電気機関車 EH500シリーズ 23号機
「Eco Power金太郎」こと、EH500形電気機関車を1両ずつ紹介しているシリーズ、今回は23号機です。
落成は2003年6月7日、2003年度製造の2号機です。
常磐線貨物列車
以上です。
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「Eco Power金太郎」こと、EH500形電気機関車を1両ずつ紹介しているシリーズ、今回は23号機です。
落成は2003年6月7日、2003年度製造の2号機です。
常磐線貨物列車
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3日連続になりますが、今回も1989年5月のフランクフルト・アム・マイン空港でのPan Am Boeing747です。
今回は-200B型です。一昨日の記事で記述しましたが、Pan Amは-100型以外に-200B型を10機運航していました。
表1 Pan Am が運航した10機の747-200B型のリスト
それらは表1に示すような構成で、カスタマーコードからPan Amが発注したのは貨物機2機N804PAとN805PAの2機でこれらはいずれも後年JALに売却され、JA8165,JA8160として登録されました。
さらに貨物機としてN535PAがありますが、1973年4月27日にWorld Airwaysに納入され、1974年10月20日からPan Amで運航され、1979年12月21日は再びWorld Airwaysに戻り、その後Malaysia Airlines, Viasa, National Airlines, Flying Tigers, Air India Evergreen, Saudiaなどで活躍し、最後はEvergreen International(N471EV)として2012年12月に引退しました。
あとの7機はすべてカスタマーコードがから分かるようにシンガポール航空が発注した機体でした。
N727PA cn21162 ln 283 Boeing 747-212B 1989/5/6 FRA
私がフランクフルトで撮影した-200Bの1機はこの写真のように眼下に駐機していた機体で愛称しか写せませんでしたが、N727PAと判別出来た機体でした。機体全体の写真はこちらにあります。
この機体の履歴は
1976/3/30 Singapore Airlines 9V-SQE エンジンは4x PW JT9D-7J
1983/7/11 Boeing (N747BH)
1984/6/26 Pan Am (N727PA)
1992/8/21 Nationair (C-FNXP)
1992/10 Garuda Indonesia
1993/1/21 Cathay Pacific
1993/4/22 Potomac Capital Investiment Corporation
1993/12/1 Tower Air (N514DC)
1994/6/13 Air Club International (C-GCIH)
1996/1/22 Tower Air (N620FF)
2002/1/17 Tranjet Airways (SE-RBN)
2004/1/12 Northeast Airlines (3D-NEE)
2007/5/1 Jet Midwest Inc (N981JM) Preserved となっています。
N728PA cn 20712 ln 218 Boeing 747-212B 1989/5/6 FRA
こちらは愛称はClipper Water Witch で、履歴は
1973/7/31 Singapore Airlines 9V-SIA エンジンは4x PW JT9D-7J
1979/11/30 Flying Tiger Line N747TA
1982/1 Tiger Line N747FT
1983/3/25 Pan Am N728PA
1991/5/1 Evergreen International Airlines Cargo SF化改造 N485EV
1992/5/16 Saudi Arabian Airlines
2002/4/7 Evergreen International Airlines N485EV 2013年12月にリタイア
残念ながらFRAでは747-SPは撮影できませんでしたが、僅か1日弱の撮影期間に-100,-200B合わせて6機の747を撮影することが出来ました。
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昨日に引き続いて1989年5月のフランクフルト・アム・マイン空港でのPan Am Boeing747の記録、今回も747-100型です。
1989/5/6 FRA N748PA? cn 19652 ln 26 Boeing 747-121
最初の写真の機体は生憎、レジが判別出来ません。2階席の窓が3つなので恐らく-100と思われます。
愛称の表記を拡大して見たのですが、Clipper **** of the *****でしょうか。
塗装はいわゆるビルボードタイトルの試験塗装でWikipediaに写真のあるN748PAかもしれません、愛称はClipper Crest of the Wave (波の紋章)で、私が撮った写真の機体もそのように読める気もします。N748PAは1970年3月13日に納入され、後年、貨物機にコンバートされ、1993年にリタイアしています。
N4710U cn 19755 ln 61 Boeing 747-122 1989/5/6 FRA
この機体は最初、United Airlinesが購入した機体でCustomer Codeは22です。1970年8月8日に納入されました。Upper deckの窓はUnitedの間に3個から10個に増加改修されたようです。1985年12月26日にPan AMが購入しています。1991年12月5日にGE Capital Corporation(GECC)に売却され、1994年7月24日からPolar Air Cargoが使用(N850FT)していましたが、すでに解体されています。
N725PA cn 19898 ln 94 Boeing 747-132(SCD) 1989/5/6 FRA
この機体も最初はDelta Airlinesに1970年11月18日に納入(N9898)され、1975年3月11日にBoeingに戻され、同16日にChina Airlinesが購入(B-1860)、1984年4月6日からGuiness Peat Aviation (GPA)が所有(EI-BOS)、1984年5月1日からパンナムにリースされ、この時にSide Cargo Doorが装備されました。1991年4月10日からEvergreen International Airlines(N479EV)、6月10日からはGaruda Indonesiaがリースし、1992年10月から貨物機(SF)としてEvergreen International Airlinesが使用、すでにリタイアしています。Evergreen時代は山火事などに対処する空中消火活動用にスーパータンカーとして空中に水と消化剤の混合された消化液を投下する役割が与えられていました。余談ですがJALが使用していたJA8086(Boeing747-446)も売却後スーパータンカー(N744ST)に改造され活躍中とのことです。
