San Diego Trolley 4000形 part9
San Diego Trolley の話題、4000形の9回目です。
前回は4047まで紹介しましたので、今回は4048から参ります。
4049
4050
4051
以上です。
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San Diego Trolley の話題、4000形の9回目です。
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今年8月22日に関東地方を襲った台風の大雨による西武遊園地~武蔵大和駅間で法面崩壊、土砂崩れに巻き込まれた西武多摩湖線101N系1261Fが運用に復帰しているのを目撃しました。
高崎駅周辺で開催された「高崎鉄道ふれあいデー」に参加した帰り、国分寺駅から戻る際に、一橋学園駅で交換した6448レに入っており、一橋学園駅で下車後、国分寺から西武遊園地に向かう6061レも撮影しました。
運用復帰まで結構時間がかかっており、どうなるのかと不安もありましたが無事復帰した姿を見ることが出来、一安心です。
写真を見ると白い車体と、足回りは床下機器を除いたスカートや台車が綺麗に塗り替えられているようです。
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本題とは関係ない話ですが、2001年に一眼レフを銀塩からデジタル写真に切り替え、写真画像のデータはカメラで撮影したオリジナルデータとそこから選抜して、車両形式などで分類したデータと別々のハードディスクに保存しております。最近、選抜したデータを保存している方のHDDの調子がおかしく、数日前に保存したはずの画像がフォルダーごと無くなるトラブルが数回発生しています。オリジナルがあるのでそちらから選抜し直すことでバックアップは取れているのですが、余計な手間が発生するのが悩みの種となっています。
今回は呉海軍工廠で建造された艦艇の話題です。
1899年3月31日に竣工した通報艦「宮古」を皮切りに、1945年7月15日に竣工した一等輸送艦「第21号輸送艦」まで133の艦艇が建造されました。
空母 「赤城」の模型 2014/12/19
日露戦争後のアメリカ海軍を仮想敵国とした日本海軍の国防指針(八八艦隊計画:艦齢8年未満の戦艦8隻と巡洋艦8隻を根幹とする)で当初は巡洋戦艦として起工され、ワシントン軍縮条約で空母に変更されて竣工した艦です。真珠湾攻撃では旗艦を務めましたが、ミッドウェイ海戦で大破し、海没処分にされました。
その内訳は
水上機母艦 3 千歳 千代田 日進
航空母艦 6 赤城 蒼龍 雲鷹 冲鷹 神鷹 葛城
戦艦 5 安芸 摂津 扶桑 長門 大和
巡洋艦 8 対馬 筑波 生駒 伊吹 那智 愛宕 最上 大淀
駆逐艦 13 吹雪 霰 潮 子日 桂 磯風 天津風 第3* 第4* 桑 椿 楡 栗
(第3 第4はフランスに輸出されました)
潜水艦 54 伊号 呂号 波号 潜水作業船なども含む
輸送船 15
水雷艇 18
掃海艇 2
特務・運送(給油)・敷設船 7
通報艦 1
砲艦 1
となっています。
八八艦隊計画の最初の戦艦として建造され、新造時は二本煙突でデビューし、後年改装されました。終戦まで生存し、1946年7月1日、同25日の二度にわたるビキニ環礁での原爆実験で沈没させられました。
時代順に見ると明治期は水雷艇が多く、日露戦争期に駆逐艦、巡洋艦、戦艦が登場し、さらに潜水艦も登場します。空母が建造されるのは1927年からで、最後は輸送艦と潜水艦の建造に終始した感じです。種類別にみた場合、潜水艦の建造数が多いのもここの特徴でしょうか。
あと、他の海軍工廠の建造艦と比較してみなくては分かりませんが、呉の建造艦の特徴は同形式の艦が造られる場合、各系列の1号艦が多いことではないかと思います。
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先日の記事でも紹介しましたが、2016年10月8日から「2代目銀河鉄道999train」が池袋線に走り出しました。
20158F 銀河鉄道999 train 2016/10/24 西所沢
「銀河鉄道999電車」は、松本零士さんの漫画「銀河鉄道999」の主要キャラクターの「星野鉄郎」「メーテル」「車掌」のイラストで装飾した電車で、2019年3月末までの予定で、池袋線、新宿線の両線での活躍が期待されています。
西武鉄道の銀河鉄道は架空の世界ですが、今回紹介する銀河鉄道は実在するバス会社です。
私も最初、この会社のバス、停留所を見たときは西武鉄道が銀河鉄道999にあやかってやっているのか思いましたが、そうではなく1999年に設立された独立したバス会社でした。
本社は東村山にあり、久米川には太陽系地球営業所があるそうです。設立年も999にあやかっているそうですが。
路線は東村山駅と3つの運動施設、恩多工業地帯、東久留米西団地を結ぶ環状路線、小平駅と国分寺駅を結ぶ2路線を運行しており、路線バス以外に貸し切りバス、特定バスさらに霊柩車の運行もしているそうです。
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2016年10月24日、月曜日多摩地方は朝は曇っていましたが、正午に近づくに従って雲が切れてゆき秋晴れの好天になりました。
最初は昨日の記事の近場での2000N系4連を撮って終わりにしようと思っていたのですが、好天に釣られて新宿線、池袋線の交わる所沢に足を運びました。
するとタイミング良く30000系30101F SEIBU HALLOWEEN 2016 ワタナベナオミtrainが池袋から急行飯能行きでやって来ました。既に拙Blogでも記事にはしていますが、
このスペマーは正面から狙うよりはサイドから狙った方がインパクトが大きいのでそのまま出発してゆく姿を追うことにしました。
とハロウィーンが終われば消えてしまうラッピング10両編成を心置きなく撮影しました。
この後、飯能からの折り返しを西所沢で狙いましたが、1時間半ほど待っても来なかったので諦めました。
10月11日から31日までの僅か3週間の運行となっています。
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先週の19日水曜からだそうですが、多摩湖線に2000N系4連が投入されています。
これは通常多摩湖線で活躍している101N系4連ワンマン対応編成が、8月の台風9号による法面崩壊による土砂崩れで被災した1261Fの修理が武蔵丘研修場で行われていること、3か月に一度の多摩川線との車両交換があり、編成数が不足し、2000N系の投入となったそうです。
2年前にもあったそうですが、私は今回初めて見ることなので、24日朝、撮影して来ました。
投入されている編成は2533Fのようで、1989年9月21日、東急車輛で落成した編成です。
2016/10/24 国分寺行き 青梅街道~一橋学園間にて
ワンマンではなく車掌が乗務しています。
2016/10/24 西武遊園地行き 青梅街道~一橋学園間(市役所の横)にて
ワンマンではなく車掌が乗務しています。
これまで3ドア車が活躍していた路線に4ドア車が投入されるよなると、それなりに駅の表示、アナウンスも変わるもので
列車案内表示も4ドアで表示され、電車到着前には注意喚起のアナウンスもされていました。
多摩湖線の4ドア車といえば赤電時代に国鉄63系に似た2連が入っていたこともありましたが、いずれはそういう時代が来るとは思いますが、
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2016年10月21日から22日にかけての仙台一泊旅行の最後は22日土曜日に新幹線総合車両センターで開催された「第31回新幹線車両基地公開」の紹介です。
臨時電車で新利府駅に到着すると普段はJR東日本新幹線総合車両センターの関係者しか入れない降車口から会場へ誘導されます。Suicaの清算を済ませると
最初は事務棟の前を通って今回のイベントの目玉であるイーストiの公開を見学しようかと思いましたが、なんと1時間半待ちの長蛇の列のため断念しました。
このようなパンフレットを受け取りますが、普段のイベントであれば、どこに車両が展示してあるのかすぐに見当がつくのですが、今回は会場が広すぎて何が何だか分かりません。
新利府駅から650m付近 台車工場から組立工場へ 両建物の間はトラバーサーで結ばれている。
新幹線を編成毎収容するような長大な格納庫のような建物が横に並んでいます。
さらに、私が今回、このイベントに参加した最大の理由は同センター内に保存されている、各種交流機関車や蒸気機関車、さらに試作等の新幹線車両を見ることでしたが、それがこの地図ではどこにあるのかも明記されていません。
係員の方に聞いてその場所が現在地の対角線的に真反対の場所としり、驚かされました。
この場所から昨年ED781号機が搬出され日立製作所水戸工場に引き取られましたが、ここに保存されている貴重な交流電機(ED77, ED91, ED71、ED75, EF71)蒸機(D51, C58, C11)は公開することもなく、綺麗に整備することもなく、ただ時間の経過とともに朽ち果てるのを待っているのでしょうか?
