Frankfurt am Main Airportでのspotting 15 Pan Am 747 part1
1989年5月、ベルリンの壁が崩壊するおよそ半年前の西ドイツフランクフルト・アム・マイン空港でのスポッティング、今回からは1988年12月21日に発生した103便爆破墜落事件などで瀕死の状態にあったパンアメリカン航空のBoeing747型ジェット機に関する話題です。
以前、西ベルリン・テーゲル空港の話題でも数回に渡ってパンアメリカン航空の機体について触れましたが(関連記事)、あのときは連合国占領地の西ベルリンとフランクフルト、ハンブルク、シュトッツトガルト、ミュンヒェンなどの路線を運航するAirbus A300, A310, Boeing727, ATR-42などで、747の話題ではありませんでした。
Boeing747の開発のきっかけはこれまでも何度も出てきましたが、ボーイング社が1960年代後半にアメリカ空軍の超大型次期戦略輸送機開発競争に参加したもののロッキード社の開発したC-5との発注競争に敗れた超大型輸送機の構想と、パンアメリカン航空のファン・トリップ会長による貨物機への転用を前提に、当時主力となると期待されていたBoeing2707やアエロスパシアル・コンコルドなどの超音速旅客機と並ぶ従来の2倍以上(350席以上)の乗客を乗せられる大型機の構想が合致したことによると言われています。
パンナムがこの747を20機発注したことがアナウンスされるとノースウエスト航空、トランス・ワールド航空や日本航空、BOACなどが相次いで発注することになりました。
表1 Pan AM Boeing 747-100型 フリートリスト
結局のところ、パンナムは-100型を44機、-200B型を10機、そして超長距離路線用に開発された-SP型を11機運航しています(データはこちらから)
今回からの記事では-100型、-200型の順で紹介して行こうと思います。
N747PA cn19639 ln 2 Boeing 747-121 1989/5/6 FRA
line numberが示すように747製造2号機で、パンナムの1号機です。1970年10月に納入されています。1973年11月21日から1975年3月31日までAir Zaireにリースされました(N747QC)。機体の愛称は”Clipper Sea Lark”、”Clipper Juan T. Trippe”が与えられており、写真の時期は後者でした。1988年1月にSide Cargo Doorが設置されており、コンビタイプになりました。1990年7月にthe General Electric Capital Corporationに売却されますが、すぐにリース契約し、1991年12月まで使用されます。その後はストアされ、Kabo AirやAeropostaが使用し、1995年2月10日、the Wilmington Trust Companyが購入しました。現在は解体されたようです。
この機体は1971年7月30日、PA845便(LAX→HND)で途中寄港地のSFOでのRWY01R離陸時に速度不十分で機首上げ操作を行ったために主脚が進入灯に衝突、機体が損傷し、客室内に構造材が飛び込み、乗客が負傷、さらに緊急着陸を試みた際に滑走路から逸脱、草むらを暴走し、主脚を損傷する事故を起こしています。747発の人身事故となり、死者は出なかったものの29名が負傷する事故となりました。
事故原因はRWY01R (2850m)の滑走路端330mが使用禁止で747の離陸は禁止されていたのに、情報の確認・伝達のミスから離陸させてしまったこと、さらに乗員側が滑走路の長さ変更に伴うフラップ角度の計算をし忘れ、滑走路端が接近するのに慌てて、急激なローテンションを行ったためと判明しました。
なお、同日、日本では全日空Boeing 727-281(JA8329)が自衛隊機と雫石上空で空中衝突する大惨事が起きました。
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コメント
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B767-281様お早うございます。パンナムロゴ懐かしいです。60、70年代羽田ではこの尾翼を見るとザ・アメリカと思いました。私の場合707の印象の方が強いですが。さて、つぶれるなんて考えられなかったパンナムがユナイテッドに飲み込まれ、ノースウエストやコンチまで無くなるとは、ある意味資本主義の暴走のなせるわざだと思います。トランプのアメリカいよいよ末期症状か?我が日本の大阪の怪しげな小学校の問題もようやく大きくなってきました。北の問題も報道するな、とは申しませんが、まずは首相の疑惑解明でしょう、と思います。
投稿: 細井忠邦 | 2017年2月25日 (土) 10時06分
細井忠邦さま、おはようございます。
そうですね、私も人生初の旅客機と言えば既にJet化されていた頃で、羽田の707、DC-8ですね。
叔父一家がアメリカに留学するというので送りに行った時が最初で往きはパンナムの707、帰りがノースのDC-8でしたね。その後、父親の海外出張では母の運転するクルマの首都高、道案内で羽田まで行き、エールフランスの707でしたが。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2017年2月26日 (日) 05時18分