塗装はビルボードタイトルになる前のスタイルです。
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1989年5月、ベルリンの壁が崩壊するおよそ半年前の西ドイツフランクフルト・アム・マイン空港でのスポッティング、今回からは1988年12月21日に発生した103便爆破墜落事件などで瀕死の状態にあったパンアメリカン航空のBoeing747型ジェット機に関する話題です。
以前、西ベルリン・テーゲル空港の話題でも数回に渡ってパンアメリカン航空の機体について触れましたが(関連記事)、あのときは連合国占領地の西ベルリンとフランクフルト、ハンブルク、シュトッツトガルト、ミュンヒェンなどの路線を運航するAirbus A300, A310, Boeing727, ATR-42などで、747の話題ではありませんでした。
Boeing747の開発のきっかけはこれまでも何度も出てきましたが、ボーイング社が1960年代後半にアメリカ空軍の超大型次期戦略輸送機開発競争に参加したもののロッキード社の開発したC-5との発注競争に敗れた超大型輸送機の構想と、パンアメリカン航空のファン・トリップ会長による貨物機への転用を前提に、当時主力となると期待されていたBoeing2707やアエロスパシアル・コンコルドなどの超音速旅客機と並ぶ従来の2倍以上(350席以上)の乗客を乗せられる大型機の構想が合致したことによると言われています。
パンナムがこの747を20機発注したことがアナウンスされるとノースウエスト航空、トランス・ワールド航空や日本航空、BOACなどが相次いで発注することになりました。
表1 Pan AM Boeing 747-100型 フリートリスト
結局のところ、パンナムは-100型を44機、-200B型を10機、そして超長距離路線用に開発された-SP型を11機運航しています(データはこちらから)
今回からの記事では-100型、-200型の順で紹介して行こうと思います。
N747PA cn19639 ln 2 Boeing 747-121 1989/5/6 FRA
line numberが示すように747製造2号機で、パンナムの1号機です。1970年10月に納入されています。1973年11月21日から1975年3月31日までAir Zaireにリースされました(N747QC)。機体の愛称は”Clipper Sea Lark”、”Clipper Juan T. Trippe”が与えられており、写真の時期は後者でした。1988年1月にSide Cargo Doorが設置されており、コンビタイプになりました。1990年7月にthe General Electric Capital Corporationに売却されますが、すぐにリース契約し、1991年12月まで使用されます。その後はストアされ、Kabo AirやAeropostaが使用し、1995年2月10日、the Wilmington Trust Companyが購入しました。現在は解体されたようです。
この機体は1971年7月30日、PA845便(LAX→HND)で途中寄港地のSFOでのRWY01R離陸時に速度不十分で機首上げ操作を行ったために主脚が進入灯に衝突、機体が損傷し、客室内に構造材が飛び込み、乗客が負傷、さらに緊急着陸を試みた際に滑走路から逸脱、草むらを暴走し、主脚を損傷する事故を起こしています。747発の人身事故となり、死者は出なかったものの29名が負傷する事故となりました。
事故原因はRWY01R (2850m)の滑走路端330mが使用禁止で747の離陸は禁止されていたのに、情報の確認・伝達のミスから離陸させてしまったこと、さらに乗員側が滑走路の長さ変更に伴うフラップ角度の計算をし忘れ、滑走路端が接近するのに慌てて、急激なローテンションを行ったためと判明しました。
なお、同日、日本では全日空Boeing 727-281(JA8329)が自衛隊機と雫石上空で空中衝突する大惨事が起きました。
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2015年12月の青森・函館旅行で訪問、撮影した函館市電、今回は主力車両8000形の8008号です。
8008号は1997年3月に800形809号(1963年新潟鐵工所製)の更新(車体はアルナ工機で新造)により製造されました。
写真を撮影した際の広告主はNCV函館センター、ケーブルテレビ局でした。同じ広告主でも、1999年、2001年、2004年、2010年と広告のイメージは大きく変化しているようです(関連記事1、関連記事2 )。
台車は住友FS77Aを履いています。
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このシリーズ、前回の記事では量産冷房車として森ノ宮区に新製配置されたクハ103-246, -248, -249の写真を紹介しました。今回は-250, -251, -252の写真を紹介いたします。
クハ103-250
1973/8/8 川崎重工にて落成 森ノ宮区新製配置
1991/1/21 ATS-P取り付け工事 吹田
1995/5/26 N40延命工事
2001/7/6 前面整備工事
2006/4/26 日根野区転属
クハ103-251
1973/8/17 川崎重工にて落成 森ノ宮区新製配置
1990/2/11 ATS-P取り付け工事 吹田
1995/6/16 N40延命工事
2001/9/17 前面整備工事
2006/2/24 奈良区転属
クハ103-252
1973/8/17 川崎重工にて落成 森ノ宮区新製配置
1991/1/16 ATS-P取り付け工事 吹田
1992/8/13 N40延命工事
2001/6/6 前面整備工事
2005/12/21 奈良区転属
Loop(P)ack HMはJR東日本のADトレインと同じように車内の広告を特定の会社、もしくは製品で統一した車両のことだそうです。
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2016年3月5日の勝田車両センターの公開の話題、公開で展示された415系1500番台の編成の写真の流れからJR九州で活躍中の同系列の写真を紹介しています。前回は1518編成までの写真を紹介しましたので、今回は九州の1500番台最後の1519編成、1520編成と1521編成です。
1519編成
1520編成
1521編成
以上です。