1年に1回、我々が見ることが出来るチャンスにも機関車群は整備されることもなく同じ場所に置かれたままになっています。こういった状態でただ置かれているだけならED781のように引き取り手を公募して、引き取ってもらい、それぞれの場所で保存すればよいのではと思います。
と、期待して見に来た保存車輌の状態と保存に対する姿勢にいささか疑問を感じましたが、今回のイベントもいくつかのトピック毎に紹介してゆこうと思います。
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10月22日土曜日の「第31回新幹線車両基地公開」は新利府駅そばの新幹線総合車両センターにて開催されました。新利府駅は東北本線岩切駅から分岐する利府支線上にあり、現在、岩切~利府間、4.2kmの通称”利府支線”は盲腸線となっています。
2016/10/22 岩切駅に進入する利府からの仙台行き臨時列車
2016/10/22 岩切駅 仙台方面
左のホームが陸前山王方面の海線ルート1,2番線、こちらのホームが利府に向かう山線ルートの3,4番線
岩切駅の仙台方で海線と山線に線路は分岐し、それぞれが専用の島式ホームを持つ構造となっています。
1890年4月16日に岩切~一ノ関間が開業した際の日本鉄道のルートはいわゆる山線ルートで岩切から利府(1894年に開業)、松島(旧駅で1962年に廃止)が設置されました。1909年10月12日に線路名称制定で東北本線となり、その後、1913年3月20日には利府~松島間に赤沼信号所、1918年8月16日、松島~鹿島台間に幡谷信号所が設置され、幡谷信号所はその後、1932年12月26日に品井沼駅に昇格しました。
利府駅、初代松島駅を経由するルートは最大16.7‰の勾配を抱え、補助機関車の連結が必要でした。第二次世界大戦中の輸送力増強の必要性から海岸周りの勾配の緩い路線を建設することとなり、1944年11月15日、海線 (当初は貨物列車専用線)が開業しました。
複線対応で掘られたトンネル 2016/10/22 塩釜駅の北方
2代目松島駅はこの時、海線上に新松島信号所として開設されました。終戦後、旅客列車も距離が海線21.6km、山線21.2kmと距離が長いものの勾配が緩く、曲線半径も大きい海線の方でメインに運転されるようになり、元々海線のトンネルは複線対応で掘られており、線路用地も複線対応で確保されていたことから、複線化に際しては、海線の方が選択されることになりました。1956年7月9日には新松島信号所が新松島駅に昇格しました。
利府駅の行き止まり線路
ホームは手前の1番線と2番線がありますが、改札口のある1番線から2番線に行くにはこの行き止まり部分を回って行くことになります。四国の宇和島駅もこういった構造でした。
複線化工事が進展し、1962年4月15日には陸前山王~新松島間、4月20日には新松島~品井沼間が複線化され、山線の松島~品井沼が4月20日、利府~松島間が7月1日に廃止となりました。ただ、利府~岩切間は海線ルート上に代替となる駅が無いため、利府駅利用者の便を図って廃止はされず今日に至りました。
2016/10/22 新利府駅 駅名標
1982年4月1日には東北新幹線開業に際し、仙台工場・仙台第一新幹線運転所(現在の新幹線総合車両センター)が利府線沿いに新設され、関係者の通勤の便を図るため新利府駅が設置されました。
2016/10/22の新幹線車両基地でのイベント開催に伴う臨時時刻表
普段、日中の多くの列車が岩切折り返しなのに対して、この日は仙台直通になりました。おそらく、総合運動公園でのイベント開催時も同じようにこうやって改札口に掲示されるのでしょう。
2016/10/22
利府駅に到着する仙台からの臨時列車 701系2連 3併結編成
また、2002年のFIFAワールドカップ開催で宮城県総合運動公園が開設され、スポーツやイベント開催では利府駅が最寄り駅となるため、臨時列車が増発されました。利府駅のホームもワールドカップ開催の際に列車の増発に対応すべく、増設(復活)されました。
C58354号機は1975年8月1日に仙台総合車両基地の建設を記念して、町の誘致でこの公園に保存されたそうです。
今回は利府駅を訪れたついでにかつての山線の線路上と思われる場所にある森郷児童公園に保存されているC58354号機とED9111号機を見てきました。これらについてはいずれ保存車両のシリーズで触れる予定です。
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仙台旅行の2日目(最終日)はまず仙石線に乗り、昨日少し触れた仙石東北ラインを見に行くことにしました。
2016/10/23 小鶴新田 205系3100番台 M1編成
2016/10/23 小鶴新田 205系3100番台 M4編成
ラインカラーが車両ごとに異なっています。石巻方(手前)の先頭車に2WAYシート設置編成
2016/10/23 小鶴新田 205系3100番台 M2編成
マンガッタンライナーII
2016/10/23 小鶴新田 205系3100番台 M13編成
ゆめのまち列車プロジェクト
仙石線は元々は宮城電気鉄道の路線を戦時買収で国有化したもので、直流1500Vで電化されており、2000年には仙台トンネルが開通し、あおば通から陸前原ノ町駅間3.5kmが地下線となり、多賀城駅付近や本塩釜付近も連続立体化されています。東塩釜駅までが複線であるのに対して、そこから先は単線となり、松島海岸付近はトンネルも多く、風景が一変します。
2016/10/23 西塩釜 205系3100番台 M2編成
マンガッタンライナーII
2006/4/22 尻手
南武線時代の205系1200番台48編成
2009年7月、この編成のモハユニット-21はナハ4編成に転用、残りの4両が3100番台となり、仙石線M19編成に
車両は205系3100番台4両編成18本が2002年から運用されました。南武線に当初配置された205系1200番台が最後まで残った103系RT-235編成置き換えのため、4連短縮化、再改造され投入されたこともありました。
2011年3月の東日本大震災でM9編成が野蒜~東名間で津波に流され脱線、、M7編成が石巻駅で冠水となり、2014年に除籍廃車となり、現在は17本(M1~M6,M8,M10~M19)が活躍しています。
HYBRID気動車 HB E210系 C-2編成 2016/10/22 髙城町
仙石線側から東北本線へ
左があおば通方面、右が新設された連絡線
仙台駅からまず仙石線で、小鶴新田駅へ、何編成か撮影した後、西塩釜駅でも数編成撮影し、いよいよ連絡線のある、松島海岸~高城町間で連絡線を見ながら高城町へ。高城町で今度は仙台方面に向かう快速に乗車し、塩釜で下車しました。
塩釜を出発するHB E210系 HYBIRID気動車 後ろ側はC-7編成 塩釜を出ると仙台まではノンストップです。
明日の記事では利府支線について、そして明後日の記事でイベントの概要について触れる予定です。
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10月22日にJR東日本新幹線車両センターで開催される「第31回新幹線車両基地公開」に参加するため、東北新幹線を利用して仙台に来ています。
2011年3月に学会出張で来る予定でしたが、大震災の発生で来ることが出来なくなり、2008年7月以来の訪問となりました。
新幹線指定席予約とホテル予約がセットになったJR東日本Viewトラベルサービスの商品を利用したため、新幹線(大宮~仙台間)は各駅停車タイプのやまびこ205号がアサインされました。
2016/10/21 仙台駅に到着した やまびこ205号 E6+E5編成
やまびこ205号 郡山以北ではかなり空席が目立っていました。
車両は「こまち+はやぶさ」のE6系(Z22編成)+E5系(U8編成)のコンビでした。E5系に乗車するのは初めてでした。大宮で乗車したときはほぼ満席状態でしたが、宇都宮、那須塩原、新白河でどんどん下車して行き、福島では殆どガラガラ状態でした。
関東地方にいると震災からの復興以外、あまりニュースとして聞きませんが、仙石東北ラインが2015年5月30日から運行を開始しており、これは東北本線と仙石線が比較的近くを走る松島~高城町間に接続・連絡線を設けて、仙台~東北本線~塩釜~連絡線~高城町~仙石線~石巻~女川を結ぶもので、電化方式の違う両線を走るためにハイブリッド気動車HB-E210系が用意されました。
構想は古くからあったそうですが、震災後の復興事業として、速達性の向上として、さらに高速バスとの対抗策として、このラインの実現したそうです。
船岡といえば東北線随一の桜の名所ですが、駅名標もその桜でした。
仙台到着後まず、船岡まで南下して、駅横の船岡駅前緑地に保存されているED7137号機と木造鋼体化客車オハフ61 2527を見に行きました。
2016/10/21 仙台市電保存館
この1号車の他、123号、415号の2両が保存されており、車内も公開されていました。
さらに仙台市営地下鉄南北線の南の終点、富沢車両基地内には市電保存館があり、一般に無料公開されているとのことで、見学してきました。市電博物館としては以前、磯子の横浜市電保存館を訪問しましたが、それに較べると規模は小さいものの、仙台市電が美しく保存されており、路面電車好きは訪問するべき場所と感じました。
2016/10/21 仙台西公園
C601号機の後はひろせ川の崖となっています。
そして、もう一カ所は仙台の通りとして有名な定禅寺通はの西の終点で西公園通と交わりますが、そこにC601号機が保存されています。これまでも西公園内に保存されていたようですが、C60広場として改修されたようで、10月22日の公開を前に最後の仕上げの状態でした。
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先週、土曜日10月15日の下関総合車両所公開に参加するため、新宿から夜行高速バスを往復とも利用しました。先日の記事の予告と、順番が異なりますが、今回の記事ではその行程に触れようと思います。
2016年10月14日夜9時、バスタ新宿を出発して、翌朝9時10分に新山口駅に到着するまで、また15日夜7時50分に小倉駅北口を出発して、16日朝9時7分にバスタ新宿に到着するまで、バスはどういうルートを走り、どこで休憩したかをまとめてみました。
4階が高速バスのターミナル
基本的に四角形の構造で各辺がABCDと名付けられてます。
乗車した小倉・福岡行きオリオンバス8021便はD12ゲートから出発
