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2016年11月17日 (木)

江ノ電を撮る 施設編 8 極楽寺トンネルと切通

江ノ電を建設された順に従って藤沢方から駅、信号場などを見ていますが、今回は極楽寺駅から長谷駅間にある、極楽寺トンネルです。

150620_2_2 2015/6/20 極楽洞と呼ばれる西側坑門

150620_4 2015/6/20 トンネルの坑門まで両側に民家が迫っています。

全長200mのトンネルで、1905年6月に着工、1907年2月に竣工しました。極楽寺側の坑門は極楽洞、長谷側の坑門は千歳開道というそうです。

150620_3 2015/6/20 切通道路
開通時の坂は右手に見える階段の坂道で、その後、自動車などの通行のため、さらに深く削られたそうです。

江ノ電はトンネルで抜けますが、道路は極楽寺切通で稲村ケ崎に通じるヤマを抜けます。

鎌倉は三方を山に囲まれた天然の要塞といわれ、鎌倉に入るためには、以下の鎌倉七口と言われた陸路を通過しました。地図はこちらのサイトなどにありますが、京都などの西方からの入り口である極楽寺坂切通から、時計回りに

極楽寺坂切通
大仏切通
化粧坂
亀ヶ谷坂
巨福呂坂
朝夷奈切通
名越切通 となります。

150620_2 忍性による開削や新田義貞の戦いの様子が記された石碑

鎌倉時代初期に書かれたとされる紀行文「海道記」では京都と鎌倉を結んだ連絡路として、海岸沿いの稲村路が使われており、鎌倉時代後期に極楽寺が開かれ同寺の実質的開祖である、真言律宗の僧・忍性が最初にこの切通を開通させたようです。

130813_2

130813 2013/8/13 南武線と京王線が交わる分倍河原の駅前には新田義貞の像と古戦場の碑があります。

さらに1333年、鎌倉幕府討幕のため、新田義貞は分倍河原の戦いの後、藤沢まで兵を進め、化粧坂、巨福呂坂と極楽寺坂切通に兵を分け、鎌倉攻略を図りますが、極楽寺の坂がきつかったため、幕府軍を攻略できず、海岸沿いの稲村路から鎌倉に進入したとされます。この話が極楽寺の坂を歴史上有名にしたそうです。

150620 2015/6/20 材木座海岸から見た稲村ケ崎 大きな切通は国道134号のためのもの

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