間もなく前回の公開から1年が過ぎようとしていますが、このシリーズこの次は常磐線特急で活躍し、現在も一部が草津、あかぎ、さらには伊豆クレイユなどで活躍する651系のスーパーひたち時代の写真をアップして行こうと思います。
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2月18日土曜日、早朝に亀戸線に入った8500系の運用は2日後の昼、曳舟から西新井に移り、大師線運用にはいる規則性から、20日月曜日は小平~つくばの移動の途中、東武スカイツリーライン西新井駅でその移行の様子を見てみることにしました。
編成交換前は8570Fが予想通り、大師線の運用を担当していました。通常、大師線の編成は1番線からの発着です。
13:08 着の1302Dは2番線に入線し、駅員がこの列車は回送となり、大師前には行かないことをアナウンスします。
この時間帯は大師線ホームに駅員が立ち、乗客が誤乗車しないように誘導をします。やがてこの車両はポイントを渡り、下り本線に出て、春日部に向かいます。
13:15頃、下り本線からポイントを渡り、8568F「緑亀」が登場します。
8568F「緑亀」はそのまま2番線から、1304D 13:14発大師行きとなって出発します。
大師前から戻ってきた車両はその後、終日、1番線発着を繰り返します。
この日は、ちょうど8568Fが西新井に到着する直前に日比谷線の後継車両13000系の試運転にも遭遇しました。編成は第2編成13102Fでした。
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これまで拙Blogでは京王線~都営新宿線系統の話題は触れたことがありませんでした。
井の頭線は大学の1,2年時代、毎日のように利用していたのですが、京王線の方は1967年から1968年の小学6年の頃、下高井戸~明大前間で利用したくらいで、あとはあまり乗る機会はありませんでした。
39Tは9:20大島止まりの運用で既に表示は回送になっています。先頭車2両と中間車での側面のスタイルが全く異なります。
今回は都営の珍車、10-300R形がいよいよ引退と言うことで久しぶりに京王線~都営地下鉄線で撮影を試みました。10-300R形はその最後の編成(10-330)がFINAL RUNということでステッカーを表示して走り出したのが2月3日から、そして2月14日に最後の営業走行を終え、17日に相模線の若葉台検車区の廃車回送されたとのことです。
2017/2/11 若葉台 10-300R形10-330編成
2017/2/11 京王よみうりランド 10-300形10-380編成 比較のため
都営地下鉄新宿線は開業時から10-000形が導入され、2005年5月14日のATCと列車無線の更新時には試作車で30年、初期車は25年以上が経過し、車体の老朽化が進んでいました。都営地下鉄は10-000形の置き換えのため、10-300形を導入しますが、最初の6編成(第31~36編成)については、当初6連だった10-000形第01~18編成の8連化の際に増備された1986年製の14両および1988年製の22両のオールステンレス車を更新改造、先頭車のみ保安装置の更新のため交換する方法を採りました。このときに製造された12両の先頭車(10-310~10-360、10-319~10-369)が10-300R形と呼ばれました。Rは改修のrepair もしくは改造のreconstructionの頭文字に由来するとのことです。
10-300形については次回以降の記事で触れますが、10-300R形は10-000形と編成を組むため、行先表示・運行番号設定器や空気式のドアエンジン、ドアチャイム、自動放送機器などを10-000形7・8次車(10-250F~10-280F)と同様の機器としました。TIMSモニタ画面は搭載されず、フルカラーTNS装置モニタ画面のみが搭載されました。車内案内表示器も10-000形7・8次車と同様に千鳥配置で設置され、車椅子スペースも両先頭車のみに設置されました。10-000形の低圧補助回路は三相交流200Vですが、10-300R形の補助回路には三相交流440Vを使用するため、昇圧変圧器を設置しています。
登場時、10-300R形は経年の低い10-000形3編成分と組むため、10-300R形をデビューさせるためには10-000形3編成が必要となり、10-300形はATC更新までは営業運転に就けないため、10-300R形先頭車を暫定的に10-000形中間車6両と組ませることにしました。
10-310F 10-310+10-010F中間車6両+10-319
10-320F 10-320+10-070F 〃 +10-329
10-330F 10-330+10-080F 〃 +10-339
10-340F 10-340+10-160F 〃 +10-349
10-350F 10-350+10-180F 〃 +10-359
10-360F 10-360+10-060F 〃 +10-369
ATC更新が終了し、10-300形が増備され、編成に余裕がでた時点で、正規編成化がなされ、組み込まれた中間車に関しては以下の改修がなされ、改番されました。
正規編成化の時期はそれぞれ
10-310F:2005年9月
10-320F:2005年11月
10-330F:2006年3月
10-340F:2006年6月
10-350F:2006年9月
10-360F:2006年12月 でした。
1)補助電源装置である静止形インバータ (SIV) の新設 (10-3x2・10-3x6・三相交流200V出力・容量210kVA)
2)パンタグラフの1基化 (10-3x5)
3)つり革を先頭車と同一のものに統一
4)先頭車と同様の車内案内表示器を千鳥配置で新設
5)車内スピーカーの更新と車外スピーカーの新設
6)種別表示器を塞ぎ、行先表示器を拡大し種別・行先一体表示のLED式への変更
7)火災対策として床敷物を塩化ビニル材からゴム素材に変更し、天井の一部については更新。戸当たりゴムを黒に変更。
昭和61年製造の銘板が示すようにレトロな雰囲気が漂う10-000形由来の車内
10-300R編成と10-300編成の先頭車の違いは
帯の配色 (上の写真のように)10-300形は青(運転室まで)の下に太い黄緑、さらに青が下に入るのに対して、10-300R形は青(運転室まで)の下に細い黄緑で、乗務員室扉まで帯がかかっています。
走行機器、ドアチャイム、ドアエンジンや開閉動作が10-300形はJR東日本E231系500・800番台とほぼ同じなのに対して、10-300R形は10-000形と同じです。
10-300R形の廃車は2015年度から開始され、2015年度に10-340、10-350編成がまず廃車となり、2016年度には10-310、10-320、10-360編成、そして最後まで残った10-330編成が先日廃車となり、形式消滅となりました。
