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2017年6月30日 (金)

西武2000N系 4扉車を主流にした車両 8次車-1 8連

久しぶりの西武鉄道2000N系の話題です。これまでに6次車、7次車を編成タイプ別に見てきましたが今回からは8次車です。8次車は8連の2059F~2063Fの3本、4連の2531F~2545Fの8本が製造され、4連は最終となりました。8連の2059Fと2061Fが所沢車輛工場製で残りは東急車輛製です。
今回は8連から参ります。

2000n_8_2060_160506
2000n_8_2059f_160506 2016/5/6 沼袋
すでに見納めとなった4線時代の沼袋に進入・停車する2059F
ベンチレータは撤去済み、パンタは菱形パンタで1基装備

製造年月日のデータから分かりますが、2059Fと2061Fは4連で登場し、後から中間車が製造され、8連化されており、2063Fは8連で登場しています。

2059x4    1989/8/21
2259x4    1989/11/7
2061x4    1990/1/27
2261x4    1990/3/30
2063x8    1990/3/30

2000n_8_2059_160506
外観からわかる形態の変化は側引戸窓、側戸袋窓が大きくなりました。2063Fの補助電源装置、CPは全て廃車発生品の再利用であり、Tcの台車もすべて再生品とのことです。

2000n_8_2061f_160530 2016/5/30 井荻 2061F

2連を本川越方に併結した2061F この編成も2059Fと同様にベンチレータは撤去済み、パンタは菱形1基

2000n_8_2064_161014_21 2016/10/14 東長崎 2063F

3本のうち,2063Fは池袋線に配属、そしてこの編成はベンチレータが一部残され、パンタも2基装備となっています。

2000n_8_2063_160829 2063の運転席パネル

多くの8連の中で唯一、この編成の補助電源装置MGは直流タイプ、CPはHB2000CPだと(だったかも)いうことです。
2017/8/29 追記:2063Fは8月10日に検査から出場し、私はまだ未確認ですが、ナロー氏がコメントされているような変化があったそうです。

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2017年6月29日 (木)

高崎鉄道ふれあいデー2016 その8 ゆるキャラコレクション

2016年10月29日土曜日、高崎駅構内で開催された「高崎鉄道ふれあいデー」、最後は会場に登場した多くのゆるキャラ達の紹介です。

ゆるキャラ、「ゆるいマスコットキャラクター」の略でエッセイストのみうらじゅん氏が命名者だそうで、2004年11月26日に言葉が扶桑社とみうら氏によって商標登録されています。さらにみうら氏によるとゆるキャラとして認められるには以下の三条件が必要だそうです。

  1. 郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
  2. 立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
  3. 愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。

さらに原則として着ぐるみ化されていることも条件に挙げられています。

さて、今回のイベントで登場したゆるキャラ達は撮った写真をネット上のデータと照合して出身地を探してみると、埼玉県や群馬県の各自治体や団体のマスコットキャラクターであることがわかりました。

Photo
埼玉県入間郡毛呂山町のマスコットキャラクター「もろ丸くん」です。毛呂山町合併55周年を記念して2010年8月20日に誕生しました(紹介サイト)。

Photo_2
埼玉県入間郡越生町の特産物の梅をモチーフにした「うめりん」町制施行120周年を記念して誕生したそうです(紹介サイト

2
埼玉県比企郡ときがわ町の堂平天文台「星と緑の創造センター」天文台のドームを素材としたマスコットキャラクター(紹介サイト

Photo_3
埼玉県深谷市のイメージキャラクター「ふっかちゃん2010年6月28日誕生、角は深谷ネギです(紹介サイト)。

Photo_4
埼玉県本庄市のマスコット「はにぽん」、市内の遺跡から発掘された、全国でも例のない「笑う盾持人物埴輪」をモチーフに生まれたそうです(紹介サイト)。

Photo_5
群馬県高崎市新町の名物でカリボーという食べ物があるそうで、そこから生まれたマスコットキャラクターの「カリ坊」(紹介サイト

2_2
群馬県富岡市の「富岡製糸場を愛する会」のマスコットキャラクター「シルキー」(紹介サイト

などが登場してくれました。

どれもみな愛らしいキャラで思わず写真を撮ってしまいました。

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2017年6月28日 (水)

高崎鉄道ふれあいデー2016 その7 線路・架線関係機器の展示

2016年10月29日土曜日、高崎駅構内で開催された「高崎鉄道ふれあいデー」、今回は昨日のマルタイに続いて、線路や架線にトラブルが生じた際に迅速に現場に駆け付け、補修作業を行う車両、機器の紹介です。

1.ポイント関係

161029_4
ポイントマシントラブルなどが発生した場合、現場まで代替用のマシンを積んで走るクルマとマシンを紹介しているところです。

161029_5
クルマのに荷台には数台のポイントマシンと接続ケーブル、工具などが積めるようになっています。ただ、現場に到着後、結構重いマシンを線路脇まで運ぶのは人力での作業でかなりの重労働だそうです。

161029_3
ポイントマシンのカバーを開けたところ
ポイントの切り替えは直流低電圧で駆動するモーターで歯車を回し、ポイントに連結したバーを動かす仕組みで、デモ用にモーターの回転に合わせて動く歯車にハンドルを付けて回すことが出来ました。意外と小さな力でポイントの切り替えが行われていることが理解できました。

日本信号株式会社の製品で同社は鉄道信号保安システムとして、
自動列車制御装置ATC
自動列車停止装置ATS
列車集中制御装置CTC
電子連動装置
踏切保安装置 を製造しています。

さらに、鉄道関係では自動改札、自動券売機、自動精算機、ホームドアなども手掛けています。鉄道だけではなく、道路の信号、管制システム、駐車場管理システム、さらに空港の各種機器も扱っています。

2、信号トラブル関係

Dsc05602 Dsc05601 信号関係のトラブルが発生した際に現場にすぐに急行するのがこのS-carrierと呼ばれるクルマでJR東日本全体で高崎に1両のみが配置されているそうです。

Dsc05595
さらに架線のトラブルに対処するための高所作業車なども展示されていました。

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2017年6月27日 (火)

高崎鉄道ふれあいデー2016 その6 マルタイの展示

2016年10月29日土曜日、高崎駅構内で開催された「高崎鉄道ふれあいデー」、今回はこういった鉄道イベントではよく展示されるマルタイこと、マルチプルタイタンパー (Multiple Tie Tamper)です。

161029 2016/10/29 高崎駅構内

2014年に参加したときと同様、TOTETSU 東鉄工業(株)の6009が展示されていました。

161029_4
オーストリアのメーカー、Plasser & Theurerの製品でモデル名はUNIMAT 08-475というそうです。

161029_3
列車の走行により生じた軌道の凹凸の修正をする機械で、沈み込んだレールを持ち上げ、振動するタンピングツールを使って、枕木下に道床(砕石)をかきこみます。

サイト1 サイト2 などで実際にこのタイプが作業をしている動画を見ることが可能です。

161029_5
この機械を所有する東鉄工業株式会社1943年に鉄道の輸送力確保を目的に鉄道省の指示で設立された国策会社です。線路、土木、建築、環境の4事業に関わっておりますが、線路事業ではJR東日本管内のメンテナンスの約3割を担っており、、国内最大規模であり、メンテナンスのみならず新幹線、高速道路、マンションなどの工事でも多くの施工実績を持っています。

2015年3月末時点で
マルチプルタイタンパー    16台
バラストレギュレーター     11台
軌道モーターカー        37台
除雪用モーターカー      22台
レール削正車          12台
新幹線確認車          5台
マルチトロ            35台 を有しています。

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2017年6月26日 (月)

高崎鉄道ふれあいデー2016 その5 115系4連 T1146編成

2016年10月29日土曜日、高崎駅構内で開催された「高崎鉄道ふれあいデー」、今回は現在は全廃となってしまった高崎車両センター所属の115系4連グループのT1146編成です。

1151201_161029_5 2016/10/29 高崎駅構内

DD51842+12系客車と並んで展示された115系T1146編成 クハ115-1201他

高崎センターには115系McM'Tcの3連と小山電車区から転属した4連(TcMM'TcとMcM'TTcの2タイプあり)が配置されていました。編成番号の数字はすべての編成に組み込まれているM'車の車番がら由来しています。

115_t1146_1151137_161029_3

拙Blogにおいてもこれら1000番台を中心とした115系に関しては2013年5月22日記事で触れていますが、高崎センターの歴史から最近の動きまではこちらのサイトに詳しくまとめてあります。

上越、信越、両毛、吾妻各線の115系の歴史は1963年11月からの新前橋電車区への新製配置から始まりました。それまで活躍していた80系を完全に置き換えたのは1965年でした。1973年から冷房車300番台、1977年から70系置き換え用に1000番台が投入され、最大329両まで増備されました。

それ以降、1986年3月3日のダイヤ改正で211系投入、1991年の7連運用の小山移管、2000年12月2日のダイヤ改正でE231系の小山区投入による211系の新前橋区集約で115系4連の小山区転属、松本地区転属などがありましたが、配置された車両の老朽化による置き換えは、2016年8月22日の211系改造車(スカート・ドアボタンの交換、セラジェット噴射装置取り付け)の投入からでした。

1151000_t1146_101231 2010/12/31 高崎

T1146編成

←水上              高崎→
 Tc     M     M'     Tc
1137   1082   1146    1201

1979年9月18日、日立製作所にて落成 新前橋区に新製配置
2016年12月19日廃車回送、12月21日廃車

ちなみに1000番台4連グループの転属・3連化・廃車ですが、

<TcMM'Tc 編成>
T1090 2016/10/26
T1091  2016/10/26
T1092 松本へ転属
T1130 2003/5/6
T1133  2016/11/19
T1138  TcMM'は松本へ Tc1092は2002/1/4廃車
T1139  MM'Tcは松本へ Tc1109は2002/11/28廃車
T1141  MM'Tcは松本へ  Tc1132は2002/1/4廃車
T1142 2016/11/19
T1143 2016/9/28
T1144  2016/9/1
T1145  2016/9/1
T1147  2016/9/28

<McM'TTc 編成>
T1044 3連化 T1007が2016/12/19に廃車回送 サハ115は形式消滅
T1159  2016/12/21廃車

ということで現時点では3連化されたT1044編成を含む10編成
T1022、T1032、T1036、T1037、T1038、T1039、T1040、T1041、T1043、T1046が活躍中でT1040編成以外はリニューアル工事も施されています。

