江ノ電を撮る 施設編 8 極楽寺トンネルと切通
江ノ電を建設された順に従って藤沢方から駅、信号場などを見ていますが、今回は極楽寺駅から長谷駅間にある、極楽寺トンネルです。
2015/6/20 トンネルの坑門まで両側に民家が迫っています。
全長200mのトンネルで、1905年6月に着工、1907年2月に竣工しました。極楽寺側の坑門は極楽洞、長谷側の坑門は千歳開道というそうです。
2015/6/20 切通道路
開通時の坂は右手に見える階段の坂道で、その後、自動車などの通行のため、さらに深く削られたそうです。
江ノ電はトンネルで抜けますが、道路は極楽寺切通で稲村ケ崎に通じるヤマを抜けます。
鎌倉は三方を山に囲まれた天然の要塞といわれ、鎌倉に入るためには、以下の鎌倉七口と言われた陸路を通過しました。地図はこちらのサイトなどにありますが、京都などの西方からの入り口である極楽寺坂切通から、時計回りに
極楽寺坂切通
大仏切通
化粧坂
亀ヶ谷坂
巨福呂坂
朝夷奈切通
名越切通 となります。
鎌倉時代初期に書かれたとされる紀行文「海道記」では京都と鎌倉を結んだ連絡路として、海岸沿いの稲村路が使われており、鎌倉時代後期に極楽寺が開かれ同寺の実質的開祖である、真言律宗の僧・忍性が最初にこの切通を開通させたようです。
2013/8/13 南武線と京王線が交わる分倍河原の駅前には新田義貞の像と古戦場の碑があります。
さらに1333年、鎌倉幕府討幕のため、新田義貞は分倍河原の戦いの後、藤沢まで兵を進め、化粧坂、巨福呂坂と極楽寺坂切通に兵を分け、鎌倉攻略を図りますが、極楽寺の坂がきつかったため、幕府軍を攻略できず、海岸沿いの稲村路から鎌倉に進入したとされます。この話が極楽寺の坂を歴史上有名にしたそうです。
2015/6/20 材木座海岸から見た稲村ケ崎 大きな切通は国道134号のためのもの
最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。
« 小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 9 10000系 8R車と10R車 | トップページ | 大宮鉄道ふれあいフェア2016 255系 Be03編成 »
「民鉄:江ノ電」カテゴリの記事
- 湘南モノレールの旅 part12(2025.01.14)
- 速報版 2024年晩夏 京都の旅 2日目 午前中は嵐電、午後は叡電を満喫(2024.09.04)
- 江ノ電を撮る 施設編 9 極楽寺トンネルを抜けて その3 長谷の大仏(2017.04.15)
- 江ノ電を撮る 施設編 9 極楽寺トンネルを抜けて その2 長谷駅(2017.01.27)
- 江ノ電を撮る 施設編 9 極楽寺トンネルを抜けて その1(2016.12.21)
« 小菅の複々線を走る様々な列車達 東武の車両編 9 10000系 8R車と10R車 | トップページ | 大宮鉄道ふれあいフェア2016 255系 Be03編成 »
コメント