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2016年8月18日 (木)

広島・四国西南部旅行 広島編 その5 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)1 戦艦「大和」の1/10スケール模型

今回から2014年12月の旅行で訪問した呉市海事歴史科学館の展示について触れて行こうと思います。

やはり、最初に取り上げるべきは同館のシンボルとして有名な戦艦「大和」の1/10スケール模型です。
110141219_141219_132014/12/19  1/10scaleの戦艦大和 模型

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翔鶴型航空母艦に次いで採用された球状艦首(バルバス・バウ)
こういった形にすることで、船体が水を押しのける際の波と球状艦首による波が干渉し、造波抵抗を減らします。速力27ノット時で8.2%の抵抗減効果があったそうです。

第一次世界大戦後の列強と言われた国々は海軍戦力を増強することで国際的地位を保とうとしました。しかし、こうした軍備の拡張はそれぞれの国の財政負担を招くことになり、1921年11月から1922年2月にかけてアメリカ合衆国大統領ウオレン・G・ハーディングの提案で戦勝5か国(米英日仏伊)の間で軍縮に関する話し合いが持たれるようになりました。これがワシントン軍縮会議で、その成果としてワシントン軍縮条約が締結されました。

110141219_141219_5 艦橋と特徴的な煙突

大和の艦橋上部には目標までの距離を測る測距儀が設置されており、当時、世界一の性能を有していました。2組の上下像合致式とステレオ式の3連装式で構成されていました。

この条約では加盟国が保有する主力艦の数と排水量の合計が制限され、計画中、もしくは建造中の新艦は廃棄され、戦艦の建造は条約締結後の10年間は凍結されることになりました。一方で、この条約では巡洋艦以下の補助艦艇に関しては制限がなく、各国とも可能な限り高性能な「条約型巡洋艦」を建造しました。

1927年ジュネーブ海軍軍縮会議で補助艦の制限について討議が行われましたが、イギリスの個艦規制主義とアメリカの比率主義が対立し、決裂に終わり、1930年1月から4月にかけてイギリス首相ラムゼイ・マクトナルドの提案で開催されたロンドン海軍軍縮会議で戦艦の建造中止措置の5年延長、既存艦の削減、1万トン以下の航空母艦を規定範囲に含める、巡洋艦(重巡洋艦、軽巡洋艦に分類し、規定する)、駆逐艦、潜水艦、その他(特務艦など)について細かく規定を設けることにしました。

110141219_141219_6 46センチ3連装主砲

主砲は重さ1.5トンの砲弾を約40秒ごとに一弾発射可能でした。砲塔は一基の重量が2779トンあり、これは駆逐艦1隻の重量に匹敵しました。

1935年12月には第二次ロンドン軍縮会議が開催されましたが、1934年の予備交渉の時点で日本(大日本帝国)は同会議の脱退を決意、「もはや軍縮の時代は終わったとして」、同時にそれまでの「陸奥」や「長門」に代わる排水量6万5千トン、速度34ノット、18インチ砲8門以上装備の新型高速戦艦の建造案が出され、1936年12月の帝国議会に新型戦艦「A140-F5」2隻分の予算案(9800万円/隻)が提出されました。

このとき、大和型戦艦の建造に対して、当時海軍航空本部長だった山本五十六や海軍省軍務局長だった豊田副武らは異を唱えたそうですが、帝国海軍は航空兵論を退け、大鑑巨砲主義に拘ったそうです。

主機械の変更から「A140-F6」に計画名は変更され、さらに1937年3月には「第一号艦」「第二号艦」に呼称が変更され、第一号艦「大和」は1937年11月4日、呉海軍工廠で起工、1941年12月16日に就役、第二号艦「武蔵」は1938年3月29日、三菱重工業長崎造船所で起工、1942年8月5日に就役しました。大和型戦艦はその後も第四次海軍軍備拡充計画で新たに2隻建造することとなり、3号艦「第一一○号艦」=「信濃」は1940年5月4日に横須賀海軍工廠で起工。建造途中で航空母艦に改装され、1944年11月19日に就役しましたが、わずか10日後に撃沈されました。4号艦「第一一一一号艦」は1940年11月7日に呉海軍工廠で起工しましたが、1942年に建造中止、解体されました。

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主砲発射の爆風で破壊されないように艦尾の航空兵装には格納庫が最初から設けられました。また艦載機発進のためのカタパルトも装備されました。

第一次大戦から第二次大戦にかけて、戦力の中心が戦艦の艦砲射撃による攻撃力と雷撃などに対する防御力から、機動力、汎用性、コストパフォーマンスにおいて優れた航空母艦と艦載機に移り、大和のような巨艦は存在意義を失いました。

それを実戦で示したのが日本海軍の真珠湾攻撃やマレー沖海戦でのイギリス海軍最新鋭艦「プリンス・オブ・ウエールズ」の撃沈でした。

歴史的に見れば、結果論的視点からみれば「大和」や「武蔵」などの超弩級戦艦は時代遅れの産物とみなされるかもしれませんが、戦闘を繰り広げていた当時の軍としてみればアメリカ軍も超大型戦艦を構想しており、如何にそういった戦艦を使い倒すかが勝負の分かれ目になったようです。

続きは次の記事で。

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コメント

B767-281様こんにちは。先日は京都から尾道、そして呉の近く竹原まで脚を伸ばし、東京に帰りました。大和が呉で武蔵が長崎ですか、原爆投下と関連しているようで怖いですね。巨艦建造にしても当日の軍部の精神主義が読み取れますね。よく海軍のほうが合理的思考をしていて、日米開戦にも反対だったけどいう話がありますが、海軍反省会などを読むと、陸軍とあまり変わらなかったようです。何かとキナ臭い今日この頃、先の大戦をきちんと総括しておく必要がありますね。

細井忠邦さま、おはようございます。

京都から呉近くまでとは随分、西の方に行かれましたね。
この夏の西日本は連日の大変な猛暑だったのではないでしょうか。

いろいろなプロジェクトを経験すると、日本人というのはどうしてこうも戦前の軍部と同じような思考形態に陥るのかと感じることもありますね。いわゆる事なかれ主義が多いですが、危ない時にしっかりと処置をしないでズルズルというのがあまりに多く感じますね。

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