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2月18日土曜日は前日の春の陽気から、気温が急降下、一点冬の寒さに逆戻りでしたが、前日のリベンジで東武亀戸線の「緑亀」こと8568Fを撮影してきました。
まずは浅草駅管区による「緑亀」紹介のポスターから、これによると1958年、7860型を新造する際に4種類の試験塗装が登場し、投票で8577Fに塗られているオレンジ・イエローの塗色の車輌が選ばれましたが、上位には緑に白の塗装も入っており、今回登場となったそうです。
流石に塗装変更後最初の週末とあって、多くの方が撮影していました。
2017/2/18 東あずま 18日は8570Fと8568Fの2本体制でした。
2月17日は亀戸線 8577F、8570F 大師線 8575F でしたが、18日朝 8568Fが亀戸線に入り、8577F(オレンジ)は亀戸駅2番線で大師線への回送待ちでした。
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2016年12月4日、南栗橋車両管区で開催された「東武ファンフェススタ2016」、二回目は屋外展示の2連8577Fです。
このイベントに参加するのは今回で3回目ですが、いつも上の地図の右上の車輌撮影会の下に運転台見学・休憩用車輌が停めてあります。
2011/12/4
2011年の時は30000系 4連 31408Fでした。
2015/12/6
2015年は10030系 2連 11256Fでした。
2016年は3月に南栗橋に入場し、昭和30年代の標準色に塗り替えられた8577Fが展示されました。
同編成は3月23日、13:45~14:20にかけて出発式が亀戸駅で行われて運用に就いたとのことです。
亀戸線で活躍すると姿及び、
大師線で活躍する姿も記録しました。
昨年暮れにも曳舟で撮影しました。
そして、今年は
8568Fが昭和30年代の試験塗装になって出場とのニュースがあり、2月16日、亀戸駅で出発式、地元幼稚園児を乗せた団体専用列車が亀戸~曳舟間で走ったそうです(関連記事)。愛称は緑亀になったそうです。
私も17日、つくばから小平への移動で、亀戸線、大師線の覗いて見たのですが、今日は別の車輌が運行していました。
ちなみに
春日部区から亀戸線に投入は
曳舟駅の4番線の表示にあるようにこの時間に春日部からの回送電車が到着し、亀戸線へ
13:00頃、亀戸線から本線4番線に進入
4番線で一旦停止し、上り線を逆走、途中のシーザースクロッシングで下り線に転線し、
西新井へ向かいます。この編成は大師線の運用に入り、大師線の車輌が春日部に向かいます(その様子はこちらの記事に)。
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2016年10月29日、毎年10月の下旬の土曜日に開催される「高崎鉄道ふれあいデー」のイベント、個別トピックの三つ目はDD51 842号機で行こうと思います。
2年前、2014年10月18日に参加した際も八高線開通80周年でDD51プッシュプルによる客車列車がイベントに花を添えました(記事)。今回はそういった動的な演出はありませんでしたが、DD51 842号機が12系客車を牽引するスタイルで展示されました。
HMはDL碓氷でした。
まず、沖田祐作氏の機関車表のデータから履歴を見てみると
DD51842 日立製作所水戸工場=20010-5 1971-02-10 D84.0tB2B(1067)
車歴;1971-02-10 製造→ 納入;国鉄;DD51842→ 配属;千葉局→1971-02-11 配置;佐倉→
1973-10-00 わかしお国体お召し→1986-10-30 高崎一→
1987-04-01JR 東日本;DD51842→ 配置;高崎運転所→1998-10-00 三陸海づくりお召し→
201-10-14 第21 回宮城海づくりお召列車牽引→2002-06-03 第53 回山形植樹祭→
2004-04-01 現在;高崎車両センター→2007-04-01 現在;高崎車両センター(お召装備機)→
2008-04-01 現在;高崎車両センター(お召装備機)
誕生は1971年2月10日、日立製作所水戸工場でした。国鉄時代は千葉局佐倉機関区配置で、民営化の直前に高崎区に転属となりました。
2年前の記事でも書きましたが、佐倉区時代にお召機指定を受け、上のデータにあるようにお召列車の牽引を担当しています。
DD51の800番台は貨物列車用にSGを搭載せずに登場したタイプで、約6tの重量低下に対応して中間台車の枕バネを変更し、滑走防止のためブレーキシリンダを縮小したTR106A台車を履いているのが特徴です。
本来は貨物仕様新形式DD52を予定していたようですが、EF641000番台やED76500番台同様、労働組合との折衝を避けるため、番台区分で対応したとのことです。
ちょっと見えづらいですが、台枠側面の飾り帯、デッキの手すり、煙突カバーなどにお召機の特徴であるステンレスが見えます。
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San Diego Trolley の話題、4000形の12回目、最終回です。
前回は4062まで紹介しましたので、今回は4063から参ります。
4063
4064
4065
以上で4000形の写真は全てです。
次回からはSan Diegoの鉄道遺産を展示しているLa Mesa Depot Museumなどを紹介いたします。
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2016年11月26日、JR東日本幕張車両センターで開催された通称「マリフェス」、第2回は2004年10月16日のダイヤ改正から、183系、189系に代わって投入されたE257系500番台について触れようと思います。
イベントでは3編成、NB13, NB02, NB11編成を見ることが出来ました。
現在、幕張車両センターには19編成のE257系500番台が所属しています。普通車のみの5両編成で、
←銚子・館山・安房鴨川 東京・新宿→
5 4 3 2 1
10 9 8 7 6
クハE257 モハE257 モハE256 モハE257 クハE256
-500 -500 -500 -1500 -500
52 72 64 54 64
トイレ トイレ 車椅子対応
洗面所 洗面所 座席・トイレ
TEL 洗面所
社販準備室
多目的室
CP VVVF PT VVVF/SIV VVVF/PT SIV/CP
構造は「あずさ」や「かいじ」に使用される0番台を基本としているものの、車内設備や搭載機器に違いがあり、MT比は地下トンネル内の勾配区間対応で3M2Tとなっているため、500番台と区分されました。
車体カラーはホワイト:房総の浜辺の白砂、ブルー:太平洋、イエロー:明るい陽光と菜の花を基調にしました。
NB-11編成は休憩用車両となっており、車内を見学することができました。
補助電源用210kVAのSIVとVVVF