往路の港北PAは車内アナウンスで車両点検をするとのことでしたが、実際にいつ到着して何分くらい停車したかは記憶していません。ルートは休憩地のPAやSAから想像しているルートであり、複数の平行ルートがある場合はどちらかは正確には分かりません。
新宿から2時間15分で最初の休憩地 新東名高速道路の静岡SAに到着
5回目の休憩場所、富海PAは瀬戸内海から国東半島まで見える場所だとか
車内アナウンスでは往路は壇ノ浦PAでも休憩したようですが、私は新山口駅で下車したので正確な時間は不明です。
なんと車両は往路復路とも同一でした。同じ車両が東京~福岡間連日往復しているのですね。
ダイヤでは東京からの便が12:10に博多駅に到着すると、車庫に回送され、整備の後、18:30には博多を出発、翌朝新宿に10:00に到着、20:20に東京駅発、新宿経由で折り返します。
スケールは違いますが、成田とヨーロッパを往復する国際線旅客機の運用を思い起こさせてくれました。
最後に地図上にルートと休憩地点をプロットしてみました。現在は新東名や新名神に一部未開通の部分がありますが、これらが開通するとよりルートが直線的となり、さらにスピードアップされるのではと思います。
赤矢印が往路、青矢印が復路です。各区間が2時間から2時間半でほぼ等間隔に休憩地点がセットされていることが分かります。
東京~山口、北九州の夜行は
1963年夏 「雲仙・西海」 東京12:00~厚狭
1975年3月 「高千穂・桜島」 東京10:00~下関4:18
2012年12月20日 東京16:10 夜行高速バス~小倉6:20
12月22日 小倉19:20 夜行高速バス~東京9:40 とこれまでも鉄路、陸路で経験はしていますが、今回は全部の休憩地点で降車し、観察することでどこをどう走っているのかがよくわかりました。
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全国の公園等に保存されている車両を見て歩くシリーズ、今回は2014年12月の広島・四国西部旅行で訪れた宇和島市和霊公園に保存されているC12259号機です。
和霊公園は市街地の北端にあり、かつて戦国期の山城、鎌江城があった場所だそうです。中四国地方では漁業を中心に産業の神として崇める和霊信仰があり、その総本山がここ和霊神社だそうです。
祭神は山家清兵衛(やんべせえべえ)(山家公頼)で米沢の生まれで、伊予宇和島初代藩主伊達秀宗(仙台藩主伊達政宗の長男)の家老として産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮しましたが、元和6年(1620年)、奉行を務めた桜田元親一派に襲撃され、一族皆殺しにあいました。その後、この事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、清兵衛の怨霊だと恐れられ、その霊を城北の地に祭ったのが和霊神社の始まりだそうです。
伊達政宗の長男の秀宗が豊臣家から寵愛を受けたこと、さらに慶長4年(1600年)には仙台藩の後継者となる伊達忠宗が誕生し、秀宗は伊予宇和島10万石を与えられ別家を興したことなども関係し、かなり複雑な人間関係があったようです。
この機関車の履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表データから見てみると
C12259 日立製作所笠戸工場=1286 1940-09-16 S50.00t1C1t(1067) 車歴;1940-09-16製造→納入;国鉄;C12259→配属[達743];大阪局→1940-09-16竣工→ 配置;大阪局→1955-08-01現在;宇和島→1968-12-11廃車;宇和島→ 保存;愛媛県宇和島市「和霊公園」;C12259
とのことで、1940年9月16日に日立製作所笠戸工場で落成し、大阪局配置ですが、どこの機関区なのかは不明の様です。1955年8月以降はここ宇和島区に配置され、1968年12月11日に廃車となるまで活躍したようです。
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新幹線開業から50年のシリーズ、名古屋のリニア・鉄道館の最後は955形通称"300X"です。
2014/8/12 リニア・鉄道館
955-6の ラウンドウェッジタイプの先頭車
JR東海が300系に続く次世代の新幹線技術を実験するために1995年に製作した高速試験用電車でした。
300系の試作車が落成した1990年7月1日にJR東海技術本部に”300Xプロジェクト”が発足しました。
よりよい鉄道サービスの提供のために間断の無い技術開発が必要との観点から、レール・車輪方式の高速鉄道システムにおける高速鉄道の理想形を追求するために車両、軌道、電気、信号、運行管理の技術者が終結したのが300Xプロジェクトでした。
955形高速試験電車A0 6両編成は1995年1月20日、三菱重工業、日本車輛製造、川崎重工業、日立製作所の分担協力で落成しました。
955-1 博多より制御電動車 カスプ型という特徴的な形態をしており、現在も米原の財団法人鉄道総合研究所・風洞技術センターに保存されており、公開の際には見ることが出来るようです。JR琵琶湖線の車内からも見えます。車体は航空機の技術をベースに、ジュラルミンをリベットで結合して製作したそうで、製造は三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所が担当しました。
955-2 中間電動車で、パンタグラフを搭載しており、車体は後に700系で採用されるアルミ中空大型押出形材が使用されました。ダブルスキン構造で、955-4とともに日本車輛製造が担当しました。
955-3 中間電動車で、300系で採用されたアルミ大型押出形材をスポット溶接で製作しており、ダブルスキン構造です。担当は川崎重工業でした。
955-4 中間電動車
955-5 中間電動車 パンタグラフ搭載 後に500系で採用されたアルミハニカムパネルを使用しており、955-6とともに日立製作所が製造しました。
955-6 東京より制御電動車で、先頭形状はラウンドウェッジ型で、ろう付けアルミハニカムパネルが使用されました。
車体6両に共通するのはアルミ合金製のボディマウント構造ですが、製造時のデータ収集のため、車両毎に製造方法がかえられたのも特徴でした。
力行主回路はGTO素子によるVVVFインバータ方式で、連続定格出力405kWの主電動機を駆動し、主変圧器は軽量化のため、アルミニウム製のコイルを使用しました。
台車はセミアクティサスペンション付きボルスタレス台車で3・6号車の台車には油圧シリンダー式の車体傾斜装置が搭載されていました。
1996年7月26日未明、東海道新幹線米原駅~京都駅間で日本国内最速記録(鉄車輪方式)の443.0km/hを記録しました。
その後、700系やN700系の技術開発、デジタルATOの試験、各種パンタグラフとカバーの組み合わせ、車体の全周幌、車両間ヨーダンパー、セラミック噴射装置などのに使用され2002年1月に運用終了、2月1日付で廃車となりました。
同年6月末日に300Xプロジェクトも解散となりました。
試験は営業列車の運転が終了した本線で実施されるため、編成は浜松工場に配置されまずは新大阪へ、その後、京都で時間調整をして日付のかわるころ米原へ、その後データを整理して、週2度運転試験で車両の耐久試験をしているのか人間の耐久試験をしているのかわからないほど、過酷な試験の日々だったようです。
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毎年、鉄道の日「10月14日」の前後にはいろいろな鉄道会社が車両基地の公開イベントを開催します。わたしもこれまで関東地方を中心に各社のイベントに参加して参りました。
今年からは週末の休みが多くなったこともあり、関東地方以外のイベントにも参加してみようということで、まずは10月15日土曜日 幡生駅そばの下関総合車両所で開催された「鉄道ふれあいフェスタ2016」に参加してきました。今回の記事はまずprologueとして全体の概要を紹介し、次回から個々のトピックについて触れてゆこうと思います。
まずは往路復路ですが、今回は”経費節約弾丸ツアー”で新宿~小倉の高速夜行バスを往復とも利用しました。
この4月4日に開業した新宿バスタから21:00発の高速夜行バスに乗り、当初は小倉まで乗車し、JRで幡生まで戻る予定でしたが、新山口駅にも停まるとのことで、予定を変更して、新山口駅下車、JR山陽線を乗り継いで幡生駅に向かいました。そのため、到着は1時間半ほど早くなりました。
イベント会場では2時間ほど見学しました。
115系L-08編成
25年ぶりのリーグ優勝、そしてクライマックスシリーズファイナルも勝ち抜け、日本シリーズでは日本ハムファイターズとどういった戦いをするかが楽しみな広島カープの応援電車も展示されていました。
宇部線・小野田線に1957年に転属後、42005,42006とともに小野田線本山支線用として活躍、42005はJRに継承されず、42006も2000年に廃車されるも、42001は2003年3月14日の運転を最後に引退はしましたが、このように毎年のイベントでは公開されており、車籍も残っているようです。
昨年のトワイライトエクスプレス引退後、山陽線関係の臨時列車牽引のためか、それまでの特急色からトワイライト塗装に変更され、話題をさらった機関車でした。関東のファンとしてはこの機関車が展示されるのもはるばる幡生まで足を運ばせた大きな動機になりました。HMは時間ごとに何種類か付け替えられていました。
115系3000番台以来、32年ぶり(広島カープの優勝より長い)2015年3月14日のダイヤ改正より、広島地区で運行を開始した新形式です。
下関総合車両所は他のJR工場に較べても車両の担当範囲が広く、電車、気動車は言うの及ばず電気機関車、ディーゼル機関車の検査、改修、改造を行っています。
幡生から下関、門司を経由して門司港へ、まずは平成筑豊鉄道北九州銀行レトロライン「潮風号」トロッコ列車で、九州鉄道記念館駅から関門海峡めかり駅へ、EF301号機や関門海峡の潮の流れを見た後、門司港まで引き返し、2004年10月以来の九州鉄道記念館を再訪、門司港駅周辺の門司港レトロ地域を見学した後、小倉駅へ。
小倉駅から復路の高速夜行バスに乗車し、朝10時の予定を約1時間早く9時過ぎに新宿バスタに戻りました。一橋学園の家までも40分ほどで到着しました。
ということで、
1) イベントでの展示内容
広島カープ応援電車
クモハ42001
EF651124号機
227系
105系つりさげ など
2) レトロライン「潮風号」について