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2017年6月25日 (日)

高崎鉄道ふれあいデー2016 その4 EH200-1

2016年秋に開催され、参加したイベントに関して、纏めてレポートをしておりますが、今回からは2016年10月29日土曜日、高崎駅構内で開催された「高崎鉄道ふれあいデー」の残り分です。

これまでに                                     
       Title 内容                  記事日付 
1. prologue                   2016/11/1
2. その1 EF60 19              2016/12/2
3. その2 EF66 27                               2017/1/9
4. その3 DD51 842                             2017/2/17    とレポートしました。

展示車両のうち、D51498号機、EF65501号機、EH500-7号機は拙Blogで何回か触れているので、今回はEH200-1号機について触れようと思います。

Eh2001_161029_3
Eh2001_161029 2016/10/29 高崎駅構内

EH機同士、EH500-7号機とEH200-1号機が縦列に並べられて展示されていました。

EH200形電気機関車は中央本線や篠ノ井線などの勾配線区で使用されて来たEF64形基本番台の置き換え用、重連解消用として2001年から東芝で製造され、試作機1両と量産型24両の25両が現在、高崎機関区に配属されています。愛称は公募で「ECO POWER ブルーサンダー」と決まりました。

中央東線、篠ノ井線、しなの鉄道線での石油専用貨物列車運用、コンテナ貨物運用、上越線と隅田川駅・東京貨物ターミナルを結ぶ運用にも使用されています。

Eh2001_161029_4
こういう機会でないと見ることがなかなか出来ない中間連結器を見ることが出来ました。

制御装置はIGBT素子による3レベルVVVFインバータ制御装置で1台のインバータが1台の主電動機を制御する1C1M方式です。

主電動機は565kWのFTM4かご形三相誘導電動機で吊り掛け式動力伝達方式となっています。

Eh2001_161029_5
台車は軸梁式箱支持機構を持つFD7系空気バネ式ボルスタレス台車で、軸距は2500mm、車輪径は1120mmです。ちなみに台車の形式は1エンドからFD7J、FD7K、FD7L、FD7Mとなっているそうです。

量産に移行して5号機まで製造された2004年3月、勾配対策の問題(空転処理)が判明し、CPUの変更や砂箱増設などの処置が執られ、2004年12月に製造が再開されました。

同じEHタイプでもかつては五稜郭から首都圏までと関門地区から福岡ターミナルまでの広大な活躍範囲を持つEH500に較べるとEH200の製造両数は3分の1弱に留まっていますが、今後、現在愛知機関区(稲沢)に集中配置されているEF641000番台が老朽化、廃車の時期になると中央西線での石油専用貨物重連運用の置き換え用にEH200が増備されるのでしょうか。

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2017年6月24日 (土)

電気機関車 EH500シリーズ 24号機

Eco Power金太郎」こと、EH500形電気機関車を1両ずつ紹介しているシリーズ、今回は24号機です。
落成は2003年7月12日、2003年度製造の3号機です。

Eh50024_040215 2004/2/15 大宮

Eh50024_040321 2004/3/21 新白岡

Eh50024_040821 2004/8/21 黒川橋梁

Eh50024_071222 2007/12/22 東仙台

Eh50024_080731 2008/7/31 南仙台

Eh50024_110917 2011/9/17 大宮
東日本震災から、約半年、側面に東北頑張れのステッカーが貼ってありました。

Eh50024_120720 2012/7/20 郡山

Eh50024_140222_1 2014/2/22 荒川沖~ひたち野うしく間
「安中貨物」フル編成

Eh50024_140623 2014/6/23 常磐コンテナ貨物

以上です。

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2017年6月23日 (金)

海外から飛来する787 3 Scoot

鉄道イベントの話題の切れ目に登場する、この話題、今回は成田空港通いが復活してからしばしばお目にかかるオレンジ色の塗装のLCC Sccot (SCO/TZ)です。

                               Scoot

9vofb_boeing_7878_37118_335_170503_
9vofb_boeing_7878_37118_335_17050_2 2017/5/3 NRT 9V-OFB  Boeing 787-8 cn37118 ln335
第一ターミナルのデッキ、撮影用の穴は全て塞がっており、やむなく網越しに撮ったため、網の影が写っています。

2011年11月1日シンガポール航空の出資で長距離国際線を運航するLCCとして設立されました。Scootの意味は英口語で”走り出す”という意味とのことです。同じく、シンガポール航空が出資して設立したLCCにタイガーエアがあります。これらは今年7月に合併すると報じられています(参考)。

9voja_boeing_7879_37112_240_170512_ 2017/5/12 NRT 9V-OJA Boeing 787-9 cn37112 ln240

成田、初就航は2012年10月29日からで、台北/桃園経由でシンガポールとを結びました。

9vojc_boeng_7879_37114_284_170529_n 2017/6/9 NRT 9V-OJC Boeing 787-9 cn37114 ln284

Fleetに関しては

Airbus A320 2機 リースで導入予定
Boeing 777-200 6機 すでに売却・返却済み

Boeing 787-8 9V-OFAから E OFGから I  8機 1機発注中
     787-9  9V-OJAからF  6機

787-8は C21Y314(OFA~OFG)とC18Y311 787-9はC35Y340

となっています。

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2017年6月22日 (木)

第31回新幹線車両基地公開 その4 保存車両7 ED77 1号機

新幹線総合車両センターに保存される車両、今回はED77 1号機です。

Ed77_1_161022_2 2016/10/22 新幹線車両総合センター

こちらはED771号機とED9121号機が縦列に駐機されており、ED771号機がこのように見えるだけです。

ED77形交流機関車は1965年ED93形として試作された形式をベースに量産化されたもので、ED75形の軽軸重化、サイリスタ位相制御適応タイプといえます。

Ed77_10_810810 1981/8/10 磐梯熱海 ED77 10牽引の旅客列車

車体はED75をベースにしていますが、軸重軽減化のため中間台車を装備し、車体長が延長されている点と耐寒耐雪構造強化のため特高機器を室内に配置した点、運転室側窓を下降式にした点などが異なります。

ED93形は当初、重連総括制御が考慮されなかったため、正面貫通扉は設置されず、EF70後期形やED76形と似た2枚窓スタイルでした。量産機は最初から重連総括制御が考慮されたため、貫通路のあるスタイルで登場し、ED93もED77901に改番された際に貫通路付きのスタイルとなりました。

Ed77_13 1976/1/2 郡山

長らく磐越西線郡山~会津若松間で使用され、仙山線や田沢湖線での使用も検討されましたが、仙山線はED78が入線、田沢湖線は貨物列車の全廃等で配置はされませんでした。

民営化においては9-15の7両がJR東日本に継承されましたが、磐越西線の軌道強化でED75の入線が可能となり、1993年までに運用終了、全廃となりました。

今回の訪問で、これら交流機のうちED751号機、ED711号機、ED9121号機に関してはじっくりと観察できなかったことが残念でたまりません。

また保存されている機関車がどれも貴重な鉄道遺産であるにも関わらず、かなり傷んでおり、一刻も早い修復がなされることを願ってやみません。

そしてこれらの機関車が近い将来、修復され、公開されることを願います。

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2017年6月21日 (水)

第31回新幹線車両基地公開 その4 保存車両6 EF71 1号機

新幹線総合車両センターに保存される車両、今回はEF71 1号機です。

Ef71_1_161022_9 2016/10/22 新幹線総合車両センター

EF711号機、ED751号機、ED711号機の順に並んでいますが、如何せんこれ以上前進できないためEF71しか観察はできません。

見ての通り、貫通扉などは腐食が進み、かなり無残な状態となっています。

Ef71_1_760102 1976/1/2 福島機関区

この機関車の現役時代に福島機関区を正月に訪問し、庫内で休む同機を撮影したのがこの写真です。

碓氷峠、瀬野八本松と並ぶ急勾配区間の板谷峠(平均33‰勾配)の1968年10月ダイヤ改正での交流電化への転換に合わせて、試作機ED94型による試験から量産形として、サイリスタ位相制御・交流回生ブレーキ装備のED78と6軸交流機関車EF71が誕生しました。

ED78の重連では貨物列車の牽引定数確保が難しいため、EF71が開発されたそうで、
ED78 単機 通常300t 最大330t
EF71 単機 通常430t 最大450t
ED78 重連 540t
ED78+EF71 もしくは EF71重連 650t になるそうです。

Ef71_73_760102 1974/3/27 福島 EF71 3号機と7号機の重連
「つばさ51号」の機関車交換

Ef71_14_760102 1976/1/2 福島機関区

全部で15両製造され、1973年製造の14,15号機は正面下部の通風孔の廃止、ブロック式ナンバープレート、飾り帯の銀ペンキ塗装、尾灯の外ハメ式化など外観上の変化が見られ、粘着力強化による軸重の増加などの変化がありました。

2015年に日立水戸工場に引き取られたED781号機は整備され美しい姿を保っているとのことですが、こちらのかつての僚機は下手をすれば解体の危機にあるようです。

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2017年6月20日 (火)

第31回新幹線車両基地公開 その4 保存車両5 C11 351号機

新幹線総合車両センターに保存される車両、今回はC11 351号機です。

C11_351_161022_2 2016/10/22 新幹線総合車両センター

先に紹介した2両と同様にこの機関車もかなり傷みが激しい状態です。

履歴は沖田祐作氏の機関車表データによると

C11351     日本車輌名古屋工場=1442           1946-08-31 S66.1t1C2t(1067)
   車歴;1946-08-31 製造→ 納入;国鉄;C11351→ 配属;仙台局→1946-08-31 竣工→
      配置[仙鉄達499];仙台局→1955-08-01 現在;仙台→1962-03-00 現在;仙台→
      1964-04-01 現在;会津若松→1972-10-11 廃車;会津若松→
      1976-00-00 保存;宮城県仙台市「市民SL 公園」;C11351→
      1994-11-00 移管保存;宮城県JR 東日本「仙台総合車両所」;C11351

