広島・四国西南部旅行 広島編 その4 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)5 マツダのオート三輪
マツダ株式会社(MAZDA Motor Corporation)といえば誰もが知る自動車メーカーで、本社は広島県安芸郡府中町にあります。
同社は1920年にコルクを生産する東洋コルク工業株式会社として創業し、1927年から1984年までは東洋工業株式会社でした。
MAZDAの社名は事実上の創業者である松田重次郎氏の姓と、叡智・理性・調和の神を意味するゾロアスター教の最高神アフラ・マズター(Ahura Mazda)にちなみ、自動車産業の光明となるよう願って付けられたそうです。
マツダの歴史を語るうえで忘れてならないのがオート三輪の生産です。
今では「オート三輪」という言葉でさえ、死語のように感じますが、私が中学生のl頃までは普通に街で見かけました。
1917年ごろ、大阪で前2輪、後1輪で前方に荷台を持つ自転車式貨物車(フロントカー)にアメリカ製のエンジンキットを装備した車が登場したのがオート三輪の始まりとされています。しかし、このスタイルは安定性や積載力を欠いたため、程なく前1輪後2輪のレイアウトに移行しました。当初は中小零細メーカーが自動二輪の延長のようなスタイルの車体を造っていましたが、1930年代になると有力エンジンメーカーがオート三輪生産に乗り出し、「ダイハツ」「マツダ」「くろがね」の3大ブランド体制となって行きました。
2014/12/19 呉市海事歴史科学館
マツダがこの頃、1931年10月から生産を開始したのが、3輪トラックマツダ号でした。
太平洋戦争で車両の生産は軍需一辺倒となりましたが、戦後は貨物需要の増大や規制の緩さ(三輪車運転免許の存在)から車両の大型化が進み、一大興隆期を迎えました。
特に原爆投下で壊滅的被害を受けた広島市の復興に大きく貢献したのが東洋工業の存在でした。本社や工場は郊外にあったため、直接の被害を免れたからでした。
1957年 T1500
1959年 K360 T600
1962年 T2000
東洋工業製のオート三輪形式
しかし、居住性の悪さやカーブで横転しやすいこと、高速走行に不向きなことなどが災いして、1969年には東洋工業が撤退し、1972年にはダイハツが撤退し、日本のオート三輪生産は終焉を迎えました。
その後、東洋工業は1960年にR360クーペの発売、さらに1967年ロータリーエンジン車コスモスポーツの発売、フォード社との提携等の道を歩むことになりました。
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コメント
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B767-281様今晩は、オート三輪は叔父貴が仕事で使っていたので、とても懐かしいです。狭い道が多かった60年代は重宝したそうです。ミゼットやスバル360が文化遺産になるとは、まさか思っていませんでした。そう言えてボンネットトラックやバスも方々に動態保存車がありますね。まあ鉄道車両よりは保存し易いとは思いますが、羨ましい限りです。
投稿: 細井忠邦 | 2017年1月 6日 (金) 20時41分
細井忠邦さま、おはようございます。
オート三輪、今となっては子どもの頃の懐かしい思い出、まさに「ALWAYS三丁目の夕日」の世界、昭和の思い出となりましたね。
あの頃は、住宅街に夕方になるとオート三輪がやって来て、八百屋が店開きするという光景も日常でした。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2017年1月 7日 (土) 08時05分