3) 新宿~小倉間の夜行高速バスの旅
4) 関門海峡、和布刈公園 などについて触れてゆこうと思います。
10月22日にはJR貨物広島車両所の公開がありますね。今年は新利府の新幹線車両基地公開に参加予定なので、来年訪問したく思います。
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10月14日夕刻から16日朝にかけては、15日土曜日の下関総合車両所(旧幡生工場)の公開に行って参りました。その様子は後日、まとめて報告致します。
今回は10月11日から31日まで、期間限定で池袋線に走り始めたSEIBU HALLOWEEN 2016 「ワタナベナオミ」トレインに触れようと思います。
2016/10/6 練馬高野台
情報を元に練馬高野台にて狙ったものの、光線状態は悪く、サイドの様子は分からず、さらに内側線の列車の存在で追っかけも撮影できなかった写真でした。
車両は30000系10連タイプ、30101Fです。30000系の10連タイプは30101Fから30106Fまで6編成製造され、30101、30103、30104が池袋線、30102、30105、30106が新宿線に配置されています。10連ですから運用は準急や急行などの優等列車に限られています。
NEW RED ARROW 10000系の回送に被られました。
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朝日新聞社が発行していた「世界の鉄道」シリーズ、今回は1977年版です。
カラーページは
「外国の気動車ア・ラ・カルト」
デンマーク私鉄のディーゼルカー、フランス国鉄のX4300系、RTGターボ列車、西ドイツ国鉄の624形、614形、私鉄EBUの車両、東ドイツ国鉄のレールバス171形、長距離用175形、スペイン国鉄のレールバス、中距離用DC、ETR急行用DC,英国国鉄の気動車イタリア国鉄のDC,パキスタン国鉄のDC,マレーシア国鉄のDC,タイ国鉄の日本製DC,台湾ローカル線の2400形、阿里山森林鉄路のDC「中興号」
「私鉄の特急ロマンスカー・バラエティ」
東武鉄道1700系DRC,小田急電鉄3100系NSE、京成電鉄AE車、長野電鉄2000系、西武鉄道5000系、富山地方鉄道14720系、名古屋鉄道7500系、京阪電気鉄道3000系、近畿日本鉄道10100系、阪急電鉄6300系、南海電気鉄道20100系新こうや号、西日本鉄道2000系
国鉄の気動車
キハ82、特急「オホーツク」、キハ55+キハ18+キハ58+キユニ18、キハ66+67、キハ17+キハ16+キハ35+キハ45+キハ35
特集・私鉄の特急電車
日本で特急列車を走らせていた私鉄は、東急を除く大手13社と山陽電鉄、長野電鉄、富山地方鉄道の3社の16社
西武鉄道 5000系 レッドアロー号
東武鉄道 1720系 1800系(急行) 6000系(急行)
小田急電鉄 デハ3100(NSE) デハ3000(SSE)
京成電鉄 AE車 3,500形
京浜急行電鉄 デハ600 1000系
京王帝都電鉄 6000系 5000系
長野電鉄 2000系 169系国鉄直通急行
名古屋鉄道 モ7500系 モ7000系 モ7300系 モ5500系 モ7700系 キハ8000系
富山地方鉄道 モハ10020 国鉄乗り入れ気動車急行
阪急電鉄 京都線6300系 2800系 神戸線2000系 5100系
京阪電気鉄道 3000系
阪神電気鉄道 7850系 7800系
南海電気鉄道 20000系 7100系 1000系 キハ5500系
山陽電気鉄道 3000系 3050系
西日本鉄道 2000系 5000系
近畿日本鉄道 モ10100ビスタカー モ16000 モ11400新エースカー モ18400系 12200系 モ20100系「おおぞら号」 モ12000系スナックカー 18200系
特集・国鉄の気動車
キハ10系一般車 1953年から
キハ17(キハ45000形) 片運転台 便所有
キハ16(キハ45500形) 片運転台 便所無
キハ18(キハ46000形) 中間車 便所無
キハ10(キハ48100形) 両運転台 便所無
キハ11(キハ48000形) 両運転台 便所有
キハ12(キハ48200形) 両運転台 便所有 酷寒地向け 本誌ではキハ22形の横に
キハ10系改造車
キハユニ15 種車は電気式DCキハ44000、液体式キハ44500、正面の形態も湘南タイプ2枚窓、貫通式あり 側窓も一段上昇タイプ、バス窓
キハユニ16 キハ44100形から
キハユ15 キロハ18から 運転台新設
キハニ15 キハ18から
キハユニ18 キハ16から
キハユニ17 キハ50から 車体長22mは在来線旅客車中最大
キユニ15 キロハ18からキハユ15を経て
キニ15 キユニ15と同じ経緯
キニ17 キハ17から
キニ19 電気式キハ44200形から
キユニ19 キハ19からキニ16を経て
キユニ18 キハ17からキハユニ18を経て
キユニ16 キハユニ16の再改造
キユニ11 キハ11から
キユニ17 キハ17から
キハ20系一般車 1957年から
キハ20(キハ49000形) 両運転台1~103バス窓 201~253台車新設計側窓、完全上昇式
キハ25(キハ49500形) 片運転台1~75
キハユニ26 新造車
寒地・北海道向け一般車
キハ21 寒地向け 1957年から
キハ22 北海道向け 1958年から
キハユニ25
キユニ21
キハ46/24
キハ30系
キハ35 片運転台・便所有 1961年から
キハ36 片運転台・便所無 1962年から
キハ30 両運転台
キハ23系 1966年から
キハ45 片運転台
キハ23 両運転台
勾配用強力型一般車
キハ51 キハ10系の車体に2個エンジン
キハ52 キハ20の車体に2個エンジン
キハ53 キハ23系車体に2個エンジン
キニ55 キハ51改造 常磐線上野口
キハ55系 準急・急行車 キハ10系の優等列車版
キハ55 1966年から
キハ26 1968年から
キハ60 大馬力1台エンジン試作 1959年
キニ56
キニ26
キユニ26
キハ58系 急行車 1961年
キハ58 キハ28
キロ58 キロ28 キロハ28
キユ25
キハ65 500馬力エンジン+発電セット
キハ57 キロ27 アプト式区間通過用
キハ56系 北海道急行用
キハ56 キハ27 キロ26 キロ29 団体旅行用
キハ66 快速・一般車
キハ91系強力型試作車
キハ90 キハ91 キサロ90
キハ80系 特急車
キハ81 キハ82 キハ80 キロ80 キシ80
キハ181系 特急車
キハ181 キハ180 キロ180 キサシ180
事業用車・試作車
キヤ92 キハ07改造の架線試験車
キヤ190+キヤ191
キハ391 ガスタービン試験車
国鉄内燃気動車の歴史
客車に蒸気動力を載せた蒸気動車からスタートし、国鉄初のガソリンカーキハニ5000形、戦前の代表的ガソリンカーキハ36900(キハ41000)、半流スタイルで登場したキハ42000、同車にDMH17ディーゼルエンジンを載せたキハ42500、さらに電気式キハ43000などの写真が紹介されています。
さらに、1961年から北海道などで登場したオハフ62改造のキハ09、さらに乗客の少ない区間向けに登場したキハ01、キハ03などのレールバスなどの写真も紹介されています。
特集・外国の気動車
イギリス 英国国鉄がHigh Speed Train用に製造した252と量産車
近郊列車用 116,117,118系
オランダ ドッグノーズタイプ
ルクセンブルク
デンマーク ドイツ型DC「リムフィヨルデン」号
フランス TGV001 1972年製造の高速列車用ターボ車 試作
ETGターボ車 4両固定編成
RTGターボ車
XAD2710 RGP600として1954年中距離急行用として製造
X2720 RGP825
XBD3800 1951年から1960年にかけて製造
XAB4206 1959年製造 パノラミック
X2800 1957年から1962年に製造 ローカル輸送用
X4542 1963年から1965年に製造
XRBD8188 気動車用トレーラー
ちなみにX:気動車 A:一等車 B:二等車 D:荷物室 R:付随車
西ドイツ 624系 1964年から量産
601,602系 1957年製造 TEE用 オール一等車、後にIntercity用に
613系 1952年製造
614系 1972年製
627系 628形の両運転台タイプ 1974年製
628系 近郊用 1974年製
架線検測用機械式気動車
795形 支線用レールバス
東ドイツ 175形
SVT37系
172形 レールバス
オーストリア 5145形
スイス
イタリア
スペイン 597系
591形
ギリシャ
ソ連 日本製(帝国車輛)DC サハリンで活躍
カナダ ターボトレイン 1968年製
RDC バッド社のステンレスカー
アメリカ ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道 RDC
レディング鉄道 RDC
アムトラック フランス製RTG
ニカラグア
ジャマイカ
ボリビア
チリ
アルゼンチン
モザンビーク
エジプト
イラン
シリア
トルコ
パキスタン
インド
スリランカ
タイ
ビルマ 西ドイツ Talbot社製1900形
マレーシア 日本製
韓国 日本車輛製
台湾
フィリピン 日本製
新車
国鉄サロ110 1200代 東京地下駅乗り入れ対策車
新幹線37形ビュッフェ車
新幹線22次増備車 客室窓の小型化
国鉄485系1000番代
オハネフ25 100代
オロネ25
名古屋市交通局3号線 3000系
東京都交通局1号線 5200系
阪急電鉄 6000系
神戸市交通局 1000系
南海電気鉄道 8000系
西日本鉄道 モ5000系
相模鉄道 7000系
上信電鉄 1000系
津軽鉄道 キハ24025・26
弘南鉄道 デハ3612 クハ3778
岩手開発鉄道 キハ301
関東鉄道 キハ310形 キハ715
福島交通 モハ3300形
蒲原鉄道 モハ91
大井川鉄道 C11227 モハ311+クハ511
衣浦臨海鉄道 DE65
紀州鉄道 キハ603
有田鉄道 キハ58003
野上鉄道 モハ13
高松琴平電鉄 72 740 790
広島電鉄 1300
島原鉄道 キハ16
長崎電機 800形
新日本製鉄 E8501
新線
岡多線
札幌地下鉄東西線
武蔵野南線
都営地下鉄6号線高島平ー西高島平間
横浜市営地下鉄横浜駅乗り入れ
衣浦臨海鉄道半田埠頭線
相模鉄道いずみ野線
奥羽本線羽前千歳~秋田電化
名古屋鉄道知多線部分開業
長崎・佐世保線電化
廃線
名古屋鉄道瀬戸線路線縮小