名古屋の日本車輛工場で1946年8月31日に落成、新製配置は仙台でした。その後、会津若松に転属し、1972年の廃車まで同所で活躍しました。

C11_351_161022_3
製造時期からと番号(247から381)からは戦時設計機ですが、後年の装備改造で3次形までのスタイルに改められています。

なお、今回見ることはできませんでしたが、機関士側のキャブの扉は欠落しており、板で塞いであるとのことです(参考)。

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2017年6月19日 (月)

第31回新幹線車両基地公開 その4 保存車両4 C58 365号機

新幹線総合車両センターに保存される車両、今回はC58 365号機です。

C58_365_161022 2016/10/22 新幹線総合車両センター

この車両もかなり傷んでいます。365号機といえば秩父鉄道でパレオエクスプレスとして現役で活躍する363号機と2番違いですが、こちらの履歴は沖田祐作氏の機関車表データによれば

C58365     川崎重工兵庫工場=2943           1944-02-00 S58.70t1C1T(1067)
   車歴;1944-02-00 製造→ 納入;国鉄;C58365→1945-08-00 現在;美濃太田→
      1955-08-01 現在;稲沢一→1964-04-01 現在;稲沢一→ 美濃大田→
      1967-08-30 沼津→ 遠江二俣→1971-02-28(3/1?)敦賀一→1971-08-04 小牛田→
      1972-10-11 廃車;小牛田→1976-00-00 保存;宮城県仙台市「市民SL 公園」;C58365→
      1994-11-00 移管保存;宮城県利府町「JR 東日本仙台総合車両所」;C58365

1944年2月に川崎重工兵庫工場で落成、新製配置は美濃太田機関区、その後稲沢、美濃太田、沼津、遠江二俣、敦賀と転々とし、最後は小牛田で廃車を迎えました。

上の写真でもかすかにわかりますが、この機関車の機関士側のデフレクターは助手席側に較べると切り詰められているそうです(参考)。

C58_365_161022_13
助手席側は残されていますが、機関士側のキャブ扉は仙台市民公園保存当時に外されたそうです(参考)。潅水清浄器は装備されています。

C58_365_161022_7

C58_365_161022_14
この機関車も昨日のD511108号機同様、給水ポンプが外されています。

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2017年6月18日 (日)

第31回新幹線車両基地公開 その4 保存車両3 D51 1108号機

新幹線総合車両センターに保存される車両、今回は3両の蒸気機関車のうちの1両、D511108号機です。

D51_1108_161022 2016/10/22 新幹線総合車両センター

保存車両のうち、蒸気機関車D51、C58, C11はこの順に写真のように駐められています。構内ちょうど端に位置するため、

D51_1108_161022_4
側道からも撮影できます。写真からも分かりますが、かなり表面の傷みが激しく、一刻も早い処置が必要な状態です。
煙室前部と煙室扉上部の丸みは戦時形(1001~1161)のため、省略されています。

D51_1108_161022_6
蒸気ドームと砂箱を統合するドームは戦時形のカマボコタイプです。砂箱からの砂管も3本が垂直に下りて、途中で分かれるスタイルです。

D51_1108_161022_9
逆転器のモーションプレートの丸穴は小穴のタイプです。

D51_1108_161022_10
機関助手席の前には潅水清浄器が取り付けられています。

D51_1108_161022_13

D51_1108_161022_11
炭水車は台枠を省略した船底スタイルであることがよく分かり、台車は戦時形D51やD52の炭水車によく見られるスタイルの台車です。

D51_1108_161022_14
炭水車の上に見えるタンクは重油併燃装置用の重油タンクでしょうか。

D51_1108_161022_17
沖田祐作氏の機関車表のデータによりますと、

D511108    日本車両名古屋工場=1297           1944-07-29 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1944-07-29 製造→ 納入;国鉄;D511108→ 配属;? → 配置;? →1948-07-01 現在;新津→
      1950-04-00 二休;新津→1955-08-01 現在;大館→1957-11-00 現在;弘前→
      1970-11-11 青森→1971-06-05 会津若松→1972-10-02 廃車;会津若松→
      1976-00-00 保存;宮城県仙台市「仙台市民SL 公園」;D511108→
      1994-11-00 移管保存;宮城県利府町「JR 東日本仙台総合車両所」;D511108

昭和19年7月29日、日本車輌名古屋工場で落成し、製造直後の配置は不明なものの、4年後は新津に配置されていました。その後、奥羽本線北部、大館、弘前、青森と活躍の場を移し、最後は会津若松で廃車を迎えました。

3両の蒸機は仙台市内のガス局前の仙台市民SL公園に保存されていましたが、1994年11月にこちらに移されたようです、2003年に整備が行われたようですが、それ以来この状態で置かれているようです。

D51_1108_161022_24
こうやってよく見ると、シリンダーカバーのセンター部分や、汽笛、空気圧縮機一式、給水ポンプ一式など重要部品が欠落しているのが分かります。また東北形の特徴としてキャブの屋根が後方に延長されています。

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2017年6月17日 (土)

第31回新幹線車両基地公開 その4 保存車両2 200系 221-1+237-1

新幹線総合車両センターに保存される車両、今回は昨日の961形をベースに量産化された200系の保存車両です。

22112371_161022_4 2016/10/22 新幹線総合車両センター

200系の東京方先頭車221-1とビュッフェ車237-1が保存されています。

昨日の961形とは違い、200系保存車両には近寄ることや車内に立ち入ることは出来ません。

200系の量産化に至る前の1979年には962形先行試作車が961形をベースに製造されました。東北・上越新幹線での使用に合わせるため、電気装備品はAC50Hz25KV専用とし、徹底的な耐寒耐雪対策が施されました。

961形と同様全電動車方式でサイリスタバーニア連続位相制御方式でMT201X形直巻整流子電動機を制御し、その出力は230kWでした。駆動方式はWN平行カルダン方式、ギア比は2.17でした。

耐寒耐雪対策の徹底から台車側面は台車カバーで被われ、連結面には内幌を被うように外幌が設けられました。塗装は白地に緑でしたが、緑はモスグリーンで200系とは若干異なっていました。

空調装置は暖房性能を上げるためポジスタ(PTCサーミスタ)を用いた電熱ヒータを採用しました。この方式は現在もJR東日本の新幹線車両に踏襲されています。座席は0系の転換クロスシートに代わる普通車用座席が各種検討されました。

22112371_161022_3
1979年2月22日から1980年6月まで小山試験線で試験が実施され、開業前の上越新幹線で1980年9月24日より、地上設備監査を実施、200系E2編成の1~8号車、軌道試験車921-41、962形962-5、962-6で組成された総合監査が1980年11月5日から12月12日にかけて行われ、11月28日からは速度向上試験も行われ,210km/hを達成しました。

上越新幹線開業後の1983年1月17日、電気試験車925形10番台に改造され、921-41を加えた7両編成で検測が行われ、速度向上試験もしばしば行われました。2003年1月25日、老朽化のため廃車となりました。

962形をベースに200系量産車は1980年に発表されました。1985年登場の100系よりも先に200系が登場しているのは、当時、東海道・山陽系は奇数の100番台、東北・上越系は偶数の100番台という付番体系だったからだそうです。

1980年から1986年にかけ、688両が製造され、1991年に二階建て車両12両が追加製造され、総製造数は59編成700両となりました。

200系に関しては2013年7月3日の記事で触れましたが、221-1は36編成製造された基本番台E編成のトップナンバーで1980年10月から11月にかけて製造された1次車(E1~E4編成12両編成)でした。E1編成は日本車輛の製造でした。

1     2      3     4      5     6      7     8     9     10    11    12

221 226 225 226 225 226 215 226 237 226 225 222
Mc  M'     M    M'     Mk   M'    Ms   M'    Mb   M'    M    M'c
                           -400
                 車販準備室設置

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2017年6月16日 (金)

第31回新幹線車両基地公開 その4 保存車両1 961形

今回からは2016年10月22日土曜日新幹線総合車両センター(新利府)で開催された「第31回新幹線車両基地まつり」の様子について、残っている分を報告します。

これまでの記事では

2016/10/25 prologue
2016/11/27 その1 車両工場内の様子
2017/1/4  その2 保守用車両
2017/2/13 その3 953形 STAR21

について触れて来ました。

今回からは、同車両センターの最北端の一角に保存してある車両群について触れて行こうと思います。

新幹線関係では、すでに報告済みのSTAR21の953形他、961形961-1、961-2、200系221-1、237-1

蒸気機関車ではC11形351号機、C58形365号機、D51形103号機

交流機関車ではED91形21号機、ED71形1号機、ED75形1号機、ED77形1号機、EF71形1号機が保存されており、ED78形1号機2015年6月まで保存されていましたが、現在は生まれ故郷の日立製作所水戸工場に保存され、毎年6月第1週に開催される同工場のお祭りで公開されています。今年は参加し損ねましたが来年こそはと思っています。

前にも書きましたが、このイベントに参加した一番の目的はこれらの車両、特に交流電機の保存車両を観るためでした。

961161022 2016/10/22 新幹線総合車両センター

最初は200系の土台となった961形試験電車です。

961161022_3

交流25kV、50/60Hz対応の6両全電動車構成、アルミ合金製ボディマウント方式の車体で1973年に川崎重工業(-1,-2)、日本車輛製造(-3,-4)、日立製作所(-5,-6) が分担して製造しました。

961161022_7
新幹線では初めて客室窓がすべて小窓構造となり、主電動機の出力は951形を上回る275kWに増強されました。直巻整流子電動機MT920形をサイリスタバーニア連続位相制御方式で制御し、WN平行カルダン方式(歯車比2.40)で駆動しました。制動方式は電気指令式空気ブレーキ(チョッパ連続制御)が採用されました。保安装置はATC-2型でした。

運転台にはATOMICと呼ばれたミニコンピュータシステムが搭載され、指定された速度での定速走行や自動停車などを可能にしましたが、本格採用には至らなかったそうです。また、積雪の多い地域を走行することを考慮し、雪切室が設置されました。

961161022_9
6両編成のうち、1,2,6号車は通常車両で2号車にのみ腰掛が設置され、3号車は初の食堂車となりました。側廊下方式が採用され、一角にはソファーコーナーも設置されました。営業用では36形として実用化されました。

