、午前1時5分、分区長は副分区長とともに徒歩で現場に向かい、死体の着衣を調べているうちに『日本国有鉄道 総裁 下村定則』の名刺が多数散乱していること、そばに東武鉄道優待乗車券の入ったパスがあるのを発見しました。

彼らは急報の必要性を感じ、西新井署南町駐在所に連絡、

死体は首、胴体、右腕、左脚、右足首の5つの部分に轢断されており、鼠色の上着、白ワイシャツ、チョコレート色の靴、時計などが線路に80mに渡って散らばっていました。

午前4時ごろには検視が終了、国鉄関係者も現場に駆けつけ、午前5時半から現場検証が開始され、下山は午前0時19分に現場を通過した869貨物列車によって、轢かれたものと断定され、当該貨物列車からは衣類の切れ端、肉片、血痕などの付着が確認されました。

自殺説 対 他殺説の論争

遺体の司法解剖は事件の発生場所から東京大学医学部法医学教室が担当することになり、当時の主任の古畑植基教授が指揮を執りました。

東大は回収された遺体に認められた傷に生体反応が認められないことから、下山氏は死後轢断されたと判断しました。一方、現場検証を担当した東京都監察医務院の八十島信之助医師は、血液反応がないのは当夜の雨によるものであるとの根拠から自殺と判断していました。さらに、慶應義塾大学医学部の中館久平教授も生体轢断を主張しました。

これらの結果、下山事件は自殺説と他殺説で国会、医学界で大きな論争となりました。目撃情報からは下山総裁があたかも列車に飛び込んで自殺したようにもみえますが。遺体は事前に血が抜かれ、失血死した後、轢断されたのではないかと遺体の検証を行った東京大学医学部(死後轢断説)、それに異を唱えた慶応大学医学部(生体轢断説)の間で論争が起きました。

また、衣類(ワイシャツ、下着、靴下)に多量のヌカ油が付着していたにも関わらず、上着や靴下内部には付着がみられず、衣類に4種類の塩基性塗料が付着していたこと、足先は完全に保存されているにも関わらず、革靴は轢断されているなど不自然な点が多く見つかりました。また轢断地点から下り線路の上野方面に向かって数百メートル枕木上に血痕があることもルミノール発光で見出されています。

ただ、当時はDNA鑑定技術などもなかったため、これらは下山総裁の血液かどうかも同定できないまま、捜査は1950には打ち切られ、196476に殺人事件としての公訴時効が成立しました。

その後の推理

他殺説

松本清張  「日本の黒い霧」米陸軍防諜部隊
朝日新聞記者 矢田喜美雄 「謀殺下山事件」

諸永裕司 「葬られた夏」

森達也 「下山事件(シモヤマケース)」
柴田哲孝「下山事件 最後の証言」

他殺説は当時の日本における共産党の躍進、労働組合運動の活発化を問題視したGHQ傘下の諜報機関、G2のキャノン機関?がわざと事件を起こして、こういった勢力を潰そうとした陰謀説が主張されています。

自殺説

毎日新聞記者 平正一 「生体れき断」

佐藤一 「下山事件全研究」

自殺説は人員整理を行わなくてはならない立場からの逃避、ストレス回避行動による自殺と考えられています。

結局、この事件は迷宮入り事件となっており、1949年夏に起こった国鉄がらみの3事件、三鷹事件(715)、松川事件(817)とともに戦後3大鉄道ミステリ事件とされています。

個人的には占領軍が関係した謀略だったのでは(他殺説)と思いますが、アメリカの公文書公開でもない限り、日本政府が何か今後、この事件に対して情報を示すことはまずないと思います。関係者も殆ど鬼籍に入っており、こういった戦後に頻発した怪事件が謎のまま忘れ去れらて行くのは決して良いことではないと感じます。

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2016年7月 5日 (火)

函館市電で活躍中の車両 8000形 8001号

2015年12月の函館訪問の際に撮影した函館市交通局の車両、今回からは8000形です。

8000形は800形の記事で触れましたが、800形として製造された車両の更新改造で誕生した形式です。
改造は1990年から1997年にかけてと2012年の長期に渡って、行われました。そのため、灯具の形態や方向幕など、更新の行われた時期によって違いが見られます。

8000形更新車の特徴はこれまでは引戸であった降車扉が折り戸になったこと、ステップが3段になったこと、落ち葉や積雪による滑走防止として砂撒き装置が装備されたことが挙げられます。

仕様は
営業最高速度 40km/h
全長 12240mm
全幅 2340mm
全高 3100mm
車両質量 14.6t
主電動機 50kw 2個
駆動装置 吊かけ駆動方式
制御方式 抵抗制御
台車 住友金属工業 FS77A
製造メーカー アルナ工機

8001_151224

8001_151224_2

8001_151224_3 2015/12/24 十字街

8001_151223
8001_151223_3
8001_151223_2 2015/12/23 函館駅前

8001_151223_5

8001_151223_4 2015/12/23 駒場車庫

8001号は800形更新改造のトップを切って、1990年3月803号から更新改造されました。

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2016年7月 4日 (月)

小菅の複々線を行く東武200系 208F 普悠瑪デザインりょうもう号

東武鉄道では台湾鐵路との友好鉄道協定を締結した記念として、200系208Fの塗装を普悠瑪デザインに変更し、6月17日(金)から運行を開始しました(東武鉄道サイト)。