大分交通耶馬渓線
北九州市営若松軌道線
京都市電部分廃止
西鉄福岡市内線部分廃止
豊橋交通柳生橋支線廃止
仙台市電廃止
巻末には
私鉄特急乗りある記 吉村忠晃氏
国鉄気動車の発展と現状 島 隆氏
海外のディーゼルカーとガスタービンカー 西尾源太郎氏
国鉄気動車諸元表
国鉄気動車形式別配置両数一覧表
私鉄特急列車運転一覧表
年誌・世界の鉄道 となっています。
10月15日16日は休みます。
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これで3日連続、関西での話題から離れて西武の話題です。今回は最近、池袋線ではとんと見かけなかった2000N系8連、2089Fの話題です。
2000N系8連ではVVVF制御を試作的に組み込んだ2097Fが先日、横瀬送り→廃車となりました。私は個人的には2089Fも4月以降、ほとんど見かけないことから廃車が近いのではないかと秘かに心配しておりました。
ところが、10月9日、「二代目 銀河鉄道999」の撮影に池袋線に出かけてみると、池袋~保谷の運用で何回か往復している編成が2089Fでした。
2089Fは1992年5月22日、東急車輛で落成した編成です。
池袋線2000N系では最初に表示器がフルカラーLED化され編成であり(関連記事)、廃車された2097Fと同様にパンタ数未削減、ベンチレータ残存編成としても特徴的な編成でした(関連記事)。
それが今回、武蔵丘車両検修場に入場し、6月頃入場していた2461Fと同じ簡易修繕工事を受け出場し、屋根上ベンチレータ全撤去、パンタグラフの削減(6基から3基)、さらにシングルアームパンタに乗せ換えとなりました(関連記事)。ちなみに2189は1996年から1998年にかけてPT7116シングルアームパンタを試験的に搭載していた時期もあったそうですが、今回は本格的搭載となったようです。
2000N系の修繕では2047F、2081F、2055F 、2093Fなどのように戸袋窓塞ぎ、前面にナンバー表示、側面のナンバープレート化、旧社章の取り外しなどの修繕が東急車両で行われたことがありましたが、最近はこういった大掛かりな修繕ではなく簡易修繕が行われているようです。
2016/10/9 練馬
ベンチレータの撤去で屋根上もすっきりしました。
2016/10/9 東長崎
旧社章やナンバーの表示は従来と同じです。
2089F、早逝した2097Fの分までも長く活躍してほしいものです。
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2016年6月から7月末までは池袋線、8月9月の2か月は新宿線で活躍したKPP trainこと、9101F、鋼鉄製の車体に纏ったピンクの塗装はそう簡単に落とすわけには行かないようで、9月29日のキャンペーン終了後は小手指区でラッピングと前面貫通扉のステッカーのみを落とし、ピンクの塗装のままで池袋線に復帰しています。
実はこのスタイルで池袋線を走るのは二度目のようで、最初は6月1日に武蔵丘検修場を出場、小手指基地まで試運転を兼ねた回送が行われ、小手指基地でラッピングが行われるまでの間はこの塗装だったそうです。
わたしも、10月9日、東長崎で「二代目 銀河鉄道999」を狙っていたら、ピンクの9101Fが「急行池袋行き」でやって来て、「準急西武球場前行き」で数分後に下って行きました。
もっともこの時間帯、写真にしてみると大変な雨だったことも確かですが。
次の武蔵丘検査入場がいつなのかわかりませんが、これからは池袋線の9000系シリーズの変わり種としての活躍が当分続くのでしょうか。
ちなみに西武では10月11日から31日まで、30000系10両編成1編成にラッピングを施し、「ワタナベナオミ」トレインとして、走らせるそうです(関連記事,動画)。
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色物攻勢に抜かりの無い西武鉄道、9月末にKPPtrainが終わったと思ったら、今度は3000系以来となる銀河鉄道999の登場となりました。
運転開始日は10月8日(土曜日)、運転期間は2019年3月末までとのことで、今回は20000系8両編成20158Fが対象となりました。
その20158Fですが、
2012年5月から6月には新宿線で撮影しましたが、2013年からは池袋線に活躍の場を移したようです。
活躍の場は池袋線とのことであり、8連であること、20000系は2連がないため、10連運用はないことから、まずは3000系の時同様に豊島園線運用を考慮して東長崎、練馬あたりで撮影することにしました。
3000系のときのパターンと同じで奇数エンドが青と赤が目立つパターンなのに対して、偶数エンドが黄色と白の目立つパターンとなっています(銀河鉄道999のストーリをよく理解していないので変な説明ですが)。
大きく異なるのは側面で
2010/1/2 所沢
初代は上が紺、下が黄色基調なのに対して、二代目は
写真を撮っていて、この顔何かに似ていると思ったのですが、
(こんなことをウ言ったら西武ファンの皆様に怒られそうですが、)私は実物を見たことはないのですがモハ113/112-800番台の魔改造と言われたクモハ113/112-3800を彷彿させる顔つきですね。
数回の豊島園運用をこなした後、各停飯能行き運用に入った20158F。
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1992年7月に製造された681系量産先行車の試用における問題点を解決しながら1995年から1997年にかけて、量産車はJR西日本発注の0番台、75両、北越急行の2000番台、18両が落成しました。
2005/8/22 山科
681系のクロ681の量産車の特徴は運転席側窓が三角形から四角形になったことでしょう。
681系使用の特急が「サンダーバード」と改称されたのは1997年3月22日のダイヤ改正からでした。「スーパー雷鳥」が廃止されたのは、2001年3月3日のダイヤ改正でした。
2010/12/10 島本 W12編成
681系683系に於いて編成番号が前面に表示されるようになったのはこの頃からで、それまではどの編成を撮影したのか殆ど分かりませんでした。
変更点:
1.量産先行車の改造でも触れましたが、大阪 - 富山間で運行される「スーパー雷鳥」のうち3往復を金沢で分割併合し、基本編成(6両編成)が七尾線に乗り入れすることとなったため、基本編成(6両編成)にグリーン車が連結されるよう、クロ681形の連結位置が富山寄りから大阪寄りに変更されました。
2.6両+3両への編成分割および併合時の通り抜けができるよう、貫通型運転台を備える車両が落成し、貫通型前頭部は美観確保の観点から幌を収納式とし、幌内側には化粧板を備えて防音性を確保しました。
3.量産車ではM-Tpの2両1ユニット+動力機器の搭載の無い、純然たる付随車という構成になりました。M車は直流車両と機器が共通化され、重量機器が集中配置されることで、粘着性の向上に貢献しました。Tp車には交直機器を配置し、保守上も特高圧機器と高低圧機器のの混在が解消され、トラブル防止に役立ちました。
主変圧器はサイリスタ位相制御コンバータ WRS103 が使用され、VVVFインバータはGTOサイリスタ素子を使用した PWM インバータ WPC6 となりました。インバータ1基で1台のかご形三相誘導電動機を制御する 1C1M 制御方式が採用され、同時期に落成した223系0番台などに倣って、保守点検の容易化および操作性向上の観点から1車分4群のインバータ装置を1箱に集約しました。
補助電源装置は、GTO二重チョッパ+IGBT3レベルインバータで構成された静止形インバータ WSC33(定格容量150kVA)が採用されました。低騒音化、メンテナンスフリー化を図るとともに、インバータ素子をパワートランジスタ(先行試作車)から変更することで定格容量は同じものの、制御応答性が向上しました。CPは、往復単動2段式水平対向4気筒のWMH3096-WTC1500 が搭載されました。
2008/9/5 金沢 クハ680-500
パンタがあるのにクハとは?というのが681・683系の特徴でしょうか
集電装置は、先行試作車と同じく下枠交差式パンタグラフ WPS27C が採用され、搭載位置はサハ680形・クハ680形前位寄りに変更されました。
主電動機は、高速領域での性能向上のために容量がアップされた1時間定格容量220kWのかご型三相誘導電動機 WMT103 が電動車両1両あたり4基搭載されました。
台車の基本的構造は先行試作車に準じていますが、牽引装置を一本リンク式に変更しました。また、付随台車(WTR300)の基礎ブレーキ装置を高速化対応の観点から1軸2枚のディスクブレーキ+踏面ブレーキとしました。
連結器は、中間連結部は半永久連結器を、先頭車両前頭部は密着連結器としました。非貫通型の場合は非常時のみ使用することから格納式とし、貫通型は増解結作業の容易化のために、電気連結器・自動解結装置付き密着連結器としました。
保安装置は、新製当初はATS-SWのみを搭載し、ATS-Pは車上装置など(ATS-P2)を搭載した準備工事状態でした。
空調機器は、集中式の WAU704 1基搭載を基本とし、ユニットを組まずに交流関係の機器を搭載しない車両(クロ681形・クハ681形・サハ681形)には圧縮機とエバポレーターを分離したセパレート方式の WAU303 が2基搭載されました。冷房能力は1両あたり36,000kcal/hと共通です。
ほくほく線運用される「はくたか」用装備
160km/h走行に対応した編成を識別するため、「はくたか」用編成にはトランスポンダを搭載し、高速信号現示(GG信号)ができるようにしました。
単線のトンネルを高速で通過する際に発生するいわゆる「耳ツン」状態を防止するために気密性を高くする工事も施工されました。
編成の構成
←大阪 和倉温泉・富山→
1 2 3 4 5 6 7 8 9
Tsc Tp M T2 Tp Mc Tc M Tpc'
681-0 680-0 681-200 681-200 680-0 681-500 680-500 681-0 681-0
定員 36 64 68 46 64 64 56 72 56
主変圧器 VVVF 主変圧器 VVVF 主変圧器 VVVF
主整流器 SIV 主整流器 SIV 主整流器 SIV
パンタ CP パンタ CP パンタ CP
WC WC 多目的室 WC TEL
車椅子対応設備
プチカフェ TEL
WC TEL