4号車は寝台車と小グループ旅行用の個室の設備を設け、6名定員の特別個室が2室、さらに2段式の普通寝台も配置されました。

5号車は内装をせずに車両の剛性と乗り心地の関係を調べるため、敢えて剛性を下げ、補強材を入れての耐久試験も行われました。

完成後は大阪運転所に配置され、山陽新幹線岡山~博多間で試験走行が行われました。1979年、小山試験線での試験走行を行うため、浜松工場で整備を受け、大井車両基地から小山試験線管理所まで陸送されました。

151004_12 2015/10/4 ひかりプラザ に保存されている319km/hのプレート

1979年12月7日、小山試験線にて当時の電車における世界最高速度記録319km/hを樹立しました。なお、この頃は0系同様、白地に青いラインの塗装でした。

961161022_12
961161022_4

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2017年6月15日 (木)

海外から飛来する787 2 Etihad Airways

海外から日本に乗り入れてくるBoeing 787のシリーズ、2回目はアラブ首長国連邦(UAE)アブダビに本拠を置く、エティハド航空(ETD/EY)(الاتحاد للطيران‎; al-ittiḥād liṭ-ṭayarān)です。アブダビ首長国の国営航空で、Etihadとは”連合”を意味します。

Etihadairwaysabudhabimasterlogoeng

A6bla_boeing_7879_39646_229_170609_
A6bla_boeing_7879_39646_229_17060_2 2017/6/9 NRT A6-BLA Boeing 787-9 cn39646 ln229

アラブ首長国連邦第2代大統領ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンにより、
2003年7月に設立されました。ドバイを拠点とするエミレーツ航空と並びUAEおよび中東の代表的キャリアです。

A6blc_boeing_7879_39648_286_170512_ 2017/5/12 NRT A6-BLC Boeing 787-9 cn39648 ln286

2003年11月12日に商業運航を開始してから、潤沢なオイルマネーを背景に新規機材を投入、さらに2006年6月までに1か月に1路線を開設という驚異的なペースで成長を続けました。2010年代には合併と買収(M&A)で会社の規模拡大を図り、
                         株式取得率
エア・セイシェル(セイシェル)           40%
ダーウィン・エアライン(スイス)          33.3% 
エア・セルヴィア(セルヴィア)           49%
ヴァージン・オーストラリア(オーストラリア)   21.24%
アリタリア-イタリア(イタリア)           49%  
ヴァージン・オーストラリア以外は経営権を取得

A6ble_boeing_7879_39650_305_170503_

A6ble_boeing_7879_39650_305_17050_2
2017/5/3 NRT A6-BLE Boeing 787-9 cn39650 ln305

さらにスターアライアンスでもなく、ワンワールドでもなく、スカイチームでもない独自の航空連合 Ethihad Airways Partnersを立ち上げ、
アリタリア-イタリア
ジェット・エアウェイズ
エア・セイシェル
エア・セルヴィア
エティハド・リージョナル
NIKI   がメンバーとなっています。

A6ehj_airbus_a340642_cn_933_090927_ 2009/9/27 CDG A6-EHJ Airbus A340-642 cn933
同航空の機体、最初に見たのはこのF1特別塗装機でした。

保有機材は

Airbus A300 0               3 リタイア
Airbus A310  0       1  リタイア
Airbus A319   2        2 リタイア
Airbus A320 23      4 リタイア
Airbus A321  10 
Airbus A330  31              10 リタイア
Airbus A340  10              3  リタイア
Airbus A380  10
Boeing 747     0              2  リタイア   
Boeing 767     0              2  リタイア
Boeing 777    29             6   リタイア
Boeing 787   13    3オーダー         

1
Boeing 787はすべて-9タイプで、2014年末に初号機が納入されました(関連記事)。   
コンフィグはFクラスのある3クラス仕様の5機と2クラス仕様の8機に分かれます。日本に来ているのは5機の方のようです。

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2017年6月14日 (水)

成田にやってくるロシア製旅客機 ヤクーチャ航空のスホーイ・スーパージェット100型

今年4月に久しぶりの撮影のための空港通いが復活し、6月に入ってもコンスタントに成田、羽田に通っていますが、今回は成田の最近の変化として特徴的なLCCの増加やこれまで参入のなかった航空会社の乗り入れについて触れてみようと思います。

Ra89038_sukhoi_10095lr_95083_170609 2017/6/9 NRT RA-89038 Sukhoi 100-95LR 95083

最初は全体的なイメージからA319かと思いましたが、キャノピーの形態が違うので調べてみたらスホーイ100でした。

まずは2016年5月1日より、ユジノサハリンスク~成田間に就航したヤクーツク航空(ヤクーチャ、Авиакомпания Якутия、Yakutia Airlines)で、機材はロシアの航空機メーカーが共同開発したスホーイ・スーパージェット100です。SSJ-100とも略されます。

ソ連時代、旅客機はイリューシンやツポレフがもっぱら設計製造を担当しており、スホーイはアントノフなどとともに軍用機専門といった感じでしたが、民間旅客機市場参入を目指して開発されたのがこのリージョナルジェットでした。開発当初はスホーイRJJと呼称していましたが、2006年7月17日に現在の名称に変更されました。

スホーイは居住性、燃費、技術とサービス、機体価格のいずれにおいても国際競争力を持つモデルとしており、操縦桿にはエアバスと同じようにサイドスティックを導入、対テロ対策として操縦室を完全防弾対策を施すなどの新機軸が導入されています。

機体の設計と製造はスホーイ設計局が担当、形式証明取得はイリューシン、販売顧客管理はボーイング社、エンジンはロシアのサトゥールとフランスのスネクマによるSaM146ターボファンジェット、空調・制御系はドイツのリーブと国際協調方式を取っています。

胴体の長さでスーパージェット60、75、95とタイプが分かれ、2004年7月にシベリア航空から50機の発注を受け(後にキャンセル)ローンチし、生産はアムール川沿いの都市コムソモリスク・ナ・アムーレにあるKnAAZで行われています。

Ra89038_sukhoi_10095lr_95083_1706_2
原型機は2007年9月26日に完成、2008年5月19日に初飛行に成功しました。2011年4月に量産初号機がアルマヴィアに引き渡されました。

2012年2月以降、欧州航空安全局を始め、各国の航空当局から形式証明を取得しています。

2012年5月9日、インドネシアのジャカルタで同国航空関係者を搭乗させたデモフライトでジャワ州ボゴールに近いサラーク山付近に墜落する事故を起こしました。

Yakutia_logo_2

成田に乗り入れているヤクーツク航空はロシア連邦サハ共和国ヤクーツクに本拠を置く航空会社で、元々はアエロフロート・ロシア航空のヤクーツク担当部門のサハーヴィアという名の会社として設立されました。その頃はアジア、アフリカ、ヨーロッパに貨物チャーター便を運航する会社で1999年には破産も経験しています。2000年に地元自治体により、再建され2002年7月ヤクータヴィア」と合併し、現在と体制となりました。

保有機材は
ボンバルディア DHC-Q300 50席 3機
ボンバルディア DHC8-Q400 72席 3機
スホーイ SSJ100(RRJ95B) 93~103席 5機
ボーイング B737-800 170席 5機
ボーイングB757-200F 1機
アントノフ24RV 48席 4機 すべてリタイア済み

サハ共和国内10都市、ロシア共和国内16都市、韓国ソウル/仁川、中国ハルビン、そして日本では成田に乗り入れています。400

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2017年6月13日 (火)

南武線E233系8500番台 N36編成 他

南武線は1989年3月11日のダイヤ改正から、205系新車6両編成16本が投入され、うち1本(ナハ7編成)は1993年2月に三鷹区に転出しました。また209系2本が1993年4月1日(ナハ1編成)と1997年3月22日(ナハ32編成)が投入され、2004年12月までに山手線からの205系の転入で103系が一掃されました。

205_2_060520_2 2006/5/20 尻手 南武線205系トップ編成ナハ2

209_01_030321 2006/4/22 府中本町 209系ナハ1編成

京浜東北線にE233系1000番台が投入されるに当たり、209系0番台2200番台に改造され、南武線にナハ52、53,54編成として投入されました。ナハ1編成は2200番台投入に伴い2009年9月10日に長野車両センターに廃車回送されました。ナハ1編成の廃車はドアエンジンが空気式と電気式の車両の混在を避けるのが目的だったそうです。

2092200_52_100613 2010/6/13 鹿島田 209系2200番台ナハ52編成

2051200_48_060211 2006/4/22 尻手 205系1200番台 ナハ48編成

ナハ52編成はナハ1編成の代替として、ナハ53編成は仙石線に転出した205系1200番台1編成(ナハ48編成)の補充用、ナハ54編成は武蔵小杉駅開業に伴う、増発用でした。

205m51_160527 2016/5/27 府中本町 武蔵野線205系 M51編成

205系は2014年10月4日からのE233系8000番台6連35編成の投入で16両が武蔵野線増発用(M51, M52編成)として転出、120両はインドネシアへ譲渡され、残りは廃車となりました。

2092200_53_100919_4 2011/9/25 尻手 209系2200番台 ナハ53編成

209系に関してはナハ32編成は2015年3月3日に長野へ配給、ナハ52編成は2015年2月17日、ナハ54編成は2015年2月3日に長野配給、ナハ53編成は「自転車の旅」をテーマにした房総地区転用のため、2017年6月7日に大宮に入場しました。

E2338000_n1_150214_2 2015/2/14 川崎 E233系8000番台 N1編成

E233_670_120817 2012/8/17 拝島 E233系青670編成

E2338000_n36_170610 2017/6/10 府中本町 E233系8500番台 N36編成

このナハ53編成の補充用としてE233系0番台、青670編成から改造されて南武線に転用となったのがN36編成です。

N36編成は大宮総合車両センターに入場し、N1から8000番台に合わせた改造が施されましたが、0番台青670編成時代の特徴が多く残されています。

・青梅線、五日市線内で使用された旅客扉の半自動ドアスイッチが撤去されていないこと
・車番は
    1号車  2号車   3号車   4号車    5号車   6号車
  クハE233 モハE233 モハE233 モハE233 モハE233 クハE233
     -70         -70          -70          -270         -270        -528
から -8570     -8570       -8570       -8770       -8770       -8528

