2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開、HM展示の4回目は「あさかぜ」です。
永年の使用のためかかなり年季の入った「あさかぜ」HM
1956年11月19日、東海道本線全線電化のダイヤ改正で「あさかぜ」は登場しました。当初、東京を夕刻出発し、関西は深夜、博多に朝到着するダイヤは大阪鉄道局から強い反発があったそうですが、同じダイヤ改正で関西始発の九州方面急行列車「玄海」「天草」を登場させること、京都、大阪、神戸にも停車し、客扱いすることで納得してもらったそうです。
1975/9/25 大井町~品川
登場時は一般客車の寄せ集め編成で、1958年10月1日の改正で20系客車の登場となりました。
昭和33年度本年度予算による20系の新製で37両が製造され、その内訳は (0番台は日本車両、50番台は日立製作所)
ナロネ20 1,2,51
ナロネ21 1~3,51~53
ナハネ20 1~7,51~56
ナロ20 1,51,52
ナハ20 1, 51,52
ナハフ20 1,2,51
ナシ20 1,2,51
マニ20 1,51,52 でした。
1963年12月20日には東京~広島間の牽引機関車がEF58からEF60500番台に交替し、客車編成も15両に変更となり、電源・荷物車カニ21に続いてナロネ20、ナロネ22、ナロネ21x3、ナロ20、ナシ20、ナハネ20x5、ナハ20、ナハフ20と一等寝台車が集中する「殿様あさかぜ」編成となりました。1965年10月1日までにナロ20以外の全車寝台車化が完成しました。
東京から1000kmに及ぶロングランを終えて、下関に到着したEF65529牽引あさかぜ
1968年10月1日の改正では臨時列車として運行されていた「あさかぜ」が定期化され、2往復となります。
1970年10月1日の改正では東京~広島間を呉線経由で運行していた寝台急行列車「安芸」が格上げとなり、東京~下関(山陽本線経由)(下り3/上り1)号となりました。このときの増備が20系の最終増備となり、昭和44年度第4次債務負担で、39両が製造されました。その内訳は
ナロネ21 142~147
ナハネ20 344~364
ナハネフ22 24~26
ナハネフ23 18~20
ナシ20 27~29
カニ21 25~27 でした。
20系客車は1958年の誕生以来、479両が製造されました。
1972年3月15日の改正で東京~博多間の下り2/上り3号が14系寝台客車となりました。
1975/3/5 あさかぜ編成中のナロ20 下関
1974/12/15 東京 比較的短命だった14系「あさかぜ」 客車は「いなば・紀伊」に転用
1975年3月10日のダイヤ改正で14系客車のあさかぜが廃止され、2往復体制になりました。博多発着のあさかせ下り1/上り2号のナロ20形と全室個室寝台車ナロネ20形の連結が取りやめになりました。一方、下関あさかぜは「瀬戸」と共通運用化されました。
1981/1/3 PF牽引「あさかぜ」
1976年8月、「あさかぜ51号」に24系25形寝台車が使用され、1977年9月28日、下関あさかぜ・瀬戸が二段ハネ化されました。1978年2月1日、博多あさかぜの20系も24系25形化されましたが、食堂車の新製は行わず、「はやぶさ」「富士」「出雲」の編成の食堂車を基本編成から付属編成に移すことで、車両を捻出し、対処しました。
2004/5/1 EF66 43牽引「あさかぜ」 品川
2004/9/5 海田市 オハネフ25 300 スハ25 300 組み込み下関あさかぜ
こちらは最終列車用に新調したのか2005/2/28の日付入りHM
1994年12月3日の改正で博多あさかぜは臨時列車に格下げ、「あさかぜ81・82号」となり、2000年12月には廃止、2005年3月1日、下関あさかぜも廃止となりました。
「さくら」「みずほ」は九州新幹線に、「はやぶさ」は東北・北海道新幹線で復活しましたが、「あさかぜ」は寝台特急をイメージする名称ですので、今後の復活はあるのでしょうか?

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