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2016年9月 8日 (木)

阪和線 羽衣支線 その1

2016年9月2日から4日にかけての関西訪問で阪和線鳳駅から出ている羽衣線を訪問しました。

103_801213 1980/12/13 鳳駅 
この頃は純正Mc-M'-T'cの3連が投入されていました。

同線は運行距離1.7km、所要時間3分とJR6社でも最も運転距離の短い営業区間です。

開業は京阪電気鉄道や大阪商船が出資した阪和電気鉄道が浜寺に存在した海水浴場への旅客輸送を目的に1929年(昭和4年)7月18日、阪和天王寺-和泉府中間(約20.92km)と同時に開業しました。東羽衣駅の開業時の駅名は阪和浜寺駅で、本線上では阪和天王寺駅(現在の天王寺駅)・南田辺停留場・臨南寺前駅(現在の長居駅)・杉本町停留場・仁徳御陵前停留場(現在の百舌鳥駅)・上野芝駅・鳳駅・信太山停留場・和泉府中駅が開業し、最初から全線複線電化でした。

103_850421 1985/4/21 鳳駅

1940年12月1日、阪和電気鉄道は南海鉄道に吸収合併され、同社の山手線となりました。阪和浜寺駅も山手羽衣駅に改称されました。1944年5月1日は国有化され阪和線となり、山手羽衣駅は東羽衣駅となりました。同年8月1日には同区間は単線化されました。戦時中の鉄の供出のためでしょう。1951年7月15日から8月19日にかけて天王寺駅から東羽衣駅まで海水浴臨時列車が運行されています。1974年8月31日、鳳駅から東羽衣駅にかけては現在のような高架となりました。これは途中の第二阪和国道(国道26号)の踏切をなくす為のものだったと思います。

103_081212 2008/12/12 鳳駅

1989年10月20日、同区間はワンマン運転区間となりました。2010年3月、同区間もATS-P化がなされました。

同線で活躍する車輛は旧国の引退後は103系の3連、123系+103系、そして103系の3連という歴史をたどっています。123系は手荷物・郵便輸送の廃止、縮小で余剰化した荷物電車を旅客化改造したもので、1986年から1988年にかけて投入され、羽衣支線でもクモニ143から改造のクモハ123-5,6が活躍しました。ラッシュ時にはクハ103-194を併結した3連という編成形態で運行されました。123系は1995年クモハ84形を置き換えるため、岡山電車区に転出し、再び103系3連に戻りました。

103_1032503_160903_4 2016/9/3 鳳駅

←鳳   東羽衣→
Mc    M'     T'c
   5    78    545
26   111    538
109  237    541      1979年4月1日時点

  5     78    541
  6     79    545
47   143    538      1984年4月1日時点   3連を併結して6連で本線でも運用

  5     78    541
  6     79    545   1986年11月1日時点 

Tc103   Mc123   Mc123
194         5          6        1993年4月1日時点

Mc    M'     T'c      1997年4月1日時点
23   105    26  L101    L101の検査時には本線用4連J402を3連にして充当

2503  396   162       2009年10月1日時点

阪和線時代は撮影していませんが、岡山に転属後の123系は倉敷で撮影していました。

1235_020329 クモハ123-5

1236_020329 クモハ123-6 二枚とも2002/3/29 倉敷駅

阪和線時代は運転台の妻面が黒く塗られていました。

続きは明日の記事にて。

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コメント

B767-281様こんばんは。関西出張お疲れ様でした。羽衣支線まだ乗車していません。クモハ103が健在のうちに乗らないと、改めて思いました。さてここにも登場したクハ103-194早くに廃車になっていますが、何処かで運転室の機器を捻出する為と見た記憶があります。西日本は415系をはじめとして、機器の流用が得意なのであるのかな?話が飛んで申し訳ありません。

細井忠邦さま、おはようございます。

103系の長い歴史の中でもクハが1両だけ別形式の123系と一緒になって働いたというのはここだけかもしれませんね。

そもそも、クハ1両がこうやって抜かれたというのも面白いですが、明石区時代の相棒193は1984年に一緒に日根野区に転属しており、現在は奈良区でNS415編成として頑張っているようですね。一方、194の方は宮原区で終焉を迎えていますね。

こんばんは。
羽衣支線にはまだ乗ったことがないのですが、103系の活躍が見られる内に訪ねてみたいと思っています。実に短い路線ですが、沿線の方は使う人も多いのでしょうか。
スカイブルーの103系を見ますと、その正統派の外観を魅力的に感じます。コンパクトな3両編成も画になりますね。
定点で撮られているお写真は、駅の変化の様子も写り込んでいて楽しいものだと感じました。
そして、元来のデザインの103系とリニューアルされた姿を見比べるのも楽しいものです。
路線の雰囲気は123系の単行列車も似合いそうです。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さま、おはようございます。

いつも丁寧なコメントありがとうございます。

羽衣支線、路線が短く。いままで両端駅でしか撮影していないため、訪れるたびに同じようなカットでの撮影となり、定点撮影のようになってしまいました。

阪和線の103系の行く末を思うと将来、羽衣支線にはどんな形式が投入されるのだろうなどということも考えてしまう昨今でもありますね。

羽衣線は、将来223・225系の、4両での運転となります。
現在、東羽衣駅延伸工事中です。

1さま、はじめまして。

情報ありがとうございます。
阪和線もついに103系が最後のときを迎えるので、それに伴って車両もかわり、インフラ整備が必要となているのですね。

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