200_208f_160206 2016/2/6 西新井
オリジナル塗装時代の208F りょうもう号

拙blogにおいても東武200系、250系は触れていますが、この特別塗装車を偶然、7月1日に小菅で撮影できたので,アップします。

200_208f_160701_2 2016/7/1 小菅

ふらっと小菅で普悠瑪塗装が来るかなと待っていたら、いきなりやって来たのがこの塗装でした。

デザインのベースとなった台湾鐵路自強号「普悠瑪(ぷゆま)」は潮州~高雄~台中~台北~花蓮~台東~知本を運行する特急の愛称です。使用車両はTEMU2000型2013年から運行されています。台北~台東間を約3時間半で結び,愛称は一般公募で選ばれました。座席は回転式リクライニングシートが採用されています。

200_208f_160701_21
200_208f_160701_22
りょうもう13号 1413列車

東武鉄道と台鐵では2015年12月18日に友好鉄道協定が締結され、相互に交流を深め,友好関係を気付き,それぞれの誘客,サービスの交流を図ることを目的に様々な取り組みを実施しています。

この塗装の場合、出来ればサイド気味に狙った方が特徴が良く出るようです。

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2016年7月 3日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 44 大阪環状線における活躍 part6

大阪環状線における103系の活躍、前回に続き、500番台クハです。

クハ103-514

103_103514_030327 2003/3/27 桜宮

103_103514_050822 2005/8/22 野田

1966年3月18日 東急車輌にて落成 下十条電車区に新製配置
1971年4月18日 浦和区転属
1976年9月14日 森の宮区転属
1977年2月24日 冷房改造 吹田工場
1989年10月7日 延命工事N
1990年12月10日 ATS-P取り付け
2001年10月11日 前面整備
2008年2月23日 廃車

いきなり、余談ですがこの車両が誕生した今から50年前の3月、私は小学校の3年から4年になる頃だったと思いますが、日本の空で航空機事故が頻発したときでした。

2月4日金曜日、札幌発羽田行き全日空60便が東京湾に墜落、Boeing727-100 (JA8302) 乗客乗員133名全員死亡 当時、1機の航空機事故として世界最大の犠牲者を出した事故に

3月4日金曜日、香港発東京経由バンクーバー行きのカナダ太平洋航空402便DC-8-43 (CF-CPK) が濃霧の羽田空港C滑走路33Rに着陸しようとして,高度を低く取り過ぎ、右主脚を進入灯に接触させ,大破,炎上、乗務員全員と乗客54名を合わせた64名が死亡、8名が救出

カナダ太平洋航空機の残骸を横目に翌3月5日土曜日、羽田A滑走路を離陸した香港行きBOAC911便Boeing 707 (G-APFE) が富士山麓で乱気流に遭遇し、空中分解 乗員11名乗客113名、計124名全員死亡

8月26日 乗員訓練飛行中だった日本航空の コンベア880-22M (JA8030)が操縦員の機種限定変更試験中、離陸に失敗、胴体着陸となり、爆発炎上、日航社員4名、運輸省航空局の検査官1名が犠牲に

11月13日 松山空港に着陸しようとしていた全日空533便 YS-11 (JA8658) が着陸復航後に失速、墜落 乗員5名 乗客45名 計50名 全員死亡

2月の羽田沖事故の教訓として、コックピットのボイスレコーダ、フライトレコーダの装備が義務づけられました。一連の事故の原因解明の過程を柳田邦夫氏の「マッハの恐怖」「続・マッハの恐怖」で読み衝撃を受けたのを憶えています。

103_103520 2005/7/6 西九条

1966年3月15日 近畿車輛似て落成 蒲田区に新製配置
1971年4月20日 浦和区に転属
1976年10月19日 森の宮区に転属
1976年12月7日 冷房改造
1990年11月29日 ATS-P取り付け
2001年12月26日 前面整備
2006年9月 日根野区転属
2007年8月30日 廃車

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2016年7月 2日 (土)

勝田車両センターまつり その2 415系1500番台 part6 K543~K544編成

2016年3月5日の勝田車両センターの公開、今回も同公開で展示された415系1500番台の編成の写真です。前回はK542編成まででしたので今回はK543, K544編成の写真を出して行きます。

4151500_k543_131223 2013/12/23 高萩

4151500_k543_140830 2014/8/30 友部

同編成のクハ415-1633は走行中に中間運転台を写す機会がありました。

4151500_k543_131223_4
上部の機器の写真も

4151500_k543_131223_7
ガラスの反射が見苦しいですが

4151500_k543_131223_8
貫通路があるため、機器類のSWは左側に纏められているためか、所狭しとSW類が配置されています。

4151500_k543_131223_2
4151500_k543_131223_5 車体番号はプレートでは無く,テープのようでした。

4枚とも 2013/12/23 大津港

K544 編成は1度きりの遭遇でした。

4151500_k544_060820 2006/8/20 いわき

以上です。
次回からは、JR九州で活躍する415系1500番台の写真を載せます。

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2016年7月 1日 (金)

San Diego Trolley 4000形 part5

San Diego Trolley の話題、4000形の5回目です。

前回は4022まで紹介しましたので、今回は少し飛んで4027から参ります。

4027_150109_spring_street 2015/1/9 Spring Street

4027_150110_12th_imp_tc2 2015/1/10 12th & Imperial Transit Center

4028

4028_150109_santa_fe_depot2 2015/1/9 Santa Fe Depot

4028_150109_spring_street 2015/1/9 Spring Street

4029

4029_150113_gaslamp_quarter 2015/1/13 Gaslamp Quarter

4029_150113_santa_fe_depot2 2015/1/13 Santa Fe Depot

以上です。

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