E257系基本番台の方はE353系の投入により置き換えが報道されています。500番台の方は2015年3月14日のダイヤ改正で千葉・房総地区の特急列車が削減されたことで9本の余剰車が発生しているそうです。ホームライナーに2本使用されるため、7本の今後の活用に関しては未定とのことです。
最後はおまけでペットボトルのキャップで点描法式に描いたE257系500番台の顔です。
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2014年12月の旅行で呉市海事歴史科学館を訪問し、これまでに同館に展示されている戦艦大和の1/10スケールの模型、呉の歴史、呉海軍工廠で製造された艦艇、広の第11海軍航空廠で製造された航空機、マツダのオート三輪 などについて触れて来ました。
今回は長門型戦艦として八八艦隊計画二番艦として長門より1年遅れて1918年6月1日に横須賀海軍工廠で起工され、1920年5月31日に進水した戦艦陸奥について触れようと思います。
横須賀で建造されたことから呉とは一見、無縁のように思えますが、説明にあるように戦艦として主要な部材である主砲身、副砲身、装甲版、主舵、スクリュープロペラなどは呉で製造されたそうです。
長門・陸奥は大和・武蔵が建造される以前の世界最大の戦艦で
常備排水量 33,800トン
速力 公表 23ノット 実際は26.5ノット
主砲 16インチ砲 8門
長門は1917年8月28日に呉海軍工廠で起工、1920年11月25日に竣工してましたが、陸奥は1918年6月1日、横須賀海軍工廠で起工しましたが、折しも軍縮の波で廃艦となるところを艤装を急ぎ、軍縮会議直前の1921年10月24日に完成となりました。
英米は何とかして陸奥を廃艦リストに加えようと画策しましたが、日本海軍は陸奥が廃艦になると長門単独では艦隊が組めなくなるため、陸奥を残す方向で手立てを打ちました。
太平洋戦争の開戦後、陸奥は第一艦隊に属し、長門、陸奥、扶桑、山城の4戦艦でアメリカ艦隊との決戦に備え、ミッドウェー海戦などにも出撃しましたが、主力艦として温存されました。
しかし、1943年6月8日、柱島泊地で、火薬庫爆発事故が起き、呆気なく沈没してしまいました。爆沈事故は海軍のトップシークレットとして隠蔽され、戦後になって一般国民には知らされました。
吉村昭氏の著作「陸奥爆沈」によると1943年5月末にはアッツ島守備隊の突撃・玉砕があったものの、長門・陸奥等の艦隊は北太平洋のアメリカ海軍兵力を攻撃するための弾薬・燃料・食糧等を満載していたにも関わらず、出撃命令は無く、柱島泊地に待機していました。6月8日は長門が修理のため呉海軍工廠第4ドッグに入渠し、陸奥が柱島の旗艦ブイにつながれていました。
長門が修理を終え9時30分に呉を出港、13:00に柱島泊地に到着投錨とのことで、陸奥は旗艦ブイを離れ、二番ブイに移る準備を始めていました。
当日の乗員は1321名、それに艦務実習のため霞ケ浦海兵団の予科練習生と教官153名が乗っており、合計1474名が在艦していました。正午近く、昼食も始まった頃、大爆発が起き、艦はあっというまに沈没したとのことです。
爆沈当初は敵潜水艦による攻撃の可能性が考えられましたが、魚雷等が走った航跡は目撃されず、火薬庫の爆発の可能性が考えられました。
疑われたのが砲弾の自然発火で、最初に疑われたのは安定性に対する十分な検証がされずに当時搭載されつつあった三式弾(空中に発射された後、散弾のように広がり、航空機にダメージを与える弾)でしたが、この弾の自然発火の可能性はなくなりました。
海軍では潜水調査で沈没した艦体を調べることとなり、その結果、第4番砲塔付近で爆発が起こっていたことが明らかになりました。
日本海軍では陸奥以前にも戦艦などの火薬庫で爆発が起き、艦を喪失した事例がありました。
陸奥爆沈に関しても戦後の引き上げ作業で4番砲塔内から遺骨が発見されており、その際に艦内で起きた窃盗事件の犯人と同じ姓が刻まれた印鑑も見つかっていることから、窃盗犯と疑われた人物(吉村氏はQとした)が砲塔に忍び込んで着火したのではとの説が唱えられています。
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2016年10月22日土曜日の仙台、正確には新利府駅に近接した「新幹線総合車両センター」の公開、トピックその3は車両基地内に保存されていた試験車輌”STAR21"です。
JR東日本が騒音、微気圧波、地盤振動等の低減などの環境対策を進めるために1992年に製作した高速試験用車輌で編成は非連接構造の952形4両、連接構造の953形5両の9両から構成されていました。”Superior Train for Advanced Railway toward the 21st century”からSTAR21と呼ばれていました。
←東京
952-1 952-2 952-3 952-4 953-1 953-2 953-3 953-4 953-5
新製時 Tc M M T T M M M Mc
952-1 952-4 952-2 952-3 953-1 953-2 953-3 953-4 953-5
改造時 Mc M M M T M M M Mc
AD AH AD AD AH DR DR DR DR 日車 日立 日車 日車 日立 川重 川重 川重 川重
車体の構造
AD:アルミダブルスキン構造
AH:アルミハニカムパネル構造
DR:ジュラルミンリベット構造
車内は952-1, -2, -3, 953-1, -2, -3, -4, 5は横2+2の座席が設置され、952-4のみが横1+2配列の座席が設置されグリーン車に相当する構造となっていました。
1992年3月27日から、東北新幹線仙台駅 - 北上駅間で走行試験を開始し、1993年12月21日、上越新幹線越後湯沢駅 - 新潟駅間で試験中に燕三条駅付近で最高速度425km/hを達成しました。試験終了に伴い、1998年2月17日付けで廃車となりました。
新幹線総合車輌センターには953-5と953-1が保存されており、反対側の先頭車952-1は財団法人鉄道総合技術研究所風洞技術センター(滋賀県米原市)に保存されています。奈良工業高等専門学校の敷地内に台車が保存され、実習に使用されているそうです。
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公園保存蒸機機関車の記事としてはだいぶ間があきましたが、今回は杉並児童公園に保存されているD51254号機です。
訪問日は2015年2月7日で、善福寺川に沿った同公演には阿佐ヶ谷駅からバスで参りました。
この辺は中央線、地下鉄丸ノ内線、井の頭線が通っているものの、いずれからも歩いてゆくには少し遠いと言う場所です。この付近は中学校が杉並区立の中学校だったので、社会科の授業の一環で訪問した憶えはあるのですが、それも40年以上前のことでした。
この機関車の履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表から見てみると