となりましたが、 

E2338000_n36_170610_21 この写真のように元番号が読み取れます。

・8000番台は運用番号(***F)が編成番号の下に表示されますが、8500番台ではその機能がありません。

車内に関しては乗車していないので分かりませんが、他のサイトの情報では扉上のディスプレイが8000番台同様2枚方式になっているそうです。

E233_h59_170505 2017/5/5 三鷹 E233系H59編成

一方、2015年3月のダイヤ改正で青梅線運用の削減から青459,659編成が中央快速線H59編成に転用されました。こちらも載せておきます。

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2017年6月12日 (月)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 10 サロンカーなにわ

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開のHM展示、最後は「サロンカーなにわ」です。
Hm_161015
1970年代後半、各鉄道管理局ではお座敷列車といわれる客車を保有し、団体専用列車やイベント列車として走らせていました。車種はスロ62形スロフ62形を改造したスロ81形、スロフ81形でした。重要は結構多く、一方観光バスの方はまだまだ競争にはならない状況でした。

Ef62_40 軽井沢 EF62 40号機に牽引されて碓氷峠を登ってきた「サロンエクスプレス東京」による「サロンエクスプレスそよかぜ」

060709_2 2006/7/9 大宮
晩年は「ゆとり」に改造されたサロンエクスプレス東京

こういった需要と多様な嗜好に対応すべく、東京南鉄道管理局では「サロンエクスプレス東京」が製造され、大阪鉄道管理局に登場したのが「サロンカーなにわ」でした。

号車  形式       旧形式    設備           定員
1   スロフ14 703 スハフ14 31  展望室・ラウンジ   定員外20人
2   オロ14  706 オハ14  177                39人
3   オロ14  707 オハ14  178                39人
4   オロ14  708 オハ14  179                39人
5   オロ14  709 オハ14  170                39人
6   オロ14  710 オハ14  180                39人
7   スロフ14 704 スハフ14 52  展望室   定員外12人・客室定員24人

改造は高砂工場(1985年に鷹取工場に統合)で行われ、1983年9月に出場しました。全車両グリーン車で番号はサロンエクスプレス東京の続番となっています。

Ef58_12_830924 1983/9/24 東京
まさにデビュー直後、EF58 12に牽引されて東京までやって来た際の写真
客車はあまりはっきり見えませんが、EF58 12号機、1975年3月6日の写真では大窓でしたが、この時はHゴム小窓に改造されています。

配置は網干総合車両所宮原支所で団体臨時列車や多客時の臨時列車に使用されています。お召し列車として運用されたこともあります。

160904 2016/9/4 千里丘

昨年、大阪旅行で偶然千里丘で見かけました。
この列車は「サロンカーなにわで行くおわら風の盆と五箇山」で牽引機はEF81113号機でした。

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2017年6月11日 (日)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 9 あすか

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開のHM展示、定期列車のHM以外で展示されていたのは、「トワイライト・エクスプレス」、「あすか」、「サロンカーなにわ」でした。

Tle_hm_161015
「トワイライト・エクスプレス」に関してはこれまでにも何回か触れているので、今回は触れません。

Hm161015
「あすか」実は客車を一度も見たことはありません。

「あすか」誕生のきっかけは1986年12月28日に余部鉄橋で発生した和風客車「みやび」の転落事故でした。

この事故は同日13時25分頃、香住駅より、浜坂駅に回送中の臨時回送9535列車(DD51 1187と「みやび」14系客車7両)が時速50km/hで余部鉄橋を走行中、日本海からの最大風速約33m/sの突風に煽られ、客車全車両が台車の一部を残して橋梁中央部より転落し、橋の真下にあった水産加工場と民家を直撃、工場の従業員5名と車掌1名の6名が死亡、車内販売員3名と工場の従業員3名が重傷を負った事故でした。機関車は重量があったため転落は免れ、機関士は無事でした。只、機関士の上司は責任の感じ、自殺しました。

余部鉄橋では風速が25m/sを越えると警報装置が作動する仕組みでしたが、当日は事故以前に2回警報が作動しており、1回目の警報で指令室が香住駅に問い合わせたところ、風速は20m/s前後であるとのことで、様子を見ることにし、2回目の警報が作動した際には列車を停止させる特殊信号機を作動させてももはや間に合わないとのことで、列車を停止できなかったそうです。

後年の公式調査では橋に取り付けられていた風速計2台のうち、一台は故障しており、もう一台も精度が落ちていたそうです。風速計による警報が出た後、指令員の判断で列車を止める仕組みが問題視され、自動的に列車を止める仕組みの導入が勧告されました。

この事故に関しては本当に突風で客車が煽られて転落に至ったのか、強風によるフラッター現象で機関車が蛇行運動を起こし、レールに歪みが生じ、両端の発電機付きの車両に較べ軽かった中央部の客車が先に脱線して、両端の客車を引きずるように転落に至ったという説も出されています。

実はこのフラッターという言葉、久しぶりに目にしましたが、以前目にしたのは、日航ジャンボ機123便の事故でした。あの事故の際にも圧力隔壁の修理ミスが事故原因とされる前、事故が起きた直後などには、フラッターによる異常振動が垂直尾翼の破壊に繋がったのではと言う説を唱えた専門家もいました。

「みやび」の代替として1987年1月に構想が発案され、6月から製造されたのが「あすか」と言うことです。

号車   車両形式      改造前       定員    設備
1   マロフ12 851「桜」   スハフ12 132    24    展望室
2   オロ  12 851「銀杏」 オハ12 348     24      談話室
3   オロ  12 852「菖蒲」 オハ12 337     28     談話室
4   オロ  14 851      オハネ14 3       フリースペース・ハイデッカー車
5   オロ  12  853 「すすき」オハ12 339     28     談話室
6   オロ  12 854「水仙」 オハ12 340     28    談話室
7   マロフ12 852「桜」   スハフ12 30    24    展望車

配置は網干総合車両所宮原支所で1987年11月頃から7両で運用され、1996年頃にはリニューアル改造も受けました。団体臨時列車等でも運用されましたが、運転機会は少なくなって行きました。

2016年7月6日、両端の展望車は吹田総合車両所に改装され、9月5日に廃車、10月19日、中間車5両が吹田に回送され、851と852が11月17日に廃車となり、現時点では3両の車籍が残っている状態だそうです。

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2017年6月10日 (土)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 8 いそかぜ

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開のHM展示、同時期の列車としては「明星」や名古屋~熊本の「金星」などもあるのですが、HMの展示はなかったのでそれらは別の機会にするとして、今回は、キハ181系特急だった「いそかぜ」にいたします。

Hn_161015
いそかぜ」という愛称は、昨日の「なは」の記事にも登場した1965年10月1日から大阪~宮崎(一部、大分)間に運行されたキハ82系特急、列車番号1D、2Dで最初に使用されようです。

485_481_0_750305 1975/3/5 門司 

1961年10月1日の改正では「かもめ」の補完として、同じくキハ82系により、大阪~博多間に山陽本線経由で「みどり」が運転開始されました。実際の運行開始は初期故障などを考慮して12月15日からだったそうです。1964年10月1日の改正では新大阪~熊本・大分に変更されました。さらに、1965年10月1日の改正では、熊本発着編成が筑豊本線経由で佐世保発着になりました。

1967年10月1日の改正で大分発着の「みどり」は「月光」とペアを組む形で581系寝台特急電車になりました。ただ、581系による「みどり」はサロ581形がなかったため、1968年10月1日のダイヤ改正で485系に差し替えられました。

485_481200_750306 1975/3/5 小倉

一方、「みどり」の佐世保編成の方は「いそかぜ」の大分で増解結されていた付属編成を筑豊本線経由佐世保編成とすることで置き換え、列車番号は佐世保編成が1D、2D,宮崎編成が2001D、2002Dとなりました。1968年10月1日の改正で「いそかぜ」の佐世保編成は「かもめ」に編入、宮崎発着列車は「日向」と改称し、「いそかぜ」の名称は消滅しました。

個人的には1976年の長崎・佐世保線電化で485系特急「かもめ」「みどり」が走り出した際に、佐世保線の「みどり」はそれまでの大分特急のイメージから命名の理由がわからなかったのですが、この記録から理解できました。

181 尼崎

一方、今回の「いそかぜ」は「まつかぜ」の流れを引き継いだ山陰~九州特急でした。
「まつかぜ」は1961年10月1日のダイヤ改正で京都~大阪~松江間(東海道・福知山・山陰)にキハ82系で運行開始され、1964年3月20日には京都~博多間に延長されました。この列車が1985年3月14日の改正で京都~米子、米子~博多間に分割され、後者が「いそかぜ」となりました。車両はキハ181系でした。

18132_041017_2 2004/10/17 幡生

1993年3月18日の改正では、運転区間を米子~小倉に短縮、小倉~博多間は「にちりん」の増発に充てられました。2001年7月7日からは米子~益田間は「スーパーくにびき」とし、「いそかぜ」は益田~小倉間になりました。2005年3月1日の改正で廃止となりました。

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2017年6月 9日 (金)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 7 なは

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開におけるHM展示、今回は「なは」です。 

Hn_161015_2
この列車は昨日の記事にも出てきましたが、客車寝台特急として運行されたのは比較的後からであり、スタートは昼行DC特急でした。

列車名の由来は沖縄の本土復帰を願い、琉球新報が「本土に沖縄名の列車を走らせよう」というキャンペーンで公募したもので、5211通の応募から「なは」「おきなわ」「しゅり」「でいご」「ひめゆり」の5つの候補から選出されました。

1961年10月1日のいわゆるサンロクトオのダイヤ改正で「おおぞら」「白鳥」「つばさ」「まつかぜ」「へいわ」などの特急がキハ82系でデビューしましたが、京都~博多間を客車で運行されていた「かもめ」もキハ82系とし、京都~長崎・宮崎の運行としました。

1965年10月1日のダイヤ改正で「かもめ」の宮崎編成を西鹿児島発着に変更し、食堂車は西鹿児島発着編成に連結し、宮崎発着は新設特急「いそかぜ」としました。そして、1968年10月1日のダイヤ改正にて、「かもめ」の西鹿児島発着編成を筑豊本線経由佐世保発着とし、長崎発着の編成にも食堂車が復活しました。西鹿児島発着の列車は「なは」として分離されました。「なは」は宮崎発着の「いそかぜ」を改称した「日向」を京都~小倉間併結し、運転を開始しました。