2002年12月から2004年7月にかけて、金沢総合車輌所所属の「サンダーバード」用39両(T01 - T03・T06・T11 - T13・T15・T17編成)に対して、683系との車内設備統一化改造が実施され、
1) 3号車と8号車の位置を入れ替え、(座席モケットの色も変更) - 当初は3号車富山・和倉温泉側と4号車大阪側に乗降扉がなく、下車・乗車遅れが発生する恐れがありました。
2) 車掌室を撤去し自動販売機と座席を1列増設しました。
3) 4号車の売店(プチカフェテリア)を撤去し自動販売機・車内販売準備室を設置、車掌室を3号車から移動しました。
4) 9号車のバリアフリー対応化 - 客用ドアを広幅化、車椅子対応トイレを設置、座席を2席分撤去し車椅子対応化しました。
5) グリーン車の液晶テレビを撤去。
これらの改造により、新たに以下の番台区分の車両が発生しました。
モハ681形300番台 (M)
クハ680形もしくはサハ680形とペアを組んで使用されています。種車はモハ681形0・200番台で、0番台は後位出入口を撤去して自動販売機が設置されました。200番台は車掌室を撤去し、自動販売機と座席が1列増設されました。
モハ681-201 - 203・206・7 → モハ681-301 - 303・306・307
クハ681形200番台 (Tc)
種車はクハ681形0番台で、車椅子対応設備・車椅子対応トイレが設置されました。
クハ681-1 - 3・5・7 → クハ681-201 - 203・205・207
サハ681形300番台 (T)
種車はサハ681形200番台で、売店を撤去し、自動販売機・車内販売準備室・車掌室が設置されました。
サハ681-201 - 203・206 → サハ681-301 - 303・306
683系との統一化改造後の編成構成
編成の構成
←大阪 和倉温泉・富山→
1 2 3 4 5 6 7 8 9
Tsc Tp M T2 Tp Mc Tc M Tpc'
681-0 680-0 681-0 681-300 680-0 681-500 680-500 681-300 681-200
T06・T17編成は、後に「はくたか」に転用された際に再び3号車と8号車が入れ替わっており、同編成から転用された現W05・W15編成は他の「はくたか」用W編成と設備が一部異なっています。
2014年10月ごろから「はくたか」用編成についても3号車と8号車の入替が始まっています。
681系の車両番号に枝番が多い分けが漸く、理解できた次第です。
2015年からのリニューアル工事
<車両外観に関して>
従来のホワイトボディとブルーのラインを基調に、大きな窓をさらに強調するような塗装に変更されます。車体側面にあるサンダーバードのシンボルマークは、北陸新幹線にも使用されている銅色をデザインし、長く親しまれている「サンダーバード」らしさと新しさを表現したデザインに変更されます。
<車内設備に関して>
グリーン車の座り心地が改善され、客室内を落ち着きと趣きのあるデザインに変更されます。普通車の座席はブルーを基調とした最新のデザインに統一されます。モバイルコンセントがすべての編成のグリーン車全席、普通車客室出入口付近の席に整備されます。グリーン車と普通車の身体障がい者対応のトイレにJR西日本の在来線車両としては初めて温水洗浄機能付き暖房便座が導入され、グリーン車以外のトイレにもすべて暖房便座が整備されます。
車両配置と運用
金沢総合車両所
0番台 3両 8本 T11-T13 、W11-W13、W15/W17
0番台 6両 8本 W01-W08
2000番台 3両 2本 N11/N12
2000番台 6両 2本 N01/N02
T編成は683系R編成と共通で「サンダーバード」運用に
WとN編成は「しらさぎ」「ダイナスター」「能登かがり火」「ホームライナー」
吹田総合車両所京都支所
0番台 3両 1本 V11
1000番台 6両 1本 W01
683系と共通運用で「サンダーバード」「ダイナースター」「能登かがり火」「おはようエクスプレス・おやすみエクスプレス」に運用
2000番台は2015年3月14日の北陸新幹線金沢開業で定期運用を失い、JR西日本に譲渡され、「しらさぎ」に転用され、塗装も変更されました。
2000番台の「はくたか」時代の活躍の様子は別の機会に紹介致します。
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京阪神から北陸地方を結ぶ特急列車「雷鳥」には長らく485系が使用されて来ました。国鉄民営化後、車両の老朽化も進み、高速道路網の整備などで高速バスなどに対向した高速性と質の高いサービスの提供が求められるようになり、1992年7月に量産先行車が登場したのが681系でした。
2003/3/26 山科
私が初めて681系の量産先行車を撮影したのはこの時だったので、既に方向転換、6+3分割後でした。クロ681-1001の運転台の三角窓とスカートのボルト穴は量産先行車識別ポイントです。
2006/11/17 高槻
一方、付属編成の方は運転台三角窓が量産車との識別点となっています。
ブレーキ性能の向上を図り、踏切のある区間でも130km/h運転を目指し、湖西線や北陸トンネル内では160km/hに対応出来る性能としました。
<量産先行車>
1992年に9両編成1本、両端非貫通スタイルで製造されました。富山より先頭車がグリーン車となりました。
車体は普通鋼製で、強度が必要な箇所は高耐候性圧延鋼材、屋根板および床板にはステンレス鋼が使用されました。車体長は21160mm/20600mm(先頭車/中間車)、車体幅2915mm、車体高3550mmです。
電動車(M)-付随車(Tp)-付随車(T)3両から構成されるユニット構成とし、M車にVVVFインバータ、Tp車にパンタグラフ、変圧器、整流器、T車にCP、補助電源装置を分散搭載しました。
在来線電車では207系に次ぐ2番目のVVVFインバータ制御の採用となり、GTOサイリスタ素子によるPWM方式の1C1M制御方式(WPC3)となりました。
主電動機は定格出力190kW/hのかご形三相誘導電動機WM101が電動車1両の各軸に搭載されました。主変圧器は外鉄形密封方式のWTM25、定格容量1295kVA、主回路用二次巻線は1150kVA、補助電源回路用は145kVAとしました。
補助電源装置はGTO二重チョッパ+パワートランジスターインバータで構成されたSIV WSC22(定格容量150kVA) 、CPは先頭車に往復単動2段式水平対向4気筒である WMH3096-WTC1500、中間車はスクリュー式のWRC1600X が搭載されました。パンタグラフは下枠交差式WPS27Cが採用され、サハ680形の後位に一基搭載されました。
台車はボルスタレス台車WDT300(電動車)、WTR300(付随車)で、軸箱支持方式は軸梁式、160km/h走行にも対応させるため基礎ブレーキ装置の強化が図られました。牽引装置はZリンク式で、高速走行時の安定性確保のため、ヨーダンパとアンチローリング装置が装備されました。歯車比5.22です。
空調装置は圧縮機とエバポレータ分離、セパレート方式のWAU302で1両あたり2基搭載され、冷房能力は36,000kcal/hです。
落成当初の編成の構成
←和倉温泉/富山 大阪→
9 8 7 6 5 4 3 2 1
Tsc T M T M T T M Tc
681-1 680-101 681-201 680-201 681-1 681-101 680-1 681-101 680-1
定員 39 68 68 46 72 68 72 68 64
SIV CP BAT SIV CP BATT SIV CP BATT
WC/TEL WC/TEL WC/TEL WC/TEL
車掌室・業務用室
多目的室/車椅子対応
プチカフェテリア
0番台 客室+出入り台
100番台 便所、洗面所
200番台 その他の設備 で番台区分されています。
量産車では大阪~富山間で運行される3往復を金沢で分割併合し、基本編成6両が七尾線に乗り入れするため、クロ681形を大阪よりに連結することに
量産車にあわせた編成の方向転換後 1995年
この改造は鷹取工場、吹田工場、松任工場で施行されましたが、阪神淡路大震災で鷹取工場の事務所が倒壊し、改造図面が紛失しました。そのため、設計担当者と現場作業者が一緒に改造を進めることとなり、さらに主電動機が立体棚から落下するという不運も重なり、量産車の予備主電動機を制御器のプログラムを書き換えたうえで使用するという事態にもなったそうです。
クロ681-1001 元9号車クロ680-1 出入り口を移設、車体後位に洗面所・洋式便所を追加、方向転換、1号車に
モハ681-1201 元7号車モハ681-201 方向転換 3号車に
クハ680-1001 元1号車クハ680-1 出入り口を移設、車体前位に洗面所・小便器・洋式便所・自動販売機を追加 9号車に
サハ680-1001 元3号車 方向転換、7号車に
モハ681-1001 元5号車 方向転換、8号車に
サハ680-1101 元8号車 方向転換、2号車に
サハ680-1201 元6号車 方向転換、4号車に
モハ681-1101 元2号車 方向転換、5号車に
サハ681-1101 元4号車 方向転換、6号車に
←和倉温泉/富山 大阪→
9 8 7 6 5 4 3 2 1
Tc M T T M T M T Tsc
680 681 680 681 681 680 681 680 681
-1001 -1001 -1001 -1101 -1101 -1201 -1201 -1101 -1001
この改造後も量産先行車は分割併合のない列車限定の9両固定編成として運用されていました。
6+3分割可能編成へ 2001年9月
6,7号車の付随車を制御車に改造しました。また、後年登場した683系0番台と車内設備を統一する改造もなされました。
3号車 モハ681-1201 業務用室および車掌室を撤去し、車体前位に出入口を追加してモハ681-1051に改番。
4号車 サハ680-1201 プチカフェおよび電話室を撤去し、業務用室・車掌室・自動販売機・車内販売準備室を設置してサハ680-1301に改番。
6号車 サハ681-1101 洗面所・小便器・洋式便所を撤去した車体前位寄りに貫通運転台を追加してクハ681-1501に改名。
7号車 サハ680-1001 車体前位に貫通運転台を、後位に洗面所・小便器・洋式便所・公衆電話を追加してクハ680-1501に改名。
8号車 モハ681-1001 車体前位の出入口を撤去し、自動販売機を設置してモハ681-1301に改番。
9号車 クハ680-1001 洗面所・洋式便所・自動販売機を撤去し、車いす対応設備(座席・便所)を追加してクハ680-1201に改番。
