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2016年9月18日 (日)

広島・四国西南部旅行 広島編 その5 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)2 呉の歴史

大和ミュージアムの展示のテーマのひとつが「呉の歴史」です。今回の記事ではそこに焦点を当ててみようと思います。

1853年、ペリー率いるアメリカの艦隊が横須賀に来航したのをきっかけに200年以上続いた江戸幕府の鎖国政策は終わりを告げました。西欧列強の造船技術を目の当たりにした日本は危機感を抱き、西洋型の船の建造、運用技術を導入するため海軍を創り、その拠点として横須賀、舞鶴、呉、佐世保に鎮守府が設置されることになり、呉鎮守府は1889年に設置されました。全国各地から技術者、労働者が呉に集められ、呉の人口は1886年には1万7000人前後でしたが、1889年には2万4469人に増えました。呉の地の利は三方を山に囲まれて防御に優れており、艦艇の出入港や生産活動の拠点として適していたこと、また水に恵まれ水質も良いことでした。1890年には宮原浄水場が建設され、呉鎮守府水道による給水が開始されました。1918年には海軍の許可を得て平原浄水場が建設され、市民への給水も開始されました。

141219 戦艦「金剛」のヤーロー式ボイラー (三胴水管ボイラー 断面がAの字型をしており、上が蒸気ドラム、下に水ドラムがあり、蒸気ドラムと水ドラムは水管で結ばれています。

戦艦「金剛」は技術導入のため、イギリスに発注した最後の主力艦で1913年8月16日、ヴィッカース社において竣工しましたが、同艦にはこのタイプの重油、石炭混載式のボイラーが36基搭載されていました。1928年から1931年の横須賀海軍工廠での近代化改装で撤去され、戦前は東京目黒の海軍技術研究所、戦後は科学技術庁の金属材料研究所の建物の暖房用として1993年まで使用されていたそうです。

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戦艦「金剛」1/100模型と説明

1884年、イギリス出身のE.C.キルビーの経営する神戸鉄工所が海軍省に引き継がれ、小野浜造船所となり、初期の鎮守府造船部の役割を担い、やがて1897年、呉海軍造船廠、造兵廠と発展拡大して行きました。この間、国産の兵器では海軍初の12センチ速射砲を初めとして、1901年には日本最初の15センチ甲鈑(呉式装甲鈑)の製造にも成功しています。

1903年、両者が合併し、呉海軍工廠が設立され、翌年勃発した日露戦争では船舶の改装や修理に追われました。

呉海軍造船廠時代に通報艦「宮古」を建造し、能力を高めて行きましたが、一等巡洋艦「筑波」「生駒」が最初の国産装甲艦となりました(1905年12月進水)。さらに1907年にはイギリスより、2隻の完成した潜水艦を購入すると共に、3隻分の材料と部品を調達し、呉海軍工廠で建造し、第10、11、12潜水艇として建造し、潜水艦の開発拠点化を目指しました。

当時の戦艦の動力源は蒸気式ボイラーであり、宮原式ボイラーなどの日本独自の開発を進める一方でイギリス、フランスなどとの技術提携も進め、海軍艦政本部式ボイラーを完成させました。イ号ボイラーからロ号ボイラーに発展し、太平洋戦争終結まで各種艦艇用ボイラーとして使用されました。

141219_4 呉市電の模型

鎮守府を擁する呉の街も1902年宮原村、荘山田村、和庄町、二川町の4か町村が合併し、呉市となり、海軍工廠の設立で人口が増加し、学校、病院などが充実し、1909年には人口が10万人を突破しました。

1910年には岩国市新湊沖で第6潜水艇が潜航訓練中、通風筒から浸水し、16メートルの海底に沈没、佐久間艇長をはじめとする14名の乗組員全員が殉職するという痛ましい事故も起きました。この事故では事故発生時に記された遺書に沈没の状況、事故原因、今後の潜水艦技術への提言、乗組員遺族への救済まで書き遺されており、当時、全世界に深い感銘を与えたそうです。

第一次世界大戦による好景気や大正デモクラシーで呉の街は職工黄金時代といわれました。一方で労働運動も盛んになりました。

その後、軍縮の時代になり、艦艇の製造に制限がかかるようになり、技術の向上が叫ばれました。

続きは次回に

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コメント

B767-281様こんにちは。大和ミュージアムでは、あの大和の模型に気を取られ〔笑い〕このエンジンの記憶はありません。ヴィッカースというのはあのバイカウントなどのメーカーでしょうか?石川島播磨もそうですが、船と飛行機は何かと関係がありそうですね。

細井忠邦さま、おはようございます。

調べてみると、1828年粉屋から始まって、1897年に造船、1911年に航空機製造、1960年にはBAC(ブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション)となり、1965年航空機からは撤退、1977年造船、製鉄事業が国有化、1999年にはロールスロイス傘下へとの歴史を辿っています。

続編でも出てきますが、呉の海軍工廠も、やがて広に広海軍工廠が出来て、海軍最大の飛行機試作機関となって行くのですね。
仰る通り、造船と航空機の繋がりは深いようですね。

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