485_4810_1m_750306 1975/3/6 大阪 大ムコの485系 11連 「なは」

581_750306 1975/3/6 大阪 京都行き寝台特急「きりしま」

1970年10月1日、鹿児島本線全線電化完成で、「なは」は485系特急電車となり、「日向」との併結運転は取りやめられました。また、京都~西鹿児島間に581/3系による寝台特急「きりしま」が走り始めました。1974年4月25日には日豊本線の南宮崎まで電化が完成し、「日向」も電車化されました。

581
1975年3月10日のダイヤ改正で、昼行特急「かもめ」「なは」「日向」は廃止となります。寝台特急「きりしま」も廃止されますが、きりしまの運行区間の一部、新大阪~西鹿児島間に登場した寝台電車特急に「なは」の名前が与えられました。本来は「あかつき」のスジが「なは」になったのですが、1975年7月から沖縄で開催される海洋博を配慮して「なは」の名が存続されたようです。

581_801212
1978年10月2日のダイヤ改正では「明星」の京都発着列車が1往復廃止となり、「なは」の運転区間が京都~西鹿児島となりました。1980年10月1日のダイヤ改正では京都発着の「なは」が廃止され、「明星」の新大阪発着の列車が「なは」になりました。

Ed76_67_960329 1996/3/29 西鹿児島

1984年2月1日のダイヤ改正で「なは」は電車寝台から、客車寝台へ、24系25形での運行となりました。このときに九州内で初めて牽引機関車に「なは」のHMが装着されました。

Ef65_1093_000000__2 新大阪

1990年3月10日の改正では付属編成に普通座席車「レガートシート」を連結。

2425_24_301_920314 1992/3/14 新大阪

Ef65_1124_031211 2003/12/11 東淀川

Ef65_1126_050708 2005/7/8 新大阪

2004年3月13日、九州新幹線八代~鹿児島中央間が開通し、「なは」は熊本止まりに、2005年10月1日、利用客減少により、「あかつき」との併結運転に。

Ef66_42_080226 2008/2/26 千里丘

2008年3月14日、「なは」は廃止となりました。
こうやって見てみると、「なは」という愛称の列車は何度か廃止されているのですが、そのたびごとに同じ区間を走る別の列車の愛称に乗り移りながら「なは」という愛称が存続してきたのが分かります。

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2017年6月 8日 (木)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 6 彗星

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開、HM展示の6回目は「彗星」です。

Hn_161015
昨日の記事にあるように「彗星」の登場は1968年10月1日のダイヤ改正、いわゆるヨンサントウの改正で、運行区間は新大阪~宮崎間でした。

東海道・山陽本線では110km/h運転が始まり、高速化時代が到来しました。このときにも昭和42年度第2次、第3次債務負担で20系は計88両増備されました。

ナロネ21  126~138
ナハネ20  216~249、301~314
ナハネフ22 14~20
ナシ20    17~23
カニ21    16~21

耐腐食性の向上や防火性対策が盛り込まれました。1970年10月1日の改正では都城まで延長されました。

Ef58_12_750306_2 1975/3/6 大阪 彗星5号 42レ 客車は24系
1972年3月15日のダイヤ改正で新大阪~大分間に「彗星下り2/上り1号」が20系で増発されました。

1973年10月1日の改正では急行「べっぷ」の格上げにより、新大阪~大分間に「彗星下り3/上り4号」が24系で増発され、もう1往復(上下2号)は14系客車で門司まで、佐世保発着の「あかつき」と併結運転となりました。

Ef65_522_750306 1975/3/6 大阪
24系で運行された「彗星3号」44レ機関車はEF65 522F

2425_25_750305 1975/3/5 下関を出発する彗星5号 
登場して1年経たない頃のオハネフ25

1974年4月25日、日豊本線南宮崎電化のダイヤ改正で24系25形による新大阪~大分間の列車が1往復加わり、5往復となりました。

581_2 新大阪に到着した581/3系の「彗星」

1975年3月10日のダイヤ改正で、大分、宮崎、都城各1往復になりました。さらに、上下の1,3号は583系電車による運行となりました。

581_811204 1981/12/4 大阪

1978年10月2日のダイヤ改正からは列車番号が新幹線方式の下り奇数、上り偶数になり、関西~九州間の寝台特急は14系15形の投入もあり、すべて二段ハネに統一されました。「彗星5/2号」が24系25形になりました。また電車特急のHMが絵入りになったのもこのときで、20系を除く寝台客車は1979年7月1日から絵入りとなりました。

1980年10月1日のダイヤ改正は国鉄初の減量ダイヤ改正で20系が定期の特急運用から外れ、関西~九州間の寝台特急も大幅な見直しとなり、「彗星5/2号」は廃止となり、2往復となりました。

1984年2月1日のダイヤ改正では583系で運転されてきた「なは」「彗星」が廃止となり、寝台電車としての運転が消滅しました。「なは」は新大阪~西鹿児島間の「明星」21/22レを改称し、存続させましたが、「彗星」は新大阪~都城間の1往復3001/3002レとなりました。

1986年11月1日、国鉄最後のダイヤ改正ではそれまで「明星」「あかつき」に使用されていた大ムコの14系15形客車がこれらの列車の廃止により、「彗星」に転用されました。

1994年12月3日の改正では大阪~新潟間の寝台特急「つるぎ」の廃止により、24系25形寝台車が「彗星」に転用されました。14系15形は急行「ちくま」「だいせん」に転用となりました。

1995年4月20日のダイヤ改正で「彗星」は南宮崎までの運転となりました。そして2000年3月11日のダイヤ改正で「あかつき」「彗星」は統合され、14系15形を利用した併結列車になりました。2005年10月1日の改正で「彗星」は廃止となりました。

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2017年6月 7日 (水)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 5 あかつき

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開におけるHM展示、今回からは関西と九州を結んだ列車で行きます。

Ef58_77_750306_edit 1975/3/6 新大阪 未だ夜も明けきらぬ大阪駅に到着するEF58 77牽引
「あかつき1号」

関西から九州への寝台特急といえばなんといっても「あかつき」が挙げられます。今回の展示では「彗星」「なは」の単独HMと晩年に登場した「あかつき」との併結列車のマークはありましたが、「あかつき」の単独HMの展示はありませんでした。

「あかつき」の寝台特急としての登場は1965年10月1日のダイヤ改正で、新大阪~西鹿児島・長崎間に設定されました。このときにも20系は増備されています。

ナロネ21  120~125
ナハネ20  201~215
ナハネフ22 13
ナシ20    13~16
カニ21    15

これまでの20系客車はAS弁式空気ブレーキを使用しており、最高速度は95km/hに制限されていました。ヨンサントウのダイヤ改正でのスピードアップを目指して、このときに増備された車両からAREB空気ブレーキ(増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ)が装備され、110km/hで運転した際に非常制動距離を600m以下に抑えることが可能となりました。従来車についても入場の際に同様の装備が付加されました。
一方でこの装備のため、高速で20系を牽引できる機関車はいわゆるP型(EF65500番台、ED731000番台、EF701000番台、ED75300番台、ED761000番台、EF801~20などの元空気ダメ引き通し管とブレーキ指令回路KE72ジャンパ連結器を持つ)に限定となりました。

1968年10月1日のダイヤ改正で、新大阪~西鹿児島・佐世保間に「あかつき」が1往復増発されました。従来の西鹿児島・長崎間の「あかつき」の長崎発着の編成が「はやぶさ」と共通運用になりました。

20_21_7410930 1974/9/30 西鹿児島に到着した「あかつき1号」 1974年秋の九州一周旅行が私の最初の20系乗車でした。

1972年3月15日のダイヤ改正で、新大阪~熊本・長崎間に「あかつき下り3/上り1号」が増発され、3往復体制に。あかつき下り1号、上り3号の車両は向日町運転所から品川客車区受け持ちとなり、「はやぶさ」と完全に共通運用化。このときは「さくら」「みずほ」の14系化でねん出された20系が転用されました。

1972年10月2日のダイヤ改正で新たに向日町に配置された14系(94両)により、新大阪~熊本間に「あかつき下り2号/上り3号」が増発され、4往復体制になりました。また既設の2往復も14系化されました。しかし、ダイヤ改正から約1か月後の北陸トンネル列車火災事故(1972/11/6)により、分散電源方式の14系は製造が中止となりました。この改正から関西~九州の寝台特急牽引機は元空気ダメ引き通し改造をしたEF58形(P)となりました。また長崎本線の浦上線の開業で約10分のスピードアップが実現しました。

1973年8~9月にかけて集中電源方式の24系24形が118両増備され、季節急行「雲仙」「西海」各1往復が「あかつき」に統合となり、「あかつき」は6往復体制となりました。新大阪~長崎間の「あかつき下り3/上り1号」と新大阪~西鹿児島間の「あかつき下り4号/上り3号」が24系となりました。

1974年3月には二段ハネ24系25形がデビューし、4月25日のダイヤ改正で24系25形が91両向日町に配置され、新大阪~熊本間に「あかつき」が1往復増発され、7往復体制となりました。このときの陣容は

21/22列車 新大阪~西鹿児島・長崎 20系 1/7
23/24列車 新大阪~西鹿児島 14系 2/5
25/26列車 新大阪~長崎 24系25形 3/1
29/30列車 新大阪~西鹿児島(熊本切り落とし) 24系 4/4
31/32列車 新大阪~佐世保 14系 5/3 門司まで彗星5/3と併結
33/34列車 新大阪~熊本 24系25形 6/2
35/36列車 新大阪~長崎・佐世保 14系 7/6

このときが「あかつき」の最盛期で、1975年3月10日のダイヤ改正では、長崎・佐世保線系統が「あかつき」、鹿児島本線系統は「明星」と整理され、3往復になりました。20系の運用はなくなりました。明星との併結運転がなされたのはこの時期でした。

Ef58_38 EF5838号機に牽引されて大阪駅に進入する24系25形「あかつき」
1975年3月改正以降はHMが省略された時代が続きました。

Ef65_1094_000000 大阪駅に到着する「明星・あかつき」併結列車

Ef65_1095_000000 高槻で停車中の向日町回送列車

1415_791221 1979/12/21 長崎 14系15形寝台客車

1978年10月2日のダイヤ改正では2往復となり、再び分散式電源方式の二段ハネ14系15形が「あかつき」2往復に投入されました。1986年11月1日のダイヤ改正では1往復が20系による臨時列車になり、佐世保編成に普通座席車オハ14が連結されました。