←和倉温泉/富山 大阪→
9 8 7 6 5 4 3 2 1
Tc M Tc Tc M T M T Tsc
680 681 680 681 681 680 681 680 681
-1201 -1301 -1501 -1501 -1101 -1301 -1051 -1101 -1001
2015年1月28日に681系の量産車に対してリニューアル工事が実施されることになりましたが、量産先行車は対象外とされました。
そして、量産先行車に関しては2015年3月15日の北陸新幹線長野~金沢間開業で運用面で余裕が出たら廃車の方針でしたが、3両付属編成V01編成は2015年9月9日付けで廃車となり、681系列の廃車第1号となりました。基本6両編成もリニューアル工事の完了後に廃車の予定とのことです。
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千里丘、岸辺界隈で撮影した列車達、今回は281系特急「はるか」です。
2008/2/25 岸辺
付属編成を増結して9連で関空に向かう姿
1994年9月4日の関西国際空港へのアクセス特急としてJR西日本は281系特急「はるか」を、南海電鉄は50000系「ラピート」を登場させました。月日の経つのは速いものであれから既に22年が過ぎているのですね。
車体は普通鋼製で、大空に輝く雲のシャイニングホワイト、無限に広がる宇宙をイメージしたコスモスグレー、成層圏をイメージさせるストラトブルーの三色が塗装に用いられています。
2010/12/7 桂川
京都駅のホームの関係から梅小路から本線に抜ける貨物線を通過する「はるか」
制御装置は東芝製GTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ(1C1M制御)で、JR西日本でほぼ同時期に登場した207系1000番台や223系0番台と同じ方式となっています。主電動機は定格出力180kWのWMT100B、かご形三相誘導電動機が装備されています。
2010/12/9 千里丘
茨木を過ぎると北方貨物線に入り、千里丘では貨物線を通過する「はるか」関空行き
2010/12/8 第一淀川橋梁そば
新大阪からは梅田貨物線に入る「はるか」
補助電源装置(WSC40)として130kVAのSIVが電動車に1基搭載されています。CPは1klの容量で、6両編成中に2基、3両編成に1基搭載されています。パンタグラフは下枠交差方式のWPS27Dが各電動車の京都よりに1基搭載されています。空調装置は集約分散式のWAU703が1両当たり2台搭載されています。冷凍能力は18,000kcal/hとなっています。
編成の構成
←米原・京都・新大阪 関西空港→
Tsc280-0 M281-0 T281-0 T281-100 M281-0 Tc281-0
定員 30 48 42 48 48 44
CP VVVF SIV PT CP VVVF SIV PT CP
Tc280-0 T281-100 Mc281-0
定員 44 48 44
CP VVVF SIV PT
2002/6/5 京都 (方向転換前)
実はこれが最初に「はるか」を撮影した写真ですが、この数ヶ月後に方向転換されており、貴重なショットになりました。
営業運転開始当初は5両編成でクロが関西空港より先頭とし、京都より先頭は荷物室付きクハ281でした。1995年にサハ281-100が増備され、6両編成になり、2002年10月1日、K-CATの廃止で方向転換されました。なお、荷物室はその後、改修を受けず現在に至っています。
所属は吹田総合車両所日根野支所で
基本編成 6両 9本
付属編成 3両 3本 計63両
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千里丘や岸辺といった関西における鉄道撮影の聖地で撮った懐かしい列車シリーズ、今回は大阪と青森、一時期は函館を結んだ寝台特急「日本海」です。
2012/3/17 千里丘 定期列車としては上り最終となった列車
1924年7月31日、羽越本線の全通で日本海縦貫線が完成、神戸~青森間に急行列車(富山~青森間は普通列車)の運転が開始されました。1926年8月15日には全区間が急行列車に、1929年9月15日には運転区間が大阪~青森間となりましたが、戦局の悪化で1943年2月1日、廃止になりました。
1974/10/6 新大阪
米原経由の時代でEF58がHMを付けて牽引していました。
1975/3/6 大阪
20系の最後尾はナハネフ22と写真のようなナハネフ23のことがありました。
戦後、大阪と青森を結ぶ急行列車は1947年7月5日に運転を開始しました。1950年11月8日に「日本海」と命名、1968年10月1日のダイヤ改正で急行の名称は「きたぐに」となり、新たに青森運転所の20系客車を使用した寝台特急「日本海」が設定されました。
1976年ごろ 大阪
日本海の到着ホームの反対側には福知山線経由で出発待ちのキハ82系「まつかぜ」がおり、朝のゴールデンタイムでした。
1975年3月10日の改正では湖西線経由に、さらに14系客車に変更、早岐区の14系を共通運用としたため、長崎・佐世保から青森まで超広域運用が有名となりました。さらに季節列車としてもう一往復の「日本海」が宮原区の14系座席車で設定されました。1976年3月15日、「つるぎ」とともに宮原区担当の日本海は24系25形客車となりました。
1978年10月2日の改正では早岐の広域運用が解かれ、青森運転所の24系が担当になりました。1980年10月1日の改正では青森運転所担当の「あけぼの」2往復の24系化で日本海編成からオロネ24が抜き取られ、モノクラスになりました。1982年11月15日、上越新幹線開業のダイヤ改正では二往復とも宮原区受け持ちとなり、24系25形客車となりました。しかし、1984年2月1日の改正では一往復が青森の24系に戻りました。
1987年4月1日の分割民営化では青森運転所担当列車がJR東日本、宮原区担当列車がJR西日本に継承され、1988年3月13日の青函トンネル開業では1/4号が大阪~函館間運行となり、営業運転で青函トンネルを通過した最初の寝台特急となりました。夏季期間、1/4号にはマニ50荷物車が連結され、「日本海モトとレール」としてオートバイ輸送が実施されました。
2008/2/25 山科
冬場の強風で湖西線周りから湖東線、米原経由で運転されたこともしばしばありました。
2010/12/5 千里丘
TLE牽引機がローズピンクのEF81に代わって牽引したこともありました。
1998年8月22日、「日本海モトとレール」の運行は終了、2006年3月18日、1/4号の運転区間は大阪~青森に短縮、2008年3月15日、2/3号が廃止となり、1往復体制となりました。
2012年3月17日のダイヤ改正で定期運行が終了、2012年4月、8月、2013年冬期の多客期には運行されたものの、3月以降は列車の設定がない状態となっています。
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岸辺、千里丘界隈で撮影した列車達、今回は関西と九州を結んだ寝台特急「あかつき」
です。
2008/2/26 千里丘 あと僅かの走行期間にとなった頃の「なは・あかつき」
「あかつき」という愛称は東京~大阪間の夜行急行として1958年10月から登場しました。不定期列車でしたが、混雑が慢性化していた状況もあり、毎日運転の座席列車でした。1959年9月に寝台列車化され、1961年10月のダイヤ改正では「銀河」「月光」「金星」の寝台列車化で一旦名前が消えました。しかし、ビジネスマンによる人気から1962年6月、不定期列車の「第2六甲」が寝台列車化されたとき復活し、1962年10月には定期列車化され、東海道新幹線開業の前まで(~1964年9月)運行されました。
次に特急「あかつき」としてデビューしたのは1965年10月で新大阪~西鹿児島・長崎間の寝台特急で、関西~九州間のみならず、東海道新幹線との連携で東京と九州を結ぶ特急としての役割も担いました。
1975/3/6 大阪駅に到着するHM付きEF58牽引「あかつき」
1975/3/6 大阪駅に到着するHM付きEF65 502(下関)牽引「あかつき」
1975/3/6 大阪
20系最後の頃の「あかつき」、客車は東京発の「はやぶさ」と共通運用でした。
この頃は米原区や下関運転所の機関車が関西BTを牽引しており、「あかつき」でもHMを装着する列車としない列車がありました。
1975年3月のダイヤ改正後、EF58のHM装着は無くなりました。
わたしも大学1年の秋休み初の九州旅行は東京から新幹線、関西から西鹿児島まで20系寝台の「あかつき1号」に乗車しました。ちょうどこの頃が「あかつき」の最盛期で日豊本線方面の「彗星」との併結列車もありましたが、7往復の「あかつき」が走り、24系や二段ハネ24系25形の投入も東京発の寝台特急に先んじて行われました。
関西ブルートレインの場合、「彗星」「明星」「なは」などは581/3系寝台特急電車による運用もあったのに対して、「あかつき」は20系、14系、24系、24系25形、14系15形と客車であり、寝台電車が投入されることはありませんでした。
1990年3月からは普通車座席指定車輛として「レガートシート」車オハ14も連結されました。
牽引機がEF65PFとなり、嬉しいことにHMが復活しました。 高槻
「明星・あかつき」の併結列車も登場し、併結用HMも準備されました。 大阪
最後の新製ブルートレインとなった14系15形が最初に投入されたのも「あかつき」でした。
1975年3月、新幹線博多開業で鹿児島本線系統が「明星」に、長崎・佐世保線系統が「あかつき」になり、筑豊本線経由佐世保行きといった列車も設定されました。これにより、同じ、あかつきに乗っていて、佐賀で時間の余裕を利用する推理小説のトリックなども話題になりました。
2003年3月、佐世保発着列車が廃止、「彗星」との併結運行になり、2005年10月には「彗星」の廃止で、「なは」との併結運行に、そして2008年3月15日、42年半の歴史に終止符が打たれました。
その後、関東~九州の寝台特急も廃止され、機関車牽引の定期旅客列車はわが国からは無くなってしまいました。
これから生まれてくる鉄道ファンはそういった列車の存在を知らずに鉄道写真を撮ることになるのですね。
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月日の経つのはやいもので、写真をきちんと整理しないうちに9月の関西旅行から1か月が過ぎてしまいました。