D51254 国鉄鷹取工場=13 1939-12-16 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1939-12-16 製造→ 納入;国鉄;D51254→ 配属;大阪局→1939-12-16 竣工→
1939-12-00 配置[大鉄達987];吹田→1946-12-31 現在;吹田→1948-06-20 鳥取→
1953-07-26 集煙装置取付(後藤工場)→1953-11-25 重油併焼装置取付(後藤工場)→
1958-09-12 福知山→1960-01-31 豊岡→1969-09-01 借入;福知山→
1969-10-01 福知山→1972-04-08 亀山→ 奈良→1973-12-22 長門→
1974-10-21 廃車;長門→ 保存;東京都杉並区「杉並児童交通公園」;D51254
落成は1939年12月16日、国鉄鷹取工場で同工場の製番13号機でした。大阪局に配属、新製配置は吹田区でした。その後、福知山、豊岡、亀山、奈良と近畿圏で働き、最晩年は長門区で、1974年10月21日に廃車となり、杉並児童公園に保存となりました。実働35年、保存されてから42年以上が経過しています。
長門機関区所属の期間は最晩年であったためか、広島工場スタイル、すなわちハの字エプロンや埋め込み式尾灯ではない前面です。
キャブ内に立ち入りは可能ですが、バルブのハンドルやメーター類は撤去されています。
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京都鉄道博物館の122-5003号車はJR西日本が1989年から1991年にかけて増備した通称”100N系”「グランドひかり」の愛称でも呼ばれたV編成3000番台の東京寄り先頭車です。
2016/9/2 京都鉄道博物館
122-5003 制御電動車であるため、前頭の下部に空気取り入れ口があるのが特徴
2次車として1989年6月29日に日立製作所で製造された車輌です(1~8号車は川崎重工業、9~12号車は近畿車輛)。3,4号車は6月13日に落成。
それまでJR東海が増備していたX,G編成に対して2階建て車輌を4両連結(7~10号車)とし、7,9,10号車がグリーン車、8号車が食堂車となりました。2階建て車輌は全て付随車であるため、両先頭車は制御電動車になりました。
登場当時は6ユニットすべてに6基のパンタを設置していましたが1991年3月のATき電化で3基に半減され、122形のパンタは撤去されました。その他、主変圧器・整流装置・運転用インバータ装置などが搭載されていました。
最高速度は東海道区間220km/h、山陽区間230km/hでした。
1992年に300系がデビューし、「のぞみ」として運用されると、2000年3月に食堂車の営業が休止され、2002年5月18日から定期運用を離脱、同年11月23日のさよなら運転で「グランドひかり」は消滅しました。
グランドひかりから降りた後は短編成化、車輌延命工事が実施され、6両K編成、4両P編成に組み換えられました。122形は125形とペアを組み、230km/h走行用トランスポンダ車上子が撤去され、新たに空気圧縮機と集電装置が搭載されました。
最後はK54編成として2012年3月の廃車まで活躍し、博多総合車両所に保管となりました。
京都鉄道博物館の展示に際して、同時期に廃車になった二階建て車両も当初、展示が検討されたそうですが、車体屋根が高く、山陰本線の高架通過がネックとなり、次の記事で紹介予定の521-1と2両が展示となりました。
2014年12月11日未明、122形と521形の2両が雨の博多をトレーラーで出発、博多港から船積みされ、関門海峡、瀬戸内海を通り、神戸港まで航走、神戸港で陸揚げ、専用タイヤを装着し、京都まで陸送されました。ちなみに博多~神戸間の船の名前は「のぞみ」だったそうです。最大の難関が博物館前の山陰線のガードで122形の屋根上機器を外して通過させましたが、クリアランスは10cmだったそうです。
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2016年10月15日、幡生の下関総合車両所の一般公開、今回は同所の名物的車両クモハ42001の紹介です。
42系電車と一般的に総称されるグループは1933年(昭和8年)から1935年(同10年)にかけて鉄道省によって製造された20m鋼製・2扉クロスシート車です。
モハ42001-013
モハ43001-037
モハユニ44001-005
サロハ46100-103
クハ58001-025
クロハ59001-021 の105両から構成されます。
モハユニ44形のみが横須賀線に投入され、それ以外は1934年7月20日の吹田~須磨間の電化に伴い、京阪神地区の東海道・山陽線に新製投入されました。
当時、すでに京阪神急行電鉄が開業し、京都~大阪間には新京阪電気鉄道も開業しており、短編成による高頻度運転でこれら私鉄に対抗してゆこうと考えました。
モハ42形は増結用の両運転台車で、定員104名(座席68名、立席48名)です。
42002,42004,42006はパンタグラフが偶数向きに設置されました。
その後、太平洋戦争の勃発などで扉を増設し、3扉、4扉に改造される車両もありましたが、42001は小野田線に残り、単行で運転できることから重宝され2003年3月まで本山支線での活躍が許されました。
電動機は当時のスタンダードMT15C、出力100kW、主観制御器はCS5です。
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昨日の記事のつづきです。
6300形の車体は軽量ステンレス車体でJR東日本209系車体用に開発された2シート貼り合わせ工法を採用しているそうです。連結面はビード構造の外板とし、妻面窓が設けられています。
先頭車の先頭部はFRP(Fiber-Reinforced Plastics:繊維強化プラステック)製でステンレス色の塗装が施されています。
1次車 6301~6305編成 1993年度製
2次車 6306~6313編成 1994年度製
3次車 6314~6337編成 1999年度(6336まで)2000年度(6337)
入場中の車両は6312編成でした。
VVVFインバータ装置 素子冷却ユニット
走行機器は
1次車 三菱電機
2次車 日立製作所 GTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御 (T-INV6)
3次車 三菱電機 IPM-IGBT素子によるVVVFインバータ制御 (T-INV6A 2500V/500A)
素子冷却方式は
1次・2次車では冷媒(パーフロロカーボンクーラント)を使用
3次車では列車走行風を利用した自然通風ドライパネル冷却方式となりました。
CPは浅草線5300形と同じく横型低騒音タイプのレシプロ式C-2000LB形で、電動機には三相誘導電動機を採用しています。