14_14_303_020322 2002/3/22長崎

1990年3月10日のダイヤ改正では高速バス対抗として「レガートシート」の連結、

Ef66_48_050708 2005/7/8 山崎

2000年3月11日のダイヤ改正では佐世保編成を廃止して、「彗星」との併結、2005年10月1日には「彗星」の廃止、

Dsc04317
Ef66_53_060620 2005/6/20 千里丘

なは」との併結、2008年3月15日、廃止に至りました。

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2017年6月 6日 (火)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 4 あさかぜ

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開、HM展示の4回目は「あさかぜ」です。

Hn_161015_4 永年の使用のためかかなり年季の入った「あさかぜ」HM

1956年11月19日
、東海道本線全線電化のダイヤ改正で「あさかぜ」は登場しました。当初、東京を夕刻出発し、関西は深夜、博多に朝到着するダイヤは大阪鉄道局から強い反発があったそうですが、同じダイヤ改正で関西始発の九州方面急行列車「玄海」「天草」を登場させること、京都、大阪、神戸にも停車し、客扱いすることで納得してもらったそうです。

Ef65_505_750925 1975/9/25 大井町~品川

登場時は一般客車の寄せ集め編成で、1958年10月1日の改正で20系客車の登場となりました。

昭和33年度本年度予算による20系の新製で37両が製造され、その内訳は (0番台は日本車両、50番台は日立製作所)
ナロネ20 1,2,51  
ナロネ21 1~3,51~53
ナハネ20 1~7,51~56
ナロ20   1,51,52
ナハ20  1, 51,52
ナハフ20 1,2,51
ナシ20  1,2,51
マニ20  1,51,52    でした。

1963年12月20日には東京~広島間の牽引機関車がEF58からEF60500番台に交替し、客車編成も15両に変更となり、電源・荷物車カニ21に続いてナロネ20、ナロネ22、ナロネ21x3、ナロ20、ナシ20、ナハネ20x5、ナハ20、ナハフ20と一等寝台車が集中する「殿様あさかぜ」編成となりました。1965年10月1日までにナロ20以外の全車寝台車化が完成しました。

Ef65_529_750305_2 東京から1000kmに及ぶロングランを終えて、下関に到着したEF65529牽引あさかぜ

1968年10月1日の改正では臨時列車として運行されていた「あさかぜ」が定期化され、2往復となります。

1970年10月1日の改正では東京~広島間を呉線経由で運行していた寝台急行列車「安芸」が格上げとなり、東京~下関(山陽本線経由)(下り3/上り1)号となりました。このときの増備が20系の最終増備となり、昭和44年度第4次債務負担で、39両が製造されました。その内訳は
ナロネ21  142~147
ナハネ20  344~364
ナハネフ22 24~26
ナハネフ23 18~20
ナシ20    27~29
カニ21    25~27           でした。
20系客車は1958年の誕生以来、479両が製造されました。

1972年3月15日の改正で東京~博多間の下り2/上り3号が14系寝台客車となりました。

20_20_750305 1975/3/5 あさかぜ編成中のナロ20 下関

14_741215 1974/12/15 東京 比較的短命だった14系「あさかぜ」 客車は「いなば・紀伊」に転用

1975年3月10日のダイヤ改正で14系客車のあさかぜが廃止され、2往復体制になりました。博多発着のあさかせ下り1/上り2号のナロ20形と全室個室寝台車ナロネ20形の連結が取りやめになりました。一方、下関あさかぜは「瀬戸」と共通運用化されました。

Ef65_1110_800103 1981/1/3 PF牽引「あさかぜ」

1976年8月、「あさかぜ51号」に24系25形寝台車が使用され、1977年9月28日、下関あさかぜ・瀬戸が二段ハネ化されました。1978年2月1日、博多あさかぜの20系も24系25形化されましたが、食堂車の新製は行わず、「はやぶさ」「富士」「出雲」の編成の食堂車を基本編成から付属編成に移すことで、車両を捻出し、対処しました。

Ef66_43_040501 2004/5/1 EF66 43牽引「あさかぜ」 品川

Ef66_45_040905 2004/9/5 海田市 オハネフ25 300 スハ25 300 組み込み下関あさかぜ

Hn_161015_5 こちらは最終列車用に新調したのか2005/2/28の日付入りHM

1994年12月3日の改正で博多あさかぜは臨時列車に格下げ、「あさかぜ81・82号」となり、2000年12月には廃止、2005年3月1日、下関あさかぜも廃止となりました。

「さくら」「みずほ」は九州新幹線に、「はやぶさ」は東北・北海道新幹線で復活しましたが、「あさかぜ」は寝台特急をイメージする名称ですので、今後の復活はあるのでしょうか?

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2017年6月 5日 (月)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 3 はやぶさ 富士

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開におけるHM展示、今回は「はやぶさ」「富士」で行きます。

Hn_161015
列車名としては1912年6月15日汐留~下関間に走り出した一等車、二等車のみで編成された特別急行列車1,2列車の列車愛称が公募され、1929年9月15日から「富士」と命名されたため、この名称が日本で最初の特急列車の愛称となりましたが、その後、1943年7月1日、特急列車は第一種急行となり、愛称も消えました。

Hn_161015_2

東海道線の東京~大阪にビジネス特急「こだま」が走り始めたときや東京~博多間に寝台特急「あさかぜ」がデビューした際にも「富士」の名称の復活は考慮されましたが、結局、1961年10月1日151系電車特急増発時に東京~宇野・神戸間の特急に名称が復活しました。

Ef65_505

1964年9月30日を以て東海道線の電車特急は新幹線に移行となり、「富士」の名称は昨日の記事にあるように、翌10月1日から「みずほ」の大分付属編成から独立した列車に使用されることになりました。

「富士」の20系化では従来、緩急車などに座席車が連結されていましたが、今回からは全車寝台車とすることになり、ナハネフ22形、ナハネフ23形が製造されました。さらに日立による20系の製造は中止されました。

Ef65_512_751009

一方、「はやぶさ」は東京~大阪間のビジネス特急名を公募した際に佳作として選定された名称で、1958年10月1日、東京~鹿児島間を運行していた夜行急行「さつま」を格上げする形で運行が開始されました。車両は「平和」と同編成の一般車両で組成された13両編成でした。
20系化は1960年7月20日からで、同時に運行区間は東京~西鹿児島となりました。

「はやぶさ」の20系化に当たっては、両用電源車カニ22形1,2,51,52が登場しました。ただこの電源車は重いため、はやぶさには使用されず、「さくら」に使用され、「はやぶさ」はマニ20、「あさかぜ」は新聞輸送指定列車のため、カニ21が使用されました。

1968年10月1日の改正で、博多駅で増解結を行っていた付属編成を長崎まで延長とし、西鹿児島編成と鳥栖で分割・併合としました。付属編成は「あかつき1/2号」と共通運用となりました。
1972年3月15日の改正で「さくら」「みずほ」が20系から14系客車になったことで、1人用個室付きA寝台車ナロネ22形を「はやぶさ」に転用し、基本編成も「あかつき1/3号」と共通運用となりました。しかし、個室寝台車の連結期間は短く、同年7月20日にはA寝台車は開放式ナロネ21形に変更となりました。

1975年3月10日のダイヤ改正にて、「はやぶさ」「富士」「出雲」は20系から24系24形3段寝台車に、さらに「はやぶさ」の付属編成は熊本までとし、「みずほ」が鳥栖駅で分割併合し、付属編成が長崎へ。

Ef65_1096_800103
1976年10月1日
の改正では「はやぶさ」「富士」「出雲」の客車が24系25形二段ハネ客車に。東京発着の寝台特急では初の二段ハネの投入でした。さらに1人用個室A寝台オロネ25形もこの時から連結されました。

Ef65_1112_810103
高速道路の整備、夜行高速バス路線の拡大に対する対抗策として、1985年3月14日の改正では「はやぶさ」にオハ24形700番台ロビーカーが連結されることになり、牽引定数の関係で東京~下関間の牽引機はEF65PFからEF66へと交替しました。

1999年12月4日の改正では利用者減により、「はやぶさ」は「さくら」と併結、1968年から1975年までの運行形態と同じになり、14系客車と24系客車の史上初の併結運転となりました。「富士」はこの列車と共通運用のため、15両編成となりました。

Ef66_42_040530
2005年3月1日には「さくら」が廃止され、「はやぶさ」は「富士」と併結となりますが、2009年3月14日、その併結列車も廃止となり、東京~九州を結んだ寝台特急は全廃となりました。「はやぶさ」の名称は「あさかぜ」が廃止された時点で継続年数1位になりました。

Hn_161015_3

Ef66_46_071217

その「はやぶさ」が復活したのは2011年3月5日からE5系で運用を開始した東北新幹線でした。宇都宮~盛岡間でE2系「はやて」「やまびこ」の275km/hを上回る320km/hでの営業運転を行い、東北新幹線の最速達種別の列車となっています。こちらは一般公募の結果、第7位で、一位「はつかり」、二位「はつね」、三位「みちのく」でしたが、親しみやすさとスピード感から選ばれたそうです。

E5_u4_111008_2 2011/10/8 大宮に到着するU4編成

H5_h1_170203_2 2017/2/3 大宮

JR北海道のH5系 北海道新幹線の愛称も「はやぶさ」となりました。

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2017年6月 4日 (日)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 2 みずほ

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開、HM展示第二弾は「みずほ」です。

Hn_161015
Ef65_503_741014 1974/10/14 東京
当時、下関機関区所属の503号機に牽引され、東京駅に到着した「みずほ
EF65 501~504は下関所属で東京機関区所属の機関車が台車検査のときにピンチヒッターとして寝台特急を牽引

Ef65_506 東京駅に品川からの回送列車が到着後、機回しで神田方面に向かう、506号機

Ef65_536 EF65 536号機 品川

Ef65_1101_791006 1979/10/6 EF65 1101号機

Ef66_55_850323

「みずほ」のHMは503号機のようなパターンと、この506号機のような鏡面パターン、536号機、PF、EF66の白基調のパターンと3種類あったように記憶しています。