先の関西旅行では2日とも、千里丘で貨物列車や機関車回送、東海道線の各種列車を撮ることから、朝の撮影をスタートしました。岸辺、千里丘は関西の鉄道ファンの方々にとって、聖地のような場所で、今回も結構多くの方々を見かけました。
これから数回にわたり、これまでの同所での撮影の記録を紹介して行きたく思います。
第1回は東海道線の寝台急行「銀河」です。
2008/2/25 岸辺
廃止直前の大阪出張で偶然、今は亡きゲッパことEF651118号機牽引の「銀河」が撮影できました。HMがあればもっと良かったですが。
「銀河」と命名された列車の登場は1949年9月で、それまで一等、二等車のみで組成された夜行急行15・16列車に名称が与えられ、最後尾に行燈式テールマークが取り付けられたのが始まりだそうです。1949年9月といえば、「下山」「三鷹」「松川」と国鉄に関係した怪事件が相次いで起こった頃で、まだ一般庶民に豪華列車を楽しむ生活の余裕はなく、豪華編成であるが故、利用は伸び悩み、わずか9日後に三等車が連結され、テールマークも外されることになったそうです。
1976/3 大阪
この頃は関西での撮影は殆ど、大阪駅か新大阪駅でした。
牽引機はEF58からEF65へ、客車も運行当初はマロネ40・41形客車、10系寝台客車、20系寝台客車、14系、24系寝台客車、座席者にはかつての特急用三等車スハ44、スハフ44が使用されたこともありました。
1985/4/18 東京
14系寝台客車時代は1回しか撮影しませんでした。
撮影時期不明 大阪駅10番ホームで出発待ち
これは実際に乗車したときに撮影したものと思います。
急行から特急への格上げという話もあったそうですが、有効時間帯と所要時間の関係からスピードが上げられないこと、値上げとの批判を恐れたことなどから、2008年3月15日のダイヤ改正で廃止されるまで急行で通しました。
2003/3/25 新大阪
オハネフ25 0番台をラストにした24系25形「銀河」
2005/7/8 山崎
下の銀線が妻まで回り込んでいないオハネフ25をラストにした「銀河」
2005/8/22 山崎
下の銀線が貫通幌まで伸びているオハネフ25100をラストにした「銀河」
晩年の24系25形客車時代、大阪到着列車ではさまざまのオハネフ25の姿を見ることが出来ました。
以上、関西で撮った急行「銀河」を纏めてみました。
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パリの北駅の話題、今回はEurostarの編成です。
2007/6/5 Eurostar塗装のTGV編成 3300番台
北駅でEurostar運用に入っているEurostar編成の写真を撮ろうとするならば、一度パスポートコントロールを通り、出国しないと無理なようです。
こちらは同日、北駅を離れるEurostarから撮影したEurostar編成
ユーロスターは英仏海峡トンネルを横断して、イギリス、フランス、ベルギーを結ぶ高速鉄道で1994年11月14日にユーロトンネルの開通と同時に開業しました。私は、2007年の6月にフランスのモンペリエとイギリスのノーリッチを訪問した際に、モンペリエからパリリヨン駅までTGV、北駅からロンドン、当時はウオータールー駅までEurostar、ロンドン・リヴァプール・ストリート駅からノーリッチまで急行列車に乗車しました。
誤乗防止のためか、大きくTGVと記されたステッカーを貼った編成もいました。
2009/3/13 3013と3106 3000番台はイギリス所有 3100番台はベルギー所有
2009年3月に訪問した際はガラス越しにEurostar編成を撮影していました。
2009/3/13
Eurostar塗色のTGVもいろいろなパターンの塗色があることがわかります。
2009/9/19 Stade France St. Denis
駅撮りばかりではつまらないので走行写真を撮ってみようということでStade France St Denisの駅、日本でいえば鶯谷のような駅で狙ったのが上の写真です。両端の機関車と18両の客車からなります。
こちらはEurostar塗色のTGVです。若干編成が短い様です。
形式はクラス373(イギリスの国鉄総合運行管理システムによる)が付与されています。
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10月1日土曜日午後から雨も上がり、運動不足の解消もかねて、一橋学園から多摩湖一周自転車の旅を行って来ました。
4月に、一橋学園~青梅街道~萩山~八坂~小川~新小平と、なぜかやたらと駅の多い小平・東村山巡りの散歩をしましたが、今回は自転車で萩山から、都立狭山・境緑道を北西へ、八坂駅で府中街道を越え、西武国分寺線の踏切を渡り、八坂~武蔵大和間の複線区間に沿って進み、新青梅街道を潜り、武蔵大和駅へ。駅周辺でちょっと寄り道を。
2016/10/1 武蔵大和駅
実は3歳の頃から多摩湖には両親に連れられて来ており、武蔵大和駅を通ることも多かったのですが、駅の周辺を訪れたのは今回が初めてでした。
西武遊園地行きの電車が入って来ましたが、まだ1261Fは復帰していないようです。
8月の台風で多摩湖線(萩山~西武遊園地間)が不通の間は、東村山駅と立川駅北口を結ぶこの西武バスの路線(立35)が代行輸送路線だったようですね。
ここからは西武多摩湖線と別れ、山道へ、最初は上り坂の連続でどうなるかと思いましたが、狭山公園入り口に到着。
上の地図の現在位置の場所から、いよいよ多摩湖を時計回りに一周します(この地図は北が右下45度の方向です)。
多摩湖は通称で正式には東京都の水がめとして機能している村山貯水池です。中央に堰堤があり、西側が村山上貯水池、東側が村山下貯水池です。多摩川の水を羽村取水堰で取り込み、導水管で導き、貯水するのが役割です。
上の地図の緑道に沿った導水管で境浄水場に送り、浄水処理をして、和田堀浄水池から給水しています。上貯水池の竣工は1924年3月31日、下貯水池の竣工は1927年3月31日で、貯水量はそれぞれ3,321.000、12,148.000立方メートルです。村山貯水池の整備が遅れたため、水不足問題が起こったため、通称狭山湖(山口貯水池)が1934年3月に竣工しました。貯水量は20,649.000立法メートルです。
高校の1・2年の2月に、多摩湖のマラソン大会があり、今回とは逆回りの1周9kmの周回コースを回っているのですが、あの頃(1972~1973年ごろ)に較べると道路も随分整備された感じが致します。
自転車路・歩道が車道から独立しており、車線も内回り、外回りが区別されているので安全ですが、結構アップダウンはあります。さらに、右手に湖面を見て走るイメージですが、実際には湖面は殆ど見えず、柵の向こうはヤマといった感じです。
スマホのmap機能で折り返し点を確認しましたが、折り返すまでは行けども行けども同じような風景の連続といった感じでした。
ここが湖の西の端といった標識はありませんでしたが、右への急カーブを曲がると道は比較的下り坂になってきます。しばらく行くと上の写真のような奥の院(五重塔千体観音堂)が見えてきます。1999年11月7日に落成したそうで、千体の観音像が安置されているそうです。五重塔の地下には仏国窟があり、観音像を見ることが出来るようです。今回は写真を撮っただけで素通りしましたが、次回は中を見学しようと思います。
行程の3/4を過ぎると上と下の貯水池を隔てる堰堤の反対側まで来ます。正面に見えるのは村山上取水塔で、内径7.879m、高さ27.511m、取水口4個をもつ塔だそうです。
2016/7/10 レオライナーの車内から見た行き違い施設 奥が西武遊園地方面
周回道路は画面の右手にあります。
西武プリンスドームを左手に見て、レオライナーの軌道と平行に走るとやがて西武園遊園地が見えてきます。その横を通過すると、下貯水池の東側の堰堤の北端に出ます。昔は堰堤の両側に柵がありませんでしたが、今は整備されています。
手前が第一、奥が第二取水塔 第一取水塔は内径7.879m、高さ27.061m、取水口7個、第二取水塔は内径7.000m、高さ27,400m、取水口7個とのことです。
帰りは再び、狭山・堺緑道を八坂まで下り、そこから府中街道で南下して、帰宅しました。
今回、「多摩湖のページ」という大変興味深いサイトを知ったのでこれから機会を見つけて再訪しようともいます。
追記:浅見光彦で有名な内田康夫氏の「多摩湖畔殺人事件」という推理小説があり、先日BookOffで購入して読みました。
死体の発見場所が多摩湖畔だったというだけで、ストーリーには全くと言っていいほど、多摩湖周辺のことは出て来ませんでした。尤も、被害者の娘が事件解決に大きな役割を果たす点は面白かったですが。
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大宮鉄道ふれあいフェアの一環で2016年5月28日に開催された大宮車両センター、大宮工場の公開、255系Be03編成が入場中で検査・修理の様子を見ることが出来たことから、5編成ある255系の編成をこの機会に紹介しています。
今回はBe02編成です。
この写真は2009年2月に、木更津~千葉みなと間でC57180号機とDE101704号機による「DL/SL春先取り号」が走ると言うことで木更津駅に撮影に行った際に特急「さざなみ」として入線してきた255系でした。
Be-02編成との遭遇はこの2回のみです。
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江ノ電を建設された順に従って藤沢方から駅、信号場などを見ていますが、今回は極楽寺駅です。
駅番号はEN11、鎌倉市極楽寺三丁目7-4が所在地です。藤沢から7.6kmに位置する一面一線の駅です。
1904年4月1日、追揚~極楽寺間が延伸開業した際に開業しました。さらに東に延伸するためには極楽寺トンネルの竣工を待つ必要があり、1907年2月にトンネルが出来上がり、1907年8月16日に大町まで延伸しています。
1999年10月14日、関東の駅百選に選定されました。
極楽寺検車区が近く、かつ当駅での列車開放、増結、車両交換が行われるため、運行上は稲村ヶ崎~長谷の閉塞区間内の中間駅ですが、車両基地からの出入庫があるので、上下線共に入換信号機、場内信号機、出発信号機があります。
私は全然記憶にありませんでしたが、2013年1月1日には、ホーム反対側の法面内の水道管が凍結で破裂し、法面が崩壊、土砂崩れとなり、早朝から夜8時頃まで不通という事故もあったそうです。
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