写真はありませんが、補助電源装置はIGBT素子によるSIVで出力は三相交流440V、補助用回路には変圧器により、単相交流200V、整流器で直流100Vを出力します。
1次車は東芝製、2次車は東洋電機製造製の170kVA出力品を、3次車は三菱電機製の150kVA出力品を搭載しています。
奥に台車枠も見えます。
6300形の台車は浅草線用の5300形と同じコイルばねを併用した筒形積層ゴムプッシュ式の空気ばね台車です。近畿車輛製・動力台車:KD-308形、交通局形式:T-6A/付随台車:KD-308A形、交通局形式T-6B形)。
1両の電動車から取り出された主電動機が4個 、1編成3M3Tなので、12個となります。
1・2次車は1台の制御装置で180kW/h出力の主電動機4台を制御する1C4M制御方式、一方、3次車は1台の制御装置で2個の主電動機を制御する1C2M方式2台搭載(1C2M2群制御)となっています。3次車は2003年より順次純電気ブレーキ対応に変更されました。
ブレーキ装置は電気指令式空気ブレーキを採用しており、本形式ではATO運転時のブレーキの応答性を高めるため、台車中継弁を設置しています。
保安装置はATC/ATO装置を搭載しており、空間波無線(SR)などのワンマン対応機器も搭載されています。
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2016年11月19日、志村車両検修場で開催された「都営フェスタ2016 in 三田線」、第二のトピックは、車両工場内の見学です。
現在の都営地下鉄三田線の主力車両6300形です。
この車両の詳細は車両撮影の記事で触れますが、1993年6月23日から営業運転が始まり、6両編成37本が在籍しています。
検査のため、工場に入場した車両は編成から各車両毎に切り離され、3→2→1の順で台車と車体に分けられ、車体は屋根上・床下の部品等が外され、ここに検査に回されます。
屋根上部品ではパンタグラフなどにおける動作確認、すり板の交換、避雷器のチェックなどが行われます。
車体においては側扉の開閉、車側灯の点灯などがチェックされます。
さらに次回以降、床下機器、台車と続きます。
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パリの北駅の話題、今回からはフランス国鉄SNCFのディーゼル機関車です。
2009/3/13 Gare du Nord 今回はこの赤パタンの写真を紹介します。後ろに重連で異なった塗色の同型機がつながっています。
形式名はClass BB67400といいます。塗色は所属によって違っているようで、北駅やその周辺では3パターン見かけました。
機関車・車両製作所であり、メトロの車両製作(特にゴムタイヤ車両)も担当していたBrissonneau and Lotzの製造です。同社は1972年にAlstomに吸収されました。
1965年から1975年にかけて232両が製造されました。エンジンはドイツMAN AG社傘下のフランスのメーカーVillepinteの SEMT Pielstick 16 PA4というタイプの16気筒エンジンです。
2009/3/9 Gare du Nord 567606号機
北駅から出る列車は非電化区間に直通する列車もあるようでDL牽引の長距離列車もよく見かけました。
頭端式のホームのため、牽引機は到着後、客車と切り離され、入れ換え機が客車を回送し、最後に牽引機が単機で戻って行きます。
最高速度は140km/h 出力1765kW、機関車重量83.3tです。電気式のDLです。
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2月5日日曜日は天気予報では午後から雨とのことでしたが、昨日とは打って変わり、曇りがち天気でした。
昨日の池袋線NRA プラチナ・エクスプレス秩父ver.に続いて、新宿線NRE プラチナ・エクスプレス川越ver.はどんな運用に入っているか、ネットを調べても新宿線関係は誰も投稿していないようです。
そこでまずは一橋学園~萩山~小平から2316レで西武新宿方面に向かいました。先頭車で前面展望をしながら、すれ違う特急に10104Fが入っていないかチェックするためです。そうしたら、西武新宿に到着すると10:40発の163レ小江戸63号に入っていました。
到着の2分後に出発するタイミングだったので、各編成を撮影するは諦め、別の場所で狙うことにしました。
思いついたのが本川越です。
西武新宿から急行で本川越に向かい、少し寒かったですが川越の街をぶらつき、昼食を摂り、小江戸15号の到着を待ちました。
本物の山車はこういった倉庫に保管されているようです。
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2月4日土曜日、暦の上では「立春」、関東地方は好天に恵まれ、比較的温暖な一日となりました。
2017/2/4 所沢
ちちぶ20号で池袋に向かう10103Fと早朝の運用を終え、小手指に引き上げる10105Fのツーショット
所沢にて池袋線と新宿線にデビューした10000系NRA プラチナ・エクスプレス(秩父ver.)と(川越ver.)を一度に撮影できないかと出かけてみました。
10103Fは池袋線で以下の様な運用を受け持ち
┌池 袋0710←0630飯 能─○
64
むさし64号
└池 袋0730→0852秩 父┐
5
ちちぶ5号
┌池 袋1044←0925秩 父┘
20
ちちぶ20号
└池 袋1130→1248秩 父┐
13
ちちぶ13号
┌池 袋1444←1325秩 父┘
28
ちちぶ28号
└───────────┐
┌池 袋1818←1735飯 能┘
38
むさし38号
└池 袋1830→1951秩 父┐
31
ちちぶ31号
┌池 袋2145←2025秩 父┘
52
ちちぶ52号
└池 袋2200→2240飯 能─△
むさし45号
ほぼ終日、活躍することが分かりました。
まず、所沢でちちぶ20号を狙いました。上の写真のように、所沢駅では4番線に停車した10105F NRAクラッシック とのツーショットが実現しました。
続いて、側面に描かれている秩父祭りの山車・笠鉾・屋台を記録するために、飯能駅でのスイッチバックで撮影することにしました。
2017/2/4 飯能
池袋11:30発のちちぶ13号が飯能駅に進入してきます。
1号車
1~3号車
2~4号車
3~5号車
4~5号車
5~6号車
6~7号車
7号車
と各号車の乗降用扉に異なった山車・笠鉾・屋台が描かれているのが分かります。
個人的には10000系NRAのデザイン、些か暗めの塗色はあまり好きではなく、むしろクラッシックの塗装に全編成塗り替えればと密かに思っていたのですが、今回のスペシャルマーキングで見直しました。
因みに川越ver.の方は午後から運用に入るパターンだったようで、
○─新 宿1340→1425本川越┐
117
小江戸17号
┌新 宿1519←1434本川越┘