1961年10月1日のダイヤ改正、キハ82系によるディーゼル特急がデビューした改正ですが、この時に東京~熊本間に不定期の客車特急として登場したのが「みずほ」でした。「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」の補完的性格の強い列車で客車も一般型旧形客車の寄せ集めでした。

1962年10月1日、定期列車に昇格、1963年6月1日20系客車が投入されました。編成の一部は大分行きとし、門司で分割併合、付属編成の門司~大分間には簡易電源車マヤ20が使用されました。

「みずほ」の20系化にあたっても系列内で設計変更等がありました。まずは今回の増備からナロ20形の製造が取りやめとなり、専務車掌室の配置が問題となりました。

解決策としてナロネ21形100番台を新たに起こし、従来の荷物保管室を給仕室にあて、給仕室を専務車掌室にしました(ナロネ21-101,102,151~153)

1964年10月1日、東海道新幹線開業のダイヤ改正で、大分編成は「富士」として独立、付属編成は博多で増解結となりました。1968年10月1日の改正で、全編成が熊本まで運行されるようになり、1972年3月15日の改正で、「さくら」「あさかぜ(2/3号)」とともに14系寝台客車に。1975年3月10日の改正では東京~長崎、熊本へ変更、鳥栖で解結となりました。

1994年12月3日、「みずほ」は廃止となり、東京~九州間寝台特急で最初の名称消滅となりました。

N7008000_r11_150802 2015/8/2 新山口 N700系R11編成による「みずほ603号」

「みずほ」本来の意味は「みずみずしい稲の穂」で、「瑞穂の国」は日本の美称、大阪でも「瑞穂の国、○○○○記念小学校」なんて学校が出来そうになりましたが、2011年3月12日の九州新幹線鹿児島ルート全線開業で、山陽・九州新幹線直通の最速達列車の愛称として「みずほ」が復活しました。

2017年3月4日改正のダイヤにおける停車駅は新大阪駅・新神戸駅・岡山駅・広島駅・小倉駅・博多駅・熊本駅・鹿児島中央駅に全列車が停車し、一部列車は姫路駅にも停車となっています。

もともと大阪~鹿児島間は飛行機利用が多く、JRのシェアは数%でしたが、九州新幹線開業後はビジネス客の取り込みを図り、2~3割のシェア獲得を目指して設定されました。

公募では無くJR九州内での名称決定、上記のような寝台特急時代の列車の格のイメージ、鹿児島には縁がなかった列車名称などから、最速列車名が「みずほ」と発表された際にはかなり不快感が漂ったのも事実でした。

開業時は朝夕の4往復運転から始まり、2012年3月17日の改正で1往復増発、徐行区間の解除で所要時間を短縮、2013年3月16日の改正でさらに1往復、2014年3月15日改正でも1往復増発、姫路駅停車の列車が加わりました。

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2017年6月 3日 (土)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 1 「さくら」から「さくら・はやぶさ」へ

2016年10月15日土曜日、下関総合車両所の公開、最後はEF651124号機に装着させるために並べられたHMについてです。

こういったイベントにおいてかつて寝台特急列車牽引機に装着されたHMは尾久車両センターの公開(1, 2, 3 4)でもありました。今回のHMは東海道・関西系ブルートレイン等の西へ向かう列車のものでしたので、再び取り上げようと思いました。

Hm_161015
まずは通称「葉桜」と呼ばれたバックが緑の桜です。

寝台特急「さくら」の登場は1959年7月20日、「平和」を名称変更しての登場でした。このときに20系客車化されています。

「さくら」の20系化にあたり、20系客車に新形式が登場しました。
「あさかぜ」登場の際は個室寝台車はナロネ20形日本車両製1,2、日立製作所製51、プルマン(開放式)二等寝台ナロネ21形1~3,51~53でしたが、中央に喫煙室を配置してナロネ20形の1人用個室6室とナロネ21形の開放式寝台16名分を設置したナロネ22形1,51,52。
基本編成は東京~長崎、付属編成は東京~博多のため、基本編成最後尾の緩急車としてナハフ21形緩急室付座席車1,2,51,52。後位にはナハ20形同様に売店が設置されました。
新聞輸送需要の増大に対処するため、荷物室の荷重を5tにした荷物車カニ21形1,51,52.

14系客車化されたのは1972年3月15日の改正からでした。

Ef65_542_750305_2 1975/3 下関 EF65 542

Ef65_535_2 東京 回送列車牽引して到着、機回しへ EF65 535

牽引機がEF65PFになったのは1978年7月からでした。

Ef65_1109_000000 品川 EF65 1109

EF66への牽引機交代は1985年3月からでした。

Ef66_42_850323 1985/3/23 東京 EF66 42

私はEF65500P以前の「さくら」は見たことがありませんが、P, PF時代の「さくら」は上の写真のようにピンクの地に白い花弁、もしくはその逆のパターンで葉桜はEF66牽引になってから見たように思います。

Hm_161015_2
Ef66_49_040501
2004/5/30 大井町 EF6649 「さくら・はやぶさ

1999年12月4日
、佐世保編成が廃止され、「はやぶさ」との併結運転が開始されました。

2005年3月1日、「さくら」は廃止となりました。

N7007000_s7150802_2 2015/8/2 新山口 停車のため入線するN700系7000番台 S7編成

N7007000_s14_120605 2012/6/5 博多

2011年3月12日の九州新幹線鹿児島ルートの全線開業で山陽新幹線と九州新幹線の直通運転が開始され、「さくら」は新大阪~熊本・鹿児島中央間を直通する列車、九州新幹線内で完結する速達列車の愛称となりました。

「みずほ」が同区間の最速達列車、東海道・山陽新幹線の「のぞみ」に対応する列車とすれば、「さくら」は「ひかりレールスター」に対応する列車との位置づけだそうです。

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2017年6月 2日 (金)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その5 資料室

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所の公開、今回は先日の大宮公開同様、資料室の展示内容の紹介です。

161015 1984年4月撮影の幡生工場の全景

161015_2
国鉄幡生工場時代の銘板

国鉄の発足は1949年6月1日、本来年度初めの4月1日に発足するところが、運輸省鉄道総局の準備遅れで6月になったそうです。下山定則氏が初代総裁に就きますが、前日から行方不明となり7月6日未明、常磐線北千住~綾瀬間で轢死体で発見されます(下山事件)、さらに三鷹事件(7月15日)、松川事件(8月17日)が起こり、3大ミステリーと言われます。

161015_3
国鉄時代最後の2年間は幡生車両所でした。

沿革の説明

1_161015
1903年6月
の開業から、幡生の地への移転まで

山陽鉄道は1888年1月に設立、同年11月1日、兵庫~明石間が開通、その後路線を延伸させ、1901年5月27日に馬関(ばかん:赤間関が略して馬関と呼んだのが始まりのようです)まで開通しました。1906年12月1日に鉄道国有化法により国有化されました。

2_161015
大戦中の幡生工機部、幡生工場、幡生車両所へ

1975年3月の新幹線博多開業を前にして、博多総合車両基地の立ち上げで大量の技術者が同所に送りこまれたのですね。

3_161015 民営化後から今日の組織へ

改造施工工場としての役割・実績

161015_4
改造実施例

1_161015_2
この頃はイベント列車用の改造車が多かったです。

1_161015_2_2
1_161015_3
SLやまぐち号用の客車も新製オハ35系が登場しました。

「あさかぜ・瀬戸」に登場した直流区間専用のスハ25などもこちらでの改造でした。
1_161015_4
115系の延命工事に続いて221系の延命工事が現在の主流のようです。
形式によって延命工事を担当する工場が分かれており、103系は吹田工場でした。

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2017年6月 1日 (木)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その4 車両検修施設

2016年10月15日土曜日、幡生駅そばの下関総合車両所で開催された「鉄道ふれあいフェスタ2016」に関しては、これまで

プロローグ 2016/10/18
その1 カープ応援ラッピングトレイン 2016/11/24
その2 EF65 1124号機 2016/12/29
その3 クモハ42001 2017/2/10                          と記事にして参りました。

105_k04_161015
105_k04_161015_3 2016/10/15 検査入場中の105系K04編成 クモハ105-18
ちなみに105系は下のように広ヒロと広セキに配置されており、K編成(K7,8以外)は広ヒロ(可部線、呉線用)です。

今回は車両検修施設の様子に触れようと思います。

ここは国鉄時代は幡生工場と言われ、現在は西日本旅客鉄道、広島支社直轄の総合車両センターです。

JR西日本における地域性を考慮した車両検修職場として金沢総合車両所、後藤総合車両所、網干総合車両所に次いで4番目の在来線総合車両所として2009年6月1日、下関地域鉄道部下関車両センター、下関車両管理室、山口鉄道部車両管理室(旧小郡運転所)が統合され発足しました。

105_k04_161015_2 クレーンによる車体吊り下げ

業務は広島支社管内および一部他支社の在来線車両(電機、ディーゼル機関車、電車、気動車、客車)の全般検査、重要部検査、交番検査、仕業検査などの検修および改造を行い、閉鎖された鷹取工場に代わってJR西日本で廃車となった車両の解体を行っています。

車両基地は下関駅の門司より、大和町2丁目15番1号にある、運用検修センター(かつての下関運転所)と新山口駅構内の東側、山口市小郡下郷124にある新山口支所(かつての小郡運転所)、そして天神川駅~広島駅間、広島市東区の広島支所(かつての広島運転所)からなります。

配置車両は

電車
下関 105系 123系 115系 42系 145系
広島 105系 113系 227系 145系

気動車
下関 キハ47形
新山口 キハ40形 キハ47形 キハ120形
広島 キハ47形 キハ120形

機関車
下関 EF65形 DD51形 DE10形

客車
新山口 12系 (近々新製された35系も加わるそうで)
広島 マニ50形

貨車
新山口 チキ5200形 ホキ800形

22161015 近ナラの221系も入場中でした。

221_161015 普段目にすることのない221系の中間連結器
221系の入場は平成25年から開始された延命工事をこちらで担当しているためかと思われます。

当日の検修庫内にはEF65、105系などの配置車両が検査を受けていましたが、関西地区で活躍する221系が検査を受けているのも見ることが出来ました。

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