126
小江戸26号
└新 宿1540→1625本川越┐
121
小江戸21号
┌───────────┘
└新 宿1730→1816本川越─△
127
小江戸27号
各号車撮影は後日にしました。
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2月3日金曜日、普段は福島以北の山形新幹線区間を走行するE3系0番台改造700番台、「とれいゆ」が団体臨時列車として初めて上野発で運行されるとのことで、大宮駅で撮影することにしました。
まずは、上野に送り込まれる回送列車を狙うことに、
2017/2/3 10:11頃 大宮駅に接近する「とれいゆつばさ」回送列車
”とれいゆ”とはトレインとソレイユ(フランス語の太陽:soleil)さらに温泉の「ゆ」を組み合わせた造語で「食(太陽の恵みによる様々な食材)」、「温泉」、「歴史・文化」、「自然」を温泉街のように散策しながら列車の旅を楽しむ、というテーマが凝縮された列車ということで命名されたそうです。
2013/6/22 大宮
E3系R18編成を川崎重工車両カンパニー(兵庫工場)に海上輸送し、改造を施し、
11号車 E311-18→E321-701 普通指定席23席
12号車 E326-18→E326-701 お座敷指定席42席
13号車 E329-18→E329-701 お座敷指定席36席
14号車 E328-18→E328-701 お座敷指定席42席
15号車 E325-18→E325-701 お湯上りラウンジ・バーカウンター 4~5人用3テーブル
16号車 E322-18→E322-701 更衣室 足湯4人用 2槽
とし、元グリーン車のE311形が普通車に格下げされ、新形式となりましたが、それ以外は700番台に改番されました。
2014年6月25日から試運転が開始、7月19日から営業運転も開始され、土休日を中心に年間120日程度の運行実績となっています。
山形県の特産物、サクランボ、ラフランス、ブドウ、紅花などがあしらわれています。
2017/2/3 大宮駅17番線に入線、出発して行く「とれいゆつばさ」
外観は奥山清行氏のデザインによる月山をモチーフにした緑を中心にし、最上川の青色を先頭に、蔵王をモチーフとした白色を全体に配色しています。
なお、今回のツアーは上野発の片道で、2月16日木曜日、23日木曜日にも上野発のツアーが予定されています。
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西武新宿線の話題、3つ目の話題は、以前の記事でもお伝えした沼袋駅の工事の様子です。
前回は昨年12月18日時点での様子でしたが、今回は1月30日時点での様子です。
まず、新井薬師よりのポイントは上の写真のように下り線と連結が終わっています。下り線側のポイントはこれまでの停車線路と通過線路の分岐よりも手前に設置されました。こちら側はあとは現在使用中の停車線路と通過線路の分岐ポイントを撤去すれば終わりかと思います。
前々から感じておりましたが、下り線の停車線路への進入はかなり半径の小さいカーブでしたが、工事完成後はこの急曲線が緩和されることになるようです。
野方よりのポイント工事は下り通過線にも合流のためのポイントが設置されており、上り通過線のポイントから分岐する線路との結合は踏切が存在するために残されています。
恐らく、近日中に深夜にでも踏切を通行止めにして、両線路をつなげる工事がなされるのではないかと思われます。
そして下りホームの移設工事ですが、既にホームの桁となる鉄骨は埋め込まれており、一部は梁で結ばれています。
予想した通り、2本の通過線が中井駅や井荻駅のような1本の通過線方式になると思いますが、現行の下りホームを営業した状態で新ホームの工事をどのように進めるのか、もしかしたら現在の下りホームも既に仕掛けがしてあり、終電から初電までの間にスルッと動かすことが出来るのかもしれませんが、跨線橋との接続はどうするのか今後の工事の進展が楽しみです。
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西武新宿線の話題、第二弾は1月30日月曜日、井荻駅で偶然見かけた10000系NRE、10104F プラチナ・エクスプレス川越ver.、他の話題です。
昨年暮れの12月25日から、10103Fがプラチナ・エクスプレス(秩父ver.)として運行開始し、私も26日に所沢で見かけたことは記事でお伝えしました。
その際に1月中旬以降、新宿線に川越ver.が登場すると書きましたが、川越ver.は1月25日から10104Fで登場したそうです。
今回、井荻駅で撮影したのはプラチナ・エクスプレスを狙ってのことでは無かったのですが、
写し始めて、最初に通過した西武新宿発9:00の特急小江戸5号、9:14頃通過が10104Fでした。サイドに秩父ver.と同じように
2017/1/21 本川越
川越まつりの山車があしらわれているのかと思われますが、またサイドをじっくり見る機会があれば、報告いたします。
さらに井荻駅では、1月中旬ごろ、池袋線に2413Fとともに貸し出されていた2055Fが新宿線に戻っている姿も
確認しました。新宿線と池袋線とでは内装面で路線図の貼り換え等を行う必要もあるかと思いますが、その辺は迅速に対応しているのかと思います。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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今回から数回に渡って、この週末にみた西武鉄道関連の話題をいくつかアップして行こうと思います。
最初は1月28日土曜日に横瀬に廃車回送された2000系8連2005Fを見に行った際に見た2000N系8連2071Fの話題です。
池袋線の2000N系8連の運用で昼間、横瀬に回送されて休む運用があることは11月に同基地で開催されるイベントの際に見かけて知っておりました。
例えば2014年11月8日に同駅を訪問した際は2075Fが休んでおりました。
2016年11月5日には2089Fが居りました。
具体的にどの列車で横瀬まで来て、再び武蔵丘方面に戻って行くのか、平日、休日両方ともなのかも分かりませんが、土曜日の昼間、横瀬で昼寝する運用があることは間違いないと思います。
さて、今回1月28日は
私はこの編成、昨年の6月27日に井荻駅で見かけてから、遭遇することが無かったのですが、調べてみると2016年7月9日から、池袋線に転属になっていたのですね。理由は
30000系の最終編成38118Fが新宿線に配置されたことによる措置とのことで、2071Fにとっては4年ぶりの池袋線復帰になったそうですね(関連記事)。
偶々、横瀬駅で2000N系の留置を見たことから、以前から懸案だった38118F代替の件も明らかになり、すっきりしました。
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